盲目なる高潔

第三章 第十九話
2007/07/30公開



友人が何について『すまん』と謝ったのかパリスには分からなかった。
彼の言葉に疑問符を浮かべた直後に騎士が現れたので一瞬とんでもないことを想像してしまったが、槍の柄を掴んだリェンがそれを抜いて自分に向けてくることはなかったので、その一瞬の想像をパリスは一生恥じることとなる。
パリスの横に並んで身構えると、リェンは緊張した面持ちで現れた騎士達に注目した。
リェンが抑え気味に声を張って何者か相手に尋ねるが、相手は応えない。
小声で何か言葉を交わしながら廊下を塞ぐように立つ彼らを見つめ、リェンは『やはり』という顔をする。
「何か良からぬことに巻き込んでしまったようだ」
「ぇ、お…お仕事関係?」
「そうなっていたかもしれんが分からん」
リェンは今の状況の中で自分の立場が間違っていることに気が付いたという口振り。
彼は、巻き込まれた協力者ではなく、自分は巻き込んでしまった側だったと言っているのだ。
「公務なら普通所属を名乗る、もしや奴ら騎士では……」
一見騎士にしか見えない風貌の二人が、じりじりとこちらに向かって歩みを開始した。
こちらを凝視したままぼそぼそと会話を続けている二人に険しい顔をすると、リェンは意を決したようにパリスの名を呼んで槍を構える。
「式典準備室の二つ上の階にある書物庫に、過去の王族避難用通路跡があると噂で聞いたことがある!」
パリスに潜めた声で言うと、向かってくる男二人が腰の剣に手を伸ばした。
「本当か確かめたことはないし封鎖されているかもしれんが賭けろ!」
「なん…」
「俺は外に出て応援を呼ぶ――――行け!!」
言うとリェンは槍を手にしっかり握ると、剣を片手に物静かに迫ってくる二人の前に飛び出した。
廊下は広くはないが槍を扱うのに大きな支障が出る程の狭さではない。
二人の内一人が自分の脇を通り抜けてパリスの元に行かないよう、リェンはまるで舞いのように槍を踊らせ行く手を阻む。
「急げ!!」
緊張の高まった呼吸の中から叫んで肩越しに振り向くと、突然のことに狼狽しつつも魔法の詠唱を始めたパリスの姿が目に入る。
前方に視線を戻してみるとあちら側の先攻がすでに始まっていた。
先程発言した者ではないもう一人の方が一気に間合いを詰める!
意気込んでいる様子の相手が払う剣の動きに槍を合わせて受け流したところで、パリスが詠唱したバインドが相手に対して発動した。
そして『無事で!』というパリスの切羽詰った声が聞こえる。
今二人で下りて来たばかりの階段を彼が駆け戻っていったのが足音で分かった。
バインドを浴びた相手の男がびくりと動きを止めたのを見て、リェンは半歩距離を取る。
友人が追っ手に見つからず無事に仲間達の元に戻れるよう、時間を。

最初からおかしいと思っていた、何故友人の仲間達があのような扱いをされたのか。
世の平穏のために勤める騎士の日常に紛れ込んだ不可解な連行劇、そして機密性が漂う中で展開される騎士が成すこととは思えない非道。
きっと騎士ではない、話に聞いたその者達も、目の前にいるこの者達も。
スパイが紛れ込んでいる!他の騎士がそのスパイに踊らされているのだ!
誇り高きサンドリアの騎士がこのようなことするはずがない!
多分友人達は利用されたのだ、まるで悪事を働いたのが彼らであるかのように。
そして恐らくこの男達が本物の賊だ、無関係の彼らを巻き込みその隙に城に紛れ込んだ。
騎士団がこんな卑劣な目くらましにかかってしまったとは何たることか。
身を潜めている友人の仲間達に賊の手が及んでいないか気掛かりでならない。

