それぞれの生き方
2007/10/20公開
極度の緊張で喉を絞められているような感覚だった。
固唾も上手く飲み込めない口で辛うじて尋ね、それに対する答えをしっかりと耳で聞く。
本当はそのことを聞く時、隣にいてほしい人がいた。
ぎゅっとしがみ付いていたかった、そうすればどんなことだろうときっと受け止め切れると思えたから。
でもそれは、望んではいけないことだと思ったから、その人ではなく衝撃の方を自分で呼んだ。
これまで話を聞いている間に大体は予想のついていたことだし、大丈夫、大丈夫。
大丈夫。
「根拠は?」
ぎゅっと両手を握り締めてトミーがノルヴェルトを見つめていると、背後から不意に短い言葉が投げられる。
トミーはその声だけで泣き出しそうになる自分に驚いて、胸元できゅっと手を握った。
「とても似ている、声や立ち姿は母親のスティユそのものだ。…生憎写真など証明できる品は持ち合わせていないが、間違いないと思っている」
全く予想通りのダンの反応にノルヴェルトは頑なな態度で言葉を返した。
先程よりも更に緊張感の高まった、強い、『譲れない』という眼差し。
いきなり現れてこんなことを言っても信じられるわけがないと、ノルヴェルトも重々承知している。
証拠も何も持っていないのでは信憑性などあったものではない。
だが、だからといって言い負かされて簡単に引き下がれることではないのだ。
「それであんた、この子をその、またあんた達の逃亡生活に引き戻そうってわけ?」
気が動転した声でぎこちなく言ったミスラの娘の言葉を、ノルヴェルトは相変わらずダンのことを見つめたまま聞き答える。
「そんなつもりはない。ただ私はソレリの無事を知りたかった。そして知ってほしかった……」
何を、とは言えなかった。
不自然な言葉の切り方に皆が眉を寄せるがノルヴェルトはすぐに言葉を続ける。
見つめる先は両手剣を背負ったヒュームの戦士。
「『最後まで付き合え』と言ったな。そんなこと、言われるまでもない。安心しろ………伝えるべきことを伝えたら……私が全て片付ける」
噛み締めるように言うノルヴェルトのその言葉にリオは固唾を呑んだ。
ノルヴェルトが言っていることの意味を考えて、ロエも緊張した顔をしてじっと彼を見上げる。
しかしそこで、隣にいるトミーが小さな声で何かを呟いたのが聞こえた。
はっとしてロエが目を向けると、トミーは今呟いたことをもう一度、今度ははっきりと言う。
「片付けるってどうやって?」
泣いてばかりでやや腫れている目元を再び赤く染めて、トミーはノルヴェルトを見つめていた。
「あなた一人で?……また、人を殺すの?」
「どーでもいいわよあんたの都合なんて!だったらさっさと言うこと言って消えてよ!!そもそも何でよ!?伝えるとかそんなんだったらこの子誘拐することないじゃない!しかもあんな、邪魔する奴は殺すって勢いでね!頭おかしいわよ!!引き戻す気はないとか何とか言ってやっぱり親んとこに連れ戻そうとしたんじゃないの!?どこに隠れてんのよその親ぁ勝手なことしようとしてんじゃねぇわよ!!!」
ついに癇癪を起こしたリオが容赦無い言葉をノルヴェルトに浴びせた。
あからさまにカチンときた顔をするノルヴェルトにぞっとしてリオはそれ以上言い続けることはしなかった。
ノルヴェルトは足元を睨みつけて握った拳をわななかせるが、目を閉じるとゆっくりと息を吐いて搾り出したような声で小さく答える。
「…………マキューシオ達のところへは………連れてはいけない……」
感情に震えた硬い声で言うノルヴェルトとリオを見比べて、ロエが恐る恐る問う。
「あ……会うことは望んでいないんですか?」
刺激しないように慎重に言うロエの問い掛けに、ノルヴェルトは黙ったまま首を横に振る。
「もう、いないんですよね」
私は『来るな』と拒否されたからだ。
と、ノルヴェルトが言おうとしたところでトミーがはっきりと言った。
