死ねぬ者、死ねる者
2008/01/01公開
咄嗟に食卓から顔を背けたので、リオの放ったシチューは他の料理には及ばずに済んだ。
トミーが悲鳴を上げ、リオは涙目になって激しく咳き込み、ロエは椅子の上に立ち上がっておろおろした。
慌てて部屋の片隅に置いてあったモップを手にしたパリス姉に、『ごめんなさい』と叫んで、苦しげに咳き込んでいるリオの足元をトミーが懸命にモップで掃除したのだった。
コップに水を汲んできたパリス姉がそれをリオに差し出す。
ようやくまともに呼吸が出来るようになったリオは、コップを受け取ると礼も言わずに水をぐいと飲んだ。
大騒ぎの女性達を男達は黙ってじっと傍観していた。
ダンは呆れ顔で、パリスは苦笑いで、ノルヴェルトはただ呆然と。
そしてローディは、何も出来ずに椅子の上で慌てふためいているロエを楽しげに。
「ちょっ…と、それどーゆーことよ!?」
話を思い切り中断させた張本人のリオが大声で力いっぱい話を戻した。
パリス姉に大きく目を見張って『男ぉ!?』と驚嘆の声をあげる。
そう、今さっきパリスがはっきりと言った。
このワンピース姿の美しいエルヴァーンは自分の姉で、昔は兄だった、と。
リオに凝視されたパリス姉はかっと顔を赤くすると、顔を伏せてトミーの手からモップを取り、部屋から駆け出して行った。
『あ、姉さん』とパリスが声を掛けるが足を止めることなくそのまま行ってしまう。
「…ったく馬鹿ネコ、大声で騒ぐんじゃねぇよ……」
呆れ顔のダンが溜め息混じりに言って頭を掻いた。
パリス姉が駆け出していった先を心配そうに眺めながら、トミーはそんなダンの隣に戻る。
「ダン…は、気付いてたの?」
尋ねたトミーは勿論、他の皆の視線も集めたダンはテーブルに並べられた料理を眺めて溜め息をついた。
まず、この料理を見た時、これを準備したのはパリスではないと思った。
調理合成もろくに出来ない男が、これだけのものを一人で準備できるわけがないからだ。
そのダンの説明を聞きながら、トミーは自分が初めて料理合成をした時のことを思い出す。
確かに……パリスは調理合成ができないと言っていた気がする。
「んで、確かに一目見た時は女かと思ったが………いや……やっぱり分かるだろ」
その言葉に、相変わらずパイを頬張っているローディは深く頷いている。
どうやら、男性陣は彼女が女性ではないことに気が付いていたようだ。
話が読めないという顔をして窓の横に立っているノルヴェルトは、どうだか分からないが。
「そう?え、そうかな!?うわぁ私は全然……」
二人を見比べながら未だに信じられないという顔のトミーだが、ふと、『あ』と声を漏らす。
そういえば先程ぶつかった時、跳ね飛ばされて転んだのは自分だけだった。
それに尻餅をついた自分を起こす時の、あの腕の力強さは、今考えてみるとやはり女性のものではない。
「……あの、じゃあ……喋らないのも…声が出ない、とかじゃなくて……?」
あの女性は声を失ってしまったのかもしれないとさえ思いかけていたトミーが尋ねると、パリスは部屋の中に視線を戻して困ったように笑った。
「ん~……兄さんね、凄くカッコイイ声してるんだ。歌劇団の人気男優みたいな」
『その声が嫌みたいで』と頬を掻く。
「え、つまり何、やっぱりそういうことなわけ?昔は兄さんだったって、じゃあ何時からよ!?何でよ!?」
「だからいちいちうるせぇんだよお前は」
「だってわけ分かんないじゃない!!」
ダンの悪態も物ともせずにリオはテーブルをどんと叩いて声を張った。
その様子を眺めて『無理も無い』という顔で苦笑しているパリスを、トミーとロエの二人は少し心配そうな目で見つめる。
「『夜鶴のヴィヤーリット』」
――――――と、不意にローディが呟いた。
水を差されたように、皆が言葉を失って金髪碧眼の青年へと視線を向ける。
ローディはじっとパイの乗った皿を見つめ、手に取る一切れを選びながら続けた。
「一族復興のため王国のどんな期待にも応えてみせた、容姿麗しく剣技も鮮やか、おまけに頭も良い非の打ち所の無いサンドリア騎士界のホープ。しかし八年前に突如失踪。説は特任への着手、国内派閥による暗殺、他国の陰謀と多種多様」
