死ねぬ者、死ねる者

第三章 第二十三話
2008/01/01公開



咄嗟に食卓から顔を背けたので、リオの放ったシチューは他の料理には及ばずに済んだ。
トミーが悲鳴を上げ、リオは涙目になって激しく咳き込み、ロエは椅子の上に立ち上がっておろおろ。
慌てて部屋の片隅に置いてあったモップを手にするパリス姉。
『ごめんなさい』とトミーが叫び、リオの足元を懸命にモップで掃除した。

コップに水を汲んできたパリス姉がそれをリオに差し出す。
リオはコップを受け取ると、礼も言わずに水をぐいと飲んだ。

大騒ぎの女性達を男達は黙って傍観していた。
ダンは呆れ顔で、パリスは苦笑いで、ノルヴェルトはただ呆然と。
そしてローディは、何も出来ずに椅子の上で慌てふためいているロエを楽しげに眺めていた。

「――ちょっ……と、それどーゆーことよ!?」

話を思い切り中断させた張本人のリオが、大声で力いっぱい話を戻した。
パリス姉に大きく目を見張って驚嘆の声をあげる。

「男ぉ!?」

そう、今さっきパリスがはっきりと言った。

このワンピース姿の美しいエルヴァーンは自分の姉で、昔は兄だった、と。

リオに凝視されたパリス姉はかっと顔を赤くする。
顔を伏せてトミーの手からモップを取り、部屋から駆け出して行った。

「あ、姉さん」

パリスが声を掛けるがそのまま行ってしまう。
呆れ顔のダンが溜め息混じりに言いながら頭を掻く。

「……ったく馬鹿ネコ、大声で騒ぐんじゃねぇよ」

パリス姉が駆け出していった先を心配そうに眺めながら、トミーはそっとダンの隣に戻る。

「ダン……は、気付いてたの?」

皆の視線も集めたダンは、テーブルに並べられた料理を眺めて溜め息をついた。

「この料理見た時点で分かるだろ」

ダンはテーブルを顎で示した。

「あいつにこんなもん作れるわけがねぇ」

トミーは自分が初めて調理合成をした時のことを思い出す。
確かに――パリスは調理合成ができないと言っていた。

「で、確かに、一目見た時は女かと思ったが……いや……やっぱり分かるだろ」

その言葉にパイを頬張るローディは深く頷いている。
どうやら、男性陣は彼女が女性ではないことに気が付いていたようだ。
話が読めないという顔をして窓の横に立っているノルヴェルトは、どうだか分からないが。

「そう? え、そうかな!? うわぁ私は全然……」

二人を見比べながら、未だに信じられないという顔のトミー。
だが、不意に『あ』と声を漏らす。
そういえば先程ぶつかった時、跳ね飛ばされて転んだのは自分だけだった。
それに尻餅をついた自分を起こす時の腕の力強さは、考えてみるとやはり女性のものではない。

「あの、じゃあ……喋らないのも……声が出ない、とかじゃなくて……?」

あの女性は声を失ってしまったのかもしれないとさえ思いかけていたトミー。
パリスは困ったように笑った。

「ん~……兄さんね、凄くカッコイイ声してるんだ。歌劇団の人気男優みたいな」

『その声が嫌みたいで』と頬を掻く。
混乱を表す耳をパタつかせ、リオが身を乗り出した。

「え、つまり何、やっぱりそういうことなわけ? 昔は兄さんだったって、じゃあいつからよ!? 何でよ!?」

「だから、いちいちうるせぇんだよお前は」

「だってわけ分かんないじゃない!!」

ダンの悪態を物ともせず、リオはテーブルをどんと叩いて声を張った。
『無理も無い』という顔で、その様子を眺めパリスは苦笑している。
彼のことをトミーとロエの二人は心配そうな目で見つめる。


