両雄相見えし

第三章 第二十六話
2008/11/16公開



「では失礼。今年も良き式となることを祈っておりますよ」
最後の出席者がそう述べて、会議場から退出した。
ひんやりとした空気が流れている静かな廊下を、鎧の音を鳴らしつつ従者を伴って去っていく。
掛けられた声に優雅な会釈を返したテュークロッスは、扉の前に立ってしばしその後ろ姿を見送った。
廊下に連なっている大きな窓からは、会議開始時よりも角度が低くなった日の光が差し込んでいる。

“何らかの提携を結んだようですが、狂犬の繋がりはさして感じられませんでした”

会議の終盤から始まった、会議内容とは全く別件の報告がリンクシェルによって続けられている。
“ふむ、ではセルズニックの者がいたのは偶然なのやもしれんな……”
戦争の混乱の中で、野良犬の一団に“狂犬フィルナード”が所属していたことを知ったのは、父の仇であるマキューシオらを取り逃がした後でのことだった。
そして先日、赤髪の騎士団長を信用し切って救援を求めてきた青年の話で、冒険者の一行の中にフィルナードの一族であるセルズニック家の次男坊がいることが分かった。
そこで、もしやその繋がりで冒険者一行とノルヴェルトが絡んでいるのではという憶測が浮上したのだった。
“念の為、ヴィヤーリットの失踪との関連も調べますか?”
“夜鶴か……聞くに久しい。一度は会っておきたいと思っていた男だったがな”
テュークロッスも会議場に背を向け、しんとした広い廊下を歩き始めた。
後に続くのは、じっと後ろに控えて立っていた忠臣の騎士、ジェラルディン。
“ですが、あの男は短期間で有名になり過ぎました”
さぞ面白い成果が期待できたことだろうという響きを持った主の言葉に対し、夜鶴は到底使い捨ての駒には向かなかったという当時の状況を思い出しつつジェラルディンが言う。
“成人前に頭角を現してしまったのが悔やまれたな。まぁ、生きていなければ才能など無意味だが”
期待の新星の不運な行く末を揶揄し、苦笑した声でテュークロッスが言う。
“夜鶴までは良い。それよりも例の娘に重点を置け。マキューシオが冒険者と絡んでいる可能性もある……。いずれにせよ、のんびり構えてもおれん”
広い会議場というのは、当然、利用者が高位の人間に限られるので周囲の廊下に人気は無い。
リンクシェルでの会話中も、テュークロッスとジェラルディンの金属製の足音だけが廊下に響いた。
“野良犬はしぶといですが、娘ならばマキューシオの居場所を吐くかもしれません”
淡々と述べるジェラルディンは、ふと思い出したように言葉を続ける。
“………さほど重要ではないかもしれませんが……”
“なんだ”
むっつり顔で斜め後ろを歩いている忠臣に、振り返らぬまま問う。
“あの娘とダンテスには格別の関係があるように推測できます”
忠義に熱く、少し間違えば『朴念仁』と表現されそうな忠臣からの不似合いな報告に、テュークロッスは一瞬言葉を失ってから唇にじわりと笑みを浮かべた。
“ほう……ならば尚更、娘をこちらに降らせれば決着は容易く着くというものだ”

城の奥から表側へと歩き進んでくると、少しずつ人気が増えていった。
何本もの大きな柱が天井を支えている広間に差し掛かると、脇で立ち話をしていた騎士がテュークロッスらに気が付いて会話を切った。
その二人の内一人が、相棒に小声で引き止められつつも赤髪の騎士団長の元へ控えめに駆け寄ってくる。
すぐさま、ジェラルディンが片方の眉を吊り上げて間に進み出た。
「ゼリオン卿、お久しぶりです!」
緊張気味の顔で挨拶を叫ぶ騎士に対しジェラルディンが舌打ちをして口を開くが、テュークロッスが彼を宥めるように肩に手を置いた。
兜を脇に抱えて敬礼する騎士の隣に、彼の相棒も慌てて駆け寄ってくると同じ姿勢で並ぶ。
目線をやや上に向けた状態で硬直している二人は、まだ年若いエルヴァーンの青年であった。
「これは、カニンファール殿。しばらく見掛けぬ内に一段と立派になったではないか」
始めに声を掛けてきた青年、カニンファールはサンドリア国内で広く知られている名士の嫡子である。
そのことを記憶していたテュークロッスは続けて、隣に並んでいる彼の友人ウェッシャードの名も言い当てた。
喜色満面で目を瞬く二人の若さに、テュークロッスは目尻を下げる。
「式で会うのを楽しみにしていたが、見違えてしまったかもしれんな」
「はっ、手間共もゼリオン卿が指揮を執られる貴冑騎士団の警護を頂戴できますこと、甚く感動いたしております!」
「はは、そのように堅くなることはない」
ウェッシャードにリラックスした様子で笑ってみせると、青年二人の表情も緩んだ。

