炎の予兆

第三章 第二十八話
2025/09/25公開



「……それ、本気で言ってるの?」
パリスは目を真ん丸にして、しばらく前からぽかんと開きっぱなしだった口で呟いた。

眼差しの先には、テーブルを挟んで向かいに座っているヒュームの戦士―――ダン。

彼はパリスのそんな反応は想定内であった様子で、軽く『あぁ』と頷きを返す。
パリスは思わず、隣に並んで椅子に腰掛けている姉を見てしまう。
隣に座るヴィヤーリットは、深刻な表情で口を引き結び、静かに事態を受け止めていた。

トミーとロエ、ノルヴェルトの三人を汽船に乗せ、ダンはローディと合流した後、セルズニック姉弟の家に戻ってきた。
戦線から抜けていたパリスからの協力申し出に応え、今後の説明と役割分担を話し合った。

―――いや。
話し合ったというよりは、ダンから一方的に告げられたといった方が正しい。
彼がこちらに到着した時には、すでにシナリオが出来上がっていたのだ。

そして、流れるように聞かされたダンからの話が終わり、パリスの反応がこれだ。


「だって、それ、特別ゲストって言うか……。ホントに?それで、ダンも行って来たの?」
「確認はしてきた。間違いない」
パリスは汗の浮かぶ額に片手を当てる。
「……ん?えっ?」
過去に経験のないレベルの動揺と混乱に言葉が出てこない。
「そ、そんなことして……収集つくの??」
大変な思いをして絞り出した言葉に対し、ダンの返答はさっぱりしていた。
「さぁな。収集つけたい人間が頑張るだろ」



―――やっぱり。

絶対組ませちゃダメなんだ、この二人。



ごくりと固唾を飲み込んで、部屋の中を気ままに彷徨いているローディにも視線を向ける。

しかし―――残念なことに、話は終わったと言うようにダンが腰を上げる。
どうしようもなく不安で、パリスは思わず彼の名を呼んだ。
軽く鎧を鳴らし立ち上がったヒュームの戦士は、部屋を徘徊する魔道士を呼び付ける。
呼ばれたローディはひらりと舞い戻ってくると、胸の前に両手でハートを作ってウィンク。
見ると、ハート形にした指が、小さな石を摘まんでいた。
うっとりとしたローディの微笑みを無視し、ダンはそれを取ってパリスに放った。

ぱしっと受け取る。
瞬間転移の白魔法に必要な石―――テレポメアの石。
息を飲んで緊張の顔を上げるパリスに、ダンは迷いなき眼差しを向ける。

その目が、彼の《覚悟》を語っていた。
どんな危険が待ち受けていようと、怯む様子は微塵もない。



「ちょっと離脱してる間に、忘れちまったのか?」

首を傾けてパキッと鳴らす彼の表情は、いつも通りのしかめっ面だった。

「俺は狩りが得意なんだよ」




――――ごめん。

ヒーローというより、輩にしか見えません…!!



パリスが物申したげな眼差しを送った。

ダンはそこで一旦、ヴィヤーリットに目を向ける。
敬意を映した青い瞳で小さく頷き、連れに『行くぞ』と声を掛けてテーブルを離れた。
その声をきっかけに、ローディはにんまりと笑って部屋を出て行く。
その後に続いて、両手剣を背に携えながら部屋を出て行くダン。パリスは慌てて追う。
だが、何をどう言葉にしたら良いのか分からず、玄関を出て行くダンの背中を見つめることしかできなかった。



「……ホント……怖いものとかないのかな?あの人」

たくさんあった言いたいことの中で、一番どうでもいい、素朴な疑問が静寂の中に零れ落ちる。


守らなければならないもののため、パリスは距離を設けられていた。
ノルヴェルトの事情も、まだ詳しくは把握していない。
今はただ、彼らが何をなそうとしているのかを聞いただけだ。
それでも、充分に衝撃的で、無意識に髪をかき混ぜてしまう。

