ただ、見つめる

2026/08/14公開



外は、土砂降りの雨。
立て付けが悪く、閉ざされたままのくすんだ窓。
湿気がまとわりつく薄暗い厩舎には、干し草と生き物の匂いが混じる。

木枠で囲われた中には、身体の大きな鳥。
うずくまって動かない一羽に視線を掠める。

だがーー
ノルヴェルトはすぐに、目の前の一羽に視線を戻した。

ーーガガァッ!

声を漏らしながら嘴が暴れる。
大きな足が干し草を蹴散らし、爪が床の石を引っ掻く。

暴れて傷つかないように布で包まれた胴体が大きく傾く。
横倒しになり、壁に頭を押し付ける。
擦り付けられ羽根がぼろぼろと抜け落ちる。
暴れぬように施されていた綱が僅かに緩み、今にも嘴を引っ掛けそうだ。

全力で首を抱え、押さえ付ける。

見開かれている大きな瞳。
濁ったそれは、見えているのか分からない。

ただ、この鳥には、何か恐ろしいものが見えているような気がした。


どんな相手も、生き抜くために斬り伏せてきた。
エルヴァーン族だけではない。
時には、自分よりも大きな身体のガルカ族だろうと、小柄で俊敏なミスラ族だろうと。

負けないための力をーー
今は、傷付けないために。
歯を食いしばる。

脆くなりひび割れた嘴から綱を遠ざける。

ーー刹那。

足が浮いた。

鳥から身体が引き剥がされ、奥の壁に叩きつけられる。
厩舎全体が揺れるような衝撃音が弾け、積まれた木箱が倒壊し床に散らばる。

上がらないはずの強靭な足に弾き飛ばされたノルヴェルト。
反射的に受け身は取った。
だが、逃し切れなかった衝撃が骨を軋ませる。

一瞬、肺が働きを忘れる。

床についた肘には血。
鳥の足の爪がそばに落ちている。
自分の身体と共に飛ばされたそれは、血まみれだった。

銀髪の隙間からチョコボを見る。
暴れ回る足と、散る羽毛。

ようやく息をつくと、肺を守る骨が悲鳴を上げた。

次の瞬間、厩舎の扉が開け放たれる。

立っていたのは黒髪のエルヴァーンーーヴィヤーリット。

ぐっと歯を食いしばる。
ノルヴェルトは素早く身を起こすと飛び出した。

木枠に片手を付いて飛び越え、再び暴れるチョコボの首を腕に抱き込む。
泡が零れる嘴を床に押さえ付ける。

軽い身のこなしで音も立てずに、ヴィヤーリットも枠の中へ降り立つ。
手にした小瓶の栓を抜き、嘴を押さえ付けながら液体を流し込む。
嘴の端からこぼれた薬液もあったが、大半は喉へ流れ込んだ。

巨体が跳ねるように暴れる。
筋の浮き出たノルヴェルトの腕がその動きを封じる。

ーーガァ!ガガガッ!

抗う獣の唸り声。
興奮の息遣い。
見開かれた目。

仄暗い厩舎を、激しい雨音が包む。


やがて、巨体の身動ぎが治まっていく。
大きな目のまぶたが、揺らぐ。

徐々に、閉じられていく。

瞳は血走ったままだった。


荒げた呼吸が、静まっていく。


まだ、働くことができる丈夫な足。
それを暴走させる頭が、眠りに沈む。


ーーふと、不安が過ぎる。

思わず視線だけを上げてヴィヤーリットを見た。

黒い瞳が視線を交え、柔らかく細められた。
その穏やかさが、生命を閉じる方の薬ではないと伝えてくる。


しばらくすると、大きな鳥の身体から完全に力が抜けた。


じっと観察していたヴィヤーリットが、小さく息を吐く。

先に動いたのはノルヴェルトだった。
警戒の眼差しを切らさぬまま、巨体をねじ伏せていた腕をそっと離す。
じゃりっと足をスライドさせ、鳥の屈強な足を慎重に抱え込む。

ヴィヤーリットは心配そうな目をしてその様子に見入る。
身を案じる眼差しで見つめるが、ノルヴェルトは銀髪の奥に顔を隠した。
ただ、行動が要求する。

暴れた弾みに爪が剥がれた鳥の足。
流れ出た血に、土と干し草の欠片がこびり付いている。

ノルヴェルトは両腕で固定し、じっと待つ。


きゅっと唇を結ぶヴィヤーリット。
膝に手をついて立ち上がり、一度囲いの外に出る。
水瓶に桶を深く沈め、持ち上げる。
水を汲んだ桶を手に戻ってくると、ノルヴェルトに歩み寄る。

傷付いた鳥の足に目を細める。
患部を洗い、ベルトに引っ掛けた清潔な布で拭き取った。

ヴィヤーリットの白いシャツも、ノルヴェルトのくすんだ灰色のシャツも。
濡れた泥が跳ね、たくさんの干し草の屑が張り付いている。
しかし、二人とも、気にする様子はない。

