強敵
2007/09/24公開
パリスが『僕んち』と言ったその家に入った頃にはほとんど雨は上がっていた。
しかし、ここにくるまでの間に充分降られた一行はすでに全身ずぶ濡れで、床に雨を滴らせている体を見下ろして居たたまれなそうに玄関に突っ立っている。
薄暗い玄関ホールは広く、曇り空が反射させている白い光が窓から緩く差し込んでいた。
とても、静かだ。
「ちょっとここで待ってて」
皆にそう言うパリスはやはり誰の顔も見ていなかった。
急ぎ足で家の奥へと入っていくエルヴァーンの青年の背中を皆は黙って見送る。
玄関に置き去りにされた面々は家の中の静けさに合わせて無言のままだった。
ロエは顔に張り付く濡れた髪を避け、自分から零れていく雫を見て慌ててポーチの中をあさっている。
その隣りでリオは顔を振ってびちびちと水を撒き散らすと、道着の裾を握って盛大に水を落とした。
気ままなリオの行いにあっという顔をするトミーだが、寒さを感じ始めた自分の体をきゅっと抱いただけで結局何も言えなかった。
ノルヴェルトは自分の有様には全く関心がない様子で、玄関の横にある窓からじっと外を睨みつけている。
同じく濡れた体などどうでもいいらしいローディは瞬きをしない目でじっと屋内を眺めていた。
ダンは一行の様子を一通り眺めて溜め息をつき、濡れて下がった髪をうざったそうに乱暴に掻き上げて家の中を見回した。
広い玄関ホールを中心に部屋が展開しているらしい、各方面に一つずつ廊下か扉があった。
一番奥の廊下へとパリスは入っていったが、その先に何があるかは分からない。
自分の家だと彼は言ったが他の住人はいないのだろうか、全く人の気配がしない。
「ごめん、みんな、ちょ……数がなくてっ」
せかせかした様子で奥の廊下からパリスが戻ってきた。
その腕には数枚のタオルを引っ掛けている、彼が言うように明らかに数が足らなそうだ。
タオルをリオとトミーとロエにささっと渡すとパリスはまたすぐに踵を返す。
「おい」
軽くパニック状態に陥っているようなパリスにダンが声をかけるが、パリスは『待って、待って』と逃げるように、今度は別のドアの先へと駆けていった。
『落ち着け』と言いたくて仕方ないが、予定していなかった客を自宅に招いた時は誰でもああなるものかと諦めの溜め息をつく。
そして、渡されたタオルをおずおずと言葉無く男性三人に勧めているトミーに気付き、ダンはしかめっ面をすると差し出されているタオルを取ってやや強引にばさりと彼女の頭に被せた。
「こっちに……っ」
いきなり玄関向かい側のドアが開いた。
ドアを開けてそう言うとすぐに引っ込んでしまったパリスに眉を寄せつつ、一行はゆっくりと呼ばれた部屋へ移動する。
その部屋に入って見ると文机と二脚の椅子、床には大きなカーペットが敷かれており、壁に備え付けられた火がついたばかりの暖炉の前でパリスが追加のタオルを持って待っていた。
そろそろ言いたいことが口に上がってきた面々がじっとパリスを見るが、タオルをまとめてダンに押し付けると各自口を開いた仲間達の声を封じるように言う。
「ちょっとここで待っててください!」
『待っててくれ!』よりも『何も言わないでくれ!』というメッセージの強い声。
皆の視線から逃げたくて堪らないという様子のパリスは、誰とも目を合わせられないまま再び行ってしまう。
一人できゃーきゃーしているパリスを呆然と見送った一行はしばらく立ち尽くしたままだった。
そしてそれっきり、ぱったりとパリスが戻ってこなくなった。
女性三人は暖炉の前で身を寄せ合ってじっとしている。
結わいていた髪を解いたローディは妙に色っぽい仕草で髪を拭いた後、式典準備室の時と同じように好奇心の目を輝かせて部屋の中を歩き回っていた。
ぶつぶつと口の中で何かを言いながら家具の少ない部屋の壁際を歩き、時折不意に立ち止まっては壁をコツコツと叩いてみたりしている。
落ち着かない彼の行動に苛々しながら、ダンはドアの横に立っていた。
ノルヴェルトはダンの向かい側の壁に寄りかかって立っている。
彼はタオルを手にすることなく濡れたままで、カーテンの引かれている窓から外の様子を窺ってやはりじっとしていた。
今のところ彼の敵意は外に向いているようだ、とダンは観察する。
今は流れでこんな状態になっているが、決して、ダンの中のノルヴェルトに対する感情が治まったわけではない。
笑顔を忘れたヒュームの娘があんな姿になって暖炉の前で膝を抱えている。
それだけでダンの堪忍袋はただの糸くずと化すのだ。
ノルヴェルトとトミーを交互に見ている内にじわじわと体が熱を帯び始めたことに気付き、ダンは握り締めていた手の力を抜いて小さく舌打ちすると腕組みした。
ざわめく己を叱咤してダンが明後日の方向へ視線を流すと、その先に時計があった。
パリスが逃げるように出て行ってから、かれこれ三十分近く経っていた。
「ここだって安全じゃないんじゃないの?」
不意に疲れ果てたような重たい声が聞こえた。
トミーの横に座って暖炉をじっと見つめているリオの声。
ダンはそんなリオの横顔に目をしばたかせると『お前の言いたいことは分かってる』と言いた気な溜め息をついた。
しかしそこでふと、ダンは先程廃墟で自分達に『早く』と言った時のパリスの顔を思い出す……。
ダンは胸中頭を振って雑念を振り払い、扉横の壁に寄りかかると眉間にしわを寄せて目を閉じた。
そしておもむろに口を開く。
「あいつの無事な姿見て少しは元気になるかと思ったが……」
疑問符を浮かべた女性三人の顔が一斉にダンに向けられた。
「どうした、何かあったか?」
その問いは膝を抱えて蹲っているトミーに向けられたもの。
塞ぎ込んでいたトミーの目が徐々に開かれ、とても何が言いたそうに微かに口が動く。
「な……あったじゃない!!あいつ一回あたし達のこと見捨てたのよ!?」
