何が為の血、傷
2007/06/25公開
あと一秒もあれば息の根を止められた。
そこまで追い詰めたところで獲物に逃げられ、忍びはその場に両手足をついて頭を垂れる。
小刀を握った自分の両手をじっと見下ろして舌打ちする男を眺めて、ダンが殺されずに済んだことに安堵し、トミーとリオは止めていた息を吐き出した。
ーーーだが、安堵の息をついたところで気が付く。
なぜ、自分達はダンがテレポで消えた後の暗殺者を眺めているのだろう。
あの暗殺者の姿を見ているということは、自分達はダンと共にこの場から消えていないということ。
「……ん…」
不安顔でトミーが見回すと、ダンと一緒にロエとローディの姿も消えている。
この場に残されたのはトミーとリオ、それから気を失ったままのノルヴェルト。
そして当然、格子の鍵を所持したヒュームの暗殺者が一人。
「んんーーーーーーー!!!!」
状況を理解して、リオが信じられないという悲鳴を上げて格子の奥に後退る。
二人が恐る恐る眺めると、忍びは床にできた血溜まりをじっと見下ろしていた。
「……この臭い………頭が冴えちゃうんだよ…俺…」
男はがっかりしたように落ち着いた声で呟き、ダンの流した血を手で擦って延ばすのだった。
* * *
「メアの石持ってないなんてサポート外だクポ~」
「くっそ…どこまで常識がねぇんだあの馬鹿二人は!!!」
肩をすくめるローディの言葉なんぞ聞いちゃいないダンは、痛みまくる体を無理矢理立ち上がらせようとする。
しかしどう考えても軽傷ではない体は言うことを聞かない。
手を拘束されていることもあってなかなか立ち上がることができない。
ふらつくダンの脇でロエが封じられた口で必死に何かを言い続けている。
ダンは小さな仲間が何を言っているのか気にする余裕もない。
見かねて、ロエは『よいしゃ』とその場に座り込んでいるローディへと駆け寄る。
「んーんん!んんんん!」
「きひっ、ロエたんカワイイにゃ~そのままどっかに閉じ込めちゃうぞぃ☆ちょっちょ待ってちょー」
にやにやと笑いながら言って、ローディは後ろで手錠をはめられている腕を上からぐるーっと前まで持ってきた。
そんなことは当然、一般的には無理だ。ローディの間接がおかしい。
以前からローディが身体的におかしいところはダンも嫌というほど見てきた。
だが彼の人間離れした柔軟性がこんなところで有効とは。
痛がる様子もなく、極普通に腕を回した彼の気色悪さにロエは思わず後退る。
ローブを着ているため彼の肩の骨がどう動いているのか見えないのが幸いだった。
「もうちょっと大きな手錠だったら関節外して抜けられたんだけどのぅ。にゃあでも大丈夫だぞぇ。もらってきたからにゃー」
ローディは左足を振り回してブーツを脱いだ。
出てきた真っ白い素足の指が鍵の束を摘んでいた。
そういえば、先程ジェラルディンというエルヴァーン騎士が言っていた。
手錠抜けを得意とする類の者は、盗みにも長けていたりする、と。
恐らく手錠をはめた人間から頂戴してきたと思われる。
束の内の一本を足の指に摘んで、ローディはごろんと仰向けになると『ニャニャニャニャニャッ!』とか何とか言いながら瞬く間に手錠の鍵を外してしまった。
何本もある鍵の中から悩むことなく手錠の鍵を選んで使用するあたり、『さすが』と言うべきか。
「やっぱりサンドは古いのぅ!まだこの業者の使ってるなんてププーだぞぃ。もうこの型製造停止になっちょるからレアだぞぇ、ダン持ち帰ってプレイに使う!?」
テンションの高い声で言いながらロエの手錠を外してやる。
嬉々としてダンを見るローディ。
だが彼は全く相手にする気がない様子で、膝を立て思い切って立ち上がろうとしていた。
ノーリアクションのダンに半眼になるローディを余所に、ロエはすぐさま口封じの布に手をやる。
硬く縛られているそれを小さな手で懸命に外してダンに駆け寄った。
「待っ…てくださいダンさん!じっとして!」
悲鳴じみた声で言い、直ちに回復魔法の詠唱をする。
じっとしていろというロエの言葉に構わずに、ダンは小さく呻き声をもらして立ち上がった。
前屈みの上体をゆっくりと起こす際、顔から血がパタパタと落ちる。
そして苦悶の表情を浮かべてローディを見据え、掠れた声で『手錠を外せ』と要求した。
そこでロエの詠唱が結ばれる。
パァッと柔らかな治癒の光を浴び、ダンの右頬を真っ赤に染めていた傷口がすぅと塞がった。
傷は塞がったがダンの顔は血まみれのままだ。首を伝った血は鎧の中も赤く染めているだろう。
ロエはダンの血を拭いたいと思ったが、彼は立ち上がっているので届かない。
彼を見上げていたら脳裏に先程の恐怖が蘇ってきた。
絶体絶命で、彼は危うく殺されてしまうところだった。
しかしそんな危機などとうに忘れた様子で、彼はまた戦場に向かおうとしている。
胸が潰れるような思いがして泣き出したくなる。ぐっと堪えて、ロエは再び回復魔法の詠唱を始めた。
「手錠ってセクシーだから嫌いじゃないんだけどの~ぅ」
ダンの手錠を外してやりながら、何処か残念そうにローディ。
「すぐにホラへ飛べ!」
手錠から解放されるなりダンはローディに向いた。
よいしょよいしょと懐に手錠をしまっているローディはきょとんとした顔で目をしばたかせる。
そして満面に無邪気な笑みを浮かべ、縦ロールの髪を掻き上げ嬉々として言った。
「じゃあ、次は浴衣コスで行っていい!?」
* * *
しんと静まり返った部屋の中。トミーとリオは恐怖に凍りついていた。
薄暗い室内にはもう、戦ってくれるダンも、魔法に通じているロエも、助けにきてくれたローディもいない。
ごしごしと床に血を引き伸ばしている暗殺者。
ふぅと小さな溜め息をついて、手を止める。
そして砂と血で汚れた掌をじっと見つめ、握ったり開いたりを繰り返す。
「……久々にやれると思って……ちょっと遊んでたら…半分になっちまったよ」
ゆっくりと立ち上がる。
気力のない足取りで歩いて格子に掴まり、がしゃがしゃと揺らしながら悔しそうに男は呻いた。
殺す対象が減ったことを心から悔やんでいる彼に、二人は言葉も出ない。
暗殺者は懐から格子の鍵を取り出し、自分が入っている格子の鍵を開けに掛かる。
がちんと音がする。指でつんと扉を押してゆっくりと開いた。
錆び付いた音を立てて開いた扉を、溜め息をつきながら潜って外に出る。
「後片付けはもう飽き飽きした……お前ばっかりズルイんだ……」
カン…カン…と、手に持った小刀で格子を叩きながらトミーがいる格子に向かう。
『お前』というのは、トミーと同じ格子の中で倒れているノルヴェルトのことだろう。
焦点は定まっているものの、男の目には狂気が渦巻いていた。じっとノルヴェルトのことを見つめる。
トミーはじりじりと格子から後退って暗殺者から離れる。
なぜこんなことをするのかという疑問の眼差しで男を見つめた。
「んんんーーーー!!んんぅーーーーーーーーー!!!」
鍵を手に、誰から片付けようか品定めをしているような暗殺者に耐えかねて、リオが部屋の入り口に向かって声を上げる。
天井の高い壁を見回すが窓はない。助けは呼べそうにない。
寧ろ助けを求めて叫んだとしても、その叫びが聞こえる範囲に味方となってくれる人間がいるのか。
がちゃがちゃと動かしてみるが手錠は外れそうもない。
口封じも、取ったとしても魔法は使えない。
「女はうるさいだけで殺しても面白くない」
相変わらず小刀で格子を一定のテンポで叩きながら言う男は、『くははっ』と笑ってリオの入っている格子にしがみ付いた。
鍵の束を片手に、見開いた目でじっとリオを見つめる。
「でも、ミスラは斬った尻尾で絞め殺すの面白いかもしれない」
正気の沙汰ではないことを言う。
リオはごくりと固唾を飲んだ。
今の彼の発言内容を想像したのではない、彼を見て気が付いたのだ。
チャンスは、彼が鍵を開けて格子の中に入ってきた時しかない。
脳裏に先程目の当たりにしたダンの死闘が思い出される。
―――無理、絶対無理!
