黄昏の騎士王国
2007/05/07公開
現れた騎士達は恐らく、このパシュハウ沼にある駐屯所からやってきた者達だろう。
現在ではパシュハウ沼を含むこのデルフラント地方はサンドリア王国の支配下になっているからだ。
デルフラントはサンドリア王国からは離れていてバストゥーク共和国の領土に隣接しているのだが、昨今のヴァナ・ディールではフィールドの支配権に於いて領土の近い遠いは関係ない。
その地方で最も貢献した勢力の国家がその地方を支配する権利を得るのである。
その仕組みを分かりやすくいうならば、貢献率を量る目安の一つである冒険者の働きを例に挙げると良い。
例え本国領土から遠くとも、サンドリア王国所属の冒険者達が獣人討伐等で大きく貢献した場合、このデルフラント地方がサンドリア王国の支配下になり得るのである。
しかし実際、『支配』といってもその領土に住まう民の生活に大きな変化が及ぶというわけではない。
地方の特産品関係で国益には動きがあるだろうが、目で見て最も分かりやすい変化と言ったら、駐屯所の国旗とそこにいるガードの種族が変わるくらいのもの。
サンドリア支配となったこの地方にある駐屯所にいるのは、外征を主な任務とする王立騎士団。
よって、王立騎士団の旗を掲げ現れた彼らはやはり駐屯所にいた王立騎士団員なのだろう。
では彼らより先に現れ、冒険者一行の身柄を拘束して王立騎士団の前に立ちはだかる者達は何者なのか。
王立騎士団の数騎が姿を現した途端に、襲撃してきたエルヴァーン連中が血相を変えた。
否、正確に言えば指揮を取っていた中央の黒髪の男が、である。
彼はすぐさま指示を叫び、王立騎士団がこちらに到着する前に、ノルヴェルトを含むダンら五人を拘束して停めてあった護送車のようなものに押し込んだ。
一行は武器を没収され、罪人に使用するような手錠を後ろ手にはめられる。
そして魔法が詠唱できないように布を噛まされ後ろで固く縛られた。
恐らく王立騎士団に見られては不味いのだろう、それらはとても手際良かったが酷く手荒なものだった。
まるで一行を隠すように車に押し込む連中に対し、駆けつけてきた騎士達が何やら声を張っていた。
物申している王立騎士団員の前に歩み出て行くリーダー格の男。
先へは通さんとして立ちはだかる彼が羽織っていた外套を取ると、チョコボに跨っていた王立騎士団員の表情が改まり、彼らはチョコボから降りる。
先に現れた数人のエルヴァーンの中で指揮をしていた男は、王国従士制式鎖帷子を身に着けていた。
チョコボの引く護送車のような頑丈な作りの車に放り込まれる瞬間まで、ダンはじっとその光景を見つめていた。
訳が分からず男達の手際に押し流された女性陣とは違い、ダンとノルヴェルトは男達の手を煩わせた。
車のところにもう数人が待機していたらしく、ダンとノルヴェルトは三人掛かりで別々の車に押し込まれる。
分厚くて重そうなドアがまだ閉まり切らない内に車は走り出し、あっという間に、文字通り有無を言わさず強制連行されたのだった。
車から出される時も拘束される時と同様に慌しいものであった。
大きな石造りの建物の裏側に停まった車から引っ張り出されると、別の車に乗せられていた女性陣が先に下ろされて裏の入り口から中に連れ込まれていた。
ダンは高くそびえているその建造物が何なのか、普段見ることのない角度からであったがすぐに気が付いた。
サンドリア王国の王都中央に厳格なる姿を構えているドラギーユ城である。
そして連行する時と同じように、怪訝な顔をしてこちらにやってくる騎士達がいた。
連行してきたエルヴァーンの男達は緊迫した様子で即座にその騎士達の前に立つ。
するとそこで城内から、この場にいる騎士達とは別格だと思われる男が登場した。
今にも揉め事を起こしそうだった男達は姿勢を正してその男を迎える。
城内から現れた男、銀髪のエルヴァーンの騎士は横目にダンを見ると『早く連行しろ』と命令した。
直ちに両脇に男が付いて渋るダンを強引に城内へと連れて入る。
ダンが肩越しに振り返ると騎士達が何か言葉を交わしているのが見えたが、不思議とノルヴェルトが車から下ろされる気配はなかった。
そうしてダン達四人はドラギーユ城の一室に連れてこられた。
家具が一切無いその広い部屋は、通路を真ん中に置いて格子で大きく四つに区切られているまるで牢屋のような作りであった。
ドラギーユ城には、かの有名なボストーニュ監獄という巨大な地下牢がある。
平民の罪人が収容されるような所ではなく、そこでは気や魔力は使い物にならない。
どんなに力を持った者であっても脱獄不可能な収容施設だ。
そんな牢屋に入れられたら堪ったものではないが、どうやらボストーニュ監獄への投獄は免れたらしい。
この部屋は一時的に身柄を拘束する為のものなのだろうか。
口の封も手錠もなされたままということは、ここでは気や魔力は使えるのかもしれない。
まず一番奥の牢にダンが入れられ、通路を挟んだその向かい側にリオとロエが入れられた。
そしてその二人が入れられた牢の隣りにトミー一人が押し込まれたところで、部屋の扉が大きく開く。
男達がぱっと顔を上げると、開かれた扉から先程の銀髪の騎士が現れた。
彼の後に続いて数名の男達が騒がしくなだれ込み、大きな音を立てて扉が閉められる。
銀髪の騎士に続いて入ってきた男達が何か重たいものを床に放った。
通路の床に投げ出されたのは途中から姿が見えなくなったノルヴェルトであった。