予想はしていたが、言葉を返したのはトミーではなくリオだった。
『信用できるわけないじゃない!』と言うリオの発言に、トミーは傷付いたような顔をして口を引き結ぶとまた俯いてしまう。
「でも、結局あいつは来た」
肩をすくめたダンがしれっとして言葉を返すと、俯いてしまったトミーが少しだけ顔を上げた。
「お前らがあの部屋から出られたのはあいつらが来てくれたからだろ」
ダンはそこまで言って、不服そうではあるが返す言葉がないリオのしかめっ面からノルヴェルトへ視線を上げる。
「あんたも忘れないでくれ。あんたが人を信用できないのは勝手だが、実際あいつが加勢したからあんたは命拾いしたんだろ。今のあんたがいるのにはあいつが一役買ってるってこと、そこんとこは分かっといてほしいもんだな」
その言葉を受けたノルヴェルトは意識を窓の外に向けている体勢を改めてダンに向き直った。
そしてじっとダンを見据えるが、完全に意識を向けているわけではなく、やはり多少外に意識を向けたままにしている風に見えた。
まただんまりを決め込むかと思っていたが、ここまできてようやくノルヴェルトは会話する意思を見せる。
「………あの男を信用できる証拠がない」
「違うな。あいつに無いんじゃない。あんたにあいつを信用する気がないんだ」
即座に言葉を返したダンにノルヴェルトは一瞬言葉を失うが、眉をしかめて一歩進み出る。
「何故…私があの男を信用しなければならない?私は」
「自分は誰も信じないで自分だけは信じてもらおうってのか。あんたの行動でうちのがどれだけ傷付いてるか分からねぇのかよ」
ダンが『うちの』と言って視線で示したのは当然トミーのこと。
「あんたがそんなこと言ってる限り、俺達はこいつをあんたには渡さねぇよ。それにこいつもあんたのことなんて信じねぇ、邪魔だっつってあんたが俺達を払い除けたって無駄だ。まぁ……それはもう経験済みのことだろうけどな」
肩をすくめてみせるダンのことを全員がじっと見つめていた。
女性三人は真っ直ぐな眼差しで、ローディは何故かにやけた顔で。
そしてノルヴェルトは何とも言えない顔をしてぐっと口を結んでいた。
確かにダンが言うことはもっともだ……と、ノルヴェルト自身も思う。
自分のしたことは賢明ではなかったと、今朝方の耳を塞ぐトミーの姿でたっぷりと痛感した。
しかし、ノルヴェルトは道理で片付けられないものを背負っている。
油断すれば命を狙われ、躊躇えば殺されるという日々を生き抜いてきた。
今のままでは何も前進しないというダンの言葉は理解できる。
だが、だからといって心身に染み付いた生き延びる術をそう容易く手放すことなどできない。
やっと見つけた捜し人。
彼女が孤独で、周りに何者もいなければ良かったのに。
そんなどうしようもないことを嘆いてしまいたくなるが、ノルヴェルトは内心頭を振る。
捜し人が孤独ではなかったのは喜ばしいこと。
しかしそれを素直に喜んでやれない自分がいることに胸が苦しくて堪らない。
頭の中で思考がもつれ始めるがノルヴェルトは思い切ってそれらをすべて振り払った。
「貴様は信じるのか」
どこか恨めしそうな目付きになってノルヴェルトはダンに問う。
「もうやめて」
そこで、トミーの搾り出したような声が男二人の会話を遮った。
皆が視線を集めた先では、蹲ったトミーが頭を抱えている。
「どうしてみんながパリスさんのことを信じる信じない言ってるのか分からないよ。違うよみんな……違うよ。パリスさんはもう危ない目に遭いたくないだけなんだ。パリスさんは何も悪いことしてないよ、パリスさんは悪くない。私のせいで大変な目に遭わせちゃったから、迷惑で……困ってるの。でもパリスさんは優しいから……無理してまた助けに来てくれちゃったんだ…。もう、もうほっといちゃえばいいのに」
「おい」
震える声で捲くし立てるトミーを今度はダンが遮った。
「あいつがそれを聞いたら大層ガッカリするとは思わないか?」
やや声のトーンを低くして言うダンに、トミーは『だって!』と顔を上げる。
「…だって……………パリスさ…………私のこと避けてるもん…」
「トミーさん…」
「どうしよう、もうパリスさん…前みたいに笑ってくれない…っ」
ぎゅっと小さく蹲っている娘の背中に手を添え、ロエはやがてトミーを抱きしめた。
そんな彼女達をじっと見下ろしてダンは『なるほどそういうわけか』と理解する。
トミーが落ち込んでいる理由は分かったが、謎が解けたからといって気分が晴れるわけがない。
自分が険悪な形相をしていると自覚しつつも、ダンはノルヴェルトに目を向けた。
あちらは一体どんな顔をしているかと思ったのだが、ノルヴェルトは複雑な顔をしてトミーのことを見つめていた。
まるで何かを痛めているような顔で。
今までは見えなかったトミーに対する申し訳なく思う気持ちが微かに見て取れ、それは本来称すべき前進的な彼の姿だったが、ダンはそれを歓迎する気にはなれなかった。
今はただひたすらに思っているだけだ、『近付くんじゃねぇ』と。
――――コンコン。
そこで部屋の扉が軽くノックされて、視線を落としていた皆は一斉に顔を上げた。
ノックが聞こえた扉に目を向けるとゆっくりと扉が開いて、まずパリスの声が入ってくる。
「や~ごめんね時間掛かっちゃった。滅多にお客さん呼ばないから準備が悪くてねぇ」
声に続いて入室してきたパリスは大きなトレーを持っていた。
トレーの上にはデザインにまったく統一感の無いお茶の入ったカップが人数分。
彼が言うように、見るからに家にあるカップをかき集めて使用したような有様だった。
ちらりとダンは時計を横目に見る――――確かに、この人数分だと言ったってお茶を淹れるのにいくらなんでも時間が掛かり過ぎている。
文机にトレーを置いて手際よく女性陣からお茶を配るパリスをじっと見つめた。
今の話……聞いてたか?
