この一年と、今日
サンドリア王都の通りから、少し奥へ入った場所。
そこに、こじんまりとしたレストランがある。
人通りの多い表通りの喧騒からは一歩引いていて、気をつけていなければ通り過ぎてしまいそうな立地だった。
店の前にしゃがみ込んで、トミーはほうきを動かしている。
乾いた音を立てて、砂や細かな塵がまとめられていく。
鎧は着ていない。剣を腰に下げてもいない。
軽い服装にエプロンを重ねただけの姿は、かつてのそれとはまるで違って見えた。
ひと通り掃き終えると、立ち上がって軽く腰を叩く。
肩の上でハニーブロンドの髪が跳ねる。
脇に掛けられたポストを開け、中身を確かめると目を見張った。
「あれ? 今日はチラシもないや」
小さく肩をすくめて蓋を戻し、レストランの扉を押した。
店内は、まだ静かだった。
整えられたテーブルと椅子、磨かれたカウンター。
新しい匂いと、親しまれてきた歴史の匂いが混ざっている。
「さ~て……どうかなどうかなぁ~」
楽しげに独り言を言いながら、カウンターの奥へ回り込む。
その先、席に一人。
肘をついて座っている鎧姿の男に、トミーは声を掛けた。
「どうだった!?」
彼の手元には、試作品の一皿。
フォークを手に取ったままのダンが、わずかに視線を上げる。
トミーはその向かいに立ち、腕を組んだ。
「さっき自分でも食べたんだけど、ちょっとぼやけてる気がして。悪くはないんだけど……う~ん、決め手に欠けるっていうか」
言いながら、指先でカウンターを軽く叩く。
開店前、最後の確認。
ここで決めきれるかどうかで、明日からが変わる。
皿の上を綺麗に完食したダンは、ぐいと親指で口の端を拭う。
コップの水を一口飲むと、ようやく言葉を返した。
「俺だったら、少しにんにく足す」
独り言のようなその言葉に、トミーは目を見開く。
「そうだー!それ、お姉ちゃんも言ってた!そうしようって話したんだった!」
ひえぇっと頭を抱えて小さく飛び跳ねるトミー。
それを眺め、ダンが小さく溜め息をつく。
ダンは店内を一度見回した。
磨かれたカウンターの奥の壁には、年季の入った木の看板が掛かっている。
——白鹿亭。
長くここに在り続けたことを示すように、文字の縁はわずかに擦れている。
「……結局看板はそのままか」
「うん。そこは変えないって」
トミーは手を拭きながら、少しだけ肩をすくめた。
「中はこれから、少しずつ変えていくみたい。冒険者のお客さんも増えそうだし?」
武装していたり、荷物の多いお客が出入りしやすいよう、位置を改められたテーブルを眺める。
「調理以外のところは任せとけって、ゲルトさんが」
どんと胸を叩く元冒険者の男の姿を思い出し、トミーはくすりと笑った。
先代から引き継いで一年経った店は、客足も途絶えがちだった。
それをどうにかしたいと、ゲルトが漏らした嘆きを、アズマが拾った。
——それで、話が回ってきた。
ダンは空になった皿にフォークを置いた。
軽く腕組みをして背もたれに寄りかかる。
ひょいと皿を回収して片付けるトミーのことをじっと見つめた。
エプロンを締めた、カウンター越しの彼女の姿。
ひとつに結わいたハニーブロンドの毛先は、以前と変わらず、くるんと跳ねていた。
「……楽しみか?」
短く尋ねる。
トミーは水音に負けない大きさで『うん?』と声を出し、顔を上げる。
「緊張するよー」
弱ったように笑いながら肩をすくめて見せた。
にこりともしないまま、ダンの低い声が言う。
「まぁ、責任者はゲルトだからな。気楽にやれ」