――――でも。
「でもお前は後だ」
どくどくと鼓動がうるさい中でリオが考えていると、暗殺者の男があっさりした口調で言った。
えっと目を瞬くリオに背を向ける。
男は格子を小刀で撫でながらトミーの前に戻った。
がりがりがりと音を立ててトミーの格子前まで戻り、にたりと唇を舐める。
「ジェラルディンも、頭が堅いよな。なんですぐ気付かねーんだ」
言いながら入り口の開錠に掛かる暗殺者を見て、格子内のトミーは震え上がった。
忍びのこもった笑い声は勿論、鍵が揺れる音までも全てが恐ろしい。
「んんんんんんーーー!んんーー!!!」
リオは声による抵抗を見せるが、忍びはそれさえも楽しむように笑いながら格子の入り口を開け放つ。
「ん……」
声を漏らして奥に後退るトミーを見つめながら男は扉を潜った。
ピアスまみれの顔に歪んだ笑み。
小刀を持ち直すと、倒れて気を失っているノルヴェルトに視線を落とす。
そして『ははぁこいつは……』と一人で納得したように呟いた。
ぎょろっと目だけを動かしてトミーを見る。
「お前なんだろ?例の男の娘」
目元をひくつかせて興奮を抑えている様子の暗殺者にトミーは眉を寄せた。
「困ったな、けどやりてぇ。いいよな、やっちゃってから気が付いたって言えばな」
ぶつぶつと一人で言っている忍びは、己の防具に小刀を当てて汚れを擦り付ける。
そうしてダンの血で汚れた小刀を少しばかり綺麗にして、獣のような息を付きながら笑った。
「そうだ……こいつ起こそう。見てる前でやってみよう」
再び唇を舐めてノルヴェルトに視線を下ろす。
男は小刀を弄び、その『起こす』という行為が肩を揺する等ではないことを暗に示していた。
それに気付いた時、トミーは考えるよりも先に足を踏み出していた。
頭の中は目茶苦茶になってろくに思考が回らないのだが、暗殺者の顔を凝視したまま一歩一歩、ぎこちなく。
そして、ノルヴェルトからゆっくりと自分へ視線を移す暗殺者の前に立ちはだかるように―――
「んんんーーーーーーー!!」
隣の格子の中でリオが格子を思い切り蹴った。
目を見張って大騒ぎする彼女は『何馬鹿なことしてんのよ!?』という顔。
トミーはごくりと固唾を呑んで一旦足を止めた。震える息を付きながら暗殺者を見つめる。
もうあと二歩で、ノルヴェルトと暗殺者の間に立つことになる。
分かんないよ。怖くて堪らないよ。
もしダンだったらどうするの?
私、ダンみたいに強くない。
「………ぅ…」
――――と、掠れた微かな声が横から聞こえた。
あまりの恐怖に涙が滲む目でトミーがふと見下ろす。
ぼんやりと目を開いたノルヴェルトが微かに身をよじっていた。
虚ろな目で何処かを見つめている彼が手を使おうとして手錠が鳴る。
「お、起きたか?あはは、おい面白いもん見せてやるよ」
『ちゃんと目ぇ覚ませ』と言い、弄んでいた小刀をしっかり手に握る暗殺者。
それを見てトミーははっと目を見張り、咄嗟に最後の二歩を踏む。
そんな彼女に眉を開いて忍びの暗殺者はにこりと優しげに笑った。
トミーの頬をいつの間にか零れた涙が伝う。
絶望に最後の気力を持ち去られ、へたりと座り込んで呆然と暗殺者を見上げた。
「さっきの男みたいに、まずは口布取ってやる」
―――言った直後、暗殺者の小刀を握った手が鋭く動いた。
瞬間、トミーの体が横になぎ倒され、周辺に細かく血が散る。
格子を蹴って暴れ続けていたリオは声も出せず大きく目を見開いた。
「おぉっ、あはははは!」
しんとした室内に驚嘆したような暗殺者の笑い声が響く。
トミーはなぎ倒された痛みに身を堅くし、泣き声に似た息を付きながら薄っすら目を開く。
顔を斬られた痛みを恐々と探す……痛みは感じるが、どの痛みも顔ではないような気がした。
見上げると、黒ずんだ外套の上に流れる銀髪。
「はははっ!うぬぁあっ…あはは!」
じゃりっと足を開き、力を込める呻き声を発する忍び。
彼の小刀を握った手を、片膝を立てて起き上がったノルヴェルトの手が掴んでいた。
二人の間の床にはぼたぼたと大きな血の雫が零れ落ちている。
トミーを跳ね除けて忍びの手を掴んだノルヴェルト。
彼の右手は、違和感のある形状になり大量の血を沸かせていた。
彼の左の手首には、右手が力ずくで抜け出した空の手錠が血を滴らせてぶら下がっている。
篭手をはめていなかったからこそ出来たことだろうが、血まみれの右手は一見しただけではどうなっているのか分からないほど酷い有様だった。
「おー、スゲェ、手ぇ削ぐ奴初めて見た!」
興奮気味の声で忍び。更に力を込めてノルヴェルトの手を払おうとする。
しかし、右手が“壊れている”にも関わらずノルヴェルトの力は強い。
振り払うことを諦めた忍びは、面倒臭そうにノルヴェルトの鎖骨辺りに足を置いて蹴り離した。
忍びが解放された両の手を払うと周りに細かく血が跳ねる。
「ははは!凄い鉄臭い」
血にまみれた手を眺めて笑う忍び。
床を一転したノルヴェルトは、片足を骨折しているとは思えない勢いで立ち上がり構えた。
忍びがひゅうと口笛を吹く。
小刀を構え直し、軽いステップを踏んで身を翻しながらノルヴェルトに襲い掛かった。
ノルヴェルトは肩口に向けられた小刀に向かって自ら飛び出す―――肩に小刀が食い込むが、同時に逆の腕で暗殺者目掛けて手を突き出した。
かっと目を見張った忍びが首を捻ってその手を避けると、一拍置いてばっと血しぶきが散る。
忍びの鼻っ面から血が噴き出した。
鎧の奥にでも忍ばせていたのか、ノルヴェルトの無事である左手が小さなナイフを持っていた。
あくまでも戦う意思を示すノルヴェルト。
彼を見て『そうでなくちゃよ』と、忍びは自分の血を舐めて唇を吊り上げる。
―――ノルヴェルトは暗殺者を睨みつけながらあることに気付いていた。
昨晩、トミーをジュノから連れて出す際に周辺から感じた気配。
あれは恐らく、この男だ。
「……俺が最初に見たお前はな」
互いに互いの動きを封じ合っている状態で忍びが言った。
「でけぇ鎌を抱いてジュノから逃げ出してく姿だった。あの時はイカれたのかと思ったね!」
はっと目を見張り、音を立てて歯を食い縛るノルヴェルト。
脳裏に蘇る―――恩師夫妻が思い出の世界へ身を投げ、自分が独りになったあの日。
「あはははは、俺達結構長い付き合いなんだぜ?」
高らかに笑う忍びの声遠く、ノルヴェルトの中にあの悪夢に対する恐怖と悲しみが湧き上がる。
そして、それらはすぐに真っ黒い怒りへ変わり、目の前にいる殺意の対象以外何も見えなくなった。
「貴様……!」
勢いよく忍びの手を撥ね退けると、空気をも切る速さでナイフを払った。
忍びは恐ろしい反射神経で首を傾けてそれを避けるが、ノルヴェルトは素早くナイフを返す―――忍びの耳のピアスがいくつも飛び散った。
ピアスを掻っ攫われ出血する忍びだが、瞬時にノルヴェルトの懐に入り長身のエルヴァーンの体を投げ飛ばした。
背中から床に叩きつけられノルヴェルトの全身をあらゆる激痛が襲う。
先程受けた拷問の際に数箇所の骨にはひびが入っている。
打撲は数知れない。矢傷もそのままだ。
床に広がった銀髪を踏み、もう片方の足をノルヴェルトの胸の上に置く忍び。
「っ…」
「お前は生かしておけって言われたけど駄目だ、ははっ」
手を蹴ってナイフを余所にやってしまう。
「もう止まらねぇなぁ」
興奮を滲ませた口調で暗殺者が言っていると、突如ノルヴェルトが動いた。
