HAPPY DAY
2004/10/25公開
ぼんやりと目を開けると、目の前に壁があった。
最初はあまりに近過ぎて状況が掴めなかったが、何度か瞬きをする内に、ようやく意識がはっきりしてくる。
どうやら、布団にグルグル巻きになった状態で、壁に顔を埋めるようにしてベッドに横たわっていたらしい。
ロエは、自分の体勢をゆっくりと理解しながら、のろのろと体をよじって身動きを始める。
もぞもぞと布団から這い出しながら、目線は時計を探す。
ベッドの下に転がっている、愛用の小さな時計を発見。
手を伸ばして拾い上げる。
目をこすりながら盤面を覗き込むと――ー時計の針は、ぴったり正午を指していた。
リクエスト内容「ロエの一日」
~HAPPY DAY~
昨日は、以前メインにしていたリンクシェルの手伝いをしたのだった。
『頼れる白魔がロエしかいない』という連絡を受け、久方ぶりにあのリンクシェルのメンバー達に会った。
今では、ダン達三人がいるリンクシェルがすっかりメインになっていて、以前のリンクシェルにはあまり顔を出していない。
久々の冒険は明け方まで続き、レンタルハウスに戻った頃には空が白み始めていた。
この時間まで眠っていたとしても、不思議ではない。
少し遠出を伴う冒険だったら、こんなことは日常茶飯事だ。
くしゃくしゃになった自分の青い髪を手で軽く梳かしながら、ロエは『今日は街の外には出ず、大人しくしていよう』と決めた。
顔を洗い、着替えを済ませて身支度を整える。
見回してみると、モーグリの姿はない。
今日はまだ来ていないらしい。
呼べば何処からとも無く現れるだろうが、特に用事はないのでその必要は無い。
ロエは一人でテキパキと朝の準備をこなし、 スープとパイー――朝食を兼ねた昼食をテーブルに並べた。
すべての準備が整ったことを確認し、ふぅと息をつきながら椅子に腰掛ける。
「いただきます」
なぜだか、何かが足りないような気がした。
そんな感覚を抱えたまま、ロエは一口、パイをかじる―――
―――その瞬間、はっとした。
口に含んだまま片手を口元に添えて、パイを見下ろす。
もぐもぐと咀嚼しながら、『お行儀が悪いかな……』なんてことを考える。
でも、一度気づいてしまった“違和感”は、もう無視できなかった。
口の中のものを飲み込むと、ロエはたっと椅子を降りて棚のほうへ向かう。
そこに置いてある袋を手に取り、紐を緩めて中を覗いた。
一番上に見えたのは、昨日使っていたリンクパール。
その下には、別の色をした二つの魔法の真珠が入っている。
これは、リンクパール専用の保管袋だ。
これに入れておけば、近くに置いていてもリンクシェルの会話が聞こえてくることはない。
複数のリンクシェルに所属している冒険者も少なくない。
パールを同時に近くに置いていれば会話が交錯してしまうため、こうした小さな魔法の袋で管理しているのだ。
ロエは、普段持ち歩いているリンクパール――
透き通った青の魔法の真珠、ダンたちがいるリンクシェルのものを取り出す。
それをポケットに入れ、意識を集中させてみた。
“あっはっはっはっは!”
途端に、パリスの呑気な笑い声が頭の中に流れ込んできた。
ロエは思わず口元を緩め、袋を片付けながら少しわくわくした気持ちで呼びかけてみる。
“こんにちは~”
“お、ロエさんこんにちは♪”
“こんにちはーロエさん!”
約一名の声が足りない。
“……こんにちは”
聞こえた。
ロエはなぜかそろそろと歩いてテーブルへ戻る。
“ロエさんロエさん!ロエさんは知ってました!?”
元気いっぱいに話しかけてくるのは、少し前からこのリンクシェルに加わったヒュームの娘の声。
彼女が加わってからというもの、会話の幅が一気に広がった。
ロエはその人懐っこい声に微笑みながら、椅子に腰掛ける。
“何をですか?”
“マンゴラドラって花粉症なんですってね!!!”
“ぇ”
“だから何でもかんでも真に受けんなっつってんだろ!それとマンドラゴラだ、馬鹿”
“あっはっはっはっは、あっはっはっはっは!”
