再会

第三章 第十二話
2006/07/17公開



約束の時間に三十分遅れてノルヴェルトが姿を現した時、ダンは苦笑して『だろうな』と言った。
ノルヴェルトは、多少戸惑いはしたものの、やはりトミーと会う決意を固めた。
約束の時間に出て行かなかったのは、相手が何か仕組んでいないか探るため。
寧ろノルヴェルトにしてみれば、三十分程度で出て行ったのは浅はかだと言いたいくらいだ。
最後まで、どんなことがあっても油断してはいけないと、心の中で何度も自分に言い聞かせた。
しかし頭では分かっていても、心が穏やかでいられるはずもなく…。

待ち合わせた競売所前から移動する前に、ダンがまずノルヴェルトに対して断った。

ノルヴェルトを害するつもりはない。
しかし自分達が武装しているのは妥協するようにと。

そこは妥協するしかないと反発は見せずに大人しく肯定した。
だがノルヴェルトはその返しで『自分も武装を解く気は無い』と宣言する。
睨み付けながらのその発言にダンは小さく苦笑して承知の意を表した。
そのやり取りの末、ダンは急ぐわけでもなくゆっくりとした歩調で歩き始めた。

やはりもう夜も遅い。競売所前はそれなりに賑わいを持っていたが、通りから離れていくにつれて徐々にその賑わいは薄れていった。
休む者達は各自のハウスに落ち着き、冒険に出る者達は町の外に出て行くからだ。
どちらにするか大体大きく別れるこの時間帯の道を、ノルヴェルトはダンの背中から若干の距離を保ったまま歩く。
ダンはダンでノルヴェルトを気にかける様子は全く無く、『こっちだ』などと案内らしい案内もせずにただ黙ってすたすたと歩いていた。
それは敵でも味方でもない、あくまでも『他人』というスタンスを守るというダンの無言の意思表示。

冒険者の居住区に入ると、点々と並んだ明かりがぼんやりと通路を照らしている。
周りが静かになった中で、武装した二人の足音がやたらと大きく響いているような気がした。
二人はお互いに何も口にはしなかった。
そんな調子のまま通路を曲がったり階段を上ったり下りたりを繰り返す。
何処も似たような通路、似たような扉。

「正直な話、無駄に回り道してる」

ノルヴェルトがその事に勘付き始めた頃、ダンがそれを察したように苦笑した声で言った。
『念のためだ、悪いな』と続けるダンの背中を凝視して、ノルヴェルトは無言。
彼は念願の捜し人との再会を前にしているというのに、今目の前にいる男について考えていた。

この、呆れるほど正直で堂々とした青年の態度は、ノルヴェルトの心に不思議な現象を及ぼしている。
自分の中で疑え嫌えと警告の声を張り上げ続けているというのに、彼のオープンな態度が妙に信頼感をもたらした。
その与えられる不可解な感覚によって、少しでも気を抜けば自分から歩み寄ってしまいそうな危うさを感じる。

このダンという青年、とんでもなく駆け引きが上手いのか、素でこういう人柄なのか。
ノルヴェルトは知らずの内に彼と会話をしたがっている自分の口を懸命につぐんで歩いた。


「………さてと」

一度も振り返ることなく歩いていたダンがはたと足を止めた。
ノルヴェルトはすぐに反応すると、黙考していた思考を振り払って緊張を高める。
ゆっくりと振り返るダンを厳しい眼差しで見つめると、彼はしれっとして言った。
「いい加減そろそろ目的の部屋に向かおうと思うんだが……。その前に確認しておきたいこととかあるか?」
目を見張るノルヴェルトに対して『許容範囲で対応する』とダンは口の端を吊り上げた。
一呼吸置いてから、待っていたとばかりにノルヴェルトの喉の奥から何かがこみ上げる。
その自分の様子に仰天したノルヴェルトはぐっと唇を噛んでそれを塞き止める。
数秒間じっとダンの目を睨んでから、慎重に口を開いた。
「…………あのエルヴァーンはどうした」
問いたいことはたくさんあったが、考えた結果これを最優先とした。
その質問を受けてダンは眉を開くと苦笑する。
「あー……あいつな、生きちゃいるが今日はいない。あんたがまた毛嫌いして暴れたら面倒だしな」
「あの男を野放しにしておくな。危険だと言ったはずだ」
ぎっと噛み締めるように言うノルヴェルトに対し、ダンも若干表情を険しくする。
「俺もあんたにはっきり言ったはずだぜ。あんまり俺を煽るなよ」
怒鳴り声ではないが怒りのこもった語気の強い声で言う。
お互いに強い眼差しで見つめ合うが、ダンの方がすぐに横へと視線を外した。
ここで険悪になってもしょうがない……と深い溜め息をついて頭を掻く。
「なぁ、一つ聞いていいか。どうしてそんなにエルヴァーンを嫌うんだ?」
肩をすくめて、今度はダンの方が尋ねた。

