月下に星座現れ
2009/08/30公開
すらりとスタイルが良いエルヴァーンの娘―――名前はモニカというらしい。
銀髪のショートヘアである彼女は、前髪を頭の上に上げてピンで留めており、
額が露になっているせいか幼い印象を受ける。
彼女はここ、テレポホラの下に設置されたレンタルチョコボの出張係員である。
本来、チョコボ厩舎は街中にあるものだが、年々冒険者が増加するこのご時世だ。
増え続ける需要の声と時代流れに応える為、こうしてテレポート等にも出張サービスが提供されるようになったのだ。
ちなみに、こうした出張所にいる女性係員は、世間では『チョコガール』と呼ばれている。
そんなチョコガールのモニカと、ダンが話しているのを眺めながら、トミーは何となく彼女を苦手だと感じていた。
誰にでも人懐っこい彼女にしては珍しいことで、自分でも少し戸惑っている。
気を紛らわせるように視線を遺跡へと向けたが、モニカの声は容赦なくトミーの耳に届いた。
「最近、全然来なかったわねぇ。……あぁ、分かった!顔見せなかった理由は彼女じゃないのぉ?」
半眼になって、ダンの横からロエのことを見下ろすモニカ。
ロエは驚いた顔をして、慌ててぷるぷると首を横に振る。
どうやらロエも、馴染みの無い人柄のモニカに少し戸惑っているようだ。
「んん~?あっちの彼女かしら!?アタリでしょぉ」
「ついこないだもここを使ったぞ。お前がいなかっただけだ」
今度はトミーを指差すモニカに、ダンがうんざりした声で制した。
「今日はお前に、ちょっとした頼みがあって来」
「えぇぇ何かしら!?ダンがモニカを頼るなんてぇ!」
ダンの言葉を遮って声を上げるモニカ。ダンは益々表情を険しいものにする。
今は丁度暇な時間帯のようだ。
彼女以外に係員の姿は見えず、テレポで飛んでくる冒険者パーティもいなかった。
モニカの食い付きっぷりを見ても、相当退屈していたのが分かる。
さっそく用件を切り出すのかと思いきや、ダンはその前にノルヴェルトへ視線を向けた。
「……チョコボには乗れるな?」
唐突な問いに、ノルヴェルトは一瞬固まる。
隣のヒュームの娘が、自分のことを見上げたのが視界の端に映ったことで、ようやく思考が回った。
ダンを見つめ返し、小さく頷く。
「……鞍がなくても」
「チョコボの扱いには覚えがあるって顔だな」
勝手に納得したように言うと、そのやり取りをきょとんと眺めていたモニカに向き直る。
「ということだから、チョコボを貸してもらいたい。ガルカ用のな」
「ガル?!」
ガルカ用を求めるのは、チョコボの騎乗術をまだ身につけていないトミーを一緒に乗せる為だ。
つまり、一羽のチョコボにトミーとノルヴェルトを二人乗りさせようとしているのだ。
「久しぶりに顔見せたと思ったら……何なのいきなりぃ」
そう言いながら、モニカはさり気なくダンの腕に自分の腕を絡めた。
辛辣淡白毒舌戦士に―――なんて命知らずな。
衝撃の光景を目にし、ダンの最高に冷酷な反応を予想して固唾を呑むロエ。
だがその予想に反して、ヒュームの戦士は小さく舌打ちしただけで黙って腕を引き抜いた。
むっとして顔を上げたモニカは、その不機嫌な顔のままノルヴェルトをじと目で見る。
「フン……そもそも、その人、ちゃんと免許持ってるんでしょうねぇ?」
分かり易く機嫌を損ねているモニカに構いもせず、ダンはノルヴェルトのことを振り返る。
見てみると、大鎌を背負ったエルヴァーンは眉をしかめて視線を逸らしていた。
さっさとモニカに視線を戻してダンは言う。
「無い」
「イヤよぉ、無免の客に特別なチョコボ貸すなんてぇ!バレたらクビになるわ。この仕事楽だし、出会いもあるし、気に入ってるんだからぁ」
モニカはまるで話にならないという様子で、手をひらひらと振り一行を追い返そうとした。
―――するとそこで、一組の冒険者のパーティがテレポートに現れた。
商売の気配を感じ取ったモニカは、ダンの眉間を指でつついて『怖い顔してもダ~メ♪』と言い残し、小走りで客のもとへと向かっていった。
モニカが客の対応に向かっている間、ロエは目茶苦茶に緊張しつつダンを見上げた。
恐ろしくて、一瞬見ただけで視線を下ろしてしまった。
びりびりと伝わってくる気配から、彼がよく耐えていることを察する。
戸惑ってトミーら二人を振り返ってみると―――思っていた距離に彼女達はいなかった。
トミーがノルヴェルトの腕を引っ張って、不思議な建造物を見上げながら何か話している。
妙に明るい表情のトミーに対し、ノルヴェルトは見るからに困惑していた。
冒険者間の常識には全く疎い彼は、先程ここに到着するなりホラの石をダンから手渡され、大層不思議そうな顔をしていた。
「そういえば、何て言ったっけ?あの女たらしの……」
言いながら、モニカがこちらに戻ってきた。
目をやると、さっきの冒険者達がチョコボに乗って駆けて行くのが見える。
もし客が増えて対応できなくなったら、リンクシェルで連絡すればすぐに応援要員がテレポしてくるのだろう。
確かにこの様子だと楽で良い職場なのかもしれない。
「そうそう、あの人。パリス!彼も最近見ないわねぇ。また新しい彼女でもできたのかしらぁ?」
からかうように笑いながら、モニカはダンの顔を覗き込む。
