月下に星座現れ

第三章 第二十七話
2009/08/30公開



すらりとスタイルが良いエルヴァーンの娘は、モニカと言う名前らしい。
銀髪のショートヘアである彼女は、前髪を頭の上に上げてピンで留めており、 額が露になっているせいか幼い印象を受ける。
彼女はここ、テレポホラの下に設置されているレンタルチョコボの出張係員である。
本来チョコボ厩舎というのは町にあるものだが、年々冒険者が増加するこのご時世だ。
増え続ける需要の声と時代流れに応える為、テレポート等にも出張サービスが提供されるようになったのだ。
ちなみに、出張所にいる係員の女性を世間では『チョコガール』と呼んでいる。

そんなチョコガールのモニカがダンと会話するのを眺めていたトミーは、何となく、彼女を苦手だと感じていた。
日頃誰に対しても友好的なトミーには珍しいことであり、本人も少々戸惑っている。
気を紛らわそうと視線を外して遺跡を眺めることにしたが、モニカの声は容赦なくトミーの耳に届いた。
「最近全然来なかったわねぇ。あぁ、分かった!顔見せなかった理由は彼女じゃないのぉ?」
半眼になってダンの脇からロエのことを見下ろすモニカ。
ロエは驚いた顔をしてぷるぷると必死に首を横に振っている。
どうやら、馴染みの無い人柄のモニカに、ロエも少し戸惑っているようだ。
「んん~?あぁ、分かった!あっちの彼女じゃない!?アタリでしょぉ」
「ついこないだもここを使ったぞ。お前がいなかっただけだ」
ロエの次はトミーのことを指差すモニカだが、うんざりした声でダンが制する。
「今日はお前にちょっとした頼みがあって来」
「えぇぇ何かしら!?ダンがモニカを頼るなんてぇ!」
ダンの言葉を遮って驚きの声を上げるモニカ。ダンは益々表情を険しいものにする。
今は暇な時間帯らしい。彼女以外に係員の姿は見えず、テレポで飛んでくる冒険者パーティもいなかった。
モニカの食い付きっぷりを見ても、相当退屈していた様子が窺える。
ダンは元気の良いエルヴァーンの娘に早速依頼内容を話すかと思われたが、 その前にノルヴェルトのことを振り返った。
「チョコボには乗れるな?」
突然の問い掛けに一瞬固まるノルヴェルト。
隣にいるヒュームの娘が自分のことを見上げたのが視界の端に映って、やっと思考が回った。
ダンを見つめ返して頷いて見せる。
「鞍がなくても」
「チョコボの扱いには覚えがあるって顔だな」
ダンは一方的にそう納得して、そのやり取りをきょとんと眺めていたモニカに向き直る。
「ということだからチョコボを貸してもらいたい、ガルカ用のな」
「ガル?!」
ガルカ用を求めるのは、チョコボの騎乗術をまだ身につけていないトミーを一緒に乗せる為だ。
つまりダンは一羽のチョコボにトミーとノルヴェルトを二人乗りさせようとしているのである。
「久しぶりに顔見せたと思ったら……何なのいきなりぃ」
モニカは言いながらさり気なくダンの腕に自分の腕を絡めた。
辛辣淡白毒舌戦士にそんなことをするとは、何て命知らずな。
衝撃の光景を目にし、ダンの最高に冷淡な反応を予想して固唾を呑むロエ。
しかしその予想に反して、ヒュームの戦士は小さく舌打ちしただけで黙って腕を引き抜いた。
むっとして顔を上げたモニカは、その不機嫌な顔のままノルヴェルトをじと目で見た。
「フン……そもそも、その人ちゃんと免許持ってるんでしょうねぇ?」
分かり易く機嫌を損ねているモニカに構いもせず、ダンはノルヴェルトのことを振り返る。
見てみると、大鎌を背負ったエルヴァーンは眉をしかめて視線を逸らしていた。
さっさとモニカに視線を戻してダンは言う。
「無い」
「イヤよぉ無免の客に特別なチョコボ貸すなんてぇ!バレたらクビになるわ。この仕事楽だし出会いもあるし気に入ってるんだからぁ」
話にならないという顔で、モニカは帰ってくれと一行に向かって手をひらひらさせた。
するとそこで、一組の冒険者のパーティがテレポートに現れた。
それに気付いたモニカは、ダンの眉間につんと人差し指で触れて『怖い顔しても駄ぁ目♪』と言い去る。
小走りで商売に戻り客を迎えるモニカを見送り、ロエは目茶苦茶に緊張しつつダンを見上げた。
恐ろしくて一瞬見ただけで視線を下ろしてしまった。
びりびりと伝わってくる気配から、彼がよく耐えていることを察する。
戸惑ってトミーら二人を振り返ってみると、思っていた距離に彼女達はいなかった。
いつの間にか少し離れたところまでトミーがノルヴェルトを引っ張っていき、 不思議な建造物を見上げて何か話していた。
妙に明るい表情のトミーを前に、ノルヴェルトは見るからに困惑している様子だった。
冒険者の間の常識には全く疎い彼は、先程ここに到着するなりホラの石をダンから手渡され、大層不思議そうな顔をしていた。
「そういえば何て言ったっけ?女たらしの」
言いながらモニカがこちらに戻ってきた。目をやると、冒険者達が借りたチョコボに乗って駆けて行くのが見える。
もし客が増えて対応できなくなったら、リンクシェルで連絡すればすぐに応援要員がテレポしてくるのだろう。
確かにこの様子だと楽で良い職場なのかもしれない。
「そうそうあの人、パリス!彼も最近見ないわねぇ」
ころころ笑いながら『また新しい彼女できたのぉ?』とダンを覗き込むモニカ。
その発言が聞こえ、トミーは思わず彼女のことをキッと見つめてしまった。
しかしすぐにはっとして、モニカに気付かれる前に俯くとノルヴェルトの影に隠れる。
身を隠すのに自分を使われたノルヴェルトは、きゅっと唇を噛んでいるトミーの姿に目を細めた。
勿論、トミーだって分かっている。これはパリスの作戦の成果だということは。
あののっぽのエルヴァーンは遊び人などではなく、家族想いで心優しい男であると、 弁護したところで彼の長年の努力に支障をきたすだけだ。
「おい離れんな、こっちに来とけ!」
モニカの振りには何も返すことなくダンがトミー達に声を張った。
ダンに対しても何だか歯痒い思いがするトミーはむっとした顔になる。
動こうとしない彼女に小さく息をついて、『行きましょう』とノルヴェルトは踵を返した。