視線で問うたが、パリスはダンのその眼差しに気付かないようだった。
「体冷えちゃうよね、シャワーを使わせてあげたいところだけど……」
『今はそれどころじゃない、かな?』と誰に言うわけでもなく独り言のようにパリス。
今の会話の影響で室内はパリスに対して後ろめたい空気になっている。
パリスはその空気を察しているのか、ひどく動きにくそうにカップを配っていた。
疑心なんて面倒なものはさっさと取っ払わないとやり辛くてしょうがない。
肩を上下させる溜め息をつくとダンは決断して口を開いた。
「ここはお前んちだっつったが、他には誰もいないのか?」
直球ど真ん中の問い掛けにロエとローディが目を見張った。
二人はパリスに関する噂を知っている、パリスには勘当の原因となった同棲者がいるという噂だ。
ノルヴェルトとローディの近くにそれぞれカップを置き去って、パリスは残りの二つのカップを手に取りながら答える。
「僕んちと言っても実家じゃないからねぇ」
口には出さなかったが、ダンに歩み寄ってカップを差し出したパリスは『知ってるでしょ?』という顔をしていた。
自分の勘当話がそこそこ知れ渡っていることをパリスも十分承知しているからだ。
そう、知っている。だからこそこうして尋ねているのだが。
「他には、いないんだな?」
カップを受け取りながら念を押すように確認するダンに、パリスは肩をすくめて肯定の意を示した。
“居るに一票!むしろキボンヌ☆”
いきなり頭の中に直接ローディの声が入ってきてダンは顔をしかめた。
目を爛々とさせてパリスを見つめているローディをじろりと睨んで『黙れ』と視線で言う。
「もしも追っ手さん達に僕の素性がバレても、辿れるのはせいぜい僕の実家までさ。実家の方々はもちろん…誰も、僕んちが何処か知らないからね。ご近所の貴族さん達はここのことなんて目に入ってないし……心配しなくていいよ」
肩にかけていたタオルで髪を拭きながら、パリスは心なしか少し寂しそうな顔をして言った。
そして『ですから男性陣も座りましょ~よ、疲れてません?』と言いながらダンに背を向ける。
パリスのことを疑って言っているわけじゃない、ただ皆の安心の為に。
ダンはそんな歯痒い思いでパリスの背中を見つめたが、口に出して弁解することはしなかった。
そんなことをしても皆の不信感を煽るだけだし、パリスとの間にできたわけの分からない溝もきっと深まる。
とりあえずは、不信だらけの城から脱出してこの部屋に身を隠し、暖を提供されてようやく人心地付いた。
そろそろ各自の頭が正常に働き始める頃だろう。
それは逆に、皆の意思にバラつきが出始める時でもある。
ダンは消沈しているトミーのことがやや気がかりではあったが、逃してはいけないタイミングというのを知っているので、話を切り出す口を開いた。
「……じゃあ、ここらでおさらいといこうか」
近くの棚の上にカップを置き、自分に視線を集めている面々を順に眺める。
本当は少し時間を取ってトミーを落ち着かせてやりたいところだが、まったく状況が分からないままでは落ち着くも何もないだろうから仕方がない。
自分の欲求も一緒に後回しにすることにして、ダンは話を始めるのだった。
「とにかく全員無事で何よりだ、今回特別に協力してもらった人間には礼を言う」
ローディのことはスルーし、今はこの場にいないリェンのことを指して言っている。
腕組みをしながらノルヴェルトに目を向けて言葉を続けた。
「そんであんたは、ようこそ俺達のパーティへ。……いや……『お招きありがとう』と言うべきか?」
思わず嫌味っぽい言葉までずるずると出てしまう。
口を引き結んでじっと見つめ返してくるノルヴェルトから視線を外し、穏やかでない胸の内を鎮めるためダンは自制の小さな溜め息をついた。
「………あんたが連れてきた誇り高き気違い連中、あいつらを指揮ってんのはテュークロッスって男だな?」
酷い言い草のその一言を聞いてノルヴェルトはぴくりと眉を動かした。
その彼の反応を見た後、耳慣れない人物名に疑問符を浮かべている女性陣、ソファーの肘掛け部分に腰を下ろしてじっと聞いているパリス、不敵の笑みを浮かべてくるくると髪を指に巻き付けているローディの順にダンは眺める。
「俺達をだしに使ってそこの変態が掴んできた情報だ」
「きひっ!解説してあげようかぇ!?」
怪訝な顔をしている女性達に嬉々として言うローディにダンは半眼になる。
「するなら普通の言語でしろ、とりあえず」
「にゃ?そんなことしたら読んでる奴が俺様の発言だって見て分からなくなるぞぃ!?」
「意味が分からねぇが早くしろメンドくせぇ」
凄みのある声で言われてローディは声高に笑うと、乾いていない髪を一気に掻き揚げてオールバックにし、急に表情を引き締めた。
「んんっ………わたくしが王立騎士団に情報を漏らしましたところ、真っ先に動いたのはかの氏でした。テュークロッス・B・ゼリオン、サンドリア王国の騎士団で三番目に力を持つ貴冑騎士団の団長。又、氏は将軍の称号を王国より授かっております。頭角を現したのが戦後ということもあり、これと言って派手な功績はございませんが、王国内ではなかなか人気のある男のようです。
まぁ……わたくしは氏には特段見所を感じませんでしたのでこれまで眼中にございませんでしたが。
この度の件で先頭に立っていたのは氏の忠臣であるジェラルディンという男でしょう。
ジェラルディンを筆頭に数名の部下が氏の指揮の下に動いていると考えられます。…………簡単ですが、これでよろしいですか旦那様?」
「誰が旦那様だ」
「ねぇ主従って萌えない?!」
「黙れ」
ぴしゃりとローディの妄想シャウトを打ち消してダンはさっさと話を進めた。
「これまでサンドリアの騎士とはちょくちょく絡んできたが、そいつのことは知らなかったぜ。冒険者とつるんでるのは大体王立と神殿の両騎士団だしな。騎士の間じゃ知られてるんだろうが冒険者の間では耳慣れない存在だな」
とは言っても、サンドリアで生まれ育ったなら知らないことはないのでは?