その発言が聞こえたトミーは、思わずモニカをキッと見つめてしまった。
だがすぐに我に返り、彼女に気付かれぬよう顔を伏せると、ノルヴェルトの影に身を隠す。
身を隠すのに自分を使われたノルヴェルトは、きゅっと唇を噛んでいる彼女を見つめ、目を細めた。
勿論、トミーだって分かっている。
これはパリスの作戦の成果だということは。
あのノッポのエルヴァーンは、決して軽薄な遊び人などではなく。
家族想いで、心優しい男である。
そう弁護したところで、彼の長年の努力を無駄にするだけだ。
「おい、離れんな。こっちに来とけ!」
モニカからの振りを完全に無視して、ダンが声を張った。
ダンに対しても何だか歯痒い思いがするトミーは、むっとした顔になる。
動こうとしない彼女に小さく息をついて、『行きましょう』とノルヴェルトは踵を返した。
「話を戻すが、依頼を受けてもらえないか」
ダンは再びモニカに向き直り、無機質な声でそう言った。
彼はきっと、モニカというこの娘に心底興味がないのだろう。
ロエはそっとダンの横顔を盗み見て、ようやく腑に落ちた。
「だからぁ、クビになりたくないしぃ。お断りよ」
「……なるほどな」
実際ロエの分析の通りであるダンは、もはやモニカの話をまともに聞いていないようだった。
面倒になったとでも言いたげに、彼は“得意の交渉術”にシフトチェンジする。
「あー、でも考えてみろ。俺達に協力する以外にも、お前がクビになる可能性ってのはあるんじゃないか?」
唐突な言葉に、モニカは『モニカ?』と自分を指差し、目を瞬かせた。
傍まで戻ってきたトミーとノルヴェルトの二人も、ダンの隣にいるロエも、揃って首を傾げている。
すると、ダンは何かを思い出したように眉を開いた。
「話は変わるが、お前は稼いだ小遣いをどんなことに使うんだ?」
腕組みをしながら、あっけらかんと尋ねるダン。
仲間達はさらに困惑の表情を浮かべる。
だがモニカは、その一言で何か思い当たったらしく、一気に顔色を変えた。
「な…な、何よぉ!!何それ!?ちょっ……何なのよぉ!!!」
途端に動揺を露にしたモニカは、ダンの胸をばしばしと叩く。
微動だにしないヒュームの戦士は、半眼になって溜め息を付いた。
「……その様子だと、最近でもやってんだな。時価に上」
「いきなり何言ってんのよ!やめてよ脅す気ぃ!!!?」
またしてもダンの言葉を遮って声を上げる。モニカは相当必死の様子だった。
トミーとノルヴェルトは、さっぱり訳が分からないといった顔で見合わせている。
しかし、ロエは何となく予想がついたようだ。何とも言えない顔をしてダンのことを見上げた。
“……ダンさん、あの、どうやって気が付いたんですか?”
レンタルチョコボは、その時間帯の需要によって貸出し料金が決まる。―――つまり時価だ。
その時価に、チョコガールが若干上乗せして請求していても、こんな空の下で、急いでいる冒険者はまず気が付かない。
リンクシェルを通してのロエからの問い掛けに、ダンはさらりと答えた。
“まぁ、勘と言うか。ちょっと鎌掛けたら、こいつが勝手に白状したんですよ”
確かに、モニカは墓穴を掘るタイプなのかもしれない。
彼女の必死な取り乱しようを見て、ロエは苦笑した。
「もう一度言うが、これは依頼だ。ちゃんと依頼料も支払う」
きょろきょろと周囲を警戒していたモニカが、顔を上げた。
「………ホントにぃ?」
「万が一お前がこの仕事を続けられなくなったとしても、次の職場は俺が見つけてやる」
「……へぇ~」
モニカの目がじわじわと挑発的な色を帯びていく。
再び無意味に腕を絡ませる彼女は、すっかり元の調子に戻っているようだった。
「あはっ、『永久就職』とか言わないでよぉ?モニカ、彼氏いるんだから♪」
彼女は本当に、チョコガールより別の仕事に向いている気がしてならない。
ダンにぴったりと張りつくモニカの姿を、誰もがそう思いながら眺めていた。
ダンはその腕を振りほどきながら、懐から小袋をひとつ取り出した。
モニカの目の前に差し出し、冷静に言う。
「これは前金だ」
目を見開いてそれを受け取ったモニカは、袋の中身を覗きこむと『キャ~ッ♪』と小さく声を上げる。
「残りは、全部終わってから支払う」
「ずいぶん羽振りがいいわねぇ♪……って、終わってからって?」
「チョコボを借りたいのは、今だけじゃない。他にもう一度ある」
「ふぅん。それは、いつ?」
「予定では明日だな」
モニカは受け取った前金をいそいそと懐にしまっていたが、その一言に怪訝な顔を上げる。
「予定では明日?明日の、いつなのぉ?」
「詳しい時間は分からない。だからお前は明日、絶対にここを離れるな」
「えぇ?」
「その時俺がいるとは限らない。この二人の顔をよく覚えておいてくれ。で、こいつらが来たら何が何でもチョコボを貸せ。クビになってでも貸せ。いいな」
「ちょ、ちょっと!無茶苦茶なこと言わないでよぉ!」
淡々と告げるダンの腕にモニカは慌ててしがみついた。
先程から苦々しいものを表情に滲ませていたトミーは、そこでふと不安げな目になる。
「まぁ、落ち着けよ。いいか?お前はただ、こいつらにチョコボを貸すだけでいいんだ。もしそれで立場が危うくなったとしても、全部俺が何とかしてやる。終わったら前金の倍の額もちゃんと渡すし、とにかく絶対悪いようにはしねぇよ」
