面影を追う子ども達

第三章 第二十三話
2008/03/23公開



パリスはすっかり髪の下がってしまった頭を擦りながら押し黙っていた。
タイミングを失ってしまい、話を切り出すどころか歩いて食卓に着く事もできなくなっていた。
そんなのっぽのエルヴァーンを見つめる視線は二人分。
空腹が満たされてようやく他のことに集中できるようになったリオと、部屋の扉に一番近い席にゆっくりと腰を下ろすダンの視線である。
パリスの姉――元は兄だが――が用意したテーブルの上の料理は、今は残ったものを綺麗にまとめてテーブルの中央に寄せてあった。
使用した食器類はテーブルの端にきちんと重ねて置かれている。
片付いたテーブルの上は布巾でさっと拭いた後なので綺麗だった。
それらの片付けをしたのは、主にトミーとロエの二人である。
洗い物まではしなくて良いというパリスの言葉に困った顔をしつつ、持て成しへの感謝を込めて。

トミーとロエとノルヴェルトの三人は、この部屋にはいない。

今となっては少し前のことになるが、部屋を出て行ってから半時が経とうという頃になってパリスは戻ってきた。
あれからずっと、姉と話をしていたのかもしれない。
そう推理できる要因としては、部屋に戻ってきた時、エルヴァーンの青年は普段の“能天気な冒険者”ではなく“弟”の顔をしていた。
『トミー達三人が話をする場所を借りたい』とダンが言うと、パリスは当然驚いた顔をしたが、何も言わずにすぐ部屋を提供した。
最初に一行を通した、暖炉のあるあの部屋だ。
あの時出された茶器も片付けられていて、部屋はまだ十分暖かかった。

二つある内のどちらの口から、何が飛んでくるか分かったものではない。
そんな緊張に耐えられなくなったのか、扉前に突っ立ったままでパリスは苦笑を浮かべた。
「……いいのかい?君が一緒にいなくて」
パリスは二人の内どちらのことも見ていなかったが、これはダンに言った言葉だと分かる。
「さぁな、大丈夫なんじゃねぇの?」
投げやりな言葉を返すダン。
そんなことを言いながら、最も部屋を飛び出しやすい位置に座っているではないか。
思ったが、今のパリスには以前のように軽口を叩く元気はない。
ただ黙ったまま複雑な表情に苦笑を滲ませる。
「あっちはあっちでやるさ。こっちにはこっちの話があるだろ」
視線は向けられていなかったものの、さらりとしたその言葉だけでパリスはぴくりと身を硬くした。
ちらりと視線を上げてリオを見てみる。
背中の曲がった良くない姿勢でテーブルに頬杖をつき、パリスのことをじっと見ていた。
「つまり、噂は全部がせネタだったってわけか」
疲れた声でダンが呟く。

「……兄さんは、サンドリアの騎士社会ではかなりの有名人だったから、情報を求めてる人も少なくなかったんだ」
失踪当時は様々な噂が飛び交った。それこそ、先程ローディが言ったようなものが。
兄に対する好き勝手な噂話と、自分に向けられる兄目的の視線に耐え兼ねたパリスは、逆にその『噂』というものを利用することにした。
弟のパールッシュドは女に現を抜かすどうしようもない落ちこぼれ。
そう、この噂を広めたのは他でもないパリス本人なのである。
捜しても兄を見つけられない者達は、最終的には自然と弟の方に情報を求めてくる。
しかしその弟はお家のことなど知ったことではない、ただの気まぐれな冒険者風情。
誇り高き騎士の王国で、女絡みの噂は爽快な程に効果てき面であった。
兄に繋がるものを持っていない馬鹿な弟になど、周囲の興味が長続きすることはなかった。
「今じゃ僕が発信した以外の話もごろごろあるけどね。それは多分……僕らの母様が噂を買ったからだ」
兄ヴィヤーリットの情報を最も欲しているのは、期待を注いでいたセルズニックの一族なのだ。
そして、金になるものにまがい物が増えるのは世の常。
でたらめな噂が増え、ヴィヤーリットの情報も濁り、やがて兄弟への関心は薄れた。
『夜鶴のヴィヤーリット』なんていう言葉はもうほとんど聞くことはない。
パリスは、サンドリアの騎士達は人を動物で例えるのが好きなのだろうか……と、疑問に思っている。
自分達は世間から『老いたる獅子』などと揶揄されているというのに、セルズニックのでこぼこ兄弟を鳥で例える。伯父のことは犬だった。
「ちょっと待ちなさいよ。家の奴らは、兄ちゃんが姉ちゃんになってることは知ってんの?」
表情が険しくなってきたリオの強い視線を横顔に感じつつ、パリスは目を閉じて噛み締めるように答える。『知っています』と。
ただ、そんな生き方を認めるはずもなく、期待の後継者を連れ戻すべく所在を探っているのだと言う。
その答えを聞いて、リオはふといつもの癇癪顔になるが、ぐっと言葉を飲み込んだ。
うるさいことを理由に、トミーの方に同席を許されなかったことを根に持っているようだ。
そんなリオの様子を見てパリスは苦笑いする。
「さっきダン、チョコボの声が聞こえたって言ってたよね」
とぼとぼと歩を進めると、『あれはうちのです』と言って、ダンの正面にある椅子を引いて力なく腰掛けた。
「はぁ?あの鳥飼ってんの!?」
「いえ、その……。年老いて働けなくなったチョコボを引き取って、世話をしてるんです。ボランティアみたいなもんですかね?それが今の、姉さんの仕事で」
この家の裏には小さな厩舎がくっついていて、そこに二羽のチョコボがいる。
頻繁に人が来るようなものではないので、姉には丁度良い仕事だった。
勤めがないと人は心身ともに健康を害しやすい。
収入は少ないが、そのあたりはパリスが支えている。
『なるほどな』と頷いて理解を表すダンを尻目に、リオはあぐらを組み直しながら言う。
「じゃあ何よ、外に出る用事はあんたが一切世話してるってわけ」
ゆっくりと頷いて見せて、パリスは何かを思い出したのか、ふと小さく笑った。
「でも、ずっと家に篭り切りは良くないと思うから、たまに外に連れ出すんですよ」
そういう時、魔法を勉強して良かったと思える。
そしていつも、帰ってくる頃には心身共にくたくたで、毎回『もうやめよう』と思うと言う。
そう話して一人だけで笑うエルヴァーンの青年は、今もくたくたのように見えた。