その時だった。


「――『夜鶴やかくのヴィヤーリット』」


ローディが呟いた。

ぴたりと言葉を失い、皆は金髪碧眼の青年へと視線を向ける。

ローディはパイの乗った皿をじっと見つめ、手に取る一切れを選びながら続けた。

「容姿麗しく剣技も鮮やか、おまけに頭も良い。一族復興のため王国のどんな期待にも応えてみせた、サンドリア騎士界のホープ」

これだと決めた一切れを、ひょいと。

「しかし八年前に突如失踪。説は特任への着手、国内派閥による暗殺、他国の陰謀と多種多様」

無許可で平然とペラペラ明かすローディに皆は言葉も無い。

辛うじて声を絞り出したダンが問う。

「何でお前が……ンなこと知ってんだよ」

ローディはパイを一口かじりながらダンを横目に見る。

「うまー。……きひっ、最近ちょっと調べちった♪ まぁでも、それくらいしか知らないぞ。単なる予備知識だし」

「何の予備だコラ」

「ダンに決まってるじゃん!!!!」

かっと目を見開いて言う変態をよそに、ダンは考える顔をして視線を落とす。
放置されたローディは頬を膨らませるが、今は誰も彼のことを構う余裕はない。

誰もが口にしたい言葉をぐっと堪えて押し黙っている――
『どういうことだ』という言葉を。

一番に声を上げそうなリオは、ローディがパイを頬張る姿を見て自分も食べたくなったらしい。
考えているような顔をしつつパイに手を伸ばしている。
喚くよりもパイが優先のようだ。

思いもよらぬ人物の口から兄の話を聞かされて硬直していたパリス。
だが――
やがてふと、笑い声を漏らす。

「あは……あっはっはっはっは、よく知ってますね」

苦笑の中からパリスが問う。

「じゃあ、『落雛おちびなのパールッシュド』っていうのも、聞いたことあります?」

ローディは残りのパイを一気に口に押し込んだ瞬間だった。
言葉を返す代わりに首を振って肩をすくめて見せる。

「……そうですか」

パリスは安心しているのか残念がっているのか分からない顔で頷いた。

「そうそう、そうなんですよ。……兄さんは、超売れっ子の騎士でした」

ゆっくりと、語り始める。

「城を歩けば注目されて、町を歩けばキャーキャー言われて。出世街道まっしぐら」

どこか遠い時間を眺めるような眼差し。

「良いとこのご令嬢との婚約も決まっていたんですけどねぇ……」

困った顔をして『ご令嬢には申し訳ないですが……』と頭を掻く。

「ん~……考えてみると、昔からそういう気はあったんですよ。物腰が柔らかくて、兄っていうのよりは、やっぱり母性のようなものを感じていました」

昔を思い返すように、顎に手を当てて虚空を眺める。

「やぁでも、本当に“姉さん”になってしまうとは、僕も思ってませんでしたけどねぇ?」

無理に軽くしようとする声。

「 ……ずっと頑張ってきたんですけど、家のことで……。いい加減、気が滅入ってしまったみたいで」

懸命な目元は、見ている側としては痛々しいものだった。

弟が言っているのは、つまりこういうことだ。

失踪した兄は今、姉となっている。
それは自分のことを探している者達から姿を隠すための変装ではなく、そういうことなのだと。

凍り付いてしまった場の空気に、パリスは非常に居心地悪そうな苦笑いを浮かべる。

「……ごめん、みんな」

がくりと頭を垂れて呟いた。

「ど、どうして謝るんですか?」

ぎゅっと手を握り締めたトミーが投げかけた。
その言葉に、はっとパリスが顔を上げる。

一番問われたくない相手に問い掛けられてしまった。
そんな、苦々しい顔をして深く俯く。
黙り込む。

「謝らないでください」

先日自分が彼女に言った言葉を、丸ごと投げ返された。

パリスは、じわりと自嘲の笑みを浮かべる。
分かってないなとでも言いた気に、少々苛立ったように視線を反らす。

「あっは。トミーちゃんは……詳しく知らされてないんでしょ? 僕がトミーちゃんを見捨てたこと」

「……私を?」

トミーがさらわれて大騒ぎの時に、パリスはパールサックを置いて別れを告げた。
そのことを思い出してロエは表情を硬くし、リオはそうだそうだと頷いている。

しかし二人は、その件はもう良いのではないかとも内心考えていた。
結局彼は、危険を冒して皆を救出しにきてくれたわけであるし。

「ノルヴェルトさんが僕のことを疑うのは当然さ。だって、ノルヴェルトさんは目撃者ですからね」

この発言でロエとリオの二人はふと眉を寄せ、ノルヴェルトに視線を向ける。
突然自分の名を口にしたパリスに対して眉をしかめたノルヴェルトだったが、長身の青年が何のことを言っているのかすぐに思い当たった。

デルクフの塔でのことを言っているのだ。

まだ動けたであろうエルヴァーンの青年は、助けに飛び出すどころか、トミーにノルヴェルトが近付くのを眺めて笑みを浮かべていたのだ。
そのことを知っているのは、目の当たりにしたノルヴェルトと、彼からその話を聞いたダン。
もしかしたら、ローディもその場を目にしていたかもしれない。

