渡したいもの
荒れた地面に、靴底が浅く沈む。
焼けた匂いはもう薄れているのに、風に混じる灰の気配だけが、ここが“終わった場所”だと教えていた。
早朝のひやりとした空気が、静寂をより沈黙させる。
「……あった」
低く呟いて、セトは崩れた荷の陰に身を滑り込ませる。
裂けた布の奥、まだ手つかずの袋を見つけると、迷いなく抱えた。
「当たりだ。今日はついてる」
軽く笑って振り返る先には、仲間が一人。
腰に弓を携えたヒュームの青年が、周囲を警戒しながら立っている。
セトを振り返らないまま、彼は声を潜める。
「急げよ。さっきの連中、まだ近い」
「分かってんよ~」
袋を肩に担ぎ、そのまま瓦礫を蹴って走り出す。
二人の足音は軽い。慣れたものだ。
朝の静けさの中を駆け抜けながら、ちらりと目だけで空を見る。
まるで別世界のことのように、雲間から朝日の眩い光が溢れている。
生きるためだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
セトはせせら笑うように小さく息を吐いた。
――その瞬間。
「待ちなさい!」
背後で声が弾けた。
二人とも振り返りはしないが、舌打ちして前を見据える。
「ちょ、早くない!?」
「いいから撒け!」
仲間と苦笑いしながら、セトは走る速度を上げた。
追ってくる気配は重い。
声の主だけではなさそうだ。
面倒くさいな。
内心うんざりしたが、足は迷わない。
崩れかけた壁を抜け、茂みの中に走り込む。
波打つ木の根を身軽に飛び越えながら木々の間へと散る。
一瞬たりとも、仲間の動きは確認しなかった。
どんなルートを通ろうと構わない。
同じ場所に帰り着ければ。
セトは脇目も振らず俊敏に森の中を突っ切った。
どこの軍かなんて、どうでもいい。
いつも通り、少しばかり頂くだけだ。
袋を抱きかかえ岩場の隙間を滑り降りる。
一旦岩陰に身を潜め、耳を澄ます。
遠くの鳥の声。
風が木々の葉を揺らす。
呼吸を整え、ひとつ、大きく息を吐く。
袋が破けていないかを確認し、ちらりと中を覗いた。
腹持ちの良いものに加工できる芋類。
一瞬だけ、まぶたが震える。
セトは、何かを振り払うように溜め息ひとつついて、立ち上がった。
小さな集落。
木を切り出して積んだ跡が、あちこちに残っている。
以前は、先ほどの場所から必要なものが届いていた。
だが、あの場所はもう沈んだ。
もう――物も、人も来ない。
袋を抱えたセトが軽い足取りで踏み込む。
すると、小さな駆け足が集まった。
「セト!」
白髪を揺らし、八重歯を見せて笑う。
「おはよ~」
セトの足元にやってきたのは、ミスラやヒュームの子ども達。
土で汚れた顔、細い腕。それでも目だけは、やけに明るい。
「今日はお芋だってさ~」
抱えていた袋を見せて言う。
「わぁ! 僕は好き!」
「私はあの捏ねたやつがいい!」
沸き立つ幼い声たち。
手を伸ばす少女に袋を手渡す。
「早速ばあちゃんに作ってもらいな」
笑うと、挨拶のように抱き着いてくる。
いくつもの身体に押された。
そのまま遊んで欲しそうに子ども達が見上げる。
そこでふと、真っ直ぐな瞳が、セトの後ろへと逸れた。
「あ、ハロルドも来た!」
小さな手が指さす。
今日もうちの方が早かった。
そんな勝ち誇った目をして、いつもの空気でセトが振り返る。
――だが。
子ども達に背を向けたセトは、表情を強張らせた。
先ほどまで一緒にいたヒュームの青年が、森の茂みから出てきたところだった。
背後を見つめながら。
足をもつれさせながら。
こちらへと。
セトはさり気なく、腰に携えたナイフに触れて確かめる。
じっと見つめると――ハロルドの顔は真っ青だった。
彼の後方の茂みが動く。
緑の中でその金髪が映える。
鎧姿の女性が一人、姿を現す。
遠くまで正確に捉えるセトの瞳。
現れた女性の厳しい目付きが、はっきりと見えた。
模様のあるセトの顔が厳しく歪む。
「どうしたの?」
「だぁれ?」
