何が為の血、傷

第三章 第十八話
2007/06/25公開



あと一秒もあれば息の根を止められた。
そこまで追い詰めたところで獲物に逃げられ、忍びはその場に両手足をついて頭を垂れる。
小刀を握った自分の両手をじっと見下ろして舌打ちする男。
その姿を眺めて、ダンが殺されずに済んだことに安堵し、トミーとリオは止めていた息を吐き出した。

ーーだが、そこで気が付く。

なぜ、自分達はダンがテレポで消えた後の暗殺者を眺めているのだろう。
あの暗殺者の姿を見ているということは、自分達はダンと共にこの場から消えていないということ。

「……ん…」

不安顔でトミーが見回す。
ダンと一緒にロエとローディの姿も消えている。
この場に残されたのはトミーとリオ。
それから気を失ったままのノルヴェルト。

そして当然、格子の鍵を所持したヒュームの暗殺者が一人。

「んんーーーーーーー!!!!」
状況を理解して、リオが信じられないという悲鳴を上げて格子の奥に後退る。

凍り付いた二人は、恐る恐る視線を向ける。
忍びは床にできた血溜まりをじっと見下ろしていた。


「……この臭い……頭が冴えちゃうんだよ……俺…」

男はがっかりしたように呟き、ダンの流した血を手で擦って延ばすのだった。



   *   *   *



「メアの石持ってないなんてサポート外だクポ~」
「くっそ……どこまで常識がねぇんだ、あの馬鹿二人は!!」
肩をすくめるローディの言葉なんぞ聞いちゃいないダンは、激痛が駆け回る体を無理矢理起こす。
しかし、どう考えても軽傷ではない体は言うことを聞かない。
手を拘束されていることもあり、なかなか立ち上がることができない。
ふらつくダンの脇でロエが封じられた口で必死に何かを言い続けている。
ダンは小さな仲間が何を言っているのか気にする余裕もない。
見かねて、ロエは『よいしゃ』とその場に座り込んでいるローディへと駆け寄る。
「んーんん!んんんん!」
「きひっ、ロエたんカワイイにゃ~。そのままどっかに閉じ込めちゃうぞぃ☆ちょっちょ待ってちょー」
にやにやと笑いながら言って、ローディは後ろで手錠をはめられている腕を上からぐるーっと前まで持ってきた。
そんなことは当然、一般的には無理だ。
ローディの間接がおかしい。
以前からローディが身体的におかしいところはダンも嫌というほど見てきた。
だが、彼の人間離れした柔軟性がこんなところで有効とは。

痛がる様子もなく、極普通に腕を回した彼の気色悪さにロエは思わず後退る。
ローブを着ているため彼の肩の骨がどう動いているのか見えないのが幸いだった。

「もうちょっと大きな手錠だったら関節外して抜けられたんだけどのぅ。にゃあでも、大丈夫だぞぇ。もらってきたからにゃー」

ローディは左足を振り回してブーツを脱ぐ。
出てきた真っ白い素足の指が鍵の束を摘んでいた。

そういえば、先程ジェラルディンというエルヴァーン騎士が言っていた。
手錠抜けを得意とする類の者は、盗みにも長けていたりする、と。

恐らく手錠をはめた人間から頂戴してきたと思われる。
束の内の一本を足の指に摘んで、ローディはごろんと仰向けになる。
「ニャニャニャニャニャッ!」
とか何とか言いながら、瞬く間に手錠の鍵を外してしまった。

何本もある鍵の中から悩むことなく手錠の鍵を選んで使用するあたり、『さすが』と言うべきか。

「やっぱりサンドは古いのぅ!まだこの業者の使ってるなんてププーだぞぃ。もうこの型製造停止になっちょるからレアだぞぇ。ダン持ち帰ってプレイに使う!?」
テンションの高い声で言いながらロエの手錠を外してやる。
嬉々としてダンを見るローディ。
だが戦士は変態魔道士をまったく相手にする気がない様子で、膝を立て思い切って立ち上がろうとしていた。
ノーリアクションのダンに半眼になるローディを余所に、ロエはすぐさま口封じの布に手をやる。
硬く縛られているそれを小さな手で懸命に外してダンに駆け寄った。

