イクセプション・ファミリー

2004/06/24公開

その幼い少女は、今宵もまた―――怖い夢を見て泣き出した。

すんすんと鼻を鳴らし、布団の中で震えるヒュームの少女。
隣に寝ていた母親が、そっと腕を伸ばし、優しくその小さな体を抱きしめる。


―――カチリ。

ドアが少し開き、廊下の明かりが細く部屋の中へ差し込んだ。


その光の中に、長身のエルヴァーンの姿が浮かび上がる。
彼は心配そうに、部屋の中を覗き込んでいた。

その足元には、少女と同じくらいの年頃の、ミスラの娘がしがみついている。
大きな耳をぴんと立て、こちらを見つめるその姿に、母親はふわりと微笑んだ。

泣いているヒュームの少女の、ハニーブロンドの髪を、彼女は静かに撫でる。



そこには―――確かに、一つの家族の姿があった。



キリ番2222hit コマ様に捧げます。
リクエスト内容「トミーの家族の話」

~イクセプション・ファミリー~



窓の外には、夕陽に染まったサンドリアの街が広がっていた。
煉瓦造りの家々が連なり、その上空を、同じくオレンジ色に染まった鳥たちが飛び交っている。
遠くから鐘の音が聞こえ、別れを告げる子供達の声が、風に乗って散っていった。

開けていた窓を閉めると、少女は窓辺に置かれた植木鉢の花に目をやった。
指し込む西日に照らされた小さな花。
肩まで伸びた少女のハニーブロンドの髪も、光に包まれてオレンジ色に染まっていた。

「ただいまー!」

玄関のドアが開く音と同時に、元気な声が聞こえる。
少女―――トミーははっと顔を上げ、すぐに部屋を出て階段を駆け下りた。

玄関先に立っていたのは、金髪の若いミスラだった。
夕日を背負って立つその姿に、トミーは思わず笑顔になる。

「おかえりなさい」

ドアを閉め、鞄を肩から下ろす姉に声をかけると、ミスラはひと息ついて返した。

「はぁー、ただいま。ねぇトミー、見て見てっ。ほら、最後の給料!」

懐から取り出したのは、そこそこの重さのある袋。
姉はちょっぴり得意げに、それをトミーに見せた。

「わ、すごい!」
「ふふふ、これであの商会とはお別れよ」

何年も配達の仕事を続けてきた姉は、袋をしまうと荷物を降ろし、椅子に腰を下ろした。
イタズラっぽく笑う姉に、『お疲れ様』と声をかけ、トミーはキッチンへ向かう。

妹の後ろ姿を目で追っていた姉は、ふと何かを思い出したように立ち上がった。
「あっ、そうだ。買い物、行かなきゃね」
その声に、トミーも思い出したように振り返る。
ふわりと髪を揺らしながら、首を横に振った。
「あ、ううん大丈夫だよ。私、行ってきたもん」
『もうご飯も作ってあるよ』と付け加えて、鍋の中を覗いて見せる。
ミスラの姉はぴんと耳を立てると、『へ?』と素っ頓狂な声を上げ、目を丸くした。

「……トミー、外に行ってきたの?」

「うん」

「……平気だったの?」

「平気、大丈夫」

「だって……街の中、エルヴァーンたくさんいたでしょ?」

「大丈夫だよ。……あ、ちょっと道に迷ったけど…でも大丈夫!」

何度も何度も確認する姉に、トミーは何度も何度も『大丈夫』と答えた。
そのやりとりを繰り返すうちに、驚きで固まっていた姉の表情がふわっと綻ぶ。

「……やった……やったね!すごい!大丈夫になったの?!」

嬉しさを爆発させたように姉はトミーの手を握り、ぴょんと跳ねるように抱きしめた。
少し戸惑いながらも、トミーは申し訳なさそうな目をして、弱々しく笑う。
「んー……完璧にじゃないけど。外には出られるようになったよ」
「良かった!」
姉は喜びのあまり、妹の手を取ってぐるぐると回り出す。
「お姉ちゃん目が回るよぉぉ」
「あはははっ、だってすごく嬉しいんだもん♪」
二人で笑い合いながら回り続け、やがて立ち止まった姉が、ふと思い出したように言う。
「あっ、じゃぁ今夜、お父さん達帰ってきたら家族でたくさん話しましょ!お父さん絶対に喜ぶわ!あぁ~早く帰ってこないかなぁ」