後ろ手に手錠をかけられていたが何故か彼だけは口を塞がれておらず、暴行を受けた様子で右目は腫れ上がり額からは血が滴っていた。
ノルヴェルトを連行してきた者の人数を見ても、彼の抵抗は尋常ではなかったのだろう。
意識はあるようで、ノルヴェルトは赤く血に濡れた口で歯を食い縛り苦しげな荒い息をついている。
ダン達を監禁し終わった男達は遅れてやってきた男達と素早く合流し、銀髪の騎士の背中を睨んで唸っているノルヴェルトを上から押さえつけた。
凶暴性を露にしているノルヴェルトを険しい顔で見下ろしている男達を銀髪の騎士が振り返る。
「貴公らは執務に戻れ、急な要請に応じてもらったことには礼を言う。後ほど将軍より謝礼があるだろう。賜りたければこの件は他言しないことだ」
感謝を微塵も感じない随分な物言いであったが、そう言う彼を見上げる男達の眼差しは誇らしげだった。
「他に何かお力になれることは」
「無い。もう一度言うが、これは将軍が携わっておられる特殊な任である。貴公らのこれ以上の関与をあの方はお望みではない。理解しろ」
はっきりと拒否された男達は押し黙り、ノルヴェルトへと視線を落とす。
唸り声を漏らして銀髪の騎士を睨んでいるノルヴェルトは、その騎士の名を知っていた。
貴冑騎士団を率いるテュークロッスの側近、ジェラルディン。
男達はノルヴェルトを見て人手があった方が良いのではと思ったが、その場は大人しく『分かりました』と引き下がり、一礼してすぐに踵を返した。
事情を詳しく知らない外套を羽織った襲撃班の男達がぞろぞろと退室すると、入れ替わりにまた一人の騎士が入室して扉を閉めた。
これでジェラルディンの他にその場に残ったのは二人。
一人は今入室してきた男、襲撃の際に指揮していた黒髪のエルヴァーン騎士。
再度現れた彼は眼鏡をかけていた、襲撃の際は外していただけで普段はそうなのかもしれない。
そしてもう一人、今までその存在に気付かなかったが、扉の横に一人の男がじっと蹲っていた。
「…っ……どういうことだ!!」
――――と、静かになった室内にジェラルディンの苛立ちの声が響いた。
体を起こそうと動き始めたノルヴェルトを上から押さえつけ、黒髪の騎士が焦った顔を上げる。
「王立の者に嗅ぎ付けられるとは馬鹿な失態をしてくれたものだな!」
「申し訳ありません!何者かが駐屯所に」
「何だと!?」
「駐屯所に何者かが駆け込んで言ったようです!『冒険者が揉めて斬り合いをしている』と」
「くそっ、冒険者風情に目撃でもされたのだろう。暇な王立共めノコノコと…!王立は渡せと要求してきた。おかげで将軍自ら鎮圧に赴かねばならなくなったわ!将軍は必ず話を付けてくださるだろうが、このような場所に来ては何ができる!」
どうやら、彼らの予定では連行先はドラギーユ城ではなかったようだ。
大方内密に捕らえて自分達の手中に監禁するつもりだったのだろう。
しかし王立騎士団の者に目撃され、公的な任務と装った為公的な場所に連行せざるを得なくなったというわけだ。
眉を吊り上げて怒鳴り散らしたジェラルディンが大きな溜め息をついて踵を返すと、両側の格子内を眺めながら奥へと通路を進む。
「くっ、今言ってもどうにもならぬことだ。何より時間が無い」
「その者達もまだ検査が全くできておりませんが」
「そんな時間はない、今は手錠と口封じのみで構わぬ。昨今の冒険者はどの者が魔法を使えるのか見分けにくい。魔道士ではないと判断して勝手に口を解放したりするなよ。装備を見て判断はするな」
確かに、こうして監禁するのであらば武装を解除させるのが普通である。
武器の没収しかしていないとは、お城の騎士がする仕事にしてはあまりにもお粗末。
携帯ポーチは没収されなかったので、ダンは護送中別の車に乗せられたロエとリンクシェル会話が可能だった。
完全に狼狽していたロエに対し、何か面倒なことに巻き込まれたようだと、自分達は当事者ではないので落ち着くようにとずっと言い聞かせた。
先日渡されたローディ直通のリンクパールも持っていたので、ロエとの会話――と言ってもただひたすら宥めていただけだが――の間にそちらにも呼び掛けてみた。
普通リンクパールは一つしか持ち歩かない、念話と念話がぶつかり合って上手くいかなかったり、頭の中が混乱してどちらの会話にも集中できなかったりするからだ。
今回もまさにそれが原因でなのか、ローディからの返事はなく、ちゃんとこちらから呼びかけることができているのかも分からなかった。
今回断腸の思いで協力を要請した変態魔道士、ローディは一体今頃何をしているのか。
ローディはこちらがこういう状況になっていることを知っているはずだ。
ノルヴェルトを発見し自分達をパシュハウ沼までナビしたのはローディなのだから。
又、通信が上手くいかないのには、パリスのパールサックが懐にねじ込んであることも影響しているかもしれない。
ダンはあの時、去っていくパリスにパールサックを渡すつもりだった。
もともと彼のものだ、彼の財産だ、確かに彼が大事にしていたもののはず。
しかしパリスはそれを拒絶した、その様子を目の当たりにした時のあの訳の分からない怒り。
だからダンはあの時、パリスが一番堪える方法を取ったのだ。
狙い通り、独善的な何かに身を固めたパリスを揺さぶることはできたようだが、さすがにその場で解決までは至らなかった。
そう、その先はやはりパリス次第だ。
