オーロラが見れる島
2005/12/09公開
打ち砕かれる波の飛沫が微かに届くせいか、はたまた他の場所に比べてよく日が当たるからか。
崖付近には草木が少しだけ存在した。
もっとも、それらは全て枯れているものであるが……。
崖の先からは容赦の無い風が強く吹き付けていた。
崖先に近付くにつれて波が島の岸壁に打ち寄せる音が強く大きく聞こえてくる。
枯れた草木が風に晒されているそのあたりには、ミミズ以外のモンスター達がいた。
頑丈な青い甲羅で身を守られている大きな丸い蟹、大きさは子どもが蹲った程はあるのではないだろうか。
その体の割には少々小さめの鋏を両手に携えてじっとしていると思うと、時々思い出したかのようにカサカサと短い距離を移動してまた静止する。
そんな蟹達の近く、地面に近い空をこれもまた大きな魚が泳いでいた。
陸魚と呼ばれるその魚は空気中を泳いで辺りを動き回っている。
野性的でイビツなヒレを揺らめかせながらゆっくりと枯草の間を泳ぐ。
今までやってきた道のりとは少々雰囲気の違ったその空間に、ぼこりと地面の雪を割って一匹のミミズが姿を現した。
そして長い茶色の体の先に持った触手を蠢かせ、周りの情報を探り始める。
しかし、ミミズが周囲の様子を探り始めてすぐにミミズの体は両断されてしまった。
「魚や蟹みたいに絡んでこない子だったら放っておいてあげられるんだけどね~……」
ミミズをすっぱりと斬り伏した張本人のパリスが、何となく申し訳なさそうな声で言った。
「うーんと………はーいもう大丈夫だよー」
そして後方の岩肌に張り付いてこちらの合図を待っている仲間に呼びかける。
すると、少々緊張した顔をした二人がそぉっと歩を進めてくる。
「蟹と魚は絡んでこないっつってんだろ」
後ろから二人を監視しているダンが呆れたように言うのが聞こえた。
こちらから手を出さなければ襲ってこないと教えられていても、実際に経験してみないと怖いものである。
そこら中にいる蟹と魚に警戒の眼差しを突き刺していた二人だが、そのダンの言葉を切欠に徐々にそれらのモンスター達に対する警戒を和らげていった。
先行してミミズを駆除したパリスのところまで到達すると、トミーは大きく息を吐いて力を抜く。
彼女らの様子を見て『はいお疲れ様♪』と笑うと、パリスは崖の先を指し示した。
「ほら、見てごらん」
海から直接吹き付ける風にばたばたと揺れる髪を押さえながら、トミーは崖の先を見た。
リオもトミーの横に並んで立つと口を半開きにして目を見開く。
「………うあぁぁ~…………」
「何もないですねぇぇ~~~」
「だから、観光地じゃねぇっつってんだろが」
素直な感想を述べるトミーに対し苛立った声でダンが言った。
リオも思い切り怪訝な顔をしており、パリスとロエの二人は彼女達の純粋なリアクションに笑い声を漏らす。
崖の先には大陸が見えるわけでもなく、ただただ黒い海が広がっていた。
水平線が微かな曲線を描いているのが微妙に見て分かるくらいで、海鳥が飛んでいるわけでもなく、何も無い。
足元の雪を被った枯草や吹きすさぶ冷たい風とマッチして、何とも寒々しい風景であった。
「本ッ当に面白みのない島ねぇ」
「あ、足元には気をつけてくださいね」
つまらなそうにぼやくリオにロエが親切に忠告するが、トミーは何を思ったか、すたすたと崖先に近付く。
「え?あの…トミーさん?」
「おぉ~ぅいトミーちゃんそんなに行くと危ないったら~」
忠告を重ねる二人の声を背中で聞きつつ、トミーは忍び足で崖先に近付いてそ~っと身を乗り出した。
首を伸ばしたマヌケな姿勢で崖下を覗き見ている彼女に、『戻りなさいよ!』とリオも怒鳴る。
リオはさすがに怖いのか、彼女のもとに行こうとはしない。
―――――と、しばし崖下を見ていたトミーが忍び足でこちらに引き返してきた。
行きは崖先が近くなってから忍び足になっていたが、戻りは何故か終始忍び足である。
皆の傍に戻ってくると、トミーはその場にしゃがみ込んだ。
「こ……こわ……怖かった…!!!!!」
「馬鹿じゃないのあんた」
上から容赦なくリオが大きな声で言い放った。
「落ちたら死んじゃいますよね?」
「死んじゃいますよ~、駄目ですよトミーさんあんなに近付いたら」
しゃがみ込んだトミーの背中を小さな手で摩りながらロエ。
「ううう……今気が付きましたけど、私高所恐怖症かもです」
「トミーちゃんてホントに面白いよねぇ……」
笑いを堪えた声でそんなことを言いながら、パリスは何となく後方に意識を向けた。
さて、雷が落ちますかねぇ……。
内心そう苦笑しながら、鬼のような顔をしているであろうダンを肩越しに振り返った。
見ると、後方に立っている男は無表情であった。
うは、これが一番怖い!!!!
