帰るべき処

第三章 第十六話
2007/01/15公開



仲間の無事が分かるまでは、どんな事情があろうと絶対に話は聞かない。
そう言い張ったトミーは今、前を歩く男の背中を不信感の表れた眼差しでじっと見つめている。
若干距離を開けた後方を歩いているトミーからの視線を感じつつも、ノルヴェルトは重たい足取りでロランベリー耕地の草の上を進んでいた。
今日のロランベリー耕地の天気は良い。
周りの緑も美しく風に揺れて、ジュノの街中のような喧騒もなく、鳥のさえずりが耳に届いた。
爽やかな空気の流れる耕地を、いつものように黒ずんだ外套に身を包み、漆黒の大鎌を背に携えて歩く。
これまでと違って今日は連れがいるにも関わらず、先程からずっと、一切会話はない。
当然である、何か話を切り出そうとしても、トミーがすぐさま耳を塞いでしまうからである。
先程のことが自分でも衝撃的であったノルヴェルトには再び彼女に訴えかける気力はなく、気持ちのやり場のないまま黙々と歩を進めているのだった。
トミーは拘束されているわけではないので、思い切って逃げ出すこともできる。
それでもノルヴェルトから逃亡を図ろうとしないのは、どの方向に向かえば町があるのか分からないから。
それに、やっと気を落ち着かせ、周りの風景に目を向ける余裕ができたのはつい今しがたのこと。
黒い背中の後に続きながら見回すと、そこの景色と空気には記憶があった。
忘れもしない、ジュノにやって来てからダンと再会した場所。
あの時の彼の言葉を思い出し、自分一人ではこの地を歩かない方が良いと思ったのだ。
そう、決してノルヴェルトのことを信用したのではない。
何か訳有りなのだとは感じてはいるが、友好的に接する気にはなれなかった。

ノルヴェルトが不意に足を止めてトミーのことを振り返った。
すぐさまぱっと顔を向けて身構えるトミーを見、大鎌を背負ったエルヴァーンはきゅっと口を引き結び、再び歩き出す。
ちゃんとトミーが付いて来ていることは分かっていた。ただ、姿を確かめたかっただけ。
無理も無いと頭では分かっているのに、いちいち警戒を露にするトミーの様子に胸が痛む。
今まで幾人も斬り捨ててきたノルヴェルトには、思っていることがあった。
あのエルヴァーンの青年は絶命していないという確信がある。
手応えが浅かったので、あれは致命傷ではないはずだと。
あの時はあそこから離れることが最優先だと考えていたため追撃はしなかった。
寧ろあの時は、命に代えても護らなければならない人を連れ出すことで頭がいっぱいだったから。
だからそう、恐らくあの青年は生きているはず。
と言っても、それを後ろにいる娘に言ってみる気にはなれなかったが。
ジュノの町に引き返せば、あの青年の無事が分かり彼女の態度も変わるかもしれない。
そんな思いもあったが引き返すことなど考えられなかった。
あの町にはいる、あの男の飼い犬共が。
トミーを町から連れて逃げる時も、そういう者達の気配を確かに感じた。
意識の無い彼女を抱えた状態でやり合うのはあまりに危険が多いので、ノルヴェルトは注意深く気配を探りそれらを避けながら通りを抜けて町を出たのである。
幸い襲撃を回避して町からの脱出を果たしたのだが、この様な状況になってどうしたら良いのか分からず今は途方に暮れるしかない。


「………何処に向かってるんですか?」

―――――と、後ろから声が聞こえノルヴェルトは過剰に反応して振り返った。
ノルヴェルトの様子に仰天したトミーは数歩後退ってやはり身構えた。
そんな彼女に目をしばたかせると、ノルヴェルトは彼女の言葉を頭の中で繰り返してふと足を止める。
「………何処に?」
酷く弱々しい、虚ろな声でノルヴェルトは呟いた。
構えたまま眉を寄せているトミーを見つめて寂しげに目を細める。
遠くで鳥のさえずりが聞こえる中、優しい耕地の風が二人の間をさわさわと流れていった。



