何が為の血、傷

第三章 第十八話
2007/06/25公開



あと一秒もあれば息の根を止められた。
そこまで追い詰めたところで獲物に逃げられ、忍びはその場に両手足をついて頭を垂れる。
小刀を握った自分の両手をじっと見下ろして舌打ちする男を眺めて、ダンが殺されずに済んだことに安堵し、トミーとリオは止めていた息を吐き出した。

………が、安堵の息をついたところで気が付く。
何故、自分達はダンがテレポで消えた後の暗殺者を眺めているのだろう。
あの暗殺者の姿を見ているということは、自分達はダンと共にこの場から消えていないということ。
「……ん…」
不安顔でトミーが見回すと、ダンと一緒にロエとローディの姿も消えている。
この場に残されたのはトミーとリオ、それから気を失ったままのノルヴェルト。

そして当然、格子の鍵を所持したヒュームの暗殺者が一人。

「んんーーーーーーー!!!!」
状況を理解して、リオが信じられないという悲鳴を上げて格子の奥に後退る。
二人が恐る恐る眺めると、忍びは床にできた血溜まりをじっと見下ろしていた。


「……この臭い………頭が冴えちゃうんだよ…俺…」

男はがっかりしたように落ち着いた声で呟き、ダンの流した血を手で擦って延ばすのだった。



   *   *   *



「メアの石持ってないなんてサポート外だクポ~」
「くっそどこまで常識がねぇんだあの馬鹿2人は!!!」
呆れた顔をして肩をすくめるローディの言葉なんぞ聞いちゃいないダンは、痛みまくる体を無理矢理立ち上がらせようとする。
しかしどう考えても軽傷ではない体は言うことを聞かず、手を拘束されていることもあり、なかなか立ち上がることができない。
ふらついているダンの脇でロエが封じられた口で必死に何かを言い続けている。
小さな仲間が何を言っているのか気にする余裕もなさそうなダンを見かねて、ロエは『よいしゃ』とその場に座り込んでいるローディへと駆け寄る。
「んーんん!んんんん!」
「きひっ、ロエたんカワイイにゃ~そのままどっかに閉じ込めちゃうぞぃ☆ちょっちょ待ってちょー」
そう言ってにやにやと笑いながら、ローディは後ろで手錠をはめられている腕を上からぐるーっと前まで持ってきた。
そんなことは当然、一般的には無理だ、ローディの間接がおかしいのである。
以前からローディが身体的におかしいところはダンも嫌というほど見てきたが、彼の人間離れした柔軟性(?)がこんなところで役に立つとは考えもしなかった。
痛がる様子もなく極普通に腕を前に回してきたローディの気色悪さにロエは思わず後退る。
ローブを着ているため彼の肩の骨がどう動いているのか見えないのが幸いだった。
「もうちょっと大きな手錠だったら関節外して抜けられたんだけどのぅ。にゃあでも大丈夫だぞぇ、もらってきたからにゃー」
と言ってローディは左足を振り回してブーツを脱ぐ。
出てきた真っ白い素足の指が何本かの鍵が束になったリングを摘んでいた。
そういえば先程ジェラルディンというエルヴァーン騎士が言っていた、手錠抜けを得意とする類の者は盗みにも長けていたりする、と。
恐らく手錠をはめた人間から頂戴してきたと思われる鍵の束の内、一本を足の指に摘んで、ローディはごろんと仰向けになると『ニャニャニャニャニャッ!』とか何とか言いながら瞬く間に手錠の鍵を外してしまった。
何本もある鍵の中から悩むことなく手錠の鍵を選んで使用するあたり、『さすが』と言うべきか。
「やっぱりサンドは古いのぅ、まだこの業者の使ってるなんてププーだぞぃ。もうこの型製造停止になっちょるからレアだぞぇ、ダン持ち帰ってプレイに使う!?」
テンションの高い声で言いながらローディはロエの手錠を外してやる。
嬉々としてダンを見るローディだがダンは全く相手にする気がない様子で、膝を立て思い切って立ち上がろうと自分の足を見下ろして呼吸を整えていた。
ノーリアクションのダンに半眼になるローディを余所に、ロエはすぐさま口封じの布に手をやる。
硬く縛られているそれを小さな手で懸命に外してダンに駆け寄った。
「待っ…てくださいダンさんじっとして!」
悲鳴じみた声で言い、ロエは直ちに回復魔法の詠唱をする。
じっとしていろというロエの言葉に構わずに、ダンは小さく呻き声をもらして立ち上がった。
前屈みになっていた上体をゆっくりと起こす際、顔から血がパタパタと落ちる。
そうして苦悶の表情を浮かべてローディを見据え、掠れた声で『手錠を外せ』と要求したところでロエの詠唱が完了した。
パァッと柔らかな治癒の光を浴びて、ダンの右頬を真っ赤に染めていた傷口がすぅと塞がる。
傷は塞がったがダンの顔は血まみれのままだ。首を伝った血は鎧の中も赤く染めているだろう。
ロエはダンの血を拭いたいと思ったが、ダンは立ち上がっているのでロエには届くはずが無い。
介抱するどころか、そうしてダンを見上げていたら脳裏に先程の恐怖が蘇ってきた。
絶体絶命で危うく殺されてしまうところだった彼は、そんな自分の危機などとうに忘れた様子でまた自分を戦場に向かわせようとしている。
胸が潰れるような思いがして泣き出したくなったが、ぐっと堪えてロエは再び回復魔法の詠唱を始めた。
ダンから言葉はなかったが、もっとしっかり癒さなければと。
「手錠ってセクシーだから嫌いじゃないんだけどの~ぅ」
ダンの手錠を外してやりながら、何処か残念そうにローディは言った。
「すぐにホラへ飛べ!」
手錠から解放されるとそう言ってダンはすぐさまローディに向き直り、よいしょよいしょと懐に手錠をしまっているローディはきょとんとした顔で目をしばたかせる。
そして満面に無邪気な笑みを浮かべると、縦ロールの髪を掻き上げ嬉々として言った。

