それぞれの生き方
2007/10/20公開
極度の緊張で喉を絞められているような感覚だった。
固唾も上手く飲み込めない口で辛うじて問い掛け、それに対する答えをしっかりと聞く。
本当はそのことを聞く時、隣にいてほしい人がいた。
ぎゅっとしがみ付いていたかった。そうすれば、どんなことだろうときっと受け止め切れると思えたから。
でもそれは、望んではいけないことだと思ったから、その人ではなく衝撃の方を自ら呼んだ。
これまで話を聞いている間に大体は予想のついていたことだし―――大丈夫、大丈夫。
大丈夫。
「根拠は?」
ぎゅっと両手を握り締めていると、背後からダンの短い言葉が投げられる。
トミーはその声だけで泣き出しそうになる自分に驚いて、きゅっと唇を噛んだ。
「とても似ている。声や立ち姿は母親のスティユそのものだ。…生憎写真など証明できる品は持ち合わせていないが、間違いないと思っている」
予想通りのダンの反応に、ノルヴェルトは頑なな態度で言葉を返した。
先程よりも更に緊張感の高まった、『譲れない』という強い眼差し。
いきなり現れてこんなことを言っても信じられるわけがない。
そんなことは重々承知している。
だが、だからといって簡単に引き下がれることではないのだ。
「それであんた―――この子をその、あんた達の逃亡生活に引き戻そうってわけ?」
気が動転した声でぎこちなくリオが言うと、ノルヴェルトは即答する。
「そんなつもりはない。ただ、私はソレリの無事を知りたかった。そして知ってほしかった……」
何を、とは言えなかった。
不自然な言葉の切り方に皆が眉を寄せるが、ノルヴェルトはすぐに言葉を続ける。
見つめる先は両手剣を背負ったヒュームの戦士。
「『最後まで付き合え』と言ったな。そんなこと、言われるまでもない。心配するな。伝えるべきことを伝えたら……私が全て片付ける」
噛み締めるように紡がれたその言葉にリオは固唾を呑んだ。
彼が言うことの意味を考え、ロエも緊張した顔をする。
しかしそこで、隣にいるトミーが小さな声で何かを呟いた。
はっとしてロエが目を向けると、トミーはもう一度、今度ははっきりと言う。
「―――片付けるって、どうやって?」
泣いてばかりで腫れている目元が、再び赤く染まっている。
「あなた一人で?……また、人を殺すの?」
「どーでもいいわよあんたの都合なんて!」
ついにリオが癇癪を爆発させた。
「だったらさっさと言うこと言って消えてよ!!そもそも何でよ!?伝えるとかそんなんだったらこの子誘拐することないじゃない!しかもあんな、邪魔する奴は殺すって勢いでね!頭おかしいわよ!!引き戻す気はないとか言っといて、やっぱり親んとこに連れ戻そうとしたんじゃないの!?どこに隠れてんのよその親ぁ!勝手なことしようとしてんじゃねぇわよ!!!」
容赦のない言葉を浴びせられ、ノルヴェルトの顔に明らかな怒りが浮かぶ。
リオはぞっとして、それ以上言い続けることはしなかった。
ノルヴェルトは足元を睨みつけて握った拳をわななかせる。
目を閉じるとゆっくりと息を吐き、搾り出した声で小さく答えた。
「…………マキューシオ達のところへは………連れてはいけない…」
感情に震えた声に、ロエが恐る恐る問う。
「あ……会うことは望んでいないんですか?」
刺激しないように慎重に投げかけられる問いに、ノルヴェルトは黙ったまま首を横に振る。
「もう、いないんですよね」
私は『来るな』と拒まれたからだ。
そう言いかけたノルヴェルトよりも先に、トミーがはっきりと言った。