今こういう事態になってみると、あの場で全てが解決し、パリスにパールサックを渡すことができていればいくらか気休めにもなっただろう。
しかし更に考えてみると、やはりこうなっては大して意味がなかったかもしれない。
この部屋に入れられたら、魔法の真珠は全く機能せずリンクシェルの会話はできなくなってしまった。
「交渉を待たずして五月蝿い輩が押し掛けて来んとも限らん、急がねばなるまい。ウォーカーしかしこれはどういう……この者達は何者だ」
牢に入れられた一行を歯噛みして眺めると、ジェラルディンはウォーカーと呼んだ黒髪の騎士を振り返った。
そして『立たせろ』と命じる。
眼鏡をかけた黒髪のエルヴァーン騎士、ウォーカーは力任せにノルヴェルトを引っ張り起こした。
「話によればこの者達とは剣を交えていたそうだな。貴様は奴らを案じて巣に帰ったのではなかったのか?」
そう言いながら、痛々しく立たされているノルヴェルトの前まで歩み戻るジェラルディン。
ノルヴェルトは切れた唇の端を吊り上げると冷笑した。
「……随分と物欲しそうな顔だな、飼い犬ども」
途端、ジェラルディンは手の甲でノルヴェルトの横面を打ち払い、胸倉を掴んでウォーカーの手から彼を毟り取って格子に押し付けた。
その様子を見た女性陣は小さくこもった悲鳴を漏らして身をすぼめる。
「貴様…!貴様らの後始末が長引いてどれほどあの方の足を引っ張っていると思っている!!我らは貴様と鬼事をして遊んでいる暇などない!!」
「ジェラルディン様…っ」
気が高ぶった様子で腰に下げた剣を抜くジェラルディンを見て、ウォーカーが少し焦ったように口を開いた。
「おのれ……もっと正確に詳細を報告しろウォーカー!」
もともと血気盛んな性分のジェラルディンには、テュークロッスの制止くらいしか通用しない。
たじろいだウォーカーは緊張した面持ちでジェラルディンの横に進み出た。
非常に言いにくそうな顔をしたウォーカーは眼鏡の向こうで視線を泳がせている。
「は、しかしながら始終野良犬を監視していたのはカーヒルです。私は車と人員を手配して急行し拘束したところからしか存じませんので」
「ではカーヒルに!」
「カーヒルはおりますがしかし…っ!」
必死の形相で進言を叫ぶウォーカーは、ばっと部屋の扉を見た。
そして扉の横に蹲っている男に目を留め、何か言いたげな顔をして口をもごもごさせる。
そんなウォーカーを見て自らも蹲っている男に視線を向けるとジェラルディンは舌打ちした。
ジェラルディンとウォーカーの二人が黙ると、しんとした室内に蹲った男のものと思われる鼻歌のような声が小さく反響する。
何を言っているのかは分からなかった。
「……ふん、いい気なものだな」
嫌味ったらしくそう吐き捨てると、すぐに視線を外しジェラルディンは掴んでいるノルヴェルトを観察する。
「どの程度やったのだ?」
「はい、数箇所にひびくらいは入っているでしょう。一切口は割りませんでしたが……」
「ふん……くわえたものは頑として放さん、憎たらしい野良犬だ」
ウォーカーの報告を聞いてそう言うと、力任せにノルヴェルトを横に向かせる。
そして力の入っていないノルヴェルトの足を自分の足で小突いて向きを調節し、ジェラルディンは表情も変えぬままいきなりノルヴェルトの脛に力いっぱい足を踏み下ろした。
おかしな方向から足を踏みつけられ、さすがにノルヴェルトの口から悲鳴が吐き出された。
一体何をしようとしているのかと、まじまじとその行為を見てしまった女性陣も悲鳴を漏らす。
「ひびでは足りぬ。この者は例え足を失おうとも、這ってでも襲い掛かってくるような輩だ。意識を手放さぬ限り吠え止まぬ……まったく、よく訓練された野犬だな」
完全に片足を折られたノルヴェルトは自力で立っていられなくなり、ほぼ胸倉を掴むジェラルディンの手に身を委ねた状態だった。
そんなノルヴェルトを冷たい目で見下ろすジェラルディンは、不本意ながらもノルヴェルトの強さを認めているという顔。
じっと睨むことをやめないノルヴェルトを鼻で笑うと、次に各自格子の中に入れられた冒険者一行を眺めた。
女性陣はただ、異様なものを見るようにジェラルディンらを見ている。
トミーは訳が分からないという表情を浮かべてじっと硬直しており、普段なら騒いで暴れそうなリオも、完全に置いてきぼりをくらったように呆然としていた。
ロエは恐々と騎士達を眺めつつ、どうすれば良いのか問う眼差しをチラチラとダンに向けている。
その視線に気がついてはいるものの、ダンは情報収集と打開策考慮に忙しい。
ダンも決して雑魚ではないのだが、騎士達はノルヴェルトしか眼中にないようだ。
もともと騎士という人間達には冒険者を認めたがらない傾向がある。
認められたら、もれなくノルヴェルトのように一方的な暴行が贈られるようなので、ダンとしては認められなくても一向に構わないのだが。
この状況下でのあからさまな主張は賢明ではないと思えたので、ダンはじっと騎士達を観察していた。
先程受けた矢傷は深くはなかったが、未だに血が滲む傷口は焼けるように痛む。
ダン達がノルヴェルトにとって何なのか、ジェラルディン達には解せなかった。
自分達の探している人間ではないことは明らかである一行を眺めてジェラルディンは溜め息をつく。
「まぁ良い、早速行動に移る。…………しかし、その前に一つ気になる点があってな」
言うとノルヴェルトへ視線を戻し、『矢傷はどうした』と言う。