「………どうして言わなかったんだ、って……怒る?」
いつものしかめっ面をしているであろう友人に、ぼんやりとした口調で問う。
ずっと大事にしてきたものを駄目にしてしまったかのような、喪失感のようなものが体に纏わりついた。
ダンはすぐには言葉を返して来ず、彼がどんな言葉を返してくるのか、パリスは急に怖くなる。
「もしお前が、自分からこの事を俺達に話してたら」
間を置いてからのダンの声に、パリスはふと顔を上げた。
「どうせお前は自分のことを責めただろ。バラしちまったとかめんどくせぇこと考えてな。だからまぁ、この形で良かったんじゃねぇのか?」
どうしてそんな、どうでもよさそうに凄く優しいことが言えるの。
椅子にもたれて明後日の方向を眺めているダンをまじまじと見てしまう。
一瞬、『何故もっと早く打ち明けなかったのだろう』と思い掛けたのだが、今の言葉で、そんな悔いを抱く必要はないと諭された気分だった。
不意に、胸に感情が込み上げてきて口を引き結ぶと俯いた。
よく分からないけれど、全てが報われたと思えたのかもしれない。
これまで姉のために献身してきた努力も、誰にも言わずに隠してきた苦しさも。


「…んとに、わけ分かんないわ……」
信じられないという音色の、リオの声。
込み上げたものを懸命に堪えたパリスは、何とか彼女に視線を向けることができた。
「ただ家族ってだけでしょ?兄弟ってだけで、なんでそこまですんのよっ」
椅子から飛び降りて大股でパリスに迫ってくる。
揺らめきを背負った彼女に何とも言えない戦慄を覚えて、パリスは思わず逃げ腰を椅子から浮かせた。
そのまま逃げ出したくなったが、その頃にはすでにリオが目の前に来ていた。
「関係ないじゃない!あんたは自由に冒険して、好きなことやればいいでしょ!?何よなんにも説明しないで!勝手に悪者顔していなくなろうとしてんじゃねぇわよ!」
『あんた何も悪くないじゃない!!』というリオの声が静かな室内に響く。
怒りに顔を上気させたリオは『この…っ』と腕を引き、思い切りパリスの脇腹に拳を叩き込んだ。
そして、『あいたっ』と体を曲げたパリスの胸倉を掴むと歯噛みする。
「あたしは……絶対謝らないからね!誤解されるようなことしたあんたが悪いのよ!」
悪くないだの悪いだの。
無茶苦茶なことを言っているミスラにダンは半眼になる。
引き寄せられて無理矢理中腰にさせられているパリスは、額に冷や汗を浮かべている。
「ぅご……ご心配をおかけ…」
「してないわよそんなもん!!!!」
がぁと牙を剥いてパリスのことを力いっぱい横に突っぱねた。
よろけて壁に背中をぶつけるのっぽのエルヴァーン。
「何よどいつもこいつも……誰かのためーーとか、バッカじゃないの!?とんだお人好し集団だわねっ」
肩を怒らせて拳をわななかせている赤髪のミスラを、パリスは壁にもたれ掛かったまま呆然と眺めた。
頭の天辺から足の先まで気が立った様子全開のリオは頭を掻き回し、『シャワー浴びたいわ、貸して!』と怒り声のまま言う。
彼女の剣幕に呆気に取られたままのパリスが、突き当たりの部屋だと蚊の飛ぶような声で教える。
リオはヒステリーな背中でずんずんと部屋を出て行く。
はっとしてパリスが『あるものを好きに使ってください』と声を張ったが、それに対する返事は何も返ってはこなかった。