今の私には行く当てなど無い。

私の目的地は、貴女だったから。



   *   *   *



朝日に照らされながら水上を滑走して空へと飛び立った飛空挺は、一時間と経たない内にサンドリア王国の飛空挺乗り場へ到着した。
さっさと飛空挺を降りて乗り場を出ると思い思いの方向に散っていく人々。その多くは冒険者だ。
その内の一人であるエルヴァーンの青年パリスは、急ぐ様子もなく、まるで小用でも済ませに来たような足取りで乗り場を出る。
飛空挺に乗っている間はぼんやりと外の朝日を眺めて過ごし、何の感情も見えなかった。
飛空挺を降りた今でもそれは変わらず、周りを気にする素振りも見せなかった。
朝を迎え一日の活動を始める人々がぱらつき始めた通りをのんびりと歩く。
そうしてしばらく歩くと、冒険者で賑わう大通りから逸れて住宅が並ぶ静かな通りへ入っていった。
そちらの方向には特に店もなく、サンドリア王国を支える国民達の生活エリアだ。
手前には主に貴族達の屋敷が立派に構えており、それよりも更に奥に進めば一般の国民達の住まいが立ち並んでいる。
冒険者には縁の遠い地区であるそこに足を向けたパリスは、不意に貴族の屋敷の間にある細い道へ入った。
一目見ても公道なのか敷地内の私道なのか分からぬような道だ。その先に何があるのかなど想像も付かない。
道幅からするとチョコボが引く車は通れない、とすると屋敷の間に通っているただの小道かもしれない。
基本的にサンドリア王国の建築様式は入り組んでいて、空間を把握しづらい。
高さのある屋敷の数々がそびえる間の細い入り組んだ道を進んでいる内、完全に方向が分からなくなった。
だが幸い、あのエルヴァーンは視界から姿を消すことはなく、未だに前方を呑気に歩いている。

不意に、昨晩ジュノの酒場で古馴染みの酔っ払いが喚いていた言葉を思い出した。
パリスに関する話を他人の口から聞いたのは、勿論あれが初めてではない。
ダンがパリスと近しいと知っている冒険者達は、度々そういう話を話題として持ち出す。
真相を知りたがる興味の目と、好奇心に色付いた彼らの声がダンは嫌いだった。
そもそもダンは本当のことなんて知らない。
只、今はその噂に疑念を抱いているということははっきりと言える。

道を右へ左へと慣れた足取りで進む彼は一体何処に向かっているのか。
このまま彼の後を付いていけば、恐らくその謎は解けることだろう。

―――だが。
石造りの壁に挟まれた狭い道の、幾つ目かの曲がり角を曲がった。
これまでしてきたように、曲がった先のエルヴァーンの様子を気にしつつ慎重に。
角の先を窺うと、やはり今までと同じようにこちらに背を向けて呑気に歩いている青年の姿。
長い直線で次の脇道まで少し距離のあるその道の真ん中まで歩み出ると、パリスの背中をしばしの間見つめたダンは舌打ちした。
そして、道端に放置されている木箱を思い切り蹴っぱぐった。
しんとした人気のない道に、どがんという派手な音が響く。
すると、前方を歩いていたエルヴァーンの青年がぴたりと足を止め、一拍の間を置いて、肩越しにこちらを振り返った。
振り返った時の青年の顔は、一言で表せば「きょとん」。
道の真ん中に立ったまま彼を見つめて、その表情の理由をダンは推理した。
『まさか尾行されているとは思わなかった』?残念だがそうは感じられなかった。
目を瞬くパリスは驚いているのは確かのようだが、かといって動揺する様子はない。
はっきりと言ってしまえば表情の理由だけではない、今は何もかもが分からなかった。
パリスと共に過ごした時間は決して短くはない、関係も悪くはなかったはず。
友であり仲間であったはずなのだが、目の前にいるエルヴァーンは今や未知の他人であった。