相変わらずの淡白な物言いに、トミーの眉が寄る。
「む……いや、私も精一杯頑張るよっ」
水を止めて手を拭き、ぐっと握りこぶしを作って見せた。
何も言わず、ただ見つめるダン。
ちろっとトミーが視線を合わせると、彼がわずかに眉を上げる。
その反応を見て、トミーは目を細めて微笑んだ。
ほんの少しだけ、肩の力が抜ける。
「……戦士じゃない。冒険者でもない私……だね」
小さく笑った声は、どこか頼りなかった。
ゆっくりとした沈黙。
「そうだな」
組んだ両手を腹の上に置きながら、ダン。
トミーは後ろに手を回し、レストランの扉を眺めて溜め息をつく。
「やっぱり、まだ慣れないよ。モーグリがいない部屋は」
「最後、大泣きだったらしいな」
「……私が、ね」
恥ずかしそうに苦笑いするトミー。
ふと、明るい窓の外に視線を馳せる。
通りの賑わいからは遠い。
しかしーー眼差しの先に、冒険者が行き交う光景を見つめているような瞳。
わずかに、トミーは目を細めた。
「……一回、戻ったでしょ。冒険者」
ぽつりと呟く。
ダンは動かずに声だけ返す。
「あぁ」
ほんの少しだけ、トミーが視線を下げる。
「……特に、反対しなかったね、ダン」
くぐもった声で、呟く。
ダンは、姿勢も、視線も、動かないまま。
「お前が決めたことだからな」
トミーはわずかに喉を詰まらせた。
少し慌てたように、笑いながら息を吐く。
「わ、分かんないけど……。もっかい、ちゃんとやろうと思ってたんだ」
小さく笑う。
「冒険者の生活しか知らないし。もうちょっと頑張れば、何か見つけられるかなって」
無意識に、エプロンの端を摘まむ。
トミーが言葉を切った隙間。流しで雫が落ちる音。
少し寂しさの混じった瞳で、トミーが言葉を紡ぐ。
「でもなんか、やっぱり違うのかもって……思った」
ダンはただ、じっと聞いている。
「……ありがとね」
噛み締めるように、トミー。
「この一年……見ててくれて」
ダンは無言のまま、栗色の髪を片手で引っ掻いた。
顔を上げたトミーが見つめる。
「ダンは、変わらないね」
手入れされた装備、厳選された無駄のない荷物。
現役の、戦いの気配を帯びた彼。
脇に立てかけた両手剣を横目に、彼が言う。
「俺はこれが性に合ってるからな」
トミーはわずかに首を傾け、目を細める。
彼が進み続けてくれること。
それでどれだけの思いが、救われているか。
でも彼は、そんなことには興味関心がないとでもいう顔。
‟見せない”彼を感じ取る度に、胸の奥が痺れた。
「この後、行くの?」
「あぁ」
「そっか」
小さく、頷く。
トミーがただ立ち尽くし、何もしない時間が流れる。
そして、足元に視線を落としたまま、ゆっくりと踏み出した。
カウンターの中から、ダンの傍まで。
背もたれから身を起こし、ダンが何気なくトミーの顔を見上げる。
するとーー。
ーーコンコンコンッ。
ベルが揺れる音とともに、扉がノックされた。
目を瞬いて振り返り、トミーが軽く駆ける。
「はい」
言いながら扉を開くと、一歩引いた距離に、男が一人立っていた。
眉に傷のある、銀髪のエルヴァーン。
「ノルヴェルトさん!」
トミーの口から明るい声。
戸惑いを滲ませつつ、ノルヴェルトは唇に微かな笑みを乗せる。
鎧を脱いだ彼の姿もだいぶ見慣れた。
動きやすい上着を羽織った彼の身体は、相変わらず逞しい。
手に持っていたカゴを差し出され、トミーは受け取る。
「あ、お姉ちゃんからのアレですね!」
中を覗くと、いくつもの調味料の小瓶が微かに鳴る。
「チョコボが増えて、ノルヴェルトさんも忙しいですよね。ありがとうございます」