後ろで無垢な声が口々に問う。
駆け寄ってくるハロルドをひと睨みする。
子どもを振り返ったセトは、バツが悪そうに笑っていた。
「げ、やっば~!」
白髪をすくい上げて眉根を寄せた。
不思議そうに見上げる瞳たち。
「さっき、昔の友達に会ったんだよね~」
言いながらもう一度、現れた追手を見る。
もう一人、ヒュームの男性が現れた。
先に姿を見せた女性が、こちらを指さしながら彼に何かを伝えている。
引きつりそうになる口元を引っ張り上げて笑う。
「あはは! 先に来ちゃったけど、ここの場所ちゃんと教えてなかったじゃん!」
言いながら、傍まで来たハロルドの胸をばしりと叩いた。
「探させちゃったわ~そりゃ怒るよね〜」
ハロルドは言葉もなく、喉を鳴らす。
その横でお構いなしに笑って、セトは一歩進み出た。
口に手を添えて叫ぶ。
「ごめーーん!! 今行くーーー!」
「ダメだよセト~。お友達置いてきちゃったら~」
セトの腰に抱きついた子どもが、眉を寄せながら言う。
「ままま、いいじゃん! 無事また会えたしさ!」
軽く笑い飛ばして、もう一度見た。
祈るように。
現れた追手は、その場から動かずにこちらを見つめていた。
何かを飲み込んだ空気を纏って。
——通った。
セトは、ほんのわずかにだけ息を吐いた。
* * *
「じゃあさ、どうしろっちゅーーーねん」
きっぱりとした声で、開口一番に言い放った。
遠目に集落を眺めながら、岩の上で足を放り出す。
風が木の葉を揺すり、煌めきがなびく。
相手はまだ、何も言わない。
——言う必要がないみたいに。
鎧を身に着けたヒューム族の男。
風に黒髪を揺らし、ブラウンの瞳を集落に向けているだけ。
『出陣してきた』というより、戦場からそのまま歩いて来たような装い。
だが――見慣れた軍人とは少し違う。
戦場にいるには、妙に若く見えた。
横目で相手を観察しつつ、セトは言葉を続ける。
「仕方なくない? だって、なんにもないじゃん」
肩をすくめ、後ろに両手をつく。
誤魔化しもせずに真っ向から開き直る。
言われることなんて、分かってる。
どうせ同じだ。
ほんと、面倒くさい。
正しいこと、言われんの。
集落の一角に、こちらを見つめる若者たちが座り込んでいる。
ミスラやヒューム。
その中にはハロルドの姿もある。
乱暴に座った彼らの脇には、大きなガルカ。
背後に子ども達が並び立ち、彼の太い尻尾を見つめている。
冷めた眼差しで眺めつつ、肩をすくめる。
はぁと遠慮なく溜め息をついて、気だるげに口を開く。
「……で? どーすりゃいいの?」
要求されるものは、大体知ってる。
無いものは無い。
あるもので折り合いをつけてきた。
だが、ヒュームの剣士は、まだ静寂を守っていた。
セトは片方の眉を吊り上げる。
顔を向けじっと見つめると、低い声を絞り出す。
「……何なん? マジで」
軽さが沈んでいく。
滲み出る、じりじりした鈍痛。
絹のような金髪を揺らす、ヒュームの女戦士。
先ほど連れて戻ってきた仲間の戦士たちと言葉を交わし、こちらを見る。
だが、その視線はすぐに逸れた。
背後に控えていた、武装していない数人の影。
彼女はその――連れてきた難民たちのもとへ歩み寄る。
何かが、噛み合わない。
——こいつら。
代表者として目の前にいるこの男からして、もう違う。
まぁ……彼らの正体なんて別に興味ない。
ただ、気に食わない。
剣を腰に下げたヒュームの男があまりにも静かで、それが癪に障る。
『大変なのはお前たちだけじゃない』と、苦言を並べるわけでもなく。
善人顔で根掘り葉掘り質問してくるわけでもなく。
静かに集落を眺め、人を見つめ、黙っている。
ーー不意に。
目の前の剣士が、静かに片手の平をこちらに見せた。
言葉のないその動作に眉を寄せる。
とことん静かな男に苛立ち、口を開いたところで、聞こえる。
「いた。セト」
ひょこりと、子どもが一人、茂みの影から顔を出す。
口が開いたまま振り返ると、小さな足がこちらに構わず踏み込んで来る。