ウォーカーが『矢は抜きましたが処置は殆ど施しておりません』と答えると、いきなり、ジェラルディンは手にした剣の柄をノルヴェルトの矢傷に押し付けた。
ノルヴェルトは一瞬表情をしかめたものの、悲鳴は上げずにジェラルディンを睨んでいる。
それを冷たく見つめ返して、ジェラルディンはかなりの力を込めて剣の柄で傷をこじ開けた。
リオは思い切り顔をしかめ、ロエは見ていられず声を漏らして顔を背けてしまう。
しかし、この時ジェラルディンが注意深く見つめていたのはトミーであった。
ノルヴェルトが背にしている格子の中に一人入れられたトミーは硬直したままだ。
「ウォーカー、ここを開けろ」
ジェラルディンが言うと、冒険者一行は目を見張って一斉に顔を上げる。
ウォーカーが懐から鍵が束になったものを取り出し、トミーの入れられた格子の入り口を開錠する。
途端に、がしゃんと格子を蹴る音と一緒に、押し殺された喚き声が室内に響いた。
「んんあーーー!!!」
その発信源は、頭の後ろで縛った布を噛まされているリオだった。
そのリオの後ろで驚いた顔を上げているロエも、意を決して抗議の眼差しを騎士に向ける。
ジェラルディンは関心無さそうに彼女達を横目に眺めて、ふとダンに目を留めた。
「…………ほう」
「貴様らの飼い主に伝えろ…」
ジェラルディンがダンに対して目を細めていると、くぐもった声でノルヴェルトが言った。
「必ず…殺してやる……父親と同じように無様にな…っ!」
口の端に血を滲ませたノルヴェルトがうめき声で言うと、銀髪のエルヴァーン騎士は掴んだ彼を格子の入り口前まで強引に引き寄せる。
そして、篭手をはめている手で思い切りノルヴェルトを殴り飛ばした。
あまりの威力にぐるりと回転して、ノルヴェルトは滑り込むように格子の中程に倒れ込んだ。
ロエは暴力的な行為が怖くて堪らない様子で再び悲鳴を漏らして顔を背ける。
格子の中にいたトミーは思わず後退りして奥の壁に背中を当て、愕然とノルヴェルトを見つめた。
ノルヴェルトは薄汚れた長い銀髪を床に広げ、力なく倒れたまま身動きしなかった。
どうやら意識を失ったようだ、無抵抗の状態で大の男に力いっぱい殴られたのだ無理もない。
緊張した浅い呼吸を繰り返し、トミーは酷い扱いを受けて気絶したノルヴェルトに目を見張る。
一瞬体が動きそうになるが実際には駆け寄ることはしなかった。
否、できなかった、トミーの脳裏をパリスの姿がかすめたから。
この時ダンは全力で祈っていた、トミーが騎士の見ている前でノルヴェルトの身を案じてくれるなと。
「……………ではない…か…」
トミーのことをじっと観察していたジェラルディンはつまらなそうに呟いた。
ジェラルディンは当初からノルヴェルトに関わっているので、追っているヒュームの夫妻に娘がいたこともはっきりと記憶にあった。
しかし、今のトミーの様子を見た限りではノルヴェルトとの間に繋がりが見えない。
それにやはりジェラルディンの頭にも、あの娘が冒険者になっているという発想はないようだった。
そのままウォーカーに『閉めろ』と命じて再び通路を奥へと進む。
抗議の眼差しを向けている一行を無感情な顔で眺めて小さく溜め息をついた。
「どうやら野良犬とは無関係の連中のようだな」
じっと見下ろすと少々怯えた素振りを見せるロエを凝視したまま、『気の毒な連中だ』と言う。
トミーと同じ格子にノルヴェルトを放り込んだまま再び鍵をかけたウォーカーは、懐から懐中時計を取り出してちらりと見るとすぐにまた懐にしまう。
「では、私はいかがいたしましょう」
「私と来い」
ウォーカーの問いに即答して、ジェラルディンは大きな歩幅で部屋の扉へと向かった。
そしてそのまま退室するのかと思いきや、扉の横に蹲っていた男の首根っこを掴み上げる。
「お?お?ははは」
悪さを叱られる子どものように引っ張り上げられた男が笑う。
蹲っていた男は忍びの装束を纏っており、種族はエルヴァーンではなくヒュームであった。
「うふふ、ふふぅ」
おかしな声を出して男がジェラルディンを見上げると、一行はその男の顔に目を凝らした。
男の顔の至るところに、明らかに異常な個数のピアスが光っていた。
耳は勿論、口も鼻も目蓋にさえも。
「手錠を」
男を引きずりながらジェラルディンが手を差し出すと、ウォーカーが一つ手錠を取り出して渡す。
首根っこを掴まれて無理矢理歩かされる男は至極上機嫌の様子だった。
男を連れて奥まで進み、ジェラルディンはダンの入れられた格子の前に立って『開けろ』と命じる。
ジェラルディンの後に続いていたウォーカーはすぐさま格子の扉を開錠し、ぎぃと錆び付いた音を鳴らして押し開いた。
すると、冒険者一行の時と何ら変わらずに、ジェラルディンは忍び装束の男を中に放り込んだ。
「ああっ?おーっ」
男はずでんと床に寝そべって、ジェラルディンに抗議することもなくその場でまどろむ。
ジェラルディンはすぐに扉を閉め、ウォーカーが直ちにまた鍵をかけた。
放り込まれてきた妙な男を気にしつつも、ダンはジェラルディンをじっと見据える。
「察しが悪くて申し訳ない」
ダンを見つめ返してジェラルディンは目を細めて言う。
「あの娘を野良犬と一緒にされるのは苦痛なのだろうが……何、すぐに終わる。まずこの男から始めろ、良いな」
一言目はダンに、二言目は床に寝そべっている男に向けられたもの。
あんたら一体何者なんだ?
