無関心な世界

第三章 第十三話
2006/08/22公開



倒れ込むように前のめりになりつつドアから入室したダンは、肩を上下させて荒い息を付きながら室内を目で探った。
額から汗がつうと流れるのもそのままに静かなその空間を見回すと、膝に付いていた手を下ろして屈んでいた背筋をゆっくりと伸ばす。
それから必死さの中にあからさまな落胆を覗かせ、そのまま何も言わずに呼吸に徹した。

そんな彼をこちらも無言で見つめているのは仲間の三人。
いつもは背に掛けている小さな杖を両手で握って立っているロエは、入ってきたのがダンであることに心底ほっとしたような顔をしていた。
しかし、緊張で止めていた息をそろそろと吐き出している彼女の表情はこの上なく暗い。
部屋の一番奥、棚の脇にはリオが完全にしゃがみ込んで身を小さくしていた。
組んだ腕の中に顔半分を埋めて、見えている目は上目遣いにじっとダンを見つめている。
瞬きを忘れてしまったかのような彼女の目は、どこか焦点が合っていない。
「……………ダン……少し座ったら?」
重い重い沈黙の中でぽつりと言葉を放ったのは、部屋の最も端でドアのある側の壁に背を預けて座っているパリスであった。
彼が座っているところは位置的に、入室した際に最も死角に近い。
そんな位置に片膝を立てて座っているパリスは、やはり手に剣を握っていつでも抜ける構えをしていた。


時は、トミーが攫われてから二時間を疾うに過ぎていた。


パリスの傷は、出血の割にはそう深いものではなかった。
彼に治癒の魔法をかけたのも他でもないパリス自身。
突然だったと言えど、ノルヴェルトと対峙するのは二度目のパリスである。
ノルヴェルトの実力を痛感していたパリスは、彼を相手にした自分には攻めに出る余裕はほとんどないと即座に判断していた。
状況を見た瞬間に剣を抜くことを躊躇してしまったものの、躊躇しただけでパリスは何もせずにただ斬り付けられたわけではない。
恐ろしい速さで確実に自分の命を奪いにくる黒い刃をかわすためのモーションには入っていた。
全力で後ろに飛んだが、始めの躊躇いの際にロスした分、避け切ることができなかった。
又、運の悪いことに、自ら後ろに飛んだ力に相手の鎌の威力が加わり、とんでもない勢いで壁に背中から叩きつけられたその衝撃で脳震盪を起こしてしまった。
リオの絶叫のおかげで割とすぐに意識は戻ったのだが、その時には全てが終わっていて。
『……老後も楽しんでないのに死ねるもんですか…』と、相変わらずの調子で言いながら顔を上げた時の自分を見るリオの顔は当分忘れそうにない。
それから、完全にパニックを起こしているリオを弱々しくなだめつつも、自分でケアルを詠唱して傷口を塞いだというわけである。
即死の負傷ではないもののそれなりの凄い怪我であったのは確かなのだが、パリスは不思議と落ち着いていた。
今は大破した装備ブリガンダインは外し、あまり体に負荷の掛からないウールガンビスンを身につけている。
「どのくらい捜してきたんだい?」
手にしていた剣を静かに横に寝かせて置いて、パリスがダンに尋ねた。
ダンはリンクシェルからのパリスの声で非常事態に気付き、部屋へ駆け付けトミーが攫われたと知ると脇目も振らずすぐに部屋を飛び出した。
人気のないあらゆる通路を駆け抜け、通りに出て道行く人間に声を掛け、真夜中のジュノを休むことなくひたすらに捜し走った。
ダンと共に駆け付けたロエは部屋を出るタイミングを逃したこともあり、部屋に残ってパリスとリオの介抱する任を務めた。
自分がダンを足止めしていたようなものだ、と負い目を感じていたこともあって、その後悔と気負いが、トミーを捜しに出ることを彼女に躊躇わせた。
ただ一人夜中の町に駆け出したダンはそのままパリスらに連絡も入れずに捜し続け、二時間以上が経った今ようやく部屋に戻ってきたのである。
部屋に戻ったらけろりとした顔でトミーがいるのでは……などとはさすがに考えなかった。
しかし祈ったのは確かで。
「………………いねぇよ……」
体への負担など完全に無視してひた走ったのだろう、ダンの声は酷く掠れていた。
苦しげな呼吸で何度か咽ながらも、必死に思考を巡らせている顔で乱れた髪を掻き上げる。
普段の鋭い目付きとは違う深刻な顔をしており、完全に取り乱しているのが見るからに分かった。

―――――目撃者が一人もいないとはどういうことだ!