「……ダン~?」
ご機嫌を伺うような声で恐る恐る呼びかけてみると、ダンはハッとしたようにパリスに視線を合わせた。
向けられたその何事かと問うようなダンの視線に、パリスは首を傾げる。
「ん、あれ?………ナニ、今ぼーっとしてた??」
てっきりお決まりの説教をガミガミと始めるものだと思っていたパリスは、あまりにも拍子抜けするダンのその様子に、よく分からないものの笑みを浮かべる。
『あ?あぁ』と微妙に対応に困惑しているダンが可笑しくて、パリスは声を出して笑った。
「あっはっはっはっは、もぉ~見惚れちゃって~やんなっちゃうねぇ~ロエさ~ん」
「え?え?」
いきなり振られたロエはわけが分からずおどおどと二人を見比べる。
一人だけ楽しそうなパリスはヘラヘラと笑いながら、あくまでも『ねぇ~♪』とロエに同意を求めた。
状況が分からない女性3人は頭上にたくさんの疑問符を浮かべ、『何言ってんのこいつ』とリオは冷たい言葉を吐く。
尚も愉快に笑うパリスだったが、あまり言っていると暴行を受けるのでここらで締めくくろうと口を押さえた。
「お~っとっと危ない危ない、あんまり茶化すと斬られちゃうかも。念のため保険かけとこう」
ちゃっかり茶化しながらそんなことを言って、パリスはブリンクを詠唱した。
ブリンクとは、魔法の幻影が身代わりとなって攻撃を回避する機会を得るもの。
つまり、もしパリスが敵からの攻撃を避けられなかったとしても、一度は魔力でできた幻影がパリスと摩り替わり身代わりになってくれるというわけだ。
近頃対モンスターではなく対ダンテスにばかり魔法を念入りに使うパリスにロエは弱々しく笑った。
パリスが得意げに笑いながらもう一度ダンを横目に見ると、ダンは難しそうな顔をしている。
それにはさすがにパリスも眉を寄せた。
「確かに殺風景かもしれませんけど、この島の上空にオーロラが出ることがあるんですよ」
「おーろら?……って、何ですか?」
クフィムに入るのが初めての二人にロエが教えてやると、トミーが疑問の声を発した。
どうやらトミーはオーロラそのものを知らないらしい。
トミーのその尋ねる声が自分の背中に向けられているのを感じたパリスは、ハッとして振り返る。
「あぁ、オーロラっていうのは自然現象のことでね、空に光のカーテンみたいのが現れるんだよ」
「光のカーテン!?どのへんに掛かるんですかそれ?月にですか?」
目を丸くしてキョロキョロと上空を見回すトミーは決して狙ってボケているわけではない。
彼女の脳内では、実際に家の窓に掛かっているカーテンのサイズで想像されているようだ。
そんなサイズのものが空をヒラヒラしているのなら、恐らくそれは飛ばされた、ただのカーテンだろう。
「一面にですよトミーさん、空が光で満たされるくらいに」
「えええっ、凄い!凄い数ですねそれは!!」
とことん分かっていないトミーにさすがのロエも困ったように笑う。
パリスは誤解を解く気はさらさらないのでハハハと愉快に笑うと、何となくそわそわした様子で辺りの地面に視線を這わせているリオに目が止まった。
思わず苦笑が浮かぶが、パリスは彼女に対して特に何か言うわけでもなくダンを振り返った。
「おい、そろそろ次に行くぞ」
パリスが振り返ると同時に気難しい顔をしたダンが言った。
同じことを言おうとしていたのでパリスに異論はないが、やはりダンの様子が少々気になった。
並んで歩けるのならば小声で少し話をしたいと思ったが、自分は先頭で彼は最後尾のポジションだ。
今のこのメンバーではパリスとダンが前と後ろに位置する以外の位置付けは考えられない。
リンクシェルを使って会話するのが一番手っ取り早いが、それはあまり宜しくない。
トミーがパーティ行動中のリンクシェル会話をあまり良く思わないからだ。
同じリンクパールを持っていない人が仲間外れとなり、内緒話をしているのと同じになるからだそうだ。
ロエも少しダンの様子が気になるのかチラチラと上目遣いに窺っているが、彼女もその件について知っているのでリンクシェル会話を試みることはしない。