まだ小さな、ミスラの少女。
隣に座ろうとする少女を見て、セトが思い出したように声を上げる。
「ちょっとちょっと。今話してんだけど~」
「うん。あたしも聞く」
ぎゅっと強引に小さな身体が岩の上に乗る。
一瞬、呆気に取られる。
視界の隅に映る剣士は動かない。
白髪を引っ掻いて声を漏らすと、少女に告げる。
「あ〜……ごめんだけど、友達が悩み相談したいらしいんよ」
「あたしも、聞く」
「ざ〜んねん。うちだけに聞いて欲しいんだってさ〜」
にっと笑って岩の上から少女を抱え上げる。
ミスラの少女の頬が膨らんだ。
そこに、金髪の女戦士がやってくる。
「どこか、水を汲める場所はないかしら?」
怪訝な顔で女戦士を見上げるセト。
女戦士の問いを聞いた少女が閃き、瞳を輝かせる。
「ひとつだけ、使える井戸があるよ!」
瞬く間に理解し、セトが少女の頭に手を置く。
「教えてやって」
「うん!」
少女は『こっち!』と声を弾ませて女戦士の手を引く。
集落の中へと戻って行った。
離れていく後ろ姿を確認しながら、小さく息をつく。
何気なく視線を戻すと、ブラウンの瞳に見つめられていた。
刹那――喉が締まり、かっと熱くなる。
馬鹿にすんな。
分かってる顔、しやがって。
セトは小さく舌打ちして立ち上がった。
顎をくいと動かして催促する。
「来なよ」
背後にそびえ立つ大きな木の裏側へ。
視界の端。
離れた場所で、ハロルドが背筋を伸ばしたのが見えた。
気付かぬふりをした。
ゆっくりと足を踏み出し、後に続く剣士。
相変わらず静寂をまとった外套がかすかになびく。
「相手してやんよ」
木の裏側に立つなり、歪んだ顔で言い放つ。
「‟殴って憂さ晴らし”の方が発散できるなら、そっちでもいいし」
奥歯を噛み締め、続ける。
「でも……うちもあんたのこと無性にムカつくから、やり返すけどね」
そこまで言ってやるが、剣士の表情に変化はなかった。
セトの目付きが鋭く尖る。
「……ってか、その顔、やめろ」
一度だけ、意思を持ったような風が大きく木々を揺らす。
ざあと騒めく緑。
その騒めきの中に、声が投じられる。
「殴らない」
初めて聞いたその声。
若く見えるその顔よりも、しっかり大人だった。
セトは訝しげに眉を寄せて彼を凝視する。
剣士は、わずかに言葉を探すような間のあと、短く問うた。
「……君は、どうしたい?」
じっと見つめる。
セトはわずかに口を開け、眉根を寄せて呆然と見つめ返す。
歪んだ顔のまま拳を握り締めた。
珍しく――”装う”ことを忘れた。
「――うるさいっ!」
胸元の外套を鷲掴みにして剣士を引き寄せた。
「マジうるさい! うるさいんだよ!!」
ブラウンの瞳を睨み上げる。
「どうもできないからこうなってんじゃん! 見て分かんない!?」
言い聞かせるように掴んだまま揺する。
目を逸らさないのが、なおさら気に食わない。
「じゃあーー何もすんなって言いたいの?」
鼻で笑う。
「はっ。そうだよ? なんにもできないじゃんよ、うちらになんか!」
その目が、嫌いだ。
大嫌いだ。
見るな。
「『連れていけるのは戦える奴だけ』。そんなん、無理じゃん。うちらだってワケわかんないよ! 気付いたらこんなんなっててさ!?」
思わず歯軋りして胸を突っぱねた。
途端に脳裏に溢れ出す、過去の時間。
振り払うみたいに声を張る。
「スカしてんじゃねぇよ! 超嫌いだわ! あんたみたいな奴!」
思い出すな。滅茶苦茶に罵倒してやれ。
この男を怒らせて、殴り合って、また有耶無耶にしてしまおう。
「分かった顔すんなよ!」
全部ぶつけてやる、“関係ない”あんたに。
「うちらだって分かってんだよ!」
けど、どんどん引っ張り出してる内に――
ぶつけたいものとは違うものまで出てくる。
「その顔やめろっつってんじゃん!」
何か言えよ。
「うるさい!」
その“目”がうるさいっつってんの。
何か言ってこい、言い返してやるから。
「なんでこんなことばっかり……!」
ちょっと、何?