ダンは呼吸に忙しくて喋れない代わりに頭の中で苛立ちの声を張った。
娘一人を強引に男が攫ったのだ、多少譲っても異様な様子であることには間違いないはず。
それなのに人に尋ねても『見ていない』、『気付かなかった』。
『競売に釘付けだった』だとか、『寝バザーしていた』だとか、皆身近で起こった事件を気に止めちゃいない。
ノルヴェルトの逃亡の仕方が上手く、闇に紛れたか裏の通りを巧みに進んだのかもしれない。
しかしこれはただのスリや泥棒ではない、人攫いだ。
しかも奪われたのは宝石や子どもではなく成人しているヒュームの娘であって。
何故誰も気付いてくれなかったのか、自分の大事なものの緊急事態に。
他人に苛立ってもただの八つ当たりでしかないと分かってはいるが歯噛みせずにはいられなかった。

これだけ時間が経っては、もうジュノの外に出た可能性は充分。
そうなれば絶望的である。

ふと、ダンが部屋のベッドに視線を向けると、枕元にはブルーのリンクパールが転がっていた。
そういえば先程リンクシェルを通してパリスが言っていた、返事を返している余裕はなかったが。
今朝トミーが恥ずかしそうに乱暴な手付きで棚へ押し込んでいた荷物と、強引なリオに抵抗してもがいた際にベッド脇に落ちたのであろう布団。
部屋の所々に見られるトミーがいたという痕跡が、ダンに激しい絶望感を誘った。
―――――どうして俺は毎度毎度肝心な時に………


「………この…!」

と、いきなり、部屋の奥で蹲っていたリオがすっくと立ち上がると、近くに置いてあった置時計を掴んで思い切りダンに投げ付けた。
咄嗟にダンが腕を構えると、真っ直ぐダンに向かった時計はその腕に当たってがしゃりと床に落ちる。
ひび割れて部品が散った時計をパリスとロエが目を皿にして凝視した。
何事かとリオに視線を向けるダンに対して、リオは肩を怒らせて唸った。
「なんで………なんで肝心な時にいないのよあんた!!!」
声を荒らげると今度は棚にある本を掴んで投げ付ける。
「どうしてすぐに来ないのよ!!この役立たずっ!!!!」
手当たり次第にものを投げ付け始めたリオにロエは小さく悲鳴を漏らして身を縮める。
ダンは身を守るように構えていた腕を徐々に下ろし、口を引き結ぶと視線を落とした。
彼自身がリオの言うことに納得してしまったような顔で。
唐突に激しく暴れ出したリオと無抵抗のダンを見かねて、パリスが力なく立ち上がるとリオを止めに入った。
「まぁまぁリオさん落ち着いて……ね?」
ふらりとした力の入っていない足取りであったが一応パリスは男である。
小さな花が挿してある花瓶を引っ掴んだリオの手を掴まえて、リオとダンの間に入る。
「ダンも一生懸命なんだから」
やんわりとした大人しい口調のその言葉に、リオの大きな耳がぴくりと動いた。
そして何かを思い出したように、一層表情を険しくして歯噛みする。
「……そうよ…『ダン』よ……」
「え?」
「あの子呼んでたんだ!あんたのこと……呼んでたんだからねぇ!!!」
パリスに押さえられていなければ飛び掛らんばかりの勢いでリオはダンに叫んだ。
その言葉にはさすがにパリスも言葉を失う。
黙りこくっているダンを思い切り睨みつけた後、リオは力なくずるりとその場に座り込んだ。
「もう……何なのよ…」
支えようとしているパリスの手を振り払って両手で顔を覆うと、静まり返った部屋の中で嗚咽に似た声を絞り出す。
「………ッ…………駄目よ……あの子………もう帰ってこないわ……」
絶望した声で、そう言った。
リオだって、何もできなかった自分が恨めしく思えてどうしようもないのだ。
彼女もトミー同様まだまだ経験の浅い冒険者である、到底ノルヴェルトに敵うはずはない。
それは皆も分かっていることだ、当然リオ自身も力の差はよく理解していた。
でも、そう理屈で分かっていたって、やはり悔やまれてしょうがない。
見ている前でトミーを連れ去られたリオのショックは相当のものなのだ。