「……何つーか………ガサツだな、あの女」
呆然とした顔のままで部屋の中に視線を戻すと、テーブルに頬杖を付いたダンが溜め息混じりに言った。
単純に『そうだったのか』と、『勘違いして悪かった』と言えば良いものを。
そんな風に言いた気な彼のうんざりした顔を見て、何だか分からないが少し笑えてきた。
くすくす笑うパリスにダンは更に怪訝な顔になる。
「でも、リオさんが真っ向から僕を責めてくれて救われた部分もあるよ」
責められないのは、時にとても辛いことでもある。
何処かほっとしている顔のパリスを眺めて、ダンは肩をすくめていた。
「…誰かさんも、一発くらい殴ってくれるかな~って思ってたんですけどねぇ?」
やや軽めの口調になって言いながら、再び椅子を引き寄せて腰掛けるパリス。
自分のことを追ってきたのに、途中で追跡を放棄して、帰っていった戦士を上目遣いに見る。
あの時に気付いたことがあった。
自分は、誰かが追ってきてくれることを願っていたのかもしれない。
そして多分、その『誰か』も決まっていた。
「殴って吹っ切れられちゃ堪んないからな」
むすっとした顔で、でも何となく“してやったり”という顔で、ダンが言う。
なるほど、やはり駆け引きでは彼に勝てないようだ。
実際あの時ダンがあっさり行ってしまったから、別れ切れなくなって、こうして今皆とここにいる。
「しっかしな……。散々気苦労させられたんだ、嫌味の一つは言わせろ」
がくりと頭を垂れていると、くたびれた声でダンが言う。
『え?』と顔を上げてからふと、嫌味なんていつもじゃない、とか思ってしまったが。
それは間違っても口には出さずにダンの嫌味とやらを待つ。
「それだけするってことは、それはそれはさぞ素晴らしい兄貴なんだろうな」
OK、生憎僕だって君の手口は大体心得てる。
だから、最高に嫌味っぽい言い方をしたって、それが嫌味じゃないってことも僕にはすぐに分かるんだ。
「………た~~~くさん、護ってもらったからねぇ」
どうやら話を聞いてくれるらしいので、ゆっくりと背もたれに寄りかかってリラックスすると続けた。
「叩かれた打ち身を癒してくれたのも兄さん。食卓に呼ばれない僕に食事を運んでくれたのも兄さん。誰も相手にしてくれなかったけど、兄さんはたくさん僕と話をしてくれた」
ぼんやりと天井を見上げたままそこまで語って、また何かを思い出したように小さく笑うと椅子に座り直した。
「僕達兄弟には、それぞれヒーローがいてね」
昔から兄がよく話して聞かせてくれる話があった。
最強の騎士と、心優しい剣士の話。
それは兄の幼い日の記憶で、騎士というのは伯父のこと。
兄は伯父のことが大好きだった。
そして、弟の方は伯父の友人の剣士のことが大好きだったらしい。
辛くてもできるだけにこやかでいよう、と思うようになったのも、その剣士に笑顔を褒められていたと聞いてからだ。
「兄さん言ってた、自分は騎士にはなれなかったけど、パールッシュドは憧れの剣士になれるって」
パリスが赤魔道士というジョブに身を置いているのも、それが根底の理由のようだ。
幼き頃から憧れたその優しい剣士のようになって、兄を護っていこうと。
「………出来過ぎた兄貴のせいで……と、思ったことは?」
「ん~?無いかもねぇ~。僕にとっては兄さんもヒーローの1人だったから♪」
少年には大体憧れのヒーローがいるものだ。
ヒーローはいなかったのかと尋てみると、肩をすくめて『亡霊ならいた』と皮肉れた顔をしてダンは答える。
真面目に取り合わないダンにパリスは一笑した。
「…………呆れちゃった?」
問うと、明後日の方向を眺めているダンは『いいや』と短く答えた。
何だかんだ言っても心配してくれていたのだなと、パリスは彼に目を細める。
笑みを浮かべたがる自分の口元を意識して妙に恥ずかしくなり、椅子から腰を上げるとテーブル中央にある茶器を取りに行く。
照れ隠しのつもりだったが、ダンが自分へと視線を向けたのを感じて尚更恥ずかしくなってしまった。
「ん~~でも本当に、これで良かったのかもしれないね!姉さんもトミーちゃんに会いたがってたし」
気恥ずかしさを誤魔化そうと笑いながら言って、まだ使用していないカップを二つ並べ、ティーポットの中にあるお茶を注ぐ。
「どうしてトミーに?」
もっともな質問を返すダンにパリスは『え?』と顔を上げる。
きょとんと目を瞬かせているその表情は、自分が今何を言ったのかを思い返している顔だ。
パリスは、表情を変えぬままちらりと視線だけを一度横に反らした。
多分、胸中独りごちている。『しまった』と。
ダンにはそんな顔に見えた。



   *   *   *



西ロンフォールの木々は、今朝方降った雨がまだ乾いておらず、どれも葉が下向きになっていた。
高い位置の葉から零れた雫が低い位置の葉にパタリと落ち、その僅かな揺れでそこからまた複数の雫が地面へと零れ落ちていく。
そんな木々の遥か上にある空には雲が敷き詰められ、窮屈そうに北へと向かって流れていた。
今は止んでいるものの、またいつ降り出してもおかしくない空模様。