リェンはとにかくこの二人を突破して外に出るべきだと胆を据えた。
―――――残る一人を何とかやり過ごせば……!
と、足を踏み出した瞬間、バインドに掛かったはずの男が同時に動いた!
バインドの魔法をすぐに弾いた男に目を見張るがもう飛び出してしまったものは仕様が無い。
右腕に一太刀を浴びつつも槍を翻し男の追撃を封じ、目の前にいる眼鏡をかけた男が大きく振り払った剣を床に身を投じて回避した。
突破した―――――――!
リェンは素早く立ち上がると男達を振り返らずに外へ出る扉へ駆ける。
先程放たれたものとは違うもう一人の声が『待て』と言うが、槍を片手に全力で走って扉に飛び付くと打ち破る勢いで大きく開け放つ。
外に飛び出した瞬間一瞬だけ後ろを振り返ってみると、眼鏡の男が追撃しようとする連れの肩を掴んで引き止めている姿が映った。
先程の位置のままでこちらを歯痒そうに見つめている男の様子からして、やはり彼らにとっては明るみに出ることは望ましくないのか。
リェンはそのままサンドリアの騎士団員が利用する専用の門に向かって走った。
頭の中では色々なことが悔やまれて、歯を食い縛ると血の滴る腕を押さえた。
サンドリアは誇り高きエルヴァーンの王国、賊ごときに荒らされてなるものか!
何としてもあの友人達を救いたい、そしてもう一度……。
「パールッシュド…ッ」
呼吸の乱れた口から搾り出したのは友人の名前。
リェンには、もう一度あの友人に会って尋ねたいことがあるのだ。

あの大きな漆黒の鎌を扱うエルヴァーンの男。

彼の鎌を手に取った時―――否、目にした瞬間、あの武器は特殊なものであることがリェンには分かった。
どう見ても量産のものではない特注の大鎌。
武器に多大な関心を持っているリェンはその見事な芸術品を手に取った時、じっくりと見ることはできなかったが短い時間の中で食い入るようにそれを観察した。
いかに素晴らしい代物であるかは手にして数秒で分かったが、ふと特注の品には必ずあるはずのものが欠けていることに気付く。
エンブレム、その武器の主となる者の一族の紋章である。
他国文化のものであったら分からないが、主がエルヴァーン族であるのなら無い訳はない。
きっと見落としたのだと思うしかなかったが、つい先程、式典準備室の中でとんでもないことを思い出したのだ。
そういえば聞いたことがある、一族の紋章が入っていないただ一つの名器。
“狂犬フィルナードの大鎌”だ。

―――――どうなっている!?
―――――――狂犬フィルナードは確かパールッシュドの……


その憶測が事実だった場合どういうことになるのか。
それを考えて全身に鳥肌が立ったところで、まだ先の方にある門の手前、すぐ近くに一台の車が停まっているのに気付いた。
厩舎の方向からチョコボ二羽を従者が引いて来て車に繋ぐ作業をしており、その車の前に数人の騎士が立っていた。
リェンは目を見張ると掠れた喉で『応援を頼みたい』と叫んだ。
疑問符を浮かべた騎士達がリェンを振り返り、その中の一人が険しい顔をして声を張る。
「何者か!慎め!」
その銀髪の騎士の風貌が高位のオーラを持っていたので、リェンは内心救われた心地がして安堵しつつも表情を引き締めて進言した。
「神殿騎士団所属クロムス家の嫡男、リェーエンルー・N・クロムスです!城内に賊らしき一派が侵入し仲間を襲撃しています!応援を…!!」
息絶え絶えの中から必死に言うが騎士達は眉を寄せて顔を見合わせる。
名乗れと怒鳴った騎士も訝しむように目を細めて『突然何を…』と零した。
「待て」
リェンを迷惑がっているムードを持った彼らの奥から声がした。
騎士達が道を開け、リェンが顔を上げてその先を見ると車の扉が開いていた。
そこにいたのは、先日リェンに内々の召喚状を送ってきたある騎士団の団長。
「貴方は……!」
驚きの中に歓喜の混ざった声を上げるリェンに対し、頭脳明晰と称されている貴冑騎士団率いる赤髪の将軍、テュークロッスは静かに頷いて言った。

「ふむ、何やら穏やかでないな…………詳しく話してみよ」


これで助かる。
肩で息を付きながらリェンは安堵の表情を浮かべた。
銀髪のエルヴァーン騎士ジェラルディンを中心に、そんなリェンの周りに立っている騎士達は、青年が始める状況説明には全く関心がない様子で周囲に他の気配がないか探っているのだった。