ロエとリオがトミーにえっという顔を向ける。ノルヴェルトも然り。
「変に隠すのはやめてください。………二人は死んでしまったんでしょう?」
真っすぐにそう問われ、ノルヴェルトは現実との衝突を強いられた。
頭の中が一気に真っ白になり、何も言えなくなる。
「とても辛い別れ方を……したんですよね?とても悲しい最期で、逝ってしまったんでしょう?あなた一人を残して」
「私一人じゃない、貴女がいます!」
ノルヴェルトは咄嗟に声を上げる。だがトミーは動じずに静かな口調で続ける。
「もし………もしも……その二人が……私の両親だったとして……」
リオが納得いかない声で『ちょっと!』とトミーの肩を小突く。
しかしトミーはぎゅっと手を握り締めて必死に続ける。
「ノ、ノルヴェルトさんが捜していたソレリさんが、私だったとしてっ。………でも、どうして人を傷付けるんですか?」
「な…」
「人を捜すことに、武器は必要なの?出会うためには人を斬らざるを得ないんですか?私と出会うためなら、人を傷付けることを躊躇わないなんて……おかしいです」
そのか細い指摘の言葉に、ノルヴェルトは言葉を失った。
外への警戒を残していたはずの彼は、完全に取り乱して思わず数歩進み出る。
「護るためには躊躇ってなどいられないんです!斬らなければ、殺さなければ奪われる!」
「人も獣人も同じ、まるで邪魔な草を刈るみたいに、あなたは……」
「奴らは雑草以下だ!獣人は罪も無い人間をたくさん殺した!女子供も容赦なく本能のままに!テュークロッス達も同じだ!自分のためなら無関係な人間も簡単に殺す!殺してるのは奴らだ!私は奪われたんです!!」
そう叫んだところで、ノルヴェルトはトミーの顔を見てはたと言葉を途切れさせた。
涙を溜めた、哀れみとも怒りともつかぬ強い眼差しでトミーが見つめ返している。
「ノルヴェルトさんが私に伝えたかったのは……憎しみなんですか?それを伝えるために、傷付きながらも生き延びて、私を捜していたの?」
愕然とノルヴェルトは立ち尽くした。
トミーは喉をしゃくり上げながらも、つっかえつっかえ懸命に言葉を続ける。
「お父さん、達が、ノルヴェルトさんに残したものは……憎しみと、その憎しみを…晴らす手段だけなんですか?そんなわけない……そんなの、悲し過ぎます……」
違う、そんなつもりじゃ。
言葉がノルヴェルトの喉に詰まった。
彼女が言う通り、自分が手にしているのは、凶器と消えることの無い憎悪の塊。
体に叩き込まれた『相手を動かなくする』技術と何も信じない心だ。
マキューシオは優しい師だったと言う。
みんなと過ごせて幸せだったと涙を流す。
しかしそれらの感情を形作っているものはやはり憎しみ。
―――彼らから教わったことは何だ?
フィルナードから伝えられたことは体が覚えていた。
だが、マキューシオからは何を?
彼がくれたのは大事に思う気持ちと尊ぶ眼差し―――そしてたくさんの言葉だ。
漆黒の師は全くくれなかった。フィルナードから与えられたのは“生き延びる”術。
では“生きる”術はどうした?優しい師が残そうとしてくれたものを自分は……?
「もう絶対に人を斬らないでください」
嵐のように荒れ狂っている思考を鎮めたのはトミーの声。
父親譲りの優しげな目が、『背を向けていたのは君の方だ』と言っている師のそれに見えた。
『何故自分だけが』と恨みを募らせてきたが、本当は―――――。
ノルヴェルトは仲間達と共に過ごしていた頃と同じ、自信のない顔になった。
「…で…でも」
―――――――ドガンッ!!!