「……貴様は……彼女を救うことを諦めた」

ノルヴェルトはパリスを尻目にぼそりと口にした。


「……死ねないからですよ」


間を置かずに、パリスは噛み締めるようにしてはっきりと言葉を返した。

今の彼の髪は自身の気分を表しているかのように垂れ下がっている。
軽くその髪を退けた彼は、酷く寂しげな――そしてやはり自嘲的な顔をしていた。
改めて、皆と自分の間に作った溝を確認したかのように。

「ちょっと、姉さんの様子を見てきます」

トミーとロエが縋るような眼差しをパリスに向けるが、彼は目を合わせない。

「どうぞ、食事を続けて」

距離を伝える悲しい響きの一言を残し、彼は部屋を出て行ってしまう。


エルヴァーンの姉弟が去った部屋には、何とも言えない沈黙が落ちた。


デルクフでの笑みも、どうせ自分をせせら笑うものだったのだろう。
目の前で親しい者の身が危険にさらされているにも関わらず、ただじっと行く末を見守ろうとしている自分を軽蔑して。


パリスが優先順位だなんだと言っていた訳も、これでようやく理解した。
あのひょうきんなエルヴァーン剣士の中では絶対的なのだろう――最優先のその存在が。

「……これで、パリスの行動の訳も分かったな」

ぽつりと呟かれたダンの言葉に小さく頷きを返すトミーとロエ。
リオも頷きたそうにはしているが、完全に飲み込めていない様子でまだ眉を寄せている。

「じゃあ、パールッシュドさんが時々急用でサンドリアに戻っていたのも……」

姉に関することで駆けつけていたのだろう。

何処のどいつだ、サンドリアに帰れば女が出迎え二股三股は当たり前なんて言ったのは。

「それでノルヴェルトさんは……あんなにパリスさんのことを疑っていたんですか」

トミーが呆然とした声で言うと、ノルヴェルトは厳しい顔をした。

「これだけでは信用するには不十分だ」

「ど、どうしてですか?」

返された問いに眉を寄せ、銀髪のエルヴァーンは彼女へと視線を向ける。

「どう……?」

解せない様子のノルヴェルトを見つめて、トミーは喉を詰まらせる。
唇を噛むと、息を整え、言った。

「だってパリスさん……ノルヴェルトさんと同じじゃないですか」

ノルヴェルトはソレリという娘に伝えるために今日まで生き延びてきたと言った。
命を狙う追っ手に追われながら、誰も信じられない孤独の中で。
復讐を果たしに行こうと思えば行けたところを、『伝えなければ』と、ぐっと耐え。
大切な人達をこの世界に残すために、生きているのかさえ分からない、恩師の娘を捜して。

「大切な人のために死ねないって……同じじゃないですか」

胸が締め付けられる。

「ノルヴェルトさんが一番、パリスさんの気持ち……分かってあげられるんじゃないですか?」

何も言えなくなって押し黙るノルヴェルトを見、皆は感心したようにトミーを眺めた。

ノルヴェルトには、パリスに対する疑念を晴らしたくないという思いがある。
疑うことをやめたら、また奪われるのではないかと思えてしまう。

しかし、トミーにそう言われてしまうと、無下に退けることができなかった。
何より、彼女が自分の話したことをちゃんと受け止めてくれているということが、やはりどうしても嬉しかった。



「……賭けは俺様の一人勝ちだのぅ」

蜜の付いた指をぺろりと舐めながらローディが呟く。
はっと皆が彼に視線を向ける中、一際厳しい目付きでダンは彼を睨み付けた。
どうやらローディ達の内輪でも、遊び人パリスの真相については話題に上がっていたようだ。

「口外したら殺すぞ」

声そのものが凶器であるかのようなダンの警告。
期待していた通りだと言わんばかりに金髪の美形は破顔一笑した。

「きっひっひ! ジョーダンだぉ~!」

この変態は自分が『冗談』という言葉を使える分際だと思っているのか。
ダンは黙ってじろりと睨む。

「俺様達ゃ、下等貴族のお家事情で賭けをする次元の暇レベルじゃないからに」

言葉が進むにつれて分からなくなり、最終的には疑問符だけが残るような物言いをする。
忙しいのか暇なのか、『次元の暇レベルじゃない』ということは、それ以上に暇ということか?