城壁に沿って吹き抜ける風にぱらぱらと雨が混じり始めている。



   *   *   *



式典準備室を出て、先程のとは逆方向にある上の階へ上る階段を皆で駆け上がった。
先頭を行くパリスは土壇場で友人から言われた『二階上の書庫』と『王族避難通路』を小声で何度も復唱している。
本当にあるか確かめたことはないが、賭けろ、と。
危険を冒して移動して、本当にただの噂話だったとしたらどうしてくれるのだ。
いつまでもあそこでじっとしているわけにはいかないが、だからといって博打が過ぎる。
―――――と、悶々としていると、一つ階を上がったところで一人の従者と鉢合わせになった。
驚いた声を上げる従者に対し先頭のパリスは思わずぎょっと足を止めてしまう―――が。
「もっと簡単なミッション用意しろと上司に言っとけ!」
駆け上がってきた勢いのままでそう言いながらダンが横を追い越していった。
パリスにつられて足を止めかけた後ろの面々はこれ幸いとダンに続いてそのまま駆けていく。
皆が横を駆け抜けて行き一人だけ遅れたパリスは、『すみません急いでて…』と苦笑を浮かべて従者に会釈すると慌てて皆の後に続いた。
ぽかんと口を開けて一行を見送った従者は、やがて不満顔になると首を横に振った。
冒険者は礼儀作法もあったもんじゃない……と、顔が言っていた。