踏みつけている足を引っ掴んで自分の上から放り出そうとする―――が、忍びも瞬時に対応する。
足を浮かせそのままどかりとノルヴェルトの上に膝から座り込み、小刀を垂直に振り降ろした。
目を見張ったノルヴェルトが咄嗟に手を構え、喉元に向かった小刀を遮る。
小刀が手を貫く―――忍びは更に力を込め、そのまま小刀でその手を喉に打ちつけるつもりだ。
一片の躊躇いも見えない、正真正銘の殺し合いだ。
小刀を下ろす手に体重をかけていく暗殺者は狂ったように笑っている。
横たわった体をゆっくりと起こしたトミーは、自分のことなど眼中にない様子の彼らを愕然と眺めながら後退っていた。
床に座り込んだまま足を動かしてずるずると、恐怖に震えながら格子の隅へ。
―――怖い、怖いよ、怖い。
あの暗殺者はノルヴェルトを殺そうとしている。
ノルヴェルトも、暗殺者を殺そうとしている。
血にまみれ獣のように咬み合って、一つしかない命を晒して。
―――誰にも傷付いてほしくない、死んでほしくない。
がくがくと震えるトミーの肩が奥の壁にとんとぶつかる。
――――でも、「やめて」って、あそこに飛び込んでいけない。
壁に背中を押し付けて膝を縮める。頬を何筋もの涙が伝った。
―――――だってあそこには、“何もない”。
「んん……っ」
幸か不幸か蚊帳の外であるリオは呻く。
奥に縮こまって泣いているトミーに強い視線を送りつつ、懸命に身をよじって手錠を脱しようとしていた。
とてもじゃないがノルヴェルトのように力ずくで脱することはできない。
ミスラ族特有の尻尾で手錠を探ってみるものの、やはり鍵以外に脱出方法はなさそうだ。
手錠が当たる箇所がずきずきと痛み始めるが、足掻くことをやめるわけにはいかない。
殺し合いなら余所でやればいいじゃない!
あたしもあの子も関係ない!!!
「んんんんんー!!!!」
男達を眺めて立ち上がることもできずに泣いているトミーに気付けの声を張った。
ガチャガチャッ――――――ガンッ!
泣く声、唸り声、笑い声、怒鳴り声という声のみだった室内に、物質的な音が響いた。
「――――――た、やめろ!!」
次に声が響き、部屋の扉を撥ね退けて二人のエルヴァーンが飛び込んでくる。
彼らは抱えていた数種の武器を床に放り出し、ノルヴェルトら三人が入っている格子に駆け寄った。
鍵の束を片手に格子の扉に手を伸ばすのは、鎧を身につけた赤い髪の若いエルヴァーン。
開錠しようとして入り口がすでに開いていることに気付き、彼は扉を突っぱねて開け放ちながらもう一人を振り返って叫んだ。
「パールッシュド!」
突入口を開け放った友人の傍らをすり抜けて格子内に飛び込んだのは、ガンビズン姿の冒険者剣士、パリスだ。
「―――って、どっち!?」
腰に下げた細身の剣を抜きながら、どちらが制圧対象なのかトミーとリオに慌てて尋ねる。
呆然としているトミーの代わりにリオが呻き声を発しながらその尻尾で暗殺者を示した。
当の暗殺者は素早くノルヴェルトの上から飛び退いて床にしゃがみ、怪訝な顔をしている。
『こっち?!』と暗殺者に対峙するパリスの横を、彼に続いて格子内に突入してきたエルヴァーンの青年騎士が槍を手に駆け抜ける。
突然現れたエルヴァーンの青年二人に面食らった様子で暗殺者は小刀を構えた。
「お前…?」
「共和国のスパイか!?」
忍びの声を掻き消す張りのある声と共に、青年騎士が槍を突き出した。
忍びは小刀でそれを弾く。
すると間髪を入れず、忍びの手から小刀を弾こうとパリスの剣が下から救い上げるように振るわれる。
それも小刀で弾く忍びだが若干不安定になり、続けて繰り出された槍を大きく後ろに飛んで回避した。
距離を取ろうとする忍びを逃がさんとして前に出る青年騎士。
パリスはすぐに追い込まずに一旦トミーへと視線を向けた。
「トミーちゃん立てる!?ここから出て!!」
「行ったぞ!!!」
友人の警告の声にパリスが視線を前に戻す―――忍びが目の前に迫っていた。
「いいい!?」
咄嗟に剣を前に構えると瞬く間に小刀による二撃が襲い横に弾かれる。
その凄い圧力によろめくパリスが暗殺者の血まみれの顔を見てぞっとした瞬間、槍を放り出した青年騎士が後ろから忍びに飛び掛った。
「この…っ!」
毒付きつつ忍びを床にねじ伏せようとするが、ぐるりと身を回転させた忍びが青年騎士を軽々と背負い投げた。
エルヴァーンを放り投げた忍びが不敵な顔を上げる。
そして次の標的へと視線を移して飛び出そうとしたところで、何かが腰に引っかかった。
目の前にいるパリスと揃って驚愕の顔で見下ろすと――――槍。
青年騎士の槍が忍びの脇腹に噛み付いていた。
槍に沿って視線を移すと、身を起こしたノルヴェルトがそれを握っていた。
素早く引き抜き、忍びの腹目掛けて唸らせた槍の柄を叩き込んだ。
忍びの体がくの字に折れ、胃液が逆流したような呻き声を漏らす。
そして彼が血を吐き出すのを待たず、次の瞬間には槍の柄が忍びの後頭部を殴り飛ばしていた。
片膝を立てた状態で暗殺者に一瞬の猛攻をお見舞いしたノルヴェルトは、そこでついにバランスを崩してずしゃっと床に腕を着く。
槍に叩き落される形で床に倒れた忍びを、一拍の間を置いてパリスと青年騎士が押さえつける。
しこたま食らって血を吐き出した忍びはさすがに意識を手放したようだった。
伸びた暗殺者の体をぐいと引きずり、懐から出した手錠を慣れた手際ではめる青年騎士。
手錠は格子を通してはめた。意識が戻ってもその場から動くことはできない。
テキパキと忍びの武器を押収していると、背後でパリスが治癒魔法を唱える。
暗殺者にケアルをかけたパリスを怪訝な顔で見上げる青年騎士。
パリスは『死んじゃったらマズイでしょ』と苦笑して肩をすくめた。
青年騎士にトミーとリオを開放してやってくれと頼む。
そしてパリスはノルヴェルトに目を向けた。
ノルヴェルトは、負傷に構わず無茶をしたその代償に襲われていた。
激痛に歯を食い縛って耐えながら苦しげに息をついている。
彼がどれほどの怪我を負っているのかは分からない。
しかし、今目の当たりにした彼の敵に対する闘争心を振り返ってぞくりとした。
「――――パリス、さん!」
口を塞いでいた布を取られたトミーが、ぎこちない声で呼んだ。
彼女は青年騎士が手錠を外そうとしているのに待てない様子でよろよろと立ち上がる。
そのままノルヴェルトの脇を突っ切って駆け寄ってきそうに思えたので、パリスはノルヴェルトを警戒しつつ、トミーの元に向かう。
読みは正しかったようだ。
案の定、手錠が外れるなり、トミーは一直線にパリスへ飛びついてきた。
「よかった…!怪我は!?」
「トミーちゃん……」
いつもまとめて結ってある髪はほどけて乱れ、泣きはらした目、所々の擦り傷。
トミーがそんな姿だからか、パリスは彼女を直視できず俯いてしまう。
「パリスさん、は、無事だって…ロエさんが…っ」
「うん…」
「私…っ…本当に……!」
「トミーちゃん」
「ぅぅ…パリスさん、こんなところに…来てくれちゃって大丈夫なんですかぁ?」
「トミーちゃん違うよ」
ぼろぼろと泣き出すトミーに対し目を伏せたまま、パリスは首を横に振った。
彼が何を『違う』と言っているのか分からず、トミーは涙を拭いながら首を傾げる。
そこに、青年騎士に解放してもらったリオが物凄い勢いで飛んできた。
トミーをパリスから力任せに引き離す。
「ぁうあ!?何リオさ」
「あんたは黙ってなさいよ!!」
まるでトミーを庇うように抱き込む。