言ってふと思った。
それに該当するパリスを見ると、彼は両手で持ったカップをじっと見下ろしていた。
聞いたことがあるのならここでペラペラと喋りそうなものだが、そのパリスの様子からは何も読み取れない。
今は彼に話を振ってみるべきじゃないと思えたので、結局ダンは彼に対し何も言わなかった。
パリスからノルヴェルトに視線を移す。
「まぁあんたの行いを見てる限りじゃ、騎士団があんたに熱上げてたって何の不思議もねぇ。どんなに贔屓目に見てもあんたは殺しをしてる罪人だからな、あんたを追うのは騎士の務めだろうよ」
そう言うと、トミーとロエが視線を落とし、それに反比例するようにリオが顔を上げた。
リオは真っ先に結論に達したような顔をしていた、『自分達は巻き込まれた』という顔だ。
罪人と騎士団の追いかけっこに何故無関係の自分達が巻き込まれなければいけないのか。
一気に爆発寸前の不満顔になったリオを制するようにダンは言葉を投げた。
「ただ、少しばかり疑問な点がある」
歯噛みしてノルヴェルトを睨んでいたリオがキッとダンを振り返る。
リオだけでなく、その一言で皆がダンに視線を集めた。
注目の的になったダンはじっとノルヴェルトを見据えて問う。
「……あんた…………一体何の罪で追われてる?」
「だ・か・ら!殺しでしょ!?今更何言ってんのよ!!!」
苛立ちを露にしてヒステリックな声をリオが上げた。
「少なくとも俺が見た殺しは罪の『始まり』ではなさそうだったな。言うなら『延長』ってとこか?相手はテュークロッスからの追っ手だろ」
腕組みをしたまま首を傾けて淡々と述べるダンの言葉に、ノルヴェルトは動揺を覚えていた。
長年追われ続けてきたが、罪を尋ねられたのは初めてのことだ。それに気付いた。
また、今まで完全に拒絶してきた『外の世界』の人間が、ノルヴェルトが取り除く気もなかった深い柵を切り開いてどんどん踏み入ってくる。
そんな感覚にとらわれ、気が付くと手元には恐怖に似た感情が生まれていた。
「あんたはどうやら相当腕が立つ。これまでに殺したのも一人や二人じゃないはずだ。それなのにどうしてあんたの存在は世間に知られてないんだ?」
「……どういうこと?」
ぽつりと尋ねたトミーを横目に見ながらダンは言葉を続ける。
「騎士団が追うような犯罪者なら何処かしらに公表されているはずだ。それなのに公の場にあんたは影も形もない。それどころか、だ。あんたのことは王立も神殿も知らないんじゃないかと俺は見てる」
そういえば、あの騎士達は王立騎士団の騎士達からの干渉をひどく嫌っていた。
ダンの話を聞いて、トミーは先程見た騎士達の様子を思い出す。
「とにかく連中はあんたに関する情報の漏洩を嫌っているらしいな……。とすると、どんなことが考えられる?」
皆を見回してダンが尋ねた。
全く要領を得ていない様子のリオは思い切り怪訝な顔をしてぽかんと口を開けている。
するとそこで、じっと考えていたロエが顔を上げて遠慮がちに口を開いた。
「あの………何か……あまり知られたくないことが……?」
「あっ、そうよそれよ!なんかサンドリアの偉い奴の秘密とかに絡んでんじゃないの!?」
「……サンドリアの秘密?」
首を傾げるトミーにリオは自信たっぷりで『そうよ』と大きく頷く。
先程から静かなパリスは口元に手を当て、じっと考える顔をして身動きしなかった。
「まぁそれが妥当な考え方だろうな。例えばあんたが、何か王国に関する重要なもんを抱えてるとする。勿論、世間には知られたくない重要機密ってやつだ。そうすると、あんたはエルヴァーンのことを相当憎んでいるようだが、それはその秘密と何らかの関係があるとも考えられるようになる」
少しずつ進んでいく話をじっと動かずに聞いていたノルヴェルトは、ここでふと俯いた。
サンドリアの秘密?世間には知られたくない重要機密?
