嵐の後の耳鳴り

第三章 第七話
2006/02/08公開



レンタルハウスに入るなり、荷物のように放り投げられたパリスは、ベッドにしがみつくようにして膝をつき、ごつっと鈍い音を立てた。
『……あいたっ』と小さく声を漏らし、そのままベッド脇に座り込む。
そんな彼の背後では、ダンが深い溜め息と共にドアを閉めた。

「おかえりなさいクポー!」
主人が戻ったことをすぐに察知して奥からモーグリが飛んできた。
手には一通の封筒を掲げ、いつものようにご機嫌な様子だった。
だが、いつものように陽気な笑顔を見せることなく、無言で座り込む主人の様子に気づいた瞬間、その動きを止めた。

「……クポ?な、何かあったクポッ?!」

出てくるなり大声を出すモーグリに、ドアを背にしたダンは面倒臭そうに目を細めた。

あの後、パリスに回復魔法を浴びせまくった一行は、転移魔法デジョンによりジュノの町へと戻った。
デジョンはテレポとは違い、最後に女神に祈りを捧げたクリスタルの場所へ転移する魔法である。
転移先の石が必要なテレポとは異なり、事前にアイテムを用意する必要がない。

パリスの怪我は致命的ではなかったものの、かなりの出血があり、悠長にはしていられなかった。
怪我の治癒は成されたものの体へのダメージはそこそこ残り、自力で真っ直ぐ歩くのもままならない状態。
ダンの肩を借りて、ようやくレンタルハウスまで戻ってきたほどだ。
治療時に外したパリスの防具一式も、ダンがまとめて持たされていた。
彼はパリス本人と同じように、それらを荒々しく床へと投げ置いた。

「あー……何があったと思う?」

モーグリが勝手に騒ぎ出す前に、ダンは気だるげな声でそう尋ねる。
それを聞いたモーグリは、ぴたりと動きを止めて考え込み、やがて思いついたように手を打った。

「まさか、寂しさを紛らわしたくて手を出したら、返り討ちにあったクポ?!」

このパリスのレンタルハウスに辿り着くまでにも、パリスやダンの顔見知り何人かに声を掛けられた。
その度にダンは、何があったと思うかを相手に聞き、『それだ』と適当に答えてきた。
これまでにも『夜遊びしすぎて寝不足』とか、『昼間から飲みすぎて潰れた』など、いかにもそれらしい話が出ていたが、まさか最後にモーグリの口から、こんな生々しい推測が飛び出すとは思っていなかった。
ダンは一瞬言葉を詰まらせてから『…あぁ、それだそれだ』と受け流す。

パリスんとこのモーグリは、こういうキャラなのか……。

そう考えてふと、トミーのところの異常に臆病なモーグリのことも思い出し溜め息をつく。
モーグリ族という者達は外見にはほとんど個性がない割に中身は十人十色だ。

衝撃を受けているモーグリに退場を要請すると、モーグリはどこか哀れむような眼で主人を見、やがて決心したように頷く。
そしてダンに深々と頭を下げ、その場でクルリと回ってパッと姿を消した。

モーグリがいなくなると、ダンは腰の剣と腕の盾を外し、テーブルの上へと置いた。
そして周囲の人間達の間で『寝不足な上に飲み過ぎて女に手を出し返り討ちにあった』ことになっている男を振り返る。

パリスはいつの間にかベッドによじ登り、布団を膝までかけて、今まさに横になろうとしていた。

「おい待て」

当然、そこでダンは鋭い声でパリスの動きを制す。

「いい加減、説明しろ」

真正面からそう問いかけても、パリスは布団を握った手を見下ろしたまま、黙り込んでいる。

切断された指は、すぐに拾い集めて、くっつけられた。
手を離れた指は四本。
ロエが慎重に治癒を施したので、何の違和感も残さずに、今はあるべき場所にある。

その手に視線を落として口を結んだままのパリスに、ダンは一層険しい表情をした。
「パリス」
力の篭った声で呼びかける。するとやっと、下を向いていたパリスの目がダンを見上げた。