二日後に、サンドリア王国に在る貴族階級のご子息ご令嬢達の『成人の儀』が執り行われる。
王族の『成人の儀』のような十重二十重と警備で取り囲んだ厳重なものではないが、国内の名士達が集う式なのでそれなりに重要な式だ。
元来神殿騎士団が勤めていたその式の警護という名誉ある任務を、テュークロッスの貴冑騎士団が獲得したのは数年前のことである。
―――その警備の際に、ゼリオン卿はいち早く有望な若者を見出して人材を確保する。
最近では、若者達の間でそのような噂が囁かれているらしいことを、テュークロッスも知っている。
「一族の方々もさぞ、貴殿らの晴れ姿を心待ちにしておられることだろう」
その言葉にはにかんだ笑顔をやや伏せて、カニンファールは思い出したようにすぐ顔を上げる。
「確か、ゼリオン卿のご子息も我々と同じくらいの年代では?」
「カニンファールッ」
何とはなしに尋ねるカニンファールの横で、ぎょっとしたように友人が小声で叫ぶ。
黙って冷たく見下ろしていたジェラルディンの眉がきりきりと釣り上がった。
一気に緊張した場の空気に若者が硬直するのを見て、テュークロッスは少し困った顔をした。
「いや、息子は貴殿よりも若年であったな。今年で学卒し騎士養成の課程に入る頃だろう」
「よ、余計な事を言いましたっ。申し訳ございません!」
状況が分かっていない友人の代わりにウェッシャードが血相を変えて頭を下げる。
若者二人がジェラルディンの視線を至極気にしている様子だったので、テュークロッスは二人に対し『構わん』と苦笑してから忠臣に向き直った。
「……そんな顔をせずとも良かろう」
ジェラルディンに嘆かわしい声で言う。
その時背後で、疑問符を浮かべているカニンファールに対しウェッシャードが『ご病気で』と小声で短く事実を伝えるのが聞こえた。
「貴公は先に執務に就いておれ」
「ですが」
「供ならいらぬ」
ジェラルディンをあしらって若者二人に向き直ると、予想はしていたが、カニンファールは青い顔になっていた。
彼に対して気に病むなという微笑を見せた赤髪の騎士団長は、良ければ少し歩かないかと提案する。
驚いた顔をした二人が期待の次に抱いた不安を予想し、テュークロッスは威圧的に彼らを見つめている忠臣に再度『先に行っていろ』と命じる。
“使った者達の処遇は済んでおろうな”
リンクシェルで問うと、忠臣は“一人残らず各地へ散っております”と答える。
使った者達というのは此度の件で利用した、詳しい事情を知らない騎士達のことだ。
ジェラルディンは若者騎士二人を一瞥し、主に対して礼をするとむっつり顔のまま踵を返した。
別廊下の先へ去っていく彼を見送り、あからさまにほっとした顔をしている若者二人。
その様子を見て苦笑しつつ、テュークロッスは亡き息子の話に話題を戻した。
「周囲が気遣うほど私は思い煩ってなどいない。今はただ、娘のことで手一杯と言ったところだ」
若い騎士達の間でテュークロッスが慕われるのは、理由の一つがその気さくな人柄。
堅苦しい部下がいなくなってようやく力が抜ける、とでも言うように、示し合わせる目をする。
若者二人の表情がまた少し和らぐが、思い止まって表情を引き締めるカニンファール。
「誠に失礼いたしました」
気遣う必要は無いと頭を振って、テュークロッスは歩き始めた。
“狙いを娘一人に絞る。今は式もあって国内に注目が集まっているからな、貴公ら二人のみで上手く行動せよ。各自いつでも行動できるよう備えておけ”
命じると、“かしこまりました”という重なった返事が返ってきた。