一体、これから何が起きるというのだろう。
ダンがここまで言うなんて。
きっと、よっぽどのことが待ち受けているのだろう。
自分はいないかもしれないという彼の言葉も凄く引っかかり、トミーは無意識の内に、両手をぎゅっと握り締めていた。
モニカは、まるで時間が止まったかのようにぽかんと口を開け、ダンを見つめていた。
そのまま数秒が過ぎ、ようやく口を動かす。
「ダン………もしかしてモニカのこと、口説いてる?」
* * *
つん、と袖を引かれ、パリスははっと振り返った。
すぐ傍にいた姉が目を見開き、パリスの手元へと慌てて腕を伸ばす。
パリスは焦った様子の姉に目を白黒しながらも、姉が咄嗟に掴んだロープを元々握っていた自分の手に力を込める。
姉弟揃って緊迫した顔を上げると、目の前には干草の塊が不自然に傾いていた。
今にも崩れそうなそれを、かろうじて締めたロープがぎし、と食い止めている。
姉は、手元がお留守になっている弟に警告しようとしたのだと、やっと気が付く。
ふぅと息を付いているヴィヤーリットに『ごめんなさい』と苦笑いした。
姉は微笑んで、静かに首を横に振る。
ここ数日、厩舎にいる二羽のチョコボのうち、一羽の様子がおかしい。
変化が見え始めたのは、丁度パリスが仲間達をこの家に招いた頃からだった。
慣れない人の気配に、敏感になっているのかもしれない。
頻繁に人が厩舎に出入りしているわけではないが、この家はそんなに大きくない。
年老いたチョコボでも、声くらいは聞こえているはずだろう。
それまでは、静かに横たわっているだけだったのに、心細いのか、
まるで誰かを呼ぶように鳴いたり、何処かに行きたい様子で起き上がったりした。
その挙動は、これまでに見てきた“最期が近いチョコボ”の様子と、どこか似ていた。
だからこそ、ヴィヤーリットはその一羽をずっと気にかけていた。
落ち着きのないチョコボは、干草もすぐに蹴散らしてしまう。
だから補充する作業を、パリスも手伝っていた。
そしてその作業中、リンクシェルを通じて聞こえてきた仲間の声に気を取られ、手元が疎かになってしまった。
失態を犯しそうになった自分に苦笑いを浮かべるパリス。
胸の内では、まるで出口の見つからないジレンマが、うろうろと歩き回っているような心地。
もう大丈夫だから、部屋に戻りましょう。
目線と素振りでそう伝え、ヴィヤーリットはチョコボの頭をそっと撫でて離れる。
パリスは干草の塊をしっかりとロープで固定し、チョコボに手を振ると姉に続いて厩舎を出た。
出口を探して、動物のように、ジレンマがうろうろうろうろ。
ダメダメダメ。
僕にはできない。
―――え?何ができない?
捲り上げた袖を直しながら歩いている姉の後ろ姿を、じっと見つめた。
…いや……何でもない。
窓から差し込む夕日に照らされ、その細い背中は橙色に染まっていた。
* * *
ノルヴェルトの騎乗術は、ダンの期待を遥かに超えていた。
二人乗りなだけでなく、並みの技術では扱え切れないであろう大きなチョコボを、
銀髪のエルヴァーンは手綱と足で巧みに操り見事なものであった。
今回が初めてのチョコボ騎乗だったトミーも、最初こそ緊張していたが、すぐに慣れたようだった。
ノルヴェルトの背にしっかりとしがみつきながら、その鮮やかな騎乗ぶりに驚きの声をあげ、楽しげに笑っていた。
そして砂丘を進んでいる最中は、空中に散らばって瞬いている星を、彼女は物思いに耽った顔でじっと上げていた。
ラテーヌ高原からバルクルム砂丘を越え、ダン達はセルビナに入った。
町の入り口でチョコボ達を解放し、夜の砂漠を駆け戻っていくその黄色い姿をしばしの間見送る。
そして、踵を返して歩き始めたダンに続いて、仲間達は港町の中へと足を踏み入れる。
セルビナはかつて、バストゥークの貿易港として栄えていた。
しかし今では三国に属さない自治都市となり、独自の統治体制のもとに運営されている。
サンドリアの騎士団やバストゥークの銃士隊のような軍組織の姿はここにはない。
今ではすっかり地元漁民の町となりつつあり、独特のローカルな空気に満ちていた。
土で作られた箱のような簡素な建物が点在し、港では一定の間隔で吊るされた明かりが波をぼんやりと照らす。
波の音を含んだ潮風が吹き抜ける中、皆は無言の戦士の背中を黙って追いかけた。
ダンが真っ先に向かったのは、ゲートクリスタルだった。
夜の闇にぼうっと光を放つ大きなクリスタルの前で立ち止まると、彼は振り返り、トミーとノルヴェルトに告げる。
「ここをホームポイントにしておけ」
その指示はつまり、デジョンなどの魔法を使って戻ってくる際、転送される地点をこの場所に設定しろという意味だ。
言われて、トミーは何となくロエの顔を見た。
タルタルの魔道士は真面目な顔で小さく頷き返す。
それなりに疑問はあったが、トミーは素直にダンの指示に従い、クリスタルに念じた。
どうか―――もうこれ以上、誰も傷つかずに済みますように。
そんな願いも込めながら。
一方、クリスタルに対してあからさまな嫌悪を示していたノルヴェルトも、渋々念を送ったようだった。
「……私とノルヴェルトさん、だけ?」
