この一年と、今日

2026/09/04公開



サンドリア王都の通りから、少し奥へ入った場所。
そこに、こじんまりとしたレストランがある。

人通りの多い表通りの喧騒からは一歩引いていて、気をつけていなければ通り過ぎてしまいそうな立地だった。

店の前にしゃがみ込んで、トミーはほうきを動かしている。
乾いた音を立てて、砂や細かな塵がまとめられていく。

鎧は着ていない。剣を腰に下げてもいない。
軽い服装にエプロンを重ねただけの姿は、かつてのそれとはまるで違って見えた。

ひと通り掃き終えると、立ち上がって軽く腰を叩く。
肩の上でハニーブロンドの髪が跳ねる。
脇に掛けられたポストを開け、中身を確かめると目を見張った。

「あれ? 今日はチラシもないや」

小さく肩をすくめて蓋を戻し、レストランの扉を押した。

店内は、まだ静かだった。
整えられたテーブルと椅子、磨かれたカウンター。
新しい匂いと、親しまれてきた歴史の匂いが混ざっている。

「さ~て……どうかなどうかなぁ~」

楽しげに独り言を言いながら、カウンターの奥へ回り込む。
その先、席に一人。

肘をついて座っている鎧姿の男に、トミーは声を掛けた。

「どうだった!?」

彼の手元には、試作品の一皿。
フォークを手に取ったままのダンが、わずかに視線を上げる。
トミーはその向かいに立ち、腕を組んだ。

「さっき自分でも食べたんだけど、ちょっとぼやけてる気がして。悪くはないんだけど……う~ん、決め手に欠けるっていうか」

言いながら、指先でカウンターを軽く叩く。

開店前、最後の確認。
ここで決めきれるかどうかで、明日からが変わる。

皿の上を綺麗に完食したダンは、ぐいと親指で口の端を拭う。
コップの水を一口飲むと、ようやく言葉を返した。

「俺だったら、少しにんにく足す」

独り言のようなその言葉に、トミーは目を見開く。

「そうだー!それ、お姉ちゃんも言ってた!そうしようって話したんだった!」

ひえぇっと頭を抱えて小さく飛び跳ねるトミー。
それを眺め、ダンが小さく溜め息をつく。

ダンは店内を一度見回した。
磨かれたカウンターの奥の壁には、年季の入った木の看板が掛かっている。

——白鹿亭。

長くここに在り続けたことを示すように、文字の縁はわずかに擦れている。

「……結局看板はそのままか」

「うん。そこは変えないって」

トミーは手を拭きながら、少しだけ肩をすくめた。

「中はこれから、少しずつ変えていくみたい。冒険者のお客さんも増えそうだし?」

武装していたり、荷物の多いお客が出入りしやすいよう、位置を改められたテーブルを眺める。

「調理以外のところは任せとけって、ゲルトさんが」

どんと胸を叩く元冒険者の男の姿を思い出し、トミーはくすりと笑った。

先代から引き継いで一年経った店は、客足も途絶えがちだった。
それをどうにかしたいと、ゲルトが漏らした嘆きを、アズマが拾った。

——それで、話が回ってきた。

ダンは空になった皿にフォークを置いた。
軽く腕組みをして背もたれに寄りかかる。
ひょいと皿を回収して片付けるトミーのことをじっと見つめた。

エプロンを締めた、カウンター越しの彼女の姿。
ひとつに結わいたハニーブロンドの毛先は、以前と変わらず、くるんと跳ねていた。


「……楽しみか?」

短く尋ねる。
トミーは水音に負けない大きさで『うん?』と声を出し、顔を上げる。

「緊張するよー」

弱ったように笑いながら肩をすくめて見せた。
にこりともしないまま、ダンの低い声が言う。

「まぁ、責任者はゲルトだからな。気楽にやれ」

相変わらずの淡白な物言いに、トミーの眉が寄る。

「む……いや、私も精一杯頑張るよっ」

水を止めて手を拭き、ぐっと握りこぶしを作って見せた。

何も言わず、ただ見つめるダン。
ちろっとトミーが視線を合わせると、彼がわずかに眉を上げる。
その反応を見て、トミーは目を細めて微笑んだ。
ほんの少しだけ、肩の力が抜ける。