「じゃあ次は浴衣コスで行っていい!?」



   *   *   *



しんと静まり返った部屋の中でトミーとリオは恐怖に凍りついていた。
薄暗い収容室内にはもう、戦ってくれるダンも、魔法に通じているロエも、助けにきてくれたローディもいない。
ごしごしと血を床に引き伸ばしていた暗殺者が、ふぅと小さな溜め息をついて手を止める。
そして砂と血で汚れた掌をじっと見つめ、握ったり開いたりを繰り返す。
「……久々にやれると思って……ちょっと遊んでたら…半分になっちまったよ」
ゆっくりと立ち上がると気力のない足取りで歩いて格子に掴まり、がしゃがしゃと揺らしながら悔しそうに呻く男。
殺す対象が減ったことを心から悔やんでいる様子の彼に二人は言葉も出ない。
暗殺者の忍びは懐から格子の鍵を取り出して自分が入っている格子の鍵を開けに掛かる。
がちんと音がすると、忍びは指でつんと扉を押してゆっくりと開く。
錆び付いた音を立てて開いた入り口を、溜め息をつきながら潜って外に出た。
「後片付けはもう飽き飽きした……お前ばっかりズルイんだ……」
カン…カン…と、手に持った小刀で格子を叩きながらトミーが入れられている格子に向かって歩く。
彼が言う『お前』というのは、トミーと同じ格子の中で倒れているノルヴェルトのことだろう。
焦点は定まっているもののやはり狂気を感じる目で男はノルヴェルトのことを見つめた。
じりじりと格子から後退って暗殺者から離れるトミーは、何故こんなことをするのかという疑問の眼差しで男を見つめている。
「んんんーーーー!!んんぅーーーーーーーーー!!!」
鍵を手に誰から片付けようか品定めをしているような暗殺者に耐えかねて、リオが部屋の入り口に向かって声を上げる。
天井の高い壁を見回すが窓はない。助けは呼べそうにない。
寧ろ助けを求めて叫んだとしても、その叫びが聞こえる範囲に味方となってくれる人間がいるのか。
がちゃがちゃと動かしてみるが手錠は外れそうもない。口封じも、取ったとしても魔法は使えない。
「女はうるさいだけで殺しても面白くない」
相変わらず小刀で格子を一定のテンポで叩きながら言う男は、『くははっ』と笑ってリオの入っている格子にしがみ付いた。
鍵を片手に握り締め、見開いた目でじっとリオを見つめる。
「でもミスラは斬った尻尾で絞め殺すの面白いかもしれない」
正気の沙汰ではないことを言う暗殺者を見つめて、リオはごくりと固唾を飲んだ。
今の彼の発言内容を想像したのではない、彼を見て気が付いたのだ。
チャンスは、彼が鍵を開けて格子の中に入ってきた時しかないということに。
すると脳裏に先程目の当たりにしたダンの死闘が思い出される。
――――――――――無理、絶対無理!
―――――――――でも。
「でもお前は後だ」
どくどくと鼓動がうるさい中でリオが考えていると、暗殺者の男があっさりした口調で言った。
えっと目を瞬くリオに背を向けると男は格子を小刀で撫でながらトミーの前に戻る。
がりがりがりと音を立てて再びトミーの格子前まで行き、にたりと唇を舐める。
「ジェラルディンも頭が堅いよな、なんですぐ気付かねーんだ」
言いながら入り口の開錠に掛かる暗殺者を見て格子内のトミーは震え上がった。
忍びのこもった笑い声は勿論、鍵が揺れる音までも全てが恐ろしい。
「んんんんんんーーー!んんーー!!!」
自分の無力を痛感しつつもリオは声による抵抗を続けるが、忍びはそれさえも楽しむように笑いながら格子の入り口を開け放つ。
「ん……」
声を漏らして奥に後退るトミーを見つめながら男は入り口を潜った。
ピアスまみれの顔に歪んだ笑みを浮かべて小刀を持ち直すと、忍びは倒れて気を失っているノルヴェルトに視線を落とす。
そして『ははぁこいつは……』と一人で納得したように呟くと、ぎょろっと目だけを動かしてトミーを見る。
「お前なんだろ?例の男の娘」
目元をひくつかせて興奮を抑えている様子の暗殺者にトミーは眉を寄せた。
「困ったな、けどやりてぇ。いいよな、やっちゃってから気が付いたって言えばな」
ぶつぶつと一人で言っている忍びは、己の防具に小刀を当てて汚れを擦り付ける。
そうしてダンの血で汚れた小刀を少しばかり綺麗にして、獣のような息を付きながら笑った。
「そうだ……こいつ起こそう。見てる前でやってみよう」
また唇を舐めてノルヴェルトに視線を下ろす男は小刀を弄び、その『起こす』という行為が肩を揺する等ではないことを暗に示していた。
それに気付いた時、トミーは考えるよりも先に足を踏み出していた。
頭の中は目茶苦茶になってろくに思考が回らないのだが、暗殺者の顔を凝視したまま一歩一歩、ぎこちなく。
そして、ノルヴェルトからゆっくりと自分へ視線を移す暗殺者の前に立ちはだかるように……。
「んんんーーーーーーー!!」
隣の格子の中でリオが叫んでがしゃんと格子を思い切り蹴った。
『何馬鹿なことしてんのよ!?』と書いてある顔でトミーを見つめて大騒ぎしている。
トミーはごくりと固唾を呑んでノルヴェルトの横で一旦足を止め、震える息を付きながら暗殺者を見つめた。
もうあと二歩で、ノルヴェルトと暗殺者の間に立つことになる。

分かんないよ、怖くて堪らないよ。
もしダンだったらどうするの?
私、ダンみたいに強くない。


「………ぅ…」

――――――と、掠れた微かな声が横から聞こえた。
あまりの恐怖に涙が滲んできた目でトミーがふと見下ろすと、ぼんやりと目を開いたノルヴェルトが微かに身をよじっていた。
虚ろな目で何処かを見つめているノルヴェルトが手を使おうとして手錠がカチャリと鳴る。
「お、起きたか?あはは、おい面白いもん見せてやるよ」
『ちゃんと目ぇ覚ませ』と言い、弄んでいた小刀をしっかり手に握る暗殺者。
それを見てトミーははっと目を見張ると咄嗟に最後の二歩を踏む。
そんなトミーに眉を開いた忍びの暗殺者は、にこりととても優しげに笑った。
トミーの頬をいつの間にか零れた涙がつぅと伝い、絶望に最後の気力を持ち去られ、へたりと座り込んで呆然と暗殺者を見上げる。

「さっきの男みたいに、まずは口布取ってやる」

言った直後、暗殺者の小刀を握った手が鋭く動いた!
瞬間、トミーの体が横になぎ倒され、周辺の広い範囲に細かく血が散る。
格子を蹴って暴れ続けていたリオは声も出せず大きく目を見開いた。






「おぉっ、あはははは!」


しんとした室内に驚嘆したような暗殺者の笑い声が響く。
トミーはなぎ倒された痛みに身を堅くし、泣き声に似た息を付きながら薄っすら目を開く。
顔を斬られた痛みを恐々と探すが、痛みは感じるものの、どの痛みも顔ではないような気がした。
見上げると、黒ずんだ外套の上に流れる銀髪。
「はははっ!うぬぁあっ…あはは!」
じゃりっと足を開き、力を込める呻き声を発する忍び。
彼の小刀を握った手を、片膝を立てて起き上がったノルヴェルトの手が掴んで動きを封じていた。
二人の間の床にはぼたぼたと大きな血の雫が絶え間なく零れ落ちている。
トミーを跳ね除けて忍びの手を掴んだノルヴェルトの右手は、若干違和感のある形状になり大量の血を沸かせていた。
彼の左の手首には、右手が力ずくで抜け出した空の手錠が血を滴らせてぶら下がっている。
篭手をはめていなかったからこそ出来たことだろうが、血まみれの右手はぱっと見ただけではどうなっているのか分からないほど酷い有様だった。
「おー、スゲェ、手ぇ削ぐ奴初めて見た!」
興奮気味の声で言うと、忍びの暗殺者は更に力を込めてノルヴェルトの手を払おうとする。
しかし、右手が“壊れている”にも関わらずノルヴェルトの力は尋常ではなく、振り払うことを諦めた忍びは面倒臭そうにノルヴェルトの鎖骨辺りに足を置いて蹴り離した。
忍びが解放された両の手を払うと回りに細かく血が跳ねる。
「ははは凄い鉄臭い」
ノルヴェルトの血にまみれた自分の手を眺めて笑う忍び。
床を一転して起き上がったノルヴェルトは片足を骨折しているとは思えない勢いで立ち上がり構える。
ひゅうと口笛を吹いて小刀を構え直し、忍びは軽いステップを踏んで身を翻しながらノルヴェルトに襲い掛かった!
ノルヴェルトは肩口に向けられた小刀に向かって自ら飛び出し、肩に小刀が食い込むと同時に逆の腕で暗殺者目掛けて手を突き出した。
かっと目を見張った忍びが首を捻ってその手を避けると、一拍置いてばっと血しぶきが散る。
忍びの鼻っ面から血が噴き出していた。
見るといつの間にか、ノルヴェルトの無事である左手が小さなナイフを持っていた。
鎧の奥にでも忍ばせていたのか、逃げ出す様子もなくナイフを手にしてあくまでも好戦的なノルヴェルト。
彼を見て『そうでなくちゃよ』と、忍びは自分の血を舐めて唇を吊り上げる。
ノルヴェルトは暗殺者の忍びを睨みつけながらあることに気付いていた。
昨晩、トミーをジュノから連れて出す際に周辺から感じた気配。
あれは恐らくこの男だ。
「俺が最初に見たお前はな」
互いに互いの動きを封じ合っている状態で忍びが言い、ノルヴェルトはぴくりと眉を動かす。
「でけぇ鎌を抱いてジュノから逃げ出してく姿だった。あの時はイカれたのかと思ったね!」
はっと目を見張り、音を立てて歯を食い縛るノルヴェルト。
脳裏に蘇る、恩師夫妻が思い出の世界へ身を投げて自分が独りになったあの日。
「あはははは、俺達結構長い付き合いなんだぜ?」
高らかに笑う忍びの声遠く、ノルヴェルトの中にあの悪夢に対する恐怖と悲しみが湧き上がる。

