嵐の後の耳鳴り
2006/02/08公開
レンタルハウスに入るなり荷物のように投げ捨てられたパリスは、ベッドにしがみ付くようにしてごつっという音を立てて膝をついた。
『あいた…っ』と小さな悲鳴を漏らしてベッド脇にそのまま座り込む。
そんな彼の背後では、ダンが深い溜め息と共にドアを閉めた。
「おかえりなさいクポー!」
――――と、主人が戻ったことをすぐに察知して奥からモーグリが飛んできた。
片手に一通の封筒を掲げながら上機嫌に現れたモーグリだったが、いつもの呑気な笑みを向けてこないまま力なく座り込んでいる主人の様子にはたと動きを止める。
「……クポ?何かあったクポッ?」
出てくるなり大声を出すモーグリに、ドアを背にしたダンは面倒臭そうに目を細めた。
あの後パリスに回復魔法を浴びせまくった一行は、転移魔法デジョンによりジュノの町へと戻った。
デジョンはテレポとは違い、最後に女神に祈りを捧げたクリスタルの場所へ転移する魔法である。
テレポのように転移先の石を持っていなければ飛べないというものではない。
パリスの怪我は小規模ではあったが、大量の血を失ったので呑気に対応してはいられないものだった。
怪我の治癒は成されたものの体へのダメージはそこそこ残り、真っ直ぐ歩くことができない状態だったのでダンの肩を借りてレンタルハウスまで戻ったくらいである。
治癒する際に外したパリスの防具類も持たされていたダンは、パリス本体と同様に荒々しくその荷物を床へと置く。
「あー………何があったと思う?」
モーグリが勝手に騒ぎ出す前に、ダンは気だるげな声でそう尋ねる。
するとモーグリははたと動きを止めて思案顔になると、すぐさま閃いたように手を叩いた。
「まさか、寂しさを紛らわしたくて手を出したら返り討ちにあったクポ?!」
このパリスのレンタルハウスに辿り着くまでにも、パリスやダンの顔見知り何人かに声を掛けられた。
その度にダンは、何があったと思うかを相手に聞き、「それだ」と適当に答えてきた。
これまで『夜遊びし過ぎて寝不足』だとか『昼間から飲み過ぎて潰れた』だとかいう話が出たが、最後にモーグリの口からこんな生々しい話が出てくるとは思わなかったダンは一瞬言葉を詰まらせてから『…あぁそれだそれだ』と答えた。
――――――パリスんとこのモーグリはこういうキャラなのか……。
そう考えてふと、トミーのところの異常に臆病なモーグリのことも思い出し溜め息をつく。
モーグリ族という者達は外見にはほとんど個性がない割に中身は十人十色だ。
衝撃を受けているモーグリに退場を要請すると、モーグリはどこか哀れむような眼で主人を見、やがて決心したように頷く。
そしてダンに深々と頭を下げ、その場でクルリと回ってパッと姿を消した。
モーグリがいなくなると、ダンは腰に下げた剣と腕に備えた盾を取り外してテーブルの上に置く。
そして周囲の人間達の間で『寝不足な上に飲み過ぎて女に手を出し返り討ちにあった』ことになっている男を振り返る。
パリスはいつの間にかノソノソとベッドによじ登って布団に膝まで入り、さあ横になろうというところであった。
「おい待て」
当然、そこでダンは鋭い声でパリスの動きを制す。
「いい加減説明しろ」
ダンは面と向かってそう催促したが、パリスは膝まで掛けた布団を掴んでいる自分の手を見下ろして黙っている。
すぐに拾い集めてくっ付けたので、切断された指は元の場所に戻っていた。
手を離れた指は四本。
ロエが慎重に治癒を施したので、何の違和感も残さずに、今はあるべき場所にある。
その手に視線を落として口を結んだままのパリスに、ダンは一層険しい表情をした。
「パリス」
力の篭った声で呼びかけると、そこでやっと、下を向いていたパリスの目がダンを見上げた。
「…………」
「だから、目で何かを訴えるのはもうやめろ!これ以上俺に頼るな、言わないことは聞こえねぇんだよっ」
じっと上目遣いに見つめたままやはり何も言わないパリスに、ダンは苛立ちを露にする。
いつもはペラペラといらないことまでよく喋るパリスだが、あれからずっとこの調子なのであった。
あの時、ダンは見るからに急を要するパリスの手当てを優先するようロエに指示した。
そして帰ったはずであったのに何故か現場にいたローディに状況を説明させようと思ったが、ダンが振り返ると彼は丁度転移魔法テレポを詠唱し終わった瞬間であり、こちらが問いを口にする前に魔法の煌めきに包まれて姿を消した。