「何でお前が……ンなこと知ってんだよ」
平然として無許可でペラペラと明かすローディに皆は言葉も無い。
辛うじて声を絞り出したダンが問うと、ローディはパイを一口かじりながらダンを横目に見る。
「うまー。……きひっ…最近ちょっと調べちった☆まぁでもそれくらいしか知らないぞ、単なる予備知識だし」
「何の予備だコラ」
「ダンに決まってるじゃん!!!!!!」
かっと目を見開いて言う変態をよそに、ダンは考える顔をして視線を落とす。
放置されたローディは頬を膨らませるが、今は誰も彼のことを構う余裕はない。
誰もが口にしたい言葉をぐっと堪えて押し黙っている、『どういうことだ』という言葉を。
一番に声を上げそうなリオは、ローディがパイを頬張る姿を見て自分も食べたくなったらしい。
考えているような顔をしつつパイに手を伸ばしている。喚くよりもパイが優先のようだ。
思いもよらぬ人物の口から兄の話を聞かされて硬直していたパリスだが、やがてふと、笑い声を漏らす。
「あは……あっはっはっはっは、よく知ってますね♪じゃあ、『落雛のパールッシュド』っていうのも聞いたことあります?」
苦笑の中からパリスが問うが、ローディは残りのパイを一気に口に押し込んだ瞬間だった。
言葉を返す代わりに首を振って肩をすくめて見せる。
パリスは安心しているのか残念がっているのか分からない顔で『そうですか』と頷いた。
「そうそう、そうなんですよ。兄さんは超売れっ子の騎士でした。城を歩けば注目されて、町を歩けばキャーキャー言われて。出世街道まっしぐら。良いとこのご令嬢との結婚も決まっていたんですけどねぇ……」
困った顔をして『ご令嬢には申し訳ないですが…』と頭を掻く。
「ん~……考えてみると、昔からそういう気はあったんですよ。物腰が柔らかくて、兄っていうのよりは、やっぱり母性のようなものを感じていました。やぁでも、本当に姉さんになってしまうとは僕も思ってませんでしたけどねぇ?…ずっと頑張ってきた
んですけど、家のことでいい加減気が滅入ってしまったみたいで」
軽い口調でそう言う彼だが、懸命な目元は、見ている側としては痛々しいものだった。
こののっぽの弟が言っているのは、つまりこういうことだ。
失踪した兄は今、姉となっている。
それは自分のことを探している者達から姿を隠すための変装ではなく、そういうことなのだと。
凍り付いてしまった場の空気にパリスは非常に居心地悪そうな苦笑いを浮かべて、がくりと頭を垂れると『ごめん、みんな』と呟いた。
「どうして謝るんですか?」
ぎゅっと手を握り締めたトミーがすかさず言葉を投げた。
はっとしてパリスが顔を上げると、強い眼差しが真っ直ぐ自分に向けられている。
パリスはまるで、一番問われたくない相手に問い掛けられてしまったとでも言うように、苦々しい顔をして深く俯くと黙り込んでしまった。
「謝らないでください」
先日自分が彼女に言った言葉を丸ごと投げ返された。
すると、パリスはじわりと自嘲の笑みを浮かべて、分かってないなとでも言いた気に、少々苛立ったように視線を反らす。
「あっは、トミーちゃんは詳しく知らされてないんでしょ?僕がトミーちゃんを見捨てたこと」
「……私を?」
トミーがさらわれて大騒ぎの時に、パリスはパールサックを置いて別れを告げた。
そのことを思い出してロエは表情を硬くし、リオはそうだそうだと頷いている。
しかし二人は、その件はもう良いのではないかとも内心考えていた。
結局彼は、危険を冒して皆を救出しにきてくれたわけであるし。
「ノルヴェルトさんが僕のことを疑うのは当然さ。だって、ノルヴェルトさんはその現場の目撃者ですからね」
この発言でロエとリオの二人はふと眉を寄せ、ノルヴェルトに視線を向ける。
突然自分の名を口にしたパリスに対して眉をしかめたノルヴェルトだったが、長身の青年が何のことを言っているのかすぐに思い当たった。
デルクフの塔でのことを言っているのだ。
まだ動けたであろうエルヴァーンの青年は、助けに飛び出すどころか、気を失ったトミーにノルヴェルトが近付くのを眺めて笑みを浮かべていたのだ。