表情ににじみ出てきた嘲笑を押し殺してノルヴェルトは唇を噛む。
そのことを彼らに尋ねられたら、自分は到底、納得のいく説明をすることはできないだろう。
説明するどころか、自分もあの男にもう一度問いたいくらいだ。
自分達の罪を。
「仮にそうだったとする、じゃあそこで疑問の追加だ。何故この男はトミーに固執する?」
不意に聞こえたダンのこの一言にノルヴェルトはびくりと視線を上げた。
見ると、話し合っている彼らの視線が自分に向けられていた。
「それに連中の様子を見てると、あいつらが追っているのはあんただけじゃなさそうだな。じゃあ一体誰だ?」
じっと真っ直ぐにノルヴェルトの目を見つめてダンが言う。
「ここであんたの出番だ。連中が追っている相手をあんたは知ってる。で、その相手が……………うちのと関係あるってことだろ」
誰も声を発さなかったが、室内の空気が沈黙の内に騒然となった。
ノルヴェルトに集められていた皆の眼差しがトミーへと移される。
当のトミーは大層不安げな顔でダンのことをじっと見つめると、きゅっと唇を結んでゆっくりとノルヴェルトへ視線を戻した。
その、ノルヴェルトへ向く直前の無理矢理表情を引き締めた顔が、顔と入れ替わってこちらを向いたトミーのハニーブロンドの髪が、
ダンには『怖い』と泣き喚いているように見えた。
――――――頼むからこれ以上……。
思わずそう女神に祈ってから、胸が潰れるような思いの中でダンは意を決してノルヴェルトに目を向けた。
「だんまりは無しだぜ、あんたが話してくれないと護れるもんも護れなくなる」
ノルヴェルトはしかめた顔にはっきりと迷いを浮かべて、足元に視線を落とし硬直している。
誰もが躊躇し怖気付く中、ダンはあらゆる覚悟を背負った声で畳み掛けた。
「あんたや俺達が望んでなくても……もう始まっちまってんだよ」
* * *
閉め切られた城の一室で、椅子の背もたれにゆっくりと背を預けながらテュークロッスが穏やかな声で言う。
「ジェラルディン、そう刺々しい言い方をせずとも良かろう」
悪態を荒々しくオブラートに包んだような発言を並べていたジェラルディンはぴたりと口を結び、テュークロッスと同じ大きなテーブルに着いている二名の騎士が顔を上げた。
テュークロッスが諌めた『刺々しい』言葉を被っていたのは、この二人のエルヴァーン騎士である。
一度天井を仰いで悩ましげなそれとは違う小さな溜め息をつき、赤髪の騎士団長はテーブルに肘を立てて両手を組んだ。
「………とは言うものの、いささか好ましくない状況になってしまったのは違いない。今お聞かせした通り、我々が内々に追っていた賊の一味は仲間の屍一つを残して脱走した。又、あろうことかその一味は言葉巧みに善良な若い騎士を騙し、利用し……嘆かわしい悲惨な結果になってしまったことは事実である」
テュークロッスが語りかけている二人の騎士は、王立騎士団の中級クラスの騎士だ。
連行劇を察知したパシュハウ沼駐屯所ガードの長と、彼らから連絡を受けドラギーユ城でジェラルディンらを迎えた隊の長である。
「此度のことで一番の不運はその機密性の高さであった。賊の身柄の拘束も当然重要であったが、それと引換えにこの件が露見することなど許されぬ。どちらも巧妙にこなさなければならない非常にデリケートな任だったのだ。しかし私は現場指揮を忠臣に託し要人に説明と協力依頼をしに赴かねばならなくなり……」
徐々に速まっていた言葉をそこで一旦切ると、やや厳しい表情に変化しつつあった顔を俯かせ、気を落ち着かせる溜め息をついた。
「お言葉ですがテュークロッス様」
低く重たい声でジェラルディンが発言しかけるが、赤髪の主はそれを眼差しで制した。
そして、息を呑んでいる騎士二人に視線を戻すと、何かを観念したような顔をする。
「此度の件については………ご存知なのだ、各騎士団長も。そして更にその上の方々も。よってこの件があの方々のお耳に入ったとしても、彼らは驚かれはしないだろう。ただそうなった場合彼らが非常に問題視なさるのは、貴殿らがこの件を察知したということなのだ。此度の失態は……単なる我らの過失であると報告してある。貴殿らの話は一切出していない。……………私が貴殿らに何をお伝えしたいか、お分かりか?」
騎士二人はごくりと固唾を呑んだ。
極度の緊張の中に僅かな安堵を垣間見せてちらりと顔を見合わせる。
二人は深く頷き、一方が『承知しました』と声に出す。
その言葉を聞いてティークロッスは真剣な表情を変えぬまま頷いて見せた。
「そう、知っているだけが賢さではない……」
下位の者が高位の機密事項を見掛け口止めをされる。こういうことは珍しくない。
何よりサンドリアの誇り高き騎士達は、自国にとって不利益になる話が公になることは決して望まない。
テュークロッスは祖国のそういったお国柄もよく把握している。
再び、若干表情を穏やかにすると組んでいた手を解いてテーブルの上に置く。
「さて、あまり長いこと貴殿らを付き合わせてしまうと周りが気にする。急に呼び立てて申し訳ないことをした」
「いいえ、そんなことは」
解散の雰囲気を出すテュークロッスにいよいよ安堵して二人の騎士は肩の力を抜いた。
「我々は所詮黒子だが、黒子には黒子の気苦労もあるのだよ。全く、貴殿らの華やかな活躍ぶりが羨ましい限りだ」
ジェラルディン以外の三人で軽く笑い、やがて皆椅子から腰を上げる。
「では、お気遣い感謝いたします」
駐屯所ガード配置の騎士はそう言ってサンドリア式敬礼をするとそそくさと部屋の扉に向かった。
関わらない方が良いことなのだとよく理解したらしいその姿にテュークロッスは頷く。
もう一人の方も、丁寧に敬礼をするとテュークロッスらに背を向けた。
「もし良ければ」
―――――と、一人目が扉のノブを握ったところでテュークロッスが言った。
少し驚いた顔をして二人が振り返ると、赤髪の騎士団長は複雑な顔をして立っている。