そしてそれらはすぐに真っ黒い怒りへ変わり、目の前にいる殺意の対象以外何も見えなくなった。

「貴様……!」
勢いよく忍びの手を撥ね退けると、空気をも切る速さでノルヴェルトはナイフを払った。
忍びは恐ろしい反射神経で首を傾けてそれを避けるが、ノルヴェルトは返しでナイフの先を忍びの耳のピアスに引っ掛けてそのまま引き放つ。
数個のピアスを掻っ攫われた忍びの耳が痛々しげに出血するが、忍びは素早くノルヴェルトの懐に入り長身のエルヴァーンの体を投げ飛ばした。
背中から床に叩きつけられ息の詰まったノルヴェルトの全身をあらゆる激痛が襲う。
先程受けた拷問の際に数箇所の骨にはひびが入っているだろうし、打撲は数知れない。矢傷もそのままだ。
床に広がった銀髪を踏み、もう片方の足をノルヴェルトの胸の上に置く忍び。
「っ…」
「お前は生かしておけって言われたけど駄目だ、ははっ」
ノルヴェルトの手を蹴ってナイフを余所にやってしまう。
「もう止まらねぇなぁ」
鬼気迫るものを感じる興奮した口調で暗殺者が言っていると、突如ノルヴェルトが動いた。
踏みつけている足を引っ掴んで自分の上から放り出そうとする―――が、忍びも瞬時に対応する。
足を浮かせてそのままどかりとノルヴェルトの上に膝から座り込み、小刀を垂直に振り降ろす。
目を見張ったノルヴェルトは咄嗟に手を構え喉元に向かって下ろされる小刀を遮った。
手を小刀が貫くが、忍びは更に力を込め、そのまま小刀でその手を喉に打ちつけようとする。

一片の躊躇いも見えない、正真正銘の殺し合いだ。
小刀を下ろす手に体重をかけていく暗殺者は狂ったように笑っている。

横たわった体をゆっくりと起こしたトミーは、自分のことなど眼中にない様子の彼らを愕然と眺めながら後退っていた。
床に座り込んだまま足を動かしてずるずると、恐怖に震えながら少しずつ格子の隅へ。
――――――怖い、怖いよ、怖い。
あの暗殺者はノルヴェルトを殺そうとしている、ノルヴェルトも、暗殺者を殺そうとしている。
血にまみれ獣のように咬み合って、一つしかない命を晒して。
――――――――誰にも傷付いてほしくない、死んでほしくない。
がくがくと震えるトミーの肩が奥の壁にとんとぶつかる。
――――――――――でも、「やめて」って、あそこに飛び込んでいけない。
壁に背中を押し付けて膝を縮めるトミーの頬を何筋もの涙が伝う。
――――――――――――だってあそこには、“何もない”。

「んん……っ」
奥に縮こまって泣いているトミーに強い視線を送りつつ、幸か不幸か蚊帳の外であるリオは懸命に身をよじって手錠を脱しようとしていた。
とてもじゃないがノルヴェルトがしたように力ずくで脱することはできない。
ミスラ族特有の尻尾で手錠を探ってみるものの、やはり鍵以外に脱出方法は無く思えた。
しかし、手錠が当たる箇所がずきずきと痛み始めてもリオは足掻くことをやめない。

殺し合いなら余所でやればいいじゃない!
あたしもあの子も関係ない!!!

「んんんんんー!!!!」
リオは、男達を眺めて立ち上がることもできずに泣いているトミーに気付けの声を張った。


ガチャガチャッ――――――ガンッ!
泣く声、唸り声、笑い声、怒鳴り声という声のみだった室内に物質的な音が響いた。
「――――――た、やめろ!!」
次に声が響き、顔を上げると部屋の扉を撥ね退けて二人のエルヴァーンが飛び込んできていた。
彼らは抱えていた数種の武器を床に放り出してノルヴェルトら三人が入っている格子入り口に駆け寄る。
鍵の束を片手に格子の入り口に手を伸ばすのは、鎧を身につけた赤い髪の若いエルヴァーン。
入り口を開錠しようとした彼は入り口がすでに開いていることに気付き、扉を突っぱねて開け放ちながらもう一人を振り返って叫んだ。
「パールッシュド!」
呼んで突入通路を開け放った友人の傍らをすり抜けて格子内に飛び込んだのは、ガンビズン姿の冒険者剣士、パリスだ。
「―――って、どっち!?」
腰に下げた細身の剣を抜きながら、どちらが敵なのかトミーとリオに慌てて尋ねるパリス。
呆然としているトミーの代わりにリオが呻き声を発しながらその尻尾で暗殺者を示した。
当の暗殺者は素早くノルヴェルトの上から飛び退いて床にしゃがみ、怪訝な顔をしている。
ノルヴェルトをちらっと横目に見つつ『こっち?!』と暗殺者に対峙するパリスの横を、パリスに続いて格子内に突入してきたエルヴァーンの青年騎士が槍を手に駆け抜ける。
突然現れたエルヴァーンの青年二人に面食らった様子で暗殺者は小刀を構えた。
「お前…?」
「共和国のスパイか!?」
忍びの声を掻き消す張りのある声と共に青年騎士が槍を突き出すと、忍びは小刀でそれを弾いた。
すると間髪を入れず、忍びの手から小刀を弾こうとパリスの剣が下から救い上げるように振るわれる。
それも小刀で弾く忍びだが若干不安定になり、続けて再び繰り出された槍を大きく後ろに飛んで回避した。
距離を取ろうとする忍びを逃がさんとして前に出る青年騎士。
パリスはすぐに追い込まずに一旦トミーに視線を向けた。
「トミーちゃん立てる!?ここから出て!!」
「行ったぞ!!!」
友人の警告の声にパリスが視線を前に戻すと忍びが目の前に迫っていた。
「いいいいい!?」
慌てて剣を前に構えると瞬く間に小刀による二撃が襲ってきて横に弾かれる。
その凄い勢いによろめいたパリスが暗殺者の血まみれの顔を見てぞっとした瞬間、槍を放り出した青年騎士が後ろから忍びに飛び掛った。
「この…っ!」
毒付きつつ忍びを床にねじ伏せようとするが、ぐるりと身を回転させた忍びが青年騎士を軽々と背負い投げた。
エルヴァーンを放り投げたヒュームの忍びが『どうだ』と言いたげな顔を上げる。
そして次の標的へと視線を移して飛び出そうとしたところで、何かが腰に引っかかった。
目の前にいるパリスと揃って驚いた顔をし見下ろすと――――槍。
青年騎士の槍が忍びの脇腹に噛み付いていた。
槍に沿って視線を移すと、身を起こしたノルヴェルトがそれを握っていた。
青年騎士の槍を拾い上げて忍びをひと突きしたノルヴェルトは、素早く引き抜くと槍を振りかざし、横薙ぎに忍びの腹目掛けて柄を叩き込んだ。
唸りを上げた槍に殴られ忍びの体がくの字に折れ、胃液が逆流したような呻き声を漏らす忍び。
そして彼が血を吐き出すのを待たず、次の瞬間には槍の柄が忍びの後頭部を殴り飛ばしていた。
片膝を立てた状態で暗殺者に一瞬の猛攻をお見舞いしたノルヴェルトは、そこでついにバランスを崩してずしゃっと床に腕を着く。
槍に叩き落される形で床に倒れた忍びを一拍の間を置いてパリスと青年騎士が押さえつける。
しこたま食らって血を吐き出した忍びはさすがに意識を手放したようだった。


伸びた暗殺者の体をぐいと脇へ引きずり、懐から出した手錠を慣れた様子で手際よくかける青年騎士。
手錠は格子を通してはめたので、意識が戻ってもその場から動くことはできないだろう。
テキパキと忍びの武器を押収していると背後でパリスが治癒魔法を唱える。
暗殺者にケアルをかけたパリスを怪訝な顔で見上げる青年騎士に対し、パリスは『死んじゃったらマズイでしょ』と苦笑して肩をすくめた。
青年騎士にトミーとリオを開放してやってくれと頼むと、パリスはノルヴェルトに目を向けた。
ノルヴェルトは負傷に構わず無茶をしたその代償に襲われているらしく、激痛に歯を食い縛って耐えながら苦しげに息をついている。
彼がどれほどの怪我を負っているのかパリスには分からなかったが、今目の当たりにした彼の敵に対する闘争心を振り返ってぞくりと寒気がした。