パリスはゆっくりとダンへ向き直ると、色々と考えているような目をして苦笑した。
最近お得意の自嘲的な笑み。
ガンビズン姿の彼は居心地悪そうに裾を払って剣の下がったベルトの向きを整えると、何とも言えない表情のまま頭の後ろで両手を組んだ。
そして姿を現したきり無言のままのダンに目を向ける。
「………どうして……最後までつけなかったんだい?」
ということは、パリスはダンが後をつけていることを知っていたのかと思ったが、それに『ビックリしちゃった』とパリスは言葉を続ける。
「今日はぼ~っとしててお客さん撒くこと忘れてたから、きっとゴールまで行けたのに」
肩をすくめてそんなことを言うパリスにダンは眉をしかめた。
「……なんで俺が、こそこそと壁にへばり付いてお前尾行しなきゃならねぇんだよ。いい加減馬鹿馬鹿しくなったんでな」
「あっはっはっはっは、そっか」
このパリスの聞き慣れた笑い声でふつりと会話が途絶えた。
ダンは口を引き結び、パリスは足元に視線を落として複雑な表情のまま頭を掻いている。
ダンはそれ以上パリスに近付こうとはせず、パリスも又、ダンに歩み寄ることをしなければ踵を返して歩みを再開することもしない。
しかしこのままこうしていても埒が明かない。
非常に忙しい身であるダンは、自ら沈黙を破る役を買って出た。
「何を隠してる?」
パリスが顔を上げた。
「何処に行く気だ」
「ん~だからぁ、あのままつけてれば分かったでしょうに~。こうなっちゃお答えできませんねぇ、時間もないし」
時間がないのはパリスも同じなのだろうか、それにしては呑気な足取りであったが。
その『時間がない』というのはダンの立場のことを気遣って言っているのかもしれないが、今のこの状況ではなかなかそうとは思い難い。
「……優先順位ってさ……人それぞれ違うと思うんだ。でやっぱり、君と僕とでは違う。残念だけど」
「俺はそんな難しい話をしたいんじゃねぇ、お前が何を隠しているのかを聞いてる」
「もうお別れなんだ。だから僕ぁこの期に及んで君に話すことは何もないねぇ」
「随分と独り善がりな物言いだな」
「何と言われても構いませ~ん」
「お前誰かを庇ってんのか?それとも、逆らえずにコキ使われて」
「とりあえず君には関係ないことだよ」
怒鳴りはしなかったが、パリスは語気の強い声でダンの言葉を断ち切った。
「君はこれからトミーちゃんを見つけて、あの怖い人から彼女を助けてあげなくちゃいけない。君には強力な助っ人がいる、仲間がいる、一人じゃない。協力してあげられなくて残念だけど、僕がいなくたって君にはまったく問題ないでしょ」
苦笑しながら言って、周りにそびえている屋敷を見回すパリスは何かを思い出しているような顔。
トミーやロエ、リオ、ダンを中心に今まで共に過ごした冒険者達の顔でも思い浮かべているのかもしれない。
パリスはそのまま明後日の方向を眺めながら、若干難しい表情を浮かべて続ける。
「でも最後に言わせてもらうとね……そんなことしてたら君、多分死んじゃうよ?」
人気の無い道を、草木が揺れる音を連れて風が駆け抜ける。
一旦そこで言葉を切ると、じわじわと苦笑を浮かべてから小さく頭を振る。
「んまぁ分からないけどさ。でもこの先も……きっとたくさんの危険があるだろうから」
そして最終的に自嘲の表情に戻った彼が視線を戻すと、そこには今にも掴みかかりそうな目をしたダンがいる。
期待通りだと言わんばかりにパリスは眉を開いた。
「あっはっは、どの口でそんなことを言うんだって顔だね♪」
「察してもらえて嬉しいぜ」
弱々しく笑うパリスに対し険しい顔をして嫌味っぽく返すダン。
そこで『幸運を祈るよ』などとぬかそうものなら本当に殴りかかっていたかもしれない。
幸い、パリスは結びの言葉に調子を変えた。
「兎にも角にもお別れだ。今後僕のことを見掛けても、声は掛けてくれなくていいから」
「パリス」
「声なんてかけてくれるわけないか、どっちかって言ったら……」
『ん~怖いなぁ~ちょっと会いたくないかも~』と言って笑うパリスは懸命にダンの言葉を打ち消しているようで、発言の隙を与えぬまま続けた。
「ねぇ、どうして最後まで尾行しなかったの?」
苦笑いを浮かべて溜め息の中から再度ダンに尋ねた。
何故その問いを重ねる、それにどんな意味があると言うのか。
ダンは彼のその表情の奥にある感情を読み取ろうとじっと見つめる。