「捜しに行きましょう……私行ってきます!」
――――と、怯えるように身を縮めていたロエが泣き声で言いながらドアへと駆け出す。
仰天したパリスが身を乗り出し『待っ』と声を発しつつ慌てて彼女の小さな手を掴まえた。
「待ってロエさん!」
「でも早くしないとトミーさんが」
「落ち着いてっ、ねぇリオさんも、まず落ち着きましょーよ!」
無理な態勢を何とか維持したままリオの隣りまでロエを引っ張り戻すと、パリスは脱力してどたっと床に腰を下ろした。
そして立ち尽くしたまま固まっているダンを首を捻って振り返る。
「ダンも、しっかりしてよいつもの冷静な君はどーしたの」
困った声で言うが、ダンは全くその言葉に反応を示さず視線を落として立ち尽くしていた。
そんなダンにパリスは大きく息をつくと、『あ、ごめんちょっと横になるね』とそのままぱたりと体を倒す。
その様子を心配するロエに対してやや顔色の悪い顔でにへらと弱々しく笑い、パリスは壁際に置いたままにしてきた剣を取って欲しいと頼んだ。
はっとしたロエがすぐに小さな足で駆け、剣を取って戻りパリスに手渡す。
礼を言いながら胸の上に剣を抱くと、パリスは長くて深い溜め息をゆっくりとついて天井を見上げた。


時刻はもう少し経てば空が白んでくる頃である。
トミーが連れ去られてから三時間程が経とうとしていた。



「………僕の意見を言ってもいい?」
真っ直ぐに天井を見つめたまま、落ち着いた口調でパリスが言った。
しかし、ダンは彼が何を提案するのか簡単に予測できたため聞く前に口を開く。
「トミー程度の、ランクの冒険者に国がまともに動くとは思えねぇ」
少しずつ落ち着いてきた呼吸で息をつきながら言った。
冒険者というのは国から支援されているものの、かなり放任されているのが現実である。
単なる一般国民に何かが起きた場合はさすがに対応するであろうが、今や膨大な数いる冒険者達の間で起きた揉め事などにいちいち真面目に対応するわけがない。
そう、特にあのノルヴェルトは国にとって犯罪者の認識ではないのだから。
又、トミーがダン達程のランクの冒険者であったのなら多少は違うかもしれないが、全く顔も覚えられていない、冒険者として大きく貢献した話もない、となるとやはり期待はできない。
パリスは報告しておくだけでも違うのではと言うが、ダンはその意見を受け入れる様子を見せなかった。


ダンは自分自身でも把握し切れていない、何か予感的なものが引っかかっていた。

今では仲間内で最もノルヴェルトと過ごした時間が長くなったダン。
ノルヴェルトから得た微かで細かい情報は、組み立てれば何か新しいものが見えてきそうな気がする。
否、間違いなく何かがあるのだ。
ノルヴェルトの言っていた言葉の数々、目撃した殺しの現場、跡形もなく消えていた現場の痕跡、ノルヴェルトのトミーを見つめる眼差し。
今はそんな細かくて歪なパズルをしている余裕はない。
しかし、そのパズルで絶対に何かの一片が見えてくるはず、そしてそれはもしかすると……。


ある種族と何らかの深い関わりがある―――――。


「じゃあどうするの、やっぱり僕らだけで探すの?」
エルヴァーン特有の長くて尖った耳を指で摘みながら、呆れの響きが混じった声でパリスが苦笑しながら言った。
ダンは横目に彼を見下ろして、数呼吸考えてからリオやロエに視線を向ける。
リオはがっくりとうなだれて顔が見えないが恐らく泣いている。
彼女の隣りに立ち尽くしたロエも涙の溜まった目で、小さな杖をぎゅっと抱き締めて唇を噛んでいた。
次にダンは乱れたベッドへと視線を移し、置き去りにされているリンクパールを見つめる。
いつもリンクパール越しに聞こえてくる自分を呼ぶトミーの声が、耳の奥で蘇った。
すると、頭の中の嵐がその声の風に押し流されるようにしてすぅと晴れていく。