動揺を共有したくて振り返ると、テーブルに姉の姿がない。
肩をコケさせてパリスは部屋の中を見回した。
姉はすっと伸びた背中をこちらに向けて佇んでいた。
彼女が見つめる先には、物置部屋から出され、長い眠りから起こされた剣と鎧。
そして、赤い『誓い』の象徴―――サンドリア王国制式礼服。

パリスの脳裏に、ずっと前から一番身近にいた、ヒーローの勇壮な姿が蘇る。


じっと見つめる姉の横に、ゆっくりと、背の高い弟が立つ。


「……少し調整すれば、着られますかね」

パリスは、ヴィヤーリットを見下ろしてわずかに笑みを浮かべた。
姉は長身の弟を真っ直ぐに見つめると、深く、ゆっくりと頷いた。



   *   *   *



セルズニック姉弟の家を出た深夜の街道。月光が地面を淡く照らす。
ダンは小さく金属音を鳴らして歩きながら前を見据えていた。

色々と変更が生じたが、書き起こして確認している時間などない。
取りこぼしがないよう、頭の中で組み換え、整理する。

「じゃ〜俺様、ラブレター出してくるねん☆」

機嫌のいい歩調で並んで歩くローディが言った。
宣言通り、司令塔ではなく駒の役割を満喫している様子の彼。
ダンは、何か気分の悪くなるものでも思い出したように、眉をしかめる。
「……ちゃんと意味の分かるものにしろ」
一時期敢行していたラブレター勧誘を思い出しての表情だと思い当たり、変態は飄々と笑い飛ばした。
「きひっ!俺様もれなく文才もグレイトだから、ノープロ!ダンはしっかりお祈りしといで♪」
ばちりとウィンクして見せる金髪碧眼に目を細めるダン。

大きな通りに差し掛かると、不意に、人の疎らな深夜の王国に浮いた声がダンを呼んだ。
足を停めずにダンが振り返る―――数人の冒険者がのんびりと移動しながらこちらを見ていた。

「あとで!よろ!」

冒険者間で飛び交う端的な言葉。
ダンはすぐに言葉を返した。

「待たせたらすまん」

そしてさっさと前を向き、一層歩調を早めた。
親しげにダンへ声をかけた冒険者一行を横目に、ローディはにんまりと目を細める。
隣を歩く戦士に視線を戻すと、丁度彼が口を開いた。

「あいつらがいるってことは……来てる」

低く呟き、飛空艇乗り場の方向へ視線を投げる。

静まり返った深夜の通りに響く、鎧の金属音と魔道士のブーツの足音。

「……俺様がもし、そーんな焦らしプレイなんてされたら―――」

闇の中、変態魔道士の瞳が月光に輝く。


「もうブッチブチで、何日も寝かさないけどのぅ」


「……ダン、知らにゃいよ~?」

その声はダンの身を案じているというより、好奇心を掻き立てられた高揚の響きだった。



   *   *   *



一方、セルビナを出港した汽船は、うねる波を越えつつ、静まり返った海路をマウラへと進んでいた。

リンクシェルの会話が終わってからも、やはりすぐには休むことはできなかった。
判断ができるリーダーの姿が傍になくなり、三人だけになった途端に、緊張と不安が押し寄せる。
そんな中、トミーは空気が沈まないように努めて明るく話しかけ、二人を気遣っていた。
笑顔を見せ、場を和ませようとする彼女。

しかし、気丈に振舞っていたトミーにもやがて疲労の波が押し寄せる。
段々と言葉が途切れ、浅い呼吸から、静かな寝息へと変わっていった。

眠りに落ちたトミーに肩を貸しているノルヴェルトは、漆黒の鎌を抱いて身動きしなかった。
トミーをじっと見つめている彼の表情には、守るべき存在への切なさ。
そして、どうしようもない痛みが混ざり合っているように、ロエには感じられた。