『面白かったぞぃ☆』という言葉を残して。
すぐにでもあの変態をとっ掴まえに行きたいところだったが、とりあえずそれは後回しだ。
トミーの様子も窺いに向かい、彼女は特に大きな負傷もなく気を失っているだけなのだと分かった。
すぐにパリスの救助に戻り動揺しているロエを冷静にサポートした。
ダンとロエの二人がパリスの手当てに当たっている間、リオは呆然とその光景を見下ろして立ち尽くしていた。
一通りパリスの手当てが終えるとロエはすぐさまトミーの元に向かい、その頃になってやっとリオも足が動くようになったらしく、彼女に続いてトミーに駆け寄った。
トミーに大した怪我はないと分かっていたので、そちらはロエに任せることにし、ダンはすぐに拳を使った彼なりの方法でパリスの意識を引っ張り戻した。
そして当然尋ねた、『何があったのか』と。
だがパリスは呆然とするだけで、ロエ達によって起こされ上体を上げるトミーを見ると目を見張った。
そしてダンを見つめるのだ、何かを訴える目で。
まるで声を失ってしまったかのように口を微かに動かしはするが言葉は発さず。
その眼差しにダンが眉を寄せていると『何があったのよ!?』とトミーに尋ねるリオの声が耳に入る。
そこで一層パリスの瞳に焦りのようなものが浮かんだのを見て取り、ダンは何となくパリスが言わんとすることを察した。
確信などない、何となく、である。
無論ダンには何も分からない。
しかし頭を擦りながらいつもの調子で必死に謝っているトミーの姿を肩越しに見て、ただ事ではなかったのはパリスだけなのかもしれぬと思った。
ダンは目だけで訴えてくる何も言わないパリスを睨んでからトミーらの元に行き、ロエやリオがあまり騒ぎ立てぬよう適当に取り繕った。
ロエはすぐにこちらの気を察して口をつぐんでくれたが、あのうるさい猫を黙らせるのは本当に気骨が折れた。
適当に適当を重ねてリオとトミーを丸め込み、事情は後でパリスから聴こうと判断した。
戻ってくるまでの間はトミーへの説教だけで充分潰れた。
説教なんてものではない。二、三日は立ち直れないくらいズタボロに言ってやった。
ロエがフォローに入る隙も与えずに、である。
後半トミーは顔を上げることすらできなくなっていたがそんなことに構いはしなかった。
思い出しただけでも怒りに震える。まだまだ、言ってやりたいことはあるくらいだ。
ロエには申し訳ないが、今はトミーのレンタルハウスで二人の面倒を見てもらっている。
今頃は優しいロエに慰められ、リオからは追い討ちの言葉を浴びせられでもしているだろう。
「………いくら何でも言い過ぎでしょ……あれは……」
――――と、思い出して苛立ちながらパリスの言葉を待っていると、やっとパリスが口を開いた。
しかしその内容はダンが求めていたものではなさそうだ。
「元は人助けしようとしてのことなんだから……」
その二言目でパリスが何について言っているのか完全に理解した。
レンタルハウスに戻ってくるまでの間のことを言っているのだ。
手元をじっと見下ろしてどこか虚ろな目をしたままそんなことを言うパリスに、ダンは顔をしかめる。
「何が人助けだ。あぁいう奴には分かりやすくハッキリ言ってやらないと駄目なんだよっ」
吐き捨てるように言うと、ダンはパリスに背を向け椅子に腰掛けた。
パーティ行動中の勝手は様々な危険へと繋がる、仲間を置いていくなど持っての外である。
よってダンがトミーに対して言ったことは間違ってはいない。
ただ、手加減無しのバッシングであったのも確かである。
じっと何か言いた気な視線を横目に送ってくるパリスにダンは苛立った。
「今はそんなことどうでもいいんだよ。俺はあそこで何があったのかをお前に聞いてる。あの場所にお前があぁまでなるような相手がいるとは思えねぇ」
そう言いながら問い詰めるように上体を前に倒し、自分の膝の上に肘をついた。
そんなダンを横目にじっと見つめて、パリスはやっと言葉を発し始めた口を再び結んでしまう。
ふいっとまた自分の手元に視線を落として黙ってしまうパリスを見てダンは歯噛みした。
このパリスがこうまでなるというのはどういうことなのか。
それほどまでにショックの大きいことだったのだろうか?