まただ。
またパリスがとんでもないことをトミーに吹き込んでいるらしい。
最近、このやりとりがすっかり定番になってきた。
ロエは、そんな三人のやり取りをとても微笑ましく思っていた。
テンポのいいパリスの笑い声を背景に、トミーが何やら捲くし立て、それに対してダンが呆れた声で淡白に反論している。
ロエは笑いを抑えながら、真偽に直接触れないことを言ってみる。
“もし花粉症だったら、可哀想ですね”
“そうですよねー。あっ、もしかして花粉症だから声が変なの?”
“だから違うっつってんだろ”
ロエは会話に微笑みながら、食事を再開する。
リンクシェルでの会話なら、食事しながらでもいいかななんて思ったり。
この少人数のリンクシェルが、ロエにとってはとても居心地が良かった。
一日に一度は彼らと会話をしないと、何だか調子が狂ってしまう。
朝一杯のお茶を飲まないと始まらない、という人と同じように、ロエの一日は、このメンバー達との会話から始まるのだ。
いつも愉快に話を盛り上げるリーダーのパリス。
少々愛想に欠けるが、物知りで頼りになる副リーダーのダン。
そして、リンクシェルの会話の頻度を一気に高めた、初心者冒険者のトミー。
金儲けだとか、攻略だとか、先へ先へという会話はこのリンクシェルではほとんどない。
出会ったばかりの頃、ダンには多少そういう節が垣間見えることもあった。
けれど今では、彼から当時のような剝き出しの向上心はあまり感じられなくなっている。
―――その変化は、トミーが現れた時期から始まった。
ロエはそれに気づいていたが、だからといって何か思うことがあるわけではなかった。
ただ、何となく、そういうことってあるよね、くらいの気持ちで。
“……あれ……ねぇダン、マージョラムを二ダースだっけ?”
トミーが少し不安げな声でダンに尋ねる。
“あぁ”
短く答えるダンの声。
どうやら、彼がトミーに買い物を頼んでいたらしい。
そういえばトミーは今、ウィンダス連邦にいるはず。
なら、ウィンダスで安く手に入るマージョラムを買って送るよう頼んだのだろう。
ロエはそこまでを自然に推理し、そっとスープに口をつけた。
“大変!”
スープが少し冷めてしまった、と思ったのとほぼ同時にトミーの声が響く。
ロエは動きを止め、会話に意識を集中させた。
“お店にマージョラムが十六個しかないよ~”
困ったように嘆く声に、小さく首を傾げる。
どうも他のメンバー達も、同じように「?」を浮かべているようだ。
“あ?……俺は『道具屋で』って言ったんだが……”
“あ、え?”
『調理ギルドじゃ高いだろ』と、ダンが当然のように補足する。
ほんの一瞬の沈黙の後、トミーが慌てふためく気配がリンクシェルの向こうから伝わってきた。
“………十六個ってことは、もう一ダースは買ったってことだな?”
“えっ、あ!え!?”
“…ぷっ”
黙って聞いていたパリスが小さく吹き出した。
同時に、ロエも事態を理解して思わず口元を押さえる。
―――道具屋で品切れは、まず有り得ない。
ということは、トミーは間違いなくギルドで買い物をしている。
それも、おそらく最初に十二個購入して、もう一度十二個買おうとしたのだろう。
そこで「残りは四つ」と言われて、合計十六個になった……というわけだ。
ダンは全てを瞬時に察したようで、何とも言えない溜め息をついた。
“ちょっと待って待って!今のナシ!何でもないぃぃぃ!!!”
トミーはやっと自分の失敗に気が付いたようで、慌ててそんなことを言っている。
だがすでに、彼女の発言を聞いたこの三人はすべてを理解している。もはや手遅れだ。
パリスのこらえきれない笑い声が漏れ聞こえる。
“とりあえず今買った分だけ送れ。その一ダース以上は買わなくていいから。原価考えて金額送り返す”
“うわぁーわわわわ、いいよいいよ!私が間違えたんだから!”
“うるさい。もういい”
“うあああごめんなさいぃぃぃぃぃ!!!”