大聖堂に向かうので途中まで話でもと言うと、若者二人は喜んで同行を承諾した。
カニンファールとウェッシャードはすでに王立騎士団に所属している。
騎士団の間に暗黙の派閥というのは存在しがちだが、どの騎士団員に対しても敬意を表すテュークロッスは派閥とは無縁の存在であった。
なので、城内を別の騎士団の人間と共に歩いている姿も珍しいものではなかった。
若い騎士から見れば、テュークロッスは唯一、周囲の騎士達の視線を気にせず行動を共にできる高地位の人間なのである。
「ゼリオン卿のご令嬢はお幾つになるんですか?」
「今年で二つだな」
「そうなんですか。ゼリオン卿のご令嬢ならばそれは美しいお嬢様なんでしょうね」
会話に積極的なカニンファールに対し『貴殿にはやらぬぞ』とテュークロッス。
子煩悩な姿を見せる騎士団長に若者二人は顔を見合わせて親しげに笑った。
そのまま会話しつつ和やかな足取りで三人は城門に向かう。

“恐れながら、確認を”

若者二人の相手をしているテュークロッスにジェラルディンの声が届く。

“もし止むを得ない状況になった場合、生かすのは娘ですか?”
“いや、野良犬だ。娘は他人の可能性も十分にあるのでな”
主は、リンクシェルでそう即答した。

好奇心と期待で話に夢中になった若者二人は付き従うどころか並んで歩いていたが、威嚇する銀髪の忠臣がいなかった為二人共ずっと気付かずにいた。
城門から外に出ると、少しばかり冷たい風が三人を出迎えた。
風が潜り抜けていき、テュークロッスの外套が一旦広がってからばさりと後ろへ流される。
その際、左側を歩いていたウェッシャードが視線を下げて目を瞬いた。
テュークロッスの腰に下がっている剣に目を奪われたのだ。
はたと会話を切った友人にカニンファールが眉を寄せて顔を前に出すが、その時になってやっと、高位の人間と自分達が肩を並べていることに気付く。
再び血相を変えた彼は『失礼しました!』と素早く身を引き、ウェッシャードの腕を引っ張って自身と共にテュークロッスの後ろに控えさせた。
しかしウェッシャードは何か言いたげな目でカニンファールを見ている。
彼の眼差しを言葉にするならば、『見てみろよ、すげぇ剣だぜ!』だろうか。
そんな彼の様子を見て、テュークロッスは腕を上げて軽く外套を除けてみせる。
「恐れ多いことだろう?私のような者に」
「それは例の、国王陛下からの……っ」
柄の先まで見事な装飾をあしらわれた、一見しただけでも特別なものと知れる剣。
カニンファールとウェッシャードは、大層な賜り物を腰に下げているテュークロッスを改めて尊敬の目で見つめる。
「そういえば、過日、貴殿ら所属の隊がダボイにて大層活躍したと聞いている」
国王から賜った名誉の剣を誇ることはせずに、話を変えた。
自分達の功績について話題にする赤髪の騎士団長を前に、若者はここぞとばかりに力んだ。
誇らしげな顔をして『斥候など大したことではありません』などと言う。
「貴殿らのような騎士達の活躍で、ノルバレン地方は長いことサンドリア支配により安泰しているな」
「これからもずっとそうなるでしょう。他所の国には手に負えないでしょうから!」
今宵0時に行われる支配分布の更新も気にかけるまでも無いと笑い合う若者達。
「ふふ、そうか。以前外交でバストゥークの銃士隊を視察したことがある。それなりに優秀で感心するところもあったが、つくづく我が国に誇りを感じたものだ」
バストゥークはサンドリアと同じ大陸にあることから、他の国に比べると外交で絡むことが多い。
テュークロッスは、その身に備わった品位と公的に認められている地位により、さほど重要ではないが御座なりにもできない外交の際に度々派遣されていた。
それ故、バストゥークの軍事関係者の間にはそこそこ知名度がある。
又、サンドリアの王家に深く関わっている身ではないのでその分事が良く運ぶことも多く、何より波風を立てないスマートさと機転の聞く明晰な頭脳が王国から高く評価されていた。
「魔法の習い事をしている国や機械いじりに夢中な国に生まれず本当に良かったと、これまでに何度アルタナに感謝の祈りを捧げたか知れません」
一般的に、まだ世界を知らぬ血気盛んな若者の好物は、ライバルを見下ろすことと心得ている。
案の定、すぐに油断しがちのカニンファールが乗ってきた。
自分から煽ったようなものだが、テュークロッスは『まぁそう言うな』と目を伏せる。
「『成人の儀』を迎える若者達は皆、私の目には実に頼もしく映る」
“仮にあの娘がマキューシオの娘だったとして、何故今になって姿を現したのか不可解だな”
「ご子息らは災いを打ち払う剣。ご令嬢らは剣を支え国を守る盾だ」
“何にせよ、ただ逃げ回るしか脳の無かった野良犬に冒険者という悪知恵が加わったのは確かだ”
“はい”
騎士団長ともなれば、通常会話とリンクシェル会話の並行など容易い。
「こう言っては何だか、私は毎年式に出席する若者達を我が子のような心境で送り出しているのだよ」
「そんな。手前共のお父上にしては随分とお若いですよ」
すぐさまそう言って、ウェッシャードが笑いながら首を横に振る。
それに対して唇に微笑を浮かべてから、テュークロッスは表情を真面目なものに戻す。
「貴殿らはサンドリア王国の、ヴァナ・ディールの未来だ」
ずしりと重く、若者二人の胸にこの言葉が据えられた。
テュークロッスにとってもこの言葉は特別な響きを持ったもの。父が時たま口にした思い入れのある言葉だった。
「時と共に世界は変わっていく。今評されている者の突然の失墜もあれば、新たな新星が賞賛の的になることもあるだろう」
“考えようによっては、最も警戒すべきはダンテスと言えよう”
「それこそ、数年後には貴殿らも名誉の剣を腰に下げているかもしれぬしな」
再び、風がひゅうと吹いて赤髪の騎士団長の外套をはためかせる。
若い騎士達にとってこれらの言葉は単なるプレッシャーではなく、まだ淡かった使命感と将来への期待を膨らませるのに十分な火種であった。
“冒険者という輩がどのような手に出てくるか、見物だな”