「待っ……てください、ダンさん!じっとして!」

悲鳴じみた声で言い、直ちに回復魔法の詠唱をする。
ロエの言葉に構わず、ダンは小さく呻き声をもらして立ち上がった。
前屈みの上体をゆっくりと起こす際、顔から血がパタパタと落ちる。
そして苦悶の表情でローディを見据えた。
掠れた声で要求する。
「手錠を外せ」
そこでロエの詠唱が結ばれる。
パァッと柔らかな治癒の光を浴び、ダンの右頬を真っ赤に染めていた傷口がすぅと塞がった。
傷は塞がったがダンの顔は血まみれのままだ。
首を伝った血は鎧の中も赤く染めているだろう。
ロエはダンの血を拭いたいと思ったが、彼は立ち上がっているので届かない。
彼を見上げていたら脳裏に先程の恐怖が蘇る。

絶体絶命で、彼は危うく殺されてしまうところだった。
しかし彼はそんな危機などとうに忘れた様子。
また戦場に向かおうとしている。

胸が潰れるような思いがして泣き出したくなる。
ぐっと堪えて、ロエは再び回復魔法の詠唱を始めた。

「手錠ってセクシーだから嫌いじゃないんだけどの~ぅ」
ダンの手錠を外してやりながら、どこか残念そうにローディ。
「すぐにホラへ飛べ!」
手錠から解放されるなりダンはローディに向いた。
よいしょよいしょと懐に手錠をしまっているローディはきょとんとした顔で目をしばたかせる。
そして満面に無邪気な笑みを浮かべ、縦ロールの髪を掻き上げ嬉々として言った。

「じゃあ、次は浴衣コスで行っていい!?」



   *   *   *



しんと静まり返った部屋の中。
トミーとリオは恐怖に凍りついていた。

薄暗い室内にはもう、戦ってくれるダンも、魔法に通じているロエも、助けにきてくれたローディもいない。

ごしごしと床に血を引き伸ばしている暗殺者。
ふぅと小さな溜め息をついて、手を止める。
そして砂と血で汚れた掌をじっと見つめ、握ったり開いたりを繰り返す。

「……久々にやれると思って……ちょっと遊んでたら……半分になっちまったよ」

ゆっくりと立ち上がる。

気力のない足取りで歩いて格子に掴まり、がしゃがしゃと揺らしながら悔しそうに男は呻いた。
殺す対象が減ったことを心から悔やんでいる彼に、二人は言葉も出ない。
暗殺者は懐から格子の鍵を取り出し、自分が入っている格子の鍵を開けに掛かる。
がちんと音がする。指でつんと扉を押してゆっくりと開いた。
錆び付いた音を立てて開いた扉を、溜め息をつきながら潜って外に出る。

「後片付けはもう飽き飽きした。……お前ばっかりズルイんだ……」

カン…カン…と、手に持った小刀で格子を叩きながらトミーがいる格子に向かう。
『お前』というのは、トミーと同じ格子の中で倒れているノルヴェルトのことだろう。
焦点は定まっているものの、男の目には狂気が渦巻いていた。
じっとノルヴェルトのことを見つめる。

トミーはじりじりと格子から後退って暗殺者から離れる。
なぜこんなことをするのかという疑問の眼差しで男を見つめた。

「んんんーーー!!んんぅーーーーー!!!」

鍵を手に、誰から片付けようか品定めをしているような暗殺者に耐えかねて、リオが部屋の入り口に向かって声を上げる。
天井の高い壁を見回すが窓はない。助けは呼べそうにない。
むしろ助けを求めて叫んだとしても、その叫びが聞こえる範囲に味方となってくれる人間がいるのか。
がちゃがちゃと動かしてみるが手錠は外れそうもない。
口封じも、取ったとしても魔法は使えない。

「女はうるさいだけで、殺しても面白くない」

相変わらず小刀で格子を一定のテンポで叩きながら言う男。
『くははっ』と笑ってリオの入っている格子にしがみ付いた。
鍵の束を片手に、見開いた目でじっとリオを見つめる。

「でも、ミスラは斬った尻尾で絞め殺すの面白いかもしれない」

正気の沙汰ではないことを言う。

リオはごくりと固唾を飲んだ。

今の彼の発言内容を想像したのではない。
彼を見て気が付いたのだ。

チャンスは、彼が鍵を開けて格子の中に入ってきた時しかない。
脳裏に先程目の当たりにしたダンの死闘が思い出される。

――無理、絶対無理!

