エミールは知っている。

2026/08/28公開



ジュノの通りは、今日も人で溢れていた。

行き交う冒険者たちの装備が、陽の光を受けて鈍く光る。
呼び込みの声や、競売の値を話す声が重なり合って、独特の喧騒を作っている。

エミールはその中を、少しだけ居心地悪そうに歩いていた。
段々ズレてきた眼鏡をくいと押し上げる。

バストゥークを出てから、それなりに日数は経っていた。
でも、ジュノの賑わいには、どうにも慣れない。

「……あ」

思わず、小さく声が漏れる。
見覚えのある姿が、通りの向こうにあった。

ハニーブロンドの髪。軽装の中にも無駄のない装備。
けれども、くつろぎの雰囲気がそれをふわりと包む。
周囲の人間とは、どこか違う空気を纏っている女戦士。

「トミーさん」

声を掛けると、彼女はすぐにこちらに気付いて、ぱっと表情を明るくした。

「――あ、エミールくん!」

その呼び方に、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。

「えっと、今帰り?」

「はい。さっきまでパーティで」

言いながら、頭を掻こうとすると布が手に触れる。
フードを被ったままだったことに気付き、するりと手で払った。
また眼鏡が少しズレたので、位置を整える。

日常的な他愛もないやり取り。
けれど、それだけで十分だった。

ジュノに来てから、こうして気軽に声を掛けられる相手は、まだ多くない。
彼女と話している時間は、どこか安心する。
バタバタと忙しないパーティ会話に食らいつくのは、エミールにとってはまだ負担だった。

「そっか、今日も狩りに出たんだね」

トミーとは昨日も、パーティを組んで修行の狩りに出掛けた。
解散後も一日の反省を談笑しながら一緒に競売を覗き、勉強熱心に情報交換。
彼女が『仲間に教えてもらった』という情報もすごく参考になるので、エミールはそんな時間が好きだった。

「わぁ~ほら~、あっと言う間に追い抜かれちゃったかも!」

今日も鍛練してきたエミールの成長の気配を見てとったらしい。
明るく笑う彼女に、つられて笑い返す。

――その時だった。

ふと、背中に何かが刺さるような感覚を覚えた。
疑問に思って、視線だけを巡らせる。

通りを行き交う人々。
特に変わった様子はない。

……はずなのに。

「……?」

もう一度、違和感。
今度は、はっきりと。

誰かに見られているような――

「どうしたの?」

「え? あ、いや……」

首を傾げるトミーに、慌てて笑ってみせる。

「なんでもないです」


そう答えながらも――
実は、エミールは知っていた。


想像もつかないほど多くの見知らぬ冒険者たちが、自分の身を案じているのだと。


ジュノデビューを果たし、初めはこの街の盛況さに面食らった。
人の多さも、流通量も、周囲から聞こえる会話のレベルも、これまでと全然違う。

緊張しながらジュノを拠点とした狩りに出て、最初に親しくなったのが、トミーだった。

エミールより少し早くジュノデビューを果たしただけで、彼女もまだまだ分からないことが多いと明るく話してくれた。
親近感を持ったし、彼女との会話も楽しくて、パーティに誘い、自然と一緒に狩りに出るようになった。

街の勝手にも徐々に慣れてくる。
しかしその頃から、気付きはじめる。

明らかに、こちらを見ている気配がある。

視線を向けると、すっと逸らされる。
また別の方向から、同じような気配。

華やかだが、その一方で怖い空気のある街なのかもしれない。

そう思った。

だが、そんな違和感の本当の理由は――突然知らされた。
狩りを終えて解散し、トミーの後ろ姿を何となく見送っていた時だ。
名も知らない冒険者がいきなり声を掛けてきた。