―――とそこで、サンドリアの石畳を過ぎ去っていく風に乗って声が届いた。


「テュークロッスきひ団長殿~

離れたところから聞こえてくる声に三人で疑問符を浮かべる。
見回すと、北サンドリアの方向から歩いてくる二人のヒュームがいた。
内一人、手を振っている青年が声の主と思われ、彼は金髪を風になびかせて笑顔を見せている。
そしてそのローブ姿の青年の後ろにもう一人、鎧を装備した青年が続いていた。
距離が縮まるに連れて、彼が背に携えている両手持ちの大剣がかちかちと鳴っている音が聞こえてくる。
『こんなところで会えるなんて、運命感じちゃうね』と機嫌良く言う一見魔道士風の青年。
始めカニンファールとウェッシャードは怪訝な表情で彼らを見つめたが、妙に親しげなその様子に、ひょっとして大物なのかという戸惑いの表情に少しずつ変化した。
二人がチラチラと横目に見る先、赤髪の騎士団長は嫌悪も歓迎も見せず、ただ黙っていた。
騎士三人の目の前まで歩み寄ってきて、ヒュームの青年二人は足を止める。

「ダンテス・マウザーだ」
「ダンラブスギィ一世なり」
「お目に掛かれて光栄だ」
しかめっ面で鎧姿の青年―――ダンが名乗り、魔道士の青年ダンラブスギィ一世ことローディも続く。
いかにも社交辞令な言葉を述べたダンを見つめて、テュークロッスは唇の端をゆっくりと吊り上げた。
「……これはこれは」
テュークロッスはしげしげと、ダンはじっと、相手のことを見つめる。
“……はっは、驚いたな”
“いかがされました?”
少々興奮を滲ませたテュークロッスの声に、ジェラルディンが問う。
対峙した両者は数秒の間、そのまま無言で向かい合ってただ風に吹かれた。
どちらも事に備えて瞬間的に剣を抜けるよう意識を馳せており、静寂の緊張を帯びている。
あまりにも静か過ぎるそれに若者騎士二人は気付いていない様子だった。
話には聞いていたが対面するのはこれが初めてである冒険者の青年を前にして、予想していた人物像の通りであるとテュークロッスは感じる。
敵を知りに来たこの行動にも妙に納得してしまい、不思議な満足感が生まれた。
言葉を交わすこともないまま、テュークロッスの上質な外套が風になびき、ダンの背負った剣の柄が風に吹かれて小さく唸りを上げる。