どうしても抑えきれず、トミーは問いを口にした。
彼女の視線の先、クリスタルの光をその瞳に映しているダンの横顔があった。
ダンも念を送っていると解釈して良いのだろうか……と見つめる。
何となくーーー彼が、遠く感じられた。
彼は、あの光の向こう側に、一体何を見ているのだろう。
「……まぁ、予定が変わる場合もあるが」
そう言ったダンの声は、どこか淡々としていた。
それが返事なのかどうかも曖昧なまま、彼は次の指示を出す。
「ロエさんは、ジュノのままにしておいてください」
これからどういう行動を起こすのか、二傑の打ち合わせに同席したロエは大筋を知っている。
だから彼女は、自分とは頷きの深さが違うのだとトミーは思った。
「出発前にもざっと説明したが―――お前達は時間稼ぎ、要は連中の囮だ」
クリスタルの淡い光に半身を照らされながら、ダンが役割の再確認を始めた。
今の彼は、かつてよく身にまとっていた銀の鎧姿ではない。
それだからこそだろうか。
彼の放つ気配は以前にも増して、頼もしさを感じさせる。
「今、変態とネコの方で証人として使える人間を手配してる。集めるまで少し時間が掛かるからな。その間、お前達はできるだけサンドリアから離れろ」
証人手配に回っている二人の安否を気遣う顔をして、トミーはおずおずと頷く。
隣のノルヴェルトは、非常に複雑な表情を浮かべて口を引き結んでいた。
彼はこれまで、単身で騎士達と真っ向からぶつかり合ってきた。
今回のような間接的な戦略に馴染めず、どうにも落ち着かないというのが彼の本音だろう。
「……回りくどいことをするもんだ、と、あんたは思うかもしれないな」
ノルヴェルトの心中を見透かすように、ダンが苦笑混じりに言う。
「意外とできるもんだぜ?相手に触れずにぶん殴るってのは」
「大丈夫そうなの?その、証人になってくれる人って……」
ノルヴェルトに代わり、トミーが問いかけた。
『どういう人達なの?やっぱり騎士さん?』と首を傾げる彼女に、ダンは肩をすくめてみせる。
「ピンキリだな」
「……へ?だ、誰?有名な人?」
「いや、人名じゃねぇよ。」
頭を掻きながら、ダンはぶっきらぼうに補足する。
「あー、まぁ、雑魚から大物までってことだ」
その返答に、トミーの疑問は益々深まる。
大物までというと、では相応の地位にある人間にも接触しているということだろうか。
確かにローディは驚くような広い人脈を持っていそうではある。
だがリオは、そういう世界と馴染みがないことは明白。
所持しているはずなのに、リンクシェルから賑やかなミスラの声が聞こえてこないことも、トミーは不安だった。
「リオさん、大丈夫かな……」
気になって仕方がない。
けれど、こちらから呼びかけたら邪魔になるのではないか―――そんな迷いを滲ませた表情で、トミーは手元のブルーのリンクパールを見つめた。
その姿に、ロエは少し困ったような笑みを浮かべて言う。
「ローディさんがご一緒ですから」
“見つけちっちっちー☆”
―――今のロエの発言は、複数の意味で解釈できるな。
なんてことをふと思った矢先、ダンの頭の中にハイテンションな声が飛び込んできた。
ローディが所持しているリンクパールはダンしか持っていないので、他の仲間達には聞こえていない。
話題の人間からの報告の声に、ダンは表情を変えぬまま少々唖然とした言葉を返した。
“……また有り得ねぇ早さだなオイ……。ほんとかよ?”
“失礼だにゃ!一般ピーポーの基準で俺様を計ることが間違ってんにょ!?”
きんきんと響く声に、思わず眉間にしわが寄る。
だが今回は『黙れ』とは言わなかった。
ローディ本人は文句を言っていたが、やはりこの役割分担は適材適所であった。
専門で捜している人間達は見つけることができずにいるものを、しかもこの短時間であっさり見つけ出すとは。
“で、ドコなんだ?”
変態魔道士に対する問いと被さって、トミーがリオに向かって呼びかける声も聞こえた。
ロエに一言断りを入れ、一言だけでも、と。
しかし、返事はなかった。
―――だから無駄だっつーの。
あいつ今、パール持ってねぇんだから。
内心でぼやくダン。
その事実を知らず、返答のないリンクパールをじっと見つめているトミーの姿に胸がちくりと僅かに痛む。
“いつもいつも、せっかちじゃのぅダーリンは”
まだリンクシェル会話に慣れていないノルヴェルトが目を丸くしている様子を横目で見ていると、
勿体つけたいが言いたくてしょうがないと言いたげなローディの声が届く。
いつもいつも勿体つけるお前は激めんどくせぇ……とは言わずにおいて、質問の答えを待つ。
“きひっ……それがさ~、皮肉にも~……”
―――変態魔道士から伝えられた情報に、思わずダンも目を見張ってしまった。
ここからでは姿の見えない相手を見つめる代わりに、リンクパールの入った腰のサックに視線を落とす。
“……間違いないんだろうな?”
言いたいことはたくさんあったが、大部分を省略してその問いに全てを託す。
ダンとしては重みを持った問いだったが、返ってきた返事は流石とも言えるこんな軽率文句。
“うん、多分ぷい☆”
“多分じゃ駄目だ、馬鹿野郎”
“きひっ!大丈夫なりよ~~。どうせダンも、自分の目で確認するじゃろ?”