ロエとリオがトミーにえっという顔を向ける。ノルヴェルトも然り。
「変に隠すのはやめてください。………二人は死んでしまったんでしょう?」
トミーにじっと見つめられて正面からそう尋ねられ、ノルヴェルトは現実との衝突を強いられた。
一気に頭の中が真っ白になってしまって何も言えなくなる。
「とても辛い別れ方を……したんですよね?とても悲しい最期で、逝ってしまったんでしょう?あなた一人を置いて」
「私一人じゃない、貴女がいますっ」
ノルヴェルトは咄嗟に声を上げるがトミーは動じずに静かな口調で続ける。
「もし、もしも、…………もしも……そのお二人が……私の両親だったとして……」
リオが納得いかない声で『ちょっと!』とトミーの肩を小突く。
しかしトミーはぎゅっと手を握り締めて必死に続ける。
「ノ、ノルヴェルトさんが捜していたソレリさんがっ、私だったとしてっ。………でも、どうして人を傷付けるんですか?」
「な…」
「人を捜すことに武器は必要なの?出会うためには人を斬らざるを得ないんですか?私と出会うためなら、人を傷付けることを躊躇わないなんて……おかしいです」
か細い声で指摘するトミーの言葉にノルヴェルトは開いた口が塞がらないと言った様子。
多少は外への警戒を残していたはずの彼は完全に取り乱し、思わず数歩進み出るとやや声を大きくして訴えかけた。
「護るためには躊躇ってなどいられないんです!斬らなければ、殺さなければ奪われる!」
「人も獣人も同じ、まるで邪魔な草を刈るみたいにあなたは……」
「奴らは雑草以下だ!獣人は何の罪も無い人間達をたくさん殺した!女子供も容赦なく本能のままに!テュークロッス達も同じだ、自分のためなら無関係な人間も簡単に殺す!殺してるのは奴らだ!私は奪われたんです!!」
そう叫んだところで、ノルヴェルトはトミーの顔を見てはたと言葉を途切れさせた。
哀れみとも怒りとも言えない、強い眼差しを向けているトミーはその目にいっぱい涙を溜めていた。
涙を拭くこともせず、真っ直ぐな眼差しをノルヴェルトに向けて震える唇で言う。
「ノルヴェルトさんが私に伝えたかったのは、憎しみなんですか?それを伝えるために、傷付きながらも生き延びて、私を捜していたの?」
再会できてまだ間もないというのに、幼少時代の一週間分は彼女の涙を見ているかもしれない。
涙するトミーを愕然と見つめてノルヴェルトは立ち尽くした。
トミーは喉をしゃくり上げながらもつっかえつっかえ懸命に言葉を続ける。
「お父さん、達が、ノルヴェルトさんに残したものは……憎しみと、その憎しみを…晴らす手段だけなんですか?そんなわけない、そんなの悲し過ぎます……」
違う、そんなつもりじゃ。
言葉がノルヴェルトの喉に詰まった。トミーにそう言われてみてはたと気が付く。
彼女が言う通り、自分が手にしているのは凶器と、消えることの無い憎悪の塊。
体に叩き込まれた『相手を動かなくする』技術と何も信じない心だ。
マキューシオは優しい師だったと言う、みんなと過ごせて幸せだったと泣く。
しかしそれらの感情を形作っているものはやはり憎しみ。
彼らから教わったことは何だ?
フィルナードから伝えられたことは体が覚えていた、が、マキューシオからは何を?
彼がくれたのは大事に思う気持ちと尊ぶ眼差し、そしてたくさんの言葉だ。
漆黒の師は全くくれなかった。フィルナードから与えられたのは“生き延びる”術。
では“生きる”術はどうした?優しい師が残そうとしてくれたものを自分は……?
「もう絶対に人を斬らないでください」
嵐のように荒れ狂っている思考に水を注して鎮めたのはトミーの声。
父親譲りの優しげな目が、『背を向けていたのは君の方だ』と言っている師のそれに見えた。
『何故自分だけが』と恨みを募らせてきたが、本当は―――――。
ノルヴェルトは仲間達と共に過ごしていた頃のような自信のない顔になってトミーに言い寄る。
「…で…でも」
―――――――――――ドガンッ!!!