やがて、相手に対する情報解析を自分の中で整頓し終わったのか、ダンが口を開く。
「……んじゃあ、またいずれ」
牽制的な眼差しを向けたままそう言って踵を返すと、現れた時と同じ歩調で北サンドリア方向へと歩き出す。
「御武運を☆」
ローディも茶目っ気たっぷりのウィンクをしてダンの後に続いた。
スタスタと歩き去っていく二人をテュークロッスはやはり満足げな表情をして見送る。

「何者ですか?」
どちらが先に問うかと思っていたが、結果はやはりカニンファールの方だった。
「……そうだな、貴殿らはまず騎士団や城内の者を覚えることが優先だ」
知らぬのも無理はなかろうと理解を示すテュークロッスは面倒見の良い微笑を浮かべる。
これまでそういった無知な存在から助力を拝借しているからこその表情とも言える。
『冒険者だ』と教えてやると、二人の若い騎士は見えなくなっていく二人分の後ろ姿に改めて目を細める。
先程の戸惑いが消え、入れ違うように明らかな嫌悪が表情に表れた。
“総司令が直々に挨拶に現れるとは……噂をすれば、だな”
“な、ダンテスですか?!”
「貴殿らも、余裕ができた際には冒険者についての知識も持つと良い」
若い騎士二人にとってこの発言は意外だったらしく、見開かれた目がテュークロッスに向く。
「冒険者は侮るべき存在ではないぞ」
にっと笑って二人の顔を見た。
試すような眼差しを向けられた二人がきょとんと顔を見合わせると、テュークロッスは歩き出す。

“構えるな、もう遅い。すでに立ち去った”
“ご無事で?”
“あぁ、誠に挨拶だけだ。ダンテスの他にもう一人魔道士らしき男がいるが、その者については分かっているのか?”
“あ、いえ……”
“名乗っていたが恐らく偽名であろう。そちらも調べよ”
言葉を濁すウォーカーに淡々とした口調で命じる。

大聖堂に向かう歩みを再開した騎士団長に慌てて追い付き、今度はウェッシャードが尋ねた。
「では、恐れながら…念の為にっ。今の二人の名は何と申しましたでしょうか?」
勉強熱心な問いを受け、赤髪を風に揺らして振り返った眉目秀麗な騎士団長は、意外な一面を披露するかのように少し困った笑みを浮かべて言った。


「いかん、忘れてしまったな」


二人並んで目を瞬く若者を見、テュークロッスは機嫌の良い声を上げて一笑した。



“ジェラルディン。ウォーカー。両名にジュノのサンドリア大使館の臨時視察を命じる”
“かしこまりました”
“はっ。……せん越ながら……予定には全くございませんが、よろしいのですか?”
唐突過ぎて不審がられやしないかという懸念を恐縮し切った声でウォーカーが口にする。
主の言っている『臨時視察』は、視察を行うことが目的の命令ではないことを解しているからこそだ。
“事前に公表する抜き打ちの調査はあるまい。式直前のこの時期に視察を行うなど誰も思うまいが、だからこそ効果があるのではないか?”
そう説くと、若干慌てた声で“失礼いたしました”とウォーカー。
何も言ってはいないが、ジェラルディンの『愚問だ馬鹿者』という気配が伝わってくる。
一挙に思考を巡らせた主は淡々と指示を出した。
“ずる賢い者は外部を味方に付けていることも多い。領事館に向かう途中で臨時の調査が気取られぬよう、飛空艇は用いるな”
買収などして何処で予防線を張っているか分からぬからなと説く。
“各エリアの駐屯所ガードにも目撃されぬよう行動するのが良かろう”
“成る程、仰る通りです”
“私は両名が寄り道せぬよう監視まではできぬが、貴公らの日頃の勤めは信用に値する”
言わんとしている真意を、長年仕えてきた忠臣は正確に読み取るだろう。
そう確信しているテュークロッスは流れるように述べた後、こう締め括る。
“準備が整い次第直ちに発つが良い。だが、発つ早さよりどう発つかに注意を払え”
“承知いたしました”


道理立てて使者の派遣を命じたテュークロッスの頭上で、サンドリア大聖堂の鐘が荘厳に鳴り響く。
不思議と、その響きは女神に祈る神聖なものではなく、不浄の霊達に死を宣告するような不穏な響きを持っていた。