耳を劈く衝撃音が室内に響く。リオは飛び上がり、ロエも小さな悲鳴を漏らしてトミーにしがみ付いた。
衝撃で家が揺れたように感じられた。
瞬時に背の鎌に手をやり、ノルヴェルトが驚いて目を向けた先は部屋の扉。
正確に言えば、扉の横に立っているヒュームの戦士、ダン。
「キターー☆」
ローディが待ってましたと言わんばかりの声を小さく上げる。
壁を力いっぱいぶっ叩いたダンの腕から、細かい鎧の破片が床にぱらぱらと落ちた。
彼は真っ直ぐにノルヴェルトを見据え、ゆっくりと足を踏み出す。
「話の…真偽をここで追求するつもりはない」
「けど、あんた……考えなかったのか?あんたが接触することで、こいつの普通の生活が奪われることになるってのは」
広い歩幅で歩み寄ってきたダンと対峙し、ノルヴェルトは必死に調子を取り戻す。
「だから言っているだろう、伝えたら私が全て終わらせると」
「もう十分だ!!!」
ダンはノルヴェルトの胸倉を乱暴に掴んで怒鳴った。
「その『伝える』までにこいつがどれだけ危険な目に遭ったかあんた分かってんのか!?俺達がいなくてもあんたはこいつを護れたか!?おい、護れたのかよ!!」
「やめ、ダンよしてっ」
慌てて立ち上がったトミーが、ノルヴェルトに掴みかかっているダンの腕にしがみ付いた。
おろおろと立ち上がったロエの横で、リオも『あんたがよしなさいよ!』とトミーに駆け寄る。
体格的に近付けずうろたえているロエを、不意にローディが抱き上げた。
驚いて見上げたロエはすぐにダンを止めてくれと頼むが、ローディはにやにや笑って『えー、面白いぢゃん』とのん気に眺めている。
周りの騒ぎように、ダンは舌打ちするとノルヴェルトを突き放した。
そして腕にしがみ付いているトミーを見下ろす。
どこか安堵のようなものが伺える彼女の様子に、ダンはやるせない気分になり口を引き結んだ。
――――と、その時。
離れた場所から耳慣れた生き物の鳴き声が微かに届いた。
空耳かもしれないが、ダンは瞬時に顔を上げる。
同じくはっとしたような表情で顔を上げたノルヴェルトと目が合った。
相手がノルヴェルトなのが非常に癪であったが、すぐさま鎌に手を伸ばして警戒の表情をするエルヴァーンを、さすがだと認めざるを得ない。
……チョコボ?
眉を潜めると、仲間達に静かにするよう口を開きかけたその瞬間。
後方で扉が開け放たれる音がして皆は一斉に振り返った。
しかしそこに人影はない。
やがて、部屋の外から声が聞こえる。
「凄い音がしたけど………僕んち壊さないでくださいよ~……?」
そう言いながら恐る恐る顔を覗かせたのは、数日前に飛び出すことの危険性をその身をもって学んだノッポのエルヴァーン、パリスだった。
なんだパリスか―――女性陣が安堵する中、ダンが問う。
「今、チョコボの鳴き声が聞こえたような気がするんだが」
「へ?チョコボ??……ん~?僕は気が付かなかったけど、ご近所の子じゃないですかね。僕ぁチョコボを自宅で飼えるほど裕福じゃないし甲斐性もないですよ」
半身を扉の向こう側に隠したまま、首を傾げながらパリス。
ダンが肩越しに振り返ると、ノルヴェルトが鋭い目付きで窓から外を窺っていた。
特に異変は見られないらしく、彼も怪訝な顔をしている。
トミー達もチョコボの声など聞こえなかったという顔で疑問符を浮かべていた。
自分一人なら気のせいかとも思えるが、半端にもう一人いるのでどうも落ち着かない。
「あのー、お食事の用意しましたけど……どうですか?少しでも何か食べた方がいいんじゃないかな」
別の部屋に用意をしたとパリスが言ったところで、リオが思い出したように腹部を押さえた。
突然の仕草にトミーとロエが心配そうな目を向けるが、トミーはふと、彼女と出会った時のことを思い出し、気の抜けた顔をする。
「ブランチ!ブランチだロエたん!!」
「え、あの」
嬉々とした声を上げるローディに困った顔をしてロエはダンを見る。
他の仲間達もじっと見上げ、ダンは溜め息をついて頷いた。
「毒入りじゃないでしょうね!?」
そう言いながら真っ先に扉に向かったのはリオ。