そして、奪われたものの大きさを再認識し、先程までどしゃ降りだったダンの中に火が灯った。




「………よりリアルな世界を知ってるのは、国よりも冒険者だ」
「え?」
「同業者に協力を要請する」
はっきりとダンが言うと、視線を落としていた女性二人もゆっくりと顔を上げる。
視線の先には愕然と視線を落としている先程のダンの姿はなく、彼は鋭い目をして何処かをじっと睨んでいた。
激しい怒りに似た、闘志のような、そんなオーラが彼の周りに見える気がする。
その彼の様子を見てパリスは眉を開き、ロエは何かに気付いたように慌てて涙を拭った。

そう、ダンの顔に書いてある通り、『これから』だ。



ダンは静かに深く呼吸を繰り返し乱れた息を整えた。
そしてじっと何処か一点を見つめて思考を巡らせた顔付きで口を開く。
「ただ、トミーはまだ素人冒険者であって同業者の間じゃ顔が売れてない」
ダンやパリスくらいになると、そこそこ冒険者の間でも顔が知られているものである。
口コミで腕を頼りにされることもあるし、狩場で声をかけられることもしばしば。
しかしトミーはヘタレな上に積極的に狩りに出ることをしない見事な駄目っぷりであった。
『ダンとよく一緒にいる』という形では多少記憶されているかもしれないが……。
「………あっ」
パリスが何かを思い出したように上体を起こしてダンを見上げた。
「分かった!ダンの情報屋の知り合いさんは?前にトミーちゃんが言ってたよ、友達になった人がダンの幼馴染みだったって。情報屋やってる侍ヒュームさん」
ぴんと指を立てて声を若干大きくするパリスの表情は期待で明るさを持っていた。
しかし、ダンは微妙に顔を歪めるとすぐに首を横に振った。
「いや、あの野郎は人の噂話に首突っ込んでるだけのただの暇人だ。犯罪に関することや人捜しに役立つような情報は期待でき…ねぇ……」
ダンはそこまで言ったところで、ふと眉をしかめた。

今、自分が口にした単語と関係があるようなことを、最近誰かが言っていたような気がした。




言葉を失い神妙な顔付きで口元に手を当てるダンに、三人の疑問の視線が集中する。





「……………いるじゃねぇか…」





「トミーの顔を知ってて、とんでもない情報網を持ってる奴が……」

そう呟くダンは、希望の兆しを見出したにしては非常に不快な表情を浮かべていた。



   *   *   *



大きな扉が衛兵の手によってゆっくりと開かれ、先には間もなく夜も明けようという空があった。
霞みのかかったサンドリアの町の家々はひんやりとした空気の中でまだ眠っているように見える。
会釈をする衛兵を横目に歩を進めてジェラルディンが外へ出ると、場内の空気とは違った冷たさのあるひやりとした空気が頬を撫でた。

前を一定の歩調で歩くのはテュークロッス。
任を終えて帰国したことを知らせるためわざわざ城に顔を出したこのまめな行いも、何事にも抜かりのない主の持つビジョンの広大さを感じさせる。
否、長い間側近を務めているジェラルディンだからこそ感じる、主のビジョンだ。
テュークロッスの丁寧な仕事と真面目な姿勢は王国側から高く買われているものの一つである。
任されたことはどんなに細かなことであろうと完璧にこなし、事前事後の立ち振る舞いも抜かりのない鮮やかさがある。
又、人望が厚く若い騎士との交流もお座成りに済ませることはしないため、上位の者にも下位の者にも支持されている、見本のような騎士であった。
今では祖父の代から飛躍し始めたゼリオン家の三代目として立派な爵位についている。
サンドリアといえば王立騎士団と神殿騎士団の二騎士団であるが、テュークロッスが率いる独立的な貴冑騎士団は今や第三の騎士団と言っても過言ではない。
ゼリオン家は父の代から教会と親交が深い為、どちらかと言えば神殿騎士団寄りに位置している。
二騎士団ほどの勢力はないものの、貴冑騎士団はそれなりに力を持っている組織だった。
それなりに力を保持しているテュークロッスだが、のし上がろうという姿勢は全く見せない。
二騎士団がどれほど頑強なものなのかは町中を駆けている少年少女でさえ知っていること。
テュークロッスは敵を作らない、でしゃばることはしない穏健的な存在であることを保っていた。
貴公子と知られている彼が、表立って活躍することよりも重点を置いているのは、名声。
人の心というものは、形がなくともとてつもない力があることをテュークロッスは知っている。
自らの力で道を開くのではない、白羽の矢に導かれる道を進むのである。
焦ることはせず、時間を掛けて確実に求めるものを手にしていくのだ。
『今すぐにでなくて良いのだ』
それが、ジェラルディンが今まで何度も耳にしてきたテュークロッスの呟きである。
神殿騎士団の現騎士団長クリルラの時代はそう長くないと見ているテュークロッスは、今の安定した位置で任をこなしつつ、あとは道が開かれるのを待つだけであった。