「――――パリス、さん!」

口封じの布を取られたトミーがぎこちない声で呼んだ。
青年騎士が手錠を外そうとしているのに待てない様子のトミーはよろよろと立ち上がる。
彼女がそのままノルヴェルトの脇を突っ切って駆け寄ってきそうに思えたので、パリスはノルヴェルトを警戒しながらトミーの元に向かう。
その先を読んだ行動は正解だったようだ、案の定トミーは手錠から解放されると一直線に飛びついてきた。
「良かった…!怪我は!?」
「トミーちゃん……」
いつもまとめて結ってある髪は解かれて乱れ、泣きはらした目、所々の擦り傷。
トミーがそんな姿だからか、パリスは彼女を直視できず俯いてしまう。
「パリスさん、は、無事だって…ロエさんが…っ」
「うん…」
「私…っ…本当に……!」
「トミーちゃん」
「ぅぅ…パリスさん、こんなところに…来てくれちゃって大丈夫なんですかぁ?」
「トミーちゃん違うよ」
ぼろぼろと泣き出すトミーを見れないまま、複雑そうな顔でパリスは首を横に振った。
パリスが何を『違う』と言っているのか分からないトミーは涙を拭きながら首を傾げる。
――――とそこに、青年騎士に解放してもらったリオが物凄い勢いで飛んできてトミーをパリスから無言のまま力任せに引き離した。
「ぁうあ!?何リオさ」
「あんたは黙ってなさいよ!!」
まるでトミーを庇うように抱き込んだリオは、これまで以上に険悪な眼差しでパリスを睨みつける。
訳が分からないトミーが困惑顔でパリスを見ると、ノッポのエルヴァーンは肩をすくめた。
「………そ、リオさんが正解……かな」
パリスは寂しげな声で言って自嘲気味の笑みを浮かべる。
リオに抱かれてパリスに近寄ることを許されないトミーは『どうして』という顔で二人を見比べる。
当然リオが穏やかでない感情をパリスに向けていることは嫌だが、それ以上に、それに対してパリスが納得しているようなのが堪らなく嫌だった。
弁解も何もしないまま、パリスは青年騎士が格子内に戻ってきたのを切欠に二人に背を向ける。
見ると、満身創痍の銀髪のエルヴァーンは、じっとパリスを睨みつけて槍を手に立ち上がろうとしていた。
あらゆる箇所から血を滴らせてぎしぎしと体を動かすノルヴェルトの姿に鳥肌が立つ。
仕留められる寸前の野生の獣を前にしているような心境だった。
しかし先程の猛攻を見た後では、この男はこんな状態であっても仕留められる気が全くしない。
「パールッシュド…」
横に並んだ青年騎士が判断を仰ぐように名を呟く。
それに対して小さく頷いてみせるとパリスは慎重に口を開いた。
「…できるならあなたとは争いたくありません。僕達はまず、ここから脱出したいんですよ。どうでしょうね、無事に脱出できるまで一時休戦というのは?あなたが僕達に協力してくれるというなら、それ以上心強いことはありません」
肩をすくめると緊張気味の苦笑いを浮かべる。
「あなたが僕達を行かせないというなら……仕方がありませんけど。でもここで争っててもお互い何も得はしませんよ」
パリスがそこまで言ったところでノルヴェルトは完全に立ち上がった。
あらゆる苦痛に耐えている酷く痛々しい様子ではあるが、彼がその気になれば先程暗殺者にしたようにまだまだ戦うことができるのだろう。
苦しげな息をつきつつも身構えたまま何も言わないノルヴェルトの圧力は相当なものだった。
「…………二人の意見も聞きたいな」
後ろを振り返らずにぽつりとパリスが尋ねた。
トミーを抱き込んだままパリスの後ろからノルヴェルトを覗き見るリオは険しい顔をする。
「癪だけど、今はあんたに頼るしかないわね」
「……それは助かります」
意外そうな苦笑いした声でパリスが言うとリオは『ふん』と鼻を鳴らす。
「一応あんたはこの子のこと……気にかけたからよ。でも勘違いしないでよね、あんたとあいつの二択だからしょうがなくよ」
そのリオの言葉を聞いてパリスもノルヴェルトもはっとした顔をした。
眉を寄せた困惑顔でトミーはリオを見上げる。
「ど、どうしてそんなこと言うんですか……パリスさんですよ?」
「あんたは何も知らないのよ」
「おかしいですそんなのっ」
「トミーちゃんは、どう?」
抗議するトミーの声に被せて背を向けたままのパリスが尋ねた。
「僕としてはこの人とはやり合いたくないんだ。だからここでお別れするか、一緒に行くか、かな」
うっと言葉を詰まらせたトミーは、パリスの背中から、その向こう側にいるノルヴェルトへと視線を移す。
今の今までパリスのことを睨みつけていたノルヴェルトだが、一瞬トミーと視線を合わせるとぎくりとして視線を落とした。
もしここで彼を一人にしたら、何も分からないまま、彼は死んでしまう。
トミーはそんな気がしてならなかった。
「………………お願いです…パリスさん……一緒に……」
恐る恐る言うトミーを、リオは信じられないという顔をして見下ろした。
「……了解」
パリスは呟いて剣を腰に納めると魔法の詠唱を開始した。
それに対してびくりと身構えるノルヴェルトを見て青年騎士もはっと身構えるが、咄嗟にトミーが『ダメッ!』と声を張ると二人とも硬直してトミーに視線を向ける。
警戒心と緊張でぴりぴりしているノルヴェルトをトミーが強い眼差しで封じ込めた。
そうしているとパリスが詠唱を結び、そこそこ高度な回復魔法がノルヴェルトに注がれる。
―――――と、癒しの光にパァッと包まれたノルヴェルトは驚愕した様子で目を見開いた。
「なっ、やめろっっ!!」
長年癒しを知らなかった体を見下ろし、塞がっていく傷に慌てて爪を立てるノルヴェルト。
女神を恨みエルヴァーンを憎んできたノルヴェルトにとってそれは屈辱であり汚らわしいものでしかない。
血相を変えて治癒を拒絶するノルヴェルトに一行が呆然としていると、トミーがリオの腕を抜け出してノルヴェルトに駆け寄った。
驚いて皆が制止する前に、トミーは癒えていく体を傷つけるノルヴェルトの手を捕まえた。
「どうしてっ、ダメです!……っ」
そう言って捕まえた手をふと見てトミーは言葉を失った――――酷く壊れてしまった右手。
その手も含めて、ノルヴェルトの拒絶をものともせずに見る見る内に肉体を魔法が癒していった。
トミーの手を振り払うこともできずノルヴェルトは愕然と突っ立っている。
まだ完全に癒え切れたわけではなさそうだが、殆どの苦痛は拭い去られたようだった。

「彼女の願いでもありますし……お願いしますよ、ノルヴェルトさん」

じっとノルヴェルトを見据え、パリスは言い聞かせるように名前をやや強調して言った。
パリスの後ろからささっと前に出たリオが再び素早くトミーを引っ張り戻す。
ノルヴェルトはトミーを見つめてから順番に彼女の仲間達に視線を向けた。