――でも。

「でも、お前は後だ」

どくどくと鼓動がうるさい中でリオが考えていると、暗殺者の男があっさりした口調で言った。
えっと目を瞬くリオに彼は背を向ける。
男は格子を小刀で撫でながらトミーの前に戻った。
がりがりがりと音を立ててトミーの格子前まで戻り、にたりと唇を舐める。

「ジェラルディンも、頭が堅いよな。なんですぐ気付かねーんだ」

言いながら入り口の開錠に掛かる暗殺者を見て、格子内のトミーは震え上がった。
忍びのこもった笑い声はもちろん、鍵が揺れる音までも、すべてが恐ろしい。
「んんんんんんーーー!んんーー!!!」
リオは声による抵抗を見せる。
だが、忍びはそれさえも楽しむように笑いながら格子の入り口を開け放つ。

「ん……」
声を漏らして奥に後退るトミーを見つめながら男は扉を潜った。
ピアスまみれの顔に歪んだ笑み。
小刀を持ち直すと、倒れて気を失っているノルヴェルトに視線を落とす。

「ははぁ、こいつは……」

一人で納得したように呟いた。
ぎょろっと目だけを動かしてトミーを見る。


「お前なんだろ? 例の男の娘」


目元をひくつかせ、興奮を隠せない暗殺者。
トミーはただ眉を寄せる。

「困ったな、けどやりてぇ。いいよな、やっちゃってから気が付いたって言えばな」

ぶつぶつと一人で言っている忍びは、己の防具に小刀を当てて汚れを擦り付ける。
そうしてダンの血で汚れた小刀を少しばかり綺麗にして、獣のような息を吐いて笑った。

「そうだ……こいつ起こそう。見てる前でやってみよう」

再び唇を舐め、ノルヴェルトに視線を下ろす。
男は小刀を弄び、その『起こす』という行為が、肩を揺する等ではないことを暗に示していた。

それに気付いた瞬間ーートミーは考えるよりも先に足を踏み出していた。

暗殺者の顔を凝視したまま一歩一歩、ぎこちなく。
頭の中は目茶苦茶になり、ろくに思考が回らない中で。

そして、ゆっくりと自分へ視線を移す暗殺者の前に立ちはだかるように――

「んんんーーーーー!!」
隣の格子の中でリオが格子を思い切り蹴った。
目を見張って大騒ぎする彼女は『なに馬鹿なことしてんのよ!?』という顔。
トミーはごくりと固唾を呑んで一旦足を止めた。
震える息を付きながら暗殺者を見つめる。

もうあと二歩で、ノルヴェルトと暗殺者の間に立つことになる。


分かんないよ。
怖くて堪らないよ。
もしダンだったらどうするの?

私、ダンみたいに強くない。


「……ぅ…」

――と、掠れた微かな声が横から聞こえた。
あまりの恐怖に涙が滲む目でトミーは見下ろす。
ぼんやりと目を開いたノルヴェルトが微かに身をよじっていた。
虚ろな目で何処かを見つめている彼が手を使おうとして手錠が鳴る。

「お、起きたか?ははは。おい、面白いもん見せてやるよ」

表情を明るくした暗殺者が、弄んでいた小刀をしっかり握る。

「ちゃんと目ぇ覚ませ」

凍り付くような冷気を纏った声で、言った。

トミーははっと目を見張り、咄嗟に最後の二歩を踏む。
そんな彼女に眉を開き、忍びの暗殺者はにこりと優しげに笑った。
トミーの頬をいつの間にか零れた涙が伝う。
絶望に最後の気力を持ち去られ、へたりと座り込んで呆然と暗殺者を見上げた。