ダンはパリスと別れた後、領事館にノルヴェルトのことを調べに行った。
当然、まず最初にサンドリアの領事館に行ってみたのだが、サンドリア領事館は殺人の件を報告しに行った時とまた少し状況が変わっていた。
あの時は何だか奥が騒がしくて落ち着かない空気であったが、今日行ってみると今度は静まり返って厳かな空気に満ちていた。
受付の者が微妙に声を抑えていたように感じたので、もしかすると何者かが来客中だったのかもしれない。
資料を閲覧させてはくれたが、受付の者からこちらに早くお引取りを願う気配をひしひしと感じた。
考えてみれば、やはりあの時中が慌しかったのは、来客を向かえる準備だったのかとも考えた。
まぁ何であれダンにとってはどうでも良いことだったので、そんな空気をものともせずにじっくりと資料を探った。

あっちはこれどころではないのだろうが、こっちもそれどころではない。

こんな面倒なことによくここまで動くものだ―――と、サンドリア領事館で資料に目を通し始めた頃にダンはふと思った。
こんな、協力的な空気など皆無な場所に何度も足を運び、眉間にしわを寄せて資料を目でなぞっている。
以前の自分では考えられないことだとしみじみ感じた。
やはりあのノッポの友人が言っていた通りなのだろうか。
などということを頭の片隅で考えるが、すぐに振り払って情報収集に集中した。
しかし、慎重に捜してみたのだが資料の中にノルヴェルトという者は存在しなかった。
そしてそれは他国の領事館の資料を見ても同じことであった。
そもそも半日で資料を探ってみようということ自体が無謀であったといえよう。
サンドリアの資料に目を通すだけで、許される時間の7割以上を消費してしまった。
ここ数日の疲労の蓄積も祟り、イマイチの情報収集に終わってしまった。

パリスの方も、特に有力な情報は得られない結果に終わったそうだ。
戻りが遅かったのでどうしたのかと思ったが、彼は彼で限られた時間一杯駆け回ってくれたようだった。

「わざわざ言うことでもないが、俺はあんたのことがさっぱり分からねぇ」

正直に今の気持ちを述べた。
調べたと言っても本当に限られた短い時間だけであったが、代表的な情報収集場所は当たってみた。
それなのに名前は見当たらず、情報的に掠りもしない。
見たところどう考えても小物とは思えないこのノルヴェルトという男。
全くこの世に痕跡を残していない風に思える彼は一体何者なのだろうか。

「……………貴様に………私のことなぞ分かるはずがない……」

嘲笑、というにしては何処となく悲しげな顔でノルヴェルトが答える。

「で、あいつには分かるってのか」

今の言葉に対して鋭くダンが尋ねた。

じっとノルヴェルトの回答を待つダンの目は色々なことを語っており、それを見て取ったノルヴェルトは何とも表現しにくい、様々な感情が混じった顔をして視線を落とすのだった。
頑なに心を閉ざしたままの彼に対し、お手上げだというようにダンは溜め息をついた。
そして、彼は何か訳有りでトミーに近付こうとしているのだと、今のノルヴェルトの表情を見て賭けてみる決心がついた。
「別れ際に俺が言った言葉、覚えてるな?」
唐突にそう確認するダンにふと視線を上げると、ノルヴェルトは小さく頷いて肯定の意を示した。
それを見てダンも一度深く頷いてみせると、すっとノルヴェルトの後方を指差した。

「そこだ」

ダンが指差したのは、今二人が通り過ぎた後方二つ目のレンタルハウスのドアだった。



   *   *   *



部屋に入る時が一番緊張した。
何が起こるか分からない、最も警戒しなければならない瞬間だからだ。

部屋に入って最初に感じたのは緊迫した空気。
しかし今までに幾度となく感じてきた、こちらを狙おうと鋭く研ぎ澄まされた空気ではない。
逆にこちらを寄せ付けまいとするような受身的な空気であった。
中に通され、慎重に数歩歩みを進めたところで案内をしたダンが後ろで言う。
「ドアを閉めるぞ」
そう宣言してから、彼はドアをゆっくりと静かに閉めた。