瞬間、耳を劈く激しい音が室内に響いてリオは飛び上がった。
ロエも驚いて小さな悲鳴を漏らしてトミーにしがみ付く、一瞬家が衝撃で揺れたような気がした。
瞬時に背の鎌に手をやって身構え、ノルヴェルトが驚いて目を向けた先は部屋の扉。
正確に言えば扉の横に立っていたヒュームの戦士、ダン。
「キターー☆」
ローディが待ってましたと言わんばかりの声を小さく上げる。
扉の横の壁を力いっぱいぶっ叩いたダンの腕から、細かい鎧の破片が床にぱらぱらと落ちた。
ダンは真っ直ぐにノルヴェルトを見つめてゆっくりと足を踏み出す。
「話の…真偽をここで追求するつもりはない。けど、あんた……考えなかったのか?あんたが接触することでこいつの普通の生活が奪われることになるってのは」
広い歩幅で目の前まで歩み寄ってきたダンに、最初の調子を取り戻してノルヴェルトは対峙する。
「だから言っているだろう、伝えたら私が全て終わらせると」
「もう十分だ!!!」
ダンはノルヴェルトの胸倉を乱暴に掴んで怒鳴った。
「その『伝える』までにどれだけこいつが危険な目に遭ったかあんた分かってんのか!?俺達がいなくてもあんたはこいつを護れたか!?おい、護れたのかよ!!?」
「やめ、ダンよしてっ」
慌てて立ち上がったトミーはノルヴェルトに掴みかかっているダンの腕にしがみ付いた。
彼女を追うようにおろおろと立ち上がったロエの横で『あんたがよしなさいよ!』とリオがやはり立ち上がってトミーに駆け寄る。
体格的に近付けずうろたえているロエを不意にローディが抱き上げた。
驚いて見上げたロエだがすぐに思いついてダンを止めてくれとローディに頼むが、ローディはにやにや笑って『えー、面白いぢゃん』とのん気に眺めている。
その周りの騒ぎように、ダンは舌打ちするとノルヴェルトを突き放すように開放した。
そしてしがみ付いているトミーを見下ろして、自分を止めようとする必死さの中に
どこか安堵のようなものも伺える彼女の様子にやるせない気持ちになり口を引き結ぶ。
―――――――と、そこで。
ふと、離れた場所から耳慣れた生き物の鳴き声が微かに聞こえたような気がした。
空耳かもしれないが瞬時に反応したダンが顔を上げると、同じくはっとしたような表情で顔を上げたノルヴェルトとばっちり目が合う。
相手がノルヴェルトだったことが今のダンには非常に癪であったが、すぐさま鎌に手を伸ばして警戒の表情をするエルヴァーンをさすがだと認めざるを得ない。
……チョコボ?
ダンは眉を潜めると、周りで騒いでいる仲間達に静かにするよう指示するため口を開く。
直後、ダン達の後方で扉が開け放たれる音がして皆は一斉に扉を振り返った。
身構えた一行が目を向けると、閉まっていた扉が大きく開いていた。
しかしそこに誰の姿もない。
やがて、部屋の外から声が聞こえる。
「凄い音がしたけど………僕んち壊さないでくださいよ~……?」
そう言いながら恐る恐るゆっくりと顔を出したのは、数日前に飛び出すことの危険性をその身をもって学んだノッポのエルヴァーン、パリスだった。
なんだパリスか、と女性陣が安堵する中からダンが問う。
「今チョコボの鳴き声が聞こえたような気がするんだが」
「へ?チョコボ??……ん~?僕は気が付かなかったけど、ご近所の子じゃないですかね。僕ぁチョコボを自宅で飼えるほど裕福じゃないし甲斐性もないですよ」
半身を扉の向こう側に隠したままの状態で首を傾げながら言うパリス。
ダンが肩越しに振り返ると、ノルヴェルトが鋭い目付きで窓から外の様子を伺っていた。
見たところ特に異変は見られないらしく、ノルヴェルトは怪訝な顔をしている。
トミー達もチョコボの声など聞こえなかったという顔で疑問符を浮かべていた。
自分だけだったら気のせいかとも思えるが、半端にもう一人いるのでどうも落ち着かない。
「あのー、お食事の用意しましたけど……どうですか?少しでも何か食べた方がいいんじゃないかな」
別の部屋に用意をしたとパリスが言ったところで、リオが思い出したように腹部を押さえた。
突然慌てたように動いたのでどうしたのかと心配そうな目を向けるトミーとロエだが、トミーはふと彼女と出会った時のことを思い出して気の抜けた顔をする。
「ブランチ!ブランチだロエたん!!」
「あ、あの」
嬉々とした声を上げるローディに対して困った顔をしたロエはダンを見る。