「さっきの男みたいに、まずは口布取ってやる」


――言った直後、暗殺者の小刀を握った手が鋭く動いた。

瞬間、トミーの体が横になぎ倒され、周辺に細かく血が散る。

格子を蹴って暴れ続けていたリオは声も出せず大きく目を見開いた。



「ーーおぉっ、はははは!」


しんとした室内に驚嘆したような暗殺者の笑い声が響く。
トミーはなぎ倒された痛みに身を堅くし、泣き声に似た息を付きながら薄っすら目を開く。
顔を斬られた痛みを恐々と探す……
痛みは感じるが、どの痛みも顔ではないような気がした。

見上げると、黒ずんだ外套の上に流れる銀髪。

「はははっ!うぬぁあっ…はは!」
じゃりっと足を開き、力を込める呻き声を発する忍び。

彼の小刀を握った手を、片膝を立てて起き上がったノルヴェルトの手が掴んでいた。

二人の間の床にはぼたぼたと大きな血の雫が零れ落ちている。

トミーを跳ね除けて忍びの手を掴んだノルヴェルト。
彼の右手は違和感のある形状で大量の血を沸かせていた。
左の手首には、右手が力ずくで抜け出した空の手錠が血を滴らせてぶら下がっている。
篭手をはめていなかったからこそ出来たことだろうが、血まみれの右手は一見どうなっているのか分からないほど酷い有様だった。

「おー、スゲェ、手ぇ削ぐ奴初めて見た!」

興奮の声で忍び。
更に力を込めてノルヴェルトの手を払おうとする。
しかし、右手が“壊れている”にも関わらず、ノルヴェルトの力は強い。
振り払うことを諦めた忍びは、面倒臭そうにノルヴェルトの鎖骨辺りに足を置いて蹴り離した。
忍びが解放された両の手を払うと周りに細かく血が跳ねる。

「ははは!凄い鉄臭い」
血にまみれた手を眺めて忍びが笑う。

床を一転したノルヴェルトは、片足を骨折しているとは思えない勢いで立ち上がり構えた。
忍びがひゅうと口笛を吹き、小刀を構え直す。

次の瞬間、軽いステップを踏んで身を翻しながらノルヴェルトに襲い掛かった!

ノルヴェルトは肩口に向けられた小刀に向かって自ら飛び出す―――
肩に小刀が食い込むが、同時に逆の腕で暗殺者目掛けて手を突き出した。
かっと目を見張った忍びが首を捻ってその手を避ける。
一拍置いてばっと血しぶきが散る。
忍びの鼻っ面から血が噴き出した。
鎧の奥にでも忍ばせていたのか、ノルヴェルトの無事である左手が小さなナイフを持っていた。
あくまでも戦う意思を示すノルヴェルト。

「はっ。そうでなくちゃよ」
忍びは自分の血を舐めて唇を吊り上げる。

――ノルヴェルトは暗殺者を睨みつけながら、あることに気付いていた。

昨晩、トミーをジュノから連れて出す際に周辺から感じた気配。
あれは恐らく、この男だ。

「……俺が最初に見たお前はな」
互いに互いの動きを封じ合っている状態で忍びが言った。

「でけぇ鎌を抱いてジュノから逃げ出してく姿だった。あの時はイカれたのかと思ったね!」

ノルヴェルトが目を見張る。
音を立てて歯を食い縛った。

脳裏に蘇る――恩師夫妻が思い出の世界へ身を投げ、自分が独りになったあの日。

「はははは!俺達、結構長い付き合いなんだぜ?」
高らかに笑う忍びの声が遠のく。
ノルヴェルトの胸の奥深くから、あの悪夢に対する恐怖と悲しみが湧き上がる。

そして、それらはすぐに真っ黒い怒りへ変わる。

目の前にいる殺意の対象以外、何も見えなくなった。

「殺す……!」
感情を吐き出し、ノルヴェルトが忍びの手を撥ね退けた。
空気をも断ち切る速さで刃が閃く。
忍びは恐ろしい反射で首を傾けそれを避ける。
が、ノルヴェルトは素早くナイフを返す――
忍びの耳のピアスがいくつも飛び散った。
ピアスを掻っ攫われ出血する忍びだが、瞬時にノルヴェルトの懐に入り長身のエルヴァーンの体を投げ飛ばした。
背中から床に叩きつけられノルヴェルトの全身をあらゆる激痛が襲う。
先程受けた拷問の際に数箇所の骨にはひびが入っている。
打撲は数知れない。矢傷もそのままだ。
床に広がった銀髪を踏み、忍びは片足をノルヴェルトの胸の上に置く。
「……っ」
「お前は生かしておけって言われたけど駄目だ。ははっ」
手を蹴ってナイフを余所にやってしまう。
興奮が暗殺者の口から溢れ出した。