「今宵一度だけで構わない。犠牲になった二名の騎士の為女神に祈ってはくれないか。そして祈ったら、此度の件と共に彼らのことは永久に忘れてくれ……」
二人は、ゆっくりと静かに頷いて退室していった。
音を立てないよう細心の注意が払われた動作での彼らの退室を見送り、テュークロッスはそのまま数秒の間じっと扉を見つめて立っていた。
「……………しばし行動は控えよ」
二人の騎士を相手に、聞き取りやすい調子のはっきりとした発声で流れるように会話をしていたテュークロッスは、急に気だるげな調子に変わって呟く。
すぐさまジェラルディンは答えた。
「はい。先程の男の話では、どうやら野良犬共は転移魔法を利用できないようなので、多少放しておいてもさほど遠くへ行くことはできないでしょう」
言いながら何となく窓の外へと視線を馳せるジェラルディン。
壁いっぱいを使っている大きな窓の外は先程雨が上がり、薄っすらと明るさを取り戻し始めている。
「ふむ。結局……あの青年の話はほとんど聞くことができなかったな……」
溜め息交じりに言って再び椅子に腰掛けるテュークロッスをジェラルディンは勢いよく振り返った。
「申し訳ありません、リンクパールを所持している危険性を考慮したところ感付かれてからでは遅いかと」
先程テュークロッスから指示が出る前に行動したことをジェラルディンは気にしているようだ。
表情は仏頂面のままだが口調が少し重たい。
「いや、それで良いのだジェラルディン。私の部下は皆優秀で実に誉れ高い」
満足したように言うが、テュークロッスの声には若干疲労の音が混じっていた。
思わぬ事態に対して可能以上の迅速さで対処をし、これで今ようやっと一段落付いたことになる。
さすがにくたびれたのだろうが、それでもテュークロッスはまだまだ行動的だった。
「野良犬に冒険者が絡んだことが少々気にかかる。まぁ、野良犬の戯言を真に受ける程彼らが愚かではないことを祈るが……。奴等が行動に出た場合に備えて念の為モノを準備しておけ。冒険者には自分達の力で何でも可能にできると勘違いしている気の毒な輩が多いのでな」
テーブルに手を着いて立ち上がりながら言うと、テュークロッスは大きな壁掛け時計を見上げた。
『はい』と短く返事をしたジェラルディンは主の椅子を引きながら口を開く。
「差し出がましいようですが……あちらは上手くいったので?」
「ふん、『ドラギーユ家に仇なす者』とちらつかせれば途端に声を潜めたわ。報告を求められた際に使うモノも用意しておく必要があるが、まぁ、それはすぐでなくとも良い」
テーブルを離れて扉へと向かうテュークロッスの後にジェラルディンが続くと、赤髪の騎士団長が足を止めてくるりと振り返った。
「貴公は通常の執務に就け。城内の者にいらぬプレッシャーなどをかけぬようにな」
「はい」
「野良犬に当たらせるのは今のところあれだけで良い、他は皆一旦離れよ」
「承知しました」
淡々と返事を返すジェラルディンに頷いたが、そこでふと思い出したような顔をする。
「そういえば、冒険者の中に年頃のヒュームの娘がいたようだが?」
「野良犬との間には何の関係も見出せませんでした」
その部下の報告を聞いて、テュークロッスは顎に手を当てて思案顔をすると、再び時計を横目に見上げる。
「……………一度私の目でも確かめる、その娘も殺さずに捕らえよ」
時計から部下に視線を戻して『他は構わん』と付け加え、テュークロッスは踵を返した。
広がった外套を引き連れて歩き出す彼をすかさず早足で追い越し、ジェラルディンは扉を開けて主の道を開ける。
そして、主が前を横切って部屋を出る際に、低い声でジェラルディンは言葉を返した。
「必ず」
* * *
両手剣を背負った青年からこちらへと視線を向けたヒュームの娘は、きゅっと口を引き結び、予測の付かない恐怖と戦っているような顔をしていた。
あの人達に抱かれていた頃と変わらないハニーブロンドの髪。
白い肌、青い瞳、優しげな目付きで何処か幼さの残る顔。
知ってほしい、余すことなくすべてを伝えたい。
真っ向から与えられた『伝える』機会に、ノルヴェルトは全身が震えた。
緊張と、伝えることによって容赦なく跳ね返ってくるであろう現実への恐れ。
しかも今のこれは、ノルヴェルトの希望とは状況が異なる。
伝えたい人だけに伝えることは許されない。
自分の語る話を彼女だけではなく、他の五人の耳もそれを聞いているのだ。
このような状況で話をするなんて、ノルヴェルトにとってはとんでもないことである。
この中にテュークロッスと通じている者はいないと確信できていないからではない。
いや、当然それもあるのだが、それが主な理由ではない。
何よりも、自分とは育った時代が異なるこの冒険者の若者達が、自分の話を聞いて声に出さずとも胸の内で『感想を抱く』ことがとても嫌だった。
理解などできるはずがない。
「私、今回は聞きます」
視線を落としたままノルヴェルトがじっとしていると、不意にトミーが言った。
「ちゃんと聞いてますから……」
ノルヴェルトは無意識の内にすがるような目をしてトミーのことを見る。
聞いてほしい、伝えたい、彼女が自分のことを見つめている。
しかし――――――すぐに他の面々へと視線を移して目付きを鋭くしてしまう。
駄目だ、こんな状態では…………少なくとも……。
「………何なら僕…外しますよ」
ノルヴェルトの言葉を待って沈黙している室内でぽつりと呟かれた。
呟きの主、パリスに皆の視線が集まると、彼はゆっくりとソファーから腰を上げる。
「お前にも聞く権利がある」
皆が唖然と彼を見上げている中で素早くダンが言葉を投げるが、パリスは薄っすらと笑みを浮かべて首を横に振った。
「僕がいない方がスムーズに進むなら、みんなの邪魔はしたくないからね」
そう言って扉に向かって歩き出すパリスの背中にトミーは目を見張った。
―――――パリスさんにもいてほしいです!