ロエだけでなく他の面々もじっと見上げると、ダンは溜め息をついて頷いた。
「毒入りじゃないでしょうね!?」
そう言いながら真っ先に扉に向かったのはリオ。
その後にロエを抱いたままのローディも鼻歌交じりに続く。
きょろきょろと皆を見回しているトミーの背中をダンが押した。
不安げな顔で振り返りながらも扉に向かうトミーだったが、先程人が死ぬところを目撃したばかりなので食欲がないこともあり足取りは重い。
ダンは突っ立ったままじっと動かないノルヴェルトのことを肩越しに振り返ると、両手剣をしっかりと背負い直して自身も歩き出す。
何か言いた気な顔をしているノルヴェルトだがここは何も言わずに、もう一度窓の外の様子を伺ってからダンの後に続いた。
そうして少し遅れて三人も部屋から出る。
見ると廊下を進んだ二つ先の部屋に用意がされているらしく、リオ達が入っていくのが見えた。
そこで不意に、とぼとぼと前を歩いているトミーの腕をダンが掴んで足を止めた。
突然トミーのことを引き止めたダンにトミーとノルヴェルトの二人が目を見張る。
「ちょっと話がある」
「え」
そしてトミーにもノルヴェルトにも、有無を言わさずにダンはトミーを連れて部屋の中に戻った。
どうしたらいいのか咄嗟に判断しかねたノルヴェルトは扉が閉められるのを呆然と見送る。
部屋にトミーを連れ戻して扉を閉めたダンは、トミーの腕を引いて部屋の中央まで戻った。
それから呆気に取られた顔をして見上げているトミーをくるりと振り返って言う。
「十秒でいい、黙ってじっとしてろ」
何故そんなことを言うのかと思ったが、トミーがそれを尋ねる前に答えが分かる。
………前にもこうしてダンに抱き締められたことがあった。
あの時はまるで子どもをあやすように抱き締めるダンの腕の中で、たくさん涙を流し声を上げて泣いた。
でも今回は少し、あの時とは違う感じがした。
あの時は怖がっていた自分をダンが包み込んでくれたように感じたのだが、今は自分を抱き締めて頭を垂れているこの男が『怖かった』と言っている気がした。
「………ゲートクリスタルくらい取っとけよ……バーカ」
叱る言葉にもいつもの迫力は無く、そんなくぐもった声が聞こえた。
その声を聞いて、彼にとても心配をかけたのだとトミーは知らされる。
普段は“びくともしない”ダンばかり見ているので少々驚いた。
『ごめんなさい』と言おうと口を開くが、黙ってじっとしていろというダンの言葉を思い出す。
律儀に言い付けを守るトミーをしっかりと抱き締めて、切羽詰った自分が落ち着いていく様子がダンには手に取るように分かった。
そうしてやがて、溜め息をつくとゆっくりと腕の力を緩めて体を離す。
が、体を離そうとしたダンに腕を回してトミーがぎゅっと抱きついた。
「ダン………人が、また人が死んじゃった……」
そう言うトミーの声は泣き声ではなく、呆然とした声だった。
「私みんなを、大変なことに巻き込んじゃった。リェンさんのことも心配だよ、すごく。どうしよう…私…どうすればこんなこと、終わらせられるのか…」
不意に、ぽんぽんと頭に手が置かれたのでトミーが顔を上げる。
見上げるとダンがくたびれた顔をして見下ろしていた。
「お前一人で何でも考えようとすんなよ。むしろお前の頭じゃ無理だ」
何を言われているのか分からない顔で目をしばたかせているトミーに苦笑いして続ける。
「まぁ何だ……もう安心しろ」
とはいうが、安心を与えてもらったのは自分の方だという自覚があるダンは微妙に不服そうな表情になってトミーの顔からやや視線を外す。
「ここまでくればもう、あとは解決していくだけだ。敵は知れた、お前とネコの迂闊さも思い出した。ノルヴェルトのことも、大まかなことは分かった。材料が揃えば何てことねぇよ」
ぽんぽんと肩に手を置いて諭すように言うと、トミーがダンにしがみ付いた体を少しずつ離す。
ダンのことをじっと見上げるトミーは、
まるで『ダンがいる』ということを感じ入っている風な目をしていた。
そんな眼差しと視線を合わせると、ダンは表情をやや厳しいものにする。
「人の身を案じるのはいいが、まずはお前がしっかりしろ。ロエさんが心配するしネコもうるせぇ。パリスのことはもう気兼ねするな、お前が思ってるほどあいつは善人じゃねぇから大丈夫だ」
何がどう大丈夫なのか、聞いているトミーにはさっぱり分からなかった。
しかしダンがあまりにも自信たっぷりに言うので、自分が何故めそめそしていたのかが逆に分からなくなってくる。