ローディが同行していた間ピリピリしていたのは何となく理解できるが、今のダンの様子は理由が分からないだけにパリスもロエも首を傾げるしかなかった。
それから一行は島に入って最初の道と同じような、岩の壁に挟まれた道に入った。
その道を雪を踏み締めながらしばらく進むと少し開けた場所に出て、その円形の場所の中央には池があった。
場所自体はそこそこ広いのだが、その池のせいで歩ける範囲は大して広くはない。
池を囲むようにして枯れた草木があり、その周りをここでもまた数組の冒険者達が動き回っていた。
「ここも割と安全だからね、ミミズを狩るのに良いんだよ」
池から少し離れた端に寄り、パリスが二人に説明する。
この場所は島に入ってすぐのあの道よりもパーティの数が少な目で、トミーらは池の周りを駆け回っている冒険者達を眺めながら『ミミズ狩りをするならこちらの場所が良さそうだ』と考えている顔をしていた。
そこでパリスはしっかりと補足する。
この池の周りには、日が暮れるとワイトというスケルトン達が姿を現す。
トミーらにとっては来る途中に説明したウェポンと同じくらい注意しなければならない相手である。
また、スケルトンは人を感知する能力に長けており、そこそこ負傷などしていると血の匂いを嗅ぎ付けて少し離れた場所からでもやってくる。
この場所に限らず日が暮れた後のクフィムには至るところにワイトが姿を現すので、やはりクフィムに狩りデビューを果たしてもしばらくは入り口付近にいた方が良い。
そう丁寧に説明するパリスの話を、二人は青い顔をして聴いていた。
そして、他パーティの冒険者達がミミズを競って釣っている風景を眺めて、リオが再びキョロキョロと近くの地面に視線を這い回し始めたところで先に進む。
あからさまにムスッとしたリオと色々と捲くし立てまくるトミーを中央に置いた状態で、一行は更に島の奥へと足を進めた。
狭い道を出て、再び広い場所に出る。
離れた場所で緑色の肌をした巨人が白い息を吐きながら徘徊しているのを怖々と眺めながら、トミーが思い出したように地図を取り出して広げる。
現在位置をパリスが指差してみせると、島の入り口から大分進み、小さな島の先の方まで来ていることが分かった。
そして、遠くの白い切り立った岩の向こうに、ぼぅっとそびえ立つ建造物らしきものが見えた。
「お、見えてきた。あれがデルクフの塔だよ~」
一旦足を止めて、パリスがぼんやりと見える前方の塔を指差した。
トミーはぴょんと跳ねてパリスの横に並ぶと、首を伸ばして塔を眺めながら『おぉ~!』と歓声をあげる。
「今日はあの塔の下まで行ってお終いにしましょかね~」
「そうですね、それが良いんじゃないでしょうか」
同意するロエに『ね♪』と笑顔を向けてからパリスがダンを振り返る。
すっかり心ここにあらずになっているダンは生返事に近い適当な反応を返した。
パリスが困ったように苦笑して頭を掻くと、トミーがキッとダンにしかめっ面を向ける。
「ダン!もぉ~ちゃんと案内してよー!」
ついに不満の声をあげたトミーに対してダンはゆっくりと面倒臭そうに視線をやる。
「んぁー?……案内はパリスとロエさんで充分だろうが、俺はただの護衛だ」
「退屈ならいーよ無理して付き合ってくれなくたってさぁぁ~」
肩を怒らせたトミーは『やる気ないなぁー』とダンにぷいと背を向ける。
いや、ダンは決してやる気がないわけではない。
いつもの両手持ちの剣ではなく片手で持てる小振りな剣を腰に下げ、左腕に盾を装備している時点でむしろ気合い充分と言って良い。
そのことに気が付いているパリスとロエは何となく苦笑が浮かぶ。
「ローディさんは親切に色々と教えてくれたのに……あぁあ~帰っちゃってホント残念だよ~」
そう言って腰に手を当てて深い溜め息をつくトミーの背中を見、ダンの眉がぴくりと動いた。
急に何か言いたそうな目になったダンが口を開くが、彼が何かを言うよりも先にトミーが言葉を発する。