「なぁお前、知ってる?」

振り向くと、自分の憧れを実体化したような、煌びやかな装備を身に着けた冒険者が数人。

遥かに上のレベル帯だと理解できる彼らが、自分に何の用があるのか。
理解できず固まっていると、モンク装備のエルヴァーンが馴れ馴れしく肩を組んでくる。

「あの子」

彼が指さしたのは、人混みの向こうに消えていくトミーの後ろ姿。

「あの子には、『ダン』っていう、計り知れない強さの奴がいるから

「気をつけろ」

別の、ローブを着たガルカが、真顔で付け加える。

「大怪我しないようにね」

鎧を着たタルタルの女性も、心配そうに呟く。
そしてそそくさと、彼らは人混みの中に消えていった。


『ダン』

その、妙に響きの強い名前には聞き覚えがあった。
トミーの口から度々登場する名前だ。
たしか、彼女が所属しているリンクシェルのリーダーで。
ベテラン冒険者の……厳しい教官?


赤の他人とのこんな不思議なやり取りは、もう二度とないと思った。
でも、一度では済まなかった。

その後も、トミーと行動を共にしていると、会話中に一瞬だけ通りが静まる。
妙な空気の後、ひとりになった途端にまた声をかけられる。
決まって、『知っているのか』と問われた。

それほどまでに危ないのかと。

眼鏡を摘む指が震えた。

でも、別に自分は、彼女のことを狙っているわけではない。
レベル帯も同じだし、親しくなったのだから一緒に行動する機会もある。
楽しい冒険者仲間と出会うことができたと思っているだけ。