二つ階を上がり終えると、階段から出た先の廊下の様子を窺ってダンが足を止めた。
後ろに続いていた仲間達に止まれと手で合図を送る。
それに目をしばたかせる女性陣は肩で息を付いており、中でもロエは壁に寄り添って小さくむせていた。
「……何だか落ち着きねぇのが一人こっちに来るな……」
ダンの視線の先、廊下をずっと進んだ向こうから一人の騎士がこちらに向かって歩いてきていた。
歩いて、と言っても足元に落ち着きはなく、駆け出す一歩手前の歩調である。
考える顔をしてダンが一旦身を引っ込めると、今度はパリスがそっと様子を窺った。
「何か急いでるみたいだし、さっきみたいにやり過ごせるんじゃない?」
「……あっ、あいつ駄目よ!」
と、パリスよりも低い位置から廊下の先を覗いたリオがぴくりと耳を立てて言った。
すぐさま身を引っ込めるリオに皆が疑問の視線を集めると彼女はダンに向く。
「あたしらを連れてきた奴らの内の一人よ、あいつ」
「おぁ?あいついたか?どいつもこいつも同じに見えて覚えてねぇ」
「このキモ男引っ張ってきた奴よ」
「きひゃ☆……うむ、覚えてなくて当然、ダンは俺様に釘付けだったのだ」
真顔で言っているローディをシカトしてダンは半眼になると、リオに対して『その調子で人の名前も覚えろ』と刺々しい言葉を吐いた。
「どうします?こっち来るみたいですけど」
苦笑いを浮かべたパリスが肩をすくめてそうダンに指示を仰ぐ。
―――――とそこで、じっと黙って立っていたノルヴェルトが思い出したように歩き出した。
無言のまま行動を始めた彼に皆が疑問符を浮かべて視線を向けた時には、すでにノルヴェルトは背中の鎌の柄に手を伸ばして廊下に歩み出ていた。
皆は仰天して目を丸くし、一斉に無言の悲鳴を上げる。
「やっ、ダメ…ッ!」
そして更に驚いたことに、そんなノルヴェルトの背中に、そう言ってトミーが飛び付いた!
「―――!?」
「見つけたぞ貴様ら!!そこを動くな!!!」
ノルヴェルトが驚いた顔でトミーのことを振り返ったのと同時に騎士が叫んだ。
抜かせまいとして必死にノルヴェルトの鎌にしがみ付いているトミーを見て、ダンは心底うんざりしたように一瞬天を仰いでから廊下に進み出た。
「あー、丁度良かった。あんたらからもらった手錠無くしちまったんで困ってたところだ」
「ふざっ…ふざけるな!!さっきの魔道士は何処にいる!?」
腰に下げた剣に手をやりながらじりじりと歩み寄ってくる騎士にダンは片方の眉を吊り上げる。
肩越しにちらりと振り返ると、至極ゆっくりとローディが階段の方から廊下に顔を出した。
何かを察したような顔をしてダンは『ああ、なるほど』と口の中で呟く。
「鍵パクられたなんて、あんたどんな処分食らうか分からねぇからな。そりゃ血相変えて探すか……『最後のチャンス』でももらったのか?」
「黙れ逆賊!逃げられると思うなよ…っ」
ついに剣を抜いた騎士を見て、ダンはあからさまに『メンドくせー』という顔をした。
内心、さっさと片付けようとしたノルヴェルトに共感して舌打ちする。
こうしている間にも、あの騎士はきっとリンクシェルで報告を叫びまくっているに違いないのだ。
「あーもー分かった。おい変態返してやれ」
「きひっ、俺様の温もり付き!!!」
変態は待ってましたと言わんばかりに懐に手を突っ込んで鍵の束を騎士に向かって放り投げた。
あっとそれに目を見張る騎士だが、受け取る構えを取ろうとした瞬間ダンが動く。
床を蹴って駆け出したわけではない。
大きな歩幅でずんずん歩いて間合いを詰めてくるダンにぎょっとした騎士は、歯噛みして鍵を受け止めるのを諦めると剣を構えてダンに斬り込んだ!
その瞬間トミーの叫ぶ声がダンの背中を叩く。
ダンは舌打ちして『分かってる』と小さく呟くと、左肩を引いて体の向きを変え騎士の剣を避けた。
騎士が避けられた剣を直ちに翻して払うがそれも首を傾けて紙一重で避ける。
まるで自分が剣を振るうのを待ってそれに合わせて動いているようなダンに騎士は焦燥して歯を食い縛った。
一方ダンは監禁室での死闘を思い返し、両の腕が自由であることのありがた味をしみじみと感じていた。
同時に『あの状況でよく生きてたもんだ』と客観的に呆れる。
決着を焦った騎士の二振りを容易くかわして背後を取ると、剣を掴んでいる相手の腕を絡め取って背中にねじ上げた。
瞬く間に動きを封じられた騎士はパニックを起こしたように叫びまくる。
「あんた冒険者だったらせいぜいランク3止まりだな」
騎士には似つかわしくない罵りの言葉を喚いている男に溜め息交じりに言うと、無駄な抵抗をしている騎士をローディの前に突き出した。
「ん」
「にゃ?ホーリーとかイッちゃっとく?!」
「常識で考えろ馬鹿野郎。早くしろ」
「ぶー」
つまらなそうな顔をしてローディは渋々とスリプルを詠唱し、騎士は強引に眠りの中に引きずりこまれていった。
「マジに小物じゃろ?俺様こいつに捕まってやるのに苦労したふぁ~」
退屈そうな声で言ってあくびするローディにあぁと頷いて、ダンは意識の無い騎士の重い体を廊下の端に座らせる。
そして床に落ちた鍵を拾い上げ、それを騎士のベルト部分に引っ掛けて返してやると溜め息をついて一行を振り返った。
一行を、と言うよりは、リオの手によってノルヴェルトから引き剥がされたトミーを。
ほっとした顔をしている彼女を見てもう一つ溜め息をつき、ダンは『行くぞ』と廊下の先へ足を進めた。
特に何も言わず、自然と彼に続いて歩き出す面々を眺めて、ノルヴェルトは何か思うことがあるような複雑な表情をしてダンの背中をじっと見つめるのだった。