「ところでローディさんが言ってたウェポンってどこにいるの?全然見ないね??」
束ねた髪をパタパタと左右に揺らしながら辺りを見回すトミーに、ダンは一旦口を閉じて出しかけた言葉を噛み潰すと少々苛付いた声で答える。
「あぁ?ウェポンってのは大体ああいうところにいんだよ」
不機嫌な声で言いながらダンが前方を顎で示す。
『どこよぉ』とこちらもふて腐れたような声を出しながらトミーが示された方向を見ると、前方に広がる真っ白な雪の地面に大きな動物の骨のようなものがあった。
滑らかな曲線を描いているその白いものは、見ようによってはただの滑らかな石の壁のようだが、やはりその色からして巨大な骨が雪の上に横たわっているように見える。
そういえば、島に入ってミミズロード(今名付けた)を抜けたすぐ近くにも、あれと似たものがあったような気がする。
ぼんやりとそう思い出しながら眺めていると、後ろでパリスが説明してくれる。
「あぁいう骨みたいな石はここだけじゃなくて、世界の色んなフィールドにもあるんだ。見たことないかい?あれのところには大概ウェポンがうろついてるから注意してね」
その説明を耳に入れながらトミーの目はそのウェポンとやらの姿を探す。
しかしなかなかそれらしきモンスターの姿が見当たらないので、トミーが『ん~』と唸りながら目を細めると、次の瞬間その白い石の少し大きい面の向こう側から何かが飛び出した。
トミーはハッと目を見張るが、それは小さなタルタル族の冒険者であった。
見間違いかとトミーが肩を下ろすと同時に、その小さな冒険者が叫んだ。
「うぎゃあぁぁウェポンに絡まれましたあぁぁぁ!!!」
そしてデルクフの塔の方向へ全力で走っていくそのタルタルを追いかける何かをトミーの目が捕らえた。
タルタルよりも若干体の大きい丸い生物が、枯れ枝のように細い足でタルタルを追っている。
そしてそして、その生物の後に続くように、大きな緑の体が地響きを上げて猛進していた。
どうやらタルタルは巨人を釣ることに集中していてうっかりウェポンに絡まれたようだ。
「大変っ!!」
その恐ろしい光景を瞳に映したトミーはいきなり腰の剣を抜いて駆け出した。
「やや!?」
「は?」
「トミーさん!?」
「馬鹿止まれ!!!」
メンバー達が驚きの声を放った頃には、トミーは引き止めることが可能な距離を大幅に越えていて。
スイッチ入っちゃったーーとか今までの話聞いてなかったのかーーとか、さすがにメンバー達の胸中に凄まじい呆れが溢れるが、彼女のことをそれなりに理解している彼らはごちゃごちゃと文句を言うよりも先に飛び出した。
「わぁ~アフターケアは僕に任せてドカンと雷よろしくね~ダン☆」
「いいからさっさとアイツを止めろ!」
「ちょちょちょちょっと待ちなさいよあんた達ぃぃぃっ!!!!」
―――――と、駆け出してすぐに悲鳴じみたリオの罵声が三人の背中を叩く。
肩越しに振り返ると元の場所から動いていないリオが見え、眉を寄せるパリスとロエをよそにダンはすぐさま走る足を止めた。
「―――クッソこんな時にあの猫……っ!」
リオの元へ即座に駆け戻るダンを見て、慌てて二人も足を止め体ごと振り返ると、ギャーギャー喚いているリオの周りの地面がざわめき、雪の下にあった石が浮き上がった。
「ぎゃーーーーー!!?」
それらの石がまるで吸い寄せられるように一斉にリオに襲い掛かる。
あれは黒魔法のストーン。
よく見ると、彼女から少し離れた地面からミミズが姿を現し、チカチカと細かい光を零しながら魔法を構成していた。
リオはあのミミズにバインドをかけられたのだ。
「ダン!」
大分姿が小さくなってしまった駆けていくトミーをもう一度見てから、パリスが手短に指示を仰ぐ。
「二人はあの馬鹿を追ってくれ!猫のバインドが剥がれたら塔に向かう!」
こちらを振り返らずにダンが叫び返した。
「OKボス」
パリスはダンの指示を聞くとすぐさまトミーを追って駆け出すが、隣りにいたもう一人は逆方向に駆け出した。