叫びそうになるが咄嗟に言葉を飲み込んで唇を噛んだ。
これ以上巻き込んじゃダメ。
内心自分に言い聞かせて言葉を封じ、眼差しだけがパリスのことを必死に引き止めた。
パリスは振り返らない。
トミーの横でリオは『またこいつ…』という顔をしてじっとパリスの背中を睨んでいる。
「……チッ………お前なぁ…」
扉の横に立っているダンは、ドアノブを掴んだパリスに舌打ちして小さく呟く。
パリスは握ったノブに視線を落としたまま自嘲の笑みを浮かべると、『ごめん、ごめんね』と小声で繰り返して部屋を出て行ってしまった。
そんな行動をされたら、関わりたくないのだなと思われても仕方が無いではないか。
案の定トミーはしゅんと肩を落として唇を噛んでいる。
彼女の姿を見て苛立ったダンは歯噛みするとノルヴェルトにキッと目を向けた。
ノルヴェルトとしては願ったり叶ったりである。
何と言われようと、やはり駄目なものは駄目だ。
今やノルヴェルトにとって殺意の象徴とも言えるエルヴァーンのいる場で語ることなどできるはずがない。
それぞれに思うことがあるような顔をして、部屋にいる皆は徐々にノルヴェルトへ視線を集めた。
もう、このくらいで腹を括るしかない。
ノルヴェルトは目を閉じると、失った大切な人達の顔を一人ずつ思い浮かべた。
その人達の向こう側にはたくさんの戦士達、魔道士達、難民達。
自分にとってあまりにも大切過ぎるその人達を人に晒すことがこんなにも恐ろしいとは。
背にある漆黒の鎌を抱き締めて泣き叫んでいたあの頃は想像できなかった。
「……テュークロッスが追っているのは………ある戦士団のリーダーとその妻、そして私だ」
俯いて目を閉じていたノルヴェルトは、そう言って顔を上げると鋭い目付きで目を開いた。
「リーダーの名はマキューシオ。彼が率いていたのは軍所属ではない独立した戦士団で、後にその妻になったスティユは当時、マキューシオの補佐を勤めていた」
いよいよ始まったノルヴェルトの話に耳を傾け、皆は話に登場した耳慣れない人物の名前を心の中で復唱する。
「私は……その戦士団に命を救われた難民の一人。行動を共にしていた私の家族や他の難民達は皆獣人に殺された」
――――と、そこまで聞いていて、ダンは早速疑問を抱いた。
ノルヴェルトはどう見てもトミーではなくダンを相手に話をしているのだ。
あんなにもトミーとの対話を望んでいたはずなのに、何故。
「戦士団は獣人との戦闘ではなく民の救済を目的とした存在で、町を焼き出された難民を無事な町まで誘導する活動を行っていた。私は当時まだ十四だったが、行く当てもなかった私をマキューシオは仲間に迎えてくれた。私はマキューシオともう一人、フィルナードというエルヴァーンの男から剣を学んだ。フィルナードは元は軍に所属していた騎士で………これはその……フィルナードの形見だ」
そう言って手を添えたのは、背に携えた漆黒の大鎌。
新しく話に登場してきたエルヴァーンの男に、話を聞いていた面々は注目した。
そのエルヴァーンの男が何かしたんだな、とリオは頭の中で早合点している。
憎しみの対象である相手の形見を大事に持っているのはおかしいのだが、そこまでは考えていないらしい。
「……形見……?」
しんとした中で、寂しげな呟きがぽつりと零れた。
その声に反射的に目を向けたノルヴェルトは声の主であるトミーと目が合う。
一瞬にして感情が喉の奥から湧き上がるが、ぐっと耐える表情を見せるとノルヴェルトは目を閉じた。
「………私は、あの人もすぐに陣まで戻ってくるのだと思っていた。無力にただ信じていた、あの人が視覚のほとんどを失っているとも知らずに」
何があったのかその言葉だけでは分からないので皆は怪訝な顔をしている。
「フィルナードは戦場での負傷が原因で目が見えなかった。その事実を知っていたのはマキューシオだけだった。フィルナードは私を陣へ帰し、自分は獣人軍の前に立ちはだかって……みんなに時間を与えてくれた」
そこまでで何となく状況が伝わってきたので、女性陣は息を呑み、ダンは厳しい表情をした。
目を開けたノルヴェルトは再びダンのことをじっと見据えて続ける。
「その師だけではない、終戦間際のその大きな戦闘で五〇〇いた仲間達はほぼ全滅した。終戦を迎えられたのは片腕になったマキューシオとスティユ、それからミスラの戦士セトと私の四人だけだった」
まるで挑むような強い眼差しを自分に向けて語るノルヴェルトを見返していたダンは、そこでようやく気がついた。
―――――――こいつは光栄なこった。
大鎌を背に携えた銀髪のエルヴァーンは今、長年捜し求めてきたという娘に聞かせるため話をしているのではない。
ノルヴェルトはこの場で最も説き伏せるべき相手に語っているのだ。
避けて通れない相手、とでもいうのだろうか。
それはダンのことをこのパーティのリーダーとして認めたことにもなる。
道理で言葉の一つ一つに『理解できはしないだろう』という響きが混じっているわけだ。
『分かってくれ』と語る必要は無い、彼が相手にしているのはダンなのだから。
「テュークロッス達との出会いは……その大きな戦闘が起こる少し前のことだ」
ややトーンを低くして騎士の名前を口にするノルヴェルトをダンは真っ向から見返した。
「ある日私達は難民と共に三人の騎士を荒野で回収した。テュークロッスとその父親、部下のジェラルディンの三人だ。軍とはぐれたことに恐怖し、一日も早くサンドリアに戻りたがっていた。私達に救われたにも関わらず、奴らの頭にあったのは自分達の栄誉といかれた誇りだけ。奴らは私達のことを蔑んでいたが……マキューシオはそんな奴らにも敬意を示し、仲間達もその姿にならって奴らに冷たく当たることはしなかった」
静かな室内でぱちりと暖炉の薪が一際大きく音を鳴らす。
「そして、例の大きな戦闘があった。獣人共は私達の数では到底太刀打ちできない数で攻め寄せてきた。その時に……」
そこまで強い口調で語っていたノルヴェルトが、やや視線を落として勢いを失った。
先程までは『どうだ』と言わんばかりな語り口であった彼のその変化を見て、ダンはここに重要なことが含まれているのだと察知する。
床の何処か一点を見つめてしばし黙ったノルヴェルトは、そのまま口を開く。
「泣き叫ぶ難民の赤ん坊に剣を向けたテュークロッスの父親を…………マキューシオが斬った」
これか。
話を聞いていた一行はノルヴェルトのその言葉に目を見張った。
再び沈黙の内に騒然となった室内の空気を感じ、ノルヴェルトはキッとダンに視線を上げた。
「あの男は、赤ん坊を庇おうとしたスティユもろとも斬ろうとした!奴らに対する不満が頂点に達したみんなを代表してマキューシオはあの男を斬った!!最後まで驕り高ぶるだけで奴らは何も協力しなかった……当然の報いだ!」
声を荒らげたノルヴェルトはまるでダンに憤っているかのように語る。
この銀髪のエルヴァーンは、どうしても、そのマキューシオという男を護りたいのだな。
師に対して僅かな疑問を抱くことも許さんと言いたげなノルヴェルトを見つめて、ダンはそんなことを思いながら、腕組みをしたままじっと聞いていた。
一方、静聴しているヒュームの青年を睨み付けているノルヴェルトは内心怖くて堪らなかった。
恐ろしくてとても見ることができない、暖炉の前に蹲っている娘のことを。
マキューシオは『殺した』んじゃない!『護った』んだ!