もしダンの立場の人間が他の誰かだったとしたら、こんなにも待ってはくれないだろう。
あんな様を目の当たりにしたら誰だってその場で事情を聞きたいものだ。
尋ねても何も答えず、時折独り言のように『ごめん』と零すだけではまったく話にならない。
冷静にものを見ることができるダンだからこそ、視線一つでここまで読み取り、騒ぎにせぬよう配慮までしてもらえたのだ。
パリスはそのことを重々分かっているはず。分かっているからこそ、甘んじているのかもしれない。
とことん甘えた態度にダンの怒りが爆発する寸前、パリスがぽつりと呟いた。
「……僕ぁ………死んだよ」
そのタイミングと内容にダンは『あぁ?』と凄みのある声で聞き返す。
ぼんやりとした口振りのパリスはその調子のまま言葉を続けた。
「殺された、僕は、確実に一回は」
「?……何言ってんだお前…」
「もしブリンクを唱えていなかったら、僕は死んでた」
そう言うパリスの声は、顔の筋肉が引きつって上手く喋れないというような声だった。
不可解な彼の言葉に対し、ダンは上体を起こして溜め息をつきながら腕を組んだ。
「分からねぇな………死んだことなんて過去に何度もあるだろ」
獣人やモンスターによって命を落とした者は、アルタナの女神の奇跡で蘇ることができる。
それは何年も前からのヴァナ・ディールでの常識ではないかとでも言いた気な顔をするダン。
しかしパリスは膝の上に置いた自分の手を握ってゆっくりとダンを見、何かを皮肉るような顔と声でこう言った。
「……………相手が………人間じゃ『死ぬ』でしょ」
* * *
リオはテーブルに頬肘をついて深い溜め息をつくと、その大きくはないテーブルの中央に置かれている皿に盛ってあるクッキーを鷲掴みにした。
ざりざりと音を立ててクッキーを掴み挙げて皿から手を引き戻すと、そぉっと広げて手の平の上にある数枚のクッキーの内一枚をパクリと口で咥え上げそのまま頬張る。
どうしようもない程の行儀の悪さだが、それを咎める者はこの場にはいないようだ。
このレンタルハウスに入った時はモーグリがいたのだが、チラチラと見てくるのがうざったくてキッと睨んだらピューッといなくなった。
今このテーブルの上に出されているお茶とクッキーはこの部屋の住人、トミーが出したものである。
そのトミーはテーブルの席にはついておらず、自分のベッドに腰掛けてじっと俯いていた。
ざくざくとクッキーを頬張りながら彼女から視線を平行移動させると、テーブルについてティーカップを見下ろしたまま動かないタルタルの魔道士がいる。
青い髪をティーカップのすぐ上まで垂らした状態で、彼女もトミー同様何も言わずに動かない。
…………何よこの空気……。
このレンタルハウスで落ち着いてからずっとこの調子の二人を見比べて、リオは手の上に残った二枚のクッキーを一度に口に押し込んだ。
皆で合流した時、リオの頭の中にはトミーに浴びせる罵声が溢れ返っていた。
しかし戻ってくるまでの道中はダンの独擅場で、割り込む隙がなくリオの出番はなかった。
それにあまりにもダンがピンからキリまで言うものだから、後半にはもう自分が言う必要もなくなってきてしまった。
それどころか、不覚にも彼の言葉に少々感心までしてしまった。
否、彼を認めたわけではない。今でもあの男のことは大が付くほど嫌いである。
だが少し、ほんの少しだけダンに対する所見に変化が起こったように感じる。
――――――――ともかくだ。
レンタルハウスに戻ってきた頃にはリオのはち切れんばかりの怒りは勢いを失い、今ではあのクフィム島での出来事はどうでも良くなっていた。
また何か言ってやりたい気になるかもしれないのでこの場に居座っているのだが、この場が今こんな状況である。
沈黙の空間でクッキーを頬張っていることにもそろそろ飽きてきた。
トミーがあまりにも凹み過ぎて言葉が出ないのは分からなくはないが、何故こっちのタルタル魔道士までもがこんな調子なのか分からない。