ローディはぐいとお茶を飲み干し、すっくと椅子から腰を上げる。
鮮やかな赤の王国制式礼服は、無駄に美形の変態魔道士を一段と二枚目に見せる。

「ご主人たまぁ、ローたんお願いがあるのぉ」

組んだ両手を胸元に押し付けて傾け、ぱちぱちと瞬きをしながらダンに向く。

錦を着てても――変態は変態だ。

改めて内心そんなことを思うと、ダンはゆっくりと深い溜め息をついた。



   *   *   *



前を歩いていた鎧姿の戦士が丁度目的の店に入る。
扉が閉まる前に、体を滑り込ませた。

ほぅ、と息をつく。

前へと視線を戻すと、自分の代わりに扉を開けてくれた戦士の姿は消えていた。

太陽が真上に昇ろうという時刻の明るい外から入ったせいで、店内がとても暗く感じる。
一般的な一日の活動開始時間はとっくに過ぎている。
冒険者の姿もやはり疎らだった。

装備と地図を広げ、真剣な顔で話し込む冒険者たち。

そんな冒険者たちの間をすり抜けて、小さな足で店の奥へと進んだ。
目指すは、いつの間にかお決まりの場所となっている端のテーブルだ。




「……あの……アズマさんて冒険者っすよね?」


フードを外しながら、チョモは真顔で言った。
見上げる先には、テーブルの上に財布の中身と領収書を広げてぶつくさ言っているヒュームの侍。

アズマは小さな友人に気付くと、領収書から顔を上げて溜め息をつく。
そして、スキンヘッドの頭に手を当てた。
何処か遠くへ視線を馳せる。

「……ぼちぼち定職にでも就くかなぁ……」

「やめてくださいよ。冒険者がニートみたく思われるじゃないすか」

チョモの苦言を受け、アズマは椅子の背もたれから跳ね起きる。

「バーロー、俺ぁ根っからのいぶし銀冒険者でぇ! ただ実際問題、冒険ってぇのにゃ先立つものが必要なんでぇ!」

「先立つ者? ……ナイトっすか?」

流暢な東方なまりのアズマが言うことをまったく解さず、あっけらかんとして言うチョモ。
アズマは肩をこけさせてしかめっ面になった。
説明しようと口を開くが、チョモは特段答えに興味は無いらしい。
タルタルにはやや大き過ぎる椅子によいしょとよじ登り、背負っていた鞄を椅子に置いてその上に座った。

顎先に少し髭を残したオシャレ気取りのハゲ侍は、渋い顔をしてチョモを見るとすごすごとテーブルの上を片付け始める。
説明するのも空しくなった様子。
それも当然、『文無しだ』と自分から言うのと同じだ。

「ゴンベさん、いないんすか?」

何となくあたりを見回してチョモが目を瞬く。
アズマは横目に睨み上げる。

「あぁん? あぁ、明け方に少しの間だけいたが……あれっきり今日は見てねぇや」

ゴンベというのは、二人と一緒にいることの多いガルカだ。
いつも起きているんだか寝ているんだか分からない、ぼーっとした男だ。

お馴染みの顔ぶれの一人が、ましてや大きながたいのガルカが不在となると心なしか寂しい。
アズマの話によると、突然『手を負傷した』と言って血まみれの手を見せて去っていったらしい。

つまらなそうに店の中を見回していたチョモだったが、その話を聞いて目を見張った後、不意に何かを思い出したように小さく吹き出した。
アズマが片方の眉を吊り上げると、笑いを耐えたチョモが言う。

「そういえば………美味しかったっすか? 弔い酒は。ぶふふっ」

「おぁ?」

「し・つ・れ・ん? ぷぷぷぷぷ」

口元を手で押さえ、まったく笑いを堪えられていないチビが言った。
一瞬言葉を失ったアズマは大きく息を吸い込んだ。

「か、違ぇぞ何言ってやがるんでぇ!! 勘違いしゃがって!!」

頭全体を朱に染めてどんとテーブルに拳を打ち下ろす。

チョモが言っているのは昨晩のことだ。
詳しく事情は分からないがヤケ酒に走っているアズマに捕まりそうになったので、チョモは『実家に帰る用がある』とでまかせを言って緊急離脱したのである。

どうやら、その後明け方まで飲んでいたアズマは店に現れたゴンベと会ったらしい。
明け方まで飲んでいたとなると相当悪酔いしていたに違いない。

とするとゴンベは――
グラスでも握り潰して、無理やり抜けたのかもしれない。

かっこ良過ぎる。

トミーがあんなにもガルカ種族に憧れる気持ちが分かる気がした。
まぁ、他に無傷で済む脱出方法はいくらでもあったとは思うが。

しかし、今朝方までべろんべろんになるまで飲んでいたにも関わらず、昼食時の今こうして平然と店に舞い戻っているアズマも相当のツワモノと言えよう。

「じゃあ何を弔ってたんすか」

今にも泣き出しそうな、非常にムカつく顔になって笑いを耐えているチョモは首を傾げた。
うっと一瞬固まるアズマ。
だが、苦虫を噛み潰したような顔をして握り締めた拳に視線を落とす。