「…………」

「だから、目で何かを訴えるのはもうやめろ!これ以上俺に頼るな。言わないことは聞こえねぇんだよっ」

じっと上目遣いに見つめたままやはり何も言わないパリスに、ダンは苛立ちを露にする。
いつもはペラペラといらないことまでよく喋るパリスだが、あの出来事のあとからというもの、ずっとこの調子だ。

あのとき、パリスの怪我の深刻さを見て、ダンはロエに応急手当を優先するよう即座に指示を出した。
その間、現場にいたローディに何があったかを説明させようと思ったが、振り返った時には、すでに彼は転移魔法テレポを詠唱し終えた瞬間だった。
問いかける間もなく、魔法の煌めきに包まれて姿を消した。
『面白かったぞぃ☆』という言葉を残して。

すぐにでもあの変態をとっ掴まえに行きたいところだったが、とりあえずそれは後回しだ。
トミーの様子も窺いに向かい、彼女は特に大きな負傷もなく気を失っているだけなのだと分かった。
すぐにパリスの救助に戻り動揺しているロエを冷静にサポートした。
ダンとロエの二人がパリスの手当てに当たっている間、リオは呆然とその光景を見下ろして立ち尽くしていた。
一通りパリスの手当てが終えるとロエはすぐさまトミーのもとに向かった。
その頃になってやっとリオも足が動くようになったらしく、彼女に続いてトミーに駆け寄った。
トミーに大した怪我はないと分かっていたのでそちらはロエに任せることにし、ダンはすぐに拳を使った彼なりの方法でパリスの意識を引っ張り戻した。

そして当然、問いただしたのだ。
『何があったのか』と。

だがパリスは呆然としたまま、ロエ達によって上体を起こされたトミーを見て、目を見張った。
そして次に、ダンを見つめる――何かを訴えるような眼差しで。
まるで声を失ってしまったかのように、口を微かに動かしはするが言葉は発さず。
その眼差しにダンが眉を寄せていると、『何があったのよ!?』とトミーに尋ねるリオの声が耳に入る。
そこで一層パリスの瞳に焦りのようなものが浮かんだのを見て取り、ダンは何となくパリスが言わんとすることを察した。

確信などない。
ただの直観だ。
無論、ダンには何も分からない。

しかし、頭を擦りながらいつもの調子で必死に謝っているトミーの姿を肩越しに見て、ただ事ではなかったのはパリスだけなのかもしれぬと思った。
目で訴えるばかりで何も言わないパリスを一睨みすると、ダンはロエたちのところへ向かい、あまり騒がれないよう、適当に話を繕った。
ロエはすぐにこちらの気を察して口をつぐんでくれたが、あのうるさいネコを黙らせるのは本当に気骨が折れた。
適当に適当を重ねてリオとトミーを丸め込み、事情は後でパリスから聴こうと判断する。

戻ってくるまでの間は、トミーへの説教だけで充分潰れた。
いや、説教なんて生ぬるいものではない。
二、三日は立ち直れないくらいズタボロに言ってやった。
ロエがフォローに入る隙すら与えなかった。
後半、トミーは顔を上げることすらできなくなっていたが、そんなことに構ってやるつもりもなかった。
思い出しただけでも怒りに震える。
まだまだ言ってやりたいことは山ほどあるくらいだ。