「もう止まらねぇなぁ」

鋭く、ノルヴェルトが動く。
踏みつけている足を引っ掴んで自分の上から放り出す――が、忍びも瞬時に応じる。
足を浮かせそのままどかりとノルヴェルトの上に膝から座り込み、小刀を垂直に振り降ろした。
目を見張ったノルヴェルトの手が喉元に向かった小刀を遮る。
小刀が手を貫く――
忍びは更に力を込め、そのまま小刀でその手を喉に打ちつけようとする。

一片の躊躇いも見えない、正真正銘の殺し合い。

小刀を下ろす手に体重をかけていく暗殺者は狂ったように笑っている。

トミーは横たわった体をゆっくりと起こした。
自分のことなど眼中にない様子の彼らを愕然と眺め、後ずさる。
床に座り込んだまま足を動かしてずるずると。
恐怖に震えながら格子の隅へ。

――怖い、怖いよ、怖い。

あの暗殺者はノルヴェルトを殺そうとしている。
ノルヴェルトも、暗殺者を殺そうとしている。
血にまみれ獣のように咬み合って、一つしかない命を晒して。

――誰にも傷付いてほしくない。死んでほしくない。

がくがくと震えるトミーの肩が奥の壁にとんとぶつかる。

――でも、「やめて」って、あそこに飛び込んでいけない。

壁に背中を押し付けて膝を縮める。
頬を何筋もの涙が伝った。

――だってあそこには、“何もない”。


「んん……っ」
幸か不幸か蚊帳の外であるリオは呻く。
奥に縮こまって泣いているトミーに強い視線を送りつつ、懸命に身をよじって手錠を脱しようとしていた。
とてもじゃないが、ノルヴェルトのように力ずくで脱することはできない。
ミスラ族特有の尻尾で手錠を探ってみるものの、やはり鍵以外に脱出方法はなさそうだ。
手錠が当たる箇所がずきずきと痛み始める。
しかし足掻くことをやめるわけにはいかない。

殺し合いなら余所でやればいいじゃない!

あたしもあの子も関係ない!!!

「んんんんんー!!!!」
男達を眺めて立ち上がることもできずに泣いているトミーに気付けの声を張った。


ガチャガチャッ――ガンッ!

泣く声、唸り声、笑い声。
声のみ木霊する室内に、物質的な音が響いた。

「――た、やめろ!!」

次に、新しい声が響く。
部屋の扉を撥ね退けて二人のエルヴァーンが飛び込んでくる。
彼らは抱えていた数種の武器を床に放り出し、ノルヴェルトら三人が入っている格子に駆け寄った。
鍵の束を片手に格子の扉に手を伸ばすのは、鎧を身につけた赤い髪の若いエルヴァーン。
開錠しようとして入り口がすでに開いていることに気付く。
彼は扉を突っぱねて開け放ち、もう一人を振り返って叫んだ。

「パールッシュド!」

突入口を開け放った友人の傍らをすり抜け格子内に飛び込んだのは、ガンビズン姿の冒険者剣士、パリスだ。

「――って、どっち!?」

腰に下げた細身の剣を抜きながら、どちらが制圧対象なのかトミーとリオに慌てて尋ねる。

リオが呻き声を発しながらその尻尾で暗殺者を示した。

当の暗殺者は素早くノルヴェルトの上から飛び退いた。
床にしゃがみ、怪訝な顔をしている。

「こっち?!」
言いながら暗殺者に対峙するパリスの横を、もう一人の青年が槍を手に駆け抜ける。
突然現れた二人に面くらいつつ暗殺者は小刀を構える。
「お前……?」
「共和国のスパイか!?」
忍びの声を掻き消す張りのある声と共に、青年騎士が槍を突き出した。
忍びは小刀でそれを弾く。
すると間髪を入れず、滑らかな軌道でパリスの剣が忍びの小刀を打ち払う。
わずかに不安定になる忍びだが、続けて繰り出された槍を大きく後ろに飛んで回避した。
距離を取ろうとする忍びを逃がさんとして前に出る青年騎士。
パリスはすぐに追い込まず、一旦トミーへと視線を向けた。