「……みゃ……」

「みゃ?」

「脈ありかと思ってた女が」

「ヴァっははははははははは!!!」

一瞬で爆発的に笑ってテーブルに突っ伏す。
真っ赤になった頭に青筋を立てたアズマは、怒声を発してチョモの頭を両手で掴み上げた。
ごきんと思い切り脳天に頭突きをお見舞いする。
すると盛大な笑い声を子どものような泣き声に変えてチョモが椅子の上に蹲る。

「ひた、ひたい……ぅっく……ひた…」

「テメェのデリカシーの無さを泣け!!!」

頭を押さえて顎を震わせているタルタルは、ぐすっと鼻をすすってアズマのことを上目遣いに睨む。
ザマーミロという顔でアズマが見返した。

とそこで、チョモは近くを通りかかった店員にくるりと向くとオレンジジュースを注文する。
店員の頷きを確認してテーブルの方に向き直った顔はもうけろりとしていた。
どうやら石頭らしい。

「なんか、昨日とか今日とか町が落ち着いてるような気がするんすけど、気のせいっすかねぇ?」

痛みから立ち直ると同時にアズマの話への興味も無くしたらしい。
ぽりぽりと丸っこい頬を掻きながらアズマに話題を振る。
最近はもうすっかりチョモの『流し』にも慣れたので、アズマはテーブルに肘を着きながら答えた。

「落ち着いてるぅ? 別に静かでもねぇだろ。まぁあれじゃねぇか、ダンの野郎達が道端で騒いでねぇからじゃねぇのかぁ?」

「あーーー!! そういえばトミー姉ちゃんどうしたんだろ!!!!?」

思い出したようにドでかい声を上げるチョモに『五月蝿ぇなぁ』とアズマは毒付く。

「そういやぁ明け方、ダンの野郎がこの店に来たな」

「えっ、マジっすか?」

顎髭を摩りながら呟くアズマにチョモが目を見張った。
酔いが回ったぐにゃぐにゃの記憶を手探りしつつアズマは首を捻る。

「ローディさんとお嬢ちゃんを捜してるみてぇだったが……」

そこまで言って一度言葉を切ると、ぎらりと邪な目付きになる。

「へっへ……ありゃあ、もつれたな」

「ヴぁも!!!?」

仰天して目を白黒するチョモ。
アズマは最高に得意げな顔をして、親指で鼻っぱしをはねた。

「天罰が下ったのよぉ、ざまぁみさらせ! ローディさんをナメてっからそうなるんでぇ!」

「マ、マジっすか!? ちょちょマちょちょマジっすか!!? ねぇつまりマジっすか!?」

「いでででで掴んで爪立てんじゃねぇよチビ!!」

テーブルの上に乗り上げて腕を引っつかんでいるチョモの手を叩き落す。
続けてぼかりと頭をグーで叩かれ、チョモは口の中でぶつぶつ言いながら大人しく座る。

「でも……アズマさんからの情報っていまいち信用できな」

もう一発追加。

「痛いじゃないすか何なんすかもぉー!!!」

「ぬかすな小童こらぁ! 俺の読みぁいつも当たってんだろうがバーロー! カルロのパーティで黒魔道士の野郎と忍者の女は絶対くっつくっつったろ? あいつら俺が睨んだ通りよぉ、今じゃ完全に出来上がってらぁっ」

「この店に入り浸って人の幸せ羨んでるだけじゃないすかそれぇ!」

『そんな勝ち誇った顔で負け組発言しないでくださいよ』と身も蓋も無いことを言うチョモ。

生意気なクソチビにぶちりとキレたアズマがテーブル越しに掴みかかろうとするが、そこへ店員がチョモの注文したオレンジジュースを持ってくる。
場の空気を完璧に無視して、二人の間にことりと丁寧に置くと一礼して去っていく。

アズマ達はすっかり常連になっているので、店員達も対応に慣れているようだ。
オレンジジュースに阻まれたアズマは、渋い顔をしてどかりと頬杖を着く。

「てやんでぇ、こういう店にいると情報が手に入りやすいんでぇ」

「そういうしょ~~もない情報ばっかりで、よく商売成り立ちますよねぇ」

感心とも呆れとも取れる口振りで言って、チョモはオレンジジュースに口をつけた。
次はお子様ランチが運ばれてくるのではと思ってしまう光景に目を細めつつ、アズマはにやりと口の端を吊り上げる。