サンドリア王国から離れた、ラテーヌ高原より西ロンフォールに入ってすぐの場所。
束の間の雨上がりに静まり返る森の中で、黙々と休憩を取っている冒険者達がいた。
『黙々と』と言うのは文字通り、会話もなくということだ。
その十人余りの冒険者達はパーティを組んでいるわけではないので、仲良く談笑しながら休みを取っていなければおかしいということはない。
ただ、全くの無関係というわけでもないので、会話の一つや二つあってもおかしくはないとも言える。

そもそも、この場に彼らが集まっている理由が悪いのかもしれない。
彼らは忙しい。こなさなければならない勤めがある身だ。
それなのに同じ立場の一人から理由も聞かされず『集まってくれ』と連絡が入った。
無心で使命に集中しようにも、邪魔な素人に苛立ち、単調さに飽きを覚え、日頃味わっている快感とは掛け離れた環境にじわじわと情熱が蝕まれていく。
そんな最中に謎の召集だ、会話なんてする気力も起きない。
思い思いに自分のことをしている彼らの目は、完全に輝きを失っていた。


ところが次の瞬間。
バラバラだった彼らが一斉に飛び上がって姿勢を正す声が聞こえた。

「ちょっとぉ~~テンション低いんじゃに~の~~?」

仰天した様子で目を白黒させる冒険者達の口から、次々と同じ固有名詞が飛び出す。
『総帥』と。
その時にはもうすでに、彼らの目の色はがらりと変わっていた。
恥ずかしながら、とでも言うように、現れた金髪碧眼の隣にいるエルヴァーンがかしこまって礼をする。
「予想通りだけどいくら何でもサブ過ぎなりよ。もう、下穿いてこなかったからね!」
そう言う金髪碧眼は、確かに、普段の白魔道士アーティファクトの胴装備であるヒーラーブリオーの下からは生足が伸びている。当然足も裸足。
彼を囲むように立っている冒険者達の中から『テラモエス…』という呟きが聞こえた。
『スリルがないと面白くない』と言う金髪碧眼はにやりと誇らしげだ。
顔に生気が戻ってきた冒険者達は徐々に我に返り始め、口々に自分達の苦しみを、嘆きを、生足の美形に打ち明けた。
今まで黙り込んでいた彼らが一斉に訴えるものだから静かな森が急に賑やかになる。
薄ら笑いを浮かべて彼らを見回している金髪碧眼は、その話を聞いているのかいないのか。
まぁ、普通に考えれば到底聞き取れるわけがないただの騒音であるが。
やがて徐々に興奮していく周りを制するように高らかに言った。
「この世の何事においても一番つまらない解決方法ってな~~~~んだ☆」
好き勝手に嘆いていた面々が、うっと言葉を詰まらせる。
「答えは金」
誰かが答えるのを待たずに、金髪碧眼は親指を下に向けながら真顔で言った。
「この先にアウトポストあるじゃろ?そこにせっせと荷物運びすんの、どぅー思う?」
「最悪だ!」
「ナンセンス!!」
「この世の終わりです!!!」
「ガードに●を!!!!」
等など、その場にいる冒険者達の口から悲鳴が上がる。中には絶望して膝を折る者も。
「きっひっひ。邪魔な奴?誰かが迷子のフリして遠くまで道案内させチャイナ☆退屈?なら工夫をすべし。面白かったらもれなく俺様も一緒にやってやるぞぃ☆」
拳を握り締めた冒険者達の口からうおぉぉおと歓声が上がる。
「別のエリアも見てくるからそれまでに何かやっといてちょ。ちなみに、テンション低いところには俺様体質的に近付けないから」
『つまらなかったらもう来ない』と暗に言い聞かせる無邪気な笑顔。
先程まで気力のなかった冒険者達に緊張が走り、共に情熱の炎が点る。
“みんなもさ~楽しくやってんの?やる気ないとこには漏れなく疎外プレゼントだぞぃ☆”
リンクシェルの方でも一言言うと、その言葉を聞きつけた者達の声が一斉に返ってくる。
その爆発的盛況に、同じリンクシェルを持っている周りの冒険者達の中で数名が僅かによろめいた。
大騒ぎのリンクシェルは、もはや単語一つ聞き取れない。

“ね~~ぇ~~お友達に明日の夜には戻るって言ってきちゃったんだけど、大丈夫かにゃ?”

ガチャガチャと意欲的に準備を始める冒険者達を眺めつつ、金髪碧眼はやや甘えるような声色でリンクシェルに問う。
すると、活発化500%の大混雑リンクシェルとはまた別の、しんとしたリンクシェルから答えが返ってくる。
“今ので皆気合いも入った、大丈夫だろう”
普段は張りのある男の声が少々脱力気味になっていると感じながら、金髪碧眼は言う。
“他のユーザーは雑魚だからどうでもいいけどさ、これで銃士隊が張り合いなくなるのもつまらんのぅ”
“つまらんつまらんって………腕白め……”
“なぁ~にそのテンション、まるで疲れてるみたいだにゅ。あっ、そういやさ~Dを俺に繋がなかったクレイジーがいただろ~?”
“だあ?”
“あいつの割っといて”
さらりと言って、今度は戦績稼ぎを再開しようとしている冒険者達に向き直る。