そのことを知っているのは、目の当たりにしたノルヴェルトと、彼からその話を聞いたダン。
もしかしたら、ローディもその場を目にしていたかもしれない。
「………貴様は……彼女を救うことを諦めた」
あの時のことを思い出したノルヴェルトは、パリスを尻目に見てぼそりと口にした。
「死ねないからですよ」
間を置かずに、パリスは噛み締めるようにしてはっきりと言葉を返した。
彼の髪は、まるで自身の気分を表しているかのように元気なく垂れ下がっている。
軽くその髪を退けた彼は、酷く寂しげな、そしてやはり自嘲的な顔をしていた。
改めて、皆と自分の間に作った溝を確認したかのように。
「ちょっと、姉さんの様子を見てきます」
言葉も出ずにパリスを凝視している皆に『どうぞ食事を続けて』と言って彼は部屋を出て行ってしまう。
エルヴァーンの姉弟が去った部屋には、何とも言えない沈黙が落ちた。
デルクフの時の笑みも、どうせ自分をせせら笑うものだったのだろう。
目の前で親しい者の身が危険にさらされているのに、動かずただじっと行く末を見守ろうとしている自分を軽蔑して。
パリスが優先順位だなんだと言っていた訳もこれでようやく理解した。
あのひょうきんなエルヴァーン剣士の中では絶対的なのだろう、最優先のその存在が。
「……これでパリスの行動の訳も分かったな」
ぽつりと呟かれたダンの言葉に小さく頷きを返すトミーとロエ。
リオも頷きたそうにはしているが、完全に飲み込めていない様子でやや眉を寄せている。
「じゃあ、パールッシュドさんが時々急用でサンドリアに戻っていたのも……」
姉に関することで駆けつけていたのだろう。
何処のどいつだ、サンドリアに帰れば女が出迎え二股三股は当たり前なんて言ったのは。
「それでノルヴェルトさんは……あんなにパリスさんのことを疑っていたんですか」
トミーが呆然とした声で言うとノルヴェルトは微妙な顔をした。
「これだけでは信用するには不十分だ」
「ど、どうしてですか?」
完全に窓の外へと注意を戻しながらノルヴェルトが言うと、トミーの疑問が返された。
その問いに眉を寄せて、銀髪のエルヴァーンはヒュームの娘へと視線を向ける。
「どう…?」
「だってパリスさん………ノルヴェルトさんと同じじゃないですか」
ノルヴェルトはソレリという娘に伝えるために今日まで生き延びてきたと言った。
命を狙う追っ手に追われながら、誰も信じられない孤独の中で。
復讐を果たしに行こうと思えば行けたところを、『伝えなければ』とぐっと耐え。
大切な人達をこの世界に残すために、生きているのかさえ分からない、恩師の娘を捜して。
「大切な人のために死ねないって、同じじゃないですか。ノルヴェルトさんが一番パリスさんの気持ち……分かってあげられるんじゃないですか…?」
何も言えなくなって押し黙るノルヴェルトを見、皆は感心したようにトミーを眺めた。
ノルヴェルトには、パリスに対する疑念を晴らしたくないという思いがある。
疑うことをやめたら、また奪われるのではないかと思えてしまう。
しかし、トミーにそう言われてしまうと、無下に跳ね除けることができなかった。
又、自分の話したことを彼女がちゃんと受け止めてくれているということが、やはりどうしても嬉しかった。
「………賭けは俺様の一人勝ちだのぅ」
不意に、蜜の付いた指をぺろりと舐めながらローディが呟く。
はっと皆が彼に視線を向ける中、一際厳しい目付きでダンは彼を睨み付けた。
どうやらローディ達の内輪でも遊び人パリスの真相については話題に上がっていたようだ。
「口外したら殺すぞ」
声そのものが殺意であるかのようなダンの警告。
期待していた通りだと言わんばかりに金髪の美形は破顔一笑した。
「きっひっひ!ジョーダンだぉ~!」
この変態は自分が『冗談』という言葉を使える分際だと思っているのか。
そんな目で見つめてしまうが、ダンは面倒なので突っ込みはせず黙ってじろりと睨む。
「俺様達ゃ下等貴族のお家事情で賭けをする次元の暇レベルじゃないからに」
言葉が進むにつれて分からなくなり、最終的には疑問符だけが残るような物言いをする。
忙しいのか暇なのか、『次元の暇レベルじゃない』ということはそれ以上に暇ということか?