「トミーちゃん立てる!?ここから出て!!」

「行ったぞ!!!」

友人の警告の声にパリスが視線を前に戻す――忍びが目の前に迫っていた。
「いいい!?」
咄嗟に剣を前に構える。
瞬く間に小刀による二撃が襲い、横に弾かれた。
重たい圧力によろめくパリス。
間近で暗殺者の血まみれの顔を見てぞっとした。
瞬間、槍を放り出した青年騎士が後ろから忍びに飛び掛った。
「この……っ!」
毒付きつつ忍びを床にねじ伏せようとする。
だが、ぐるりと身を回転させた忍びが青年騎士を軽々と背負い投げた。
エルヴァーンを放り投げた忍びが不敵な顔を上げる。
そして次の標的へと視線を移して飛び出す。
しかしーー何かが腰に引っかかった。

目の前にいるパリスと揃って驚愕の顔で見下ろすと――槍。

青年騎士の槍が忍びの脇腹に噛み付いていた。

槍に沿って視線を移す。
身を起こしたノルヴェルトがそれを握っていた。

素早く引き抜き、風を切って唸る槍の柄を忍びの腹に叩き込む。
忍びの体がくの字に折れ、胃液が逆流したような呻き声を漏らす。
彼が血を吐き出すのを待たず、次の瞬間には槍の柄が忍びの後頭部を殴り飛ばしていた。

片膝を立てた状態で暗殺者に一瞬の猛攻をお見舞いしたノルヴェルトは、そこでついにバランスを崩してずしゃっと床に腕を着く。
槍に叩き落される形で床に倒れた忍びを、一拍の間を置いてパリスと青年騎士が押さえつける。
しこたま食らって血を吐き出した忍びはさすがに意識を手放したようだった。


伸びた暗殺者の体をぐいと引きずり、懐から出した手錠を慣れた手際ではめる青年騎士。
手錠は格子を通してはめた。
意識が戻ってもその場から動くことはできない。

テキパキと忍びの武器を押収していると、背後でパリスが治癒魔法を唱える。
暗殺者にケアルをかけたパリスを怪訝な顔で見上げる青年騎士。
パリスは苦笑して肩をすくめた。
「死んじゃったらマズイでしょ」
青年騎士にトミーとリオを開放してやってくれと頼む。
そしてパリスはノルヴェルトに目を向けた。

ノルヴェルトは、負傷に構わず無茶をしたその代償に襲われていた。
激痛に歯を食い縛って耐えながら、荒い息をついている。
彼がどれほどの怪我を負っているのかは分からない。
しかし、今、目の当たりにした彼の敵に対する闘争心を思い起こす。
背筋を冷たいものが走り抜けた。

「――パリス、さん!」

口を塞いでいた布を取られたトミーが、ぎこちない声で呼んだ。
彼女は青年騎士が手錠を外そうとしているのに待てない様子でよろよろと立ち上がる。
そのままノルヴェルトの脇を突っ切って駆け寄ってきそうに思えたので、パリスはノルヴェルトを警戒しつつ、トミーのもとに向かう。