今後の展開を大きく左右する重要事項だというのに、
ローディはまるで店頭でお得な商品を見つけた時のような調子だ。
一応は想定内である温度差に、苦々しい表情を浮かべそうになるのを耐える。
ダンは投げかけられた質問に対する答えを考えた。
自然と、眼差しをヒュームの娘に向けた。
リオからの返事がないことに、どこか不安げに口をへの字に曲げている。
渋々リンクパールをしまおうとしている彼女が、ダンの視線に気付き、目を瞬く。
視線の意味を分かっていないトミーから目を背けぬまま、ダンはローディに向けて“当然だ”と一言だけ返した。
* * *
高貴な血筋の家々が並ぶ王都の一角は、普段よりも明かりの数が多く灯っているようだった。
いつもなら通行人をほとんど見掛けない時間帯だが、道を通る車や使用人の姿が目に付く。
それはきっと、成人の儀に向けて、各国に散っていた一族が帰省しているからだろう。
明日は、明後日に行われる貴族階級の御子息、御令嬢の『成人の儀』のリハーサルと、
成人の儀を迎えることを貴族間で祝い合う祝賀パーティが執り行われる。
祝い事の準備に加えて、前祝いの準備もある為、テュークロッスの多忙振りは尋常ではなかった。
団長格が必ず出席する定例の会議でさえ、ここ数日は免じられているほどである。
なので今はある意味、世間の状況に疎いとも言えるかもしれない。
いくら優秀だと言っても、前任であった神殿騎士団とは、テュークロッスの勢力は規模も資本も差は大きい。
それでもこれまで事無く式典を成功させてきたのは、やはりテュークロッスの手腕他ならない。
赤髪の騎士団長は、遠征の時以外はどんなに遅い時間になろうと必ず自邸に帰る。
例え、家の者と会話をする時間が取れずとも、主が屋敷に戻るということ自体に意味があるというのが持論だ。
夜遅く、自邸に戻ったテュークロッスを迎えたのは、年配の侍女長エルヴァーンだった。
主人の帰宅に合わせ、家の内外で起きた出来事を一通り報告する彼女の言葉を、テュークロッスは煙たがることなく聞き入れていた。
それは彼にとって、まるで情報の新聞のような存在であった。
ドアをゆっくりと開き、明かりのついていない暗い部屋に静かに足を踏み入れる。
そして窓に掛かっているカーテンを少しだけ開け、月明かりを部屋の中に招き入れた。
ベッドで眠っている妻と、その傍らにある籠の中で眠っている幼い娘の姿が照らし出される。
夫の仕事に干渉することなく、家内を穏やかに保つ慎ましい妻。
自分が幸福であるということすらまだ理解できていないであろう幼い娘。
赤髪の主は、遠い昔に自分が経験した、一族の主が失われた時の混乱を思い返す。
胸に詰まる想いを振り払うように、彼は静かに息を吐いた。
その溜息は、これから先も乱れなき統治を誓う自らへの労いであったが、家にいる者は誰もその内面までは知り得なかった。
* * *
出口を探している動物のように、ジレンマがうろうろうろうろ。
「無事に戦争を生き抜いているなら、是非お会いしてみたいですね」
『ホントに』と、小さく笑いを添えながら語る弟に、ヴィヤーリットは静かに頷いた。
幼い頃、眠る前によく語り聞かせたヒーローたちの物語。
こうして大人になった今、こんなにもじっくりその話をするのは初めてだと、彼女は感じていた。
かつては、気落ちした弟を励ますために姉が語っていた物語。
だが今宵、暖炉の前で語るのは弟の方だった。
日中は仲間達で賑わっていた部屋も、今は姉弟二人だけ。
炎の揺らめきが壁に影を踊らせる中、パリスは言葉を継いだ。
「でも、伯父さんと行動を共にしていたんだとしたら……分かりませんね」
組んでは解き、また組み直す手元を見つめながら語るその姿は、何かを必死に誤魔化そうとしているようにも見える。
騎士達から“狂犬”と呼ばれていた伯父の最期を、パリス達は知らない。
戦後に伝わったのは、「どこかの戦場で戦死したらしい」という、曖昧な情報だけだった。
恐らく、最期の記録が曖昧なのは、当時伯父が軍に所属していなかったからだろう。
“狂犬”が戦死したほどの戦場に共にいたというなら、弟が語るその剣士の生存も、望みは薄いのかもしれない。
剣士との対面を望んで語る弟を眺め、姉は冷静に分析していた。
―――弟は、乞いたいのだ。
その剣士に。
『貴方なら、どうしますか』と、助言を。
だが、それは無理な願いだった。
ヴィヤーリットのヒーローだった伯父は、もうこの世にはいない。
恐らく、弟パールッシュドのヒーローであるその剣士も同じ。
今は亡き英雄たちにどれほど思いを馳せても、彼らは決断を下してはくれない。
背中を押してくれることもない。
必死に己の思いを欺き、時が過ぎるのを待つしかないと自分に言い聞かせている。
そんな弟の姿に、ヴィヤーリットは胸が痛んだ。
思い悩むことはない。
行きなさい。
例え、ここで自分が弟のことをそう叱咤したとしても、今回ばかりはどうにもならないだろう。
護ると決めた、実質“唯一の家族”である姉のために、この弟は残ったのだから。
護る対象である姉から何を訴えようと、弟はただ困った顔で首を振るだけで聞き入れはしないだろう。
否、聞き入れることができないのだ。
それをパリス自身も分かっているからこそ、ヒーローの話など引っ張り出しているのだ。
自分が抵抗できない、崇高な存在を、パリスは無意識に求めているのかもしれない。
弟とは別のジレンマを抱えながら、ヴィヤーリットは背中を丸めている弟に目を細めた。
いつの間にか深く考え込み、口を引き結んでいるパリス。
その向こう側に、ふと視線が反れる。
夜が更けた外の世界と、安らぎのない明るい室内を隔てている窓ガラスに、自分達の姿が映っていた。
そこで、ヴィヤーリットは思い出す。
今は亡き英雄の他に―――弟にはもう一人、いたではないか。
尊敬と憧れを向ける、ヒーローが。
何の前触れもなく椅子から腰を上げた姉に、パリスがきょとんとした表情を向ける。
「?」
口を開くが、姉が人差し指を口に当てたので言葉を飲み込んだ。
にこと微笑んでそのまま部屋から出て行くヴィヤーリットを呆然と見送る。
また何か気を使わせてしまったのだろうと察したパリスは、大層不甲斐無さそうな顔をして頭を抱えた。
「はぁ~~~ダメだよねぇ、こんなんじゃ~」
今まで自分が大事にしてきた思いだとか、抱えてきたプレッシャーを、仲間達は受け止めてくれた。
だからこそ、こういう状況になっているというのに。
自分がこんなにも未練がましく猫背になっていては、仕方がないではないか。
「……みんなを信じて、打ち上げ会の準備でもしてればいいんだよ、僕ぁ……」
うろつくジレンマを追い払うように吐いた嘆きは苛付いた声色だった。
まるで頭痛のときのように、眉根を寄せて目を閉じた。
その時―――
廊下の向こうから、足音が聞こえてきた。
ふと、主は姉なのだろうが姉らしくない足音だなと感じて、閉じていた目をぱちりと瞬く。
次の瞬間。
「パールッシュド!」
仰天して顔を上げると、放られた剣が目の前に落ちてきて更に驚く。
抱き止めたその剣は、迷走するあまりパリスがキッチンに置き忘れていた自身の剣だった。