「話を戻すが、依頼を受けてもらえないか」
無機質な声でダンが改めて言った。
彼はきっと、モニカというこの娘に心底興味がないのだろう。
そろりと彼のことを横目に見上げたロエは、感情を表さないダンの態度にようやくそう合点がいく。
「だからぁクビになりたくないしぃ、お断りよ」
「なるほどな」
実際ロエの分析の通りであるダンは、モニカの話などほとんど聞いていないようだった。
交渉が面倒になったと言わんばかりに、彼は“得意の交渉”にシフトチェンジする。
「あー、でも考えてみろ。俺達に協力する以外にも、クビになる危険性ってのはあるんじゃないか?」
突然の不可解なダンの物言いに、エルヴァーンの娘は『モニカ?』と自分を指差して目を瞬く。
傍まで戻ってきたトミーとノルヴェルトの二人も、ダンの隣にいるロエも、揃って首を傾げている。
そこで不意に、ダンは何かを思い出したように眉を開いた。
「話は変わるが、お前は稼いだ小遣いを例えばどんなことに使うんだ?」
腕組みをしながらあっけらかんと尋ねるダンの発言に益々疑問符を浮かべる仲間達。
しかし一方でモニカは、その一言で何か思い当たったらしく一気に顔色を悪くした。
「な…な、何よぉ!!何それ!?ちょっ、何なのよぉ!!!」
途端に動揺を露にしたモニカは、涼しい顔をしているダンの胸を叩く。
微動だにしないヒュームの戦士は半眼になって溜め息を付いた。
「…その様子だと最近でもやってんだな、時価に上」
「いきなり何言ってんのよやめてよ脅す気ぃ!!!?」
またまたダンの言葉を遮って声を上げる。モニカは相当必死の様子だった。
さっぱり話が見えないトミーとノルヴェルトは眉を寄せて顔を見合わせている。
しかしロエは何となく予想がついたようだ。何とも言えない顔をしてダンのことを見上げた。
“……ダンさん、あの、どうやって気が付いたんですか?”
レンタルチョコボはその時間帯の需要によって貸出し料金が決まる。つまり時価だ。
その時価にチョコガールが若干上乗せして請求していても、こんな空の下で、急いでいる冒険者はまず気が付かない。
“まぁ、勘と言うか。ちょっと鎌掛けたらこいつが勝手に白状したんですよ”
リンクシェルを通してのロエからの問い掛けにダンはさらりと答えた。
目の前にいるチョコガールの激しい動揺っぷりを見たところ、 確かに彼女は墓穴を掘ってしまうタイプなのかもしれないとロエは苦笑する。
「もう一度言うがこれは依頼だ。ちゃんと依頼料も支払う」
きょろきょろと周囲を気にし始めたモニカはその言葉に顔を上げた。
目を瞬いている彼女に『手を貸してくれないか』と重ねて協力を求めるダン。
「………ホントにぃ?」
「万が一お前がこの仕事を続けられなくなったら、次の職場は見つけてやる」
「……へぇ~」
ダンを見つめ返すモニカの目付きが徐々に挑発的なものになっていく。
再び無意味に腕を絡ませる彼女はすっかり元の調子に戻っているようだった。
「あはっ、『永久就職』とか言わないでよぉ?モニカ彼氏いるんだから♪」
彼女はチョコガールではなく別の業種に向いているように見えてならない。
機嫌良さそうにぴっとりとダンに引っ付いているモニカを眺めてその場の誰もが思っていた。

モニカの腕を払い除ける目的でダンは手元から小袋を取り出した。
腕を解かれて再度眉根を寄せているモニカの目の前にそれを差し出す。
「これは前金だ」
眉を開いてそれを受け取り、中を覗いてみてモニカは小さく『キャ~ッ♪』と声を上げる。
「残りは終わってから支払う」
「随分と羽振りがいいわねぇ♪……って、終わってからって?」
「チョコボを貸出してもらいたいのは今だけじゃない。他にもう一度ある」
「ふぅん、それはいつ?」
「予定では明日だな」
モニカは受け取った前金をいそいそと懐にしまっていたが、その一言に怪訝な顔を上げる。
「予定では明日?明日の、いつなのぉ?」
「詳しい時間は分からない。だからお前は明日絶対にここを離れるな」
「えぇ?」
「その時俺がいるとは限らないからこの二人の顔を良く覚えておいてくれ。で、こいつらが来たら何が何でもチョコボを貸せ。クビになってでも貸せ。いいな」
「ちょ、ちょっと!無茶苦茶なこと言わないでよぉ!」
トミーとノルヴェルトのことを示して淡々と告げるダンの腕に慌ててしがみついた。
先程から苦々しいものを表情に滲ませていたトミーは、そこでふと不安げな目になる。
「まぁ落ち着けよ。いいか?お前はただこいつらにチョコボを貸すだけで良いんだ。もしそれでお前の立場がまずいことになったとしても、俺が全部何とかしてやる。終わったら前金の倍の額もちゃんと渡すし、とにかく絶対悪いようにはしねぇよ」
これから一体、何が起きるというのだろう。
ダンがここまで言うなんて、きっとよっぽどのことが起きるのだろう。
自分はいないかもしれないという彼の言葉も凄く引っかかり、トミーは無意識にきゅっと手を握り締めていた。