そこでふと、負傷してヨレヨレになっていたエルヴァーンのことを思い出す。
様子を見物しにいってみようか、と思ったが面倒だと思いすぐに止めた。
「あたし、帰る」
そう言ってティーカップにある残りの紅茶を飲み干そうとしたが、ティーカップの中はすでに空だった。
むっとすると横にあったトミーのティーカップに手を伸ばし冷めた紅茶を一気に飲み干す。
『ぷはー』と息をつきながら椅子から腰を上げると、俯いて黙っていた二人が同時に顔を上げた。
「あ……はい。今日は本当にすみませんでした、ごめんなさい……」
表情の乏しい顔で、寝言のような弱々しい声でトミーが言った。
リオはちっとも面白くないこの状況にフンッと鼻を鳴らすと、『知らないわよ』と冷たく言ってドアに向かった。
リオが部屋から出て行くと、力のない別れの言葉で彼女を見送った二人はそのまま動かなかった。
呆然とドアを見つめたままで、一つずつ溜め息をつく。
しかしトミーはリオの退室によりお客をずっとほったらかしにしてしまっていることに気がつき、背筋を伸ばしてロエを見ると『あ』と声を漏らして腰を上げた。
「ロ、ロエさんも、ごめんなさいずっと私ぼーっとしちゃって。どうぞ?クッキー食べてくださいね。合成じゃなくて手作りしちゃったズルクッキーですけど……」
「あ、はい、いただきます」
気まずそうな小さな笑みを浮かべて言うトミーに対し、ロエは少し慌てて皿のクッキーへと視線を向ける。
トミーが立ち上がり、リオが飲み干していった二つのティーカップを手に取りながら『冷めちゃいましたよね、新しいの入れましょうか?』と言うが、ロエはお構いなくと答えて小さな手でティーカップを持ち口元に運んだ。
そうしてにこと笑うロエに申し訳なさそうな顔をすると、トミーはキッチンにカップを下げに行く。
トミーの後ろ姿を見送ったロエはティーカップを置くとしばしそれを見下ろし、それから一生懸命手を伸ばして皿の上にあるクッキーを一枚手に取った。
戻ってきたトミーにクッキーの感想とお礼を言わなければ。
と思ったのだが、トミーはキッチンに引っ込んですぐに戻ってきた。
真っ直ぐテーブルに向かって歩いてきたトミーに疑問の視線を向けると、彼女はすぐ近くまで戻ってくる前に足を止めてじっとロエを見つめた。
「すみませんでした」
トミーはそう言うと改めて深々と頭を下げた。
いきなりのことでロエはぽかんと口を開けたまま硬直してしまう。
自分の足元を見つめて口を引き結んでいるトミーの頭の中には、先程からずっとダンの言葉が響き続けていた。
『お前は全然分かってない』から『冒険者なんかやめちまえ』まで言われた。
ショックと言えばショックだが、彼が言ったことはすべて間違ってはいない。
それにあそこまで徹底的に叱られたことで救われた部分もあったように思う。
人が言う分も、自分を責める分も、全部ダンが言ってくれたようなものだ。
少し気を緩めれば涙が出てしまいそうだが、泣けばいいというものではない。
それに、泣いてしまったらまたロエを困らせてしまうことになる。
泣いたら駄目だ、とトミーはぐっと堪えて顔を上げた。
「リオさん置き去りにしちゃうし……みんなに心配掛けて……パリスさんには怪我させちゃいましたし…」
トミーやリオには、パリスの怪我は巨人との戦闘によって負ったものとなっている。
二人はデルクフ内のことを知らないので、パリスでも苦戦する相手なのだと言えばすんなりと信じた。
また、トミーはパリスがどの程度の怪我を負ったかは知らされていない。
一人でまともに歩けないことに関しては足を捻挫したということになっている。
捻挫など回復魔法で簡単に治るのだが、『切り傷以外は治り難い』と言っただけで信用された。
「本当にごめんなさい……」
再度謝ると、自分の足元からそろっとロエへ視線を移した。
ロエはクッキーを手にしたままトミーの顔をじっと見上げており、その様子にトミーはハッとする。
そんなに泣きそうな顔をしてしまっているだろうか?