“ピンポンバンビちゃ~ん♪ここで、ニュースを、お伝えいたします”

いきなり、頭の中に強力な助っ人ことローディの真面目にふざけた声が流れ込んできた。
“ドジッ娘発見。ドジッ娘発見。場所はロランベリー。例のオプション付でパシュハウ沼に向け進行中”
報告に驚いて硬直するダンの様子を不思議そうに眺めるパリスだったが、リンクシェルで何かあったのだとすぐに予想がついたようだ。
「……いくらなんでも早過ぎだろ…」
「トミーちゃん、見つかったの?」
ダンの口から零れた驚きの言葉に、パリスが上目遣いになって尋ねた。
ぱっと顔を上げてパリスを見るダンだが、すぐに思い留まって開きかけた口を閉じる。
「おっと、そうだ……僕ぁもう部外者なんだったね」
そう言いながら笑うパリスのことをダンはじっと観察する。
「でも良かった~見つかったなら。それじゃあダン、早く行かなくちゃ!くれぐれも無茶はしないでね」
どんなに観察しても読み取れない不可解な表情を浮かべたパリスは陽気な声で言う。
ローディへ激しく状況説明を求めたい気持ちをかなぐり捨てて、ダンは目の前にいるエルヴァーンに集中した。
何故すぐに踵を返して駆け出さないのかと疑問符を浮かべてダンを見ているパリス。
そんな彼をじっと見つめてから、ダンは落ち着いた口調で切り出した。
「どうして最後まで尾行しなかったのかと聞いたな」
話題を戻すダンにパリスは目をしばたかせる。
「それが俺のやり方だ、お前は……よく知ってるだろ」
そうとだけ言って、ダンはくるりと踵を返しパリスに背を向けた。
そしてあっさりとこの場を去ろうとするダンの背中にパリスは目を見張り、本当にそのまま行ってしまいそうな彼を少々慌てたような声で呼び止める。
ダンが普段通り面倒臭そうに肩越しに振り返ると、パリスが何処かじれったそうにして突っ立っていた。
開きかけた口の中で何かを噛み砕きダンのことを真っ直ぐ見つめると、改めて口を開く。
「……楽しかったよ、君達との時間」
ダンはリンクシェルで繰り返されているローディからの連絡を聞きながら、半眼になってパリスを見つめた。
「言ってろ」
冷たく言って歩き出すダンにパリスは別れを叫んだ。
もう一度振り返ることも適当に手を振ることもせず、ダンはやってきた道を引き返して行った。
入り組んだ石造りの通路の先に消えるダンの姿をパリスは無言でじっと見送る。




「…………ごめんね……あの人には借りがあるんだ」

静かな裏道で一人呟くエルヴァーンの青年の声は、何かを哀れむような響きを持っていた。



   *   *   *



俺が行くまで絶対に手を出すな。

そうローディに連絡を入れてダンはすぐさまジュノのレンタルハウスに戻った。
戻るとダンの帰りを待ち侘びていた二人が一斉に立ち上がり駆け寄ってくる。
ダンは二人にトミー発見の説明をしながら腰に下げた片手剣の金具をもぎ取るように外し、腕につけていた盾も外して剣と一緒にベッドの上へ放り投げた。
ローディから入った報告を元にトミーの所在と状況を簡潔に説明し終わると、案の定ロエ達の口からパリスに関する質問が飛んでくる。
パリスについてはダンも正確なことは何一つ分かっていない。
ダンは少し考えてから、パリスに関しては彼の出方次第で判断するとだけ言ってその話を終える。
そしてテーブルの上に置いてあるパリスのパールサックを手に取ると懐にねじ込み、ダンは棚に足を向け、横に立てかけてある元々の装備武器であった両手剣をその手に掴んだ。