その後にロエを抱いたままのローディも鼻歌交じりに続く。
きょろきょろと皆を見回しているトミーの背中を、ダンが軽く押した。
不安げに振り返りつつも扉に向かうトミー。しかし先程人が死ぬところを目撃したばかりで食欲もなく、足取りは重い。
ダンは突っ立ったままじっと動かないノルヴェルトのことを肩越しに振り返る。両手剣をしっかりと背負い直し、自身も歩き出す。
何か言いた気な顔をしているノルヴェルトだが、ここは何も言わず、もう一度窓の外の様子を確認し、ダンの後に続いた。
三人が少し遅れて部屋から出ると、二つ先の部屋に用意がされているらしく、リオ達が入っていくのが見えた。
そこで不意に、とぼとぼと前を歩いているトミーの腕をダンが掴んで足を止めた。
突然のことにトミーとノルヴェルトの二人が目を見張る。
「ちょっと話がある」
「え」
有無を言わせず、ダンはトミーを連れて部屋の中に戻る。
どうすべきか咄嗟に判断しかねたノルヴェルトは、扉が閉められるのを呆然と見送った。
部屋にトミーを連れ戻して扉を閉めたダンは、腕を引いたまま部屋の中央まで進む。
それから呆気に取られた顔をして見上げているトミーを振り返って言った。
「十秒でいい。黙ってじっとしてろ」
何故そんなことを言うのかと思ったが、トミーがそれを問う前に答えが分かる。
………前にもこうしてダンに抱き締められたことがあった。
あの時はまるで子どもをあやすように抱き締めるダンの腕の中で、たくさん涙を流して泣いた。
でも今回は少し、あの時とは違う感じがした。
今は、自分を抱き締めて頭を垂れているこの男の方が『怖かった』と言っている気がした。
「………ゲートクリスタルくらい取っとけよ……バーカ」
叱る言葉にもいつもの迫力は無く、そんなくぐもった声が聞こえた。
その声でトミーは、自分がどれほど彼を心配させていたのかを知る。
いつも“びくともしない”ダンの姿しか見ていなかったので驚いた。
『ごめんなさい』と言おうと口を開くが、黙ってじっとしていろというダンの言葉を思い出す。
律儀に言い付けを守るトミーをしっかりと抱き締めて、ダンは切羽詰った自分が落ち着いていくのが自分でも分かった。
やがてダンは大きく溜め息をつき、ゆっくりと腕の力を緩める。
だが体を離そうとした彼に、トミーが腕を回してぎゅっと抱きついた。
「ダン………人が、また人が死んじゃった…」
そう言う声は泣き声ではなく、呆然とした声だった。
「私、みんなを、大変なことに巻き込んじゃった。リェンさんのことも心配だよ…すごく。どうしよう…どうすればこんなこと、終わらせられるのか…」
不意に、ぽんぽんと頭に手が置かれたのでトミーが顔を上げる。
見上げると、ダンがくたびれた顔をして見下ろしていた。
「お前一人で何でも考えようとすんな。むしろお前の頭じゃ無理だ」
何を言われているのか分からない顔で目をしばたかせているトミーに、苦笑いして続ける。
「まぁ何だ……もう安心しろ」
とはいうが、安心を得たのは自分の方だという自覚があるダンは、微妙に不服そうな表情になって視線を外す。
「ここまでくればもう、あとは解決していくだけだ。敵は知れた。お前とネコの迂闊さも思い出した。ノルヴェルトのことも、大まかなことは分かった。材料が揃えば何てことねぇよ」
肩に手を置いて諭すように言う。
トミーがしがみ付いた体を少しずつ離しながら、ダンのことをじっと見上げた。
まるで『ダンがいる』ことを噛みしめるような眼差し。
そんな眼差しと視線を合わせると、ダンはわざと表情を厳しいものにする。
「人の身を案じるのはいいが、まずはお前がしっかりしろ。ロエさんが心配するし、ネコもうるせぇ。パリスのことはもう気にするな。お前が思ってるほどあいつは善人じゃねぇから大丈夫だ」
何がどう大丈夫なのか、聞いているトミーにはさっぱり分からなかった。
しかしダンがあまりにも自信たっぷりに言うので、逆に自分が何故めそめそしていたのかが分からなくなってくる。
パリスの様子がおかしいから泣いていたのか。
自分が泣くからパリスが困っていたのか。
「お前が元に戻れば、みんなも元に戻る」