パリスの様子がおかしいから泣いていたのか、自分が泣くからパリスが困っていたのか。
『お前が元に戻れば、みんなも元に戻る』と、ダンが言い聞かせるように言う。
不安で不安で、すがるような思いだったトミーは、ダンの甘くはないそれらの言葉で頭の中が徐々に冷静になっていくのを感じた。
そして、やや表情を引き締めてダンの顔をじっと見上げたまま小さく何度も頷く。
「……うん、分かった」
そう真剣に返すと、険しかったダンの表情が少しあきれたものになる。
「…お前は単純だからこういう時すげぇ扱い易くて助かる」
「うん。……ん?なんだそれ」
「あんまり何でも鵜呑みにするな、騙されるぞ」
「う、うるさいな!何だよこんな時にっ」
きぃと声を上げてトミーはダンの胸を突き飛ばした。
日頃の表情が戻ったトミーに満足したダンは、気の抜けた安堵の表情を浮かべそうになる自分を叱咤して表情を真剣なものにする。
不満そうではあるが微かに笑みを浮かべている彼女にすぐ尋ねた。
「で、信じんのか?あいつの話」
はっとしたようにトミーが固まった。
「あ…う………」
うめき声を漏らして視線を落とすと、何となく腕を擦りながら答える。
「分か…らない……本当にあんな、酷いことが実際にあったのか。私がソレリさんなのかどうかも」
下りたままの髪を片手でわしわしと混ぜるトミー。
困惑は見えるが表情に先程のような硬さはもうなかった。
「でもやっぱり、ノルヴェルトさん……嘘はついてないと思う。とっても傷付いてるし、すごく悲しい思いをしてきたんだと思う。で、でもだからってノルヴェルトさんがしていることが許されるとかじゃなくてっ。あ……あのね、さっき私ノルヴェルトさんに怒っちゃったけど、そんなことないと思うの!」
「聞いてるから落ち着いて喋れオイ。あー……『そんなことない』って?」
「えと、さっきはね、本当に話したいことは全然話せてなかったんだと思うの。みんなの前で話したこととは違う伝えたいことが、もっとたくさん聞いてほしいことがノルヴェルトさんにはあるの」
たどたどしい言葉で懸命に言うトミーの脳裏には、先日のノルヴェルトの涙が思い出されている。
「でもそれは、『ソレリ』に伝えたいことだろ」
反論というわけではなく、『一応言ってみる』というような調子でダンが言う。
しかしトミーは反論されたと受け取った様子で必死に言葉を返した。
「私がソレリさんかどうかは、とりあえずいいのっ。それよりも私、ノルヴェルトさんが話してくれたってことが大事に思える。それに人違いだから関係ないなんて私……もう言えないよ、ノルヴェルトさんは話してくれたんだもの。今までは誰もノルヴェルトさんのこと知らなかったかもしれないけど、私は知ったから。全部じゃないけど、でもノルヴェルトさんのこと知ってる人になったの私!だから、知ってるから、知ってるからできることをしたいの、できることを」
「 落 ち 着 け 」
「ヴぃっ」
どんどん捲くし立てるトミーの頭をダンは片手でがしりと掴んで黙らせた。
そして心底うんざりしたような顔をして天井を仰ぎ見ると、『めんどくせー…』と小さく小さく呟く。
「ダン、聞こえてる」
恨めしそうな声に視線を戻すと、上目遣いになったトミーがじっと見上げていた。
彼女の言葉をさらりと聞き流したダンは、頭を掴んだ手を放して再び腕組みをする。
怒涛の勢いで聞かされたトミーの考えに対してダンが自分の考えを返そうと口を開いたところで、トミーが更に自分の願いを口にした。
「お願い、ノルヴェルトさんと二人で話をさせて」
ぽかんと口を開けた状態でさすがにダンは目を丸くする。
口を硬く引き結び、ぐぐっと力を入れた強い眼差しで見上げてくるトミー。
そんな彼女の様子に、ダンは目頭を押さえて口の中でぶつぶつと文句を言うと、悩ましげな溜め息をついた。
「………お前は時たま、とんでもなく怖いもの知らずになるな。ある意味俺のせいなのかもしれねぇとか今ちょっと思った……」
「?なんで??」
「誰かに何かしてやりたいと思うとすぐに突っ走ろうとする、まったく誰に似たんだそういう部分は……」
「ねぇ、私もっとノルヴェルトさんの話が聞きたいんだ。私じゃ全然力不足かもしれないけどでも聞きたい………お願い」
懇願するトミーをダンは半眼になってじっと見下ろした。