「甘ぇんだよなぁ」

意味深に笑った。

「でけぇ話は面倒が増えるだけだ」

アズマは肩をすくめた。

「相手にすんのは、そこらの人間で十分よ」

そういう『人』の情報というのも、案外利益に繋がるものなのだ。

……と、先程まで財布の中身と睨み合っていたヒュームの顎ひげ侍は語った。

「そういえば、前もそういうこと言ってましたよね……。そうそう、パリスさんの話とか?」

「おぅともよ」

大きく頷いて見せると、アズマは不意に『待てよ』と思案顔になる。

「癪だが……ローディさんにダンの野郎の情報ぶちまけるってのもありかもな」

「あ~ダンさんに興味アリアリっすからね、ローディさん。アズマさん結構ダンさんのこと知ってるみたいっすもんね」

「知ってるなんてもんじゃねぇよ、俺ぁ……」

アズマが途中で言葉を途切れさせて固まる。

「?」

チョモは彼が視線を留めている先へふと目をやった。

見ると、他でもない話題の人であるローディが店に現れたところだった。
オレンジジュースに口をつけていたチョモは驚きでがぼっと音を立てる。

赤い王立制式礼服姿の美青年は、軽い足取りで店に入ってくるとカウンターに向かう。
そして、ちょいちょいと店員の一人を呼ぶ――エルヴァーンの女性店員が寄っていった。

二言三言言葉を交わし、ローディはにっこり笑うとカウンターの上に両手をつく。

ひょいと身を乗り出し――
女性店員の唇にキスした。

すたと床に下りて王国制式礼服の上着を脱ぎ、特に動じた様子もない女性店員にそれを手渡す。
そして、下に何も着ていなかったローディは上半身裸のまま、悠々と店から出て行った。

女性店員はカウンター下に礼服をしまって何事も無かったかのように仕事を再開する。

すべては客で賑わう店内で起きたこと。
だが、不思議と誰もその光景に気がついておらず、あんぐりと口を開けているのはアズマとチョモの二人だけだった。



   *   *   *



「……大丈夫……かな」

ぽつりとトミーが呟く。
食事を再開しているリオは飲み込みながら言葉を返した。

「大丈夫じゃないのは、あの男の頭でしょ」

リオが言う『あの男』とは、ローディのことだ。

ローディは、リンクシェルのイベントに顔を出すと言って出て行った。
……こんな時に。

そう思ったが、どうやらそれだけではないらしい。
そのイベントがこちらの役にも立つかもしれないとか言っていたが、それは正直怪しいので置いておくことにして。
同時に外の様子も見てくると言っていた。

確かに、外の情報は欲しい。
だが、この場は外せない。

――となれば、適任はあの変態だ。

しかも、彼の隠密スキルには日頃大変お世話になっている。
皮肉にも、信用は絶大だった。

「ち、違いますよっ。あの、ローディさんのことももちろん心配ですけど!」

パタパタと手を振り回してひとりで慌てるトミー。
口をもごもごさせてから、付け加える。

「……パリスさん達のこと……」

トミーはちらりと姉弟が去っていった先を窺う。
様子を見に行きたいと言いたげな顔だった。
そんなトミーの頭を、ダンがこんこんとノックする。

「今はお前が行っても邪魔になるだけだ。とりあえず、少しでもいいからお前も食べとけ」

淡白な声で言いながらダンはテーブルに向かう。
頭を擦りながら彼を見送り、トミーは落ち込んだ声で返事をした。

「……うん……」

姉弟を傷付けてしまったかもしれない。
トミーは気がかりで、胸の奥がちくちくと傷んでいた。
しかし今、ちっとも優しくない響きの思いやりの言葉を受けて、剣を背負ったあの背中のことも心配になった。

大丈夫……なのかな…。

ぽつりと、そんなことを思う。

ひとつ息をつき、料理の並んだテーブルへと視線を上げる。
そして足を踏み出そうとして――止めた。

やれやれと溜め息をつきながら、ひょいとパンを手に取るダン――を、じっと見つめている人がいた。

眩しそうに、けれどどこか悲しげに――
彼女はダンを見ていた。

座って食事を取る気のないダンに、彼女ははっと気付いて小さなバターの器を彼の方へ寄せた。
パンをかじったダンが会釈だけで礼を言う。
彼女は『いいえ』と消え入りそうな声で言って、手元のお茶に視線を落としている。


「…………がーん」


その光景を目にしたトミーの口からおかしな擬音が飛び出した。

「なんだそりゃ」

半眼になったダンがさっさと突っ込む。

騒ぎですっかり忘れてしまっていたが、とても大事なことを思い出した。
そして芋づる式に、城でのあんなことや先程のこんなことがトミーの脳裏に蘇る。


良くない!