勝手な事情で何もかもここまで強行してきた騎士達にいい加減抗議する。
が、ダンも口を封じられているのでそれはちゃんと言葉にはならなかった。
ここで再び、ジェラルディンらが背を向けている格子の中でリオが抗議の声を上げる。
ジェラルディンはそれを全く無視して、まるで独り言のように言った。
「……罪人が仲間割れをして殺し合う、間々あることだ」
その呟きを聞いて誰もが黙った――――床でまどろんで小さく笑っている男以外は。
ジェラルディンは手に持っていた手錠を格子の間から男に向かって放り投げる。
手錠は仰向けになった男の顔の横に落ち、男はそれを手に取っていじくる。
「内一人に手錠抜けを得意とする者がいたら、困ったものだな。それにそういう類の者は大概、盗みにも長けていたりするものだ」
ジェラルディンが言うと、ウォーカーが鍵の輪を取り出して格子の間から男に向かって放る。
男はその鍵を受け止めて懐にしまい込み、『眠い』と呟いて蹲る。
この時点でリオとロエの顔は蒼白になっていた。
状況が分かっていないトミーはノルヴェルトを若干気にしつつも騎士達を横目に見ている。
ダンはまじまじとジェラルディンを見つめてしまった。
体にひやりとしたものを感じ、頭の中で警報がやかましく鳴り響いている。
「時間が無いのでさっさと済ませろ。私は王立共に釘を刺しに行ってくる、戻るまでに片付けておけ。野良犬は殺すな、生かしておくのだぞ」
淡々と言いながら部屋の扉へと向かって歩き、トミーのいる格子前で足を止める。
そして気を失っているノルヴェルトを冷たく見下ろして言った。
「……ふん、目が覚める頃には貴様は公的死刑囚だ」
―――――と、そこで突然、部屋の扉が開いた。
ジェラルディンらが驚いて目を向けると、二人の人間が騒がしく入室してくる。
「んー!んいー!!」
「く……ジェラルディン様!!」
入ってきたのは先程ノルヴェルトを連行してきた男達の内の一人。
彼はダン達と同じように手錠と口封じをした一人の魔道士を連れていた。
じたばたと抵抗しているその魔道士に冒険者一行は大きく目を見張る。
魔道士の一年生が着るような下等なローブを身に着け、縦にカールの入ったブロンドの髪は埃まみれに汚れて全体的にみすぼらしい姿の魔道士。
普段とは大分装いが異なるが、作り物のように端整なその顔立ちには皆見覚えがあった。
唯一捕らえられていなかった仲間の変態魔道士、ローディである。
「怪しい者が付近をうろついていました、恐らくこの者達の仲間かと……!」
ダンもリオもロエでさえも、連行されてきたローディを信じられないという目で眺めた。
封じられた口で何度も何度も声を上げている変態魔道士は半泣き状態である。
ジェラルディンは苦虫を噛み潰したような顔をして彼らを見下ろすと、自らの懐から鍵を取り出してウォーカーに放る。
ジェラルディンも鍵を所持していたことに一瞬眉を寄せたウォーカーだったが、トミーの向かい側の誰も入っていない格子を顎で示して『ここに入れろ』という上官の命令に黙って従う。
喚きまくる魔道士を格子の中に放り込んだ男は得意げな顔でジェラルディンを見上げた。
そして何となく室内の様子を眺めている彼に、ジェラルディンは口の中で小さく舌打ちする。
「よくやってくれた……賊がもう一人いると分かったので今捕らえに行こうとしていたところだ」
「お役に立てて光栄です」
状況を理解できていないものの、若干の疑問をちらちらと抱いているような顔で男。
「ふむ、丁度良かった。貴公に手を貸してもらいたいことがあるのだ」
言いながらジェラルディンが部屋の扉を開けると男は興味深げに彼の後を追う。
部屋を出て行く二人を苦々しい顔でじっと見つめ、ウォーカーは鍵を手に自分も扉に向かった。
過失には必ずしも責任を負う者が必要になる。
己の忠誠を尽くす為ならばどんなことでも無感情にこなすジェラルディンに恐ろしさを抱く。
「んんー!んんんーーー!!!」
「騒ぐな!………すぐ戻るから早く済ませておけよ!!」
格子にすがり付いて叫ぶローディに冷たく言って、ウォーカーは部屋の奥に向かい怒鳴った。
その声を向けられた忍び装束の男は床に蹲ったまま返事をしない。
荒々しく部屋の扉をウォーカーが閉めると、薄暗く湿っぽい室内にその音が木霊した。
みんな捕まっちゃったじゃないのーー!!
と言いたいのだと思われるリオの押し殺された声が響く。
がしゃんがしゃんと格子を蹴って騒ぐリオと、動揺を露わにして皆を見回しているロエ。
トミーは新たに捕らえられてきたローディの身を案じるような顔をしつつ、同じ格子内に倒れているノルヴェルトを遠巻きに眺めて立ち尽くしていた。
ダンはと言えば、トミーの置かれた状況に気が気ではないのだが、とりあえず今は同じ格子に放り込まれてきた忍びに警戒の目を向けてじりじりと距離を取る。
男は本当に眠たそうな様子で、寝返りを打って壁際に身を寄せていた。
「今は駄目だ……最高なんだ…」
壁に向いて寝転がったまま忍びの男が呟いている。
「でもすぐにやれって言った?今最高なのに……はは」
言いながらのそりと、彼が横になっていた体をゆっくりと起こす。
そして、まるで泥酔している者のように力なく壁に背を預けて座ると、ぼんやりと一行を眺めた。
何処か『おかしさ』を感じるこの男、ダンは彼の様子を見ている内にその原因が分かってきた。
この忍びの男は酔っているのだ、過剰に身につけた装飾品の“魔力”に。
世に流通している武器や防具、装飾品にはそれぞれ魔力が込められている。
込められた魔力が高等であれば、レベルの低い者はそれらを身につけていることはできない。
己がそれらに込められた魔力に負けてしまうからだ。