モニカは呆気に取られた顔をしてダンの言葉を聞いていた。
数秒の間ぽかんとして、彼女は半開きになっていた口をようやく動かす。

「ダン………もしかしてモニカのこと、口説いてる?」



   *   *   *



つんと袖を引かれて、パリスははっと振り返った。
すると、すぐ傍にいた姉が目を見開いてパリスの手元に慌てて腕を伸ばす。
パリスは焦った様子の姉に目を白黒しながらも、姉が咄嗟に掴んだロープを元々握っていた自分の手に力を込める。
姉弟揃って緊迫した顔を上げると、目の前に積んである干草の塊のとんでもない傾きが、 ロープの締まりでぎしりと食い止められていた。
姉は手元がお留守になっている弟に警告しようとしたのだと、やっと気が付き、 ふぅと息を付いているヴィヤーリットに『ごめんなさい』と苦笑いした。
微笑んだ姉は首を横に振る。

ここ数日、二羽いるチョコボの内一羽の様子がおかしい。
変化が見え始めたのは丁度、パリスが仲間達をこの家に招いたあたりからなので、 慣れない人の気配に敏感になっているのかもしれない。
頻繁に人が厩舎に出入りしているわけではないが、この家はそんなに大きなものではない。
年老いているとはいえ、声くらいは聞こえているのだろう。
これまではじっと大人しく横になっていたのに、心細いのか、 まるで誰かを呼ぶように鳴いたり、何処かに行きたい様子で起き上がったりした。
これまでに見てきた臨終が近いチョコボの挙動とも似たところがあり、 ヴィヤーリットはそのチョコボのことを気に掛けていた。

落ち着きのないそのチョコボがすぐに干草を蹴散らしてしまうので、 干草を足してやる作業を手伝っていたのだ。
そしてその作業中、リンクシェルを通して聞こえた仲間の声に気を取られた。
失態を犯しそうになった自分に苦笑いを浮かべているパリスの胸中は、 まるで霧の中でおぼろげなジレンマがうろうろと歩き回っているような心地。

もう大丈夫だから、部屋に戻りましょう。
目線と素振りでそう伝え、ヴィヤーリットはチョコボの頭をそっと撫でて離れる。
パリスは干草の塊をしっかりとロープで固定し、チョコボに手を振ると姉に続いて厩舎を出た。

出口を捜している動物のように、ジレンマがうろうろうろうろ。

ダメダメダメ。
僕にはできない。

え、何ができない?

捲り上げていた袖を直しながら前を歩いている姉の後ろ姿を、じっと見つめた。



…いや……何でもない。


窓から差し込む夕日に照らされ、その細い背中は橙色に染まっていた。



   *   *   *



ノルヴェルトの騎乗術は、ダンが期待した以上のものだった。
二人乗りなだけでなく、並みの技術では扱え切れないであろう大きなチョコボを、 銀髪のエルヴァーンは手綱と足で巧みに操り見事なものであった。
チョコボに乗るのは今回が初めてというトミーも、最初は緊張していたもののすぐに慣れた様子だった。
ノルヴェルトの背中にしがみついて、彼の騎乗技術に驚きの声を上げ笑っていた。
そして砂丘を進んでいる最中は、空中に散らばって瞬いている星を、彼女は物思いに耽った顔でじっと上げていた。

ラテーヌ高原からバルクルム砂丘を越え、ダン達はセルビナに入った。
町の入り口でチョコボ達を解放し、夜の砂漠を駆け戻っていくその黄色い姿をしばしの間見送る。
そして、踵を返して歩き始めたダンに続いて、皆は港町の中へと歩を進めた。

セルビナは昔、バストゥークの貿易港として栄えていたが、現在は自治都市となっている。
つまり、主たる三国何処に属すこと無く、自前の統治機構を持ち都市において自治している町だ。
サンドリアの騎士団やバストゥークの銃士隊のような、 軍事組織が持ち場について警備にあたっている風景はここにはない。
今ではすっかり地元漁民の町となりつつあり、独特のローカルな空気に満ちていた。
土で作られた箱のような簡素な建物が点在し、港では一定の間隔で吊るされた明かりが波をぼんやりと照らす。
港に打ち寄せる波の音を運ぶ潮風に歓迎されながら、皆は無言の戦士の後ろを黙々と歩いた。

セルビナに入ってまず始めにダンが向かった先は、ゲートクリスタルであった。
暗い闇夜の中でぼぅと光を放っている大きなクリスタルの前で足を止め、 ホームポイントをここにしておくようにと、トミーとノルヴェルトに指示を出す。
その指示はつまり、黒魔法のデジョン等を使った際に転移してくる場所をこの地にしておくということ。
トミーが何となくロエを見下ろすと、タルタルの魔道士は真面目な顔で頷き返す。
それなりに疑問はあったが、トミーは素直にリーダーの指示を聞き入れクリスタルに念じた。
どうかこれ以上誰も傷付くことがなく、事が収拾してほしいという願いも込めて。
クリスタルに対して分かりやすく嫌悪を示していたノルヴェルトも、渋々念を送ったようだった。
「…私とノルヴェルトさん、だけ?」
どうしても抑え切れなかった問いを一つだけ口にした。
見上げると、クリスタルの神秘的な光を瞳に映したダンの横顔。
ダンも念を送っていると解釈して良いのだろうかと見つめるが、何となく、彼を遠く感じた。
彼がその光の向こうに何を見ているのか分からない。
「……まぁ、予定が変わる場合もあるが」
不安を残しているトミーに、しかめっ面の戦士は淡白な声でそう言った。
「ロエさんはジュノのままにしておいてください」
これからどういう行動を起こすのか、二傑の打ち合わせに同席したロエは大筋を知っている。
だから彼女は、自分とは頷きの深さが違うのだとトミーは思った。