通された部屋の中には三人の娘達がいた。
ミスラとヒュームとタルタル、種族は三人ともばらばらである。
道着を着た赤髪のミスラと、ローブ姿の魔道士らしきタルタルの二人が緊張した面持ちで身構えている。
その間に、トカゲの皮を加工して作られた鎧を身に着けたヒュームの娘が立っている。

そう、他でもないノルヴェルトのお目当ての相手だ。

ノルヴェルトは彼女の姿を見て、自分が初めて鎧を身に付けた時のことが脳裏を過ぎった。
そして、見れば見るほど恩師達の面影を思わせる彼女に胸が詰まる。
前で繋いだ手を緊張した面持ちでじっと見下ろしたまま硬直している彼女。
髪の色は若干母親と異なるが、髪を結い上げた時の首元がそっくりだと思った。
優しげな目は父親と同じで、その目の中には母親と同じブルーの澄んだ瞳がある。
今彼女が私を見つめたら、不意に昔のように笑って呼びかけてくれるだろうか?
最後の泣き叫ぶ姿しか記憶に焼きついていないが、彼女が笑ったらきっと……。

様々な錯覚が飛び交う中、周りを警戒しつつひたすらに彼女を凝視し続ける。
俯き加減であった彼女の顔がゆっくりと上げられ、そのブルーの瞳がノルヴェルトを真っ直ぐ見据えた。

幻ではない、夢でもない。
今、彼女の瞳に自分の姿が映っている。


「……二人で……話がしたい」

彼女の姿に息を呑んだノルヴェルトの口から、どこか乾いた声が漏れた。
その言葉が発せられた瞬間、リオとロエの肩が警戒するようにぴくりと動く。
「生憎それは無理だ」
すぐさま後ろに控えているダンがはっきりと拒否の答えを返した。
肩越しにノルヴェルトが振り返ると、彼は肩をすくめて『さすがにな』と付け加える。
ノルヴェルト自身も最もな回答だと納得してしまった。
だがやはり、こんな状況で彼女に話などできそうもない。
只でさえどのように話せばいいのか手探りだというのに。
ノルヴェルトが再びトミーへ視線を戻すと、彼女は前で繋いだ自分の手を見下ろして押し黙っていた。


知りたいこと、聞かせてほしいことがたくさんある。

なぜ、あのぬいぐるみの名前が今の貴女の名前なのか。

どうして冒険者の真似事をしている?

両親のことを………私のことを……。



「どうして」

――――不意に、上目遣いにノルヴェルトを見上げるトミーの口から、感情を抑えたような微かに震えた声が漏れた。


「どうしてあんなことを…したんですか」


自分の中で溜め込んできたものが脳内で荒れ狂っているノルヴェルトは、少し遅れて、彼女の眼差しにちくりとするものを感じることに気が付いた。
今まで刃を交えてきた男達を思わせる、自分には馴染み深い視線。

「あの人達が何をしたの」

ノルヴェルトは縋るような思いで慌てて口を開く。

―――――トミーというのは……


「どうして?」


貴女の母が貴女に作ってあげた友達の名前です。


「……事情は分かりませんけど」


私は、偉大な人達と共に戦場を巡ったのです。


「人の命を、奪っていい理由なんかない……っ」


彼らはたくさんの人を救った。


「人一人にはその人だけじゃなくて」


マキューシオは、多くの人を愛してた。


「色んな人の願いが」


この世界を愛してた。


「今頃あの人達の家族は悲しんで!泣いてる!」


私はあの人達にすべてを捧げても良いと。


「そういう人達の気持ちっ……考えられないんですか!?」


多くの仲間を失ったけれど…


「パリスさんが何したって言うの!?」


戦争を生き残った、セトと、貴女方親子が…


「どうして周りを傷付けてまで私に近付くの!?」


傍で笑っていてくれさえすれば私は、他に何も。




「あなたなんか知らない!もう来ないで!私はあなたなんて必要としてない!!」


一際大きく叫んで、トミーは大粒の涙を零しながら奥のキッチンへと走り去る。
「―――おい、トミー!」
感情をぶちまけたトミーをダンが深刻な声で呼ぶが、彼女はそのまま奥へ逃げてしまった。
焦った様子でロエとリオの二人がダンとノルヴェルトを横目に見ながらトミーを追う。
ノルヴェルトは自分の前から走り去るトミーを目で追うこともせず、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
ダンはトミーのもとに行きたい気持ちをぐっと堪えてそのノルヴェルトの後ろ姿に目を見張った。
緊張を高め、何となく腰に下げた剣を意識しつつ彼の背中を観察する。