「……戦士じゃない。冒険者でもない私……だね」

小さく笑った声は、どこか頼りなかった。
ゆっくりとした沈黙。

「そうだな」

組んだ両手を腹の上に置きながら、ダン。
トミーは後ろに手を回し、レストランの扉を眺めて溜め息をつく。

「やっぱり、まだ慣れないよ。モーグリがいない部屋は」

「最後、大泣きだったらしいな」

「……私が、ね」

恥ずかしそうに苦笑いするトミー。

ふと、明るい窓の外に視線を馳せる。
通りの賑わいからは遠い。
しかしーー眼差しの先に、冒険者が行き交う光景を見つめているような瞳。

わずかに、トミーは目を細めた。

「……一回、戻ったでしょ。冒険者」

ぽつりと呟く。
ダンは動かずに声だけ返す。

「あぁ」

ほんの少しだけ、トミーが視線を下げる。

「……特に、反対しなかったね、ダン」

くぐもった声で、呟く。
ダンは、姿勢も、視線も、動かないまま。

「お前が決めたことだからな」

トミーはわずかに喉を詰まらせた。
少し慌てたように、笑いながら息を吐く。

「わ、分かんないけど……。もっかい、ちゃんとやろうと思ってたんだ」

小さく笑う。

「冒険者の生活しか知らないし。もうちょっと頑張れば、何か見つけられるかなって」

無意識に、エプロンの端を摘まむ。
トミーが言葉を切った隙間。流しで雫が落ちる音。

少し寂しさの混じった瞳で、トミーが言葉を紡ぐ。

「でもなんか、やっぱり違うのかもって……思った」

ダンはただ、じっと聞いている。


「……ありがとね」

噛み締めるように、トミー。

「この一年……見ててくれて」

ダンは無言のまま、栗色の髪を片手で引っ掻いた。
顔を上げたトミーが見つめる。

「ダンは、変わらないね」

手入れされた装備、厳選された無駄のない荷物。
現役の、戦いの気配を帯びた彼。

脇に立てかけた両手剣を横目に、彼が言う。

「俺はこれが性に合ってるからな」

トミーはわずかに首を傾け、目を細める。

彼が進み続けてくれること。
それでどれだけの思いが、救われているか。

でも彼は、そんなことには興味関心がないとでもいう顔。
‟見せない”彼を感じ取る度に、胸の奥が痺れた。

「この後、行くの?」

「あぁ」

「そっか」

小さく、頷く。
トミーがただ立ち尽くし、何もしない時間が流れる。

そして、足元に視線を落としたまま、ゆっくりと踏み出した。
カウンターの中から、ダンの傍まで。

背もたれから身を起こし、ダンが何気なくトミーの顔を見上げる。
するとーー。

ーーコンコンコンッ。

ベルが揺れる音とともに、扉がノックされた。
目を瞬いて振り返り、トミーが軽く駆ける。

「はい」

言いながら扉を開くと、一歩引いた距離に、男が一人立っていた。
眉に傷のある、銀髪のエルヴァーン。

「ノルヴェルトさん!」

トミーの口から明るい声。
戸惑いを滲ませつつ、ノルヴェルトは唇に微かな笑みを乗せる。

鎧を脱いだ彼の姿もだいぶ見慣れた。
動きやすい上着を羽織った彼の身体は、相変わらず逞しい。

手に持っていたカゴを差し出され、トミーは受け取る。

「あ、お姉ちゃんからのアレですね!」

中を覗くと、いくつもの調味料の小瓶が微かに鳴る。

「チョコボが増えて、ノルヴェルトさんも忙しいですよね。ありがとうございます」

気遣うトミーに、ノルヴェルトは小さく首を振る。
トミーは彼を中へと促すように、一歩後ろに下がってみせる。

「でも、ちょっと、ノルヴェルトさんも食べていきませんか? 今、ダンも来てるんです」

ノルヴェルトとダンが視線を合わせる。
一瞬の間。

二人の間に、言葉は交わされない。

「……いえ、私は……すぐに戻ります」

ノルヴェルトが言いにくそうに呟く。
そして、もう一方の手に持っていた小さな花束を差し出した。
控えめで愛らしい花束に目を見張るトミー。
ノルヴェルトは、彼女の手からカゴをそっと引き取り、代わりに花束を持たせた。
花を見下ろして笑顔になるトミーを横目に、店内のカウンターまでカゴを運ぶ。
そんなノルヴェルトの後を追いつつトミーが声を弾ませる。