「んじゃまたネ☆」

そして、チャーミングなウィンクをすると、転移魔法を詠唱して光と共に次の地へと消えた。



   *   *   *



「あぇ~っと……」
考え中の声を漏らしつつ、砂糖を指で示して見せる。
ダンは首を振る仕草により『不要だ』と無言のままパリスに伝えた。
パリスは薄ら笑いを浮かべた顔で、でも目は必死に何かを考えている顔で、カップを一つずつ両手に持つ。
「気分を……害さないでほしいんですけど…」
言いながら戻ってくると、ダンの前にカップを持った手を伸ばしながら続けた。
「姉さんは僕が、トミーちゃんのこと好きだって誤解してる」
「違うのか?」
置こうとしたのと同じ動作スピードで、パリスはカップを持ったままの手を引っ込めた。
椅子に腰掛けているダンに目を見張ってあんぐりと口を開けてしまう。
「……………オイ、驚き過ぎだ」
硬直してしまったパリスをじろりと見上げて呆れ口調でダン。
「……や…だなぁもう、鎌掛けないでよ!」
大きく息を吐いて肩を下ろし、『ビックリしたなぁ』と苦笑いしながら今度こそダンの前にカップを置いた。
一気にどっと疲れた様子で、パリスは椅子によろよろと力なく腰を下ろす。
お茶を一口飲んでカップを置くと、深い溜め息をついてテーブルの上で手を組んだ。
「今までみんなとのことを話したりしてたんだよね。それでなんか、いつの間にか……その子いいねって感じで、期待しちゃってまして」
そして、姉は期待してしまうと同時に心配もしていた。
自分がいるせいで、弟がずっと踏み出せずにいるのではないか、と。
「そりゃあ、確かに、僕だってこの年ですから?そろそろ結婚を考えるような女の子とお付き合いもしてたいですよ?」
でも、相手がいないことと姉の存在は関係が無い。
『ただ僕がモテないだけです』と、悲しいことをパリスは勇敢にも言葉にした。
ダンは特に反応を示さず黙って聞いているのだが、何となくパリスには《言わせてもらってる感》があり少々癪だった。
何となく何かやり返したくなり、話の調子を変える。
「そうそう、だから、これでその誤解も解けると思うんだ。君達2人の様子を見れば姉さんも気付くだろうしね」
ダンはどのような反応を返すだろうと期待しつつ、顔を上げてダンを見るとニコと笑ってみせた。
しかし、その言葉を受けたヒュームの戦士は、険しい顔をしてじっと自分の手元に視線を差した。
勿論、浮かれた顔をするとは思っていなかったが、少なくとも素直じゃない言葉くらいはすぐに飛んでくると思っていた。
押し黙っているダンに調子が狂い、パリスは何となく次の言葉を手探りする。
「しかし君も……にくいよねぇ…。君は結構、強引な方かと思ってたんだけどな」
「何だそれは」
ようやく反応が返ってきたことにほっとして、パリスは軽い口調で続ける。
「だってさ~?ダンって、欲しいものは周りに遠慮しないでさっさと手に入れるタイプでしょ。まぁ、僕の勝手な偏見だけどね♪ただホントに、ちょっと意外だったわけ」
くすくすと笑った後、やや目上を気取ってティーカップ片手に問う。
「あんなに近くにいるのにさ、切なくならないかい?手は出さずにただひたすら護るだけなんて……君はそれでいいの?」
「………………」
「……ん、アレ?もしかして手は出してんですか?」
驚きのあまり声を大きくするパリスにダンが鋭い眼差しを突き刺した。
その視線に怯むことなく、干上がった声で『見えないところでハレンチな』とかぶつくさ零すパリス。
顔は半笑いだが結構真剣に動揺しているパリスは、くいと一口お茶を飲む。
ダンは一瞬、全く手を出していないと言うと嘘になりそうだなどと真剣に考えてしまったが、パリスが言うように、自分がガラにもなくかなり手加減しているのは確かだった。

「分からねぇんだよ」
ぼそりとダンが呟いた。
「ハ、ハイ?」
「正直どうしたらいいか分からねぇ」
そう言って悩ましげに片手で頭を抱えるダンにパリスは目を瞬かせた。
パリスとしてはこの間のように、ちょっと揺さぶりをかけてみようかという些細な悪戯心だったのだが。
どうやら、揺れるどころか、ダンの中ではもうとっくに揺るぎ無いものになっていたことを知る。
ダンは、想っているから甘やかす、という一般的にありがちな傾向をまったく見せない。
それでもあのヒュームの娘に対する彼の愛情は十分に見て取れてはいたが、こうしてはっきりと認めた態度を見せられるとは予想していなかった。
「……『あんなに大事なもんは初めてなんだ』って、顔してる」
思い悩む友人を眺めつつ、頬杖をついてのんびりとした口調で言ってみた。
否定の言葉も、皮肉れた憎まれ口も返ってこず、パリスは自然と穏やかな笑みを浮かべる。