   *   *   *



後ろを振り返って騎士達の姿が見えなくなったことを確認し、ローディは機嫌よくスキップをしながらダンの隣に並んだ。
冒険者達の賑わいの中をずんずんと突っ切って歩いているダンの横顔を覗き込む。
「きひっ、会ってみてどぅーだった!?ねぇどぅーだった!?俺様の方が綺麗だって言え!!」
「なかなか立派な団長様だったじゃねぇか。本物の悪ってのは恐ろしいもんだな」
ローディが口を尖らせてブーイングするが完全に無視したまま、ダンはふと足を止める。
賑わいの向こうにある競売所をじっと見つめるダンの目は、凄い勢いで何かを考えている様子だった。
そんなダンを眺めてローディはうっとりとした溜め息をつく。
「俺達の自由度も分かった」
「モエー」
「すぐに行動に出るぞ」
「と言っても、随分とローカロリーなプランだよにゃ~」
先程の、ロエを加えた三人での打ち合わせを思い返してローディは残念そうな声を上げた。
『自分の立場を分からせてやるだけでいいなんて…』とぶつくさ言いながらばりばり首を掻いている。
「俺様の趣向としてはもっと派手なのが良ぃい~」
「言っただろ、極力殺傷は無しだ」
念を押すようにダンが言うと、ローディは耐えられないと言わんばかりに自分の首を掴む。
そんな美青年を置いてさっさと競売所へ向けてダンは歩みを再開した。
むむむっと口をひん曲げてローディも後に続く。
「しっかしのぅ、ダンもなかなか良いコネクション持ってんだにぇ。競売所とか……きひっ、所長の汚職でも暴いたのかぇ?」
腕組みをして意地汚い笑みを浮かべると思案顔の戦士を横目に見上げる。
「長いこと利用してりゃあ顔見知りもできるだろ。顔見知りになれば、まぁ色々な」
「あ~やしいにゃ~~~“ゆすり”は良くないなりよ~~~?」
にやにやと至極楽しそうにローディが絡む。
「お前と一緒にするな」
「んまっ、失礼しちゃうわね!俺様の場合はちょこっと協力してもらう対価として安全を提供してんのっ!」
腰に手を当ててふんぞり返りながら『ギブ・アンド・テイクだクポ~☆』などと言う。
「俺の故郷じゃそういうことやる奴らを『ヤクザ』っつーんだよ」
「きひっ!ダンも一緒にやろ!」
「とにかく、コネや駒を持ってんのは連中だけじゃない」
「萌え無視略して『萌視』!!!!」
「こっちも使えるもんはどんどん使っていくぞ」
仕掛けるには今が絶好のタイミングであるし、幸い舞台も揃っている。
冒険者の修行――いわゆる『狩り』とこの件は内容的にまったくの別物であるが、そう語るダンは狩りの時と同様に、すべき事やその優先順位に迷いはない様子だった。
「きひっ!しゃ~ないのぅ、利用されてやるぞぃ☆」
「頼もしい限りだな。じゃあまずは競売と、お前の好きな衣替えといくぞ」
「あひ」
「垂らすな、拭け」
リアルにだらりとヨダレを垂らしたローディは、じゅっと吸ってそれを引っ込めた。
彼は期待に震える体を抱き締め、険しい顔をしているダンに提案する。

自分のモグハに腐るほどモノが溢れているから持って行こう。
生憎“並のもの”は無いけれど、と。



   *   *   *



表立って指名手配がされていることもないため、サンドリアからは普通に脱することができた。
ロエ、トミー、ノルヴェルトの三人の先頭をダンが足早に草の上を歩き続けている。
今は最も日が照る時間帯。空を移動する大きな雲はラテーヌの緑地に色濃い影を落としていた。


皆の元に戻ったダンは縦縞が特徴的な鎧を身につけていた。
そして他のメンバー達にも、これからの交戦に備え装備の変更が指示された。
トミーは今まで装備していた皮製の鎧ではなく、見掛けただの普段着のようなチュニカを身につけていた。
チュニカはチュニカでも、トミーには分からなかったがそれは高性能で高価なものらしい。
最初ローディは別のものを激しくプッシュしていたが、ダンが良しと認めたものが最終的にそれであった。
そしてそんな彼女の隣を歩いているエルヴァーンも、外套の下の装備が変わっている。
ヒュームの青年二人が最も許せなかったのが、常識のないナンセンス極まりない彼の装備。
あらゆるところが破損し、組み合わせもメチャクチャで冒険者から見て有り得ない装いだ。
ダンとローディ二人のコーディネートにより、ミスリル系の黒い鎧が用意された。
くたびれて黒ずんだその外套もやめろと言ったのだが、結局それだけは残すことになる。
鎧が変わって大層落ち着かない様子のノルヴェルトが気の毒で見ていられなかったのだ。