ローディはぐいとお茶を飲み干し、すっくと椅子から腰を上げる。
今は普段身につけている彼お気に入りの白魔道士アーティファクト姿ではないが、鮮やかな赤の王国制式礼服は、無駄に美形の変態魔道士を一段と二枚目に見せる効果を持っていた。
「ご主人たまぁ、ローたんお願いがあるのぉ」
組んだ両手を胸元に押し付けて傾け、ぱちぱちと瞬きをしながらダンに向く。
錦を着てても変態は変態だ。
改めて内心そんなことを思うと、ダンはゆっくりと深い深い溜め息をついた。
* * *
前を歩いていた鎧姿の戦士が丁度目的の店に入って行ったので、自分には少々大きくて重たい店の扉が閉まってしまう前に体を滑り込ませた。
扉を振り返ってほぅと息をつく。
前へと視線を戻すと、自分の代わりに扉を開けてくれた戦士の姿は消えていた。
太陽が真上に昇ろうという時刻の明るい外から入ったせいで、店内がとても暗く感じる。
一般的な一日の活動開始時間はとっくに過ぎている。冒険者の姿もやはり疎らだった。
しかし、中には昼食を兼ねて冒険の打ち合わせをしている雰囲気のテーブルもある。
整えられた装備とテーブルに広げた地図、そして何より、熱い探究心が感じられるその表情。
そんな冒険者達のテーブルの間をすり抜けて、小さな足で店の奥へと進んだ。
目指すは、いつの間にかお決まりの場所となっている端のテーブルだ。
「……………あの……アズマさんて冒険者っすよね?」
テーブルの上に財布の中身と領収書を広げてぶつくさ言っているヒュームの侍を見上げて、被っていたローブのフードを取りながらチョモは真顔で問い掛けていた。
アズマは小さな友人に気がついたのか、領収書から顔を上げて溜め息をつく。
そして、スキンヘッドの頭に手を当てて何処か遠くへ視線をやった。
「…………ぼちぼち定職にでも就くかなぁ……」
「やめてくださいよ冒険者がニートみたく思われるじゃないすか」
「バーロー俺ぁ根っからのいぶし銀冒険者でぇ!ただ実際問題冒険ってぇのにゃ先立つものが必要なんでぇ!」
「先立つ者?ナイトっすか?」
流暢な東方なまりのアズマが言うことをまったく解さず、あっけらかんとして言うチョモ。
アズマは肩をこけさせてしかめっ面になった。
説明しようと口を開くが、チョモは特段答えに興味は無いらしい。
タルタルにはやや大き過ぎる椅子によいしょとよじ登り、背負っていた鞄を椅子に置いてその上に座った。
顎先に少し髭を残したオシャレ気取りのハゲ侍は、渋い顔をしてチョモを見るとすごすごとテーブルの上を片付け始める。
説明するのも空しくなった様子。それも当然、『文無しだ』と自分から言うのと同じだ。
「ゴンベさん、いないんすか?」
「あぁん?あぁ、明け方に少しの間だけいたが……あれっきり今日は見てねぇや」
ゴンベというのは、この二人と一緒にいることの多いガルカのこと。
いつも起きているんだか寝ているんだか分からないぼーっとした男だ。
お馴染みの顔ぶれの一人が、ましてや大きながたいのガルカが不在となると心なしか寂しい。
アズマの話によると、突然『手を負傷した』と言って血まみれの手を見せて去っていったらしい。
つまらなそうに店の中を見回していたチョモだったが、その話を聞いて目を見張った後、不意に何かを思い出したように小さく吹き出した。
アズマが片方の眉を吊り上げると笑いを耐えたチョモが言う。
「そういえば………美味しかったっすか?弔い酒は。ぶふふっ」
「おぁ?」
「し・つ・れ・ん?ぷぷぷぷぷ」
「か、違ぇぞ何言ってやがるんでぇ!!勘違いしゃがって!!」
頭全体を朱に染めてアズマがどんとテーブルに拳を打ち下ろす。
チョモが言っているのは昨晩のことだ。
詳しく事情は分からないがヤケ酒に走っているアズマに捕まりそうになったので、実家に帰る用があるとでまかせを言って緊急離脱したのである。
どうやら、その後明け方まで飲んでいたアズマは店に現れたゴンベと会ったらしい。
明け方まで飲んでいたとなると相当悪酔いしていたに違いない。
とするとゴンベは、アズマにばれないようにグラスでも握りつぶして脱出口実を作ったのかもしれない。
かっこ良過ぎる。
トミーがあんなにもガルカ種族に憧れる気持ちが分かる気がした。
まぁ、他に無傷で済む脱出方法はいくらでもあったとは思うが。
しかし、今朝方までべろんべろんになるまで飲んでいたにも関わらず、昼食時の今こうして平然と店に舞い戻っているアズマも相当のツワモノと言えよう。
「じゃあ何を弔ってたんすか」
今にも泣き出しそうな、非常にムカつく顔になって笑いを耐えているチョモは首を傾げた。