良くないよね、あんなの……!!


自分に対して『バカー!!』と内心叫んだ。
トミーは一気に顔を上気させてぶんぶん顔を振る。
はっと見ると、その挙動を眺めていた仲間達の『何事だ』という顔が並んでいる。

「え、あ、や、その……ローディさんにパイ食べられちゃったなぁ~と思って!」

言いながら、ばたばたと手を振ってテーブルの、ダンとは反対側に回る。
まだ数切れ残っているとダンが指し示すが、トミーは頷いただけで手は伸ばさなかった。
すとんとロエの隣の椅子に座り、焦りの滲んだ目でテーブルの上を眺める。
隣で青髪の彼女が不思議そうに自分のことを見ているのを感じた。
トミーは心の中で『ごめんなさい』と何度も叫び、懸命に視線のやりどころを求める。

――ふと、窓の傍に立っている長髪のエルヴァーンに留まった。
何も口にしようとしていない彼を見て、頭の中がふっと冷静になる。

そうだ、今は彼のことを真剣に考えなくては。

ノルヴェルトに目を細めると、トミーはパイの乗った皿を手にして椅子を立つ。
トミーに気づき、ノルヴェルトの顔がわずかに強張る。

「……パイは好きじゃありませんか?」

そっと言うトミーに対し、視線を泳がせるノルヴェルト。
どうやら、先程渡されたシチューを他所に置きっぱなしにしたことを後ろめたく思っているらしい。
それを察したトミーは、唇に小さく笑みを浮かべて口を開いた。

「さっきは、みんなにもお話を聞かせてくれて……ありがとうございます」

さ迷っていたノルヴェルトの視線がはたとトミーへ戻される。
ノルヴェルトの深いブラウンの瞳が、彼女の透き通ったブルーの瞳と出会う。
思わず息が止まった。
一瞬緊張が揺らいだノルヴェルトを、トミーは真っすぐに見つめた。

「私、もっと聞かせてほしいです。もっと知りたいんです」

もう、彼女の声は震えていなかった。
そしてこう続ける。

「だから、食事が終わったら今度は二人で……」

その言葉に、ノルヴェルトの目がまん丸になった。

「ちょっとぉ、また何言い出してんのよー」

例の如く異論の声を上げたリオ。
彼女は肘掛のない椅子の上であぐらをかいてこちらを向いていた。
トミーがノルヴェルトへ視線を戻すと、銀髪のエルヴァーンは真っ直ぐにダンの方を見つめていた。

「俺達外野がいたんじゃ――」

ダンはシチューの皿を手に取る。

「話せねぇこともあるだろ」

承諾済みだという口振りのダン。
ロエとリオの二人は驚きの表情をした。

「――だが、二人きりっつーのはやっぱりな」

ダンはすぐにそう続けて、スプーンでシチューを混ぜる手元にじっと視線を落とす。
緊張の表情を和らげるロエとリオ。
トミーは逆に、『約束が違う』という不満の顔を向ける。

ダンは、次の言葉をすぐには続けなかった。
真剣な顔で何かを考えている様子の彼に皆は見入る。

やがて、シチューを混ぜるスプーンが皿をゆっくりと五周した頃。
ダンは手を止めて顔を上げた。

「ロエさん」

小さく肩が揺れた。
トミーとロエ、二人ともだ。

真っ直ぐにダンに見つめられたロエはわずかに肩を窄める。

「は、はい」

「同席してもらえませんか」


何を言い出すんだよーー!!!