各自装備を整え、チョコボに跨りジュノを出た。
ダンを先頭にしてロランベリー耕地に入りパシュハウ沼目指してチョコボを走らせる。
いつもなら後ろがちゃんとついて来ているかを時折確認しながら走るダンだが、今は思案に耽っているせいもあってひたすら前を見つめていた。
“結局俺様一人で見つけちゃったにゃ~ん、つまんにゃぁ~~”
どうやらトミー達を発見したのはローディ本人だったようだ。先程から同じようなことばかり呻いている。
“そのまま待機してろ、見慣れない顔が出てったらまた何するか分からねぇ”
“あいあーい”
至極退屈そうな声で返事をすると、やはり退屈なのかすぐに喋り始める。
“あの男に関しては俺様のミラクル頭脳で考えてみてもダンと同感だのぅ。あやつの目的はドジッ娘だクポ~”
“あんなの攫ってどうすんだ”
“さぁのぅ、でもか・な・り執着してるのは間違いないクポ~。じゃなきゃ奴程の腕前であの時俺様の存在に気付かないわけないクポ~”
ローディが言っている『あの時』とは、デルクフでのことを指しているのだろう。
あの時ノルヴェルトがパリスに向けた刃をローディが止めたわけだが、その言い方ではローディもノルヴェルトの強さを認めていることになる。
“あれはドジッ娘に夢中だった証拠だず~”
ノルヴェルトがトミーにとても執着していることは、ダンは百も承知であった。
あの男のトミーを見る目はいちいちあらゆることを語り過ぎている。
何を語っているのかまでは分からないが、どうも簡単な感情ではなさそうだ。
“悪意の対象にしてる様子はないし~、連れて行きたい場所がある風にも見えないし~。……きっひっひ、これは相当面白いことになるぞぇ♪”
「ねぇ!行って、どうするつもりなのよー!?」
後方でリオが声を張っている。
そういえばリオはチョコボの免許をまだ取ったばかりらしいが、しっかり付いて来られているようだ。
行ってどうするつもりなのか。
リオの問いを頭の中で繰り返すとダンの全身にちりちりとした熱が走った。
ぐっと歯を食い縛ってそれを振り払うと、後ろの二人を軽く振り返る。
「戦おうなんて考えるな、武器を構えたりもするんじゃねぇぞ!」
「は、はいっ」
「じゃあどうすればいいのよー!」
落ち着け、冷静になれ、これ以上事態を悪くするな。
リオの叫びを聞き流しながらダンは内心自分にそう言い聞かせていた。
ローディからの情報では、ノルヴェルトが力ずくでトミーを連れ歩いている様子はないらしい。
乱暴されているわけではないようだ、ということは何か状況が変わったということか?
しかし忘れてはいけない、あの男はリオを叩きつけ、パリスを斬った。
仲間だけでなく、あのノルヴェルトという男は何人もの人間を斬り、殺害している。
“パシュハウ沼に入ったぞぃ。きひっ、今の心境はどう?ダーリン緊張してる?”
頭に血が上らないように全力で努力してる真っ最中だ馬鹿野郎。
内心悪態をついて、気を落ち着けるためにフーと長い息を吐く。
“まずは相手の出方を見るぞ。散々会いたがってた相手と二人の時間過ごしたんだ、あの男も精神的に落ち着いてるかもしれないしな”
“んまぁ!冷静ですこと!!”
“もしノルヴェルトが暴れるようだったらお前がトミーをかっさらえ”
先程から出方を見るだなんだと、自分の立派な精神力にはさすがに呆れる。
感情で動くことはせず常に全体を見て判断し行動する、パーティのリーダーを務め続ける内に癖になってしまったのかもしれない。
どこかで冷静にそんなことを分析している自分に、ダンは内心冷笑した。
“……………きひっ……最善の働きをしてみせるぞぇ、期待してダ~リン☆”
感情に流されたら状況は簡単に悪化する、それは今やノルヴェルトが痛い程理解しているはず。
そんなことを思って自分を叱咤することに意識を囚われ、ダンはローディの意味深な言葉を気に留めることはなかった。
その言葉を最後に、退屈だ何だとぼやき続けていたローディのノイズは消える。
やがて、疾走する三羽のチョコボはパシュハウ沼に入るゲートを潜っていった。