完全に普段のお人好し突っ走りモードに戻っている彼女を眺めて、やはりあのまま落ち込ませておいた方が良かったのではと思ってしまう。
ダンは、お手上げだと言わんばかりに腕組みを解いて肩をすくめた。
「…あーぁ……まぁ、何にせよもう少しあの男が落ち着いてからだな」
そう言うと、トミーがほっとした顔をする。
そして彼女はいそいそと髪をまとめて、普段通り一つ結いにすると嬉しそうな笑みを浮かべた。
ふと、その笑顔を見たダンの表情が微かに曇った。
その僅かな気配を察したトミーはえっという顔をするが、ダンはすぐに背を向けてしまう。
「さて行くか、みんな気にしてるだろうしな」
「ダン、ダンあのっ」
やれやれと首を摩りながら扉に向かって歩くダンを、トミーが必死の声で呼び止める。
「………あ?どうした?」
ダンが振り返るとひどく不安げな顔をしたトミーが追いついてきて言う。
「大丈…夫?何か…無理してない?」
「なんだ急に」
「だ、だって……」
心配そうにじっと見上げてくるトミーをしばしの間しかめっ面で見下ろし、ダンは小さな溜め息をつくと口元に苦笑いを浮かべた。
「いや、お前の間の抜けた顔見たらどっと疲れがな」
「……はい?」
「行くぞ」
してやったりという顔をして扉に向かうダンにトミーは肩を怒らせた。
『真面目に聞いてるんだぞ!』と怒るが、『真面目に答えただろうが』と返される。
そんな言い合いをしながら部屋から出ると、移動先の部屋の前に立ってじっとこちらを見ていたノルヴェルトが背筋を伸ばしたのが見えた。
テーブルの上には数種の料理がいくつかの皿に分けられて並べられていた。
一種ではなく色々な木の実の入ったパンが綺麗に斜めに並べられ、一口サイズに切ってあるアップルパイからはふわりと甘い良い香りがしている。
鍋敷きの上に置かれている使い古された鍋には白身魚のシチュー。
有り合わせの野菜で作られたようなサラダには見慣れないドレッシングが和えられていた。
まとめて一品ずつ盛られていないのは、やはり大きな器が無いからなのだろう。
ダンとトミーが入ると、リオはすでにシチューの皿を抱えて片手にはパンを引っ掴み、頬を膨らませた彼女は顔の横幅が1.5倍になっている有様だった。
どんなにえぐい物を目撃した後だろうと、食欲不振とは無縁らしい。
テーブルの上を見て歓声を上げたトミーは、人数分のシチューをよそっているパリスの元に駆け寄る。
「うあ~美味しそうっ、私配りますね!」
「えっ、あ、うん、ありがとう」
ぎしっと動きを硬くするパリスをまったく気にする様子なく、トミーはシチューの皿二つを持ってローディとロエのところへ向かう。
椅子の上に本を積んだその上に腰掛けているロエは、トミーが近付くと心配そうな顔を上げる。
笑みを浮かべ、表情で『大丈夫です』と伝えるとトミーは明るい声で言う。
「すっごく美味しそうですよ、いただきましょうー」
「トミーさん…」
「きひっ、ダ~ン~随分早かったけどドコまでいったのじゃ?」
ロエの隣に座っているローディがにやにやしながらダンに問うが、ダンは料理を厳しい目付きで見つめたまま『聞こえねぇな』と吐き捨てるように言った。
元気になった様子のトミーにほっとした笑みを浮かべたロエは、次にダンのことをちらりと見ると寂しそうな顔をした。
戻ってもう一つの皿を手にしたトミーは、今度は部屋の隅に佇んでいるノルヴェルトの元に向かう。
「はい」
部屋の外や室内のいたるところに警戒の眼差しを刺していたノルヴェルトは、軽い足取りで歩み寄ってきたトミーを見るとあからさまにたじろいだ。
うっと硬直するノルヴェルトにトミーは尚も皿を差し出す。
「はいっ」
根負けしたのはノルヴェルトの方、おずおずと出した手に皿を渡された。
「ちゃんと『いただきます』を言ってから食べてくださいね」
特別笑みを見せることはしなかったが、トミーが普通に自分と接したことにノルヴェルトは呆然とした。
ぽかんとしているノルヴェルトにトミーが背を向けると、『面白くない』と顔に書いてあるリオが皿から直接シチューをすすっているのが目に留まる。
がっくりと肩を落として『リーオーさーーん』と困り果てた声を出した。
「お行儀悪いですよぉぉ」
「うっせぇわね、私はダニエルがムカつくのよっ!あー汚らわしい!」
「勘違いならいいんだがそれは俺のことか?」
「ほ・か・に・誰がいんのよ!」
「むしろダニエルが誰だ」
「あれぇ?スプーンは??」