そしてこれまで以上に険悪な眼差しでパリスを睨みつける。
訳が分からないトミーが困惑顔でパリスを見ると、ノッポのエルヴァーンは肩をすくめた。
「………そ、リオさんが正解……かな」
パリスは寂しげな声で言って、自嘲の笑みを浮かべる。
彼に近寄ることを許されないトミーは『どうして』という顔で二人を見比べる。
リオが穏やかでない感情をパリスに向けていることは嫌だ。
しかしそれ以上に、パリスがそれに対して納得している様子なのが堪らなく嫌だった。
異論も弁解もしない彼。
青年騎士が格子内に戻ってきたのを切欠に、二人に背を向ける。
満身創痍の銀髪のエルヴァーンは、じっとパリスを睨みつけていた。
槍を手に立ち上がろうとしている。
ぎしぎしと体を動かすノルヴェルトは、体のあらゆる箇所から血が滴っている。
その姿に鳥肌が立つ。
仕留められる寸前の野生の獣を前にしているような心境だった。
先程目の当たりにした彼の猛攻を思い返す。
この男はこんな状態であっても、全く仕留められる気がしない。
「パールッシュド…」
横に並んだ青年騎士が判断を仰ぐように名を呟く。
パリスは小さく頷いてみせると、慎重に口を開いた。
「…できるなら、あなたとは争いたくありません。僕達はまず、ここから脱出したいんですよ。どうでしょうね……無事に脱出できるまで、一時休戦というのは?あなたが僕達に協力してくれるというなら、それ以上心強いことはありません」
強ばった苦笑いを浮かべながら肩をすくめる。
「あなたが僕達を行かせないというなら……仕方がありませんけど。でも、ここで争ってても、お互い何も得はしませんよ」
そこまで言ったところで、ノルヴェルトは完全に立ち上がった。
あらゆる苦痛に耐えている酷く痛々しい様子ではあるが、彼がその気になればまだまだ戦うことができるのだろう。
苦しげな息をつきつつもただ身構えるノルヴェルトの圧力は相当なものだった。
「…………二人の意見も聞きたいな」
後ろを振り返らずにぽつりとパリスが尋ねた。
トミーを抱き込んだまま、パリスの後ろからノルヴェルトを覗き見るリオは険しい顔をする。
「……癪だけど、今はあんたに頼るしかないわね」
「……それは助かります」
意外そうな声でパリスが言うと、リオは鼻を鳴らした。
「一応、あんたはこの子のこと……気にかけたからよ。でも勘違いしないでよね。あんたとあいつの二択だから、しょうがなくよ」
その言葉を聞いて、パリスとノルヴェルトが同時にはっとした。
眉を寄せた困惑顔でトミーがリオを見上げる。
「ど、どうしてそんなこと言うんですか……パリスさんですよ?」
「あんたは何も知らないのよ」
「おかしいです、そんなのっ」
「トミーちゃんはどう?」
抗議するトミーの声に被せて、背中越しにパリスが尋ねた。
「僕としては、この人とはやり合いたくないんだ。だから、ここでお別れするか、一緒に行くか……かな」
うっと言葉を詰まらせたトミーは、パリスの背中から、その向こう側にいるノルヴェルトへと視線を移す。
今の今までパリスのことを睨みつけていたノルヴェルト。
だが一瞬トミーと視線を合わせると、ぎくりとして視線を落とした。
もしここで彼を一人にしたら、何も分からないまま、彼は死んでしまう。
トミーはそんな気がしてならなかった。
「………………お願いです…パリスさん……一緒に……」
おずおずと言うトミーを、リオは信じられないという顔をして見下ろした。
「……了解」
パリスは呟くと、剣を納め、魔法の詠唱を開始した。
それに対してびくりと身構えるノルヴェルトを見て青年騎士もはっと身構える。
しかし、トミーが『ダメッ!』と声を張ると、二人とも硬直してトミーに視線を向ける。
警戒心と緊張でぴりぴりしているノルヴェルトをトミーが強い眼差しで封じ込めた。
そうしているとパリスが詠唱を結び、そこそこ高度な回復魔法がノルヴェルトに注がれる。
―――――と、癒しの光にパァッと包まれたノルヴェルトは驚愕した様子で目を見開いた。
「なっ、やめろっっ!!」
長年癒しを知らなかった体を見下ろし、塞がっていく傷に慌てて爪を立てるノルヴェルト。
女神を恨みエルヴァーンを憎んできた彼にとって、それは屈辱であり汚らわしいものだった。
血相を変えて治癒を拒絶するノルヴェルトに一行が呆然とする中、トミーがリオの腕を抜け出して駆け寄る。
驚いて皆が制止する前に、トミーは癒えていく体を傷つけるノルヴェルトの手を捕まえた。
「どうしてっ、ダメです!……っ」
捕まえた手をふと見てトミーは言葉を失った――――酷く壊れてしまった右手。
その手も含めて、ノルヴェルトの拒絶をものともせずに魔法が肉体を癒していった。
ノルヴェルトは、トミーの手を振り払うこともできず愕然と立ち尽くしていた。
完全とは言えないが、殆どの苦痛は拭い去られたようだった。
「彼女の願いでもありますし……お願いしますよ、ノルヴェルトさん」
パリスはじっとノルヴェルトを見据え、まるで言い聞かせるように、その名前をやや強調して呼んだ。
すると、パリスの後ろからささっと前に出たリオが再び素早くトミーを引っ張り戻す。
ノルヴェルトはトミーを見つめた後、彼女の仲間達に視線を巡らせた。
信じられない。
信じられはしないが―――今は此処から脱出しなければならない。
このタイミングで突然現れた協力者。
何か罠があるとも充分に考えられる。
だが、少なくとも今は、この場で争っている場合ではない。
仮にトミー以外の者を皆斬って不安要素を排除したとしても、逆に脱出が困難になるだろう。
そして何より、彼女との間に取り返しのつかない溝ができてしまうのは間違いない。
「………いいだろう」
ノルヴェルトは、エルヴァーン二人に対する警戒だけは忘れまいとして、一行からの申し入れを受ける意を告げた。
「決まりですね」
パリスは一人ひとりの顔を確認すると、深く頷いた。
そして隣りに立つ青年騎士に『それじゃリェン、武器を』と呟く。
青年騎士は『あぁ』と頷いて格子から出る。その間にパリスは再び魔法の詠唱を始めた。
物理防御や魔法防御を高める魔法を手際良く皆にかける。
すべての魔法をかけ終えた頃、青年騎士が格子の中に戻ってきた。
彼の両腕にはいくつかの武器が抱きかかえられている。
「紹介が遅れましたが、彼は僕の友人のリェンです」
抱えた武器をまじまじと観察している青年騎士は、その言葉を聞いて顔を上げた。
姿勢を正したのでサンドリア式の敬礼をするのかと思ったが、彼は背筋を伸ばして小さく会釈しただけだった。
武器を抱えていたせいなのかもしれないが、この状況でサンドリア式敬礼をしようものなら、さすがに気まずい空気になっていたに違いない。
「この場所が分かったのも、みんなの武器を取り返せたのも、彼のおかげなんだ。押収された武器の回収までできるとは思ってなかったけど……どうやら彼、武器愛好家らしいんですよ。今までそんな話、聞いたことなかったんだけどな…」
「友とは言え、お前とは疎遠だったからな。話す機会がなかっただけだ。非番の時はよく、押収武器を見に行くんだ」
そう言いながら、リェンは慎重に両腕の武器を足元に下ろすと、まずナックルを拾い上げてリオに差し出す。
「さ、早く武器を。城の者がいつ戻ってくるか分からない」
リオが受け取ると、次にダンの両手剣を手に取った。
そして『これは良いものだ、よく手入れしてある』と満足げに頷いてからパリスを見上げる。