パシュハウ沼はその名の通り、大小様々の沼が広がっている湿地帯だ。
ぬかるんだ地面は干上がることを知らず、年中変わることのない地質は水生植物を力強く繁茂させている。
足が深く沈み込んでしまう程ではないが、ここを三分も歩けばブーツは脹脛まで泥まみれになるだろう。
ロランベリー耕地での青空は何処かへ行ってしまったのか、空には重たい雲がゆっくりと流れていた。

ノルヴェルトの出方もそうだが、トミーの行動もある程度想定しておく必要がある。
昨晩のように泣き喚いてトミーの方が暴れるかもしれないし、何らかの事情で態度が一変してノルヴェルトを庇うかもしれない。
状況がどう変わっているのか、又変わっているのかどうかも分からないというのが現状だ。
もし、もし助けを求めるトミーに対してノルヴェルトが手荒な真似をしたとしたら。
その時は本当に、冷静でいられる自信がダンには微塵もなかった。

――――――考えていると、微かに雨が降り出した沼地の中に人影を見つけた。
大鎌を背負った黒いエルヴァーンとヒュームの娘の姿だ。
数秒遅れて、同様に二人の姿を見つけたロエとリオが後ろで声を上げる。
この距離ではまだその声は聞こえないだろうと思われるが、前を歩いているエルヴァーンのノルヴェルトがはたと歩く足を止めて振り返った。
ぴくりとそれに反応して、トミーの方も数秒の間を置いてからこちらを見た。
普段と違って髪が下りているトミーに目を凝らしながらチョコボを走らせていると、ダン達の姿を見て目を見張ったトミーがこちらに向かって足を踏み出す。
思わず、とでもいうようにノルヴェルトの手がトミーの腕を掴んだ。
しかしトミーはそれを全く気にする様子もなくダン達に向かって叫ぶ。
「――――パリスさんは!?」
心底不安げな顔をして、トミーはチョコボで向かってくる仲間達に尋ねた。

そう、トミーはそういう娘だ。
自分のことよりも人の心配ばかりしているとんでもないお人好し。

縋るような眼差しで叫ぶトミーの姿を見た瞬間、ダンの頭の中は一瞬で真っ白になった。
仲間の心配をしているトミーを見てノルヴェルトがすぐに彼女の腕から手を放したが、そんなことは最早ダンの目には映っていなかった。
ある程度二人に接近したところでダンはチョコボから飛び降り、その勢いのままぬかるんだ地面を駆けた。
ダンの様子にふと眉を寄せるトミーだが、何かを察知したノルヴェルトがトミーを護るように前へ進み出る。
ダンとノルヴェルトの二人が武器を手に取ったのは全くの同時。
そして、聞いただけで全身に鳥肌が立つような音を響かせ、ダンの両手剣とノルヴェルトの大鎌がぶつかった!