胸に飛び込んできた剣には当然驚いたが、それを遥かに上回る驚きに、パリスは目を丸くする。
「………兄…さん?」
随分と久し振りに聞いた、兄の声だった。
* * *
港の機船乗り場に着いた頃には、すでに夜も更けていた。
漆黒の海面には静かに月が映り、その光を柔らかく揺らしている。
これから利用する機船には、トミーも乗った経験がある。
ダンの『お前一人でウィンダスまで行けるわけがない』という面倒見の良い悪態を振り切り、
単身でミンダルシア大陸入りを果たした時に利用した。
当時、船で乗り合わせた初対面の冒険者との会話や、野良パーティで組んだ冒険者達とのやり取りがふと脳裏をよぎる。
あの頃はすべてが新鮮で、冒険者という開けた眩い日々だった。
そしてそれらが、今では自分の中で過去になっていることを知る。
船に乗れば、乗っている間は騎士達からの奇襲を警戒せずに済み、睡眠を取ることもできる。
そして何より時間を計算しやすいのだと、しかめっ面の戦士は説明した。
「あっちへの到着時間は明確だし、たっぷりと時間稼ぎもできるからな。機船も捨てたもんじゃない」
何やら一人で納得したように言うダンを横目にちらりと見て、ノルヴェルトは彼の視線の先に目をやる。
ダンが眺めているのは機船ではなく、乗船券売り場に向かっている二人の後ろ姿だった。
ロエが「皆の分を買ってくる」と気を利かせて申し出たため、トミーも一緒に行った。
三人だけで残される空気が気まずかったのだろうと、ダンは察していた。
ノルヴェルトから離れるなと念を押しておいたのに、早々と破っている彼女にダンは小さく溜め息をつく。
「……連中は、確実に狙ってくるな。あいつを」
計らずともノルヴェルトと一対一で言葉を交わす時間ができた。
これを利用しない手は無い。
ぽつりと言った言葉に眉をしかめたエルヴァーンが拳を握り締めたのが、薄暗い中でも分かる。
「そう分かっていながら、なぜ彼女を囮にする?」
静かに、しかし明確な怒気を含んだ問いに、ダンは即座に答えた。
「そうするのが一番安全だと思ったからだ」
あまりにあっさりとした物言いに、ノルヴェルトが訝しげに銀髪を揺らす。
「安全……?」
「その方が護りやすいしな。それと言っておくが、囮にはあんたも含まれてんだぞ」
唇の端を少し持ち上げて『頼りにしてるんだからな』と続けるダンに、ノルヴェルトは眉をひそめた。
その“期待”がどこに向けられているのか、彼にはまだ計りかねている。
解せない顔をしているノルヴェルトに苦笑してみせると、ダンはトミー達の方へ視線を戻した。
気さくな乗船所の人間に何やら話しかけられて、手をぶんぶん振っているヒュームの娘が見えた。
その光景にノルヴェルトが警戒の気配を帯びたことを感じ取り、ダンは口を開く。
「あんたの役割は、一番近くに張り付いて、あいつを護ることだ」
警戒により鋭くなった目付きのまま、ノルヴェルトが横目にダンのことを見る。
ダンは殺気すら感じられるその眼差しを、冷静な表情で見返していた。
「そこで、口煩いようだが……肝に銘じておいてもらいたいことがある」
いつになく真剣な声で前置きを述べるヒュームの青年に、ノルヴェルトは少々眉を開いた。
ノルヴェルトが自分に対して完全に意識を向けたことを確認するとダンは言う。
「あいつを護るってのは、あいつだけを護ってりゃいいってもんじゃない」
「……どういう…?」
「全くもってメンドイ話だがな」
トミーは『馬鹿』が付くほどお人好しで、無鉄砲な優しさを持っている。
なので、助けたいだとか、護りたいだとか、そういう感情に囚われた時がある意味、一番危ない。
彼女が咄嗟に投げ出すものは、いつも、彼女自身だからだ。
「…………どうした、変な面して」
ふと、立ち尽くしている銀髪のエルヴァーンの表情に目が留まったダンは眉を寄せる。
しかし当のノルヴェルトは、片手で顔を押さえて『いや…』と言葉を濁した。
―――彼の脳裏には、師の顔が思い浮かんでいた。
「で、あいつは……あんたを護ると決めたようだ」
複雑な気分で視線を落としていると、唐突にダンがそんなことを言った。
彼女が、自分を護る―――?
目を丸くしているノルヴェルトを見て、ダンはその反応に同情するように苦笑いを浮かべる。
「これ以上、あんたには人を斬らせないつもりでいるだろう。あいつは頑固なところもあるからな。あんたを止める為なら、何をするか分からねぇぞ」
ノルヴェルトは、まるで見たことのない数式を提示されたかのような表情を浮かべていた。
潮風に揺れる銀髪の奥、傷跡の残る眉をひそめて考え込む。
トミーは大切に思うものの為なら、簡単に身を投げ出してしまう。
つまり、ノルヴェルトが騎士に対しての憎悪に囚われることは、彼女の身の危険に直結する。
ダンは、そう言っているのだ。
「並大抵の苦労じゃねぇぞ」
そう言った時のダンの表情を、ノルヴェルトは今後節々で思い出すことになる。
今まで過ごしてきた時間に対する彼の想いが表れていると感じた。
途端に、ノルヴェルトは本題から逸れたことに思考が偏り始める。
それを言うべきか言わざるべきか。
あるいは、言うにしても、どう言葉にすれば良いのか。
判断を付けるのに数秒の時間を要し、ダンからは疑問の視線を向けられた。
「………あんた、本当に分かりやすいな」
どういう顔をしていたのか分からないが、抜群の洞察力を持つダンは何かを見抜いたようだ。
口下手なノルヴェルトとしては、恐ろしいやら有難いやら複雑である。
「そんな後ろめたそうな顔するんだったらな、もっとあいつのことを、ちゃんと見てくれ」
叱責の言葉が返ってきてもおかしくないと思っていたが、彼からの言葉は調子が違っていた。
「あんたは、あいつの向こう側ばかり見てる」
今までも何度か、トミーのことでダンから非難の言葉を浴びせられた。
それらはどれも罵倒する勢いの激しいものであったけれども、
調子が違う今の言葉は、不思議とそれらよりも遥かに重みを感じた。
「それと、仮にあんたが“罪悪感”で何かをどうにかしようとしたって、無駄だ」
やや険しい表情になったダンは、ノルヴェルトの胸元に指を突き付ける。
「これは俺と、あいつの問題だからな」
「ちょっと……何、ケンカしてるの!?」
そこで、険悪なムードと見て取ったトミーがパタパタと慌てた足取りで駆け戻ってきた。
ダンはやれやれという溜め息をついて背の大剣を背負い直し、ノルヴェルトはただ呆然と彼女を見つめる。
「お前は言うこと聞かねぇじゃじゃ馬だから手を焼くぞって、警告しといてやったんだよ」
「な、何それ!?」
トミーは肩を怒らせるがダンはそれを適当に流した。
遅れて戻ってきたロエを出迎えながら、『じゃ、早いとこ乗りましょう』と言って乗り場へと歩き出す。
先に歩き出したダンの背中に、納得いかないという視線を刺すトミー。
しかし、すぐに彼への関心を切り替え、立ち尽くしているノルヴェルトのことを気にかけた。
「ノルヴェルトさんは、もう……傷付かなくていいんです。絶対、護ります」
真面目にそんなことを言って、トミーはノルヴェルトの手を引いた。
……護る?―――貴女が?