ダンが言い聞かせるように言う。
不安で不安で、すがるような思いだったトミーは、ダンの甘くはないそれらの言葉で徐々に冷静になっていくのを感じた。
そして表情を引き締め、ダンをじっと見上げたまま小さく何度も頷く。
「……うん、分かった」
そう真剣に返すと、険しかったダンの表情がわずかにあきれ顔に変わる。
「…お前は単純だからこういう時すげぇ扱い易くて助かる」
「うん。……ん?なんだそれ」
「あんまり何でも鵜呑みにするな。騙されるぞ」
「う、うるさいな!何だよこんな時にっ」
トミーはきぃと声を上げてダンの胸を突き飛ばした。
日頃の表情が戻った彼女に、ダンは気の抜けた安堵の表情を浮かべそうになるが、自分を叱咤して表情を真剣なものにする。
不満そうではあるが微かに笑みを浮かべている彼女に問いかけた。
「で、信じんのか?あいつの話」
はっとしてトミーが固まった。
「あ…う………」
うめき声を漏らして視線を落とすと、腕を擦りながら答える。
「分か…らない……本当にあんな、酷いことが実際にあったのか。私がソレリさんなのかどうかも」
下りたままの髪を片手でわしわしと混ぜるトミー。
困惑は見えるが、表情に先程のような硬さはなかった。
「でもやっぱり、ノルヴェルトさん……嘘はついてないと思う。とっても傷付いてるし、すごく悲しい思いをしてきたんだと思う。で、でもだからってノルヴェルトさんがしていることが許されるとかじゃなくてっ。あ……あのね、さっき私ノルヴェルトさんに怒っちゃったけど、そんなことないと思うの!」
「聞いてるから落ち着いて喋れオイ。あー……『そんなことない』って?」
「えと、さっきはね、本当に話したいことは全然話せてなかったんだと思うの。みんなの前で話したこととは違う伝えたいことが、もっとたくさん聞いてほしいことが、ノルヴェルトさんにはあるの」
たどたどしい言葉で懸命に言うトミーの脳裏に、先日のノルヴェルトの涙が蘇る。
「でもそれは、『ソレリ』に伝えたいことだろ」
反論というわけではなく、『一応言ってみる』という調子でダンが言う。
しかしトミーは反論されたと受け取った様子で必死に言葉を返した。
「私がソレリさんかどうかは、とりあえずいいの!それよりも私、ノルヴェルトさんが話してくれたってことが大事に思える。それに…人違いだから関係ないなんて私……もう言えないよ。ノルヴェルトさんは話してくれたんだもの。今までは誰もノルヴェルトさんのこと知らなかったかもしれないけど、私は知ったから。全部じゃないけど、でもノルヴェルトさんのこと知ってる人になったの!だから、知ってるからできることをしたいの!できることを」
「 落 ち 着 け 」
「ヴぃっ」
ダンがトミーの頭を片手でがしりと掴んで黙らせた。
そして心底うんざりしたような顔をして天井を仰ぎ見ると、『めんどくせー…』と小さく小さく呟く。
「ダン、聞こえてる」
恨めしそうな声に視線を戻すと、上目遣いになったトミーがじっと見上げていた。
彼女の言葉をさらりと聞き流し、ダンは手を放して再び腕組みをする。
ダンが自分の考えを返そうと口を開いたところで、トミーが更に自分の願いを口にした。
「お願い、ノルヴェルトさんと二人で話をさせて」
さすがにダンも目を丸くした。
口を硬く引き結び、ぐぐっと力を入れた強い眼差しで見上げてくるトミー。
そんな彼女の様子に、ダンは目頭を押さえて口の中でぶつぶつと文句を言うと溜め息をつく。
「………お前は時たま、とんでもなく怖いもの知らずになるな。ある意味、俺のせいなのかもしれねぇとか今ちょっと思った」
「?なんで??」
「誰かに何かしてやりたいと思うとすぐに突っ走ろうとする。まったく…誰に似たんだそういう部分は…」
「ねぇ、私もっとノルヴェルトさんの話が聞きたいんだ。私じゃ全然力不足かもしれないけど、でも聞きたい。……お願い」
懇願する彼女をダンは半眼でじっと見下ろした。
完全にいつものお人好し突っ走りモードに戻っている彼女を眺めて、やはりあのまま落ち込ませておいた方が良かったのではと思ってしまう。
お手上げだと言わんばかりに肩をすくめた。