ダンにとってトミーのあの様子は想定外であった。
怖いと怯え暴れるかもしれないとは思っていたが、まさかあんなに攻撃的になるとは。
ノルヴェルトが逆上したらどうするんだと内心毒付きながら、ダンは背中に冷たい汗が流れるのを感じつつ警戒してノルヴェルトを見つめた。

―――――不意に、ノルヴェルトが動いた。
ゆっくりと踵を返してダンのいる方を振り返ると、彼は歩き出した。
ダンは一瞬最悪の状況を想像するが、ノルヴェルトの表情を見てそんな想像は掻き消えた。

彼は何かに救いを求めるような、何とも言えない顔をしていた。

しっかりとした足取りでダンの横を通り、彼は何か用事を思い出したかのようにドアを開ける。

「お…おい」

ダンが呼びかけるがノルヴェルトは全く反応を示さずに、退出してばたりとドアを閉めた。



   *   *   *



真夜中のジュノ港。
飛空挺乗り場に人気はなく、夜の静けさに包まれた闇に波の音だけがさ迷っている。
通りから脇の石階段を下りて地下に入り、少し歩くと窓口がある。
そこでパスポートを提示して通過するとその先は乗り場になっており、定時に飛空挺がその乗降口へを海水の上を滑ってくるのだ。

ノルヴェルトはそんな真っ暗な飛空挺乗り場の通路の片隅に座り込んでいた。
近くで海を見たいと思ったのだが、いざ傍まで来てみると言いようのない恐怖に襲われ、波の音が届く乗り場までの通路の片隅に黒い外套に身を包んで壁にもたれていた。
そもそもノルヴェルトはパスポートを持っていない。
ここよりも先に進んだとしても、窓口を通過することは結局出来ないのである。

マキューシオに。
スティユに。
会いたくて会いたくて会いたくて。

海に、彼らが―――。
海に行けば彼らに会えるような気がして、ノルヴェルトはやって来たのだ。

聞いて欲しいことがたくさんあって、言いたいことがたくさん、たくさん。

だけれど波の音を耳にしただけで足が竦んでしまい、どうしようもなく。
『来ないで』と、また突き放されて深く傷付くのではと思い。
潮の香りのする真っ暗な通路の隅で、大鎌を抱きかかえるようにして座り込んで。

『来ないで』


『来ないで』


スティユの目が、ソレリの声が、何度も何度も斬り付けてくる。

『来ないで!』


彼女がソレリだと分かった。それはとても喜ばしいことのはずだった。
なのにどうして、こんな風に。
分からないから話せなかったはずであるのに、分かったら尚のこと言えず。
彼女から与えられる衝撃が一層威力を増しただけで。

彼女は望んでいない、私のことを。


「一体………どうすれば良いんですか……」

マキューシオ。
スティユ。
ドルスス。
セト。
ワジジ。
フィルナード。

みんな。

会いたい。


みんなに、会いたい。


なぜ私は一人で、こんなところに……?



――――ノルヴェルトが何度も皆のことを心の中で呼び続けていると。
足音と共に人の気配が、通りから乗り場に向かうこの通路へ下りる階段から感じられた。
暗闇に身を溶かしているノルヴェルトはハッと顔を上げると、階段へ目を見張った。
足音と同じテンポで鳴る微かな金属音から鎧を身に着けている、人数は一人ではない。

「しかし、近年領事館の者達も弛んできたものだな。監査の者は職務怠慢も甚だしい」
「全くです。明朝調査を行い然るべき処置を」
「はは……まぁ良い。貴公には暇を取らせる、たまには家の者に顔を見せよ」
静寂の中じわりと響く男性の声。
そう会話しながら階段を下りて窓口の方へと向かうのは、長身の二人の男。
両者共に武装しており、右側を歩いているものはかなり上等な身なりをしていた。
武装していると言っても、街中に溢れている冒険者達とは少し雰囲気が違う。
「前方だけに備えれば良いなどと考えていると、背後を突かれ……」
唇に笑みを浮かべて話していた右側の男は、言いながらふと通路の片隅に目を留める。
初めノルヴェルトの存在には気が付いていなかったらしく、言葉を途切れさせた彼は笑みを浮かべたままの顔でしばしノルヴェルトを見つめた。
ノルヴェルトも極自然に現れた通行人である彼らに呆然と視線を向けて―――。


目を見開いた。


眉目秀麗な凛々しい顔に掛かる燃えるような赤い髪。
只ならぬオーラを纏った貫禄のある彼が身につけている服にはサンドリア王国の紋章。
長い年月を経て姿は大分変わっていたが、ノルヴェルトには分かった。



―――――テュークロッス!!!!!