お願いだ! 信じて! 信じてほしい!
私を、信じさせて。
不意に心の中で脆さが身をもたげたので、ノルヴェルトは頭を振って奮い立ち表情を険しいものにした。
「テュークロッスとジェラルディンは、終戦後四年が経ってから再び私達の前に現れた」
口調は先程の、ダンに言って聞かせるような調子に戻っていた。
「その頃私達は共にサンドリアの町で暮らしていた。戦争を生き残った四人、それから……マキューシオとスティユの娘………ソレリと」
ダンを見据えているノルヴェルトの視界下の方で、トミーが身を硬くしたのが映った。
他の皆ももう予想がついているらしく、衝撃を露にして絶句している。
ロエは心配そうにトミーの横顔を見、リオは手元を凝視して固まっていた。
ローディはちゃんと話を聞いているのかいないのか、小指を立てて優雅にお茶を飲んでいる。
トミーとダンの二人は目を逸らすことなく、ノルヴェルトのことをじっと見つめていた。
「奴らはソレリを連れて出掛けていたセトを突然襲撃した。家に帰ってきたのはセトの血にまみれたソレリだけ……セトは帰ってこなかった」
そう言ってノルヴェルトの表情がじわりと滲み出た感情によって歪む。
「マキューシオが尋ねると奴はこう答えた、『貴様達は見たからだ』と。父親の愚かしいあの死に様をな。裁きを下したマキューシオだけではない……奴はあの出来事を知っている人間全ての抹殺を望んでいる。あの時私達が必死に護った難民達にまで手をかけて」
耐えられずに小さな嘲笑が零れた。
自分で言っていても全く訳が分からない、正気の沙汰ではない。
「その日から私達の逃亡生活が始まった。私はすぐにでもあの男達を刈り殺してやりたかったがマキューシオがそれを許さなかった」
記憶を辿りながら語っていたノルヴェルトは、そこで不意にびくりと言葉を閉ざした。
まるで辿っていた手に何か恐ろしいものが触れたかのように。
ノルヴェルトは咄嗟にそれらから目を背けると間を置かずすぐさま口を開いた。
「そんな逃亡生活の中で、ある日タイミング悪く獣人に襲われ幼いソレリが生き別れてしまった。私はソレリを護ることができなかった……。しかしヴァナ・ディールの何処かに、女神の奇跡で蘇っているかもしれないと、思った。だがソレリが何処のクリスタルで祈りを捧げていたかなど知らなかったし、当時は追っ手からの執拗な襲撃に遭っていたのでろくに捜しに行くこともできなかった」
心なしか急ぎ足になった語り口で話を進めるノルヴェルトに皆は眉を寄せた。
よく分からないが何かが飛ばされたような気がする、と。
しかしノルヴェルトがいよいよこの後最重要の部分に触れると予感していたので、皆はこれから彼が口にするであろう事実に集中していた。
「………テュークロッスからの刺客共に追われながら捜し続けた……十七年だ」
感慨深い声でゆっくりと言うノルヴェルトは核心をすぐには口にしなかった。
何処か遠い、とても遠い場所を眺めながら言っているような彼の言葉が部屋に溶け込む。
「………………わた…し…?」
皆が身構えていた核心に触れたのはノルヴェルトではなかった。
トミーはノルヴェルトが言わんとしていることを自ら口にしたのだった。
何故言ってしまうんだという目をしてロエとリオがトミーに驚愕の表情を向ける。
ノルヴェルトはダンを見据えていた時とは違う眼差しになってトミーを見つめた。
「そう……貴女です」
口笛をひと吹きしてにんまりと笑ったのはローディ。
ロエとリオの二人は思わずダンのことを振り返って見つめる。
ダンは動じた様子はなく表情も変えなかったが、ただゆっくりと、目を閉じた。
あとがき
お待たせいたしました、第二十話でございます。ごめんなさい、パリスそっちのけだった今回。(吐血)
お前は聞いとけよ!ってとこで退場するし。(;´∀`)
パリスがどうこうよりもノルのぶっちゃけタイムが先でした。
で、ノルヴェルトも男の子だもの、プライドはあるんです。
なのでみんながいる前でいきなりの●太化はしませんでした。
●び太化ってあの、オイオイ泣きながら説明する(←解説はいい)
少なくともダンテスには絶っっ対に弱いところは見せたくないノル。
今回はやたら男男した『漢』の回となりました。
ボンボンも何かさらっととんでもないこと言ってますしね。
某常連読者様から苦情が来るんではないかとハラハラしております。(´Д`;)
色々な意味で第二十話、心よりお詫び申し上げます。(土下座)