「あ、わた、私は大丈夫です。あんな風に怒られましたけど……ダンにも心配かけちゃいましたし……ダンの言ったこと、重く受止めなきゃ私……」
少し視線を落としてそこまで言うと、目頭が熱くなってきたのを感じてトミーは慌てて笑みを作った。
もう少し頑張ろう!と気を引き締めてロエを見る―――――と。
「………え?」
ロエのつぶらな瞳から、静かに大粒の涙が零れていた。
仰天したトミーは一瞬言葉を失ってから、『ロエさん!?』と驚きの声を上げて彼女に駆け寄る。
ロエは絶望したような顔で涙を流したまま、手に持ったクッキーに視線を落とす。
「どうしたんですかロエさん!?ごめんなさいっ、私!」
「違……違うんです……っ」
屈んでロエと目の高さを同じにして必死に謝るトミーに、泣き声でロエが答えた。
いきなり泣き出したロエにパニックを起したトミーはどうしたらいいのか分からずおろおろとするばかり。
ロエがこんな、子どもの様な声を漏らして泣く姿は初めてであり、それもいきなりである。
涙を懸命に拭きながらも泣き続けるロエの肩に手を置くと、トミーは少し待ってからもう一度『どうしたんですか?』と尋ねる。
するとロエは俯いたまま、泣き声の中から答えた。
「私……っ………私………」
小さな背中を摩りながら、トミーは心配そうに首を傾げて言葉の続きを待つ。
「ダンさんに……嫌われてしまったかもしれません……!」
トミーがその言葉を理解するまでにはかなり時間がかかった。
* * *
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………あは?」
「『あは』じゃねぇよ」
一通り事情を説明してそのまま二人とも黙り込んでしまい、その長い長い沈黙が今こうして終わった。
微笑を浮かべて徐々に投げやりな雰囲気になってきたパリスを凝視してダンは椅子から腰を上げる。
「……なぁ、話を聞いていく内に俺の中の疑問が増える一方なんだが………分かるか?」
「お気持ちはお察ししますが、生憎僕もおんなじでね」
少なからず動揺した様子を見せるダンに対して、パリスはそう肩をすくめて見せた。
彼が動揺するのも無理はない、絡んでいる人物が人物である。
ダンは冷静に分析しようと試みているようだが視線に落ち着きはなかった。
「だからあの時、お前あんな目をしたのか」
合流した時のパリスの眼差しについて納得したようにダンが言うと、『君の理解力には感謝してるよ』とパリスは少し呆れたような声で言った。
何が起きたのかトミーは知らないというダンの読みは外れていなかった。
「何者なんでしょうねぇあの人………トミーちゃんの追っかけにしては相当殺気立ってましたが」
パリスはそんなことを言いながら苦笑する。
事情をダンに話したことである程度自分の中で整理がついたのか、戻ってきたばかりの時に比べるとパリスは大分普段の調子に戻っていた。
「その男、あいつの名前を知りたがったんだな?」
確認するように尋ねるダンにパリスはゆっくりと頷いてみせる。
パリスが見ると、ダンは思考を巡らせている険しい表情で足元を睨んだままフラフラと歩き回っていた。
じっと観察していると、ダンがまるで何かを悔やむように小さく舌打ちしたのが分かる。
パリスの胸元が微かに、ちくりと痛んだ。
「………僕ぁ……感心したんだよ?リオさんのところにすぐ引き返した君に」
「あ?」
スローペースなパリスの言葉にダンが荒っぽい声と共に鋭い視線を向けてくる。
今言った通り、パリスはあの時さすがだと思ったのだ、トミーを任せて自分はリオの元に向かった彼を。
いかなる状況であれ、自分がリーダーであることの責任を忘れない。
あの時の彼がどんな思いをしたのか、分かり得ないが想像することはできる。
ジャグナーでの件がまだ記憶に新しいにも関わらず、彼は責任ある決断を下した。
しかしその後にまたアノ事態である、何と言うか少し気の毒にさえ思える。
「だから君は自分を責めないで」