気遣うトミーに、ノルヴェルトは小さく首を振る。
トミーは彼を中へと促すように、一歩後ろに下がってみせる。
「でも、ちょっと、ノルヴェルトさんも食べていきませんか? 今、ダンも来てるんです」
ノルヴェルトとダンが視線を合わせる。
一瞬の間。
二人の間に、言葉は交わされない。
「……いえ、私は……すぐに戻ります」
ノルヴェルトが言いにくそうに呟く。
そして、もう一方の手に持っていた小さな花束を差し出した。
控えめで愛らしい花束に目を見張るトミー。
ノルヴェルトは、彼女の手からカゴをそっと引き取り、代わりに花束を持たせた。
花を見下ろして笑顔になるトミーを横目に、店内のカウンターまでカゴを運ぶ。
そんなノルヴェルトの後を追いつつトミーが声を弾ませる。
「わぁ、嬉しい! どこに飾ろう!」
言いながら、トミーは黒髪の美しいエルヴァーンの微笑みを思い浮かべた。
新たなスタートを切る店を彩る、花の置き場所を探す。
「ゲルトさんが、やっぱり一度挨拶したいって」
ウロウロと花瓶になるものを探しながら笑う。
「でも『お姉ちゃんは恥ずかしがり屋だから〜』って、言っちゃった」
店のメニューを作り上げていく中、その助言に経験とセンスが光る、姿の見えない“お姉ちゃん”。
外での彼女の呼び方には、案外すぐに慣れた。
しゃがんでカウンターの向こう側に見えなくなるトミー。
またすぐにひょこっと姿を現し、見つけた花瓶を置く。
その様子を眺めるノルヴェルト。
銀髪の影で、彼の目元が微かにざわめく。
言葉が喉に触れて、引き返す。
それを横目に見ているダン。
トミーが水を入れた花瓶に花束を移し、眺める。
にこやかに花の向きを整える彼女を見つめるノルヴェルト。
ダンは、彼の喉元が締まる気配を拾う。
キョロキョロと店内を見回すトミーに、ノルヴェルトが声を絞り出した。
「……では、行きます」
置いたカゴを見つめる。
一瞬の間を置き、踵を返した。
「あっ、ありがとうございました! お姉ちゃんにも、ありがとうって伝えてください!」
一旦カウンターに花瓶を置いて、慌ててノルヴェルトを追う。
扉の取っ手に手を伸ばしたノルヴェルトが、一瞬躊躇って、足を止めた。
振り返る彼に瞬きしてトミーも足を止める。
トミーが見上げると、わずかに開く口。
でも視線はどこかを泳ぐ。
「……そ」
一音だけ、零れた。
小首を傾げてトミーは続きを待つ。
さ迷うブラウンの瞳が一瞬だけトミーを見る。
目が合い、逸らす。
ぎこちなく紡ぎ出される言葉。
「……その花は……貴女に」
「えっ」
「誕生日おめでとう、ソレリ」
ぽつりと呟き、彼の足は扉に向かって踏み出される。
当然の、大きな声が響く。
「えちょちょちょちょま!!!」
バタバタと騒がしく飛び出したトミーが、ノルヴェルトの袖を掴む。
ぎくりと固まるエルヴァーン。
トミーの目は真ん丸になっていた。
「ーーえ!? 何です?」
ノルヴェルトの顔を覗き込んで真っ直ぐに見上げる。
「誕生日? 誰……私の?」
トミーの両手が、ノルヴェルトの袖をしっかりと掴む。
「この花、ノルヴェルトさん? 私に?」
問い詰められるノルヴェルトの瞬きは止まらない。
「私の誕生日……今日、なんですか?」
見開かれた青い瞳が問う。
何も言えず固唾を呑んでいるノルヴェルト。
まるでショックを受けたように、どこか一点を凝視して動かない。
次の瞬間、彼がダンのことをじっと見た。
目が合ったダンは半眼になる。
ーー『間違えた』……じゃ、ねぇよ。