申し訳ないが、今はロエにトミーのレンタルハウスで二人の面倒を任せている。
今頃は優しいロエに慰められ、リオからは追い討ちの言葉を浴びせられでもしているだろう。


「……いくら何でも、言い過ぎでしょ……あれは……」

思い出して苛立っていると、ようやくパリスが口を開いた。
だが、それはダンが聞きたかった内容ではなかった。

「もとは人助けしようとしてのことなんだから……」

その二言目で、ダンはパリスが何について言っているのか完全に理解した。
レンタルハウスに戻ってくるまでの間のことを言っているのだ。

手元をじっと見下ろし、虚ろな目をしたままそんなことを言うパリスに、ダンは顔をしかめる。

「何が人助けだ。あぁいう奴には、分かりやすくハッキリ言ってやらないと駄目なんだよっ」

そう吐き捨てるように言い、ダンはパリスに背を向け、椅子にどかりと腰を下ろした。

パーティ行動中の独断専行は、些細な事であっても命取りになりかねない。
仲間を置いていくなど、持っての外だ。
だからこそ、ダンがトミーに向けてぶつけた言葉は、間違ってはいない。
……ただ、手加減は一切していなかった。それも確かだった。

じっと何か言いた気な視線を横目に送ってくるパリスに、ダンの苛立ちはさらに募っていった。
「今はそんなことどうでもいいんだよ」
低く鋭い声で言い放つと、ダンは身を乗り出すように上体を前に倒し、膝の上に肘をついてパリスを見据えた。
「俺はあそこで何があったのかを、お前に聞いてる。お前があんなふうになるような相手が、あの場所にいたとは思えねぇ」
強い語調で問い詰めるダンを、パリスはじっと横目で見つめたまま、やっと開きかけた口を再び閉ざした。
ふい、と目をそらし、また自分の手元に視線を落として黙り込んでしまう。
その姿を見て、ダンは歯を食いしばった。

このパリスがここまでになるとは―――どういうことなのか。

それほどまでに、ショックの大きいことだったのだろうか?

もしダンの立場が他の誰かだったとしたら、こんなにも待ってはくれないだろう。
あの現場の惨状を見た者なら、当然その場で真相を問いただしているはずだ。
尋ねても何も答えず、時折独り言のように『ごめん』と零すだけでは、まったく話にならない。
冷静に物事を見極められるダンだからこそ、パリスの目の動き一つで事情を察し、あえて騒ぎにしないよう配慮してきたのだ。
パリスも、そのことはよく分かっているはずだ。
分かっているからこそ、甘んじているのかもしれない。

とことん甘えた態度にダンの怒りが爆発する寸前、パリスがぽつりと呟いた。

「……僕ぁ………死んだよ」

そのタイミングと、唐突な内容に、ダンは思わず鋭い声を返した。
「―――あぁ?」
パリスはぼんやりとした口調のまま、続ける。
「殺された、僕は。……確実に一回は」
「?……何言ってんだお前…」
「もし……ブリンクを唱えていなかったら……僕は、死んでた」
そう言うパリスの声は、顔の筋肉が引きつって上手く喋れないというような声だった。
不可解な彼の言葉に対し、ダンは上体を起こして腕を組んだ。
「分からねぇな……お前、死んだことなんて過去に何度もあるだろ」

獣人やモンスターによって命を落とした者は、アルタナの女神の奇跡で蘇ることができる。
それは何年も前からのヴァナ・ディールでの常識ではないかとでも言いた気な顔をするダン。

しかしパリスは、膝の上に置いた自分の手をそっと握りしめ、ゆっくりとダンを見た。 その目は、どこか皮肉げで、声もまたかすかに乾いていた。



「……相手が……人間じゃ、『死ぬ』でしょ」



   *   *   *



リオはテーブルに頬肘をついて深い溜め息をついた。
そして、テーブルの中央に置かれている皿に盛ってあるクッキーを鷲掴みにする。
ざりざりと音を立ててクッキーを掴み挙げて皿から手を引き戻すと、そぉっと広げて手の平の上にある数枚のクッキーの内一枚をパクリと口で咥え上げそのまま頬張る。
どうしようもない程の行儀の悪さだが、それを咎める者はこの場にはいないようだ。