まるで―――自分からは触れてはいけないとでも思っているような。

そんな表情に見えた。


他に乗客のいない船内。
聞こえるのは船の動力音と、船体が海水を押し退ける波音。


トミーは眠りに落ちる前、冒険者として初めて汽船に乗った時の話を語っていた。

―――テレポメアの石を取りに行かなくちゃ。

―――ミンダルシア大陸はあまり詳しくないけど、一緒に色々なところへ行きましょう。

前を向いたことを語るトミーの笑顔もまた、ロエにとっては胸が苦しくなるものだった。
そして、トミーの決意を示されたノルヴェルトの表情に浮かぶ、葛藤も。


「……あ、あの……」
苦しさを小さな手の中に握り締め、ロエは呼びかけた。
じっと身動きしない銀髪のエルヴァーンは、少し顔を上げることで反応を表す。
横顔は銀髪で遮られ、ロエには彼の表情までは見えなかった。

「……もしも……た、例えばの話ですけれど……」

『すみません』と謝りつつ言葉を搾り出す彼女は、目を伏せて声を絞るように言った。


「……ま、守れなかったと、思っていた人を……」

言葉はそこで一瞬途切れた。
ロエは唇を噛み、勇気を振り絞るように続ける。

「また、守ることができるとしたら……ノルヴェルトさんにとって、それは……喜びですか?」

静かな問いが、波音の間に落ちた。

ノルヴェルトはすぐには答えなかった。
たっぷりと時間をかけ、手元の漆黒の鎌へと視線を落とす。
心の奥底に沈めた悲しみから目を背けるように、乾いた声で一言だけ答える。

「……私が守っていいのか……分からない……」

潮風と水しぶきの音が、その言葉をさらって消していく。
何かを振り払うように、ノルヴェルトの鎌を握る手に力がこもる。
銀髪の隙間から見えたその瞳は、どこか遠く、痛々しく、ひどく脆かった。

その沈黙を見つめながら、ロエはぎゅっと胸の前で手を握る。
そしてゆっくりと息を整えた。

「あ……あのっ」
声が震えたが、勇気を振り絞る。
「ダンさんは……。―――いえ、私達は!」
必死に想いを繋げるように、彼女は目を見開いて訴えた。


「お二人のこと、必ず守ります」


「私達……本気です!」


その言葉が、静かな船内に響いた。

ロエの言葉に、ノルヴェルトはほんの一瞬だけ目を見開いた。
警戒が一瞬ほどけ、ただただ面食らったように彼女を見つめる。

そのまま、彼からは何も言葉はなかった。

けれど、その瞳の奥に微かな後悔の波紋が広がっていた。


―――お願い、後悔なんてしないで。


ロエがそんな思いで口を開いた時、呼ぶ声がリンクシェルから聞こえた。
思いもしないタイミングでダンの声が聞こえたので、ロエとノルヴェルトは目を瞬く。

“休んでいるところ、すみません”

“あ、いえっ。大丈夫です!”

眠っているトミーを起こしてしまわないか、そっと様子を窺う。
ノルヴェルトと共にヒュームの娘に視線を集めるが、規則正しい寝息に乱れはなかった。
ほっとするロエに対し、ダンからは淡々と、緊張の指示が伝えられた。

“ロエさんは、俺達に合流してください”



   *   *   *



だから、ホームポイントをジュノのままにしておくようにとの指示だったのか。
そんな納得の表情をするノルヴェルトと、疲れ果てて目を覚ます様子のないトミーを船上に残し、ロエはジュノの街へとデジョンしてきた。
深夜の街中を急いで指定された場所に向かうと、行き来する冒険者達の先に二人の姿が見える。
ダンとローディだ。
指定された場所は、ジュノにある酒場の前であった。