「ダンさん巨人が……!」
ロエが小さな足で駆け戻りながら必死に叫んだ。
ミミズの元に到達してばっさりと両断したダンは、盛大に大騒ぎしたリオの存在に気が付いて凶暴な声を上げながら接近してくる巨人を見据える。
動けないリオは、自分を睨みつけて猛然と向かってくる巨人に叫びっぱなしである。
すぐさま巨人を挑発して敵意の対象を自身にさせるダン。
リオに動きを封じるバインドの魔法をかけたミミズはダンによって倒されたが、魔法の効果はミミズの死後も残る。
なのでバインドの効果が切れるまでリオはしばらく動けないので、その間ダンは彼女の護衛を務めざるを得なくなるわけだが、ミミズも巨人も、例のウェポンさえもダンの敵ではないので何も心配はいらない。
そうと分かっているはずなのに、何故ロエは彼の指示に背いたのか。
不思議に思いながらも、パリスは反射的に人助けに暴走した女戦士を捕獲するためにデルクフの塔に向かって雪を蹴って走った。
デルクフの塔入り口付近には三組の冒険者達が陣を張って修行の狩りをしていた。
巨人を釣ってきて戦っているパーティもあれば、空気の抜けたオレンジのボールのような蛭のモンスターを相手にしているパーティもある。
そんな冒険者達で賑わうデルクフ前に、トミーはウェポンに追われたタルタルを追って駆け込んだ。
絡まれた張本人のタルタルが散々叫んだので、周囲にいる冒険者達はこの場にウェポンが釣られてきたことに気付き騒然となっていた。
巨人と戦闘中のパーティの魔道士は酷く焦った様子でウェポンを見ながら仲間に警告の声を発している。
しかもただウェポンに絡まれたのではない、巨人を釣って戻る途中の者が絡まれたのだ。
当然釣った巨人も怒り狂いながらタルタルの後を追ってきている。
その状況を見て戦闘を中断しデルクフの塔の中に素早く退避を始めるパーティの姿もあった。
絡まれたタルタルの仲間と思われる冒険者達も青い顔をして退避の態勢を取る。
戦う気はさらさら無いようだ、皆自分達では太刀打ちできないと知っているのだろう。
しかし自分達が真っ先に逃げるわけにはいかないので、『トレインです』という警告の声を喉を枯らして叫んでいた。
「トレイン」というのは、敵を連れて逃げてくることを意味する。
絡まれた者が無事に敵を撒いたとしても、次はその場にいた別の人間にその敵が絡む恐れがある。
よって敵を連れてきてしまった者は他の冒険者達に警戒を呼びかける義務があり、それが最低限の礼儀だ。
警戒の声と絡まれたタルタルの謝罪の叫びで騒がしいその場に入ったところで、トミーは凶暴な奇声を上げてタルタルを追っていた魔物にやっと追いついた。
「このぉ…っ!」
後ろから見ると80センチくらいの大きなぼた餅に細い手足がついている風に見えていた。
何度もその細いが鋭い両の手でタルタルを攻撃していたウェポンに、トミーは背後から突進して剣を振りかぶった。
『必ず命中させる!』と思った矢先、弾むように走っていたウェポンが急停止して振り返った。
「ぅあ!?」
振り返ったその顔があまりにもグロテスクだったことに気を取られて、トミーは止まることも避けることも出来ずそのままウェポンに躓いた。
ぐむっとその気色が悪いウェポンの正面に足を引っ掛け、雪の地面を転がる。
ばっくりと左右に裂けた大きな口に並ぶ鋭い牙にブーツがぶつかったので、ぞっと肌が泡立った。
トミーは悲鳴になっていない情けない声を漏らして慌てて身を起こした。
へっぽこ戦士からの偶然の蹴りを食らったウェポンは、特にダメージはないらしく、ギャッギャッと牙を剥いて両手を振り上げ威嚇をしている。
奴の頭上には細くて小さい杖のようなものが狂ったようにびゅんびゅんと回転していた。
話には聞いていたウェポンの気味の悪いその姿に、泣きそうになりながらもトミーは立ち上がって剣を構える。
「駄目!無理だから逃げて!!」
他パーティの魔道士がデルクフに仲間達と逃げ込みながらトミーに叫ぶ。