“トミーちゃん、ドンマーーーーーーイ☆”
最高に楽しそうなパリスの声に続いて、ロエも笑いながら『ドンマイで~す』と軽く言った。
信じられない自分の過ちに、トミーはリンクシェルの向こうでしょんぼりと呟いている。
彼女は失敗も多いけれど、いつも元気で明るい。
その無邪気さに、ロエはいつもどこか癒しをもらっていた。
トミーの慌てぶりを微笑ましく思いながら、ロエはふと、ダンの今の表情を想像する。
ぼんやりとその顔を思い浮かべていた時、笑い終わったパリスの声がまた響いた。
“ダ~ン~、バストゥークで何してんの?一緒にどこか行こうよ~”
パイを控えめに口に運んでいたロエの手が、ぴくりと反応する。
“あー?お前今ジュノだろ?今日はこれからこっちでソロする予定なんだ。悪いが今日はパスだ”
“今日はって……誘っても9割パスするくせに~”
“あぁー?俺はなぁ”
“『忙しいんだよ』って?でもトミーちゃんは構うくせにーーブーブーブー”
ダンにふざけて絡んでいるパリスの声。
そのやり取りを聞きながら、ロエは急に食事のペースを上げた。
パクパクとパイを平らげ、残っていたスープもぐいっと飲み干す。
―――今日は街の外には出ずにゆっくり過ごそうだなんて、そんなのんびりはしていられない。
他の仲間達は自分がそんなことを考えている今でも、やるべきことをこなしている。
私も、頑張らなくては……!
ロエは食器を片付けて、いそいそと身支度を始めた。
最近になって修行を始めた黒魔道士の装いに着替え、小さな杖を背負う。
鞄の中身をざっと確認し、ほとんど飛び出すような勢いでレンタルハウスを後にした。
冒険者たちのレンタルハウスが並ぶ居住区の通路を、ロエは小走りで進む。
このバストゥークの街には、居住区から外への出入り口がいくつもある。
どの出口が目的地に近いのか分からない分、足取りはどんどん速くなっていった。
とりあえず一番近い出入り口へ向かい、最後の角をほぼ駆け足で曲がった―――その時。
少し先の出入り口に、一人のヒュームの姿があった。
出て行こうとしていたその人影に気付き、ロエは思わず足を止める。
相手もロエに気付いたのか、ふと立ち止まった。
「……ロエさん?」
息を弾ませて立ちすくむロエに、短髪のヒュームの男が眉を寄せる。
彼は、つい先ほどリンクシェル内で会話をしていた男、ダン。
「あ…ぁ……」
言葉にならない声を零しながら、ロエはギクシャクと立ち尽くす。
突然の遭遇に頭が真っ白になっていた。
不思議そうにしながら、ダンがゆっくりと歩み寄ってきた。
「ロエさんも、こっちに来てたんですか」
「へっ?あ、はい」
どぎまぎしながら、乱れた呼吸を整えようと胸元に手を当てる。
「ダンさんは、これからグスタベルグへ?」
「えぇ、ナイトの戦い方を修行しに。……その様子だと、ロエさんは黒魔の修行ですか」
「は、はい」
こくこくと頷いたその口から、思わず言葉が続く。
「ばったり会うとは思ってなかったので……びっくりしました」
言った自分の言葉にロエ自身が驚いてしまい、内心であたふたする。
そんなロエを見下ろしながら、ダンはどこか納得したような表情を浮かべた。
ふむ……と顎に手を当てて何か考え込み、やがて静かに口を開いた。
「お互い、まだパーティを組んでの狩りには速いみたいですね……。でも、近くでソロをするなら、色々と都合が良い。魔法の使い方で聞きたいこともありますし、一緒に行きますか?」
一人で情報を処理したらしいダンが、淡々とそう提案してきた。
ロエは一瞬、驚いたように体をこわばらせたが、すぐに表情をほころばせる。
「あ……はい。宜しければ、そうさせていただきます」
遠慮がちに微笑みながら返したロエに、ダンは軽く頷く。
「じゃ、行きましょう」
言って、すぐに背を向けて歩き出す。
その後ろ姿を数秒間、ぽかんと見つめたロエは、慌てて後を追った。
彼の隣に追いつきながら、ぺこりと小さく頭を下げる。
「よろしくお願いします」
ダンは目だけを動かしてロエを一瞥し、無駄のない短い一言で返す。
「こちらこそ」
時刻は、すでに昼時を大きく過ぎていた。
けれど、ロエの一日は―――今、ようやく始まろうとしている。
あとがき
わー…乙女っすねぇ……。そして罪深き男、ダンテス。
はっぴ~さん、リクエスト本当にありがとうございましたー!(><)