内心突っ込む。
彼女に直接ではなく、彼に伝えるべきだった。
とでも後悔している顔で固まっているエルヴァーン。
己のしくじりに気付いて何も言えなくなっている。
ダンは溜め息をついた。
「そう……ですか。今日なんだ」
もう一度、花を振り返ってトミーが呟く。
ノルヴェルトも、ダンも、ふと花を眺める。
開店祝いにしては少し控えめで、優しい色合いの花束。
「……ありがとう。 ノルヴェルトさん」
噛み締めるように言って、トミーがノルヴェルトを見上げる。
ノルヴェルトの褐色の肌が、一瞬で朱に染まった。
小さく頷きを返し、彼は呟く。
「……行きます」
逃げるように外へ。
間違っても、もうこれ以上は踏み込むべきではないとでもいうように。
後を追い、扉から身を乗り出して手を振るトミー。
外の光の中にもう一度、お礼の言葉を放つ。
やがて扉を閉めて立ち止まると、じっと、花を見つめる。
次にダンを見る。
何も言わないが、戦士は目を合わせる。
「……今日なんだって」
トミーが肩をすくめて微笑む。
「みたいだな」
短く、ダン。
カウンターに手を付き、金属音を零しつつゆっくりと立ち上がる。
「俺も、もう行く」
数分前から耳の内側でやかましく騒いでいる声。
がしがしと髪を引っ掻く彼を見て、トミーが口を開ける。
「あ、うん。寄ってくれてありがとう!」
パタパタとカウンターまで戻る。
置いていたサックを腰に留めるダン。
トミーは、重い両手剣を背中に携える彼の傍に立つ。
「まずは明日、頑張ってみるね」
「あぁ」
「ダンも。雨じゃないといいね」
「そうだな」
忘れ物がないか席を窺うトミー。
そんな彼女の頭の後ろに、ダンの手が伸びる。
くいと引き寄せ、トミーの頭を自分の胸元に当てる。
驚いたトミーが顔を上げる。
同時にダンも手を離した。
「わり。痛ぇな」
胸の鎧をコンと叩き、苦笑いして踏み出す。
トミーはぽかんと見上げたまま。
すぐに、小さく笑う。
「……痛くはないけど、冷たかった」
言いながら、広い歩幅が扉を出ていくのを追う。
軽く振り返って片手をあげるダン。
道を歩いていく彼の背中を、トミーは手を振りながらじっと見送った。
腕を下ろし、くるりと踵を返した。
扉を閉めてその場に立ち止まる。
静かになった店内に、微かな花の香りがふわりと広がった。
ちらりと、さっき置いた花を見る。
花を手渡す男の、心のままに移り変わる表情。
静かに傍にある、いつもの眼差し。
見渡すと、これからの自分の居場所。
それから、ほんの少しだけ視線を落として——
「…………鎧、なかったらなぁ」
自分でも意味が分からないまま、ぽつりと零れる。
冷たい鎧が触れたおでこを、何となく摩る。
「……ん? 何言ってるんだろ」
小さく首を傾げて、トミーは苦笑した。
あとがき
スピンオフ『この一年と、今日』でした。――ちょっ、ダン。
今すぐ戻ってきてくれる!!?!??
みたいな(笑)
さて、完結後も長いこと続きましたスピンオフ。
いかがだったでしょうか?
ご用意した三軍のスピンオフは、ここまでとなります。
まだこの他にも、村長にエピソードを見せつけてきて「書かねぇの!?」と騒いでいるハゲがいたりするんですけど……。
一旦、幕を下ろします。
長い間この物語を見守ってくださった皆様。
本当にありがとうございました。
一言感想などいただけたら嬉しいです。
未来のお話は、ここでおしまい。
最後に、過去を覗いて、アハピは千秋楽とさせていただきたいと思います。
次回からは二軍のスピンオフを、どうぞお楽しみください。