「これは?」
「あ、じゃあそれは僕が預かるよ」
両手剣を受け取り、苦笑しながら重たそうにそれを背負うパリス。
足元の武器へと視線を戻したリェンだが、何か考える顔をして上目遣いになって一行を眺めた。
「……パールッシュド。聞いていた人数よりも大分少ないが、この三人だけで良いのか?」
「いや、あと二人いるはずだったんだけど……」
言葉を濁しつつパリス。ちらりとリオに説明を求める眼差しを向ける。
「ゲンとウメとデンチューは、なんかの魔法で消えちゃったのよ。あたしら置き去りにしてね!」
「えーと、ダンとロエさんと?ごめんなさいどちら様?」
「ローディさんです。助けに来てくれて」
「えっ、あの人来たんだ?ぁ……へぇ、そうなんだ」
ぱっとトミーのことを見て目が合うと、パリスは何故かふいと視線を逸らして口ごもった。
その反応にトミーは眉を寄せるが、パリスは何も言わずにリェンの前の床に置かれたロエの小さな杖を拾い上げると腰に差す。
「君達はテレポのゲートクリスタルを持っていなかったんだな。今頃、大層慌てているだろう、その三人は」
言いながらパリスの様子を眺め、手元に残った最後の武器を見下ろす。再びじっと考える顔をするリェン。
「……あ、リェンそれは……」
リェンが非常に興味深そうにしげしげと観察しているのは、漆黒の大鎌。
その大きな刃の付け根付近にも槍の如く刃が備わっており、柄が一般の鎌とは逆に反った異形の武器である。
手を差し出すが、リェンはもっと見たいという様子でなかなか渡さない。
苦笑したパリスは『ほらお兄さん早く』とリェンの手からひょいと鎌を取り上げる。
じっと鎌から視線を外さないリェンに背を向け、ノルヴェルトに歩み寄ると鎌を差し出した。
「リェンの槍と引き換えに。どうぞ」
ノルヴェルトはじっとパリスの顔を見つめて、手に持った槍を渡すとすぐに大鎌を取る。
「その鎌が、僕らに向けられないことを祈ってます」
鎌を背に収めるノルヴェルトに真面目な声ではっきりと言うと、パリスは槍をリェンに手渡した。
槍をしっかりと握るリェンだったが、目は相変わらずノルヴェルトの鎌に釘付けだった。
――――なんか、嫌だな……。
リオの後ろからその光景を見ているトミーは、内心そう思って足元に視線を落とした。
絶体絶命の危機からは脱した。
仲間が助けにきてくれた。
それなのに―――何故だろう。
多少なりとも安堵がもたらされるはずなのにそれが無い。
何かが違うと感じる。
もやもやした不可解な不安が胸で燻っているが、その燻りの原因の内一つは分かっている。
救出しに来てくれたパリスは、いつものように、『大丈夫だよ』と笑いかけてくれると思っていた。
「あぁ、そうだ」
不意に、ノルヴェルトをじっと見つめていたリェンが思い出したように言う。
皆が視線を集めると、彼は腰に下げていた剣をベルトから外してトミーへと差し出した。
剣を見て目をしばたかせているトミーはパリスに疑問の視線を向ける。
しかし答えたのはリェンだった。
「丸腰では、もしもの時に危険だ。これを。押収武器の中から君にも扱えそうなものを拝借してきた」
「あ、え……はい」
おずおずとトミーが剣を受け取ると、リェンは『無論、もしもの時がないように努める所存だ』と姿勢を正した。
トミーは彼に対してぺこりと頭を下げて礼を言うと、ちらりと横目にパリスを見る。
「ということは、ローディさんの武器もあそこにあったんだ……しまったなぁ……」
室内を何となく見回しながら、そんなことを独りごちてパリスは頭を掻いている。
「……………。………よし、これで準備は整ったか?パールッシュド」
「ん、あぁ」
「では行こう」
この一声で、現在のリーダーはリェンということになる。
どことなく、パリスは自分がリーダーシップを取ることを避けている。
そんな彼に女性二人は視線を注いだ。
パリスはきびきびと行動を始めるリェンだけを見つめている。
「最近は冒険者が城内に入ってくることは珍しくない。だからもし、何者かに遭遇しても慌てなくて良い。それと、君達は正式な逮捕手続きをまだ受けていない。だから多分、担当した者以外は君達の顔を知らないはずだ。どこが君達のことを扱ったのか分からないが……どうかこの無礼を許してほしい。代わって俺が誠意を示そう」
はきはきとした声でそう言いながら、リェンは格子入り口の脇に立った。
そして先に格子から出るように女性二人に手で催促する。
トミーはじっとパリスの顔を見上げた。パリスはその視線に気付いているだろうに、彼女へは視線を返さなかった。
彼はもう、自分には関わりたくないに違いない。
そう解釈したトミーはしゅんと視線を足元に落とした。
「ほら、ぐずぐずしてないで行くわ――――」
リオが振り返ってトミーの腕を引こうとして―――ぎょっと目を見開いた。
「―――バツイチ!!!」
パリスのことを指差していきなり大絶叫するリオ。皆驚くが、パリスははっとして背後を振り返る。
後ろに立っていたノルヴェルトが背の大鎌の柄を引っ掴んだ瞬間だった。
仰天して皆が一斉にノルヴェルトを振り返る―――だがそのノルヴェルトも瞬時に踵を返す。
彼の視線の先には暗殺者の忍び。
手錠で拘束しておいたはずだが、捨て身の忍術『微塵がくれ』をお見舞いしようとノルヴェルトに飛び掛かった。
怪我の癒えたノルヴェルトが、尋常ではない速さで振り向き様に大きく鎌を横なぎに払う。
すると一瞬で暗殺者の体が胴体で真っ二つに切断された。
「うわああああああダメダメダメダメ!!!!!」
宙で上下に離れる体から鮮血が散る頃に、パリスが大騒ぎしてトミーとリオを抱き込んで格子側に追いやる。
全てが刹那の出来事。パリスのこの反応は充分早い。
「見ちゃダメ女の子は見ちゃダメェ!!」
パリスは言葉を失っている女性二人を懸命に振り向かせまいとして叫びまくった。
勢いで広がったノルヴェルトの外套がばさりと静まる。
同時に、二つになった暗殺者の体が床に横たわった。
「……おー…」
両腕を広げて仰向けに転がった上半身。
口から他人事のような感嘆の声が漏れる。
そしてそれが、暗殺者が放った最後の声となった。
「じょ……冗談じゃ…」
「早く、早く出て二人ともっ」
愕然と呟くリオと絶句したままのトミーの背中を押して、格子の外に追いやるパリス。
そんなパリスの横に立って、リェンはノルヴェルトを見つめたままじりっと身構え息を呑んだ。
「パールッシュド、この男は……っ」
「ああああやっちゃったよリェン。ああ……あは……どう、あの人心強いでしょ?」
「何者か知らんが、殺しは問題だぞ!この男…行動を共にして大丈夫なのか?!」
「大丈夫じゃないけど到底敵にはできないでしょ!?」
潜めた声で言い合うエルヴァーンの二人。
ノルヴェルトが鎌を背に収め、格子の出入り口へと真っ直ぐ歩いてくる。
彼から逃げるように、青年二人は格子から出た。
格子から出てきたノルヴェルトを凝視して若干身構えている二人に対し、ノルヴェルトは横目にじっと見返す。
「………ああなりたくなければ、妙な真似はしないことだ」
ほぼ本調子を取り戻したノルヴェルトは、まるで怖いものが無いかのよう。
そう言って、再び緊張を高めている一行を余所に部屋の扉に向かった。
左手首にぶら下がっていた手錠も、ガンッとナイフで一突きし、彼は慣れた手つきで外してしまう。
大きな鎌を背負ったその後姿をじっと見つめ、口を引き結ぶパリスとリェン。