詳しい報告は夜明け後に改めて伺うと連絡を済ませた二人は、夜明け前の人も疎らな町の通りへと進む。
城からやや離れた、貴族達の邸が並ぶ場所にテュークロッスの屋敷もある。
背筋を伸ばし自邸に向かって歩くテュークロッスは二日前から全く睡眠を取っていなかった。
「…………野良犬の方は良い運びになっているようだが……」
不意にテュークロッスが呟いた。
ジェラルディンが若干抑えた声で『はい』と返すと、隣りに並ぶようにとテュークロッスは命じた。
その命に慎重に答えると、疲労など全く感じさせないテュークロッスの横顔を見て続けた。
「前回と同様にカーヒルが上手くやったようです。おかげで野良犬はよく動いています」
「ふふ、また道化師か。始末の手際といい、かの者は誠に器用だな」
「“Kの陰渡り”とはよく言ったものです」
仏頂面で言うジェラルディンに対し、凛々しい眉を開いてテュークロッスが心底愉快そうな声で言う。
「褒美に何かまた道化師が望むものを与えてやろう、伝えよ」
「承知しました」
テュークロッスは小さく礼をする側近を横目に、『また装飾品の部類であろう』と笑った。
それに対してジェラルディンも小さく笑うと、二人の前方から二人の騎士が歩いてきた。
格好を見てすぐに、ガードの交代の者であるのが分かる。
彼らはテュークロッスに気が付くとすぐに道の脇に身を引き、サンドリア形式の敬礼をして見せた。
テュークロッスはにこやかな中に凛々しさのある顔で頷いて彼らの前を通る。
その時側近のジェラルディンは決して友好的な態度は見せなかった。
その主従のバランスがまた、良い具合に人々の視野を演出する。



「そのまま野良犬にはしばし仮初の自由を味わわせてやれ」

淡々とした口調でそう述べると、テュークロッスは声を出して笑ってから言った。


「さて……掻き集めたガラクタを奪われた野良犬はどのように鳴くのだろうな」



   *   *   *



「変態は何処にいる!?」

内開きの酒場のドアを大きく跳ね開けてダンは声を張った。
店を出ようと扉の傍まで来ていたガルカが仰天して上体を仰け反らせている。
ダンは謝罪を述べることもせずに、彼の横を大股で通り抜けると店内をぐるりと見渡した。
夜ほど賑わってはいないが店の中には疎らに客の姿があり、何事かと顔を上げている客達を一人一人見ていると奥の方のテーブルから声が飛んできた。
「おぅおぅ、夜明けからトチ狂ったこと言ってんじゃねーや」
はたと目を止めると、大体いつも一緒にいる三人組の内の二人がテーブルについて呑んでいた。
スキンヘッドで顎先に若干髭を残したヒュームの侍アズマと、ぼーっとして身動きしないガルカ。
グラスを掴んで据わった目をしているアズマの様子から、もうすぐ明けようというこの夜をどうやら彼は飲み明かそうとしている様子。
同席しているガルカは酒を飲んでいないようであったが半眼になった目を見ると、もしかしたら座った状態で寝ているのかもしれない。
ダンは周りにいる客達を見ながら奥へと進みアズマらがいるテーブルに迫った。
「………おい、チビはどうした」
いつも三人セットになっている彼らの一人がいないことを真っ先に指摘した。
先日の件もあるので三人の中では一番あのタルタルに会いたかったが、今日に限って少年の姿が無い。
アズマを鋭く見下ろしてから横にいるガルカにも目で回答を求めるが、恥ずかしげもなく初期装備を身につけているガルカは全く動かないので本当に寝ているかもしれない。
「あぁん?チビかぁ?あいつぁ実家に帰るとか何とかで今日はいねぇーーーよ。なぁゴンベよぉ?」
舌足らずな口調で言いながらアズマが手に持ったグラスでガルカの頭をごちりと小突く。
このガルカはゴンベという名らしい、ようやく今日初めて知った。
「………む」
「おぉい木偶のヴぉー」
微かにうめいたガルカに寄りかかって絡み始める酔っ払いアズマに苛立ち、ダンは掻き分けるようにして強引に二人の間へと体を割り込ませた。
「いよいよ使えねぇ野郎だなお前らはッ。じゃあトミーを見なかったか?変態でもいい!」
「オメェはよぉ~ローディさんのこと変態呼ばわりしやぁってよ~。俺ぁそれどころじゃにーんだぁバーロー弔い酒の邪魔すんじゃねぇやー!」
一体何があったのかは知らないが、とにかくこの二人は頼りになりそうにない。
ダンは歯噛みしつつそう判断して再び店内に視線を巡らせる。