「お待たせしました」
軽く息を弾ませてロエが駆け寄ると、にやりと笑ってローディは酒場に入っていった。
何も言わず先に入店してしまったローディを見て、ロエがダンを見上げる。
ダンは涼しい顔で酒場を眺めながら疑問に答えた。

「エキストラの招集です」


ローディよりもワンテンポ遅れて二人も入店する。店の中はそこそこの客入りだった。
夜も更け、明日早くに予定のある者は引き上げる時間帯に入っている。
明日を気にする様子もなく、本日の冒険について談笑している冒険者達のテーブルの間を縫って、金髪の魔道士は店の奥へと歩みを進めていた。
ダンとロエの二人も彼を追って店の奥へと入っていく。
すると店の奥、隅の方にあるテーブルに向かって、ローディが両手を広げて歩み寄った。

「――ぶっ!?」

「ローディさん!!?」

テーブルにいた冒険者二人組の内の一人、タルタル魔道士の素っ頓狂な声が聞こえた。
カリスマ冒険者の登場に騒然となったのは、スキンヘッドのヒューム侍アズマと、大声量タルタル魔道士チョモの二人だった。
テーブルの上には飲み食いした食器やら領収書やらとっ散らかっている。
椅子を蹴って立ち上がった二人に対し、ローディは涼しげに笑って言った。

「邪魔して申し訳ない。まぁ座ってくれ、諸君」

なぜいちいち気色の悪いキャラ作りをするのか……。

無駄に眩いオーラを放ちながら白い歯を見せているローディを、ダンは冷ややかに見つめる。
ロエは苦笑いすることしかできず、一応アズマ達に『こんばんは』と挨拶の言葉を掛けた。
ダンとロエが続いて現れたのを見て、アズマはむむっと眉を吊り上げる。
怪訝な顔をする彼に小さく笑ってローディが言った。

「実は、諸君に頼みがあって来たんだ。ダンがちっとも俺の言うことを聞いてくれないんだよ」

やや困った様子の笑みを浮かべて肩をすくめて見せる。
その発言にハゲヒュームが電光石火の勢いで食い付いたのは言うまでもない。
「―――は、ははは!そうでしょう!コイツ使えないでしょう!!?」
「あー、言ってろ言ってろ」
ダンは始まった茶番を見ていられないという様子で吐き捨てるように言うと、驚愕のあまり口を開けたまま硬直していたチョモの頭をむんずと掴んだ。
「お前はちょっと、こっち来い」
「え!!!??」
「相変わらず破壊的声のでかさだな。黙れ
ぶつくさ文句を言いながら、ダンはタルタル魔道士を掴み上げて離れた別のテーブルへと連行する。
それをアズマは一瞬横目に見ただけで、気にする様子もなくローディの振りに前のめりになっている。
千載一遇のチャンスを前に、同僚チビのことなどどうでもいいようだ。
自分もローディの話を聞きたいとチョモが叫んでいたが、ダンが一発殴って黙らせていた。

「実は、超~~~~大事な任務があるんだけど、ダンが『こなせない』ってごねてるんだ」
裾を払い、足を組みながらローディ。アズマはばんとテーブルに手をつく。
「俺でよけりゃいくらでも協力しやすよ!あんな野郎使う必要ありませんて!!」
「そう?マジカルマジ助かる☆」
カリスマ性の中に変態色が垣間見えるが、アズマの頭の中はダンを出し抜くことでいっぱい。
特に引っかからなかったようだ。
にこと微笑んで見せるローディ。ふと、眉を開く。
「そういえば、テレポメアの石は持っているかね?」
「え……?あぁ、へい!もちろんですよ!」
出してみせてと言うように、ローディはテーブルを指でトントンとする。
アズマは促されるまま石を取り出してみせる。
「うむ。有能」
ローディはアズマの手からひょいと石を取って懐に滑らせた。
「えっ」
「では、話を戻すけどー」
「へい……え?俺の…?」
「おん?依頼に興味ないのかね?」
「い、いいいや、依頼っすね依頼!ははは!」
スキンヘッドのカモ侍に対し、美しい魔道士が眩く微笑む。
そんな彼の足元で、ロエは何とも言えない顔。
彼女の耳に、チョモの『マジっすかばぶ!!?!!?』という叫び声と、それを封じ込めるダンの怒声が届く。
離れたテーブルで同時に進行している本当の仕事依頼の様子を感じながら、ロエは心底申し訳ないという気持ちで、アズマのことを見つめていた。