信じられない、信じられないが、此処から脱出しなければならないのだ。

このタイミングで突然現れた協力者、何か罠があるとも充分に考えられる。
だが少なくとも今はこの場で争っている場合ではない。
トミー以外の者を皆斬って不安を取り除いたとしても、逆に脱出が困難になるだろうし彼女との間に取り返しのつかない溝ができてしまうのは間違いない。
「………いいだろう」
エルヴァーン二人に対する警戒だけは忘れまいとして、ノルヴェルトは一行からの申し入れを受ける意を告げた。
「決まりですね」
皆の顔を順番に見て確認すると、パリスは一度深く頷いた。
そして隣りに立っている青年騎士に『それじゃリェン、武器を』と呟く。
青年騎士は『あぁ』と頷いて格子から出て行き、パリスは再び魔法の詠唱を始めた。
物理防御や魔法防御などを上げる魔法を順に唱えて手際良く皆に守護をかける。
数種の魔法を唱えて守りを完全にしたところで、青年騎士が格子の中に戻ってきた。
彼の両腕にはいくつかの武器が抱きかかえられている。
「紹介が遅れましたが、彼は僕の友人のリェンです」
抱えた武器をまじまじと観察している青年騎士は、その紹介を聞いてはっと顔を上げた。
姿勢を正したのでサンドリア式の敬礼をするのかと思ったが、彼は背筋を伸ばして小さく会釈しただけだった。
武器を抱えていたからできなかっただけかもしれないが、この状況でサンドリア式敬礼をしようものなら気まずい空気になっていたに違いない。
「この場所が分かったのも、みんなの武器を取り返せたのも彼のおかげなんだ。押収された武器の回収までできるとは思ってなかったけど……彼、どうやら武器愛好家らしいんですよ。今までそんな話聞いたことなかったんだけどな……」
「友とは言えお前とは疎遠だったからな、話したことはなかった。非番の時はよく押収武器を見に行くんだ」
リェンは両腕に抱えた武器を慎重に足元に下ろすと、まずナックルを拾い上げてリオに向かって差し出す。
「さ、早く武器を。城の者がいつ戻ってくるか分からない」
リオが受け取ると、次にダンの両手剣を手に取った。
そして『これは良いものだ、よく手入れしてある』と大きく頷いてからパリスを見上げる。
「これは?」
「あ、じゃあそれは僕が預かるよ」
そう言って両手剣を受け取り、苦笑を浮かべて重たそうにそれを背負うパリス。
パリスから足元の武器へと視線を戻したリェンだが、何か考える顔をして上目遣いになって一行を眺めた。
「……パールッシュド、聞いていた人数よりも大分少ないがこの三人だけで良いのか?」
「いや、あと二人いるはずだったんだけど……」
言葉を濁しつつパリスがちらりとリオに説明を求める眼差しを向ける。
「ゲンとウメとデンチューはなんかの魔法で消えちゃったのよ、あたしら置き去りにしてね!」
「えーとダンとロエさんと?ごめんなさいどちら様?」
「ローディさんです、助けに来てくれて」
「えっあの人来たんだ?ぁ……へぇ、そうなんだ」
ぱっとトミーのことを見て目が合うと、何故かパリスはふいと視線を逸らして口ごもった。
その反応にトミーは眉を寄せるが、パリスは何も言わずに屈んだリェンの前の床に置かれたロエの小さな杖を拾い上げると腰に差す。
「君達はテレポのゲートクリスタルを持っていなかったんだな。今頃大層慌てているだろう、その三人は」
言いながらパリスの様子を眺め、手元に残った最後の武器を見下ろすと再びじっと考える顔をするリェン。
「……あ、リェンそれは……」
非常に興味深そうにしげしげとリェンが観察しているのは、漆黒の大鎌。
その大きな刃の付け根付近にも槍の如く刃が備わっており、柄が一般の鎌とは逆に反った異形の武器である。
手を差し出すがもっと見たいという様子でなかなか渡さないリェンに苦笑すると、パリスは『ほらお兄さん早く』とリェンの手からひょいと鎌を取り上げる。
じっと鎌から視線を外さないリェンに背を向け、ノルヴェルトに歩み寄ると鎌を差し出した。
「リェンの槍と引き換えに、どうぞ」
ノルヴェルトはじっとパリスの顔を見つめて、手に持った槍を渡すとすぐに大鎌を取る。
「その鎌が僕らに向けられないことを祈ってます」
鎌を背に収めるノルヴェルトに真面目な声ではっきりと言うと、パリスは槍をリェンに渡す。
自分の元に戻ってきた槍をしっかりと握るリェンだったが、目は相変わらずノルヴェルトの鎌に釘付けだった。

――――――なんか、嫌だな……。

リオの後ろからその光景を見ているトミーは内心そう思って足元に視線を落とした。
絶体絶命の危機からは脱した、仲間が助けにきてくれた。
なのに何故だろう、多少なりとも安堵がもたらされるはずなのにそれが無い、何かが違うと感じる。
もやもやした不可解な不安が胸で燻っているが、その燻りの原因の内一つは分かっている。
救出しに来てくれたパリスは、これまでと同じようににこやかな笑顔で『大丈夫だよ』と笑いかけてくれると思っていた。

「あぁ、そうだ」
不意に、ノルヴェルトをじっと見つめていたリェンが思い出したように言う。
皆が視線を集めると、彼は腰に下げていた剣をベルトから外してトミーへと差し出した。
剣を見て目をしばたかせているトミーはパリスに疑問の視線を向けるがリェンが口を開く。
「丸腰ではもしもの時に危険だ、これを。押収武器の中から君にも扱えそうなものを拝借してきた」
「あ、え……はい」
おずおずとトミーが剣を受け取ると、リェンは『無論、もしもの時がないように努める所存だ』と姿勢を正した。
彼に対してぺこりと頭を下げて礼を言うトミーはちらりと横目にパリスを見る。
「ということはローディさんの武器もあそこにあったんだ……しまったなぁ……」
室内を何となく見回しながらそんなことを独りごちてパリスは頭を掻いている。
「……………。………よし、これで準備は整ったか?パールッシュド」
「ん、あぁ」
「では行こう」
この一声で、現在のリーダーはリェンということになる。
自分がリーダーシップを取ることを暗に避けているようなパリスに女性二人は視線を注いだ。
パリスはきびきびと行動を始めるリェンだけを見ている。
「最近は冒険者が城内に入ってくることは珍しくないんだ。だからもし何者かに見つかっても慌てなくて良い。それと、君達は正式な逮捕手続きをまだ受けていない。だから多分、担当した者以外は君達の顔を知らないはずだ。どこが君達のことを扱ったのか分からないが……どうかこの無礼を許してほしい。代わって俺が誠意を示そう」
はきはきとした声でそう言いながらリェンは格子入り口の脇に立った。
そして先に格子から出るように女性二人に手で催促する。
自分のものではない剣を渡されたトミーはそれを腰に下げながらパリスを振り返る。
じっとパリスの顔を見上げるが、パリスはそのトミーの視線に気付いているだろうに、トミーへ視線を返さなかった。
パリスはもう自分には関わりたくないに違いない、そう思いトミーはしゅんと視線を足元に落とす。
「ほら、ぐずぐずしてないで行くわ――――」
とリオが振り返ってトミーの腕を引こうとして、ぎょっと目を見開いた。
「―――バツイチ!!!」
パリスのことを指差していきなり大絶叫するリオに皆驚くが、はっとパリスは気が付いて背後を振り返る。
見ると後ろに立っていたノルヴェルトが背の大鎌の柄を引っ掴んだ瞬間だった。
仰天して皆が一斉にノルヴェルトを振り返るが、そのノルヴェルトも鎌を手に取ると瞬時に踵を返す。
ノルヴェルトの視線の先では、手錠で拘束しておいたはずの暗殺者の忍びが捨て身の忍術『微塵がくれ』をお見舞いしようとノルヴェルトに飛び掛った瞬間だった。
ほぼ本調子に戻ったノルヴェルトが尋常ではない速さで振り向き様に大きく鎌を横なぎに払う。
すると一瞬で暗殺者の体が胴体で真っ二つに切断され、勢いのままに飛び掛ってくるそれをノルヴェルトは鎌の柄でなぎ払った。
「うわああああああダメダメダメダメ!!!!!」
宙で上下に離れる体から鮮血が散る頃に、パリスが大騒ぎしてトミーとリオを抱き込んで格子側に追いやる。
全てが刹那の出来事だ、このパリスの反応は充分早い方である。
「見ちゃダメ女の子は見ちゃダメェ!!」
言葉を失っている女性二人を懸命に振り向かせまいとしてパリスは叫びまくった。
勢いで広がったノルヴェルトの外套がばさりと落ち着くと同時に、二つになった暗殺者の体が床に横たわる。
「……おー…」
両腕を広げて仰向けに転がった上半身、口から他人事のような感嘆の声が漏れた。
そしてそれが、暗殺者が放った最後の声となった。