王族避難用の通路は本当に存在した。
重要なものが置かれていないのか書物庫は施錠されていなかった。
元々あまり整頓されていなかった室内をひっくり返す勢いで捜索してみると、古びた木製の扉が棚の影に隠されており、その先には灯りの全く無い通路が暗く続いていた。
扉の木をやや強引に拝借してそれに魔法で火を点け灯りにし、通路入り口を隠していた棚をダンとパリスで内側から元に戻した。
そして灯りを手にしたダンを先頭にして湿った空気の満ちた通路を急ぐ。
長い階段を下り、平坦な通路は駆け、再び階段になり、それの繰り返し。
『跡』というだけあって長い間ほったらかしにされているらしく、整備されていない通路は床が割れていたり水が漏っていたり酷い環境だった。
そんな中でもダンの事務的な警告の声を頼りに一行はどんどん通路の先へと進む。
先程からのハイペースな進行に人一倍の疲労を見せているロエは、見兼ねたパリスに抱え上げられていた。
苦しげな息の中から礼の言葉を搾り出している彼女を抱えてパリスは最後尾を進んでいる。
「もう、完全に、脱走は気付かれてるわよね!?ねぇ、あたしらどーなっちゃうわけ!?」
トミーと並んで駆けながらリオはダンの背中に問いをぶつけ、次にパリスを振り返る。
「結局ジョンはどうしたのよ!?」
「リェンは……分からない、何か思い当たる節があるみたいだったけど…」
「っていうか、信用してよかったわけ?この先に待ち伏せがいたりしない!?」
「お前のでかい声は響くんだよ黙ってろネコ」
地を這うような低い声でダンが振り返らないまま毒づいた。
「うっそ………この先待ち伏せいなかったら俺様テンションがた落ちだぞぃ……」
「聞こえてんぞ変態お前も黙れ」
「きひっ!」
視覚的変化のない通路を延々と進んでいくつかの上り階段を経た後、ようやく次の扉へと辿り着いた。
次の扉、つまりは出口だ。――――――願わくば。
大分長い時間通路を進んでいたように思える一行は安堵の中に新しい緊張を浮かべて、扉の向こうの様子を探っているダンの後ろ姿に息を呑む。
ダンはそっと扉を押し開けようとしたがびくともしないらしく、一つ舌打ちすると緊張した顔を並べている仲間達を振り返って手前にいたリオに灯りを持たせた。
「奥へ下がってろ。良いと言うまで出てくるなよ」
一言目を聞いて一行はすぐさまその言葉に従順に従い、二言目を聞いてえっという顔を上げる。
言うが早いか、ダンは背に携えていた両手持ちの剣を引っ掴むと木製の扉を一気にぶち破った!
目を皿にして彼の後ろ姿に見入る一行。
ぱっと外の光が差し込んでくるのかと思ったがそれはなく、ダンは扉の残骸を退けながら単身通路から出た。


「………なるほどな……確かに避難用だ」
外でダンがぽつりと呟いたのが聞こえると、次に出てきて良いという合図が聞こえた。
暗い通路の中で身を硬くしていた一行が周りの様子を窺いながら通路から出る。
出た場所は建物の中ではないようだが、何処かの二階部分から出てきたらしい。
強い光が差し込んでこなかったのは、空が厚い雲に覆われていたからだった。
弱い雨が降り注ぐ空の遠くから小さな何かがこちらに向かってゆっくりと飛んできているのが見える。
見る見る内に姿を大きくしていくそれは、今や冒険者の重要な足の一つとなっている飛空艇だ。
ダン達が出てきた場所は、サンドリア港区にある飛空艇乗り場の近く。
港区は決して廃れているわけではないのだが、一行が出てきたのは時代に置き去りにされたような廃墟の二階部分であった。
通路からの出口は大分昔に封鎖されたらしく、足元には古いバリゲードがあたりに散らばっている。
古い家具か何かも置かれていたのかもしれないが、どれもこれも混ざっていて何があったのか破片からは推測できそうになかった。
現代はもう魔法も発展しているし、このような原始的な避難通路は忘れられても仕方が無い。
外からこの建物を見ても、まさか城からの避難通路が延びているとはとても想像できない。
昔の職人の見事な仕事だと思えるが、同時に何処か寂しい気分になる。
見ると、屋根の無いその一階部分の屋上には下に降りられるよう片隅に外付けの階段があった。