「出発前にもざっと説明したが、お前達は時間稼ぎ、要は連中の囮だ」
クリスタルの明かりに半身を照らされているダンが役割の再確認を始める。
前によく身に着けていた銀の鎧姿ではない彼は、以前にも増して頼もしい印象を受ける。
「今、変態とネコの方で証人として使える人間を手配してる。集めるまで少し時間が掛かるからな。その間、お前達はできる限りサンドリアから離れろ」
証人手配に回っている二人の安否を気遣う顔をしてトミーはおずおずと頷く。
その横で、ノルヴェルトは非常に複雑な表情を浮かべて口を引き結んでいた。
ノルヴェルトはこれまで単身で騎士達と戦ってきたが、方法はどれも直接的なもの。
今回のような間接的な戦略に馴染めず、どうにも落ち着かないというのが彼の本音だろう。
「……回りくどいことをするもんだ、と、あんたは思うかもしれないな」
銀髪のエルヴァーンの内情を読み取ったダンが苦笑いの声で言う。
「意外とできるもんだぜ?相手に触れずにぶん殴るってのは」
「大丈夫そうなの?その、証人になってくれる人って……」
ノルヴェルトに代わってトミーが疑問を投げかけた。
『どういう人達なの?やっぱり騎士さん?』と首を傾げる彼女に、ダンは肩をすくめてみせる。
「ピンキリだな」
「へ?だ、誰?有名な人?」
いや、人名じゃねぇよ。あー、まぁ、雑魚から大物までってことだ」
頭を掻きながら、相変わらず面倒臭そうに補足するダンにトミーは益々疑問符を浮かべる。
大物までというと、ではそれなりに地位の高い人間にも会いに行っているということなのだろうか。
確かにローディは驚くようなコネクションを持っていそうではあるが、 リオはそういう世界と馴染みがないことは明白。
所持しているはずなのに、リンクシェルから賑やかなミスラの声が全く聞こえてこないこともトミーは不安だった。
「リオさん、大丈夫かな……」
心配だからといってこちらから呼びかけたりするのは邪魔になるだろうか。
そう言いたげな顔でブルーのリンクパールを取り出して見つめるトミーに対し、 ロエは少し困った笑みを浮かべて『ローディさんがご一緒ですから』と宥めた。

“見つけちっちっちー☆”

今のロエの発言は複数の意味で解釈できるな。
なんてことをふと思った矢先、ダンの頭の中にハイテンションな声が飛び込んできた。
ローディが所持しているリンクパールはダンしか持っていないので、他の仲間達には聞こえていない。
話題の人間からの報告の声に、ダンは表情を変えぬまま少々唖然とした言葉を返した。
“……また有り得ねぇ早さだなオイ………ほんとかよ?”
“失礼だにゃ!一般ピーポーの基準で俺様を計ることが間違ってんにょ!?”
きんきんと響く声に思わず眉をしかめるが、今回ばかりは『黙れ』とは言わなかった。
ローディ本人は文句を言っていたが、やはりこの役割分担はどう考えても適材適所であったと再確認する。
専門で捜している人間達は見つけることができずにいるものを、それもこんな短時間で見つけ出すとは。
“で、ドコなんだ?”
変態魔道士に対する自分の問いと被さって、トミーがリオに呼びかける声も聞こえた。
一言だけ、とロエに断って呼びかけてみたようだが、やはり返事が返ってくる気配はない。
―――だから無駄だっつーの、あいつ今パール持ってねぇんだから。
その事実を知らないトミーに向けて心の中でぼやく。
“いつもいつもせっかちじゃのぅダーリンは”
まだリンクシェル会話に慣れていないノルヴェルトが目を丸くしている様子を見ていると、 勿体つけたいが言いたくてしょうがないというようなローディの声が届く。
いつもいつも勿体つけるお前は激めんどくせぇ、とは言わずにおいて、質問の答えを待つ。

“きひっ……それがさ~皮肉にも~”


変態魔道士から伝えられた情報に、思わずダンも目を見張ってしまった。
ここからでは姿の見えない相手を見つめる代わりに、リンクパールの入った腰のサックに視線を落とす。
“……間違いないんだろうな?”
言いたいことはたくさんあったが、大部分を省略してその問いに全てを託す。
ダンとしては厚みのある質問内容のつもりだったが、返ってきた返事は流石とも言えるこんな軽率文句。
“うん、多分ぷい☆”
“多分じゃ駄目だ馬鹿野郎”
“きひっ!大丈夫なりよ~~。どうせダンも自分の目で確認するじゃろ?”
今後の展開を大きく左右する重要事項だというのに、 ローディはまるで店頭で良い商品でも見つけた時のような調子だ。
一応は想定内である温度差に苦々しい表情を浮かべそうになるのを耐え、ダンは投げかけられた質問に対する答えを考える。
自然と、眼差しをヒュームの娘に向けた。
リオからの返事がないことに口をへの字に曲げているトミーをじっと見つめた。
渋々リンクパールをしまおうとした彼女がダンの視線に気付き、目を瞬く。
視線の意味を分かっていないトミーから目を背けぬまま、ダンはローディに“当然だ”と答えた。



   *   *   *



高貴な血筋の家々が並ぶ王都の一角は、普段よりも明かりの数が多く灯っているようだった。
いつもなら通行人をほとんど見掛けない時間帯だが、道を通る車や使用人の姿が目に付く。
それはきっと、成人の儀に向けて、各国に散っていた一族が帰省しているからだろう。
明日は、明後日に行われる貴族階級の御子息、御令嬢の『成人の儀』のリハーサルと、 成人の儀を迎えることを貴族間で祝い合う祝賀パーティが執り行われる。
祝い事の準備に加えて、前祝いの準備もある為、テュークロッスの多忙振りは尋常ではなかった。
団長格が必ず出席する定例の会議でさえ、ここ数日は免じられているほどである。
なので今はある意味、世間の状況に疎いとも言えるかもしれない。
いくら優秀だと言っても、前任であった神殿騎士団とは、テュークロッスの勢力は規模も資本も差は大きい。
それでもこれまで事無く式典を成功させてきたのは、やはりテュークロッスの手腕他ならない。