このレンタルハウスに入った時はモーグリがいた。
しかし、チラチラと見てくるのがうざったくてキッと睨んだらピューッといなくなった。
今このテーブルの上に出されているお茶とクッキーはこの部屋の住人、トミーが出したもの。
当のトミーはテーブルの席にはついておらず、自分のベッドに腰掛けてじっと俯いていた。
ざくざくとクッキーを頬張りながら彼女から視線を平行移動させると、テーブルについてティーカップを見下ろしたまま動かないタルタルの魔道士がいる。
青い髪をティーカップのすぐ上まで垂らした状態で、彼女もトミー同様何も言わずに動かない。

…………何よこの空気……。

このレンタルハウスで落ち着いてからっとこの調子の二人を見比べて、リオは手の上に残った二枚のクッキーを一度に口に押し込んだ。
皆で合流した時、リオの頭の中にはトミーに浴びせる罵声が溢れ返っていた。
しかし戻ってくるまでの道中はダンの独擅場で、割り込む隙がなくリオの出番はなかった。
それに、あまりにもダンがピンからキリまで言うものだから。
後半にはもう自分が言う必要もなくなってきてしまった。
それどころか、不覚にも彼の言葉に少々感心までしてしまった。
否、彼を認めたわけではない。
今でもあの男のことは大が付くほど嫌いである。
だが少し、ほんの少しだけ彼に対する所見に変化が起こったように感じる。

――――ともかくだ。

レンタルハウスに戻ってきた頃にはリオのはち切れんばかりの怒りは勢いを失い、今ではあのクフィム島での出来事はどうでも良くなっていた。
また何か言ってやりたい気になるかもしれないのでこの場に居座っているのだが、この場が今こんな状況である。
沈黙の空間でクッキーを頬張っていることにもそろそろ飽きてきた。
トミーがあまりにも凹み過ぎて言葉が出ないのは分からなくはないが、何故こっちのタルタル魔道士までもがこんな調子なのか分からない。
そこでふと、負傷してヨレヨレになっていたエルヴァーンのことを思い出す。
様子を見物しに行ってみようか……と思ったが、面倒だと思いすぐに止めた。

「あたし、帰る」

そう言ってティーカップにある残りの紅茶を飲み干そうとしたが、ティーカップの中はすでに空だった。
むっとすると、横にあったトミーのティーカップに手を伸ばし冷めた紅茶を一気に飲み干す。
『ぷはー』と息をつきながら椅子から腰を上げると、俯いて黙っていた二人が同時に顔を上げた。
「あ……はい。今日は本当にすみませんでした。ごめんなさい……」
表情の乏しい顔で、寝言のような弱々しい声でトミーが言った。
リオはちっとも面白くないこの状況にフンッと鼻を鳴らすと、『知らないわよ』と冷たく言ってドアに向かった。


リオが部屋から出て行くと、力のない別れの言葉で彼女を見送った二人はそのまま動かなかった。
呆然とドアを見つめたままで、一つずつ溜め息をつく。
しかしトミーはリオの退室により、お客をずっとほったらかしにしてしまっていることに気がついた。
背筋を伸ばしてロエを見ると『あ』と声を漏らして腰を上げる。
「ロ、ロエさんも、ごめんなさいずっと私ぼーっとしちゃって。どうぞ?クッキー食べてくださいね。合成じゃなくて手作りしちゃったズルクッキーですけど……」
「あ、はい。いただきます」
気まずそうな小さな笑みを浮かべて言うトミーに対し、ロエは慌てて皿のクッキーへと視線を向ける。
トミーが立ち上がり、リオが飲み干していった二つのティーカップを手に取りながら『冷めちゃいましたよね、新しいの入れましょうか?』と言うが、ロエはお構いなくと答えて小さな手でティーカップを持ち口元に運んだ。
そうしてにこと笑うロエに申し訳なさそうな顔をすると、トミーはキッチンにカップを下げに行く。
トミーの後ろ姿を見送るロエ。
ティーカップを置くとしばしそれを見下ろし、それから一生懸命手を伸ばして皿の上にあるクッキーを一枚手に取った。
戻ってきたトミーにクッキーの感想とお礼を言わなければ。