うっと一瞬固まったアズマだが、苦虫を噛み潰したような顔をして握り締めた拳に視線を落とす。
「………みゃ……」
「みゃ?」
「脈ありかと思ってた女が」
「ヴァっははははははははは!!!!!!!」
一瞬で耐えられなくなり爆発的に笑ってテーブルに突っ伏す。
真っ赤になった頭に青筋を立てたアズマは、怒声を発してチョモの頭を両手で掴み上げると、ごきんと思い切り脳天に頭突きをお見舞いした。
すると盛大な笑い声を子どものような泣き声に変えてチョモが椅子の上に蹲る。
「ひた、ひたい……ぅっく……ひた…」
「テメェのデリカシーの無さを泣け!!!」
頭を押さえて顎を震わせているタルタルは、ぐすっと鼻をすすってアズマのことを上目遣いに睨む。
ザマーミロという顔でアズマが見返した。
とそこで、チョモは近くを通りかかった店員にくるりと向くとオレンジジュースを注文する。
店員の頷きを確認してテーブルの方に向き直った顔はもうけろりとしていた。
どうやら石頭らしい。
「なんか、昨日とか今日とか町が落ち着いてるような気がするんすけど、気のせいっすかねぇ?」
痛みから立ち直ると同時にアズマの話への興味も無くしたらしい。
ぽりぽりと丸っこい頬を掻きながらアズマに話題を振る。
最近はもうすっかりチョモの『流し』にも慣れたので、アズマはテーブルに肘を着きながら答えた。
「落ち着いてるぅ?別に静かでもねぇだろ。まぁあれじゃねぇか、ダンの野郎達が道端で騒いでねぇからじゃねぇのかぁ?」
「あーーー!!そういえばトミー姉ちゃんどうしたんだろ!!!!?」
思い出したようにドでかい声を上げるチョモに『五月蝿ぇなぁ』とアズマは毒付く。
「そういやぁ明け方、ダンの野郎がこの店に来たな」
「えっ、マジっすか?」
「ローディさんとお嬢ちゃんを捜してるみてぇだったが……」
そこまで言って一度言葉を切ると、ぎらりと邪な目付きになる。
「へっへ、ありゃあもつれたな」
「ヴぁも!!!?」
仰天して目を白黒するチョモに対し、アズマは最高に得意げな顔をして、親指で鼻っぱしをはねた。
「天罰が下ったのよぉ、ざまぁみさらせ!ローディさんをナメてっからそうなるんでぇ!」
「マ、マジっすか!?ちょちょマちょちょマジっすか!!?ねぇつまりマジっすか!?」
「いでででで掴んで爪立てんじゃねぇよチビ!!」
テーブルの上に乗り上げて腕を引っつかんでいるチョモの手を叩き落す。
続けてぼかりと頭をグーで叩かれ、チョモは口の中でぶつぶつ何か言いながら大人しく座る。
「でも………アズマさんからの情報っていまいち信用できな」
もう一発追加。
「痛いじゃないすか何なんすかもぉー!!!」
「ぬかすな小童こらぁ!俺の読みぁいつも当たってんだろうがバーロー!カルロのパーティで黒魔道士の野郎と忍者の女は絶対くっつくっつったろ?あいつら俺が睨んだ通りよぉ今じゃ完全に出来上がってらぁっ」
「この店に入り浸って人の幸せ羨んでるだけじゃないすかそれぇ!」
『そんな勝ち誇った顔で負け組発言しないでくださいよ』と身も蓋も無いことを言うチョモ。
生意気なクソチビにぶちりとキレたアズマがテーブル越しに掴みかかろうとするが、そこへ店員がチョモの注文したオレンジジュースを持ってくる。
場の空気を完璧に無視して、二人の間にことりと丁寧に置くと一礼して去っていく。
アズマ達はすっかり常連になっているので、店員達も対応に慣れているようだ。
オレンジジュースに阻まれたアズマは、渋い顔をしてどかりと頬杖を着く。
「てやんでぇ、こういう店にいると情報が手に入りやすいんでぇ」
「そういうしょーもない情報ばっかりでよく商売成り立ちますよねぇ」
関心とも呆れとも取れる口振りで言って、チョモはオレンジジュースに口をつけた。
次はお子様ランチが運ばれてくるのではと思ってしまう光景に目を細めつつ、アズマはにやりと口の端を吊り上げると、『甘ぇんだよなぁ』と意味深に笑う。
別に国を股に掛けるスパイになろうというのではない。
重大な情報はその分重く身の災いにもなるものだ。
なので、相手にするのは国家や権力者などではなく、等身大の人間で良い。
こういう『人』の情報というのも、案外利益に繋がるものなのだ。
……と、先程まで財布の中身と睨み合っていたヒュームの顎ひげ侍は語った。
「そういえば、前もそういうこと言ってましたよね……。そうそう、パリスさんの話とか?」
「おぅともよ」
大きく頷いて見せると、アズマは不意に『待てよ』と思案顔になる。