そう、ダンと共に移動をしているのはこの三人だけ。
パリスはヴィヤーリットの元に残してきた。
留守番―――つまりは戦線離脱を言い渡されたパリスは、それに対する自分の意思をはっきり示せずにいた。
やはり彼はまだ混乱と動揺で冷静さを欠いている。彼自身もそれを自覚している様子だった。
長身のエルヴァーン剣士は『分かった』とだけ返して、辛そうな眼差しで皆を見送っていた。

そしてローディはというと、リオを連れてダン達とは別行動に入っていた。
テュークロッスと対面した後、家に戻るやいなや、ローディは何の説明も無しにミスラの娘を拉致して飛び出していった。
サイレスで声を奪い、パライズで動きを封じ、インビジで姿を消し、彼女を捕獲して自身も姿を消すあまりの手際の良さに、トミーとノルヴェルトは誘拐現場を間近で目撃してしまったように目を丸くした。
リオはこの件に関わった騎士達の顔を記憶しているので、ローディと共に協力的な証言者探しをお願いするのだ。
慌ててロエがそう説明すると、トミーは溜め息をついて胸を撫で下ろしていた。

天候はとてものどかで、輝く太陽を緑の草木が活き活きとして見上げている。
環境はピクニックに持って来いの陽気ではあるが、今の状況を考えると行楽にはなり得ない。
周囲に目を配りつつ早い歩調で先頭を歩いている背中を眺めて、トミーは口を引き結んだ。
いつも重量のある両手剣を背負っているのに、くたびれた様子を見たことが無い。
なんてことを今更ながら思い返し、彼の背中で揺れている両手持ちの剣を見つめる。
彼と共に色々な場所を旅し、パーティの仲間を護ってきたのであろう大剣。
それを見つめているトミーの腰には、普段使っている長剣ではなく小剣が下げられていた。
それはセルズニック兄弟の家を発つ前にダンから渡されたものだ。
装備同様、剣も軽量で邪魔にならないものにするのだそうだ。
そして、『何があろうとお前は武器を手にするな。必要ない』と彼は言った。
小剣は何かの時に道具として役立てるものであり、何者かを攻撃する為のものではないと。

“検索終了したなりよ~”
黙々と歩いていたダンにローディからの報告の声が届いた。
今後のことについて思考を巡らせていたダンは、その声に一層眉をしかめる。
“……大分早いな。ネコ連れてて行動はスムーズにできたのか?”
“ピーピーパーパー賑やかだったが俺様の手を煩わすにゃまだまだ力不足だお☆”
“まぁどうでもいいけどな”
至極ご機嫌なローディの発言をさらりと流し、“で、結果は?”と問う。
“やっぱり、利用した子達はちゃーんと他所に飛ばしてあるようだにゃー。きひっ、まずは合格点だのぅ!”
テュークロッスは、機密性の高い任務と偽って協力させた騎士達を遠征の任へ散らばらせる手配を迅速に行ったようである。
城にはもう、リオが記憶している騎士達の姿は見当たらないとの報告だった。
“さすが、仕事ができると称されてるだけあるな。やることが早ぇ”
そうなっているであろうことは予測済みであった。
そして、これから連中が何に興味を示し狙いを定めてくるかということも。