「うちだってーー分かってんよ!」
ヤバい。
ぐっと喉を詰まらせて堪える。
笑顔とか笑い声とか、めちゃくちゃ苦しいのが記憶から押し寄せる。
振り払うように弾き出される。
「うちだってさ!!」
ぼろりとこぼれる。
なぜか分からないまま。
「うちだって……食べてもいいものを、渡したいんだよ……っ!」
絞り出した声。
背中に力を入れ、体の横で拳を握る。
ただ振り払おうとしたら、余計なものまで出た。
マジで最悪。
風が、大きな森の緑を撫でていく。
両頬がこそばゆい。
伝うものを雑に擦って消した。
受け取るような、風だけの間。
乱れた呼吸を懸命に抑え込もうと唇を噛む。
叫びで頭の中はぐちゃぐちゃだった。
何一つ拾えない。
「……そうか」
ぽつりと聞こえた。
彼の足が、静かに動く。
草を踏みしめ、そっと踵を返す剣士のブーツ。
視線を上げ、表に出ていく後ろ姿だけ見る。
かすかな金属の音が木の向こうに掻き消える。
熱を持った鼻をすすり、息を吸い込みながら顔を上げた。
真上の緑をじっと見つめる。
ぼやけて光が溢れていた。
ヒリヒリする胸を乱暴に擦った。
どうせ終わらないんだからって言い聞かせるみたいに。
もう一度顔を擦って木の裏から出る。
すると、ざわついた空気が肌に刺さった。
剣士を、数人が囲んでいる。
低く抑えた声。張り詰めた視線。
その中に、ハロルドの姿もあった。
何事かと足を止める。
気付いた剣士が、こちらを見た。
一瞬だけ、目が合う。
すぐに、周囲へ向き直る。
「偵察が、森に入ってきた」
短い一言。
だが、その場の空気が一段沈む。
誰かが舌打ちした。
「数は?」
「まだ見えていないわ。ただ……きっとここまで来る」
金髪の女戦士が淡々と応えた。
先ほどの少女は、子ども達の輪の中に戻っている。
「くそ……」
小さく吐き捨てる声。
「回り込まれたら終わりだぞ」
「子ども達はどうする」
「今から動かす余裕なんて――」
言葉がぶつかり、途切れる。
誰も答えを持っていない。
ただ、時間だけが減っていく。
セトは腕を組み、少し離れた場所からその様子を眺めた。
不思議な感覚だった。
今までならば、あの中心は自分だった。
なぜ自分なのか分からないが、いつの間にか。
あの位置が。
とてつもなく重かったのだと、気付く。
「……」
周囲が言葉を投げ合う中、剣士は何も言わなかった。
皆の言葉が途切れていく。
彼の視線だけが、場を静めていく。
ざわめきが、徐々に落ちていく。
誰かが口を閉ざし、別の誰かも、それに倣う。
やがて、静寂が戻る。
その中で、剣士がじっくりと言葉を紡ぐ。
「……戦えない者を下げる時間はない」
まるでーー
もう背負っているかのような声だった。
「なら、迎え撃つしかないな」
大きなガルカが低く言った。
「人数が足りねぇ」
「装備もだ」
現実だけが、積み上がる。
セトは、動けなかった。
いつもなら、素早く頭が回転するし口も動く。
先程の自分の叫びが、まだ残っていた。
喉がひりつき、ただ立ち尽くす。
考えないと。
考えないと――みんな死ぬ。
思うのに、頭は真っ白のまま、何も描けない。
焦燥が身を焼き始める。
剣士が振り返る。