「………癪だが……ローディさんにダンの野郎の情報ぶちまけるってのもありかもな」
「あ~、ローディさんダンさんに興味アリアリっすからね。アズマさん結構ダンさんのこと知ってるみたいっすもんね」
「知ってるなんてもんじゃねぇよ俺ぁ……」
「?」
アズマが途中で言葉を途切れさせたので、チョモは彼が視線を留めている先へふと目をやる。
見ると、他でもない話題の人であるローディが店に現れたところだった。
オレンジジュースに口をつけていたチョモは驚きでがぼっと音を立てる。
赤い王立制式礼服姿の美青年は、軽い足取りで店に入ってくるとカウンターに向かう。
そして、ちょいちょいと店員の一人を呼ぶ。エルヴァーンの女性店員が寄っていった。
二言三言言葉を交わし、ローディはにっこり笑うとカウンターの上に両手をつく。
ひょいっと体を持ち上げ、女性店員の唇にキスした。
すたと床に下りて王国制式礼服の上着を脱ぎ、特に動じた様子もない女性店員にそれを手渡す。
そして、下に何も着ていなかったローディは上半身裸のまま悠々と店から出て行った。
女性店員はカウンター下に礼服をしまって何事も無かったかのように仕事を再開する。
すべては様々な客のいる店の賑わいの中で起きたことだったが、不思議と誰もその光景に気がついておらず、あんぐりと口を開けているのはアズマとチョモの二人だけだった。
* * *
「………大丈夫……かな」
ぽつりとトミーが呟いたのを聞いて、食事を再開しているリオは物を飲み込みながら言葉を返す。
「大丈夫じゃないのはあの男の頭でしょ」
リオが言っている『あの男』というのは、ローディのことだ。
ローディはあの後、自分のリンクシェルの方に顔を出しに行きたいと申し出たのだった。
こんな時にリンクシェルのイベントに行ってる場合か。
それを聞いた時はそう思ったが、続けられた言葉によると、ただそれだけではないらしい。
そのイベントがこちらの役にも立つかもしれないとか言っていたが、それは正直怪しいので置いておくことにして。
同時に外の様子も見てくると言っていた。
確かに、外の情報は欲しい。そう納得してダンは一時離脱の許可を出した。
事態が落ち着くまで……と、この家に身を潜ませている内に、外で好き勝手にやられて打つ手がなくなってから状況を把握しても遅過ぎる。
早いところ外の様子を知りたいが、ダンはとてもじゃないがこの場を外せない。
パリスはこの状況では無理だろう。ノルヴェルトは論外、女性に任せられるわけもない。
皆でぞろぞろと様子を見に出るのも馬鹿らしいし、そう考えるとやはり適任はあの変態だ。
しかも、彼の隠密スキルには日頃大変お世話になっている。信用は皮肉にも絶大だった。
「ち、違いますよっ。あっ、違います!あの、ローディさんのことも心配ですけど!」
もごもごと『パリスさん達のこと……』と言って、トミーはちらりと姉弟が去っていった先を窺う。
様子を見に行きたいと言いたげな顔だった。
すると、そんなトミーの頭をこんこんとダンがノックした。
「今はお前が行っても邪魔になるだけだ。とりあえず、少しでもいいからお前も食べとけ」
淡白な声で言いながらダンはテーブルに向かう。
頭を擦りながら彼を見送って、トミーは『…うん…』と落ち込んだ声で返事をした。
姉弟を傷付けてしまっただろうかと、気に掛かる。
でも今の、ちっとも優しくない響きの思いやりの言葉を受けて、両手持ちの剣を背負ったあの背中のことも少し心配になった。
大丈夫……なのかな…。
そんなことを思いながら、トミーは料理の並んだテーブルへと視線を上げる。
踏み出そうとしていた足を思わず止めてしまった。
やれやれという溜め息をつきながらひょいとパンを手に取るダン――を、じっと見つめている人がいた。
眩しく、また悲しいものを見るようなその目は、今のダンとトミーの様子を見た後だからだろうか。
座って食事を取る気はないらしいダンに、彼女ははっと気付いて小さなバターの器を彼の方へ寄せた。
パンをかじったダンが会釈だけで礼を言うと、『いいえ』と消え入りそうな声で言って手元のお茶に視線を落としている。
「…………がーーーーーーーーん」
その光景を目にしたトミーの口から思わずおかしな擬音が飛び出した。
「なんだそりゃ」
半眼になったダンがさっさと突っ込む。
騒ぎですっかり忘れてしまっていたが、とても大事なことを思い出した。
そして芋づる式に、城でのあんなことや先程のこんなことがトミーの脳裏に思い出される。
良くない、良くない良くない良くないよねあんなの!!!!?