ノルヴェルトの凶暴な声が相手の名を叫んだ。
野獣の咆哮の如きその叫びが暗い通路に響く。
抱えていた大鎌を引っ掴んでノルヴェルトはテュークロッス目掛けて猛然と飛び出した!
「―――なっ!?」
連れが即座にテュークロッスの前に出てノルヴェルトに対し身構える。
『貴様……!』と素早く腰に下げた剣を引き抜いたその男は、当時からのテュークロッスの側近であるジェラルディンであった。
「ならん!下がれ!!!」
テュークロッスがジェラルディンに対し一喝すると、なんと彼は自ら剣を抜き連れを押し退けて前に出た!
勢い良く飛び掛ったノルヴェルトの鎌がテュークロッスの剣とぶつかる。
どちらかの刃が砕けても不思議ではない程の耳を劈く金属音が辺りに響いた。
首目掛けて払われた鎌の刃を剣で受けたテュークロッスはすぐさま上へと鎌を弾く。
直ちに鎌を翻すノルヴェルトに合わせて彼もまた剣を繰り出した。
牙を剥いた凶暴なノルヴェルトの鎌とその調子で何合も剣をぶつける。
「構うな、負傷することは許さん!」
部下が加勢したくも入ることができずにたじろいでいるのを視界の端に見、テュークロッスが声を張った。
見ていると本当に、いつどちらかの刃が砕け散ってもおかしくはないと思える。
テュークロッスの剣は王から賜った大変高等なものであるのでその性能の高さはお墨付きだが、ノルヴェルトの操る漆黒の大鎌も大したものである。
長い年月使い続けているというのに全く刃こぼれしない。
まるで、かつてのこの鎌の主である男の、不屈の精神を表しているかのように。

しばし激しく剣を交えると、その状況に苛立ったノルヴェルトが一際大きく鎌を薙ぎ払った。
予想だにしなかった大胆なその行為にテュークロッスが咄嗟に身を引くと、暗闇の中に彼の赤い髪が一つまみ程ぱっと散った。
次こそはと前に出るノルヴェルトに対し身を屈めて素早く剣を翻すテュークロッス。
懐に入れないと判断したノルヴェルトは瞬時に体を捻って剣を避け後ろに飛ぶ。
その際テュークロッスの剣がノルヴェルトの外套を微かに絡め取り、黒いそれがびいっと少し裂けた。


「…久しいな、立派な野良犬になったではないか」

一旦距離を置いて対峙すると、若干息の上がったテュークロッスが笑い声で言った。
髪を振り乱したまま荒々しく呼吸しているノルヴェルトは、じっと彼を睨み据えて再度飛び掛る機会を窺っている。

テュークロッスとノルヴェルトが相見えるのは、それこそ十七余年振りのことだ。
あの日、セトが幼いソレリを守り帰らぬ人となったあの雨の日以来である。

ノルヴェルトとは一回りも年の離れていないテュークロッスは、出会った当時はノルヴェルトと大差ない年若い青年であった。
時が経ち、今こうして対峙している二人は各々立派に成長した姿。