その視線が、まっすぐにこちらを捉えた。
逃げ場のない目。
「……」
セトの肩が強張った。
そのまま目を逸らさないが、喉が締まる。
取り繕うことも、開き直る間もなく。
その思慮深い声で、剣士が言葉を紡ぐ。
「……子ども達の心を、守ってほしい」
静かに、言った。
場の誰かが息を呑む。
「君ならできる」
間を置かず、続く。
気の抜けたような乾いた声が喉から漏れる。
「……は?」
何を言われたのか、理解が追いつかない。
「何言ってんの……」
とりあえず、自分はあの男が嫌いだったはず。
だから笑いを混ぜてみる。
「いやいや、無理でしょ。意味分かんないんだけど」
軽く言う。軽く返す。
いつも通りに。
でも、剣士の視線が外れない。
あの目が、外してくれない。
セトの強ばった身体に、抱きつく小さな腕の感触が蘇る。
自分のことを真っ直ぐに見上げて輝く瞳。
自分はこんなに苦しいのに、取り囲む明るくて安心しきった声たち。
泣きたくなるほどの温もり。
ハロルドが、集落の仲間たちが、こっちを見ている。
たった今、重圧に気付いたみたいな顔して。
こっちに歩み寄りたそうに。
——やめろ。
なんで気付くの。
気付かれなければ装えたのに。
「……うちが、何すんの」
掠れた声になる。
「戦えないでしょ、見て分かんない?」
逃げるみたいに言う。
ダサ。
「そんなの……」
喉が締まる。
「……」
剣士は、何も言わない。
ただ、見ている。
もうーー言ったらいいじゃん。
森を抜けるにはどっちに向かえばいいか教えろ、とか。
自分たちだけでも助かればいいじゃん。
なのに、なんで、
そんな目してんの。
「……っ」
舌打ちが漏れる。
視線を切るように、セトは子ども達の方を見る。
集落の端で、固まっている小さな影。
何も知らない顔。
何も分かってない目。
胸の奥が、ざらつく。
——ああ、もう。
最悪。
「……チッ」
乱暴に息を吐いて、白髪を掻き上げる。
「……やりゃいいんでしょ」
ぼそりと吐き捨てる。
誰に言うでもなく。
でも、はっきりと。
そのまま踵を返し、子ども達の方へ歩き出す。
「お~い、そこのおチビ達」
いつもの調子で呼びかける。
あちらも、ただ呼ばれただけの顔で首を伸ばす。
セトは無理やり、引っ張り上げる。
「みんな、木登りは得意だったよね? 競走しようじゃん」
剣士、戦士たち、仲間たち、戦えない奴ら。
もう大人の顔は見ない。
「今日は特別、いっちばん高いとこまで登ってオッケー!」
ちっこくてチョロいのなら、うちがやってやる。
感じる視線たちに、背中で宣言してやった。
* * *
木々の隙間から、影が滑り込んできた。
乾いた足音が落ち葉を踏む。
子ども達の一人が、息を呑んだ。
「……っ」
すぐに、セトが肩をすくめて小さく笑う。
「大丈夫だよ」
ぱっと、幼い瞳たちがセトを見上げた。
その視線を待っていたかのように、にやりとする。
軽く顎をしゃくった。
「あんなの、まだ子どもじゃん」
無理矢理いつも通り、軽くする。
子ども達の視線が、揺れる。
ヤグードが一体、姿を現した。
長い嘴。歪んだ装束。
ぎこちなく首を巡らせ、辺りを探っている。