「さっき、笑ったあいつの顔を見た時」

前髪を片手で握り締めたままのダンの呟きに小首を傾げる。
「あいつが俺から離れていく予感がした」
「ぇえ?」
愛を語るのかと思いきや、突然縁起でもないことを口にするダンにひっくり返った声で聞き返した。
悲しんでいるのか怒っているのか、焦っているのか諦めているのか。
今のダンは、どの感情にも納まり切らない何かを抱えているように見える。
これまでどのような困難に直面しても、彼の場合悩みはするが『必ずどうにかできる』という目をしていた。
しかし今の彼の目にその確信はなく、見えるのは静かで深い困惑。
そんなダンを見て再び動揺し始めてしまい、何か気の利いた言葉を捜そうとする。
「あー、今回は厄介だぜ」
しかし、先に調子を戻したのはダンの方であった。
ふーと疲れたように溜め息をついて腕を伸ばす彼に、パリスは負けじと眉を開く。
「あ、あぁ~、ノルヴェルトさんのこと?」
確かに、あのエルヴァーンも色々な意味での特別な思いをトミーに向けているようだ。
「いや、ちょっと違うな」
パリスが納得しかけたところでダンが言った。
肩透かしを食らった顔をするパリスをよそに、ダンは何処か遠くをじっと眺める。
思い出すのは、先程見た彼女の尊い笑顔。
「一番厄介なのは………あいつの馬鹿みたいな優しさだ」
パリスがその言葉に対して更に疑問を投げかけようとすると、ぴたりと口を閉じたダンが何かを知らせる視線を扉の方へ向けた。
パリスが『へ?』とマヌケな声を漏らしたところで、扉が小さくノックされる。
扉を押し開けておずおずと顔を出したのはタルタルの魔道士ロエだった。
「あの…終わりました」
「っと、ロエさん、お疲れ様でしたね~」
「あとの2人は?」
ヒラヒラと手を振ってのん気な声でいうパリスと違い、ダンはすぐに尋ねた。
「あ、それが……部屋を出た時に、丁度…ヴィヤーリットさんとお会いして…」



   *   *   *



廊下に並ぶ他の扉よりもやや大きい、両開きの扉の向こうには、小さな厩舎があった。
奥にある表へ出る扉は、雨が降っていたからかぴっちりと閉まっていたが、先程ヴィヤーリットが少しだけ開けた。
雨上がりのしっとりとした空気と、雲に覆われた白い空からの光が入り込む。
厩舎にある二つの囲いの中には、それぞれ干草が集められた柔らかい寝床があり、そこには一羽ずつチョコボが蹲っていた。
色がくすんだ黄色い羽根の他に、目元にもはっきりと、二羽のチョコボの老いは表れている。
しんとした中でチョコボが干草にもたれる音が漂い、それだけで生きる物の尊さを感じる。

あとで、ダンに教えてあげよう。

干草の寝床に蹲っているチョコボをしゃがんで眺めながら、トミーはそんなことを思った。
チョコボの声が聞こえたと、先程あの戦士は警戒していたようだから。
「あの……触っても大丈夫ですか?」
隣に膝を付いているヴィヤーリットに尋ねる。
チョコボの目元を濡れ布巾で優しく拭いていた彼女は一旦手を止め、にこと微笑んで頷いた。
トミーは嬉しそうに微笑み返すと、そっと、目の前の年老いたチョコボに触れる。
まだチョコボ免許を取りに行っていないトミーは、こんなに近くでチョコボを見たのは初めてだった。
周りの冒険者が乗っているチョコボ達を思い返すと、やはりこのチョコボはもう、人を乗せたり、車を引いたりする体力は無いように思えた。
艶を失った羽根をそっと撫でると、チョコボが羽根を動かして一声鳴いた。
少し驚いて手を引っ込める。
見ると、ヴィヤーリットがチョコボをなだめるように頭を撫でていた。
まるで母親のような、慈愛に満ちた穏やかな横顔だった。
……やっぱりキレイだよ~。
艶やかな黒髪に白く細い首筋。
城で勤めを果たしていた頃はそれなりにたくましい体をしていたのかもしれないが、今は鎧を身に着けることも剣を振ることもしなくなった細い腕。
指も細くしなやかだが、骨張っているのはやはり男性のそれだということ。
「あ、あの……」
呼びかけると、睫毛の長い目が瞬きを繰り返しながらトミーを見る。
「えと、突然押しかけてしまってごめんなさいっ。たくさんお料理も作ってもらっちゃいましたし。ありがとうございます!」
ヴィヤーリットは何処か嬉しそうな、困った笑みを浮かべて首を横に振った。
その時の表情が、弟の冒険者剣士と似ていると感じて見惚れていると、彼女は前掛けのポケットから小さなメモ帳とペンを取り出す。
会話用にいつも持ち歩いているのだと思い当たった。
『皆さんに会えて嬉しいです。』
開いたページにそう書いてトミーに見せるヴィヤーリット。
トミーがメモを見て笑顔を上げると、すぐ隣にいるヴィヤーリットが自分のことをじっと見つめていた。
まじまじと観察されているようで、恥ずかしくなったトミーは赤面して俯く。
すると、ヴィヤーリットはメモ帳に追加で何かをさらさらと書いた。
『あなたはイメージ通りでした。素敵な人です。』
そんなメモ書きを見せられたトミーは、頭の上に???は浮かぶは恥ずかしいはで大忙しである。
「へっ!?イメージ!??……あ…パリスさんから何か聞いていたんですか?」
こくりと頷く彼女の笑顔を見ると、一体パリスはどんなことを話していたのだろうと心配になった。
こちらが悶々としていると、ヴィヤーリットが再び何かを書き始める。
リンクシェルでも、結局声は聞こえてしまうから仕方が無いのか。
ふと考えて納得しつつ、差し出されたメモを覗いて書かれた文字を視線でなぞる。
『弟は皆さんにご迷惑をかけたりはしていませんか?』
「迷惑なんてそんなっ、私の方が迷惑かけっぱなしですよ!」
弾かれたように驚きの顔を上げて思わず声を上げてしまった。
目をぱちくりしているヴィヤーリットを見て自分の大声に気付き、あっと口に手を当ててそろりと振り返る。
自分達が入ってきた扉の横に佇んでいる男も、目を瞬かせてこちらを見ていた。
周囲を見張るようにしてじっと立っていたノルヴェルトに、ははと苦笑いをして見せる。
「え…と、パリスさんにはとてもお世話になってます。パリスさんは色々なことを親切に教えてくれますし、いつもニコニコしていて……」
後半は少々思うことがあって言葉が落ち込んでしまったが、すぐに気を取り直す。
「お話してるとすっごく楽しくて、みんなの人気者なんですよ~」
それを聞いて安心したように、心底嬉しそうな微笑を浮かべる姉の姿。
そこでまた、じっとしていたチョコボが身をよじって、『わっ』と驚いた後トミーはあははと笑った。