又、一人の人間が身につけられるものにはやはり限度がある。
そういうものを装備し過ぎるとあてられてしまうのだ――――そう、この男のように。
装飾品が持つ過度の魔力に取り付かれた忍びは、回らない口で奇妙な言葉を並べる。
「大変だ、これは、大変だ。そうだ……テューク様に教えなきゃ駄目だ……俺…」
ずるずると壁にもたれつつもゆっくりと立ち上がる。
「はは、それでまたもらおう………………イイモノを」
そう言って、ゆらゆらと危なっかしく立っている忍びは両手に小刀を抜いた。
「―――――――っ!!!」
瞬間的に恐ろしい跳躍で飛び掛ってきた男に目を見張り、ダンは咄嗟に身を翻した。
かわされた男は勢い余って格子に激突し、しがみ付いて『お?ははは』と笑う。
そうして騎士達が差し向けた暗殺者が自分の役目を行動で明らかにすると、女性陣が声を上げて可能な限りダンの元に寄った。
その悲鳴を耳で聞きながらダンは暗殺者に目を凝らし、一筋の汗が頬を伝う。
これはまずいことになった、それも今まで生きてきた中で最上級のまずさだ。
ダンは魔法で戦うことはしない。
だから口を封じられていることは、息苦しさを除けば特に大きな問題ではない。
しかし手錠だ、ダンは武器がないだけでなく両手を後ろで拘束されている。
しかも忍び装束で身軽な相手とは違いこちらは鎧姿。
これは、あまりにも。
どう見ても絶体絶命な状況のダンを見て慌てた女性陣は、はっとして視線を一点に向ける。
トミーの向かいの格子に入れられている、皆とは時間差で捕らえられてきたローディに。
騎士達が退室したらぴたりと騒ぎ止んだローディは、きょとんとした目をしばたかせて女性陣の眼差しを見つめ返して立っている。
そして……
「…………べあ」
「「「んんーーーーーー!!?」」」
何の前触れもなくローディの顎がぶらりと大きく開き、それを見てしまった女性陣が悲鳴を上げた。
顎が外れた気持ちの悪い状態のままローディが左右に首を振ると、口を封じていた布が少しずつずり下がる。
「……かへっ…へっ」
そして首まで完全に布が落ちると、床に膝を着いて前屈みになり、微妙に向きを調節した後勢いをつけて思い切り顎から床に倒れ込んだ。
「!!………っぷぅ~ミスって舌噛んだかと思ったぞぃ!」
やや興奮した声でローディが言ったところで、格子にしがみ付いていた忍びが再びダンに向かって飛び出した。
男の動きに目を凝らすダンだったが、暗殺者は途中で足をもつれさせて勢いを失う。
ダンはそれを見逃さず、半歩横に退いて一瞬バランスを崩した男に水平の蹴りを入れた。
両腕を構えそれを防御した男は軽く後ろに飛ばされて端に着地する。
「はは、効き過ぎておかしい、最高だけど、はははははっ」
魔力のジャンキーは何処か焦点の合っていない目で天井を仰いで独りごちた。
泥酔状態で足元が覚束無い暗殺者に息を呑み、女性陣はローディに縋るような眼差しを向ける。
「んーんんんーんー!」
「きひひ、おめかししてたら時間掛かっちゃったのらー。ごめんちゃいね☆この縦ロールがポイントなんだけど!どぅー思う!?」
「んぅー!」
「だよにゃー♪オシャレ魔道士略して『オシャ魔』!!」
「ん、んんんんーんっ」
「聞きたいことは分かってるぞぇ、ん~もぉ俺様のミラクル頭脳がにぇ!?あそこで俺様が天の遣いみたく華麗に助けてやっても良かったんだけどのぅ。それじゃ全然情報手に入らないぢゃん?じゃから一旦手中に堕ちてもらったクポ~。でさでさ!きひっ!王立にチクッて誰が一番動くかにゃ~と思ったらさぁ!きひっ、誰だと思うきっひっひ!」
「「「んんんーーーーーー!!!」」」
呑気にくっちゃべっているローディにいい加減揃って抗議の声を上げる女性陣。
全神経を暗殺者に集中させて身構えているダンの胸中はローディに対する罵詈雑言で大変なことになっている。
おかしな奴に命を狙われて、別のおかしな奴が頼みの綱というこのどうしようもない状況に眩暈がする。
笑い転げている暗殺者は口元を拭って再びゆっくりと低く構える。
床に顎を着いたまま喋っていたローディは、周りからの抗議に片方の眉を吊り上げ、よいしょと体を起こした。
首を振り顔の前にきていた縦ロールの髪を払ってにや~っと笑う。
「すぐに全部教えたいところだぎゃ正解はあ・と・で♪じらしプレイ!!!!」
「んんん!!」
「分かったなりよぉ~もう、せっかちなんだからん」
ぶつくさ言って、ローディは拗ねたように口を尖らせて渋々魔法の詠唱を開始した。
一方、にやけた顔のままふーと呼吸を整えた暗殺者は、しっかりとした足取りでダンににじり寄る。
そして忍びらしい跳躍で素早く左右に身を転じつつダンへ小刀を繰り出した。
―――この動きは中級程度の忍びではない。
両手を封じられているダンは紙一重で脇に向けられた小刀を回避するが、振り返ったところで、床に手を着いて素早く身を転じた忍びの蹴りを肩に食らう。
その瞬間に矢傷が思い出したように激しく主張を再開し、忘れていた痛みが広がる。
顔をしかめたダンは暗殺者の更なる追撃を辛うじて避けて格子に背中を打ちつけた。
倒れ込む寸前で格子に背を預けたダンに忍びが迫ったところで、ローディが魔法の詠唱を結ぶ。
「パライズ」
すると魔法が発動し、忍びの男の動きがびくりと止まった。
すかさずダンが麻痺の魔法に凍りついた暗殺者の頭を蹴っぱぐる。
忍びは床に滑り込んで壁際に転がった。
「にゅ、効きがイマイチだ。すぐ切れるぞぇ」
ダンが優勢になったように見えて女性陣が安堵の息を付いた時、ローディが言った。
「そいつどうやらすっごいヤり手みたいだのぅ♪」
―――そんなことは分かってんだよ馬鹿野郎!!!!