二人の両親は冒険者で、子供を持ってからもずっと旅を続けていた。
かつてはこのサンドリアに定住していたが、姉が成人したのをきっかけに、再び旅に出たのだった。
年に数回、帰ってくることはあっても―――家族全員で食卓を囲んだことは、今まで一度もない。

家族が揃うはずの食卓には、必ずトミーが欠けている。
実際トミーは、未だに父親と言葉を交わしたことがなかった。

彼女はエルヴァーン恐怖症で、幼い頃は窓の外すら見ることができなかった。
父親の姿を見ただけで泣き出してしまった少女が、今や一人で買い物に行けるようになった。
姉にとって、それは何よりも喜ばしいことだった。

最高の笑顔で姉が二階へ上がっていくのを、トミーはにこっと笑って見送る。
そしてキッチンに向き直り、料理の続きをしようと腕まくりをしたーーーその時。

ふと、手が止まる。

窓の外で、冒険者たちが礼と別れの言葉を交わしている。
夕暮れが、少しずつ夜へと姿を変えようとしていた。

腕をだらんと下ろし、トミーはゆっくりと振り返る。
傾いた陽に照らされていた光が消え、部屋の中はどこか寂しそうに沈んでいた。

…………。

十数年過ごしたこの家。
見慣れた家具。染みついた匂い。
そして、いくつもの思い出が、静かに空間を満たしている。


「それにしても、ここまでくるのに時間がかかったね」

そう言いながら、姉が軽快な足取りで二階から戻ってきた。
短く切った金髪をちょんっと結び、ウィンクひとつ。
そのままキッチンで手を洗いながら続ける。

「でも、これは大きな一歩よ」

トミーは姉に頷きを返し、照れくさそうに笑った。

自分でも、なぜエルヴァーンが怖いのか、理由はわからない。
嫌いというわけではない。けれど、昔からどうしても近づけなかった。
だからこそ、今日の一歩はトミーにとっても意味のあるものだった。

ちゃきちゃきと動く姉は布巾を水で濡らし、食卓を丁寧に拭き始める。
「トミーも、もうお年頃なんだから。ずっと家に閉じこもってちゃダメだよ」
「むー、別に好きで閉じこもってたわけじゃないもん」
ぷいっと口を尖らせながら食器を出すトミーに、姉は意地悪く笑みを返す。
むむっと睨み返したトミーは、ふとぽつりと呟いた。

「……でも、お友達は……欲しいなぁ~……」

その言葉に、姉の手が止まる。
布巾を持ったまま、じっと妹を見つめる。

トミーはどこかぼんやりとしながら、やたらと音を立てながら食器を並べていた。

いろんな感情が、胸の奥で渦を巻く。
けれど姉はそれを飲み込み、小さく息をついて口を開いた。

「……お父さん達、遅いね。まだかな」

布巾をぱしっとテーブルに置いて、じっと玄関の方を見つめる。
「そろそろ帰ってくるんじゃないかなぁ?」
トミーも手を止め、視線を玄関のドアに向ける。
「もう~、私が冒険者になるお祝いしようって言い出したの、あの二人なのに~」
不満気にそう言う姉は、足元でゆらゆらと長い尻尾を揺らした。

そう、今日は家族が集まる特別な日だった。

姉が長年貯めた資金で、ついに冒険者になる準備が整った。
その門出を祝うために、両親は旅から戻ると連絡をくれていた。

「ついに……お姉ちゃんも、冒険に出られるんだね……」
感慨深げにそう言って、トミーはにっこりと微笑んだ。

「おめでと」

「ありがとう」

そう答えながらも、姉の表情にはわずかな陰りが落ちる。
その変化に気づいたトミーは、すぐに背を向けて声を弾ませた。

「私は大丈夫だよ。ご近所と仲良くお茶したりして、楽しく過ごすから!なんなら、お姉ちゃんが働いてたところ紹介してくれたら、私も働こっかな~?」

ハニーブロンドの髪が、陽気に揺れる。 その軽やかな言葉に、姉はふと現実に引き戻される。

ここはサンドリア王国。
ヒュームもいるけれど、エルヴァーンも多い。
姉が働いていた商会にも、当然のようにエルヴァーンがいた。

「……私はまだ初心者。素人中の素人だもの、いきなり遠くまでは行けないよ。しばらくはこの家を拠点に冒険者やりますから、ご飯よろしくねー」
「なーにーそれー」
「あははははっ。………ねぇ…トミー、トミートミートミィ~」
名前を何度も連呼しながら近づいてくる姉。
こういう時は、たいていイタズラを企んでいる。
それが分かっているトミーは、『なになになに』と身構え、食器を避けた。
姉は可愛い妹の反応に笑みを浮かべながら、すっとトミーの前に立つ。