とても辛く悲しい出来事を聞いてしまった。


まだ聞いたばかりであるし、自分の中でどう整理を付けたらいいのか分からない。
部屋を出たところでヴィヤーリットを見つけることができて、本当に良かった。
初対面の人の前では、相手が事情を知らない分弱みを楽に隠せるし、自然と笑顔でいられるから。
もしあのまますぐに元の部屋へ戻ったとしたら、あの全てを見透かすような眼差しに、この内情を隠し通せる自信がなかった。
――――私の話が信じられますか?
ふと、脳裏に先程のノルヴェルトの姿が蘇る。
――――私にとっては、全てが現実でした。
嘘や方便で、人はあんな顔をすることはできない。

『これからも、弟をよろしくお願いします。』
厩舎の外を眺めているノルヴェルトへ僅かに意識を向けていると、視界にメモが提示されてはっとなった。
にこりと笑うヴィヤーリットに、トミーは思わず笑顔を曇らせてしまう。
「あ…の……」
言いよどむと、こちらを見つめる眼差しが一つ増えたのを、何となく横顔に感じた。
ノルヴェルトには聞かせたくない言葉なのだが……。
「ちょ、ちょっと、いいですか?」
ヴィヤーリットからペンとメモ帳を借りて、こちらも筆談にした。
『私はパリスさんを危ない目に遭わせてしまいました。ごめんなさい。』
メモに視線を落としているヴィヤーリットは、ふと笑み弱める。
『きっとこれからも危ないことがあると』
そこまで書いたところで、女性のように綺麗な男性の指が、ペンを握った手をやんわりと制した。
顔を上げるとヴィヤーリットは微笑を浮かべており、ペンを受け取ってさらさらと書く。
『先日、弟が冒険者を辞める考えを持って帰ってきましたけれど、追い返しました。』
「えっ」
驚くトミーににっこりと笑って、黒髪のエルヴァーンはつづった。
『この世の終わりのような顔をしていたから。』
「でも…それは…」
『あの子は、私の弟パールッシュドではなくて、冒険者パリスの時の方が輝いてる。』
トミーはきゅっと唇を噛んでつづられた文字を見つめた。
熱くなってきた目元にぐっと力を入れて耐え、ふとノルヴェルトのことを見る。
見てから、このタイミングで彼のことを見てしまったのは良くないと気付いた。
疑問符を浮かべてヴィヤーリットもノルヴェルトへと目を向けている。
「あ、えっと」
彼が不安要素であるとか、そういう意味はないのだと焦りつつ言葉を搾り出す。
「じゃ、じゃあ、パリスさんがケガしないように頑張りますっ」
ぐっと拳を握ってとんちんかんなことを宣言した。
ヴィヤーリットは一瞬ぽかんとすると、口に手を当てて声を殺して笑う。
『ありがとうございます。』

自分達が信じれば、きっとノルヴェルトもこちらを信じてくれる。
『拒絶』に深く傷付いた彼は『拒絶』しかできなくなってしまっているだけ。
彼には必要なのだ。理解と癒しが。
思い上がりかもしれないが、自分の努力次第で彼を少しでも救えるかもしれない。