傷の痛みに顔をしかめているダンは口封じの布の奥で歯噛みした。
「メンドイから一旦ここを出るべし、皆なるべく近くに寄ってにゃー」
そう言ってローディは通路側の格子に寄りかかると大きく欠伸をした。
ローディがこれから何を詠唱するのかすぐに悟ったロエは、たたっと通路側ローディ寄りの位置に立ち、リオもこちらに来るように視線で促す。
「あ~そうそう、そこで寝てる男は?一緒に連れてっちゃってみる!?位置としてはギリ範囲内に入ってることだし定員ピッタリじゃよ!俺様的には興味あるからお持ち帰りに一票だぞぃ!!」
ノルヴェルトを見つめて熱弁するローディ。
いいからさっさと詠唱始めろと言わんばかりに抗議の眼差しと訴える声が周囲から集まる。
ローディはにやっと笑って『声援に応えて六人でランデヴーだぞぃ!』と興奮気味の声。
「ほいじゃ、それまで頑張ってねダーリン☆」
肩越しにダンを見てウィンクすると、ローディはすうと集中して魔法の詠唱を開始する。
唱えるは転移魔法のテレポである。
「ぐうっ、ぐうぅううう」
床に転がった忍びが唸って身動ぎしている、麻痺が効いて思うように体を動かせないようだ。
じりじりと痛みの熱を広げる傷に内心舌打ちしつつ、ダンは乱れた呼吸を整えようと徹した。
ちらりと一瞬だけ、背後に視線をやってトミーのことを見る。
トミーは床に力なく横たわっているノルヴェルトを困惑した顔で見つめていた。
「…………」
「んんーんっ」
おずおずと少しだけノルヴェルトに向けて足を踏み出したトミーにロエが制止の声を上げる。
トミーが振り返ると、ロエは首を横に振っていた。
その横でリオも、『その男に近付くな』という威嚇するような目でトミーを睨み付けている。
どんなに粗暴な行いをした人間でも、目の前で酷い怪我をして倒れているとやはり気がかりだった。
正常な判断ができない程に自分にこだわる男、説明もなく自分達を連行する人々、その者達の一方的な暴力。
短い間に色々なことが起き過ぎてトミーにはさっぱり分からない。
パリスが無事だというのなら………でも、今はダンが窮地に陥っていて。
ダンが傷付くのは絶対に嫌だけど、自分がダンを救いに行けるわけじゃなくて。
それでも何かしなきゃと思うけど、身を案じることができる人には近付いてはいけなくて。
トミーはただただ、呆然としているしかなかった。
ローディは歌うように呪文の言葉をなぞって着実に魔法を構成していく。
「最高…が………最高じゃなくなってきた…」
小刻みに震える手を着いて身を起こしながら忍びが掠れた声で呻く。
はっと一行は男に緊張した面持ちで視線を向けて、麻痺効果を押し切ろうとしているその姿に息を呑む。
「―――――ひぇっきひ!」
不意に室内ですっとんきょうな声が響く。
見ると鼻をすすったローディがちろりと舌を出して首を窄めた。
「にゃはっ、失礼♪」
「「「「んんんぉーーーーーーー!!!!」」」」
今度ばかりはダンも加わって全員で一斉に叫んだ。
くしゃみで詠唱が中断された為、ローディの詠唱は一からやり直しである。
「悪あがきはよして……早く死ねぇ…」
ローディのやたら美声の詠唱が最初からまた唱えられ始めたところで、暗殺者の凄んだ声。
先程は微妙に焦点の合っていなかった忍びの目が今度は据わっていた。
麻痺の抜け切っていないぎこちない動きではあるが、じりじりと間合いを詰めてくる。
ダンは今度こそ本当に身の危険を感じた。
次の瞬間あっという間に目前に飛び出してきた男から横に身を転じて逃げ出すが、相手に対して構え直す前に追撃してきた忍びに懐に入られた。
ぶっすりやられるかと肝を冷やしたが、代わりに鈍い音を立てて肘鉄を脇腹にお見舞いされる。
横に弾かれたダンは倒れまいと堪えて再びがしゃんと格子に身を預けた。
ダンを弾き飛ばした忍びはその場にしゃがみ込み、辺りを見回して唸り声を上げている。
どうやら麻痺のせいで武器を取り落としたようだ、少し離れた床に小刀が落ちていた。
激痛に冷や汗を浮かべつつも折れそうになる膝に檄を飛ばして堪えるダン。
暗殺のプロ相手に、両手を塞がれた状態でどう太刀打ちしろというのか。
脇腹に食らった肘鉄のせいで息の詰まったダンは苦しさに頭がくらくらした。
矢傷で血を失った影響もあるかもしれない。しかもそれはまだ現在進行中である。
次にあの暗殺者が小刀を手に襲い掛かってきた時、果たしてやり過ごせるのか。
ローディの詠唱が今どの辺りなのか聞いていられないダンは、この後自分がどうなるのか見当もつかない。
テレポが発動するのが先か、暗殺者の忍びが飛び掛ってくるのが先か。
後者だった場合、多分終りだ。
「もっと凄いピアスが欲しい」
落とした小刀を拾い上げて酷く悲しげな声で呟き、忍びは身を低くしたまま床を蹴った。
一瞬視界から消えたかと思うと、小刀を構えた忍びが上の宙にいた。
咄嗟に前へ身を転じるダン。
逃げられた忍びは音も立てず床に降り立つと自身も身を転じてダンの正面に回り込んだ。
そして体ごと体当たりするようにダンの腹部に膝を入れる。
足が浮く程の威力があったその蹴りに、ダンもさすがに前屈みになって肩膝を着く。
鎧を装備しているのでどこぞのチンピラの蹴りだったら痛くも痒くもなかっただろうが、生憎この忍びは本物のようだ。
一瞬で呼吸を奪われ呻き声をもらすと、ぶれる視界に忍びが立つ。
そして小刀を握った左手で殴られ、続け様倒れる前に右手の小刀がダンの顔を襲う。
横になぎ倒されるダンを見て女性陣が悲鳴を上げた。