「………大丈夫かな、リオさん」

ぽつりと後ろの方で呟かれたトミーの言葉に、ダンとロエは振り返った。
ダンとローディの二人が利用しているリンクシェルは二人だけが持っているもので、パーティメンバー達が持っているものとは別物である。
なので当然、今の会話は他のメンバー達には聞こえていない。
「呼びかけても全然返事が返ってこないし……」
危険な目に遭っていないだろうかと心配そうなトミーに、ロエは困った笑みを浮かべて『きっと今はお忙しいんですよ』と声を掛ける。
「どうせ一晩明けて使い方忘れたんだろ」
さっさと前方に視線を戻してダンは投げやりにそう言った。
口を曲げて黙り込むトミーを見て苦笑すると、ロエはヒュームの戦士を見上げる。
彼女は知っているのだ、諸事情によりリオがリンクパールを取り上げられていることを。
「ローディさんにもみんなと同じリンクパール、渡した方が……良かったんじゃないかなって、思うんですけど…」
トミーはダンではなくロエに向かってそんなことをごにょごにょと零した。
確かに普通に考えれば、ローディにも皆が持っているものと同じものを持たせるのが妥当だろう。
“しっかしこのニャンニャンのツンデレ加減が結構堪らんのだけど、ちょっとつまみ食いしておk?”
しかしローディは『普通』ではないのだ。
皆にいらぬ不安を与えるであろう発言を容赦なく放つ変態にダンは“黙って働け”と冷たく言った。
“ケチィッ。え~~懐かない女って結構萌えんかね?ねねね俺様の予想だとね、多分このニャンニャン人づ”
“黙らねぇとハブるぞテメェ”
“つまんにゃいよこれくらいのハァハァトークでもしなきゃ!!そもそもこんな黒子的ミッション俺様にやらせるなんて信じらんないクピプゥ!!!”

頭にガンガン響く大音量の叫びにダンは少々よろめく。
背の低いロエはその歩調の乱れに気付いて心配そうにダンのことを見上げた。
“あぁ?何言ってんだ、適材適所だろうが。さっさと次の行動に移れ”
案の定駄々を捏ね始めたローディをあしらいながら、ロエに掌を見せて『問題ない』と伝える。
“あ゛~~探し物ばっかりじゃの~~~”
“逆に言えばその役目はお前にしかできねぇだろ”
“ぬ~~~~俺様があまりにもVIPなばっかりに~~”
“分かってるならさっさとしろ。それが終わったら追加のネタを教えてやる”
“うっそナニソレマジカル!!!!!!?”
魔法の真珠が砕け散るのではないかという程の狂喜した声がダンの頭を横殴りする。
再び僅かによろめくダンに、今度は後ろを歩いていた二人も気が付いたようだ。
一気に不安顔になるトミーを横目に見たノルヴェルトは心配そうに眉根を寄せる。
“追加のネタって何!?派手にヤッちゃう!?”
“いちいちうるせぇんだよお前は…っ”
いい加減苛立って歯噛みするダン。
“あー、団長様に謁見した時にちょっとな……”
“きっ!?一目惚れしたった!?ダン一目惚れしたった!!?”
“まぁ、予定通りことが運べば必要のないネタだ”
“Oh奥の手♪Ah最後の手段♪Wow捨て身の一撃♪マジカルどよめきシャーベット♪”
勝手に期待を膨らませて意味不明な歌を歌い出す魔道士に“保険みたいなもんだ”と淡白に告げる。
“分かったなり!ニャンニャン監禁して仕事即行終わらせて飛んでいくぞぃダーリン☆”
「見えてきたな、あそこに向かうぞ」
トミーが口をもごもごさせて散々迷った末思い切ってダンに声を掛けようとしたその時に、ダンは立ち止まって前方を指し示すと仲間達を振り返り言った。
ぎくりと肩を跳ねさせるトミーに一瞬眉を寄せるが、ダンはすぐに前を向く。
トミーの挙動の一部始終を見ていたノルヴェルトは、早速自分が彼女から奪ってしまったものがあることを痛感していた。
前に進むためのものを強制的に渡され、共に進むと言う人が隣を離れず、このまま流されて良いものなのか判断できずにいる自分の重たい足をじっと見下ろす。

ダンが指し示したのは、緑の中で日の光を浴びて輝いている遠くの建造物。
冒険者達にテレポホラとしてよく利用されている白色の古代遺跡だ。

ざぁと草を撫でていく風の音に包まれつつ、皆はしばしその目標物を無言で見つめた。



<To be continued>

あとがき

今回はタイトルでもあるように、互いに敵を知った回となりました。

で、装備に関する情報提供について、ご協力くださった皆様には心よりお礼申し上げます!
あんなさっくりとした描写でスミマセン。(汗)
第一章の時は少しばかり頑張っていた気配がありましたが、 今後はWS等ゲーム的要素がより一層希薄です。
総司令も言っておりますように『極力殺傷無し』です…し…。(滝汗)
ある程度ご容赦はいただきたいと思います。m(_ _;)m

この第二十六話を執筆していて、やはり彼と共にいる時の変態はまるで水を得た魚のようだなとしみじみ感じてしまいました。(何)
ご機嫌過ぎて、ついに♥記号デビューしちまったよ……。
ホントに好きなんだね、ダンのこと。