――――――――とテーブルに沈んで何かをぶつぶつと言っているアズマの横で、ガルカのゴンベが非常にゆっくりと瞬きをしてからぱっと開眼し背筋を伸ばした。
何かを思い出したのではと、余所に行こうとしていたダンははたと彼を凝視する。






「……………………知らん」
たっぷり時間を費やしやっとの思いで吐き出された言葉は、期待通りの役立たずなもので。
『遅い上に“知らん”かよ』と吐き捨てるようにダンは突っ込むと彼らのテーブルを離れた。
そしてもう一度店内をじっと見回し、ローディの仲間らしき人間はいないか捜す。
捜すと言ってもローディの仲間で顔見知りの者などいない、遭遇してもいちいち顔など覚えていない。
しかし今は捜してみるしかないのだ、悠長にあの変態が現れるのを待ってはいられない。
―――――いつもはウザイ程付き纏いやがるくせに。
「チッ……こういう時に限って…!」
思わず焦燥を言葉にして吐き出したダンは、後ろで『おーいサンドリアの色男はどうしたんでぇ』とか何とかこちらにも絡んできているアズマを完全放置して店内を歩く。
ちなみに酔っ払いが言っているのはパリスのことなのだろうが……。


「総帥はいない」

―――――――と、そんな呟きが微かにダンの耳に届いた。
歩く足をぴたりと止めて付近を見回すと、カウンター席にいる一人のヒュームが目に留まった。
カウンターの上に置いた分厚い本に視線を落としているメガネをかけたそのヒュームは、見るからにダンよりも若い少年であった。
まだ酒も飲めなさそうな年の彼が何故酒場などにいるのか。
一つ席を空けてエルヴァーンの男が酔いつぶれて突っ伏しているが、あれが保護者だろうか?
どこか不自然さのある少年を訝しげに見ながらゆっくりと近付くと、ダンはカウンターに腕を置き、一向にこちらを見ようとしない少年の顔を覗き込んだ。
「………今言ったのはお前か…?」
「こっちだ」
じっと本から視線を離さない少年の反対側から声が聞こえ、ぎょっとしてダンは振り向く。
カウンターに突っ伏したエルヴァーンがむくりと顔を上げてダンを見つめていた。
ダンは自分がローディ達の奇妙キテレツなノリに当てられているのを自覚してげんなりする。
そうだよな、普通に考えればこっちだよな。
ローディ絡みだとついつい普通ではない方を選んでしまう、何だか嫌な気分である。
「あいつは今何処にいる?」
始めに話し掛けたこっちの少年は何なのだろうかと思いつつも、ダンは丁度空いていた少年と男の間の席に座って尋ねた。
ぼさぼさ頭でご機嫌なモミアゲをしたそのエルヴァーンの男は、突っ伏していたせいでついた間抜けな痕を頬に残した顔で真剣に答える。
「あの方は今お忙しい」
「至急連絡が取りたい」
「それはできん」
淡々と言葉を返してくる男に対しダンは何故だと尋ねる。
すると男は溜め息をつきながら傍にあったグラスを掴むと、入っていた透明な液体を一気に飲み干した。
そして音を立ててグラスをカウンターに置いて体ごとダンに向き直る。
「今我々はビッグイベントの最中だ、邪魔をしないでもらおうか。総帥にはこちらに集中していただかねば困るのだよ」
それに男は『総帥はお前と遊んでいる暇はない』と付け加え、どかりとふて腐れたように頬杖をついた。
付け加えられたその言葉にダンは言葉を失い、まじまじと男の顔を見つめる。
それから一拍置いて激しく苛立ちがこみ上げてきた。
こっちだってできることならあの変態とは関わりたくない。
手を貸して欲しいと言おうものなら引き換えに何を要求されるか分かったものではない。
しかし、今は一刻を争う緊急の事態だ。
「俺だって女が待ってる家が欲しいってんだてやんでぇバロチクショー!!」
店の奥でアズマが喚いているのが聞こえる。