テーブルの上を見回すトミーに『あ、今パールッシュドさんが』とロエが答える。
何か他に手伝えることがあるかもしれない、とトミーは部屋から廊下に顔を出した。
すると廊下の先にある部屋からパリスが丁度出てくる。
しかし出てきてすぐに、何かを思い出したようにすぐさま引き返して行ったのが見えた。
あそこだ、これで迷子にはならない。
トミーはたたっと部屋から出てパリスが戻っていった部屋へと向かった。
それを見たノルヴェルトは途端に血相を変え、皿を手短なところへ乱暴に置くとトミーの後を追う。
―――が、ダンが扉前でノルヴェルトの行く先を阻んだ。
「まぁ待てよ」
焦りと苛立ちの混じった顔をするエルヴァーンにじっと対峙するダン。
「きひっ……ダンいるぞ……これはいるぞぇ!」
ふと、ロエの隣に座ってパイを頬張りながら興奮冷めやらぬ声でローディが言う。
皆がその発言に疑問符を浮かべるが、ダンは構わずにノルヴェルトに言った。
「あんたが行くとろくなことにならないからな……」
ダンはノルヴェルトに『来なくていい』と視線で釘を刺し、落ち着いた歩調で部屋を出た。
「パリス……さ~ん?」
そーっと部屋の中を覗き込みながらトミーは呼びかけた。
ところが部屋には誰の姿もなく、しかもそこはキッチンですらなかった。
質素な柄のクロスがかけられたテーブルが中央に置かれている部屋で、その部屋の奥に半開きになった扉がある。
隙間から見える扉の先がどうやらキッチンのようで、パリスが食器を動かしている音が微かに聞こえた。
トミーは奥のキッチンへと向かって歩きながら、何となく手前の部屋の様子を眺める。
テーブルの端に畳まれた布巾が置かれていたので、もしかしたらこの部屋が普段の食卓なのかもしれないと思った。
結構広い家に住んでいるんだなとぼんやりと考えてから、やや表情を引き締める。
落ち込んで泣いてたって、パリスさんは笑ってはくれないんだ。
この間は『謝らないで』って言っていたけど、やっぱり謝らずにはいられないし……。
でもその前に、私、パリスさんに『ありがとう』って言ってないから。
扉に近付くと、足元に視線を落として半開きになっている扉を押した。
ゆっくりと扉が弧を描いて開かれていくのを見送るつもりだったのだが、扉は自分が押した力で予想できる以上の速さで開かれた。
「ぃわ!?」
驚いて視線を上げた瞬間、どんと何かに跳ね飛ばされる。
一方的に跳ねられたトミーが床に尻餅をつくと、それと一緒に大小様々な箱がばこばこといくつも床に落ちる。
トミーは床に転がる空箱達に肩を窄めつつ、その箱を持って出てきたパリスにぶつかったのだとすぐに察して顔を上げた。
驚きと尻餅をついた痛みに少々涙目になって見上げる。
トミーは絶句した。
目の前に立っていたのは、三つ網に結わいた黒髪を肩の前に垂らしたエルヴァーンの女性。
ワンピースの上にゆったりとしたカーディガンを羽織り、前にはエプロンを掛けている。
彼女は大層驚いた顔をしてトミーのことを見下ろして固まっていた。
目を見開いて言葉を失っている彼女を見上げるトミーも同じ顔をして硬直している。
すっと伸びた女性らしい眉とぱっちり開かれたまつ毛の長い目。
相手がパリスでなかったことに驚いたが、現れた彼女の艶やかさにも驚いた。
彼女は驚いた顔のままで唐突にトミーの腕を掴むと、床から引っこ抜く勢いでトミーを引っ張り起こした。
飛び上がるように立たされたトミーは、謝りの言葉と礼どちらを先に言おうか混乱した頭で考える。
しかしトミーがどちらかを言う前に、女性は何も言わないまま逃げるように奥へ駆けていってしまった。
取り残されたトミーはドキドキと高鳴る胸に手を当てて呆然と立ち尽くす。
「………え?今の…は…?」
パニック状態の頭で誰にでもなく問いつつ、足元に散らばった箱を見下ろす。
どうやらそれらは食器の箱のようだ。
あの料理を並べるために、しまっていた食器を出したのかもしれない。
わけが分からないままトミーはのろのろとそれらの箱を拾い集める。
すると、ぱたぱたと足音が奥から戻ってきた。
ぎくりとしてトミーが真っ直ぐに立ち上がると、先程の女性が戻ってくる。
しかし今度は彼女だけでなく、腕を引かれてのっぽのエルヴァーンもやって来た。
「ちょちょ、どうしたんで…す……」
言いながら連れてこられたパリスはトミーを見て言葉を切った。
最高に混乱状態のトミーは箱を抱き締めて困惑した目でパリスを見上げる。