そう思ったのだが、トミーはキッチンに引っ込んですぐに戻ってきた。
真っ直ぐテーブルに向かって歩いてきたトミーに疑問の視線を向けると、彼女はすぐ近くまで戻ってくる前に足を止めてじっとロエを見つめた。

「すみませんでした」

トミーはそう言うと改めて深々と頭を下げた。
いきなりのことでロエはぽかんと口を開けたまま硬直してしまう。

自分の足元を見つめて口を引き結んでいるトミーの頭の中には、先程からずっとダンの言葉が響き続けていた。

『お前は全然分かってない』から『冒険者なんかやめちまえ』まで言われた。
ショックと言えばショックだが、彼が言ったことはすべて間違ってはいない。
それにあそこまで徹底的に叱られたことで救われた部分もあったように思う。
人が言う分も、自分を責める分も、全部ダンが言ってくれたようなものだ。
少し気を緩めれば涙が出てしまいそうだが、泣けばいいというものではない。
それに、泣いてしまったらまたロエを困らせてしまうことになる。
泣いたら駄目だ。
トミーはぐっと堪えて顔を上げた。
「リオさん置き去りにしちゃうし……みんなに心配掛けて……パリスさんには怪我させちゃいましたし…」

トミーやリオには、パリスの怪我は巨人との戦闘によって負ったものとなっている。
二人はデルクフ内のことを知らないので、パリスでも苦戦する相手なのだと言えばすんなりと信じた。
また、トミーはパリスがどの程度の怪我を負ったかは知らされていない。
一人でまともに歩けないことに関しては足を捻挫したということになっている。
捻挫など回復魔法で簡単に治るのだが、『切り傷以外は治り難い』と言っただけで信用された。

「本当にごめんなさい……」
再度謝ると、自分の足元からそろっとロエへ視線を移した。
ロエはクッキーを手にしたままトミーの顔をじっと見上げており、トミーはハッとする。
そんなに泣きそうな顔をしてしまっているだろうか?
「あ、わた、私は大丈夫です。あんな風に怒られましたけど、ダンにも心配かけちゃいましたし……。ダンの言ったこと、重く受止めなきゃ、私…」
少し視線を落としてそこまで言うと、目頭が熱くなってきたのを感じてトミーは慌てて笑みを作った。
もう少し頑張ろう!と気を引き締めてロエを見る―――――と。

「……え?」

ロエのつぶらな瞳から、静かに大粒の涙が零れていた。

仰天したトミーは一瞬言葉を失ってから、『ロエさん!?』と驚きの声を上げて彼女に駆け寄る。
ロエは絶望したような顔で涙を流したまま、手に持ったクッキーに視線を落とす。
「どうしたんですかロエさん!?ごめんなさいっ、私!」
「違……違うんです……っ」
屈んでロエと目の高さを同じにして必死に謝るトミーに、泣き声でロエが答えた。
いきなり泣き出したロエにパニックを起したトミーはどうしたらいいのか分からずおろおろとするばかり。
彼女がこんな、子どもの様な声を漏らして泣く姿は初めてであり、それもいきなりである。
涙を懸命に拭きながらも泣き続けるロエの肩に手を置くと、トミーは少し待ってからもう一度『どうしたんですか?』と尋ねる。
するとロエは俯いたまま、泣き声の中から答えた。