ダンは皆に背を向けていたので皆には今どのようになったのかはっきり見えていない。
「ははっ――――お!?」
血のついた小刀を手に笑い声を上げる忍びだったが、ダンの足払いに不意を突かれて転倒する。
―――が、油断した暗殺者の足を掬ってやったものの、ダンはもう素早く立ち上がることができなかった。
顔を上げたダンの頬は大きく切り裂かれ、真っ赤な血が大量に流れ出ていた。
それを見たロエはくらりと眩暈を起こしてその場に座り込んでしまう。
少しでも受け流せればと、これでもダンは咄嗟に身をかわしたのである。
恐らくそれをしていなかったら今頃は永遠に呼吸を忘れていただろう。
顔の左側を血で真っ赤に染めたダンは激痛の走る体を起き上がらせようとするが、あれこれ呟きながら起き上がった忍びに押し倒された。
頬を切り裂かれた際に口封じの布も裂けたのか、鮮やかな赤に染まった布が落ちる。
苦しげな声を漏らすダンの襟元を掴んで乱暴に引き上げる忍び。
自分の顔を覗き込んで小刀を構える忍びを見て、相手が何をしようとしているのかダンは察した。
「――――――っ見るな!」
口を封じていたものが取れたダンは暗殺者を見据えたまま咄嗟に叫んだ。
それは、今まさに喉を裂かれようとしている自分からただ一人目を逸らさないトミーへの言葉。
「「「んんんーーー!!!」」」
「テレポメア」
女性陣の叫びと重なってローディの詠唱が結ばれた。
瞬間、薄暗い室内にぱっと淡い光が瞬いて一行に細かい光が灯る。
発狂したような声を発しながら忍びが小刀を持った手をダンの首の前で引くが、魔力の光に包まれていくダンには最早小刀の刃は届かなかった。
ダンが煌く光に包まれてすぅと姿を消すと、その場には血の跡と、小刀を構えた忍びの暗殺者だけが残った。
* * *
「きっひひひひ、一方的にやられるダンの姿もなかなか萌えたにゃー!」
変態魔道士の危険な発言が聞こえたと思うと視界が開け、薄暗い部屋の天井ではなく、小さな雲の流れる快晴の空が見えた。
頭上にある大きな古代建造物が少々視界の中にせり出ているのを上目遣いに見、仰向けに倒れているダンは思い出したように苦しげに息を付く。
体中から容赦なく伝えられる激痛に顔をしかめて、変態への罵声を放つこともできずにダンは咳き込んだ。
咳き込んだ振動でまた体中に痛みが駆け巡る悪循環。
先程ローディが唱えた呪文の結びと今見えた周辺の風景で、自分達が何処に転移したのか分かりダンは安堵した。
ここはテレポメアのクリスタルゲートがあるタロンギ大峡谷。
数秒前まで居たサンドリア王国からは遠く離れた、ミンダルシア大陸のフィールドである。
クリスタルゲートは世界に数箇所存在するが、その中でも此処メアを選んだのは良いチョイスだ。
なるべくサンドリアから離れた方が良いだろうが、だからと言ってあまりにも辺境の地のゲートだと全員がそこのクリスタルを持っているとは限らない。
テレポヨトでエルシモのヨアトル大森林までぶっ飛ぼうものなら追っ手の心配はゼロに等しいが、トミーやリオがそんなところのクリスタルを持っているわけがない。
此処タロンギ大峡谷もサンドリアからは充分離れている、こればっかりはローディに感謝だ。
「んんん!んんー!」
手酷くやられたダンが苦悶の表情のまま薄っすらと目を開ける。
すると真っ先に駆け寄ってきたロエが泣き顔で必死に何かを叫んでいた。
そういえば、こういう時真っ先に自分の身を案じて飛んでくるのはいつも彼女だ。
そして毎回のように泣く、心配する気持ち以外の何かを必死に訴えるように。
ダンは気の抜けた思考でぼんやりとそんなことを考えて、封じられた口で色々と叫んでいるロエを呆然と見上げた。
もう此処は外なのだからリンクシェルを使えば言葉は通じるのだが、今のところそれを説明する気力は無い。
「マ・ジ・カーーール★ダンこれどぅーいうこと」
ロエの訴えの向こう側でローディがテンションの高い声を上げる。
っつーか早くケアルかけるかしろよ、と苛付きつつもゆっくりと上体を起こすダン。
掠れた声で『あぁ?』と顔を上げると、可愛く頬を膨らませた気持ちの悪いローディと慌てふためいた様子のロエがいる。
言い方を変えれば、気持ち悪いローディと動揺しているロエ、しかいなかった。
それに気が付いたダンは思わず怪訝な顔をするが頬の怪我が痛んで呻く。
しかし怪我の痛みどころではない、悲鳴を上げる体を捻って辺りを見回した。
どう見てもこの場には自分の他に二人しかいない―――――間違いなく足りない!!
「―――あいつらぁぁあ!!!」
顔の深手にお構い無しでダンは思わず絶叫する。
ラテーヌ高原のホラ、コンシュタット高地のデム、タロンギ大峡谷のメア。
ジュノにデビューするくらいのレベルの冒険者は以上三箇所のクリスタルを持っておくのが常識である。
が、常識というものは、常識がある者にしか効果がないものなのであった。
あとがき
えーと、テレポの罠炸裂しましたね。アホ2人には常識がなかった!1人は冒険者ですらなかった!みたいな。(´ー`;)
そしてゲームではボストーニュ監獄内でも普通に魔法とか使えるんですが、村長的に納得いかなかったので色々勝手に決めちゃいました。(汗)
魔力のジャンキーは……いたら面白いなーと思ったので……。
うん、魔力ジャンキーとダンのガチンコFight書くの楽しかったよ。
しかしもう……これはアレですね、次回予告はコレで決まり☆
ゴメンナサイ嘘です、こうはなりません。(←たりめぇだ)