   *   *   *



一筋の朝日が石畳を照らし、王都に新たな一日が始まろうとしていた。

ところが、慶事を控えた貴族達の屋敷に祝辞の空気はなく、混乱に満ちていた。
朝食も満足に取らず、若者達は大急ぎでそれぞれの屋敷を飛び出した。

そして、騒然とするドラギーユ城の広場の片隅。
若者騎士―――ウェッシャードとカニンファールは立ち尽くしていた。
二人の目は、まるで昨日交わした自分達の言葉を思い出すかのように、うつろに遠くを見つめる。


『ノルバレン地方は長いことサンドリア支配により安泰しているな』

『これからもずっとそうなるでしょう。他所の国には手に負えないでしょうから!』


その誇らしげな言葉が、まるで嘘だったかのように胸に重くのしかかる。

敬愛するお方の凛々しい頷きと眼差し。
高鳴る自分達の胸の鼓動。

どんどん蘇り、どんどん内臓を締め上げる。

ふと顔を見合わせた二人は、お互いの顔色の悪さに驚いた。
そして、声にはしないが目で交わすひと言。


……詰んだな。


二人の間に緊張と妙な連帯感が漂う。
恐らく、同じことを考えている。

敬愛するあのお方に、間違いなく―――今日もお会いする。

何も言わないまま固唾を飲んで、彼らは次の一歩を探り始めた。



   *   *   *



城内は騎士や役人達の騒めきに包まれていた。

前代未聞の天変地異が起きた。
理解を遥に超えている事態が。

王都が騒然するのも当然である。
一晩で、サンドリア王国支配のフィールドが消えたのだから。

昨晩深夜に施行されたリージョン集計の結果―――
クォン大陸とミンダルシア大陸の全地方がバストゥーク共和国一色に染まっていた。

一体全体、なぜこのようなことになったのか、識者達の怒号が飛び交う。
騎士団は膨大な遠征先からのガード撤退対応に右往左往していた。
近隣に派遣されていた部隊の一部はすでに帰還しており、次々と騎士達が城へ戻ってきている。
だが、前触れもなく一斉に帰還したせいで、彼らをどこに配置するかの調整が追いつかない。
配属先が不明な騎士達が廊下や広間に滞留し、『成人の儀』警護の部隊と入り乱れて、現場は混乱を極めていた。
書記官達は膨れ上がった編成表とにらめっこしながら、絶望的な速度で人員の割り振りに追われていた。
行き交う者の中には冒険者に対する軽蔑の色を隠せず、『冒険者どもの仕業か』などと囁く者もいた。


テュークロッスはそんな風潮に微塵も染まらず、堂々と胸を張って城内に現れた。
貴族階級の『成人の儀』警護、最高責任者の登場に気付いた者は姿勢を正す。
彼は混沌の中心に進み出ながら高らかに宣言した。

「我が王国は、一門揃って『成人の儀』を祝える稀有な機会を得たのだ」

冷静で重厚な声が広間に響く。
混乱に飲まれ、端に追いやられて困惑していた騎士達が顔を上げた。
『成人の儀』の警護にあたる、貴冑騎士団の騎士達だ。
他の騎士達も徐々にざわめきを沈めていく。
「束の間の休息を許され、騎士達が家族のもとに戻る。これを騒ぎなどと呼ぶ者は、王国の慶事を貶める意図でもあるのか?」
ここで騒めいていた周りが完全に黙り込んだ。
彼の言葉は揺るがず、周囲の動揺を静かに押さえ込む。
「これほどのことは前例がない。狼狽も致し方ないが……諸国には王国の気品をお見せしよう。我らは乱れぬ」
様々な感情が渦巻いて淀んでいた城内の空気が、ひと風吹き抜けたように変化する。
声を返し、再び動き出す城内の人間達。
慌ただしさに違いはないが、騒然と行き来する騎士達の背筋は伸び、誇りを示していた。