それなのに、周囲が擦り減るほど心配してくれる。

なんだろう、これ。

『俺は知っています』と、首から札を下げておくべきかと考えてしまう。



「……エミールくん??」

不思議そうに覗き込んでくるトミーの顔が視界に現れる。
はっとして目を瞬いた。

「疲れてるの? 大丈夫?」

心配そうに眉根を寄せる彼女の向こう側で、静かにたくさんの気配が大騒ぎする。
慌てて後ずさると首を横に振る。

「あ、ちょっと考え事を」

あらゆる方向から感じる視線が痛い。
エミールの苦笑いにトミーはむむむと口をひん曲げる。

何とも言えない息苦しさを覚えたエミール。
堪らず、こう切り出した。

「あの、トミーさん」

「ほい?」

きょとんと首を傾げるトミー。
何となく、周囲の雑踏から緊張と期待が伝わってくる。

「ちょ、ちょっといいですか。こっち」

咄嗟にそんなことを言ってしまい、これは失敗だったと思った。
全然知り合いでもない冒険者と目が合った。立て続けに何人かと。

違う。大丈夫。俺、知ってます。

内心叫びながら、通りの端に寄る。
不思議そうな目で後をついて来たトミーと適切な距離を保ち、息を吸い込んだ。

「あの……何度か話に出てきた、『ダン』さんって、いるじゃないですか」

「ダン? うん」

彼がどうかしたのかと問う、無垢な瞳。

もういっそのこと、ご挨拶しておいたらいいのかなと考えた。

――その時だった。

さぁっと、周囲に微かな音が滲む。
一瞬、雨が降り出したのかと思った。

でもそれは雨粒の音ではなく。
周りの冒険者たちが無意識に身構えた音だった。


「俺が、何だ」


直後、脇から声。


見ると

圧。


「わっ、ダンだ」


でしょうね。

エミールは周囲の空気から即座に悟った。
素早く戦いに備えた冒険者たちの気配を、今はもう嬉しく感じている自分がいる。

ジュノって――
実は、とても親切な街なのかもしれない。


声を上げたトミーをじっと見下ろすヒュームの戦士。
装備も、オーラも、想像通りの“確かな重圧”。

しっかり見とけ、とでも言うように。
この時、眼鏡は一ミリもズレなかった。

「あ、ちょうどいいや! 紹介するね!」

恐ろしく普通なトミーが表情を明るく弾けさせてダンに向く。
手を広げてエミールを示した。

「ほら、最近話してた、エミールくんだよ。昨日も狩りに誘ってくれたんだ」

最後の一言はすごくドキドキするんだけどどうなんだろうな?
とか思いながら、エミールは会釈する。

「はじめまして」

トミーはにこと笑って、次にダンを示す。

「で、こっちがダンだよ」

少し表情を苦いものに変え、一言付け加える。

「……気を付けてね」

「どういう意味だ」

低い声で、ダンの青い瞳がトミーを睨む。

いちいち圧がすごい。
無意識に背中を強ばらせ、エミールは固唾を呑む。
しかし、トミーはまったく動じることなく、圧に対抗する。

「だってダン、怖いから」

「それはお前がぼんやりしてるからだろ」

「えぇっ? け、結構、頑張ってるつもりなんだけどなぁ……」

意見を求めるような視線をトミーから向けられる。
当然、エミールは言葉なんて出てこない。

ダンはひとつ溜め息を吐く。
ふと、彼の視線が真っ直ぐにエミールへ向けられた。
緊張する間もなく――告げられる。

「周りがうるさくて悪いな」

半端に口が開いたまま、エミールは彼をじっと見上げる。
突然の詫びから始まった彼の言葉は、こう続く。

「でもこれで、少しは黙るだろ」

言って、ダンは周囲に視線を巡らせた。
鋭くなったその視線から逃げるように、いくつもの顔がよそを向く。

「……? 何のこと??」

首を傾げたトミーが彼に問う。
その瞬間、エミールは時間差でピンときた。
そして、彼が自分に詫びたことに改めて『えっ』と目を見張る。

くたびれた眼差しでトミーを見やってから、ダンはエミールに視線を戻す。

「何かあれば俺に言え」

カチャリと両手剣を背負い直し、今度はトミーに告げる。

「……しっかりやれよ」

トミーは彼を真っ直ぐ見つめ返し、頷く。

「うん」

見届けてひとつ息をつくと、ダンは踵を返した。
一歩踏み出すが、思い出したようにこちらを振り返る。

「最近、クフィムの狩り場が荒れてる。しばらくはロランベリーに行け」

淡々と述べ、最後にはっきり言い放つ。


「またな、エミール」



強い。


鎧を鳴らし、往来の流れの中に突き進んでいく。
その背中を呆然と見送る。

周囲で自分と同じように、ダンのことを見送っている何人もの冒険者たち。

はたと目が合う。
口パクで何かを言って、親指を立てて見せられた。
『お前、すげぇな』とでも言われたような気がする。

「行っちゃった……」

ダンを見送ったトミーが呟いた。
ふと、眉を寄せる。

「……ん? エミールくん、ダンに何か悩み相談でもしてたの?? 会ったこと、あった??」

先ほどの彼の言葉の意味が、彼女は未だに分かっていない様子。
まだ口が言葉を取り戻せず、エミールはただ首を横に振るだけだった。


それ以来、あの妙なざわめきは嘘のように消えた。
たった一言で片付けてしまうあたりが――あの男のすごさなのだろう。


それから、エミールは意欲的に修行に励んだ。
しばらく経つと、じわじわと感じられていたレベル差がトミーとの間ではっきりしてくる。

一緒に修行の狩りに出られるのは、これが最後かもしれない。
そんな寂しさを胸に抱きながら、エミールはジュノの街に戻ってきた。

「お疲れ様でしたー」

別れを告げて解散するパーティ。

「じゃあトミー、行こ!」

今日初めて組んだタルタル族のシーフが、トミーの手を引いて駆け出す。
意気投合したようで、彼女は早速トミーと出掛ける約束を取り付けていた。

「あ、それじゃあまたね! エミールくん!」

寂しさに胸が締め付けられるのを隠し、微笑んで手を振る。

「皆さんも、ありがとうございましたー!」

大きく手を振りながら、引っ張られて去っていくトミー。
彼女達を見送る他の冒険者も笑顔で眺めている。

するとーー
不意に、魔道士のエルヴァーンが表情を崩して呟く。

「……また組みたいな。なんか、ほっとけない」

横に立つモンクのヒュームも口元を緩め、同調する。

「それな」


ーー駄目だと分かっているのに。


衝動を抑えられず。
次の瞬間、エミールの口が言ってしまった。



「あの……知ってますか?」



<End>

あとがき

スピンオフ『エミールは知っている。』でした。

ジュノで新しいミッションが爆誕しているって話。