赤髪の騎士団長は、遠征の時以外はどんなに遅い時間になろうと必ず自邸に帰る。
例え、家の者と会話をする時間が取れずとも、主が屋敷に戻るということ自体に意味があるというのが持論だ。

夜遅く、自邸に戻ったテュークロッスを迎えたのは、年配の侍女長エルヴァーンだった。
主人の帰宅に合わせ、家の内外で起きた出来事を一通り報告する彼女の言葉を、テュークロッスは煙たがることなく聞き入れていた。
それは彼にとって、まるで情報の新聞のような存在であった。

ドアをゆっくりと開き、明かりのついていない暗い部屋に静かに足を踏み入れる。
そして窓に掛かっているカーテンを少しだけ開け、月明かりを部屋の中に招き入れた。
ベッドで眠っている妻と、その傍らにある籠の中で眠っている幼い娘の姿が照らし出される。

夫の仕事に干渉することなく、家内を穏やかに保つ慎ましい妻。
自分が幸福であるということすらまだ理解できていないであろう幼い娘。

赤髪の主は、遠い昔に自分が経験した、一族の主が失われた時の混乱を思い返す。
胸に詰まる想いを振り払うように、彼は静かに息を吐いた。
その溜息は、これから先も乱れなき統治を誓う自らへの労いであったが、家にいる者は誰もその内面までは知り得なかった。



    *   *   *



出口を捜している動物のように、ジレンマがうろうろうろうろ。


「無事に戦争を生き抜いているなら、是非お会いしてみたいですね」
『ホントに』と付け加えながら小さく笑みを浮かべる弟に、姉はゆっくりと頷いて見せた。
幼い頃から、眠りにつく前に幾度となく語られてきたヒーロー達の物語。
お互いが大人になってから、こんなにじっくりとこの話をするは初めてだとヴィヤーリットは感じていた。
昔は、気落ちした弟に自分が語って聞かせていたものだったが、今宵は弟が語り手。
日中は弟の仲間達で賑わっていた暖炉のある部屋に、今は姉弟二人だけで座っている。
「でも、伯父さんと行動を共にしていたんだとしたら……分かりませんね」
必死に何かを誤魔化そうとしているかのように饒舌なパリスは、何度も組み直す自分の手を見つめながら言った。
騎士達から“狂犬”と呼ばれていた伯父の最期を、パリス達は知らない。
戦後のセルズニック家には、狂犬は何処かの戦場で戦死したらしいという情報が残されただけだった。
最期の情報がはっきりと残っていないのは、当時伯父が騎士団に所属していなかったせいだろう。
ともかく、狂犬が戦死するような戦場で共に戦ったのであらば、その剣士の安否も望みが薄いかもしれない。

剣士との対面を望むことを口にしている弟を眺めて、姉は冷静に分析していた。
弟は乞いたいのだ。
その剣士に。
『貴方ならどうしますか』と、助言を。

ヴィヤーリットのヒーローであった伯父は、実在はしたものの、もうこの世にはいない。
恐らく、弟パールッシュドのヒーローであるその剣士も同じ。
今は亡き英雄達に思いを馳せたところで、彼らは決断を下してはくれないし、背中を押すこともしてはくれない。
必死に己の思いを欺き、時が過ぎるのを待つしかないと自分に言い聞かせている弟の姿にヴィヤーリットは胸が痛んだ。

思い悩むことはない、行きなさい。

例え、ここで自分が弟のことをそう叱咤したとしても、今回ばかりはどうにもならないだろう。
護ると決めた、実質“唯一の家族”である姉のために、この弟は残ったのだから。
護る対象である姉から何を訴えようと、弟は困った顔で首を振るだけで聞き入れはしないだろう。
否、聞き入れることができないのだ。
それをパリス自身も分かっているからこそ、ヒーローの話など引っ張り出しているのだろう。
自分が抵抗できない、崇高な存在を、パリスは無意識に求めているのかもしれない。

弟とは別のジレンマを抱え、ヴィヤーリットは背中を丸めている弟に目を細めた。
いつの間にか深く考え込んでしまって口を引き結んでいる弟の向こう側に、ふと視線が反れる。
夜が更けた外の世界と、安らぎのない明るい室内を隔てている窓ガラスに、自分達の姿が映っていた。

そこでヴィヤーリットは思い出す。

今は亡き英雄の他にもう一人、弟にはいたではないか。
憧れと尊敬を向けるヒーローが。


何の前触れもなく椅子から腰を上げた姉に、パリスは疑問の眼差しを向ける。
「?」
口を開くが、姉が人差し指を口に当てたので言葉を飲み込んだ。
にこと微笑んでそのまま部屋から出て行くヴィヤーリットを呆然と見送る。
また何か気を使わせてしまったのだろうと察したパリスは、大層不甲斐無さそうな顔をして頭を抱えた。
「はぁ~~~駄目だよねぇこんなんじゃ~」
今まで自分が大事にしてきた思いだとか、抱えてきたプレッシャーを、 仲間達が受け止めてくれたからこそこういう状況になっているというのに。
自分がこんなにも未練がましく猫背になっていては仕方がないではないか。
「みんなを信じて打ち上げ会の準備でもしてればいいんだよ僕ぁ…」
うろつくジレンマを追い払うつもりで吐いた嘆きは苛付いた声色だった。
頭痛が酷い時のように眉根を寄せて目を閉じると、廊下の先から戻ってくる足音が聞こえた。
ふと、主は姉なのだろうが姉らしくない足音だなと感じて、閉じていた目をぱちりと瞬く。
瞬間。