タルタルが釣ってきた巨人はその仲間が挑発して気を引いており、時間稼ぎをしている。
「あなたが逃げなきゃ私達も避難できないわ!!早く走って!!!」
最初に絡まれたタルタルの仲間と思われるタルタルの女魔道士が少々怒気のこもった声でトミーに命令した。
「え?あ…」
皆で倒そうという雰囲気になるかと思っていたトミーは、周りの避難の手際の良さと自分に逃げろと叫ぶたくさんの意外な声に混乱する。
おどおどしながら、今にも飛び掛ってきそうなウェポンを見つめて息を呑む。
「早く!!!!走って!!!!!」
「わ、わ、スミマセン!!」
いい加減怒鳴り声に変わった声にビクリと背筋を伸ばして、トミーは剣を握ったままウェポンに背を向けた。
デルクフの塔内に向かって駆け出したトミーに、逃がすかと言わんばかりにウェポンが凶暴な細い腕を大きく振りかぶる。
しかし、ウェポンはまた別の敵が接近してきていることを察知しぐるりと体の向きを換えた。
向いた先には困った笑みを顔に貼り付けた長身のエルヴァーンが一人駆けて来る。
「ハイハイハイハイこの人は僕が引き受けまーーすよーーー」
パリスのその微妙に気の入らない声を聞いて、退避する冒険者達がはたと足を止めた。
パリスの着ている防具を見て彼の腕を推測した冒険者らの表情に安堵が広がる。
中断した戦闘を素早く再開する切り替えの早いパーティもあった。
ウェポンを任せられる者が登場したことによって、他の冒険者達は釣られてきた巨人を皆で倒すべく武器を構えた。
混乱しながらもデルクフの塔に駆け込んでいくトミーが未だに気になるのか、ウェポンが思い出したかのようにトミーの後を追おうとすると、キラキラと細かな光がウェポンの体に降りかかる。
それはパリスが素早く詠唱した麻痺の魔法、パライズだった。
体が思うように動かなくなったことにパニックの奇声を上げながらじたばたするウェポンに歩み寄りつつ、『よいしょ』とパリスは腰に下げた細身の剣をすらっと抜いた。
「彼女を早く追い駆けたいのは僕もお~な~じっ♪」
引きつった笑みを浮かべるパリスの瞳には明らかな焦りの光が灯り、彼は騒然となった中でチラリと横目にそびえ立つデルクフの塔を見上げた。
トミーの頭の中はパニックだった。
モンスターに絡まれたタルタルを援護しようとしたら、物凄い勢いで怒られてしまった。
皆が逃げてくれれば自分も逃げるのに、「逃げられない」と。
生のウェポンは聞いていた以上に不気味な姿であったし、もう何が何だかさっぱり分からない。
デルクフの塔に入ったトミーはウェポンよりも怒鳴ったタルタルの女魔道士に恐怖して懸命に走った。
塔内は大きな迷路のようで、何も無い広くて薄暗い通路が広がっていた。
十字路に行き当たり、真っ直ぐ進むのもあれなので慌てて右に曲がる。
普通、魔物達は自分達のテリトリーを持っている。
だからロンフォールのオークが人を追って町中まで入ってくることは当然有り得ないし、ジャグナー森林の虎がラテーヌ高原までも追ってくることはない。
そしてあのウェポンも、クフィム島内では相当離されない限りどこまでも追ってくるが、デルクフの塔は彼らの行動範囲とは別らしく中までは追ってこない。
そのことにトミーが気付いたのは、二つ目の分かれ道をどちらに逃げたらいいのか迷った瞬間だった。
「……はれっ!?」
共に塔内に逃げ込んだはずの冒険者達の姿が無いことに気が付いて、トミーはキョロキョロと辺りを見回した。
他の冒険者達はウェポンが中まで追ってこないことを知っていたし、パリスの登場に気が付いてすぐに塔の外に引き返したのである。
一生懸命走っていたのはトミーだけ。
戻ろうかとトミーが来た道を振り返る……が、本当にこちらの方向から来たのか疑わしく思えてくる。
分かれ道の真ん中に立って激しくキョロキョロしたのがまずかったのだろうか。
否、ただ単にトミーが天才的方向音痴なだけである。
「わ……わぁぁぁ~どうしようまたやっちゃった!?」
“おい馬鹿はどうした、とっ捕まえたか?”