上からではよく見えず、子ども達は必死に目をこらす。
「……あれ、子どもなの?」
幼い声が不思議そうに問う。
「ん? あ〜、見たことないか。大人のヤグードはもっと大っきいよ」
「そうなの?」
「そそ。親とはぐれたのかな? 探してるね」
頬を掻きながら、普段通りの声で。
高い木の上からでは背丈もいまいち分からない。
チョロい。
自分に言い聞かせるみたいに、胸の内で笑ってみる。
「でも……剣、持ってるよ?」
「そーりゃあ、あの子だって自分の身は守らないとさ」
純粋な疑問にも、罪悪感なくするすると言葉が出る。
なんて信用ならない奴だろうと、自分でも思う。
もう一体が、後ろから現れた。
左右に分かれる。
すかさず装う、酷い奴。
「ははっ、兄弟で、お母さん探してんだ?」
余裕な素振りで小さく笑った。
すると。
じっと見つめていた一人が、喉を鳴らす。
「……あの子のお母さん、ハロルド達が殺しちゃうの?」
無垢な瞳達がセトを見上げる。
なんて綺麗なんだろうね。
内心、意地汚く苦笑いしつつ、セトはすぐに返す。
もちろん表情は明るく、何も心配なく。
「へーきへーき。大勢で脅かして、追っ払うだけだから」
指を唇に当て、にっと笑って見せた。
子ども達が、こくりと頷く。
「お母さん、こっちにはいないよぅ……」
心配そうに見守る。
——ざっ。
すぐ下で、枝が踏まれた。
思わず息が止まる。
セトの喉が、わずかに動いた。
足場にした倒木の下で、ヤグードの足が止まる。
首が、ゆっくりと見回す。
視界の端で。
もう一体が、傷んだ家屋を離れ、茂みに近付く。
――やばい。
――そっちにも伏せてる。
「……あ」
ほんのわずかに、声を漏らす。
子ども達が、びくりと顔を上げる。
すぐに、笑った。
「あっちだよって、ヒントあげちゃう?」
ひそめた声で、急ぐ。
視線だけで合図する。
「ちょっと、向こうに投げてみて」
まるでワクワクしてるような、イタズラな顔で。
子ども達の目が瞬き、顔を見合わせる。
一人の小さな手が、枝の隙間にあった木の実を掴む。
ためらい。
それでも、振りかぶる。
——カサッ。
少し離れた茂みで、音が跳ねた。
ヤグードの首が、そちらへ向く。
一体が、音の方へ踏み出す。
眼下のもう一体は、その場に残る。
お前も行け……!!
なんて、心の中で野次を飛ばす。
顔にはそんな焦り、一切出さないが。
「……うまいじゃん」
かすれた声で、抑える。
しかし、距離が、近い。
真下だ。
呼吸が、浅くなる。
喉が鳴るのを、懸命に押し殺す。
「動かないで、見ててごらん」
足音。
すぐ、下。
じっと、視線を水平にずらしていく嘴。
ーーもしも気付かれたら、どうすりゃいい?
考えないようにしていたのに。
一瞬過ぎり、汗が吹き出した。
セトの指先が、わずかに震えた。
その時。
小さな腕が、ぎゅっと巻きついた。
息が止まる。
「セト、心配なの?」
見上げる小声。
震えたらバレるーー考えんな。
「……そ」
うまく笑えないけど多分いける。
強気になって、口角を上げる。
「そうそう。はぐれちゃったら、可哀相じゃん?」
頭を軽く撫でてやる。
「会えるといいな、無事にさ」
完璧すぎじゃん?