ショックで震えた呼吸をしている女性二人。
青年二人はお互いに顔を見合わせると、リェンが意を決したように頷いた。
「………とにかく早く此処を離れよう」
そう言ってからもリェンは、しばしノルヴェルトの背中をじっと見つめるのだった。
* * *
一行が部屋を出てしばらく経った頃に騎士達は戻ってきた。
無論、部屋の鍵が掛かっていないのを見て騎士達が大きく目を見開いたのは言うまでもない。
「ジェラルディン様!」
一足先に入室したウォーカーが乾いた声で叫んだ。
彼に続いて入室すると咽るような血の匂い。
ジェラルディンは顔をしかめてウォーカーが愕然と見つめている先へと視線を下ろす。
格子内には大きな血溜りが広がり、動かない肉体が二つ。
かつては一つだったであろうその遺体を見つめるジェラルディン。
ウォーカーは室内を見回す。
所々に見える争いの跡、血痕、床に落ちたいくつかの手錠。
「他には誰も……っ」
ウォーカーは口元に拳を当て、血の匂いに耐えながら声を絞り出す。
しばし遺体を観察するジェラルディン。室内をぐるりと見回し、口を開いた。
「………良くやったぞ……カーヒルッ」
ジェラルディンは唇の端を吊り上げて笑うと、リンクシェルにて報告の声を張った。
* * *
「城に詳しい者は、自然と効率の良い道を選んで通る。だから、こういうルートは意外と人が通らんのだ」
先頭を足早に進みながら、エルヴァーンの青年騎士リェンが説明する。
彼がふと後ろを振り返ると、乱れひとつない結われた彼の赤い髪が肩の上に乗った。
すぐ後ろには、トミーとリオがくっついて歩いており、その後ろにパリス、ノルヴェルトと続いている。
あの部屋を出てからもう何度目かになるが、リェンが後ろを振り返る度に、最後尾にいる男の鋭い視線がばちりとぶつかるのだった。
ノルヴェルトは、エルヴァーンの青年二人に対する警戒心を隠そうともしない。
そんな彼の前を歩いているパリスは、当然気が気ではないはず。
パリスの性格からして、緊張と恐怖を紛らわすため軽口を叩きそうなものだが…。
「ぐるぐる回ってて、凄く効率の悪いルートだってことは感じるけど……とりあえず何処に向かってる?」
らしくもなく、パリスは先程から必要最低限のことしか口にしない。
「丁度これからガードの交代時間でな。騎士達が動いている時間帯だ。だから、城からの脱出は半刻程待った方がいいかもしれん。何処から脱出するかも考えないとならないが……案はある。ただ、可能かどうか…。とりあえず、身を隠すのに持って来いの穴場を知っている。まずはそこに向かっている」
そこまで口早に説明して、リェンは肩越しにパリスを振り返った。
「………らしくないな、パールッシュド。静かじゃないか」
「今の状況が状況だし……そうでなくともお城の中はあまり歩きたくないんですよ」
ぶつぶつと小さな声で言うパリスに『後ろめたいことばかりしているからだ』とリェンは容赦ない。
通路沿いにある扉には「保管室」という札が付いていたり、ドアノブに無骨な錠前がぶら下がっている。
この辺りは普段あまり人が立ち入らない場所のようだった。
先程の暗殺者の死に様を目の当たりにした衝撃で、トミーとリオはずっと黙りこくっていた。
しかし、細かいことを気にしない性格で切り替えの早いリオは、一足先に気持ちを切り替え始めていた。
「どうして、あたし達があそこにいるって分かったのよ?」
トミーの腕をがっちり掴んだまま、リオがパリスを振り返る。
顔を上げてリオと目が合ったパリスは、苦笑を浮かべると口を開きかけたまま少し考えた。
「王立騎士団にいる俺の友人から、冒険者が連行されてきたという話を聞いてね」
パリスが言葉を搾り出すよりも先に、先頭のリェンが振り返らずに言う。
「そんなことは珍しいことじゃない。だから皆は特に関心がないようだったが、俺は昨今の冒険者の間ではどんな武器が流通しているのか興味があった」
わずかに埃の溜まった階段を上る。
「それで探してみたら……それらしき護送一行を遠目に見掛けてな。その中に、名の知れた冒険者の姿が見えた気がしたんだ」
リェンの話に眉を寄せている仲間達。パリスがポツリと『ダンのことだよ』と補足した。
「俺は冒険者に興味はないが、その冒険者とパールッシュドが仲間だというのは耳にしていた。だからもしかして、パールッシュドも一緒にしょっ引かれてるんじゃないかと思ったんだ。詳しく聞いてみようと城を出たところで、偶然パールッシュドと会ったというわけだ」
「…すごい偶然だったのね……」
運が良いのか悪いのか分からない自分達に苦笑いを浮かべてリオ。
それに対して『あぁ』と頷いているリェンの背中を、ノルヴェルトはじっと見つめている。
「先に脱出した三人とは、連絡付かないのか?」
今度は階段を下り、やや暗い通路を進みながらリェンがパリスに問う。
「いや、それが………パールサックを取りに戻ろうとしたところで君と会ったんで……」
「なるほど。ふむ、その三人と行き違いにならなければいいが……」
「……パリスさん……リンクパール持ってないんですか?」
ようやく口を開いたトミーの弱い声に、パリスは苦笑を浮かべて黙ってしまった。
状況がさっぱり分からない様子のトミーに溜め息をついて、リオはパリスのことを半眼で眺める。
「もうこの男、あんたの仲間じゃないわよ。自分からやめたのよ、こいつ」
「…え…」
「これから割と使われる通路に入って角まで数メートルだけ歩く。確か一つ隣りの廊下を通らないといけないんだ。もし誰かがいても動じないでくれ」
リェンが会話を遮って一旦立ち止まる。彼は真剣な顔で振り返ると一行を眺めた。
ふとリェンは最後尾にいるノルヴェルトに目を留めた後、パリスをじっと見据える。
『え?』という顔をして硬直するパリス。
しかしリェンは彼に対して何も言わず、歩みを再開した。
薄暗くて狭い通路から、明るいやや広めの通路に出る。
遠くの方でちらほらと城の人間が行き来していた。
リェンが向かう方向には人がおらず、後ろに続いている一行は胸を撫で下ろす。
――――しかしその直後、目的の角の手前にある扉が開き、中から人が出てきた。
現れたのは若いエルヴァーン、短いブロンド髪の女騎士であった。
彼女がこちらを向いた時、リェンの背中が一瞬強張ったのが後ろから見ていて分かった。
「ん?リェンじゃないか、今日は非番だって聞いていたけど」
胸中動揺する一行を余所に、リェンは若干歩調を早め即座に答える。
「いや、ちょっと事情が変わったんだ」
「事情?だってリェン、今日は……」
「すまん、先に行っててくれ」
女騎士の前まで来たところで、リェンは肩越しに振り返って一行にそう告げた。
心臓の音がやかましく鳴る中、リオはトミーの腕を引いてそそくさと脇を通り過ぎる。
四人共が追い越して先に進むと、『曲がったら待っていろ』とリェンの声。
突き当たりの曲がり角に向かいながらノルヴェルトが後ろを振り返ると、こちらを指差している女騎士に対し、やや押し殺したような声でリェンが『違う』と首を振っていた。
―――その時、ノルヴェルトは何かを感じ取って立ち止まる。
周りに視線を馳せる。
気のせいか、何者かの視線を感じたような気がした。
女騎士といくつか言葉を交わした後、リェンはすぐに追いかけてきた。
彼は角を曲がる頃に追いついてくると深い溜め息をつく。
「大丈夫だった?」