「じょ……冗談じゃ…」
「早く、早く出て二人ともっ」
愕然と呟くリオと絶句したままのトミーの背中を押して格子の外に追いやるパリス。
そんなパリスの横に立ってノルヴェルトを見つめたままじりっと身構え、リェンは息を呑んだ。
「パールッシュド、この男は……っ」
「ああああやっちゃったよリェン。ああ……あは……どう、あの人心強いでしょ?」
「何者か知らんが殺しは問題だぞ!この男…行動を共にして大丈夫なのか?!」
「大丈夫じゃないけど到底敵にはできないでしょ!?」
潜めた声でお互いに言い合うエルヴァーンの二人。
鎌を背に収めて格子の出入り口へと真っ直ぐ歩いてくるノルヴェルトから逃げるように二人は格子から出た。
格子から出てきたノルヴェルトを凝視して若干身構えている青年二人に対し、ノルヴェルトは落ち着き払っていて横目にじっと二人を見返す。
「………ああなりたくなければ妙な真似はしないことだ」
そう言って、ほぼ本調子を取り戻したノルヴェルトはまるで怖いものが無いかのように、再び緊張を高めている一行を余所に部屋の扉に向かって歩を進める。
大きな鎌を背負ったその後姿をじっと見つめて口を引き結ぶパリスとリェン。
ショックで震えた呼吸をしている女性二人をちらりと見てから、青年二人はお互いに顔を見合わせるとリェンが意を決したように頷いた。
「………とにかく早く此処を離れよう」
そう言ってからもリェンは、しばしじっとノルヴェルトの背中を見つめるのだった。



   *   *   *



一行が部屋を出てしばらく経った頃に騎士達は戻ってきた。
無論、部屋の鍵が掛かっていないのを見て騎士達が大きく目を見開いたのは言うまでもない。
「ジェラルディン様!」
一足先に入室したウォーカーが左側の格子を見て乾いた声で叫んだ。
彼に続いて入室して室内の咽るような血の匂いに険しい顔をし、ジェラルディンはウォーカーが愕然と見つめている左の格子へと視線を下ろす。
格子内には大きな血溜りが広がり、動かない肉体が二つ。
かつては一つだったであろうその遺体を見つめるジェラルディンの横でウォーカーは室内を見回す。
所々に見える争いの跡、血痕、床に落ちたいくつかの手錠。
「他には誰も……っ」
口元に拳を当てて室内に満ちた血の匂いに耐えながら声を絞り出す。
しばし遺体を観察してから室内をぐるりと見回し、ジェラルディンは口を開いた。

「………良くやったぞ……カーヒルッ」

心底感心したような声で言うジェラルディンを見上げてウォーカーは目をしばたかせる。
ジェラルディンは唇の端を吊り上げて笑うと、リンクシェルにて報告の声を張った。



   *   *   *


「城に詳しい者は自然と効率の良い道を選んで通る。だからこういうルートは意外に人が通らんのだ」
一行を引き連れて足早に先頭を歩いているエルヴァーンの青年騎士、リェンはそう説明する。
彼が後ろを振り返ると、少しの乱れもなく一本に結われた彼の赤い髪が肩の上に乗り上がった。
すぐ後ろにはトミーとリオがくっついて歩いており、その後ろにパリス、ノルヴェルトと続いている。
あの部屋を出てからもう何度目かになるが、リェンが後ろを振り返る度に最後尾にいる男の鋭い視線がばちりとぶつかるのだった。
ノルヴェルトはエルヴァーンの二人に対する警戒心を隠すことなく露にしており、そんな彼の前を歩いているパリスは当然気が気ではないはず。
パリスの性格からして緊張と恐怖を紛らわすため軽口を叩いてみたりしそうなところだが……。
「ぐるぐる回ってて凄く効率の悪いルートだってことは感じるけど、とりあえず何処に向かってる?」
彼らしくもなく、先程から必要最低限のことしか口にしない有様。
「丁度これからガードの交代時間でな、今の時間は騎士達が動いているんだ。だから城からの脱出は半刻程時間を置いた方が良いかもしれん。何処からどう脱出するかも考えないとな………案はあるが…可能かどうか…。とりあえず、身を隠すのに持って来いの穴場を知っているからそこに一旦向かっている」
そこまで口早に説明してリェンは肩越しにパリスを振り返った。
「………らしくないなパールッシュド、静かじゃないか。緊張しているのか?」
「今の状況が状況だし、そうでなくともお城の中はあまり歩きたくないんですよ」
ぶつぶつとやや小さな声で言うパリスに『後ろめたいことばかりしているからだ』とリェンは容赦ない。
通路沿いにある扉を見ても「保管室」という札が付いていたり、ドアノブにあからさまな錠がぶら下がっていたりするものばかりで、この辺りは普段はあまり用のない部屋がある場所なのだということが推測できる。
トミーとリオは先程の暗殺者の死に様を目の当たりにした衝撃でずっと黙りこくっていたが、細かいことを気にしない性格で切り替えの早いリオは一足先に気を取り直し始めていた。
「どうしてあたし達があそこにいるって分かったのよ?」
トミーの腕をがっちり掴んだまま歩いているリオがパリスを振り返る。
顔を上げてリオと目が合ったパリスは苦笑を浮かべると、口を開きかけたまま少し考えた。
「王立騎士団にいる俺の友人から冒険者が連行されてきたらしいという話を聞いてね」
パリスが言葉を搾り出すよりも先に、気味が悪い程人通りの無い廊下を迷いもせずに右へ左へと進む先頭のリェンが振り返らずに言う。
「そんなことは珍しいことじゃないので皆は特に関心がないようだったが、俺は昨今の冒険者の間ではどんな武器が流通しているのか興味があったんだ。それで探してみたら……それらしき護送一行を遠くに見掛けた時、その中に知名の冒険者の姿が見えたような気がしたんだ」
人通りが少ないことを物語る埃の溜まり方をしていた狭い階段に入ったところで、リェンの話に眉を寄せている連れ達にパリスが後ろでポツリと『ダンのことだよ』と補足する。
「俺は冒険者に興味はないが、その冒険者とパールッシュドが仲間だというのは耳にしていた。だからもしかしてパールッシュドも一緒にしょっ引かれてるんじゃないかと思ったんだ。それで、例の友人に詳しく聞いてみようと城を出たところで偶然パールッシュドと会ったというわけだ」
「すごい偶然だったのね……」
運が良いのか悪いのか分からない自分達に苦笑いを浮かべてリオ。
それに対して『あぁ』と頷いているリェンの背中をノルヴェルトはじっと見つめている。
「先に脱出した三人とは連絡付かないのか?」
細い階段を下り終えてやや暗い通路を進みながらリェンがパリスに問う。
「いやそれが………パールサックを取りに戻ろうとしたところで君と会ったんで……」
「なるほど。ふむ、その三人と行き違いにならなければいいが……」
「……パリスさん……リンクパール持ってないんですか?」
ようやく言葉を放ったトミーの弱い声にパリスは苦笑を浮かべて黙ってしまった。
状況がさっぱり分からない様子のトミーに溜め息をついて、リオはパリスのことを半眼で眺める。
「もうこの男、あんたの仲間じゃないわよ。自分からやめたのよこいつ」
「…え…」
「これから割と使われる通路に入って角まで数メートルだけ歩く。確か一つ隣りの廊下を通らないと行けないんだ。もし誰かがいても動じないでくれ」
そう会話を遮って曲がり角を前に一旦立ち止まり、リェンは真剣な顔で振り返ると一行を眺めた。
ふとリェンは最後尾にいるノルヴェルトに目を留めた後パリスをじっと見据える。
『え?』という顔をして硬直するパリスだが、結局彼に対して何も言わずにリェンは歩みを再開した。

薄暗くて狭い通路から明るいやや広めの通路に出ると、遠くの方でちらほらと城の人間が行き来していた。
リェンが向かう方向には人がおらず、後ろに続いている一行は胸を撫で下ろす。
――――――が、その直後、目的の曲がり角の手前にある扉が開いて中から人が出てきた。
出てきたのは一人の若いエルヴァーン、短いブロンド髪の女騎士であった。
彼女がこちらを向いた時、リェンの背中が一瞬強張ったのが後ろから見ていて分かった。
「ん?リェンじゃないか、今日は非番だって聞いていたけど」
彼女の登場に胸中動揺する一行を余所に、リェンは若干歩調を速めると即座に答える。
「いや、ちょっと事情が変わったんだ」
「事情?だってリェン、今日は……」
「すまん先に行っててくれ」
女騎士の前まで行くとリェンは肩越しに振り返って一行に言った。
心臓の音がやかましく鳴る中でリオはトミーの腕を引いてそそくさと脇を通り、四人共が追い越して先に進むと『曲がったら待っていろ』とリェンが言う。
突き当たりの曲がり角に向かいながらノルヴェルトが後ろを振り返ると、こちらを指差している女騎士に対してやや押し殺したような声でリェンが『違う』と首を振っていた。
――――――と、ノルヴェルトは何かを感じ取って不意に足を止め周りに視線を馳せる。
気のせいか、何者かの視線を感じたような気がした。