チョコボが二声鳴いて、思いを馳せていたトミーははっとした。
視線を上げてみると、ヴィヤーリットはチョコボと目を合わせて首を傾げている。
いつもは大人しいのにどうしたのだと問うような、不思議がった顔であった。
そういえば、チョコボはノルヴェルトのことを見つめているようにも見え、もしかしたら彼のことを警戒しているのかもしれない。
チョコボを優しく撫でながら、ヴィヤーリットはちらりと、扉の方に視線をやった。
扉の横には大きな鎌を背に携えた銀髪のエルヴァーンがじっと立っている。
彼は彼で何か考え込んでいるのか、険しい目付きで周囲に視線を配っている。
「ぁ……だ、大丈夫です。怖くないですよっ」
やや潜めた声で言ってみると、ヴィヤーリットは少し驚いた様子でこちらを振り返った。
物々しい空気を持ったエルヴァーンに不安を抱いたのではと思ったのだが、ヴィヤーリットは少し考える素振りをすると小さく肩をすくめる。
そんな彼女をきょとんと見つめていると、彼女はもう一度ノルヴェルトをちらりと見てからメモにつづった。
『初恋の人に雰囲気が似ています。』
メモを見て視線を上げた先にあったヴィヤーリットの微笑は、まさに、昔の恋を懐かしんでいる大人の女性のものであった。
内緒話でにこと笑い合う二人に気付き、話題が解せないノルヴェルトは少々不安顔をしていた。



   *   *   *



はっと目が覚めると、自分が横になっている場所が何処なのか心配で起き上がった。
解いた髪を揺らして周囲を見回し、パリスの家の一室にあるソファーで眠っていたのだと思い出す。
シャワーを浴びるなどして交代で身の回りを整え、遅い昼食を取りながら皆で話をした。
その席で、ダンは『確かお前のもんだ』と、ぎょっとするパリスに構わず血まみれのパールサックを放り返し、そのサックから改めて出したパールをトミーとリオ、そしてノルヴェルトに渡した。
パールを眺めて怪訝な顔をしているノルヴェルトに眉を寄せ、“知らないのか?”とダンが使ってみると、ノルヴェルトの長い銀髪がびくりと飛び上がったように見えた。
ローディからの簡単な第一報では、外で騎士団が大騒ぎをしている様子はないらしい。
何やら取り込み中らしく、詳しくは状況を聞くことはできなかった。
城からの脱出に協力してくれた青年騎士リェンの所在が気になるところだが、リェンはこの場所を知らないし、彼と連絡を取るにはこちらから赴かなければならない。
とりあえずは、ローディの帰りを待つことになった。
行動を起こすにはまだ情報が少な過ぎる。
明日の夜にあの白魔道士が戻るまで、順に休息を取って鋭気を養う。
夜になったらさすがに警戒が必要であるが、それまでは女性陣全員休んでいて構わないとなったので一室で睡眠を取っていたのだ。

カーテンが引かれた窓の外からは雨音。どうやらまた雨が降り出したようだ。
明かりの消えた静かな部屋の中、向かいのソファーではリオが上掛けに包まって寝息を立てている。
隣の一人掛けソファーで横になっていたはずのロエの姿はない。何処かに行っているのだろうか。
部屋の壁に掛けてある時計を見上げると、針は夕暮れ時を示していた。
ふと、頬にこそばゆさを感じて手の甲で擦ってみる。
こそばゆさの原因は、頬を伝った自分の涙であった。
そういえば鼻の頭に火照りを感じる。くすんと鼻をすすってソファーの上で膝を抱える。

一人で寝付いたわけではないのに、幼い頃から恐れてきたあの、青い夢を見た。
今自分が見たものを思い返すと、かっと目頭が熱くなり、もそりと小さく蹲る。
登場したのはいつもと同じ、綺麗な青と、エルヴァーン。
そのエルヴァーンが。
「………ノルヴェルトさんだった…」
顔を埋めたまま小さく小さく呟く。
今までに夢の中で聞いてきた、繰り返される言葉も、全てが彼の声だった。
何を言っているのか分からなかったはずなのに、今回は色々と聞こえてしまった。
「あんなに…呼んで………」
これはきっと、彼からああいう話を聞いた影響なのだろう。
しかし、それでも感じずにはいられなかった。自分の過去に対する疑問を。
そういえば、何かがあったような気がする。
冒険者の夫婦に保護され、姉と共に育てられたあの時間の中でも。
自分が不思議に感じたことが、いくつかあったような気がする。
思い出せない。


―――――――『   !』


夢の中の、ぽっかりと穴の開いた悲痛な叫び。


トミーは埋めていた顔を上げて口を引き結ぶと、決意した。

自分の記憶の始まりに行こう。
あの家へ。



<To be continued>

あとがき

何この視力低下にすっごい役立ちそうなボリューム。(←黙れ)

雑談じみていますが、結構色々と詰まっている第二十三話でした。
出てきましたね、懐かしの方々の話が。(´▽`)
ヴィルの記憶は、パーにとっておやすみ前のおとぎ話だったようです。
お前が憧れた剣士殿はトミーのパパだよ好い人止まり。
そしてヴィルの初恋がひるおじちゃんだった仕様について。
誰も覚えちゃいないと思いますが、ヴィルったらマキューシオに惚気てたからね。(超笑顔)
変態コーポレーションの方は(←ナニソレ)今回テンション低め…。
これで彼らのビッグイベントがどんなことか予想がつくかと思われます。
今は私が知っているヴァナじゃないでしょうから、
もしかしたらおかしいところがあるかもしれません。
修学旅行の夜かよ!と突っ込みたくなる野郎二人のシーンはシカトするとして、ほーら宣言通りロエ嬢出番なかったでしょ!?(←えばるな)