「パールッシュド!」


仰天して顔を上げると、放られた剣が目の前に落ちてきて更に驚く。
抱き止めたその剣は、迷走するあまりパリスがキッチンに置き忘れていた自身の剣だった。
胸に飛び込んできた愛用の剣には当然驚いたが、それを遥かに上回る驚きにパリスは目を丸くする。

「………兄…さん?」


随分と久し振りに聞いた、兄の声だった。



   *   *   *



港の機船乗り場に向かうと、もうすっかり夜も遅い時間なので、海は真っ黒く染まり、月を鮮明に写して揺れていた。
これから利用する機船にはトミーも乗った経験がある。
ダンの『お前一人でウィンダスまで行けるわけがない』という面倒見の良い悪態を振り切って、 単身ミンダルシア大陸入りを果たした時に利用した。
当時船で乗り合わせた初対面の冒険者との会話や、野良パーティで組んだ冒険者達とのやり取りをふと思い出す。
あの頃は冒険者という、開けた眩い日々だったなと振り返り、それが今は自分の中で過去になっていることを知る。

船に乗れば、乗っている間は騎士達からの奇襲を警戒せずに済み、睡眠を取ることもできる。
そして何より時間を計算しやすいのだと、しかめっ面の戦士は説明した。
「あっちへの到着時間は明確だし、たっぷりと時間稼ぎもできるからな。機船も捨てたもんじゃない」
一人で納得したように言うダンを横目にちらりと見て、ノルヴェルトは彼の視線の先に目をやる。
ダンが眺めているのはその機船ではなく、乗船券を購入しに乗り場に向かっている二人の後ろ姿だった。
皆の分の乗船券を買ってくると、気を利かせて申し出たロエにトミーも付いて行った。
三人で残されるのが気まずかったのだろうとダンは推測している。
ノルヴェルトから離れるなと念を押しておいたのに、早々と違反している彼女にダンは小さく溜め息をつく。

「……連中は確実に狙ってくるな、あいつを」
計らずともノルヴェルトと一対一で言葉を交わす時間ができたわけだから、それを利用しない手は無い。
ぽつりと言った言葉に眉をしかめたエルヴァーンが拳を握り締めたのが、薄暗い中でも分かる。
「そう分かっていながら、何故彼女を囮にする?」
「そうするのが一番安全だと思ったからだ」
あっさりと答えたダンに、銀髪を揺らしてノルヴェルトは向く。
「安全?」
「その方が護りやすいしな。それと言っておくが、囮にはあんたも含まれてんだぞ」
『頼りにしてるんだからな』と唇の端を吊り上げるダンにノルヴェルトは眉を寄せた。
ダンの言う『期待』が、一体どのような点に向けられているものなのか察しかねる。
解せない顔をしているノルヴェルトに苦笑してみせると、ダンはトミー達の方へ視線を戻した。
気さくな乗船所の人間に何やら話しかけられて、手をぶんぶん振っているヒュームの娘が見えた。
その光景にノルヴェルトが警戒の気配を帯びたことを感じ取り、ダンは口を開く。
「あんたの役割は、一番近くに張り付いてあいつを護ることだ」
警戒により鋭くなった目付きのままノルヴェルトが横目にダンのことを見る。
ダンは殺気すら感じられるその眼差しを、冷静な表情で見返していた。
「そこで口煩いようだが、肝に銘じておいてもらいたいことがある」
いつになく真剣な声で前置きを述べるヒュームの青年に、ノルヴェルトは少々眉を開いた。
ノルヴェルトが自分に対して完全に意識を向けたことを確認するとダンは言う。
「あいつを護るってのは、あいつだけを護ってりゃいいってもんじゃない」
「……どういう…?」
「全くもってメンドイ話だがな」
トミーは『馬鹿』が付くほどお人好しで、無鉄砲な優しさを持っている。
なので、助けたいだとか、護りたいだとか、そういう感情に囚われた時がある意味一番危ない。
彼女が咄嗟に投げ出すものはいつも、彼女自身だからだ。
「…………どうした、変な面して」
ふと、立ち尽くしている銀髪のエルヴァーンの表情に目が留まったダンは眉を寄せる。
しかし当のノルヴェルトは、片手で顔を押さえて『いや…』と言葉を濁した。
彼の脳裏には師の顔が思い浮かんでいた。
「で、あいつはあんたを護ると決めたようだ」
複雑な気分で視線を落としていると、唐突にダンがそんなことを言った。
彼女が、自分を護る?
目を丸くしているノルヴェルトを見て、ダンはその反応に同情するように苦笑いを浮かべる。
「これ以上、あんたには人を斬らせないつもりでいるだろう。あいつは頑固なところもあるからな、あんたを止める為なら何をするか分からねぇぞ」
ノルヴェルトは考えたこともない方程式を提示されたかのような顔をしていた。
潮風に揺れる銀髪の奥で眉を寄せ、告げられた問題を少しずつ解いていく。
トミーは大切に思うものの為なら簡単に身を投げ出してしまう。
だから、ノルヴェルトが騎士に対しての憎悪に囚われることは、彼女の身の危険に直結する。
ダンはそう言っているのだ。
「並大抵の苦労じゃねぇぞ」
そう言った時のダンの表情を、ノルヴェルトは今後節々で思い出すことになる。
今まで過ごしてきた時間に対する彼の思いが表れていると感じた。
途端に、ノルヴェルトは本題から逸れたことに思考が偏り始める。
それを言うべきか言わざるべきか、また、言うとしてもどう言葉にすれば良いのか。
判断を付けるのに数秒の時間を要し、ダンからは疑問の視線を向けられた。
「………あんた本当に分かりやすいな」
どういう顔をしていたのか分からないが、抜群の洞察力を持つダンは何かを見抜いたようだ。
口下手なノルヴェルトとしては、恐ろしいやら有難いやら複雑である。
「そんな後ろめたそうな顔するんだったらな、もっとあいつのことを、ちゃんと見てくれ」
叱責の言葉が返ってきてもおかしくないと思っていたが、彼からの言葉は調子が違っていた。
「あんたはあいつの向こう側ばかり見てる」
今までも何度か、トミー関係のことでダンから非難の言葉を浴びせられた。
それらはどれも罵倒する勢いでの激しいものであったけれども、 調子が違う今の言葉は、不思議とそれらよりも遥かに重みを感じた。
「それと、仮にあんたが罪悪感を抱いてどうにかしようとしたって無駄だ」
やや険しい表情になったダンは、そう言いながらノルヴェルトの胸元に指を突き付ける。
「これは俺とあいつの問題だからな」