女騎士といくつかの言葉を交わした後、リェンはすぐに追いかけてきた。
彼は一行が角を曲がる頃に追いついてくると深い溜め息をつく。
「大丈夫だった?」
苦笑を浮かべて尋ねるパリスに対しリェンはああと頷いて、冒険者へのミッションの説明を急遽任されたのだと言ってきたという。
「やはり交代時間は避けた方が良さそうだ。目的の場所までもうすぐだから先を急ごう」
彼も緊張したのか、くたびれたような溜め息交じりの声で言って再び先頭を切る。
少々気分を害したようにも見えるリェンの背中を見て、パリスは歩調を速めてリェンの背中に声をかける。
「……悪いね、急に協力お願いしちゃって…」
その言葉に意外そうな顔をしてリェンは振り返り、戸惑い気味に笑みを浮かべた。
「いいや、気にするな」
「でもさ……こんなことして、もしこれがバレたら君もきっとタダじゃ済まないよ?君の好きな出世が遠退いちゃうどころじゃないでしょコレ」
ばつが悪そうな苦々しい声で言うパリスに対し、今度は声を出してリェンは笑った。
「ははっ、見くびるなよパールッシュド!俺は自分の正義に従っているだけだ。確かに始めは脱走の手助けなどとんでもないことだと思ったが……」
そこまで言うと肩越しにトミーとリオのことを振り返るリェン。
「俺は自分の目で見て、正しいと思うことをする。誇りに誓ってな」
パリスは立派な騎士道を掲げてみせる友人に何とも言えない顔をして、『君とはもっと親しくしてれば良かったな』と零した。
後ろの女性二人を振り返っていたリェンがやや視線を上げると、今回も例外ではなくノルヴェルトの視線がぶつかった。
言葉を発することなく警戒を露にしたまま行動を共にしている大鎌を背負った男。
リェンは彼の眼差しに怯むことなくじっと見つめ返して、やがて前方に視線を戻した。

「そこの者共止まれ!!!」

―――――――と突然、一行が進んでいる通路に厳粛な声が響いた。
瞬間ノルヴェルトは鎌の柄に手を伸ばして声のした方、後方を振り返る。
他のメンバー達も驚いて一斉に振り返って見ると、先程通った広い通路から一人の男がこちらに向かって歩いてきていた。
例の騎士連中に発見されたのかと思ったが、今度現れたその男はエルヴァーンではなかった。
軽くウェーブのかかったブロンドの髪を一つに結わき、真っ赤な王国制式礼服を着たヒューム族。
木目細かい肌に通った鼻筋、まるで作り物のような端整な顔にブルーの瞳が二つ。
「……ロ…ッ」
「出た!キモ男!!!」
「ローディさん!」
歓声かどうか微妙な声を上げるトミーとリオ。
あれが仲間かと説明を求める顔をしているリェンにパリスが振り向いて頷いてみせる。
ノルヴェルトは見覚えのあるその顔に一気に緊張感を高め、エルヴァーン二人とローディを鋭く見比べた。
「絶美のオシャ魔が迎えに来たぷいハニー」
一行に歩みよりながらそんなことを言って投げキッスをするローディ。
そして、来たのはローディ一人だけなのかという疑問の顔を揃えている一行を眺めて笑った。
「きひっ…にゃ~んか知らない内に面白いことになってるぞぇ、ダン」
「ダン……?」
「ここだ」
まるで独り言を言っている風のローディの傍からダンの声が聞こえた。
ぎょっと目を見張ると、次の瞬間ローディの隣りにふっとダンの姿が現れる。
続いてまたその隣りにロエの姿も現れた、二人はインビジで姿を隠していたようだ。
「意味無く大声出すんじゃねぇよ変態、目立つだろうが」
しかめっ面でローディに文句を垂れてから、ダンは心底くたびれたと言いた気な顔で一行を見た。
「お前ら無事か」
「信じらんないけどおかげ様で目茶苦茶無事よ何なのあんたら勝手に消えて!!」
肩を怒らせて凄い勢いで罵りながらも何処か心底ほっとしたような顔でリオ。
「あのなぁ、お前らがちゃんとしてりゃあアレで万事解決だったんだよ!!何のために死に物狂いで体張ったと思ってやがる全部無駄にしてくれやがって!」
「知らないわよあんたの都合なんぅえ!?」
リオがトミーの腕を掴んだままずんずんとダンに歩み寄ろうとしたところで、突然トミーが膝を折った。
皆が驚いて一斉にトミーに向かって一歩足を踏み出すが、ダンが歩み寄ったので皆その一歩だけに留まる。
がくりと座り込んだトミーの腕を手放して目を白黒しているリオを余所に、ダンは特に動じる様子もなく落ち着いてトミーの前で片膝を着いた。
しかし不思議とダンはトミーに何か言葉をかけることはしない。
床に座り込んだトミーは呆然とダンの顔を見上げてから、そっと手を伸ばした。
そして、先程暗殺者によって深く切り裂かれたダンの頬に手を当てる。
傷は魔法で癒され、おびただしい血の跡を簡単に拭ったような痕跡が薄っすらと残っていた。
ダンの頬に触れて不思議そうに小首を傾げるトミー。
「……大丈夫…?」
「お前が言うなよ」
半眼になって言うダンの顔をまじまじと見つめるトミーの眉が徐々に寄っていく。
きゅっと唇を噛むトミーを見てダンは自分の頬に当てられているトミーの手を取った。
「今は泣くな。ほら行くぞ、立て」
溜め息まじりにそう言って、泣きそうになっているトミーの腕を引き上げて立ち上がらせる。
彼女がしっかりと自分で立っていることを確認してから、ダンはトミーから手を放すとぐるりとその場にいるメンバー達を見回した。
その際ダンは平静を保つためにも意識的にノルヴェルトからは目を逸らす。
ローディが苦汁を飲まされたような酷い顔をしているのが目に付いたがこの場は無視して、引っ込んだ位置で黙って立っているパリスに向かって歩きながら言う。
「状況がどうなってこういうことになってんだか分からんが全部後で聞く。今何処に向かってるのかだけ教えろ」
手を差し出して両手剣を渡すように催促してくるダンに、パリスは思い出したように慌てて背負った剣を手に取る。
帰ってきた自分の両手剣を背負うダンの腰には一振りの片手剣が下がっており、その代役を邪魔そうにベルトの後ろの方へ押しやると、ダンはパリスのベルトに差してあるロエの杖を抜き取った。
それをロエに手渡しに向かうダンだが、自分の質問に早く答えろという眼差しをパリスに向ける。
パリスははっとして口を開くが言葉が出てこず、困った顔をして隣りにいる友人を見る。
当然だ、パリスも今何処に向かっているのか詳しく知らないのだから。
リェンは現れた三人のことをじっと観察していた様子で、パリスの眼差しに数秒遅れて気が付いてから言った。
「あぁ………式典準備室だ」



   *   *   *



再び細い廊下に入って迷路のような奥まった城内を進むとそこに辿り着いた。
手錠の鍵などのスペアを管理室から頂戴してくる際に一緒に持ってきたというそこの鍵をリェンが開け、中に入るとそこは扉の大きさが物語っていたように倉庫として使われているものなのだと分かった。
サンドリア王国の旗を筆頭に王立のあらゆる団体、又王国内の名家の紋章の旗が格納されていた。
それらの旗を掲げる為の器具等もたくさん置かれていて、此処はその名の通り式典関係の備品を保管している倉庫のようだった。
しかもリェンの話では、ここにあるのは王族がメインとなる特別な式典の備品らしい。
近々貴族階級の式典が催されるが、そこで用いる器具は東側の別の保管室に収められているという。
最近人が出入りするのは専ら東側の保管室で、王族メインの大規模な式典は殆どがもう済んでいる。
短くとも半年は此処に用を持つ者はいないはず。
外の様子を窺いつつ慎重に扉を閉めるリェンの背中を皆が見守り、特に問題無さそうだという顔でリェンが振り返って扉から離れるとリオが大きな溜め息をついた。