「……感服致します」
歩み寄ってきた一人の騎士が、赤髪の騎士団長に声をかけた。
此度の『成人の儀』警護を取り仕切る任を与えている部下の騎士だ。

「動じたところで現実は変わらぬ。惑わされず任を果たせ」
誇りを新たに動き出した騎士達を眺めながら赤髪の騎士団長が言う。
しかし、部下の騎士は一瞬重苦しい沈黙を置く。
静かに彼の隣に控え、若干声を落とした。
「恐れながら、ご報告が……」
ふと、テュークロッスが横目に視線を向ける。
「脅迫状の類が確認されました」
低い声とともに手紙のようなものが差し出される。
テュークロッスは表情を変えぬまま受け取り、中身を広げ、目を通す。

封筒の中の便箋には、こう書かれていた。


―――――――――――

団長閣下へ
始まりの火は、今や誰にも止められぬ。
何処に逃れようと、火種は既に撒かれた。
慈悲なき選別が始まるのだ。
つまらぬ誇りが、灰に変わる刻が迫る。
こぼれた硫黄の臭いが空を満たすだろう。
燃え盛るのは式典か、それとも
冤罪をかぶせられた子らの怨か……

―――――――――――


文面を目でなぞった後も、テュークロッスは表情を変えなかった。

「このようなもの、催事には付き物だ」

関心などないというように、部下の前に手紙を差し戻す。
ところが部下は表情を強張らせると、一層声を低くし、言葉を紡いだ。

「私もそのように思いましたが、気になる報告があります」

行き交う騎士達の動きに目を配るテュークロッスの眉が、ぴくりと動く。

「王国内の競売にて、不審な動きが」

涼しい顔のまま、テュークロッスは部下へと静かに体を向け、報告の続きを待った。


「偽名により……ボムの灰と硫黄を、何者かが大量に買い占めております」


それを聞いた瞬間、城内のざわめきが一気に遠退いた。
静けさの中、テュークロッスの脳裏に冒険者の青年の姿が横切る。

じわりと背中が熱を持つのを感じつつ、騎士団長は歪みそうになる口元を引き結んだ。
僅かに関節が軋むほど拳を握り締める。


――――――来たか、冒険者め。


「……それは無視できんな。警戒を強めよ」


手紙をゆっくり懐にしまいながら、静かに告げるその声には、冷たくも黒い期待が滲んでいた。
もう行ってよいと仕草で伝えると、部下の騎士は一礼し、混沌の城内に紛れていく。


“ヒュームの娘を、早急に確保しろ”


リンクシェルに響く声は静かだが、胸の奥では黒い炎がうねる。
苛立ちと同時に湧き上がるのはーーー敵を屈服させる快感、残酷な計略の愉悦だった。



<To be continued>

あとがき

大っっっ変、お待たせいたしました。
第28話『炎の予兆』、いかがでしたか?
変態が言っていたように、それぞれの個性と能力を把握しているダンの指揮のもと、戦いの火ぶたが切って落とされました。
これまで村長作品にお付き合いくださった皆様は、きっと楽しいと思います。
さあ、あのキャラも、あの場面も、あのイジリも、もう一度思い出してみましょう。

そして……気付いてくださった方、いますか?
村長の煩悩をよく分かってらっしゃる方は、気付いてくださると信じてます。
何かに気付いた方は、Web拍手の一言メッセージでも何でもいいので、村長に教えてください。笑