女性はそんなトミーを示して、パリスのことを振り返る。
言葉は発さずとも、その様子から彼女が興奮していることが分かる。
何かを期待しているような眼差しをパリスとトミーへ交互に向ける彼女に、パリスは色々と諦めたような顔になって言った。
「………そーです、この子がトミーちゃんです」
「あ、あの、パリスさん」
観念したように肩を落としているパリスに、トミーは『この人は?』と目で問いかけた。
するとトミーの後方で扉がノックされる音が聞こえる。
はっとしてトミーが振り返ると、半眼になってこちらを眺めているダンが廊下に立っていた。
部屋にいる皆が手を止めて、ぽかんと一箇所に視線を集めている。
視線を浴びているのは当然、非常に複雑な表情を顔に貼り付けたパリス。
それと、つけていたエプロンを手に掛けて彼の隣に立っているもう一人のエルヴァーン。
俯き加減になり肩身が狭そうにして立っている彼女は心細そうな顔をしていた。
伏せがちになった目はぱたぱたと落ち着き無く瞬きし、右目にある泣きぼくろがまた色っぽい。
呆然としている皆を前にして緊張しているようだ。
パリスはそんな彼女のことを少々気にかけて、『ここは自分が』と自身を奮い立たせたようだ。
「えーと………紹介しますね?」
からからに干上がった声でパリスが皆に言う。
「僕の姉です」
「何よ、別に勿体つけるようなもんじゃないじゃない」
緊張した空気の満ちた部屋で皆がパリスの言葉を受け止めた中、リオが緊張して損したと言う口ぶりでそう呟いた。
ロエもほっとしたのか、お茶を飲んで自分を落ち着かせようとカップを手に取る。
その横でローディは口を開いたままじっとエルヴァーン美女を見つめていた。
ノルヴェルトはこの部屋にもある窓の横に立ち、外を警戒しつつ時々ちらりと横目に眺めるだけで大した関心は持っていないようだった。
さっさと食事を再開するリオを尻目に、トミーは緊張した顔のまま言う。
「あ、あわ、はじめまして!お邪魔してます」
何だか急に恥ずかしくなってきてトミーはかーっと赤くなった。
パリスはエルヴァーンの中でものっぽな方なので、姉とも程好い身長差がある。
それがとても絵になるので、さすがのトミーでも少し誤解をした。
俯き加減のまま視線を少し上げてちらりとトミーを見、エルヴァーンの彼女は小さく微笑む。
エルヴァーンにしてはやや肌が白く、女性でも何処かかっこ良さのあるすらっとした体。
もともとエルヴァーン族には美形が多いと思っていたが、黒髪の彼女からは豪華な美しさとは異なる上品な美を感じた。
姉弟でも髪の色が違うことはある、何も驚くことはない。
「お姉さんだったんですね、ビックリしちゃいました」
ははと笑ってトミーは隣に立っているダンのことを『ね?』と見上げる。
ダンはエルヴァーンの姉弟をじっと眺めて怪訝な顔をしていた。
そんな彼の様子に『ダン?』とトミーが首を傾げると、テーブルに肘を着いていたローディが片方の眉を吊り上げて言う。
「にゃーにゃー、言っていい?」
疑問符を浮かべた皆が彼に視線を集める。
「女体に見えないんだけど」
お茶に口をつけていたロエが慌てて口に手を添えた。
その発言に仰天したロエとトミーはローディに目を白黒させるが、いつもならすぐに投げられるダンの痛烈な言葉が飛ばないことにはっとする。
見上げると、ダンは変わらずパリス姉を見つめてとても微妙な顔をして眉根を寄せていた。
「え……えーとですね…」
見る見る首を窄めて小さくなる姉の横でパリスがどもる。
が、一つ深呼吸をすると、ヤケになったように言った。
「い、今は姉さんですけど、昔は兄さんでしたーみたいな☆」
リオがシチューを盛大に吹いた。
あとがき
石でも槍でも机でも投げたければ投げればいい。あー……これでまた一つ肩の荷が下りました。
ラストの衝撃の事実のせいで前半部分のこと全部忘れられそうですね、コレ。
ノルヴェルトが気付き、何気にいっぱいいっぱいだったダンも浄化され、やっっっっとトミーも元通りになりました。
っていうかそこのヒューム二人、恥ずかしいよ君達。(吐砂)
マジで、作者シカトしてドコまでいっちゃうのかと思った。(;´□`)
そしてまぁ最後の暴露についてですけれど……あぁあ、知ーらね。(←オイ)
ヴィヤーリット兄さんが例の『姉さん』だったわけですよ……。
うわぁ、もう、逃げろー☆(←待て作者)