苦笑を浮かべてパリスが尋ねると、リェンはああと頷いた。
冒険者へのミッションの説明を急遽任されたのだと言ってきたという。
「やはり、交代時間は避けるべきだな。目的の場所までもうすぐだから先を急ごう」
彼も緊張したのか、くたびれたような声で言って再び先頭に立つ。
少々気分を害したようにも見えるリェンの背中を見て、パリスは歩調を早めリェンの背中に声をかける。
「……悪いね、急に協力お願いしちゃって…」
リェンはその言葉に意外そうな顔をして振り返り、戸惑い気味に笑みを浮かべた。
「いいや、気にするな」
「でもさ……こんなことして、もしこれがバレたら君もきっとタダじゃ済まないよ?君の好きな出世が遠退いちゃうどころじゃないでしょ、コレ」
ばつが悪そうな苦々しい声で言うパリス。リェンは声を出して笑った。
「ははっ、見くびるなよパールッシュド!俺は自分の正義に従って動いているだけだ。確かに最初は、脱走の手助けなどとんでもないことだと思ったが……」
そこまで言うと、肩越しにトミーとリオのことを振り返る。
「…俺は自分の目で見て、正しいと思ったことをする。誇りに誓ってな」
パリスは立派な騎士道を掲げてみせる友人に何とも言えない顔をして、『君とはもっと親しくしてればよかったな』と零した。
後ろの女性二人を振り返っていたリェンがやや視線を上げると、今回も例外ではなくノルヴェルトの視線がぶつかった。
言葉を発することなく、警戒を露にしたまま行動を共にしている大鎌を背負った男。
リェンは彼の眼差しに怯むことなくじっと見つめ返し、やがて前方に視線を戻した。
「そこの者共、止まれ!!!」
――――突然、通路に厳粛な声が響いた。
ノルヴェルトが即座に鎌の柄に手を伸ばして後方を振り返る。
他のメンバー達も驚いて一斉に振り返った。
先程通った広い通路から一人の男がこちらに向かって歩いてきていた。
例の騎士連中に発見されたのかと思ったが、今度現れたその男はエルヴァーンではなかった。
軽くウェーブのかかったブロンドの髪を一つに結わえ、真っ赤な王国制式礼服をまとったヒューム族。
木目細かい肌に通った鼻筋、まるで作り物のような端整な顔にブルーの瞳が二つ。
「……ロ…ッ」
「出た!キモ男!!!」
「ローディさん!」
歓声かどうか微妙な声を上げるトミーとリオ。
あれが仲間かと説明を求める顔をしているリェンにパリスが頷いてみせる。
ノルヴェルトは見覚えのあるその顔に一気に緊張感を高め、リェン達とローディを鋭く見比べた。
「絶美のオシャ魔が迎えに来たぷいハニー」
一行に歩みよりながらそんなことを言って投げキッスをするローディ。
そして、来たのはローディ一人だけなのかという疑問の顔を揃えている一行を眺めて笑った。
「きひっ…にゃ~んか知らない内に面白いことになってるぞぇ、ダン」
「ダン……?」
「ここだ」
まるで独り言を言っている風のローディの傍からダンの声が聞こえた。
ぎょっと目を見張ると、次の瞬間ローディの隣りにふっとダンの姿が現れる。
続いてまたその隣りにロエの姿も現れた。
二人はインビジで姿を隠していたようだ。
「意味無く大声出すんじゃねぇよ変態。目立つだろうが」
ダンはしかめっ面でローディに文句を垂れてから、心底くたびれたと言いた気な顔で一行を見渡した。
「お前ら無事か」
「信じらんないけどおかげ様で目茶苦茶無事よ!何なのあんたら勝手に消えて!!」
肩を怒らせて凄い勢いで罵りながらも、何処か心底ほっとしたような顔でリオ。
「あのなぁ、お前らがちゃんとしてりゃあアレで万事解決だったんだよ!!何のために死に物狂いで体張ったと思ってやがる、全部無駄にしてくれやがって!」
「知らないわよあんたの都合なんぅえ!?」
リオがトミーの腕を掴んだままずんずんとダンに歩み寄ろうとしたところで、トミーが突然膝を折った。
皆が驚いて一斉に一歩足を踏み出すが、ダンがトミーのもとへ歩み寄ったので皆その一歩だけに留まる。
がくりと座り込んだトミーの腕を手放して目を白黒しているリオを余所に、ダンは特に動じる様子もなくトミーの前で片膝を着いた。
床に座り込んだトミーは呆然とダンの顔を見上げてから、そっと手を伸ばす。
先程暗殺者によって深く切り裂かれたダンの頬に触れた。
傷は魔法で癒され、おびただしい血の跡を簡単に拭ったような痕跡が薄っすらと残っていた。
ダンの頬に触れて不思議そうに小首を傾げるトミー。
「……大丈夫…?」
「お前が言うなよ」
半眼になって言うダン。
彼の顔を見つめるトミーの眉が徐々に寄っていく。
きゅっと唇を噛むトミーを見て、ダンは自分の頬に当てられている彼女の手を取った。
「今は泣くな。ほら行くぞ、立て」
溜め息まじりにそう言って、泣きそうになっているトミーの腕を引き上げる。
彼女がしっかりと自分で立っていることを確認してから、手を放した。
そして、ぐるりとその場にいる仲間達を見渡す。
その際ダンは平静を保つためにも、意識的にノルヴェルトからは目を逸らす。
ローディが苦汁を飲まされたような酷い顔をしているのが目に付いたが無視した。
引っ込んだ位置で黙って立っているパリスに向かって歩きながら言う。
「状況が分からんが、全部後で聞く。今何処に向かってるのかだけ教えろ」
手を差し出して両手剣を渡すように催促する。
パリスは思い出したように、慌てて背負った剣を手に取りダンに渡した。
帰ってきた自分の両手剣を背負うダンの腰には一振りの片手剣が下がっていた。
その代役を邪魔そうにベルトの後ろの方へ押しやると、今度はパリスのベルトに差してあるロエの杖を抜き取った。
それをロエに手渡しに向かうダンだが、自分の質問に早く答えろという眼差しをパリスに向ける。
パリスははっとして口を開くが言葉が出てこず、困った顔をして隣りにいる友人を見る。
当然だ。パリスも今何処に向かっているのか詳しく知らないのだから。
リェンは現れた三人のことをじっと観察していた様子で、パリスの眼差しに数秒遅れて気が付いてから言った。
「あぁ……式典準備室だ」
* * *
再び細い廊下に入り、迷路のような奥まった城内を進むと目的の場所へと辿り着いた。
リェンが手にしていた鍵は、手錠の鍵などのスペアを管理室から頂戴してくる際に一緒に持ってきたという。
解錠し扉を開けると、そこは扉の大きさが物語っていたように倉庫として使われているものだった。
サンドリア王国の旗をはじめ、王立のあらゆる団体、そして王国内の名家の紋章の旗が格納されていた。
それらの旗を掲げる為の器具等もたくさん並べられており、その名の通り式典関係の備品を保管している倉庫のようだった。
しかも、リェンの話では、ここにあるのは王族がメインとなる特別な式典の備品らしい。
近々貴族階級の式典が催されるが、そこで用いる器具は東側の別の保管室に収められており、最近人が出入りするのはそちらの方だけ。王族メインの式典はすでに済んでおり、少なくとも半年は此処に用を持つ者はいないらしい。
外の様子を窺いつつ慎重に扉を閉めるリェンの背中を皆が見守る。特に問題無さそうだと確認できたのか、リェンが扉から離れるとリオが大きな溜め息をついた。
それから、当然のようにダンが状況説明を要求した。
その説明を誰に求めるかがやや問題であったが、一人は見知らぬ騎士、一人は正体不明の殺人犯。トミーやリオに説明を求める気にはなれない。
そうなるとやはり、パリスしかいなかった。