「あんたがいきなりキレてどーすんのよー!!!」
真っ先にノルヴェルトに斬りかかったダンに文句を叫びながらリオはチョコボから飛び降りた。
トミーはいきなりのことに絶句するが、鍔迫り合いを始めた二人を尻目にロエ達の元に向かう。
チョコボから降りて駆け寄って来たロエに縋りつくようにしてトミーは沼地にへたり込んだ。
「トミーさん大丈夫ですか!?」
「パリスさんっ、あの、パリスさんは!!」
トミーの身を案じるロエの言葉が聞こえていない様子で、トミーは同じ問いを繰り返した。
「大丈夫です、パリスさんは無事です!」
「怪我は!?生きて!?」
「はい、怪我も治ってお元気ですから!」
「ホント…に…っ…無事ですかぁ…?」
「大丈夫です、大丈夫ですよぉトミーさんっ」
見る見る泣き顔になっていくトミーにつられるようにロエもまた涙声で言い聞かせる。
パリスにもしもの事があったら、もし取り返しのつかないことになっていたら。
目にした鮮やかで恐ろしい光景が頭の中で飛び交い、トミーはずっと気が気ではなかった。
本人がいないので自分の目で無事を確かめることができない代わりに、トミーは何度も何度もロエに問いを繰り返す。
そして安堵の涙をぼろぼろと零しながら、今度は『良かった』と繰り返し呟いた。
「あんたあいつに何かされたんじゃないの!?髪だってメチャクチャじゃない……。首長のことなんかどうでもいいのよあんたよ馬鹿ッ」
リオは泣き出すトミーの肩を掴んで揺すりながら弱々しい声で怒鳴る。
彼女も相当心配していたのでトミーのことを力いっぱい抱き締めたかったのだが、やはり気恥ずかしくて心配していた気持ちを憤りの声に変えてしまった。
それに、トミーが大層心配して『無事で良かった』と涙を捧げている相手のパリス。
勝手に別れを告げていなくなった彼のことを考えるとトミーのその涙が悔しかった。
色々言いたくなるのをぐっと耐えて、リオは立ち上がるとトミーに背を向ける。
そして互いの大きな武器で鍔迫り合いをしている男二人を緊張した顔で見つめた。


何なんだよ、その顔は。

交わった剣の向こう側に見えるノルヴェルトの顔を睨み付けながらダンは歯軋りした。
ノルヴェルトは何かを迷っているような、動揺した顔をしてダンを見つめていた。
ダンが推測した通り、ノルヴェルトは昨晩とは少し様子が違っていた。
あれからノルヴェルトの中で何か前進したものがあったのかもしれない。
しかし今のダンにはそんなこと、興味の対象ではなかった。
「あんたの好きな斬り合いだ、もっと嬉しそうな顔しろよ」
ノルヴェルトを睨みつけながら搾り出したような声で言った。
そして力任せに大鎌を跳ね除けるとお互いに後ろに飛んで一旦距離を取るが、ダンはすぐさま再び距離を詰めて鋭く斬り込む。
――――――その顔はもう見飽きたんだよ…っ!!!
そんな怒りを乗せたダンの剣をノルヴェルトは相変わらずの複雑な顔のまま鎌で受けた。
真っ向からダンの打ち込みを鎌で受け止めたノルヴェルトの足がぐっと沼地に食い込む。
ノルヴェルトが口を開きかけるとダンは剣を傾け鎌の柄の上を滑らせた。
はっとしてノルヴェルトが剣の撫でる先にある手を鎌から放すと、前屈みになったノルヴェルト目掛けてダンの回し蹴りが飛んできた。
素早く鎌を持ち直してその踵を鎌の柄で防ぎ、ふら付かないよう足を踏ん張ってバランスを取る。
そして瞬く間に繰り出された両手剣の三撃目をしっかりと受け止め再び鍔迫り合いになった。

非常に感情的な剣のやり取りをしているダンの様子をロエとリオは恐々と眺めた。
ロエに抱き締められ、俯いて泣いていたトミーが喉を引きつらせながらゆっくりと顔を上げる。
そして乱れた髪の合間からダンを見つめると弱々しい泣き声で呟いた。
「…ダン……」
腕を伸ばし切れていない力の無い手をダンに向けたトミーは、掠れた声でただ呼んだだけ。
『やめて』だとか、そういうものの混じっていない純粋なそれはダンの耳に届いた。
すでに怒り心頭を発していたダンは体に納まり切らない程の怒りを更に燃え上がらせる。
ダンも、こうなることは心の何処かで分かっていたのだ。
武器を両手剣に戻した時点で、自分はノルヴェルトを斬るつもりなのだと。
ぎっと睨みつけていると、力比べをしている相手のノルヴェルトの表情が徐々に変わりつつあった。
最初躊躇っていたものに火をつけてしまおうか否かと揺れ始めたような顔。
出したがっている感情が彼の瞳の奥に見え隠れし始めたのを見て取り、ダンは一層表情を険しくして怒りに満ちた低い声を出した。