―――――と、丁度今脳裏を過ぎった男の声が聞こえた。
“隊長、デルクフの中に一足先に行っちゃいました。僕ぁ今から追って入りまっす”
ビクビクした声でパリスがその声に答えるのも聞こえる。
リンクパールを持っているということに気が付いてトミーは酷く安心した。
“ごご、ごめんなさい!戻ります!”
“絶・対・に・そ・こ・を・動くんじゃねぇ、一歩もだ!!”
怒りを隠そうともしないダンの声がトミーの頭をガンガンと叩いた。
「ひゃぁぁ~怖い!まずい!どうしよう…っ」
トミーが泣きそうな声で頭を抱えてその場に蹲ると、救いにしては非常に頼りない声が遠くから聞こえた。
「トミーちゃんや~~~~い」
「あ!」
ガバッと顔を上げると、トミーは自分が走ってきたと思われる方向を向いて立ち上がる。
今回はその記憶は正しかったようだ、先の角から見知った長身のエルヴァーンが駆け出てきた。
「パ……ッ!」
「ん、あぁぁ良かったすぐ見つかって、帰りま~すよ~!」
心底ほっとした声で言いながら手を振るパリスは、リンクシェルの方に『隊長!発見しました!』と報告する。
ジャグナーでのあの苦い経験もまだ記憶に新しいトミーはすぐさまパリスの元に走った。
パリスは真っ直ぐこちらに向かって駆けてくるトミーに安堵の笑みを向けて溜め息をつく。
“良かった……怪我はありませんか?”
“うううスミマセン大丈夫です……”
“そっちはどうなの?大丈夫かい?”
“あぁ、今効果切れ待ちだ”
“了解~塔の下で待機しますよ~”
メンバーと通信しながら、パリスはトミーが完全に傍に戻るより先に帰り道へと体を向けた。
この時、パリスは油断せずに最後までトミーを見守っているべきだったのだ。
パリスの元に向かうトミーは、脇道の前を駆け抜けた瞬間にギョッとした顔をする。
そして走る速度を一気に上げて力いっぱい駆けると、叫びながらパリスの背中を突き飛ばした。
「パリスさん危ない!!!」
「ぇを!!!!?」
虚を突かれたパリスは背中からくの字に折れて前方に吹っ飛んだ。
どたーんと無様に転ぶエルヴァーン。何事かと目を白黒しながら背後を見ると、突き飛ばした後の不安定な態勢でパリスに背を向けて盾を構えるトミーの姿。
彼女が悲鳴じみた声を上げながら防御態勢を取っている先からは、砕けた岩が飛んできていた!
岩はトミーに直撃すらしなかったが、壁にぶち当たって砕け散った岩の破片と共にトミーの体が吹き飛ばされる!
「キャーーーーーーー!!?」
この悲鳴はトミーではなくパリスが上げたものだった。
床に背中を打ち付けて破片と共に通路の端に転がるトミーを見ての悲鳴である。
どうやら脇道のすぐ近くまで巨人が移動してきていたらしい。
パリスを目にしてこちらも油断したトミーが用心せずに道の前を横切ると、そこには巨人がのそりと立っていた。
トミーを発見した巨人は敵意を露にし、その恐ろしい手の力で床の石をえぐり取ってトミー目掛けて投げつけたのだ。
仰天したパリスの悲鳴はリンクシェルの方にも入り込んだのか、ダンとロエが不思議がる声が聞こえる。
「ちょっと待ってよトミーちゃんんんんん!!」
倒れたまま動かなくなってしまったトミーに非難じみた声でパリス。
静かな塔内に地響きを轟かせながら巨人がトミーに向かって突進する様子に苦笑しながら、パリスは剣を抜いて素早く駆け出した。
「僕なんか庇ってくれなくても良かったのにぃぃ!」
そんなことを叫びながら、パリスは巨人の前に飛び出すと緑色の肌をした短い足を斬り付けた。
驚いた巨人がビリビリと体に響く雄叫びを上げながらパリスを跳ね除けようと腕を払う。
ごうっと空を切る音を立てた巨人の手を、とーんと地面を蹴って軽く避けたパリスはトミーから巨人を引き離すために大きく距離を取った。
狙い通り、トミーからパリスに標的を替えた巨人はパリスを追って足を進める。
この巨人は外にいた巨人とは少々違う者達で、塔の中をテリトリーとしている連中だ。
酷い形相で敵意を剥き出しにしている巨人を見上げて、パリスの頬を一筋の汗が撫でる。
「その子を傷付けると、君なんかよりずっとずっと怖い人が襲ってくるんだぞぅ!」
文句を垂れるが巨人は聞いちゃいない。
太くて血管の浮き出た豪腕を振りかぶりパリスに襲い掛かった!