自分で感嘆した。
ちっこい顔が頷き、もう片方の腕も重なる。
小さな体温が、押し寄せる。
セトの肩が、わずかに落ちた。
——ざ……。
ヤグードが、動く。
一歩。
二歩。
足音が、離れる。
残っていた一体も、首を巡らせ、やがて向きを変えた。
遠ざかっていく。
葉が揺れ、音が薄れていく。
しばらく、誰も動かない。
やがて——
「……戻ってった?」
小さな声。
セトは、すぐには答えない。
油断して台無しになったらヤバい。
充分過ぎるくらい、勿体つけた。
子ども達が焦れて、もぞもぞし始めた頃。
ようやく、ゆっくりと息を吐く。
「……うん」
軽く笑った。
得意の、イタズラな笑みで。
「は~~~~、良かった」
がしがしと白髪を引っ掻き、肩を上下させて溜め息をついた。
半眼になって口を尖らせる。
「っつーか、まだ子どもなのに顔、全然可愛くないじゃん!」
子ども達が、ぱっと顔を上げた。
よしよし、明るい。
でも、ひとりが眉を寄せている。
「かわいくないとか、言っちゃダメだよ」
注意され、セトはぶはっと吹き出した。
「探してたね!」
「会えるかな? お母さんに」
口々に言う声を聞きながら、セトは肩をすくめる。
「大丈夫っしょ」
いつもの調子で返す。
でも、息はまだちっとも整っていない。
胸を打つ音がやかましくって、痛いくらい。
次の瞬間。
背後の森から、かすかな金属音が響いた。
すぐに、風に紛れて消える。
セトは一瞬だけ、そちらを見た。
でも、何も言わずに、すぐ視線を戻した。
「また戻ってきちゃわないか、見てよ」
わざとらしく声のトーンを上げる。
太い木の枝に腰を下ろし、片膝を立てた。
争うように隣りに座る子ども。
そして、首を伸ばしてキョロキョロする子ども。
「今度は僕が木の実投げる!」
子ども達が笑う。
「はあ〜? うちもやりたいし!」
その輪の中で、セトも笑った。
ほんの少しだけ、遅れて。
――木々の奥で。
金属がぶつかる音が弾けた。
低い羽音。遅れて、土を蹴る音。
「ギリギリだ!」
誰かの声が、荒く飛ぶ。
ヒュームの剣士は振り返らない。
目の前の一体を受け流し、間合いを切る。
浅いーーだが即座に踏み込む。
喉元を一閃。声もなく沈む。
「右、来るぞ!」
声に合わせて身体をずらす。
横から伸びた剣が、外套の端を裂いた。
距離を取る。
上から放たれた矢が、ヤグードに立つ。
怯んだところで即座に斬り伏す。
視線だけで、周囲を拾う。
——戻ってきた。
数が、合う。
一瞬だけ、奥の集落へ意識を向ける。
猛然と向かってきた殺意とぶつかり、火花が散る。
受けた刃に汚れはない。
血の匂いが、しない。
「……」
わずかに、肩の力が抜けた。
脳裏を白髪のミスラの背中が横切る。
「ここを抑える」
静かに、強く、告げる。
それだけで、全員が理解した。
守るべき場所は変わらない。
「――あっぶねぇな、ホントに!」
何処からか、苦笑いの中から放たれたような愚痴が聞こえた。
剣士は鋭く剣を構え直す。
踏み込んだ。
* * *
静まった木々の中。
横たわる若いミスラに光が注がれる。
癒された彼女は息をつき、確かめるように膝を曲げた。
傍らには刃こぼれした小刀が落ちている。
白いたてがみの、大きなガルカ。
拳から武器を外しながら言う。
「地の利あっての……だな」
頷き、剣士はすぐに次へ。
鎧もなく、弓で戦ったヒュームの青年。
剣が掠めた腕は朱に染まり、殴られた頭は髪が削げていた。
詠唱し、光を灯す。
切り株の上で片膝を立てた白髪のミスラ。
模様のあるその顔は、どこか呆然としている。
膝の上に顎を置く。
順に癒す剣士を、じっと目で追っていた。
背後で子ども達の声。
ぱたりと耳を動かし、振り返る。
離れた場所――集落の中。
蓋を開けた鍋から立ち上がる大きな湯気を、子ども達が見上げている。
先ほど森の中で集めた香辛料の香り。
あっという間に誰かが仕留めてきた、小さな獲物の肉。
葉、穀物。