「私は、頑張ってお父さん達みたいな冒険者を目指すよ」
何もされずに見上げていると、姉の手が優しく頭を撫でてきた。
「だからトミーは、何でも『大丈夫』って言っちゃう癖を、直しな?」

にこっと笑いながらも、どこか寂しげなその笑顔。
その表情を見た瞬間、トミーの胸の奥が、ちくりと痛んだ。

「トミーの目標は、『無理』とか、『嫌だ』って言える人を見つけること、かなっ」
そう言って、姉は妹の頭をがしがしと撫で回した。
トミーは抵抗するでもなく、ただ作り笑いを浮かべるだけだった。

……無意識のうちに、どこかで遠慮してしまう。
そんな自分に、トミーはずっと前から気づいていた。

家族は皆、自分を大切に思ってくれている。
それでも、自分の心はいつも一歩引いてしまっていた。
迷惑をかけてはいけない。
そう思う声が、いつも心の奥でささやいている。

きっとそれは、自分だけでなく、家族も薄々気づいていたのだろう。


「た…だいまぁ~~」


そこで、久々に聞く母の声と共に、玄関のドアがゆっくりと開いた。
姉はぴくっと耳を立て、トミーと視線を交わすと、パッと笑って玄関へと駆けていった。
「おかえりなさい!お父さんは?」
「ライ、これ持って。お父さん?……あら?」
外に向かって『ねぇー!』と夫を呼ぶ母の声が響く。
玄関に背を向けたまま、トミーは出したばかりの食器をそっと握りしめ、唇を結んだ。

大丈夫、大丈夫。

心の中で、そう何度も繰り返しながら、トミーは食器を食卓に運んでいく。

そして、笑顔を浮かべて言った。

「おかえり!」

その声は確かに届いた。
家族のもとへ―――けれど、ほんの少しだけ距離を残して。



   *   *   *




「やだ!!!」


バストゥークの街。
賑やかなバザーの喧騒の中、その一言がトミーの口から飛び出した。

その言葉をぶつけられたダンは、呆れたような表情を少し険しくした。

「やだ、じゃねぇっつーの。お前一人でウィンダスまで行けるわけねぇだろ。お前、方角以前に右左分かってないんじゃないか?」
「失礼なっ!それくらい分かるよっ!」
「さっき茶碗がどうの箸がなんだって言ってただろが」
ダンが溜息まじりに目線を逸らす。
彼の脳裏には、先ほどパリスに茶化された時の一連のやりとりが蘇っていた。
それを察したトミーは、途端に顔を真っ赤にして、ダンを睨みつける。

「う、うるさいなぁ!とにかくっ、自分の力でミッションこなしたいのっ!」
『ほっといてよー!!』と言い放つトミーの声には、意地と拗ねが混ざっていた。
ぷいっと顔を背けて頬をふくらませるトミーに、ダンはやれやれと肩をすくめた。
「あーもー……メンドイ奴だなっ」

その一言に、ぴくっ、と反応するトミー。
そぉっとダンを盗み見た瞬間、ばっちり目が合った。

「……なんだよ」

眉間にしわを寄せたダンが、じろりとトミーを見下ろす。
トミーは何も言わず、むくれたまま彼を見返していたが……



「……ふーんだ、どうせ私はメンドイですよぉぉ」

くるっと踵を返して歩き出す。
するとすかさず、にこりともしないダンが追い打ち。

「あぁ、おまけに馬鹿だ」

「ムキーーーー!!!」

ぼかっとダンの胸をグーで叩いてトミーは駆け出した。
当然、そんなもの痛くも痒くもないダンは、面倒くさそうに再度溜息をつく。
これでまた道に迷ったらそれも面倒だ…とでも言うように、トミーを追って渋々歩き出すヒュームの戦士。
トミーは怒りのあまり頬をふくらませながら、『絶対止まってやるもんか!』と決意を胸に、バストゥークの街を勢いよく駆けていった。


――ふと、走りながら空を見上げる。

広くて、どこまでも高くて。
そして、とても、青かった。



<End>

あとがき

『トミーの家族』というより、『トミーの事情』、みたいな?
なんだこりゃぁぁぁ~コマさんごめんなさいー!!(⊃Д⊂)
リクありがとうございました!