「……あーぁ。まぁ、何にせよ、もう少しあの男が落ち着いてからだな」
その言葉に、トミーはほっとした顔をする。
そして彼女はいそいそと髪をまとめて、普段通り一つ結いにすると嬉しそうな笑みを浮かべた。
だが、その笑顔を見たダンの表情が微かに曇った。
その僅かな気配を察したトミーはえっという顔をしたが、ダンはすぐに背を向けてしまう。
「さて、行くか。みんな気にしてるだろうしな」
「ダン……ダンあのっ」
やれやれと首を摩りながら歩き出したダンを、トミーが必死の声で呼び止める。
「……あ?どうした」
ダンが振り返るとひどく不安げな顔をしたトミーが追いついてきて言う。
「大丈…夫?何か…無理してない?」
「なんだ急に」
「だ、だって……」
心配そうにじっと見上げてくるトミーをしかめっ面で見下ろし、ダンは小さな溜め息をついて苦笑いを浮かべた。
「いや、お前の間の抜けた顔見たらどっと疲れがな」
「……はい?」
「行くぞ」
してやったりという顔をして扉に向かうダンに、トミーは肩を怒らせた。
『真面目に聞いてるんだぞ!』と怒るが、『真面目に答えただろうが』と返される。
そんな言い合いをしながら部屋から出ると、移動先の部屋の前に立ってこちらを見ていたノルヴェルトが背筋を伸ばしたのが見えた。
テーブルの上には、いくつかの皿に分けられた料理が並んでいた。
一種類ではなく、さまざまな木の実が練り込まれたパンが綺麗に斜めに並べられ、一口サイズに切られたアップルパイからはふわりと甘い良い香りがしている。
鍋敷きの上に置かれた古びた鍋には白身魚のシチュー。
有り合わせの野菜で作られたサラダには、見慣れないドレッシングが和えられていた。
まとめて一品ずつ盛られていないのは、やはり大きな器が無いからなのだろう。
ダンとトミーが部屋に入ると、すでにリオはシチューの皿を抱え、片手にはパンを引っ掴み、頬をいっぱいに膨らませていた。
どんなにえぐい物を目撃した後だろうと、食欲不振とは無縁らしい。
テーブルの上を見て歓声を上げたトミーは、人数分のシチューをよそっているパリスの元に駆け寄る。
「うあ~美味しそうっ、私配りますね!」
「えっ、あ、うん、ありがとう」
ぎしっと動きを硬くするパリスをまったく気にする様子なく、トミーは皿二つを持ってローディとロエのところへ向かう。
椅子の上に本を積んだその上に腰掛けているロエは、トミーが近付くと心配そうな顔を上げる。
笑みを浮かべ、『大丈夫です』と表情で伝えたトミーは明るい声で言う。
「すっごく美味しそうですよ、いただきましょうー」
「トミーさん…」
「きひっ、ダ~ン~随分早かったけどドコまでいったのじゃ?」
ロエの隣でローディがにやにやしながらダンに問うが、ダンは料理を厳しい目付きで見つめたまま『聞こえねぇな』と吐き捨てるように言った。
ロエは元気になった様子のトミーにほっとした笑みを浮かべつつ、次にダンのことをちらりと見て、寂しそうな顔をした。
トミーはもう一つの皿を手に、今度は部屋の隅に佇んでいるノルヴェルトの元に向かう。
「はい」
部屋の外や室内に警戒の眼差しを刺していたノルヴェルトは、軽い足取りで歩み寄ってきたトミーを見ると、あからさまにたじろいだ。
うっと硬直するノルヴェルトに、トミーは尚も皿を差し出す。
「はいっ」
根負けしたのはノルヴェルトの方だった。おずおずと出した手に皿を渡される。
「ちゃんと『いただきます』を言ってから食べてくださいね」
特に笑みを見せることはしなかったが、トミーが普通に自分と接したことに、ノルヴェルトは呆然とした。
ぽかんとしているノルヴェルトにトミーが背を向けると、『面白くない』と顔に書いてあるリオが皿から直接シチューをすすっているのが目に留まる。
がっくりと肩を落としたトミーは困り果てた声を出す。
「リーオーさーーん!お行儀悪いですよぉぉ」
「うっせぇわね!私はダニエルがムカつくのよっ!あー汚らわしい!」
「勘違いならいいんだが、それは俺のことか?」
「ほ・か・に・誰がいんのよ!」
「むしろダニエルが誰だ」
「あれぇ?スプーンは??」