「私……っ………私………」

小さな背中を摩りながら、トミーは心配そうに首を傾げて言葉の続きを待つ。


「ダンさんに……嫌われてしまったかもしれません……!」


トミーがその言葉を理解するまでには、かなり時間がかかった。



   *   *   *



「…………………」

「…………………」

「…………………」

「…………………」

「…………あは?」

「『あは』じゃねぇよ」


一通り、パリスが事情を語り終えるとそのまま二人とも黙り込んでしまい、長い長いその沈黙が、今ようやく破られた。
徐々に投げやりな雰囲気を帯びながら、それでも微笑を浮かべようとするパリスをじっと見つめて、ダンは椅子からゆっくりと腰を上げる。
「……なぁ。話を聞けば聞くほど、俺の中の疑問が増えるばかりなんだが……分かるか?」
低く詰め寄るようなその言葉に、パリスは肩をすくめて答える。
「お気持ちはお察ししますが……生憎、僕もおんなじでね」
その表情は、どこか苦笑を含んだ皮肉めいたものだった。

彼が動揺するのも無理はない。
何しろ、絡んでいる人物が人物だ。

冷静に分析しようとしているらしいが、ダンの視線は落ち着きなく宙を彷徨っている。
「だから、あの時……お前、あんな目をしたのか」
合流した直後、パリスが見せたあの眼差し―――それについて、ようやく納得したようにダンが呟く。
「君の洞察力には感謝してるよ」
パリスは少し呆れたようにそう言った。
何が起きたのかトミーは知らないというダンの読みは、見事に的中していた。

「何者なんでしょうねぇ、あの人…。……トミーちゃんの追っかけにしては、ずいぶんと殺気立ってましたが」
パリスはそんなことを言いながら苦笑する。
ダンに話したことで、少し気持ちの整理がついたのだろう。
戻ってきたばかりの頃に比べると、その様子はだいぶ普段の調子に戻ってきているように見えた。

「その男、あいつの名前を知りたがったんだな?」

確認するように問うダンに、パリスは静かに頷いた。
ダンは険しい表情をしたまま足元を睨みつけ、思考を巡らせるように部屋の中をふらつきながら歩き回っている。
じっと観察していると、ダンがまるで何かを悔やむように小さく舌打ちしたのが分かる。

それを見た瞬間、パリスの胸の奥に―――ちくりとした痛みが走った。


「………僕ぁ、感心したんだよ?リオさんのところにすぐ引き返した君に」

「―――あ?」

スローペースで語るパリスに、ダンは少し荒い声で反応し、鋭い視線を向けてきた。

今言った通り、パリスはあの時、さすがだと思ったのだ。
混乱する状況の中で、トミーを任せ、自分はすぐにリオの元へ戻ったダン。
どんな状況にあっても、『自分がリーダーである』という責任を忘れないその姿に。
あの時の彼がどんな思いをしたのか、分かり得ないが想像することはできる。
ジャグナーでの件がまだ記憶に新しいにも関わらず、彼は責任ある判断を下した。

しかしその後に、またアノ事態だ。
何と言うか―――少し気の毒にさえ思えてしまうのだった。

「だから君は、自分を責めないで」
「違う。そんなんじゃねぇよ」
「じゃあ、何でそんな悔しそうな顔してるのさ?」
間髪を入れずに勢いで言うと、室内をさ迷うダンの足が止まった。

「…ずいぶんと元気になったじゃねぇか。さっきみたいに大人しい方が、よっぽど静かで良かったぜ」

紛れもない嫌味が返された。

パリスは慰めのつもりが、結果的に彼を責めるような言い方になっていたことに気がつき、ぐっと口を結ぶ。

―――今の彼に何を言っても、きっと良い効果は生まれない。

けれどそれでも、言葉は喉元までせり上がってくる。
なぜか、自分でもよくわかっている。

人を慰めるのが、自分が慰めてほしい時に最も心が救われる方法だからだ。

「……おかげ様で、やっと落ち着いてきたもんでね」
パリスは、どこか自嘲気味な笑みを浮かべながらそう返す。
その顔には、まだ微かに苦しさが滲んでいた。
「ね、誰もあんなとこで、あんな怖い人が襲ってくるなんて思ってなかったさ」
「……うるさい」
「とりあえず、良かったじゃない。結局みんな無事だったわけだしさ~」
「やめろって、違うんだよ!」