ヴィヤーリットは膝をつき、腰に下げたポーチから包帯を取り出した。

チョコボの足に、手際よく処置を施す。


手早く作業を終えたヴィヤーリットは、しばし患部を見つめて静止した。

微かに、彼女の肩から力が抜ける。

ゆっくりと慎重に、ノルヴェルトがチョコボの足から離れる。

立ち上がる彼を見上げて、ヴィヤーリットも素早く立ち上がる。
見つめるが、ノルヴェルトは肩口で額を拭いながら横を通り過ぎた。

ひらりと囲いから出る。
肩を流れ落ちる銀髪。

彼の後を追うヴィヤーリット。
ノルヴェルトは、まるでこの場には自分しかいないかのような足取りで厩舎の片隅に向かう。

部屋を用意してあると繰り返し伝えても、ノルヴェルトは必ず厩舎の片隅で夜を明かしてきた。

いつもの場所に向かいつつ、崩れて散らばった木箱を拾い上げていく。
そんな彼の正面に回り込んで、ヴィヤーリットは両手の平をかざした。

一瞬、ノルヴェルトの動作が止まる。

だがーーすぐに足を踏み出し、少し屈むとヴィヤーリットの足元に転がる木箱に手を伸ばす。

ヴィヤーリットの細くしなやかな手が伸びた。
びくりと身を固めるノルヴェルトの銀髪をすくい上げる。

耐えるように。
じわりと汗ばんだ額。

肝を冷やしている目元。
太刀傷のある眉が、微かに動揺を見せる。

外は相変わらず、土砂降りの雨。

厩舎に戻ってくる直前。
この雨で、外にはさほど響かなかったかもしれないがーー
家の中には、その衝撃が分かるほどの音が轟いた。

『無事なわけがない』と見透かした瞳が、ノルヴェルトを真っ直ぐに見上げる。

銀髪のエルヴァーンは押し黙ったまま、立ち尽くす。
ヴィヤーリットの目は見ない。
何か言おうにも、喉が閉まり言葉が出ない。

不意に、ヴィヤーリットが右腕のシャツの袖をたくし上げた。
線は細いが、命を守る力は備えた色白の腕。
その上腕には薄らと、鋭い爪にえぐられたような傷跡。

ノルヴェルトが微かに目を見張る。

ヴィヤーリットは何も言わなかった。
ただ、その傷に宿る思い出を懐かしむような目で、じっと見つめる。


すぐに癒せば、あのような傷は残らない。


冒険者の青年の困ったように眉根を寄せる顔が、ノルヴェルトの脳裏に浮かぶ。

彼が駆け付けた先に、自分で応急処置をした彼女がいたのかもしれない。

迷いと葛藤を微笑みで誤魔化し、弟の顔で優しく詠唱する声が聞こえてくるようだった。


そんな青年の瞳にはーー
今はもう、迷いがないと知っている。

ノルヴェルトの指先に、力がこもった。


一歩、ヴィヤーリットが踏み出す。
すると直ちに、ノルヴェルトが横に逸れた。

「……大丈夫です」

ぽつりと呟きを零し、木箱を元の場所に積み上げる。
その動作は不自然なほどに無駄がなく、淡々としていた。

堪らず、何か言いたげにヴィヤーリットが手を伸ばす。
だがノルヴェルトは箱を積み終わるとすぐさま踵を返し、その場を離れた。


彼が望む距離。


いつも身体を休めている場所に、彼は向かわなかった。
先程まで暴れていたチョコボの囲いに歩み寄り、おもむろに腰を下ろす。

銀髪が被さる頑なな背中。


ヴィヤーリットは胸の前でぎゅっと手を握る。
わずかに震える細い肩。
祈るように、ノルヴェルトの後ろ姿を見つめた。


やがて、深く息を吸い込む。
胸に湧き出た感情を静めるように。


ヴィヤーリットの足が、踏み出される。
厩舎の出入口に向かって。
引き裂かれるように、まずは一歩。

込み上げた感情が滲む黒い瞳は、彼から目を逸らさない。
だが、彼は振り返らない。

きゅっと唇を噛み、歩き出す。
悲しげに、厩舎から出ていく。


気落ちした足音が、少しずつ離れていく。


激しい雨音が再び厩舎を包み込む。


ノルヴェルトは、じっと動かなかった。
ただ、見つめる。
強引に眠りへと引きづり下ろされた、老いた鳥を。


呼吸しづらそうな、自分の掠れた吐息。
深いブラウンの瞳に汗が流れ込む。
もう一度肩口の袖で額を拭う。
一瞬しかめる眉。


先ほど間近で見つめた瞳を思い出す。

恐怖と混乱に満ちた、足掻く瞳。


次の瞬間。
夢うつつの様子で、傷付いたチョコボが僅かに身を捩った。

苦しげな唸りに目を見張り、ノルヴェルトは咄嗟に手を伸ばす。
羽根に触れ、寄り添うように撫でる。
その手は傷だらけだったが、酷く優しい。

汚れた衣服が張り付き、背中が熱を持つ。
痛みに気付かせるため、全身から汗が吹き出している。


だがーー

ノルヴェルトの瞳は、じっと、横たわる鳥を見つめるだけだった。



<End>

あとがき

スピンオフ『ただ、見つめる』でした。

まだ、救われたわけでも、癒えたわけでもなくて。

それでも、‟背負って生きる”と、決めた。