「わぁ、嬉しい! どこに飾ろう!」

言いながら、トミーは黒髪の美しいエルヴァーンの微笑みを思い浮かべた。
新たなスタートを切る店を彩る、花の置き場所を探す。

「ゲルトさんが、やっぱり一度挨拶したいって」

ウロウロと花瓶になるものを探しながら笑う。

「でも『お姉ちゃんは恥ずかしがり屋だから〜』って、言っちゃった」

店のメニューを作り上げていく中、その助言に経験とセンスが光る、姿の見えない“お姉ちゃん”。
外での彼女の呼び方には、案外すぐに慣れた。

しゃがんでカウンターの向こう側に見えなくなるトミー。
またすぐにひょこっと姿を現し、見つけた花瓶を置く。

その様子を眺めるノルヴェルト。
銀髪の影で、彼の目元が微かにざわめく。
言葉が喉に触れて、引き返す。

それを横目に見ているダン。

トミーが水を入れた花瓶に花束を移し、眺める。
にこやかに花の向きを整える彼女を見つめるノルヴェルト。
ダンは、彼の喉元が締まる気配を拾う。

キョロキョロと店内を見回すトミーに、ノルヴェルトが声を絞り出した。

「……では、行きます」

置いたカゴを見つめる。
一瞬の間を置き、踵を返した。

「あっ、ありがとうございました! お姉ちゃんにも、ありがとうって伝えてください!」

一旦カウンターに花瓶を置いて、慌ててノルヴェルトを追う。

扉の取っ手に手を伸ばしたノルヴェルトが、一瞬躊躇って、足を止めた。
振り返る彼に瞬きしてトミーも足を止める。

トミーが見上げると、わずかに開く口。
でも視線はどこかを泳ぐ。

「……そ」

一音だけ、零れた。
小首を傾げてトミーは続きを待つ。

さ迷うブラウンの瞳が一瞬だけトミーを見る。
目が合い、逸らす。
ぎこちなく紡ぎ出される言葉。

「……その花は……貴女に」

「えっ」

「誕生日おめでとう、ソレリ」

ぽつりと呟き、彼の足は扉に向かって踏み出される。
当然の、大きな声が響く。

「えちょちょちょちょま!!!」

バタバタと騒がしく飛び出したトミーが、ノルヴェルトの袖を掴む。
ぎくりと固まるエルヴァーン。
トミーの目は真ん丸になっていた。

「ーーえ!? 何です?」

ノルヴェルトの顔を覗き込んで真っ直ぐに見上げる。

「誕生日? 誰……私の?」

トミーの両手が、ノルヴェルトの袖をしっかりと掴む。

「この花、ノルヴェルトさん? 私に?」

問い詰められるノルヴェルトの瞬きは止まらない。

「私の誕生日……今日、なんですか?」

見開かれた青い瞳が問う。

何も言えず固唾を呑んでいるノルヴェルト。
まるでショックを受けたように、どこか一点を凝視して動かない。

次の瞬間、彼がダンのことをじっと見た。
目が合ったダンは半眼になる。


ーー『間違えた』……じゃ、ねぇよ。


内心突っ込む。


彼女に直接ではなく、彼に伝えるべきだった。

とでも後悔している顔で固まっているエルヴァーン。
己のしくじりに気付いて何も言えなくなっている。
ダンは溜め息をついた。


「そう……ですか。今日なんだ」

もう一度、花を振り返ってトミーが呟く。
ノルヴェルトも、ダンも、ふと花を眺める。
開店祝いにしては少し控えめで、優しい色合いの花束。