尚も慰めの言葉を並べるパリスに対し、ダンは語気を荒らげてそう叫んだ。
そのまま、背を向ける。

「俺は―――」

何かを呟こうとして、すぐに口をつぐんだダンを、パリスはじっと見つめた。
だが彼はそれに応えず、壁に拳を叩きつける。
そして、その拳に額を押し当てた。

『―――あいつが狙いだとは、思わなかったんだ』

続けるはずだった言葉は、喉の奥で潰された。

「……ダン?」
呼びかけるパリスの声にかぶせるように、ダンが口を開く。
「その男はあいつの名前を聞いてきたんだな?」
パリスは一瞬、言葉に詰まりながらも、先ほど交わしたやり取りをもう一度繰り返すように、静かに頷いた。
その返事を聞くと、何かを振り切るようにダンが勢いよく振り返る。
「他には、何か言ってなかったか」
そう言って歩み寄ってくるダンに、パリスはなぜか少しだけ慌てた様子で、首を横に振る。
ダンの眼差しに見つめられ、彼の思考がすでに動き始めていると気付く。
パリスがその早さについていけていない内に、ダンは何かを決心したように小さく頷く。
そして無言でテーブルへ向かい、そこに置かれていた剣と盾を再び装備し始めた。

「…また、何か思い出したら話せ。今日のところは大人しく休んでろ」

装備を整えながら、ダンはそれだけ言い残す。
パリスは眉をひそめ、不安げな声で尋ねる。
「何処へ……?」
「とりあえず、大使館に報告しておく。詳しいことは後日、お前の口から話せ」
そう言ってから、ダンはわずかに間を置き、付け加える。
「それと、もう一人。事情を聞かなきゃならねぇ男がいる」

さらに、部屋を出る直前、リンクシェルを取り出したダンは、ふと思い出したように振り返る。
「それから……トミーには慰めも励ましも言うなよ」
そう言い残したその口調には、まるで親が子に言い聞かせるような厳しさがあった。
「しばらくは放っておけ。しっかり反省させろ」

言っている内容はさておき―――その背中には、頼もしさが宿っていた。

パリスはただ呆然と、その後ろ姿を見送っていた。
すると、ドアノブに手をかけたダンが、不意に振り返る。
パリスはぽかんとした表情のまま、その顔を見つめた。

「とにかく、その場にお前がいてくれて助かった。礼を言う」

そう一言だけ告げると、ガチャリとノブをひねってドアを開ける。
「いや……お礼を言われる謂れはないよ」
咄嗟に返した言葉は、どこか妙な言い回しになってしまった。
それが自分でもおかしくて、パリスは小さく苦笑する。
ダンはそんな彼をちらりと見て、何も言わずに外へ出ていった。
そして、静かにドアが閉まる音だけが残った。


しんと静まり返った部屋。
ぽつんと一人取り残されたパリスは、しばらくの間、黙って閉じられたドアを見つめていた。


やがて、ふと思い立ったように視線を落とす。
膝の上に置かれた、自分の両手。
無事だった手も負傷した手も違いがない程、今は元通り。

パリスはそのまま、ゆっくりと身体を前に倒す。
前髪を掬うようにして両手で頭を抱え、顔を覆った。

そして、微かに震えのある溜め息を一つ。


「……ホント……サイテーだよね……」


静かな部屋に、彼のその低い呟きが零れ落ちた。



<To be continued>

あとがき

第七話で全部説明済ませちゃいたかったんですけど無理でした。
ですのでもう一人、軟体美形(?)への事情聴取は次回に持ち越しです。
色々と妙な展開になってきて……るんでしょうか?(´□`;)←ぇ