空の下に出られたことで一気に気が抜けたのか、トミーがふらりと地面に膝と手をついた。
その隣りでリオも肩で息を付きながら足を投げ出して座り込む。
パリスがゆっくりとロエを地面に降ろすと、ロエは深々と頭を下げて礼を言った。
「あたしら……どーなっちゃうのよ…」
雨に濡れることもお構い無しで、天を仰いで呆然と呟くリオ。
脱力した二人に歩み寄って気遣いながらロエは不安げな眼差しをダンに向ける。
「今頃城では……」
「大騒ぎよ大騒ぎ!もぉ何がどーなってんだかさっっっぱり分からないわよ!!」
「ここも安全とは言えないよね……」
大破した扉の破片を端に寄せながら通路の中を覗き込んでパリスが言う。
「も~うちに帰って寝たいわよぉ~」
「きひひっ、ハウスはなかなかネットワークが徹底しちょるから蜘蛛の巣みたいなもんだぞぃ☆」
「早くサンドリアから出た方が……」
ローディの一言にとんでもない顔をしているリオを尻目に、ロエは深刻な表情で進言する。
同意を求めるようにロエがダンを見上げると、ダンは頷いて両手剣を背に収めた。
「つっても飛空艇は乗れねぇのが若干名いるしな……。お前らデムのゲートクリスタルは持ってるか?」
「木偶のゲータリスト?」
「お前は今日付けで直ちに冒険者をやめろ」
しかめっ面で聞き返すリオに対し青筋を立ててダンは凄んだ。
「何勝手にキレてんのよ!あぁぁじゃあチョコボは!?ってこの子乗れないのよマジムカつくわね!!」
きぃと頭をかき回すリオの横でトミーは小さな声で『ごめんなさい』と呟く。
トミーは連日の出来事でかなり消耗しているらしく声に全く力が無かった。
「あ、あの…その前に、町から出る門は通れるでしょうか……」
「ロエたん鋭い!サンドは特にガードがうようよいるからの~ぅ♪」
「お前確実にこの状況楽しんでるな」
独特の笑い声で愉快そうに笑っているローディに冷たく言葉を刺すと、ダンは踵を返してすたすたとトミーに歩み寄った。
疲れ果てた様子で肩を落としているトミーの横に立ち、見つめるのはノルヴェルト。
ノルヴェルトは一行から一歩下がった位置に立ち、周囲に鋭い視線を巡らせながらも皆の会話を黙って聞いていた。
トミーの傍に立ったダンに目を止めたノルヴェルトが微妙に身構えたのをダンは見逃さない。
「これであんたは自由だ、何処へでも好きなところに行って殺しでもしてろよ。二度と俺達の前に現れるんじゃねぇ」
しとしとと雨が降る中で放たれたダンの言葉に皆、口を結ぶ。
「………と、言いたいところだけどな。分かってるだろうが、生憎あんたと俺達はもう他人じゃねぇ。ものの見事に巻き込まれちまったんだよ俺達は、今頃城の中じゃ俺達は立派なお尋ね者だ」
足元で不安げな目をしたトミーがじっと自分のことを見上げていることにダンは気付いていた。
気付いていたが、この時だけはノルヴェルトから視線を外してはいけない。
心配しなくていいということを分からせるためにも、トミーに目を向けることはせず、じっと強い眼差しをノルヴェルトに突き刺したまま続ける。
「全部片付くまで付き合ってもらうぜ、何が何でもな」
少しずつ降る勢いを強めていく雨の下、ダンはつい数日前の出来事をふと思い出していた。
最初にこの男と会話をした時もこんな雨の中だった。
濡れ細った銀髪の奥から鋭い眼差しを返しているノルヴェルトは相変わらず無言。
リオはそこでふと先程の暗殺者の最期を思い出してしまったのか、険しい表情をして俯くと雨で冷えていく自分の体を抱き締めた。
何も返答しないノルヴェルトに溜め息をついて、ダンは皆を見回すと頭を掻く。
皆かなり消耗している、しかしこんなところでいつまでももたもたしてはいられない。
「………で、これから何処へ向かうかだが……」

「案内するよ」

―――――と、皆が思案に眉を寄せて視線を足元に落としたところでこの一声。
「王国に察知される心配のない隠れ場所があるから………行こう、みんなで」
もう一度『案内する』と言っておもむろに歩き出したのは、先程から黙っていたパリスだった。
下に下りる外付けの階段に向かうパリスの後ろ姿に目をしばたかせると、リオは慌ててトミーを引っ張って一緒に立ち上がる。
しかしそこでパリスに対する一抹の不安を思い出し、問うような眼差しをダンに向けた。
ダンはその視線を感じつつ、パリスではなくノルヴェルトのことを横目で見る。
ノルヴェルトは何も信用していないという顔でパリスのことを見つめていた。
それを見たダンは少し考えると、大きな溜め息をついてエルヴァーンの剣士の名を呼ぶ。
「パリス」
外付け階段の手すりに手を置いたところで、ふと足を止めパリスが振り返る。
振り返った彼の顔に自嘲の笑みはなかった。
雨に濡れて髪が下りたパリスの瞳には何かがさ迷い、ダンはふと、出会ったばかりの頃の彼を思い出す。
何故それが脳裏に蘇ったのか分からないが、ダンは何となく口からこんな言葉を零した。
「………いいのか?」
誰もが疑問符を浮かべた、ダンが何を確認しているのか分からないからだ。
言った本人のダンにもそれははっきりと説明できなかった。
パリスは驚いたような顔をして、様々なものが入り混じっているブラウンの瞳でダンを見つめる。
そして一旦手すりを掴んだ手に視線を落としてからすぐに顔を上げた。
「早く」
皆に行動を促すパリスのその声は、まるで緊張しているかのような硬い声だった。