テーブルの上を見回すトミーに、『今パールッシュドさんが』とロエが答える。
何か他に手伝えることがあるかもしれない。トミーは廊下に顔を出した。
すると、丁度廊下の先にある部屋からパリスが出てくる。
しかし出てきてすぐに、何かを思い出したようにすぐさま引き返して行ったのが見えた。
あそこだ、これで迷子にはならない。
トミーはたたっと部屋から出ると、パリスが戻っていった部屋へと向かった。
それを見たノルヴェルトが血相を変え、皿を手短なところへ置くとトミーの後を追う。
だが、ノルヴェルトの行く先を扉前でダンが阻んだ。
「まぁ待てよ」
ダンは焦りと苛立ちの混じった顔をするエルヴァーンにじっと対峙する。
「きひっ……ダンいるぞ、これはいるぞぇ!」
ロエの隣でパイを頬張りながら興奮冷めやらぬ声でローディが言う。
その発言に皆が疑問符を浮かべるが、ダンは構わずにノルヴェルトに言った。
「あんたが行くと、ろくなことにならないからな」
ダンはノルヴェルトに『来なくていい』と視線で釘を刺し、落ち着いた歩調で部屋を出た。
「パリス……さ~ん?」
そーっと部屋の中を覗き込みながらトミーは呼びかけた。
部屋には誰の姿もなく、しかもそこはキッチンですらなかった。
質素な柄のクロスがかけられたテーブルが部屋の中央に置かれている。その部屋の奥に半開きになった扉がある。
扉の隙間から見える先がどうやらキッチンのようで、パリスが食器を扱う音が微かに聞こえた。
トミーは奥のキッチンへと向かって歩きながら、何となく手前の部屋の様子を眺める。
テーブルの端に畳まれた布巾が置かれていたので、もしかしたらこの部屋が普段の食卓なのかもしれないと思った。
結構広い家に住んでいるんだなとぼんやりと考えてから、やや表情を引き締める。
落ち込んで泣いてたって、パリスさんは笑ってはくれないんだ。
この間は『謝らないで』って言っていたけど、やっぱり謝らずにはいられないし……。
でもその前に、私、パリスさんに『ありがとう』って言ってないから。
扉に近付き、足元に視線を落としたまま半開きになっている扉を押した。
ゆっくりと扉が弧を描いて開かれていくのを見送るつもりだった―――だが、扉は予想以上の速さで開かれた。
「ぃわ!?」
驚いて視線を上げた瞬間、どんと跳ね飛ばされる。
一方的に跳ねられ床に尻餅をつくと、いくつもの大小様々な箱がばこばこと床に落ちる。
床に転がる空箱達に肩を窄めつつ、箱を持って出てきたパリスにぶつかったのだと察して顔を上げ―――トミーは絶句した。
目の前に立っていたのは、三つ網に結わいた黒髪を肩の前に垂らしたエルヴァーンの女性。
ワンピースの上にゆったりとしたカーディガンを羽織り、前にはエプロンを掛けている。
彼女は大層驚いた顔をして固まっていた。
言葉を失っている彼女を見上げるトミーも、同じ顔をして硬直している。
すっと伸びた女性らしい眉と、ぱっちり開かれたまつ毛の長い目。
相手がパリスでなかったことに驚いたが、現れた彼女の艶やかさにも驚いた。
彼女は驚いた顔のまま、唐突にトミーの腕を掴むと床から引っこ抜く勢いで引っ張り起こした。
飛び上がるように立たされたトミーは、謝りの言葉と礼どちらを先に言おうか混乱した頭で考える。
しかし、女性はすぐさま逃げるように奥へ駆けていってしまった。
取り残されたトミーはドキドキと高鳴る胸に手を当てて呆然と立ち尽くす。
「………え?今の…は…?」
パニック状態で誰にでもなく問いつつ、足元に散らばった箱を見下ろす。
どうやらそれらは食器の箱のようだ。
あの料理を並べるために、しまっていた食器を出したのかもしれない。
わけが分からないまま、のろのろとそれらの箱を拾い集めるトミー。
すると―――ぱたぱたと足音が奥から戻ってきた。
ぎくりとしてトミーが真っ直ぐに立ち上がると、先程の女性が戻ってくる。
しかし今度は彼女だけでなく、腕を引かれてのっぽのエルヴァーンもやって来た。
「ちょちょ、どうしたんで…す……」
言いながら連れてこられたパリスは、トミーを見て言葉を切った。
最高に混乱状態のトミーは、箱を抱き締めて困惑した目でパリスを見上げる。