内心自分に対して『バカー!!』と叫んで、ぎゅーっと一気に顔を上気させたトミーはぶんぶん顔を振った。
はっと見ると、その挙動を眺めていた一同の『何事だ』という顔が並んでいる。
「え、あ、や、その……ローディさんにパイ食べられちゃったなぁ~と思って!」
『美味しそうだったから』と言いながら、ばたばたと手を振ってテーブルの、ダンとは反対側に回る。
まだ数切れ残っているとダンが指し示すが、トミーは分かったと頷いただけで手は伸ばさなかった。
すとんとロエの隣の椅子に座り、少々焦ったような目でテーブルの上を眺める。
隣で青髪の彼女が、不思議そうに自分のことを見ているのが分かった。
トミーは心の中で『ごめんなさい』と何度も何度も叫びを上げて、懸命に視線のやりどころを求める。
そこでふと、窓の傍に立ってじっとしている長髪のエルヴァーンの姿が目に留まった。
結局何も口にしようとしていない彼を見て、頭の中がふっと冷静になる。
そうだ、今は彼のことに集中して、真剣に考えなくては。
ノルヴェルトに目を細めると、トミーはおもむろにパイの乗った皿を手にして椅子を立った。
未だに不思議がったままの皆の視線を浴びながらノルヴェルトの元に向かう。
トミーが自分に近付いてくるのを見て、眉に傷のあるエルヴァーンの顔が緊張しているのが分かった。
「………パイは好きじゃありませんか?」
そっと言うトミーに対し、視線を泳がせるノルヴェルト。
どうやら、先程トミーに渡されたシチューを他所に置きっぱなしにしたままなことを後ろめたく思っているらしい。
それを察したトミーは唇に小さく笑みを浮かべ、言った。
「さっきは、みんなにもお話を聞かせてくれて……ありがとうございます」
さ迷っていたノルヴェルトの視線がはたとトミーへ戻される。
「私、もっと聞かせてほしいです。もっと知りたいんです」
だから、食事が終わったら今度は二人で。
言うとトミーを見つめるノルヴェルトの目がまん丸になった。
「ちょっとぉまた何言い出してんのよー」
例の如く異論の声を上げたリオを見ると、彼女は肘掛のない椅子の上であぐらをかいてこちらを向いていた。
彼女からノルヴェルトへ視線を戻す。
見上げると、銀髪のエルヴァーンは真っ直ぐにダンの方を見つめていた。
「俺達外野がいたんじゃ話せないこともあるだろ……ってな」
シチューの皿を手に取りながら、承諾済みだという口振りのダン。
ロエとリオの二人は驚きの表情をした。
「けど、二人きりっつーのはやっぱりな」
すぐにそう続けて、ダンはシチューをスプーンで混ぜる手元にじっと視線を落とす。
緊張の表情を和らげるロエとリオだが、トミーは逆に『約束が違う』という顔を向ける。
ダンは次の言葉をすぐには口に出さなかった。
真剣な顔で何かを考えている様子の彼に皆は見入る。
やがて、シチューを混ぜるスプーンが皿をゆっくりと五周した頃、ぴたりと手を止めて顔を上げた。
「ロエさん」
びくりと小さく肩を震わせた――――トミーとロエの二人共だ。
真っ直ぐにダンに見つめられたロエは僅かに肩を窄める。
「は、はい」
「同席してもらえませんか」
何を言い出すんだよーーーーーーー!!!!!!