雨は、日頃から厳格な雰囲気を持っているサンドリアの町並みを更に厳かなものに染め上げていた。
冒険者で賑わう通りではその人通りの影響もあってあまり意識しないが、人気が無い通りとなるとその威厳は一層強く感じられる。
石造りの家々が、壁が、地面が、雨を一切受け入れることなくじっとしている。
目に映るもの全てが、上空に広がっている雲と同じ色に染められていくように見えた。

町に拒まれて流れていく雨に今の自分達は似ていると、行き場のない雨水を踏んで歩きながらトミーはぼんやりと考えた。


先頭を迷い無き足取りで突き進んでいくパリスは、活気のある通りからどんどん離れていく。
何処に向かっているのか見当もつかないが、冒険者が行動するところではないことくらいは分かる。
店も何もない、サンドリア王国に住む国民達の生活エリア。
自分の領土を主張するように敷地を塀で囲った貴族達の屋敷が並んでいる。
そんな区域を足早に進む中、パリスは小まめに後ろを振り返った。
入り組んだ道だ、はぐれたら大変だからだろう。
トミーは単純にそう考えていたが、このルートに記憶のあるダンはそんな簡単には片付けられなかった。
やがてダンが知っている最後の角まで来た――――――そこもさっさと通過して先へ進む。
スタスタと歩いて右へ左へと曲がるパリスがまた振り返った。
後に続いている誰もがその顔に注目するが、パリスは頑として誰とも視線を合わせなかった。
そうして何度か抜け道のようなものを通り抜けると、各屋敷の敷地を囲んでいる塀に囲まれた空間に出た。
周りのどの屋敷も背を向けているようなその場所に一軒の家がある。
風貌は周囲にあるような屋敷達とは異なる、しかし忘れじの廃屋という風にも見えない。
一般的な石造りの簡素なおもむきで、屋敷のような高さは無くどうやら平屋のようだ。
その家を訪問するための道は正面にちゃんと用意させているようだったが、一行が出てきたのは家の真横側からだった。
「あそこ」
一言そう言ってパリスが例の家を指し示した頃には、雨は大分弱まっていた。
ただひたすら後をついて歩いてきた一行は、真っ向から訪問できないような所なのかと疑問の眼差しを向ける。
貴族達の住まいの間を進んでいる最中は、見つかりでもしたら大変なので皆黙々と歩いていた。
が、目的地についた今、いい加減我慢できなくなったリオが抑え気味の声で問う。
「『あそこ』じゃないわよ、あそこは何なのよ」
少々警戒の音色が混じっているリオの声を聞いてもパリスは振り返らなかった。
答えないままじっと周囲に視線を巡らせ、歩みを再開すると同時にぼそぼそと言う。
「言い方としては幾つかありますけど……」
「はぁ?」
「簡単に言えば僕んちです」

一拍置いてから、女性三人が『えっ』という驚きの声を同時に漏らした。



<To be continued>

あとがき

ってなわけで、騎士道大好きリェーエンルー君のおかげで、どうにかこうにか城から脱出を果たしましたダンテスご一行です。
リェンは騎士道ラブ過ぎて騎士が悪だという発想ありません。(;´∀`)
しかし…この頃ホンットにトミー元気ないですよね、ものっそ書きにくいです。
そしてここ数話で村長内のリオの株価が大幅に上昇しております。
遠慮無くズケズケと思ったこと口にする彼女の傍若無人っぷりが非常に非常に救いになっています、作者にも、メンバー達にも、作者にも。

さぁてと、次回はついに『ドキ☆パリスのお宅拝見』です。(←ナニソレ)