読みは正しかったようだ。

案の定、手錠が外れるなり、トミーは一直線にパリスへ飛びついてきた。

「よかった…!怪我は!?」
いつもまとめて結ってある髪はほどけて乱れ、泣きはらした目、いくつもの擦り傷。
それでも、そんなこと気にも留めずに真っすぐ見上げてくる瞳。
ぐっとパリスの目元に痛みが走る。
「トミーちゃん……」
呟いて、彼女を直視できず俯いてしまう。
必死に無事を確かめるように、彼女の細い手がパリスの腕に触れてくる。
「パリスさん、は、無事だって……ロエさんが…っ」
「うん……」
「私…っ…本当に……!」
一生懸命なトミーの距離が苦しくて、パリスは堪らず一歩下がる。
「トミーちゃん」
戸惑いの声を物ともせず、なおもトミーはパリスにすがった。
「ぅぅ……パリスさん、こんなところに……来てくれちゃって大丈夫なんですかぁ?」
彼女の揺れる瞳から涙が零れ落ちる。
一瞬息を止め、パリスは苦しげに首を横に振った。
「トミーちゃん違うよ」
トミーは、彼が何を『違う』と言っているのか分からない。
涙を拭いながら首を傾げる。

そこに、青年騎士に解放してもらったリオが物凄い勢いで飛んできた。
トミーをパリスから力任せに引き離す。
「ぁうあ!?何リオさ」
「あんたは黙ってなさいよ!!」
まるでトミーを庇うように抱き込む。
そしてこれまで以上に険悪な眼差しでパリスを睨みつけた。

トミーはいよいよ訳が分からない。
困惑顔でパリスを見上げると、ノッポのエルヴァーンは肩をすくめた。

「……そ。リオさんが正解……かな」

パリスは寂しげな声で言って、自嘲の笑みを浮かべる。

彼に近寄ることを許されないトミーは唖然とした顔で二人を見比べた。

リオが穏やかでない感情をパリスに向けている。
それはもちろん、嫌だ。
しかしそれ以上に――
それに対して、パリス自身が納得している様子なのが堪らなく嫌だった。

異論も弁解もしない彼。
青年騎士が格子内に戻ってきたのをきっかけに、二人に背を向けた。

満身創痍の銀髪のエルヴァーンは、じっとパリスを睨みつけていた。
槍を手に立ち上がろうとしている。
ぎしぎしと体を動かすノルヴェルトは、体のあらゆる箇所から血が滴っていた。
その姿に鳥肌が立つ。
仕留められる寸前の野生の獣を前にしているような心境だった。

先程目の当たりにした彼の猛攻がパリスの脳裏を過ぎる。

この男はこんな状態であっても、全く仕留められる気がしなかった。


「パールッシュド……」
横に並んだ青年騎士が判断を仰ぐように名を呟く。
パリスは小さく頷いてみせると、慎重に口を開いた。

「……できるなら、あなたとは争いたくありません」

震えを抑え込み、声を絞り出す。

「僕達はまず、ここから脱出したいんですよ。どうでしょうね……無事に脱出できるまで、一時休戦というのは?」
後ろでリオとトミーが息を詰まらせた気配を感じ取りつつ、続ける。
「あなたが僕達に協力してくれるというなら、それ以上心強いことはありません」
一旦言葉を切り、静かに呼吸を整える。
強ばった苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
「あなたが僕達を行かせないというなら……仕方がありませんけど。でも、ここで争ってても、お互い何も得はしませんよ」

そこまで言ったところで、ノルヴェルトは完全に立ち上がった。

あらゆる苦痛に耐えている酷く痛々しい姿。
だが、彼がその気になれば、まだまだ戦うことができるのだろう。
苦しげな息をつきつつ無言で身構えるノルヴェルトの圧力は相当なものだった。

「…………二人の意見も聞きたいな」
後ろを振り返らずにぽつりとパリスが尋ねた。

トミーを抱き込んだまま、パリスの後ろからノルヴェルトを覗き見るリオ。
正直な表情を浮かべるが、少し考えると小さく息を吐く。
「……癪だけど、今はあんたに頼るしかないわね」
限りなく不本意な響きの声で言った。 「……それは助かります」
意外そうな声でパリスが言うと、リオは鼻を鳴らす。
横目にじろりとノルヴェルトを見つめつつ、パリスの背中に言葉を寄せる。
「一応、あんたはこの子のこと……気にかけたからよ。でも勘違いしないでよね。あんたとあいつの二択だから、しょうがなくよ」