「ちょっと……何、ケンカしてるの!?」
そこで、険悪なムードと見て取ったトミーがパタパタと慌てた足取りで駆け戻ってきた。
ダンはやれやれという溜め息をついて背の大剣を背負い直し、ノルヴェルトは呆然と彼女を眺める。
「お前は言うこと聞かねぇじゃじゃ馬だから手を焼くぞって警告しといてやったんだよ」
「な、何それ!?」
トミーは肩を怒らせるがダンはそれを適当に流し、1テンポ遅れて戻ってきたロエを出迎えながら、 『じゃ、早いとこ乗りましょう』と言って乗り場に向かった。
さっさと行動に入るダンの背中に納得がいかないという視線を刺すトミー。
しかし、ダンに構うのをすぐに止め、立ち尽くしているノルヴェルトのことを気にかけた。
「ノルヴェルトさんはもう傷付かなくていいんです。絶対護ります」
真面目にそんなことを言って、トミーはノルヴェルトの手を引いた。
ダンに言われた言葉やトミーのこの行動について頭の中で処理が追い付かず、ノルヴェルトは促されるがままに呆然と後に続く。
そんなエルヴァーンの様子を尻目に、苦労を察した悩ましい笑みをロエは浮かべた。
ロエ達が購入を済ませた乗船券を使って機船乗り場に入り、ダンはすでに到着している船に直行した。
機船は、飛空艇とは決して比べてはいけない外観をしている。
全体的に茶色で飾り気のないレトロフォルム。碇泊中であるものの僅かに煙を吐いている煙突。
客船ではないのでさほど大きくもなく、船内には航行中のメイン娯楽とも言える釣りギルドと、 積荷を放り込むがらんとした広いスペースがあるのみ。
看板に出て釣りに勤しむ者以外は、その積荷スペースの木の床に身を落ち着けて陸地までの時間を過ごすのだ。


「問題なさそうだな」
まるでルートが決められているかのように船の中を歩いて回ったダンは、 乗船口まで戻ってきてようやく、その言葉と同時に足を止めた。
疑問符を浮かべながら懸命に彼の後に付いて歩き回ったトミーらは益々首を傾げる。
すぐに気が付いてはいた。ダンは船内の安全確認をして回っているのだということには。
実際、船内にはダン達以外の乗客はいない様子だった。
それが偶然なのか計画的なものなのかは、トミー達の知るところではなかったが。
「たまに、看板に変な奴が乗り上げてきたり海賊が出たりするが、船内から出なけりゃ関係ねぇから。そのへんの勝手はロエさんの指示に従え」
ここで、トミーとノルヴェルトの二人だった疑問符組に、ロエも加わった。
「……って、何、なんで降りるんだよぉぉ!?」
渡しの板の脇で手元の時計を見ている船員の肩にぽんと手を置いて、 しれっとした顔のままでダンはすたすたと陸地へ戻っていった。
船員に何か言いに行くのかと思って呑気に眺めていたことを激しく悔やむ。
時間に正確な船員が渡しの板を取り外してしまったのでトミーは追うに追えない。
ロエも、ダンは一緒に行くと思っていたので目を丸くして立ち尽くしていた。
三人の視線を背中に浴びつつ、ダンは見送る素振りも見せずに乗船所の建物に向かって歩く。
“予定は変更になる場合があるとは言っといただろうが”
出発を知らせる汽笛の音よりも内側で、リンクシェルを通ったダンの声が届く。
どこぞの詐欺商法のような文句を言っている彼を見つめる面々は開いた口が塞がらない。
“マウラに着くまでたっぷり時間がある。その時間を有効に使って体を休めておけよ”
“何言ってるんだよぉ!ダンは!?”
“俺はもっと寝心地の良い場所で寝ることにした”
建物近くまで戻ったところで、ダンはゆっくりと動き始めた機船を振り返る。
後ろ向きに歩きながら“悪いな”と憎たらしいことを言うダンの顔は真面目だった。
“ダ、ダンさん……”
“心配要りません、これは前向きな予定変更です”
動揺を隠せないロエの声にリーダーの明瞭な声が答える。
“……変態の野郎が見つけたとかほざいてるんで…”
“えっ!?”
建物の影に身を潜ませるかのように立ったダンを驚愕の表情で見つめるロエ。
当然、トミーから“見つけたって、何を?”という疑問の声が上がる。
看板の手すりを握り締めて立っているトミーに焦点を合わせ、ダンは答えた。
“協力者だ。……まぁ、『特別ゲスト』っつった方がしっくりくるけどな”


―――とそこで、不意に銀髪のエルヴァーンが素早くトミーを自身の後ろに引き込んだ。
驚く女性二人の前に立ったノルヴェルトは、野性味さえ感じられる目付きで夜の闇に目を凝らしている。
“奴らだ”
短く彼が言った。
ダンもすぐさま反応して、やや身を低く構えると、そっと建物の影からノルヴェルトの眼差しの先を探る。
セルビナ入り口方面の高台の上に、漁民とは異なる二人分の人影が現れたところだった。
“隠れなくていい”
船の上で血相を変えているであろう女性二人に向けてすぐさま言う。
“そのまま挨拶でもしとけ。俺の方を気にするなよ”