パリスは身を低くしてその腕を避けると、ぴゅんっと剣を翻して巨人の手首を滑らせた。
切れ味の良いパリスの剣が撫でた後を追うように巨人の血が噴き出す。
巨人がもう片方の腕で斬られた手首を押さえ絶叫する。
そして斬られた方の手をだらりと下ろし、白目しかないその鋭い目を血走らせてパリス目掛けて拳を振り下ろした。
しかしその拳は感情の乱れにより少々パリスから反れて床の岩を粉々に砕いた。
細かな破片が飛び散る中、パリスはその打ち下ろされた拳を踏み台にして巨人の腕を駆け上がる。
巨人は止血しようと胴に押し付けていた方の腕で慌てて彼を振り払おうとした。
切り口からたくさんの血が流れている腕を振るうと、その血がパリスを赤くまだらに濡らした。
バランスが良くないと判断したパリスは一旦腕の上から飛び退いて巨人の背後に降りる。
そして巨人が振り返ったところで気を練り上げて剣に宿し、ぼうっと炎を纏わせたその剣で巨人の巨体を斜めに切り裂いた。
巨人は切り口に炎が噛み付いた状態で、悲鳴を上げることも無く、そのままゆっくりと仰向けに倒れた。
パリスの用いたその技は、剣の技レッドロータス。
巨人がぐったりと倒れて動かなくなったのを見届けて、仕留めたことを確認した。
『ふー』と息を吐き出して、パリスは顔についた巨人の血をゴシゴシと袖で拭く。
その袖にも血がついていたらしく、益々顔が汚れたことに遅れて気がつきパリスは苦笑した。
“パールッシュドさん?トミーさん?”
ふと、リンクシェルで先程から何度も呼びかけられていることを思い出した。
「っとと、そうだトミーちゃん……っ」
“いやゴメン、こっちのことです~アハハ”
動揺して誤魔化しにもなっていない返答を返しながら剣を腰に収め、慌ててトミーの元に向かうと、彼女はまだ砕けた岩の破片と共に転がっていた。
見たところ大きな外傷はないようだが、脳震盪だろうか。
………このことは黙っててもらおうかな……。
ダラダラと冷や汗をかきながらパリスはそんなことを必死に考える。
逸る気持ちを押さえつつ、トミーの意識を呼び戻すために軽く肩を揺すってみようと、パリスはトミーの周りの破片を足で退けてから彼女の傍に屈んだ。
極自然に瞬きをした。
その目を閉じて開くほんの一瞬の間に。
目の前に大きな黒い刃が現れた。
目の前、というよりは、首に突きつけられている。
金縛りに遭ったかのように身動きができなくなったパリスは一瞬仲間の男の顔を連想するが、自分の背後に、体が押し潰されてしまいそうな程の重圧と殺気を感じた。
一瞬のことで何が起きているのかまったく理解できず、途端に口の中がからからに干上がる。
そして、背後の殺気が言った。
「……………貴様……何者だ」
“オイ、ちゃんと答えろ!何があった?”
リンクシェルで仲間の声が聞こえるが、とてもじゃないが返事を返すことはできなかった。
あとがき
キターーーーーーーーな第四話です。(何)毎度のことですが、もうヴァナ知識おぼろげのくせに好き勝手書いています。^^;
って言いますか長すぎでしょ第四話、ナメてんのか。
えーとにかく、ついに皆様お待ちかねの方が登場と相成りました。
やっとこれから、第三章のストーリーは始まるのです。(;´□`)