彼がどんなに視線を逸らしていようとも関係なく、ダンは圧をかけてパリスに説明を求めた。
今朝といい今といい、ダンに対して微妙な顔をしてばかりのパリスだが、ここは観念したように口を開いた。
友人のリェンに偶然会い、協力を願ったこと。
あの暗殺者はノルヴェルトの手によって絶命したこと。
そして、そのノルヴェルトと現在、合意のもと休戦状態であるということ。
説明をしている間、いつダンからの指摘の言葉に刺されるかとパリスはヒヤヒヤしている様子だったが、ダンはじっと黙って最後まで話を聞いていた。
とはいえ、ダンの胸中は『冗談じゃないぜ』の一言に満たされていたが。
「……分かった。こっちの内輪の問題に巻き込んで悪いな。でも助かった」
軽く頭を下げるダンに、リェンは思案顔をして何処か機械的な声で答える。
「いいや、俺も一騎士として無視はできん」
「あんた達は?どうやって入ってきたのよ?」
リオが疑問を口にする。
「んあぁ、正面の門から入ってきた」
「……はぁ?」
「裏から連れ込まれたんだから、裏からまた忍び込むなんてリスクが高いだろうが。こういう時ゃ正面から堂々と入った方がいいんだよ」
「で…でも一応警戒して、私とダンさんは姿を隠しておいたんです。番の方に扉を開けてもらわないといけませんし、ローディさんにはそのままで行っていただいて……」
「俺様ダンのそういう発想激ラブだぞぇマジカルで☆」
皆が各自適当なところに腰を落ち着かせている中で、ローディはそこら中のものを引っ掻き回していた。
手に取った旗を広げてみては、その紋章の名前を口にしてぽいと放り投げている。
ダンがしかめっ面をして『あんまりいじるんじゃねぇ』と毒づくが、ローディはカルタでも楽しむかのようにその行為を止めはしなかった。
そんな彼の様子を、リェンがじっと見つめていた。ロエが小さな声で謝る。
リェンはローディのその行為を特に問題視していたわけではなかったのか、一瞬疑問符を浮かべてから首を横に振った。
そして今度は隅の方でじっと佇んでいるノルヴェルトに視線をやる。
「っていうか、ホントにあの首長達一体何者なのよ!?訴えてやるわ!!」
依然としてトミーを掴んだまま放さないリオが、親指の爪を噛みながら悪態をついた。
皆がその声に揃って視線を上げる。
「ま、まぁま……そういうのは此処を出てからにしませんか?」
苦笑を浮かべたパリスが誰の顔も見れないままそんなことを言った。
彼の顔には、あまり注目されたくないと書いてあった。
しかし当然、皆の視線がパリスに集中する。
ダンはパリスの意見に反対ではなかった。
そういう話は後でもできる。
それに……と考えて、扉の近くにいるリェンを見る。
それからーー横目にノルヴェルトを見た。
ノルヴェルトは敵意剥き出しで、パリスのことを睨みつけていた。
「そう、これからどうするかが先だ。さすがにこの人数じゃ、さっきの要領で正面から出てくわけにはいかねぇからな…」
言ってダンは立ち上がると再びリェンへと視線を戻した。
「案っていうのを聞かせてもらえるか」
しかしその時、視線の先のリェンが何故か驚いたような顔をしていた。
それに眉を寄せて彼の視線の先を見てみると―――相変わらずローディが物色してうろついている。
「……案…。そう、案だ」
心此処にあらずと見える顔をしたまま口だけがそう呟いて、リェンはようやく話に入る。
「裏から出るのが危険ならば……そうだな…。二つばかり案はある。そのうち一つは未確認事項が多いから、もう一方がいいかもしれない。ここから少し歩いた場所に、一部の使用人達が使っている出入り口がある。そこから出ると城壁のすぐ傍に出るんだが、正門の方へ城壁沿いに行くと団員専用の門があるんだ」
リェンの話によれば、彼はかつてその門のガードを担当したことがあるらしい。
「あそこはかなり孤立した配置でな。外の様子も、城内の動きもまるで見えん。だからあまり警戒心がなく業務が大雑把になりがちだ」
『全く、情けない話だが…』と苦々しい顔をして嘆く。
「何か上手い口実を作って行けば、難なく通過できるかもしれない。もし怪しまれても……何人もガードは…居ない。突破できるだろう」
後半少々ぎこちない口調になりながらも、そこまで言い切る。
そして立ち上がった。
「交代の際は上役が顔を出すこともあるんだが、恐らくもう済んでいる。様子を見てこよう」
槍が背にちゃんと納まっていることを手で確認し、リェンはパリスに目を向けた。
「パールッシュド、一緒に来てくれ」
その願い出に、顔を上げたパリスの目はまん丸になっていた。
* * *
式典準備室から出ると、相変わらず廊下に人の気配はなく、静まり返っていた。
パリスはそれにほっとして、壁に掛けられた絵画などの装飾品を横目に眺める。
二人は脱走した身ではない。
種族もエルヴァーンだ。
何もこそこそする必要はない。
重量のあるダンの両手剣から解放されたパリスは、歩きながら伸びをした。
「んん~………リェン、悪いね。真面目一徹な君には辛いんじゃない?」
二人になって少し緊張がほぐれた様子。
「結婚の条件が出世とかじゃなぁい?大丈夫?」
いつもの軽口が出始めた。
「でも本当に……ごめんね。正直、君がここまで協力してくれるとは思わなかった」
言いにくそうに頬を掻くと、『ありがとう』とリェンを見る。
リェンは、話を聞いているのかいないのか。
じっと前を見て口を引き結んでいた。
そんなに脱出が困難なのか。
それとも協力していることが本当に苦痛で堪らないのか。
パリスはだんまりの友人に眉を寄せる。
脇にある薄暗い階段を下り、広めの廊下に差し掛かる。
廊下の先に先程リェンが言っていたものと思われる扉が見えた。
そこでさすがに、無言のままのリェンが不安になる。
パリスは横目に友人を見てぽつりと名を呼んでみた。
すると、リェンが意を決したようにパリスを振り返った。
ずっと言いたくて仕方が無かったことを解禁するかの様に口を開く。
「聞きたいことがある」
その強くて真っ直ぐな眼差しに面食らうパリス。
「な、何だい改まって…」
リェンは至って真剣だった。
「あの男…大鎌を持ったあの男の名は、何と言った?」
その問いにパリスが『えっ』という顔をすると、リェンが歩みを止めた。
じっと凝視してくるリェンを振り返りパリスも立ち止まる。
目を泳がせたい衝動に駆られつつ、恐々と彼を見つめ返す。
「…ぇ…………ノル…ヴェルトさん?」
何故か、パリスの口の中はからからに干上がっていた。
それを聞いたリェンの表情は読めない。
パリスが眉を寄せて見つめると、エルヴァーンの友人は何も言わないまま思案顔で俯く。
ーーーしかしすぐに顔を上げ、彼は背に携えた槍の柄を素早く握った。
「すまん」
「え?」
「我が国の騎士として誉れ高い」
突然聞こえた友人以外の声。
ぎょっとしてパリスが振り返ると、目的の扉の手前にある廊下から外套を羽織った二人組の男が歩み出てきた。
「実に関心する」
第一声と同じ声でそう言ったのは、眼鏡をかけた黒髪のエルヴァーン騎士であった。
あとがき
………馬っ鹿じゃねぇの?と言いたくなる長さ☆(吐血)長過ぎて前半のこと忘れちゃうよね。完全にミスってます。
さて、ノルヴェルトがある意味、格の違いを見せましたね。
今回は三人のエルヴァーンの『違い』を描いたとも言えます。
あっちもこっちも怪しく見えちゃって、心が休まらない第18話でした。
そして、色々とごめん。