トミーは胸中大絶叫して頭を抱え込んだ。
その申し出を受けたロエがふと視線を落とした姿が、トミーにはこんな風に見えてしまう。

『――また……トミーさんのため?』

被害妄想の境地とも言えるかもしれないがトミーはそれどころではない。

「あ、え、で…でもほらっ、ロエさんもパリスさんのことが気になるだろうし! リオさんがいてくれれば大丈夫だよ!」

パイの皿を持ったままでリオの傍まで駆け寄って言う。
ダンはげんなりとした顔。

「お前な……こいつ隣に座らせておいて、話なんてできると思うか? 黙って聞いてる気なんてさらさらねぇだろ」

後半をリオに対して言うと、リオは頬張った物を飲み込みながら大きく頷く。

「っぜぇぇぇ~ったい、認めないわよ! 何一つね!!」

「少しは嘘もつけよ」

真正直に全否定宣言をするリオに、トミーは『あうぅ』と困惑の声を漏らした。

「ネコは駄目だ」

きっぱりとダンが言う。
リオは舌打ちして口の中で毒付く。

トミーが何を考えているのかダンには解せなかったが、同席者はロエしか考えられなかった。

まず、男がいては駄目だ。
ノルヴェルトは間違いなく懐を見せることはしないだろう。
聞き役に徹せる人物でなければならない。
……となると、ロエしかいない。

ちゃんと考えた上で判断したが、ダンの表情にもわずかに迷いが見えた。
ロエと自分が気まずい状況になっていたことを思い出している顔だ。
そのことにロエもすぐさま気がついた。
だからダンの目を見ていられなくなったのだ。
当然、トミーは二人の状況など知りもしない。

「…………分かりました」

こくりと頷いて大人しく承諾するロエを見て、ダンはさらに後ろめたい気分になった。
お茶に口をつける彼女の横顔が、必死に何かを堪えているように見えたからだ。



   *   *   *



ドラギーユ城と並び、北サンドリアにそびえる巨大な教会、サンドリア大聖堂。
エルヴァーン族の国サンドリア王国は、他の諸国に比べて女神アルタナに対する信仰心が極めて篤い。
その象徴が、この大聖堂だ。
他国にも教会はある。だが――この厳粛さには及ばない。

白亜の佇まいでドラギーユ城に劣らず行政区にそびえ立ち、王権に引けを取らない権力を有していることを示していた。

その力は、神殿騎士団を見れば分かる。
王国二大騎士団の一角でありながら、教会の承認なくしては大規模な行動すら許されない。

つまりこの大聖堂は、祈りの場であると同時に、王国の運命すら左右し得る、もう一つの“統治機関”でもあるのだ。


暁の女神アルタナを信仰する人々が、今日も救いや慰めを求めてその門を潜っていく。

曇天の光を受け、白壁が鈍く輝く。
その正門の脇に、ジェラルディンは立っていた。

礼拝に訪れた者の中には、ジェラルディンの顔を知る者も稀にいる。
彼に気づいた者は、わずかに表情を引き締め――そして教会を仰ぐ。
『あの方も礼拝にお越しなのか』と。

ジェラルディンの主は今、この大聖堂を訪ねている。
しかし語りかけている相手は女神アルタナではない。

王権にも劣らぬ力を持つ、この教会の最高位――教皇猊下。

主の一族ゼリオン家は、先代イヌマエル・C・ゼリオンの代より教会との親交が深い。
父の急逝後も教会は主の強力な後ろ盾となってゼリオン家に支援を施した。

少年の頃からゼリオン家に仕えてきたジェラルディンにとって、偉大な軍師イヌマエルの広い背中、そしてその背後にそびえる教会の神々しい姿は今も記憶に色濃く残っている。

立派な爵位を得た現在も、主は教会に重きを置き、その身を捧げている。

今では町人だけでなく騎士団や王族関係の者でさえ冒険者の力を借りることをするが、教皇猊下は冒険者を快く思っておられない。
ゆえに、主はことさら頼りにされる存在だった。

この日の訪問は、猊下より仰せ付かっていた任の報告と、こちらの小さな願いを囁きに。
願いとは――理由無き死者に最期の物語を賜り、証してもらうこと。

大したことではない。
死者を慰めることは聖職者の業でもあるのだから。

主は、ほとんど欠けるところのない人物だった。
第三の勢力と言ってもいい規模の騎士団を率い、教会の陰なる斥候となって働き、社交も一族の世話も抜かりなくこなす。

そう、野良犬ごときに煩わされている暇など、一欠けらもない方だ。


邸宅に戻れぬ日々が続こうとも一向に構わない。
今さら他の者達が描くような幸福など、手にしたいとは思わない。

生きる長さに、興味などない。


今度こそ、赤髪の主君を罪人の楔から解き放つ。



<To be continued>

あとがき

第二十三話『死ねぬ者、死ねる者』でした。

守らなければならないものがあるから、死ねない者。
伝えなければ、死ぬことができない者。

似ているようで、きっと少し違う。

それでもトミーは、
二人を『同じだ』と言いました。

そして――
主のためならば死ねると、断言する男がいる。

死ねないことは、呪いかもしれない。
死ねることは、強さかもしれない。

では――
生き続けることは、何なのか。