その言葉を聞いて、パリスとノルヴェルトが同時に目を見張った。

トミーは眉を寄せた困惑顔でリオを見上げる。
「ど、どうしてそんなこと言うんですか。パリスさんですよ?」

「あんたは何も知らないのよ」

「おかしいです、そんなのっ」

「トミーちゃんはどう?」

抗議するトミーの声に被せて、背中越しにパリスが尋ねた。
「僕としては、この人とはやり合いたくないんだ。だから、ここでお別れするか、一緒に行くか……かな」
うっと言葉を詰まらせたトミーは、パリスの背中から、その向こう側にいるノルヴェルトへと視線を移す。
今の今までパリスのことを睨みつけていたノルヴェルト。
だが一瞬トミーと視線を合わせると、ぎくりとして視線を落とした。

もし、ここで彼を一人にしたら……
何も分からないまま、彼は死んでしまう。

トミーはそんな気がしてならなかった。


「…………お願いです、パリスさん……一緒に……」

おずおずと、トミーは懇願した。
リオは信じられないという顔をして彼女を見下ろす。

パリスはわずかな沈黙を置き、トミーの願いを受け止めた。

「……了解」

呟くと、剣を納め、魔法の詠唱を始める。
びくりと身構えるノルヴェルト。青年騎士も素早く身構える。
「ダ…ダメッ!」 トミーが声を張ると、二人とも硬直した。
息が詰まるほどの警戒を露わにしたノルヴェルトを、トミーが強い眼差しで封じ込めた。

パリスが詠唱を結び、高度な回復魔法がノルヴェルトに注がれる。
癒しの光が漆黒の体に降り注ぐ。

瞬間、ノルヴェルトは驚愕の目で凍り付いた。

「――なっ、やめろっっ!!」

長年癒しを知らなかった体を見下ろし、塞がっていく傷に慌てて爪を立てる。
女神を恨みエルヴァーンを憎んできた彼にとって、それは屈辱であり汚らわしいものだった。

血相を変えて治癒を拒絶する彼に一行は唖然とする。
すると次の瞬間、トミーがリオの腕を抜け出して駆け寄った。
驚いて皆が制止する前に、癒えていく体を傷つけるノルヴェルトの手をトミーが捕まえる。

「どうしてっ、ダメです!……っ」

捕まえた手をふと見てトミーは言葉を失った。
――酷く壊れてしまった右手。

その手も含め、ノルヴェルトの拒絶をものともせずに魔法が肉体を癒していく。
ノルヴェルトは、トミーの細い手を振り払うこともできず愕然と立ち尽くしていた。

完全とは言えないが、ほとんどの苦痛は拭い去られたようだった。


「彼女の願いでもありますし……お願いしますよ、ノルヴェルトさん」

パリスはじっとノルヴェルトを見据え、まるで言い聞かせるように、その名前をやや強調して呼んだ。
そこで、パリスの後ろからささっと前に出たリオが素早くトミーを引っ張り戻す。

ノルヴェルトは押し黙ったまま、じっとトミーを見つめる。
そして、彼女の仲間達に視線を巡らせた。


信じられない。

信じられはしないが――今は此処から脱出しなければならない。


このタイミングで、突然現れた協力者。
何か罠があるとも充分に考えられる。
だが、少なくとも今は、この場で争っている場合ではない。

トミー以外の者を皆斬って、不安要素を排除することはできる。
だが、そんなことをすれば、彼女との間に取り返しのつかない溝ができてしまうのは、間違いない。


「……いいだろう」


ノルヴェルトは低く呟いた。
エルヴァーン二人に対する警戒だけは忘れまいとして、申し入れを受ける意を示す。

緊張に口元を引き結んだままパリスは頷く。

「……決まりですね」

相容れぬ眼差しで、じっとノルヴェルトを見つめた。



<To be continued>

あとがき

長過ぎるので後半を切り離した第十八話『何が為の血、傷』でした。
誰のために流れた血なのか。
誰のために負った傷なのか。
そんな問いが描かれています。
そして、ノルヴェルトが格の違いを見せつけましたね。
彼の強さはちょっと、次元が違うのです。
それがまた悲しいけれど。
今回は三人のエルヴァーンの『違い』を描いたとも言えます。
読んでいただきありがとうございました。