――――――俺もお前らと遊んでる暇はねぇんだよ!

ダンはすっくと立ち上がるとエルヴァーンの男の胸倉を掴んだ。
「こっちも切羽詰ってんだ……。俺から出向く、何処へなりとも行ってやる、場所を教えろ」
意外と小柄であるそのエルヴァーンをじっと見下ろして真剣に訴える。
掴み上げられて椅子から半立ちになったエルヴァーンの男は、しばしダンを見上げて目を瞬かせた。



「………今あの方の所に行ったら、流れ弾で死ぬかもしれんぞ」
「死ぬかどうかは俺次第だ、お前が気にすることじゃねぇ」



「教えないと言ったら、力ずくでも言わせるか?」
「あらゆる手を尽くして拷問する」





しばしじっと見つめ合った後、男は小さな溜め息をついた。



「………お前の………総帥に寄せる想いの強さはよく分かった」
「いやそんなもん勝手に分かるんじゃねぇよ気色悪い」
ダンは真剣な顔でそんなことを言ってくる男に対し最高に嫌そうな顔をして見せた。
しかし男は『照れるな』と首を左右に振って、掴んでいるダンの手をやんわりと放させる。
「ふむ……しかし生憎、俺はただの留守番要員でな。ぶっちゃけ総帥の詳しい所在は知らんの…露骨に『使えねぇ』という顔をするなD」
じっとダンの顔を見つめて眉を寄せる男。
「足が付かねぇように下っ端には情報を流さないってわけか…。何してんだお前らホントに」
「ぬぅ、俺達は立派な仕事をしているんじゃない!!遊んでいるんだ!!!!!」
「遊んでんのかよ」
「だが下っ端呼ばわりされただけに終わるのは癪だからな、一つだけ教えてやる」
ぴんと伸ばした人差し指をダンの胸元に突きつけ、そう言うと男は真顔のまま口を引き結んだ。
「詳細は知らんが………総帥は今エルシモ地方にいらっしゃる、恐らくな」
にやりと不敵な笑みを唇に浮かべる男の口は、言葉を発するも全く開かなかった。
ダンはじっと男を凝視したまま口の中でその地名を復唱すると、すぐにカウンター席から離れる。
「………恩に着る」
そして小さく礼を述べると踵を返し、駆け足一歩手前の大股でずんずんと店のドアへと向かった。
店に入ってきた時と同じように勢いよくドアを跳ね退けて出て行くダンを黙って見送った男は、小さな溜め息をついてゆっくりとカウンター席に再び腰掛ける。
それからぼさぼさの髪を掻きあげて一気にオールバックになると、鼻で笑って舌を出した。
「ふふはっ………おいウェイター、もう一杯くれ」
そのカウンター越しに追加注文を口にする男の声はとても皮肉れていた。



<To be continued>

あとがき

申し訳ないですがパリスはちゃっかり生きてました。
男の子だもんちょっとは頑張らないとね。
今回一番書いてて楽しかったのは、ダンの八つ当たり思考部分。
以前似たようなことでキレてたのがいましたが…お気付きでしょうか?
恩師親子がいなくなった時に血相変えて探し回った、某人攫いと同じこと考えて苛立ってます、ダンテス。笑
今回のタイトルもそれに掛けてあるわけですが……って、ワォ!村長がこの場で解説らしい解説するの珍しいよね!!(←黙れ)