それから当然のようにダンが状況説明を要求した。
その説明を誰に求めるかがやや問題であったが、一人は見知らぬ騎士、一人は正体不明の殺人犯、トミーやリオに説明を求める気にはなれない。
そうなるとやはり、パリスしかいなかった。
彼がどんなに視線を逸らしていようとも関係なくダンはパリスに説明を求めた。
今朝といい今といい、ダンに対して微妙な顔をしてばかりのパリスだがここは観念したように説明をする。
友人のリェンに偶然会って協力を願ったこと、あの暗殺者はノルヴェルトの手によって絶命したこと、そしてそのノルヴェルトと今は同意を確認の上休戦状態であるということ。
パリスは説明をしている間、いつダンからの指摘の言葉に刺されるかとヒヤヒヤしている様子だったが、ダンはパリスの説明が終わるまでじっと黙って聞いていた。
そして説明が一通り終わってからも、パリスが話したこと以外の点に突っ込むことはしなかった。
実際、ダンの胸中は『冗談じゃないぜ』の一言に満たされていたが。
「……分かった。こっちの内輪の問題に巻き込んで悪いな、でも助かった」
「いいや、俺も一騎士として無視はできん」
軽く頭を下げるダンにリェンは思案顔をして何処か機械的な声で答える。
「あんた達は?どうやって入ってきたのよ?」
「んあぁ、正面の門から入ってきた」
「……はぁ?」
「裏から連れ込まれたんだから裏からまたこそこそと忍び込むなんてリスクが高過ぎるだろうが。こういう時ゃ正面から堂々と入った方がいいんだよ」
「で…でも一応警戒して、私とダンさんは姿を隠しておいたんです。番の方に扉を開けてもらわないといけませんし、ローディさんにはそのままで行っていただいて……」
「俺様ダンのそういう発想激ラブだぞぇマジカルで☆」
皆が各自適当なところに腰を落ち着かせている中で、ローディはそこら中のものを引っ掻き回していた。
手に取った旗を広げてみては、その紋章の名前を口にしてぽいと放り投げている。
ダンがしかめっ面をして『あんまりいじるんじゃねぇ』と毒づくが、ローディはカルタでも楽しむかのようにその行為を止めはしなかった。
そんな彼の様子を騎士のリェンがじっと見つめており、おろおろしたロエが小さな声で謝る。
リェンはローディのその行為を特に問題視していたわけではなかったのか、一瞬疑問符を浮かべてから首を横に振った。
そして今度は隅の方でじっと佇んでいるノルヴェルトに視線をやるリェン。
「っていうかホントにあの首長達一体何者なのよ!?訴えてやるわ!!」
相変わらずトミーを掴んだまま放さないリオは親指の爪をがじがじ噛みながら悪態をついた。
思い思いに視線を馳せていた皆がその声に揃って視線を上げる。
「まぁま、そういうのは此処を出てからにしませんか?」
苦笑を浮かべたパリスが誰の顔も見れないままそんなことを言った。
あまり注目されたくないと顔に書いてあるにも関わらずそう言ったパリスに皆の視線が集中する。
ダンはパリスの意見に反対ではなかった、そういう話は後でもできる。
それに……と考えて、扉の近くにいるリェンを見、それから横目にノルヴェルトを見た。
ノルヴェルトは敵意を剥き出しにした眼差しでパリスのことを睨みつけていた。
「そう、これからどうするかが先だ。さすがにこの人数じゃさっきの要領で正面から出てくわけにはいかねぇからな……」
言ってダンは立ち上がると再びリェンへと視線を戻し、『案っていうのを聞かせてもらえるか』と言う。
――――が、その時視線の先のリェンが何故か驚いたような顔をしていた。
それに眉を寄せて彼の視線の先を見てみると、相変わらずローディが物色してうろついている。
「……案……そう、案だ」
心此処にあらずと見える顔をしたまま口だけがまずそう呟いて、リェンはそれからようやく話に入る。
「裏の方から出るのが危険ならば……そうだな…。二つばかり案はあるが一つは未確認事項が多いからこちらの方がいいかもしれない。この場所から少し歩いたところに一部の使用人達が使っている出入り口がある。そこから出ると城壁のすぐ傍に出るんだが、そこから正門の方へ城壁沿いに行くと団員専用の門があるんだ。一度あそこのガードに配属されたことがあるんだが非常に孤立した配置でな。外の様子も城内の動きも見えん、だからあまり警戒心がなく業務が大雑把になりがちだ」
『全く、見っとも無い話だが…』と苦々しい顔をして嘆いて続ける。
「何か上手い口実を作って行けば難なく通過できるかもしれない。もし怪しまれても………何人もガードは…居ない、突破できるだろう」
後半少々ぎこちない口調になりながらもそこまで言ったリェンはすっくと立ち上がった。
「交代の際は上役が顔を出すこともあるんだが恐らくもう済んでいると思う。様子を見てこよう」
槍が背にちゃんと納まっていることを手で確認すると、リェンはパリスに目を向けた。
「パールッシュド、一緒に来てくれ」
そのリェンの願い出に、顔を上げたパリスの目はまん丸になっていた。



   *   *   *



式典準備室から出ると、二人は相変わらず人気の無い静まり返った廊下を歩き始めた。
人の気配がないことにほっとしたパリスは、廊下の壁に掛けられた絵画や台の上に飾られている彫刻などを横目に眺める。
大体の冒険者は各種手続きやミッション関係の用事でしか城内には入らないので、こんなにも城の奥まった部分を歩き回るということは通常有り得ない。
このドラギーユ城内見学の経験は、他の冒険者達にとってはとても良い土産話になるだろう。

パリスらは脱走した身ではないし二人共エルヴァーンなので、何もこそこそする必要はない。
重量のあるダンの両手剣から解放されてとても楽になったパリスは歩きながら伸びをした。
「んん~………リェン、悪いね。真面目一徹な君には辛いんじゃない?」
リェンと二人になって少し緊張がほぐれたのか、『結婚の条件が出世とかじゃなぁい?大丈夫?』などといつもの軽口が出始めた。
「でも本当に……ごめんね、正直君がここまで協力してくれるとは思わなかった」
言いにくそうに苦笑いを浮かべて頬を掻くと、『ありがとう』とリェンを見る。
リェンはパリスの話を聞いているのかいないのか、じっと前を見て口を引き結んでいた。
そんなに脱出が困難なのか、それとも協力していることが本当に苦痛で堪らないのか。
彼が今どんなことを思っているのか見当が付かないパリスは、だんまりの友人に眉を寄せる。
廊下の脇にある小さな薄暗い階段を下り、やや広めの飾りも何もない廊下に差し掛かる。
廊下の先に先程リェンが言っていたものと思われる扉を確認したところで、いい加減不安になったパリスは横目に友人を見てぽつりと名を呼んでみた。
すると、リェンがずっと言いたくて仕方が無かったことを解禁するかの様にばっとパリスを見た。
「聞きたいことがある」
その強くて真っ直ぐな眼差しに面食らって目をしばたかせるパリス。
「な、何だい改まって…」
「あの男、大鎌を持ったあの男の名は何と言った?」
その問いにパリスが『えっ』という顔をすると、リェンが不意に歩く足を止めた。
立ち止まってこちらをじっと凝視してくるリェンを振り返りパリスも立ち止まると、目を泳がせたい衝動に駆られつつも恐々と彼を見つめ返す。
「…ぇ……………ノル……ヴェルトさん?」
気が付くと何故か、パリスの口の中はからからに干上がっていた。
それを聞いたリェンの表情は、それが期待通りのものだったのか、それとも見当違いのものだったのか、どちらなのか結果が分からなかった。
パリスが眉を寄せて見つめると、エルヴァーンの友人は何も言わないまま思案顔で俯く。
しかしすぐに顔を上げ、リェンは素早く背に携えた槍の柄を握った。
「すまん」
「え?」
「我が国の騎士として誉れ高い」

何の前触れもなく聞こえた友人以外の声にぎょっとしてパリスが振り返ると、目的の扉の手前にある脇の廊下から外套を羽織った二人組の男が歩み出てきた。

「実に関心する」

第一声と同じ声でそう言ったのは、眼鏡をかけた黒髪のエルヴァーン騎士であった。



<To be continued>

あとがき

………馬っ鹿じゃねぇの?と言いたくなる長さ☆(吐血)
ねぇねぇ、この人達の物語ってこんなのだったっけ?
もっと馬鹿でマヌケでパッパラピーマンな話だったと思うんだけど……。(;´Д`)

そして、色々とごめん。