ダンに言われた言葉や、トミーのこの言動について、頭の中で処理が追い付かない。
混乱の渦の中にあるノルヴェルトは、されるがままに彼女の後ろをついて歩いた。
そんなエルヴァーンの様子を見ていたロエは、苦労を察した悩ましい笑みを浮かべた。
購入を終えた乗船券を手に、一行は機船乗り場へと入る。
ダンは無言で先頭を歩き、そのまま停泊中の船へと向かった。
機船は、飛空艇とは比べ物にならないほど素朴で、実用一辺倒な外観をしている。
全体的に茶色で飾り気のないレトロフォルム。碇泊中であるものの僅かに煙を吐いている煙突。
客船ではないのでさほど大きくもなく、船内には航行中のメイン娯楽とも言える釣りギルドと、
積荷を放り込むがらんとした広いスペースがあるのみ。
看板に出て釣りに勤しむ者以外は、その積荷スペースの木の床に身を落ち着けて陸地までの時間を過ごすのだ。
「問題なさそうだな」
まるで最初からルートが決められているかのような足取りで船内をくまなく歩いていたダンは、
乗船口まで戻ってきてようやくそう言い、足を止めた。
疑問符を浮かべながら懸命に彼の後に付いて歩き回ったトミーらは益々首を傾げる。
すぐに気が付いてはいた。
ダンは船内の安全確認をして回っているのだということには。
実際、船内にはダン達以外の乗客はいない様子だった。
それが偶然なのか計画的なものなのかは、トミー達の知るところではなかったが。
「たまに、看板に変な奴が乗り上げてきたり海賊が出たりするが……船内から出なけりゃ関係ねぇから。そのへんの勝手は、ロエさんの指示に従え」
ここで、トミーとノルヴェルトの二人だった疑問符組に、ロエも加わった。
「……って、何、なんで降りるんだよぉぉ!?」
ダンは、渡しの板の脇で手元の時計を見ている船員の肩にぽんと手を置いて、
すたすたと陸地へ戻っていってしまった。
船員に何か言いに行くのかと思い呑気に眺めていたことを激しく悔やむ。
時刻ぴったりに行動する船員が渡し板を外してしまったせいで、トミーは追いかけることすらできなかった。
ロエもまた、ダンは一緒に行くと思っていたので呆然と立ち尽くしていた。
三人の視線を背中に浴びつつ、ダンは見送る素振りも見せずに乗船所の建物に向かって歩く。
“予定は変更になる場合があるとは言っといただろうが”
出発を知らせる汽笛の音よりも内側で、リンクシェルを通じて、ダンのしれっとした声が届いた。
どこぞの詐欺商法のような文句を言っている彼を見つめる面々は開いた口が塞がらない。
“マウラに着くまで、たっぷり時間がある。その時間を有効に使って、体を休めておけよ”
“何言ってるんだよぉ!ダンは!?”
“俺は、もっと寝心地の良い場所で寝ることにした”
建物の影に差しかかるあたりで、ダンはゆっくりと振り返り、出航し始めた機船を見送る。
後ろ向きに歩きながら“悪いな”と憎たらしいことを言うその顔は、妙に真面目だった。
“ダ、ダンさん……”
“心配要りません。これは前向きな予定変更です”
動揺を隠せないロエの声に、リーダーの明瞭な声が答える。
“……変態の野郎が見つけたとかほざいてるんで…”
“えっ!?”
建物の影に身を潜ませるかのように立ったダンを驚愕の表情で見つめるロエ。
当然、トミーから“見つけたって、何を?”という疑問の声が上がる。
甲板の手すりを掴んで乗り出すようにして立つ彼女に向かって、ダンが淡々と答える。
“協力者だ。……まぁ、『特別ゲスト』っつった方がしっくりくるけどな”
―――その時だった。
不意に、ノルヴェルトが素早くトミーを自身の後ろに引き込んだ。
驚く女性二人の前に立ったノルヴェルトは、野性味さえ感じられる目付きで夜の闇に目を凝らしている。
“……奴らだ”
短く、彼が言った。
ダンもすぐさま反応して、やや身を低く構えると、そっと建物の影からノルヴェルトの眼差しの先を探る。
セルビナ入り口方面の高台の上に、漁民とは異なる二人分の人影が現れたところだった。
“隠れなくていい”
船の上で血相を変えているであろう女性二人に向けてすぐさま言う。
“そのまま挨拶でもしとけ。俺の方を気にするなよ”
夜の港町に現れた二人は、他でもない、ジェラルディンとウォーカー。
やはり冒険者風の身なりをした二人は、しばし周辺を見渡した後、すぐにノルヴェルトらの存在に気がついた様子だった。
建物の影から窺っているダンには、闇の先にいる彼らの表情までははっきりと見えない。
しかしジェラルディンが舌打ちしているであろうことは、何となく予想がついた。
“期待通りの早さだ。行動の迅速さにおいては、騎士の模範だな”
騎士達が船に乗った一行を確認したので、もう船内に入って良いと指示する。
獲物を取り逃がした飼い犬達を睨み付けているノルヴェルトが一番後になり、トミー達は順に船内へ入っていく。
“ダン危ないよっ、大丈夫なの?!”