今朝セトが抱えてきた袋が、今は切れ端入れになっている。
戦士がスープを器によそう。
子どもが、小さく息を呑む。
差し出された器を、震える手が受け取る。
その脇で、ヒュームの女戦士。
風のクリスタルが、静かにほどける。
布が宙に浮かび、揺れた。
切り裂かれることもなく、ただ形を変えていく。
糸が走る。
触れるものもないまま、縁をなぞり、繋ぎ、整える。
やがて光が消えると、それはひとつのケープとして、静かに落ちた。
傍に座る老婆の肩に、そっとかける。
冷えた肩を包まれ、老婆の震えがわずかに収まる。
深々と拝む老婆。
女戦士がほつれた金髪を耳にかけ、微笑む。
セトは口を引き結んだ。
一瞬だけ、老婆の肩に残る布を見る。
白髪を引っ掻き、腰を上げた。
老婆の前から立ち去る彼女に寄る。
「ーーあのへんは」
片隅で寄り添う人々を示しながら声をかける。
金髪が振り返り、次にセトの示す先を見た。
「誰かの家族? あんた達は、なんで戦えない奴も連れてんの?」
すると、女戦士の強い眼差しが向く。
あまりにも真っ直ぐに見つめられ、喉が締まる。
背筋を伸ばした女戦士は、セトに向き直った。
彼女からすれば、自分は好かないタイプの人間かもしれない。
なんて、内心悟る。
でも、彼女の視線は上からではなかった。
「理由はあなた達と同じ」
青い瞳の前で金髪が揺れる。
「守らなければ、死んでしまうからよ」
セトは、きょとんと見つめ返してしまう。
……そう。
そうなんだよ。
マジでその通り。
何も言葉は出なかった。
女戦士は踵を返し、踏み出す。
「裂けたものはちょうだい。手で縫うわ」
「分かった」
他の戦士達と言葉を交わし、すぐに散る。
やるべきことを淡々とこなすように。
ふと、視線を投げる。
口を尖らせた子ども達が、スープに口を付けていた。
ぐるりと集落を見渡す。
置き去りにされた農具。
崩れた家屋。
雑草の茂った柵の中。
風が静かに撫でていく。
軽く拳を握る。
大きく息を吸い込んだ。
足を踏み出し、先程の木々の奥へ。
「ねぇ」
振り返る黒髪。
剣士の瞳。
にわかに周囲の動きも鈍る。
「あんた達と行けばさ――」
空気が静まる。
「うち、ちゃんとしたもん、渡せるようになる?」
傍らにいた、癒されたヒュームの青年。
ハロルドが、傷んだ弓を眺めていた手を止め、下ろす。
そちらは見ない。
セトはただ、じっとブラウンの瞳を見つめる。
遠く、背後で子ども達の声。
風が葉音を被せる。
確かめるような間を置いて、剣士が目を逸らさずに言う。
「保証はない」
見つめ返すと、確かに見えた。
真っ直ぐな瞳の奥に――微かな光。
「でも、そうしたい仲間の中にはいられる」
ゆっくりと、セトの目元が歪む。
あんたのそれも、結局開き直りじゃん?
セトの肩からかすかに力が抜けた。
決めたように、口元がにやりと笑う。
すると、脇から声が上がる。
「俺が言うのもなんだけど」
目を向けると、ハロルド。
直すことを諦めた弓を放り投げる。
彼は親指でセトのことを示し、剣士に向く。
「そいつ、めっちゃくちゃ嘘つきだぜ?」
セトは頭の後ろで手を組んだ。
「はあ〜? 演技派って言ってよね~」
肩をすくめて、軽く笑った。
尻尾がくつろぐように揺らぐ。
ほんの一瞬だけ、視線が揺れる。
それを振り払うように、口角を上げた。
剣士に向く。
「じゃ、よろしく頼むわ! 隊長さん?」
座り込んだ若者たちも、注目する。
動き回る戦士たちも完全に足を止めた。
戦い続きだと物語る外套が風に膨らむ。
剣士は、静かに首を振った。
目を瞬くセト。
剣士の静かな声が、森の中で伝える。
「私は、マキューシオだ」
あとがき
二軍スピンオフ『渡したいもの』でした。このお話は、第二章スピンオフの中で一番現在に近い時間軸です。
次回から、村長作品の中で一番昔の時間から、このお話の向かっていく形でお見せします。
どうか見届けてください。
マキューシオが何を、ノルヴェルトに話さなかったのか。