「違う、そんなんじゃねぇよ」
「じゃあ何でそんなに悔しそうな顔してるのさ?」
間髪を入れずに勢いでパリスが言うと、室内をさ迷うダンの足が止まった。
「…随分と元気になったじゃねぇか。さっきみたいに大人しい方が静かで良かったぜ」
紛れもない嫌味が返された。
パリスは励ますどころか逆に彼を責める形になっていたことに気がつき、ぐっと口を結ぶ。
今の彼に何を言っても良い効果は与えられない。
そう悟ったが、パリスはダンを慰める言葉が口を突いて出たがっているのを感じていた。
それは何故か、当のパリスには痛いほど分かっている。
人を慰めるのが、自分が慰めてもらいたい時に最も心救われる方法だからだ。
「おかげ様でやっと落ち着いてきたもんでね……」
そう言葉を返すパリスの表情に自虐的な笑みが浮かぶ。
「ね、誰もあんなとこであんな怖い人が襲ってくるなんて思ってなかったさ」
「うるさい」
「とりあえず良かったじゃない皆無事でさ~」
「やめろって、違うんだよ!」
尚も慰めの言葉を並べるパリスに対してそう言葉を荒らげると、ダンは『俺は』と言ってパリスに背を向けた。
咄嗟にそう呟いたダンをパリスが凝視するが、ダンは壁に拳を打ち付けるとその拳に額を当てる。
そして『あいつが狙いだとは思わなかったんだ』という続きの言葉を口の中で噛み潰した。
「……ダン?」
「その男はあいつの名前を聞いてきたんだな?」
呼びかけるパリスの言葉に被さるようにダンがパリスに尋ねた。
パリスは一瞬言葉に詰まってから、先程交わされたばかりのそのやり取りだが再度肯定の返事をする。
すると何かを振り切るようにしてヒュームの青年がパリスへと向き直った。
「他には、何か言ってなかったか」
そう問いながら歩み寄ってくるダンに対して、パリスは何故か慌てたように首を横に振る。
動揺を跳ね除け、ダンは普段のごとく頭を回転させ始めたのだと悟った。
パリスがその早さについていけていない内に、ダンは何かを決心したように小さく頷く。
そして踵を返すとテーブルへと足を向けた。
「…また、何か思い出したら話せ。今日のところは大人しく休んでろ」
そう言いながらテーブルの上に置いた自分の剣と盾をもとの位置に装備し直すダンを見て、パリスは眉を寄せると『何処へ?』と不安げな声を出す。
「とりあえず大使館に報告しておく。詳しい話は後日お前が行ってしろ」
そこまで言った後に『それともう一人、事情を聞かなきゃならねぇ男がいる』と付け加えた。
そしてリンクシェルを使ってトミーに慰めや励ましを言うなとも言った。
しばらく放置して充分に反省させろと言う、まるで親の言い分である。
言っている内容はともかく、彼の後ろ姿に頼もしさを感じながらパリスが呆然と見送っていると、ドアノブに手をかけたダンが不意にパリスを振り返った。
パリスはぽかんとした顔のままダンの顔を見つめる。
「とにかく、その場にお前がいてくれて助かった。礼を言う」
ガチャリとノブを捻ってドアを開ける彼に、パリスは慌てて言葉を返した。
「いや…お礼を言われる謂れはないよ」
慌てて放った言葉なので妙な言い回しになった。
ははと小さく笑いながら言うパリスを少し見つめてから、ダンは外へ出るとドアを閉めた。
しんとした部屋でぽつんと一人、パリスは閉じられたドアをしばらくの間見つめた。
そしてふと膝の上に置いていた自分の手を見下ろして、両手を広げてみる。
無事だった手も負傷した手も違いがない程、今は元通り。
パリスはそのままゆっくりと前屈みになり、前髪を掬うように両手で頭を抱えた。
そして震えのある溜め息を一つ。
「……ホント…………サイテーだよね…」
静かな部屋に、彼のその低い呟きが零れ落ちた。
あとがき
第七話で全部説明済ませちゃいたかったんですけど無理でした。ですのでもう一人、軟体美形(?)への事情聴取は次回に持ち越しです。
色々と妙な展開になってきて……るんでしょうか?(´□`;)←ぇ