トミーは胸中大絶叫して頭を抱え込んだ。
その申し出を受けたロエがふと視線を落とした姿が、トミーにはこんな風に見えてしまった。
『………また……トミーさんのため?』
被害妄想の境地とも言えるかもしれないがトミーはそれどころではない。
「あ、え、で…でもほらっ、ロエさんもパリスさんのことが気になるだろうし。リオさんがいてくれれば大丈夫だよ!」
パイの皿を持ったままでリオの傍まで駆け寄って言う。
しかし、ダンはげんなりとした顔で溜め息をつく。
「お前な………こいつ隣に座らせておいて話なんてできると思うか?黙って聞いてる気なんてさらさらねぇだろ」
後半をリオに対して言うと、リオは頬張った物を飲み込むと同時に大きく頷く。
「っぜぇぇぇ~ったい、認めないわよ何一つね!!」
「少しは嘘もつけよ」
真正直に全否定宣言をするリオにトミーは『あうぅ』と困惑の声を漏らした。
『ネコは駄目だ』とはっきり言うダンにリオが舌打ちして口の中で毒付く。
トミーが何を考えているのかダンには解せなかったが、同席者はロエしか考えられなかった。
まず男がいては駄目だ、ノルヴェルトは間違いなく懐を見せることはしないだろう。
それに静かにじっと聞いていられる人間でないといけない。
となると頼めるのはロエしかいない。
そうやってちゃんと考えた上で言っているダンだが、彼の表情にも少々迷いが見えた。
ロエと自分が気まずい状況になっていたことを思い出している顔だ。
そのことにロエもすぐさま気がついた。だからダンの目を見ていられなくなったのだ。
当然トミーは、自分がノルヴェルトにさらわれた時に、二人があんな状況になっていたとは知りもしないわけで。
「…………分かりました」
こくりと頷いて大人しく承諾するロエの姿を見て、ダンは更に後ろめたい気分になった。
カップを取ってお茶に口をつける彼女の横顔が、必死に何かを堪えているように見えたからだ。
* * *
ドラギーユ城と同じく、北サンドリアにある巨大な教会、サンドリア大聖堂。
エルヴァーン族の国サンドリア王国は、他の諸国よりも女神アルタナに対する信仰心が非常に篤い。
それを証明するかのように構えているのが、このサンドリア大聖堂だ。
他所の国を探しても、この大聖堂に勝る厳粛さを持った教会は存在しない。
ドラギーユ城に譲ることなく行政区にそびえ立つ、厳めしい白色の佇まいは、教会が王権に引けを取らない確固たる権力を有していることを示していた。
聖職者組織が握っている権限の例を挙げるならば、神殿騎士団が良いだろう。
サンドリア王国の二大騎士団の一つ、神殿騎士団は、大々的な活動に於いては教会の承認を得なければならないのである。
暁の女神アルタナを信仰する者達が救いや慰めを求め、今日もその扉を潜っていく。
白色の壁に曇り空の灰色の光を浴びて建つ教会。
その正門の脇で、教会に出入りする者達を眺めてジェラルディンはじっと立っていた。
礼拝にやってきた者の中にはジェラルディンの顔を知る者も稀におり、あの方も礼拝にやってきているのかと、感心した顔をすると、決まって教会を仰ぎ見る。
ジェラルディンの主はこのサンドリア大聖堂を訪ねている。
しかし今、彼が語りかけている相手は女神アルタナではない。
王権に劣らずの権力を持っているこの教会の最高位、教皇猊下である。
主の一族、ゼリオン家は先代イヌマエル・C・ゼリオンの代より教会との親交が深い。
父君の急死後も主の良き導き手となり、教会は強力な後ろ盾となってゼリオン家に支援を施した。
少年時代からゼリオン家に仕えていたジェラルディンも、偉大な軍師イヌマエルの広い背中、そしてその向こう側にそびえる教会の神々しさは今も記憶に色濃く残っている。
主は、立派な爵位に就いた現在でも教会に重きを置き、その身を捧げている。
今は町の人間だけでなく、騎士団や王族関係の者達までもが冒険者の力を借りることをするが、教皇猊下は冒険者に良い感情を抱いておられないため、ことさら主は頼りにされるのだ。
本日は、猊下より仰せ付かっていた任の報告と、こちらの小さな願いを囁きに。
願いというのは、理由無き死者に最期の物語を賜り、証してもらうこと。
大したことではない、死者の霊を慰めることは聖職者の業でもあるのだから。
主は新たな依頼を受けて戻るかもしれない。
第三の勢力と言っても過言ではない規模の騎士団を率い、教会の陰なる斥候となり、社交も一族の世話も抜かりなくこなす主はまさに完全無欠。
そう、野良犬ごときに気を煩わされている暇など、一欠けらもない方だ。
邸宅に戻れぬ日々が幾日続こうとも一向に構わない。
今更他の者達が描くような幸福など、手にしたいとは思わない。
そう、生きる長さに興味などない。
今度こそ赤髪の主君を、罪人の楔から解き放つ。
あとがき
パリスの事情、今回全部入りませんでしたので半分くらいは持ち越しです。(爆)過去に某狂犬殿が一族の期待を盛大にシカトしたもんだから、 「今度こそは」と、ヴィルには一族プレッシャー三割増しの方程式。
ヴィルは次回ちゃんと登場しますので、許してくださいスミマセン。(´Д`;)
で、息抜きに入れたハゲマジコンビのシーンが、無駄に濃い。
んでまた変態離脱、同じ場所に長居出来ない分刻みグレイト。(?)
そして、二者面談にロエが加わって三者面談が決定いたしました。(´▽`)
ででででも、ご期待が恐ろしいのでさらっと次回予告をします。
次回、ロエ嬢本気で出番ないです。(爆)