「……ありがとう。 ノルヴェルトさん」

噛み締めるように言って、トミーがノルヴェルトを見上げる。

ノルヴェルトの褐色の肌が、一瞬で朱に染まった。
小さく頷きを返し、彼は呟く。

「……行きます」

逃げるように外へ。
間違っても、もうこれ以上は踏み込むべきではないとでもいうように。

後を追い、扉から身を乗り出して手を振るトミー。
外の光の中にもう一度、お礼の言葉を放つ。


やがて扉を閉めて立ち止まると、じっと、花を見つめる。

次にダンを見る。
何も言わないが、戦士は目を合わせる。

「……今日なんだって」

トミーが肩をすくめて微笑む。

「みたいだな」

短く、ダン。
カウンターに手を付き、金属音を零しつつゆっくりと立ち上がる。

「俺も、もう行く」

数分前から耳の内側でやかましく騒いでいる声。
がしがしと髪を引っ掻く彼を見て、トミーが口を開ける。

「あ、うん。寄ってくれてありがとう!」

パタパタとカウンターまで戻る。
置いていたサックを腰に留めるダン。
トミーは、重い両手剣を背中に携える彼の傍に立つ。

「まずは明日、頑張ってみるね」

「あぁ」

「ダンも。雨じゃないといいね」

「そうだな」

忘れ物がないか席を窺うトミー。
そんな彼女の頭の後ろに、ダンの手が伸びる。
くいと引き寄せ、トミーの頭を自分の胸元に当てる。

驚いたトミーが顔を上げる。
同時にダンも手を離した。

「わり。痛ぇな」

胸の鎧をコンと叩き、苦笑いして踏み出す。
トミーはぽかんと見上げたまま。

すぐに、小さく笑う。

「……痛くはないけど、冷たかった」

言いながら、広い歩幅が扉を出ていくのを追う。

軽く振り返って片手をあげるダン。
道を歩いていく彼の背中を、トミーは手を振りながらじっと見送った。

腕を下ろし、くるりと踵を返した。
扉を閉めてその場に立ち止まる。

静かになった店内に、微かな花の香りがふわりと広がった。
ちらりと、さっき置いた花を見る。

花を手渡す男の、心のままに移り変わる表情。

静かに傍にある、いつもの眼差し。

見渡すと、これからの自分の居場所。


それから、ほんの少しだけ視線を落として——

「…………鎧、なかったらなぁ」

自分でも意味が分からないまま、ぽつりと零れる。
冷たい鎧が触れたおでこを、何となく摩る。


「……ん? 何言ってるんだろ」


小さく首を傾げて、トミーは苦笑した。



<End>

あとがき

スピンオフ『この一年と、今日』でした。

――ちょっ、ダン。
今すぐ戻ってきてくれる!!?!??

みたいな(笑)

さて、完結後も長いこと続きましたスピンオフ。
いかがだったでしょうか?

ご用意した三軍のスピンオフは、ここまでとなります。
まだこの他にも、村長にエピソードを見せつけてきて「書かねぇの!?」と騒いでいるハゲがいたりするんですけど……。

一旦、幕を下ろします。

長い間この物語を見守ってくださった皆様。
本当にありがとうございました。
一言感想などいただけたら嬉しいです。



未来のお話は、ここでおしまい。

最後に、過去を覗いて、アハピは千秋楽とさせていただきたいと思います。
次回からは二軍のスピンオフを、どうぞお楽しみください。