女性はそんなトミーを示して、パリスのことを振り返る。
言葉は発さずとも、その様子から彼女が興奮していることが分かる。
何かを期待しているような眼差しをパリスとトミーへ交互に向ける彼女に、パリスは色々と諦めたような顔になって言った。
「………そーです、この子がトミーちゃんです」
「あ、あの、パリスさん」
観念したように肩を落としているパリスに、『この人は?』と目で問いかけた。
すると、トミーの後方で扉がノックされる音が聞こえる。
はっとして振り返ると、半眼になってこちらを眺めているダンが立っていた。
部屋にいる皆が手を止め、ぽかんと一箇所に視線を集めている。
視線を浴びているのは当然、非常に複雑な表情を顔に貼り付けたパリス。
それと―――エプロンを手に掛けて彼の隣に立っている、もう一人のエルヴァーン。
肩身が狭そうに俯いて立っている彼女は心細そうな顔をしていた。
伏せがちになった目はぱたぱたと落ち着き無く瞬きし、右目にある泣きぼくろがまた色っぽい。
呆然としている皆を前にして緊張しているようだ。
パリスはそんな彼女のことを気にかけて、ここは自分がと自身を奮い立たせたようだ。
「えーと………紹介しますね?」
からからに干上がった声でパリスが皆に言う。
「僕の姉です」
「何よ、別に勿体つけるようなもんじゃないじゃない」
リオが緊張して損したと言う口ぶりでそう呟いた。
ロエもほっとしたのか、お茶を飲んで自分を落ち着かせようとカップを手に取る。
その横でローディは口を開いたまま、じっとエルヴァーン美女を見つめていた。
ノルヴェルトは窓の横に立って外を警戒しつつ、時々ちらりと横目に眺めるだけで大した関心は持っていないようだった。
さっさと食事を再開するリオを尻目に、トミーは緊張した顔のまま言う。
「あ、あわ、はじめまして!お邪魔してます」
トミーは何だか急に恥ずかしくなって赤面した。
パリスはエルヴァーンの中でものっぽな方なので、姉とも程好い身長差がある。
それがとても絵になるので、さすがのトミーでも少し誤解をした。
視線を上げてちらりとトミーを見て、エルヴァーンの彼女は小さく微笑む。
エルヴァーンにしてはやや肌が白く、女性でも何処かかっこ良さのあるすらっとした体。
もともとエルヴァーン族には美形が多いと思っていたが、黒髪の彼女からは豪華な美しさとは異なる上品な美を感じた。
姉弟でも髪の色が違うことはある。何も驚くことはない。
「お姉さんだったんですね!ビックリしちゃいました」
ははと笑ってトミーは隣に立っているダンのことを『ね?』と見上げる。
ダンはエルヴァーンの姉弟をじっと眺めて怪訝な顔をしていた。
そんな彼の様子にトミーが首を傾げると、テーブルに肘を着いていたローディが片方の眉を吊り上げて言う。
「にゃーにゃー、言っていい?」
疑問符を浮かべた皆が彼に視線を集める。
「女体に見えないんだけど」
お茶に口をつけていたロエが慌てて口を押さえた。
そして、いつもなら即投げられるダンの痛烈な言葉が飛ばないことに、はっとする。
見上げると、ダンは変わらずパリス姉を見つめてとても微妙な顔をしていた。
「え……えーとですね…」
見る見る首を窄めて小さくなる姉の横でパリスがどもる。
しかし、一つ深呼吸をすると、ヤケになったように言った。
「い、今は姉さんですけど、昔は兄さんでしたーみたいな☆」
リオがシチューを盛大に吹いた。
あとがき
石でも槍でも机でも投げたければ投げればいい。あー…これでまた一つ、肩の荷が下りました。
ラストの衝撃の事実のせいで前半部分のこと全部忘れられそうですね、コレ。
ノルヴェルトが気付き、何気にいっぱいいっぱいだったダンも浄化され、やっっっっとトミーも元通りになりました。
っていうかそこのヒューム二人、恥ずかしいよ君達。(吐砂)
マジで、作者シカトしてドコまでいっちゃうのかと思った。(;´□`)
そしてまぁ最後の暴露についてですけれど……あぁあ、知ーらね。
ヴィヤーリット兄さんが例の『姉さん』だったわけですよ……。
うわぁ、もう、逃げろー☆←待て作者