“あいつらもすぐにここを離れるだろ。色々と理由付けでもしながら、向かうのは―――マウラか”
懐から取り出した何かを見ながら言葉を交わしている騎士の姿。
手にしているのは時計だろうと思い当たる。
目的がはっきりしている彼らの行動はやはり迅速である。
現れた方向へと引き返し、夜の闇の向こうに姿を消していくのが見えた。
あくまでも、あっち狙いってわけだな。
ダンは視線を再び海の上―――すでに港を大きく離れた機船へと戻す。
ほんの数分、目を離していただけなのに、船はもう小さくなっていた。
とはいえ、これで一応は、明け方までの間トミー達のことを気にかけずに済む。
まだ半信半疑ではあるものの、変態も宝探しを成功したようだ。
少なくとも現時点では、全体的に“順調”と呼んでいい進み具合だった。
そこでやはり意識せずにはいられないのが、自分がどこまで動けるかと言うことだ。
意外にも、今一番の大きな課題はそこだった。
今回のチーム編成は極めて異例だ。
成そうとしている事柄も、異常と言えるほど規格外。
そして、計画の性質上、全員にその詳細を明かすことができない。
そのために、実働できる人間も限られているのが現状だった。
舞台を成功させるには当然役者は必要であるが、役者以外にも必要な役目はたくさんあるわけだ。
ただでさえ、完成度を少しでも上げるため、状況に合わせて修正を入れつつ進めているのだから、
ダンの仕事が必然的に増加していくのはもはや自然現象といえる。
さすがに、物理的に相当厳しいということを感じずにはいられなくなってきた。
……やっぱり足りねぇな……。
少なくとも、エルヴァーン一人分は、確実に。
―――とはいえ、できないことはないだろう。
完成度に若干目を瞑らなければならないだろうが、今さら贅沢は言っていられない。
『終わるまで、完全に休み無しだな』と自嘲気味に鼻で笑い、
黒い海の向こうに進んでいく船の小さな明かりに目を細めた。
“あっちに着いたら忙しくなるぞ。そのつもりでいろよ”
土造りの建物に預けていた背を起こしながら、大事な囮達に言った。
“そう言う君は、今でもメチャクチャ忙しそうだよ。一人で働き過ぎなんじゃないの?”
突然、調子の違う声が思考に割り込んできた。
リンクシェルの中で、まるで音が跳ねるように驚きの気配が走る。
一拍の静寂ののち、トミーとロエが同時に名前を呼ぶ。
軽い調子で挨拶を返した声の主―――パリスは、相変わらずの楽観的な笑い声と共に言った。
“というわけで……遅刻しちゃったけど、僕も交~ぜて♪”
ダンは何とも言えない顔をして、足元を見つめながら頭を掻く。
タイミングを計ったかのように届いた軽い声に気味の悪さすら感じていた。
“え!?で、でも、でも危険ですよ!”
トミーの動揺があからさまに伝わる声が響く。
それに対し、パリスは『参ったなぁ』とおどけた調子で返す。
“女の子に『危ないからダメ』って言われて引っ込んでるなんて、かっこ悪いじゃない”
“そんな、だって…お姉さんが…っ”
“姉のことは大丈夫”
落ち着きのある、どこか吹っ切れたような声でパリスはヒュームの娘を制した。
彼の様子にロエは感じるものがあったのか、何も言わずにいる。
“ね、そこのリーダーさん。僕も参戦させてもらいますよ”
パリスが呼びかけている相手は、勿論ダン。
“ん~、それとね”
何となく彼が言おうとしていることが思い当たり、ダンの腕に僅かな震えが走った。
“提案があるんです……僕らから”
後にも先にも、これは最大の『狩り』と言える。
―――いっそのこと、贅沢にいってみるか?
“分かった、詳しいことは直接話そう。そっちに行くから、それまで待機しててくれるか”
“おっ。Yes sir☆”
“ちょ、ちょっと、ダン……”
“大丈夫だ。余計なこと考えないで大人しく休んでおけよ”
抑揚のない声で淡白に、もう静かにするようにと指示する。
しかし、そう言うダンの胸中は、穏やかなものではなかった。
―――これはもう、止まらないかもしれねぇな。
他人事のように内心呟いて、別のパールに向けて呼びかける。
“おい変態”
“もうすぐ着くなりよ!!?ご飯よりお風呂より先にダンをキボンヌ!!!!”
“黙れ。更なる予定変更の連絡だぞ”
体に走っているこの震えは、東方では《武者震い》というのだ。
そんなことを思いながら、ダンは波の音に耳を澄ませながら深い呼吸を一往復する。
そして、夜空から海を見下ろしている月を見つめて変更事項を告げた。
“フルキャストだ”
あとがき
トミーの嫉妬から始まり、パリスの『飛んで火に入る夏の虫』で終わるという第二十七話でした。星々が位置に就き、舞台の幕が―――上がります。
そしてここでサイト消滅し、16年も読者様を待たせるという非道。
ここまでたくさんの作品を再掲載作業してきて(ぶっちゃけまだ終わってねぇけど)、復活させて良かったと心底思っています。
時が経ち過ぎてしまい、かつての皆さん全員とは繋がれないかもしれない。
それが寂しいですが、悔やんでもしかたない。
村長のことだからどうせ遊びながらだろうし、完結まではまだ時間を要すると思いますが…。(-_-;)
昔から応援してくださっている方も。
このReturnからアハピを知ってくださった方も。
彼らの冒険を楽しみながら共に向かいましょう、フィナーレへ。
どうぞよろしくお願いします。