「あんたのせいで…あいつがどんな思いをしたと……!!」

不意にそこで、じっとダンの目を見つめていたノルヴェルトの視線が横に逸れた。
突然目付きを鋭くしたノルヴェルトをダンは瞬時に警戒するが、ノルヴェルトは視線を逸らしたまま大きく後ろへ跳ぶ。
ダンが鍔迫り合いから脱したノルヴェルトを追おうとすると、離れた地面に降り立ったノルヴェルトが鎌で飛来した矢を弾いているのが目に映った。
誰が何処から射った矢なのかと疑問符を浮かべた瞬間、明後日の方向を睨んで舌打ちしているノルヴェルトに三本もの矢が立った。
突如矢の猛攻を受けている彼に目を見張ったダンが思わず剣を構える腕を下ろすと、ガリッという音がして右肩に痺れが走る。
見るとそこにも矢が。
「――――――いやぁっ―!!!」
その光景を前にロエとリオが絶句している中でトミーは悲鳴を上げて身を乗り出した。

「動くな!」

静かな雨の沼地に張りのある男の声が響いた。
言われずとも驚きで硬直していた一同は辺りを見回して声の主を探す―――声の主はすぐに見つかった。
少し離れた沼の地形をややこしくしている丘の陰から六、七人の男が現れた。
立派な装備をした彼らはその上に外套を羽織っており、種族は皆エルヴァーンである。
「動くな」
事務的な声で言う男の両脇にはボウガンを構えた男達が並び、構えたままじりじりと歩み寄ってくる。
トミー達がいる位置からは、道を作っている丘を曲がった先にチョコボが引く車が数台停まっているのが微かに見えた。
いつの間にか霧のような雨が降り出していて、辺りの視界が非常に悪い。
何者だとダンやトミーらは眉を寄せる―――するといきなり、ノルヴェルトが唸り声を上げて飛び出した!
太腿と腕に三本の矢を受けながらも、鎌を手に男達へ向かうノルヴェルト。
しかしその瞬間、中央の男が合図し一人が素早く再びボウガンで射撃した。
矢をかわそうと慣れた様子で鎌を構えるノルヴェルトだが、矢が向かったのは彼の元ではなかった。
「!!!」
一行全員が声になっていない悲鳴を上げ、放たれた矢は仰天して身を縮める女性陣のすぐ横の地面に突き刺さった。
庇い合うようにして硬直している彼女達の元にノルヴェルトとダンの足が向くが、彼らの動きを制するように中央の男が言う。
「動くなと言っただろう、どれを射っても我々には同じことだ」
言葉にこもる堅苦しさとこの癪に障る物腰は……。
どんどん熱を帯びていく肩を押さえて激痛に耐えつつ、ダンは現れた男達が何者なのか気付き始めた。
すると、遠くから何かがこちらに向かってくるような音が聞こえてくる。
まるで何騎ものチョコボが沼地を駆けているような音だと思いつつその方向を探ると、目の前にいる男達が現れたのとは別の方向からそれは姿を現した。


予想通り、鎧を着た者達を背に乗せた何騎ものチョコボが泥を蹴って霧雨のもやの向こうからこちらにやって来る。
その中の数騎が掲げている旗竿には、サンドリア王国王立騎士団の旗が翻っていた。



<To be continued>

あとがき

まぁこんな感じで、誘拐犯は変態の捜査により現行犯逮捕となりました。
そしてお待ちかねのダンvsノルのガチンコ対決でしたが、見事に横槍。
あーマジ続き書きたくない、あーマジ続き書きたくない。(←黙れ)
これから第一章なんて比じゃないくらい入り組んできますので、読者様にはご迷惑お掛けします。何卒ご了承くださいませ。(´□`;)