夜の港町に現れた二人は、他でもない、ジェラルディンとウォーカー。
やはり冒険者風の身なりをした二人は、しばし周辺を見渡した後すぐにノルヴェルトらの存在に気がついた様子だった。
建物の影から窺っているダンには、闇の先にいる彼らの表情までははっきりと見えない。
しかしジェラルディンが舌打ちしているであろうことは、何となく予想がついた。
“期待通りの早さだ。行動の迅速さにおいては、騎士の模範だな”
騎士達が船に乗った一行を確認したので、もう船内に入って良いと指示する。
獲物を取り逃がした飼い犬達を睨み付けているノルヴェルトが一番後になり、トミー達は順に船内へ入っていく。
“ダン危ないよっ、大丈夫なの?!”
“あいつらもすぐにここを離れるだろ。色々と理由付けでもしながら向かうのは…マウラか”
懐から何かを取り出してそれを見つめながら言葉を交わしている騎士を眺め、 手にしているのは時計だろうと思い当たる。
目的がはっきりしている彼らの行動はやはり迅速である。
現れた方向へと引き返し、夜の闇の向こうに姿を消していくのが見えた。

あくまでも、あっち狙いってわけだな。
ダンは機船へと視線を戻す。少し目を離した間に大分港から離れていた。
しかしこれで一応は、明け方までの間トミー達のことを気にかけずに済む。
まだ半信半疑ではあるものの、変態も宝探しを成功させたようであるし、今のところは全体的に順調と言える。
そこでやはり意識せずにはいられないのが、意外にも、 今一番の大きな課題は、自分がどこまで動けるかと言うことだ。
今回のチーム編成は極めて異色であり、成そうとしている事柄も異常である。
また、諸事情により全員に計画の詳細を明かすことができない為、行動できる人間が限られる。
舞台を成功させるには当然役者は必要であるが、役者以外にも必要な役目はたくさんあるわけだ。
ただでさえ、完成度を少しでも上げるために状況に合わせて修正を入れつつ進めているのだから、 ダンの仕事が必然的に増加していくのはもはや自然現象といえる。
さすがに、物理的に相当厳しいということを感じずにはいられなくなってきた。
……やっぱり足りねぇな……少なくとも、エルヴァーン一人分は確実に。

しかしまぁ、できないことはないだろう。
完成度には若干目を瞑らねばならなくなりそうだが、贅沢は言っていられない。
『終わるまで完全に休み無しだな』と鼻で笑いながら小さくぼやき、 黒い海の向こうに進んでいく船の小さな明かりに目を細めた。
“あっちに着いたら忙しくなるぞ。そのつもりでいろよ”
土造りの建物に預けていた背を起こしながら、大事な囮達に言った。

“そう言う君は今でもメチャクチャ忙しそうだよ。一人で働き過ぎなんじゃないの?”

いきなり調子の違う声が加わってきて、仰天した気配がリンクシェル内で行き来したのを感じた。
一拍の間を置いて、トミーとロエが同時に声の主の名を呼ぶ。
軽い調子で挨拶を返した声の主、パリスは、相変わらずの楽観的な笑い声と共に言った。
“というわけで、遅刻しちゃったけど僕も交~ぜて♪”
ダンは何とも言えない顔をして、足元を見つめながら頭を掻く。
タイミングを計ったかのように届いた軽い声に気味の悪さすら感じていた。
“え!?で、でも、でも危険ですよ!”
分かりやすく動揺しているトミーの声にパリスは“参ったなぁ”と笑っている。
“女の子に『危ないからダメ』って言われて引っ込んでるなんて、かっこ悪いじゃない”
“そんな、だって…お姉さんが…っ”
“姉のことは大丈夫です”
落ち着きのある、どこか吹っ切れたような声でパリスはヒュームの娘を制した。
彼の様子にロエは感じるものがあったのか、何も言わずにいる。

“ね、そこのリーダーさん。僕も参戦させてもらいますよ”
パリスが呼びかけている相手は、当然ダンのこと。
“ん~、それとね”
何となく彼が言おうとしていることが思い当たり、ダンの腕に僅かな震えが走った。

“提案があるんです……僕らから”


後にも先にも、これは最大の『狩り』と言える。

―――いっそのこと贅沢にいってみるか?


“分かった、詳しいことは直接話そう。そっちに行くからそれまで待機しててくれるか”
“おっ。Yes sir☆”
“ちょ、ちょっと、ダン…”
“大丈夫だ。余計なこと考えないで大人しく休んでおけよ”
抑揚のない声で淡白に、もう静かにするようにと指示する。
しかし、そう言うダンの胸中は穏やかなものではなかった。
―――これはもう、止まらないかもしれねぇな。
他人事のように内心呟いて、別のパールに向けて呼びかける。
“おい変態”
“もうすぐ着くなりよ!!?ご飯よりお風呂より先にダンをキボンヌ!!!!”
黙れ。更なる予定変更の連絡だぞ”

体に走っているこの震えは、東方では『武者震い』というのだ。
そんなことを思いながら、ダンは波の音に耳を澄ませながら深い呼吸を一往復する。
そして、夜空から海を見下ろしている月を見つめて変更事項を告げた。



“フルキャストだ”



<To be continued>

あとがき

トミーの嫉妬から始まり、パリスの『飛んで火に入る夏の虫』で終わるという第二十七話でした。(´▽`)
そしてここでサイト消滅し、16年も読者様を待たせるという非道。
ここまでたくさんの作品を再掲載作業してきて(ぶっちゃけまだ終わってねぇけど)、復活させて良かったと心底思っています。
時が経ち過ぎてしまい、かつての皆さん全員とは繋がれないかもしれない。
それが寂しいですが、悔やんでもしかたない。
村長のことだからどうせ遊びながらだろうし、完結まではまだ時間を要すると思いますが…。(-_-;)
昔から応援してくださっている方も。
このReturnからアハピを知ってくださった方も。
彼らの冒険を楽しみながら共に向かいましょう、フィナーレへ。
どうぞよろしくお願いします。