テュークロッスは地位、ノルヴェルトは傷という名の貫禄を背負い。
全く別の道を歩んで今此処に。

「……ふん……あの男は達者でいるか?マキューシオは」
首を傾け顔の前に流れている赤い髪を揺らしつつテュークロッスが尋ねた。
するとノルヴェルトは凄みのある声で『貴様がその名を口にするな』と直ぐに返す。
「あやつらにも久しぶりに会ってみたいものだが………何処にいる?」
「黙れ!!!」
落ち着いた口調で言うものの完全に興奮した眼差しで言葉を並べているテュークロッスに対し、ノルヴェルトは相手の何もかもを寄せ付けまいとするように叫んだ。
知るがいい、私の怒りを。
歯が擦り減るのではと思えるほど歯噛みすると、ノルヴェルトは再びテュークロッスへ飛び掛った。
待っていたと言わんばかりにびゅっと風を切りテュークロッスの剣が瞬時に横に払われる。
地面を滑るように身を低くして剣の軌道をかわすと、鎌の柄をテュークロッスの腹に叩き込んだ。
その威力に上等な鎧に守られたテュークロッスの足が浮く。
顔をしかめて後退する。
逃がすまいとノルヴェルトは鎌の大きな刃を翻すが、テュークロッスは不安定な状態のまま剣でその刃を受止めてぐっと持ち堪えた。
「貴様は……私と共に地獄へ堕ちろ…!!」
鍔迫り合いになった状態で全身から殺意を放っているノルヴェルトが唸った。
テュークロッスは、ノルヴェルトの圧力に対抗しつつ食い縛っている口元に笑みを浮かべた。
何がおかしいと苛立ちノルヴェルトが更に力を込めた。
どうやら力はノルヴェルトの方が上。
徐々に押され気味になるテュークロッスだったが、彼は笑い声を漏らした。
銀髪の隙間から睨みつけてくるノルヴェルトの目を見つめて言った。

「…は……野良犬は愚かだ、自分の宝を上手く隠せていると思い込んでいる」

暗い通路の中でテュークロッスの赤い髪が微かな風にさわりと揺れた。

「良いのか?大事なものは持ち歩いておかねば留守に奪われるぞ?」

それを言う彼の不敵な笑みと言葉の内容がノルヴェルトには解せなかった。
テュークロッスを斬り伏すことだけで頭が満たされている中、片隅でふと考える。

――――それは、どういう意味だ?

一瞬の間を置いて、鋭く細められていたノルヴェルトの目が見開かれる。
テュークロッスは高らかに笑った。
驚愕の表情を浮かべたノルヴェルトが慌てたようにテュークロッスの剣を跳ね除ける。
大きく跳ねて後退し、笑う騎士を見つめて愕然とした。


「――――……レリ…ッ」


血相を変えたノルヴェルトはぽつりと何かを呟くと、外套を翻して乗り場から通りに出る階段へと走る。
すかさずジェラルディンが追おうと踏み出す。
テュークロッスが手でそれを制した。
「無駄だ、間に合わぬ!」
通りへと飛び出していくノルヴェルトの後ろ姿に叫ぶテュークロッス。
ノルヴェルトは牙を剥いてテュークロッスに飛び掛っていた先程とは全く様子を変え、動揺を露にして振り返りもせずにそのまま通りへと飛び出していった。


闇夜の亡霊のようなノルヴェルトが去ったのを見送り、ジェラルディンは剣を片手に握ったまま主を振り返る。
彼はテュークロッスが言った言葉の意味をすぐに理解した。
その表情は勝ち誇っていた。
「団……将軍、既に使者を送っておられたのですか?」
驚きの中に得意なものが混じった顔で問う。
ところが、テュークロッスはノルヴェルトが消えた階段を見据えて厳しい表情をしていた。
そして“野良犬を追え”というリンクパールを通した声。
そのリンクパールは野良犬狩りに携わる数人の側近のみが所持している内々のものだ。
彼の対応にジェラルディンが眉を寄せていると、テュークロッスが大きく息をつく。
「ふん、敵なら奴が自分で見つけるだろう」
勝利を確信したように唇に笑みを浮かべ、乱れた赤い髪をかき上げる。

テュークロッスは地位が上がった事もあり、ノルヴェルトの件には手を焼いていた。
自分自身が内密に行動できる機会はほとんどなく、ほぼ側近の働きに頼るしかない。
又、長い間いくら捜してもノルヴェルトの姿しか捕らえることができず、最も求めている男の消息が掴めぬ状況が続いてやきもきしていた。
野良犬の件を正確に把握しているのは数名だけに留めている。
下手に幅を広めて情報が外部に漏れるようなことはあってはならない。

しかし、その側近達も優秀ではあるものの、やはり瞬時の対応はテュークロッスには及ばない。
歯痒い思いをすることも多く、行き詰まりを感じていたのが正直なところであった。

しかし、今宵。
まさかこんなところでノルヴェルトと再会するとは思っていなかった。
これ以上ないチャンスだ。
だがこんなところで騒ぎを起こしては色々と厄介であるし、ノルヴェルトを斬り捨てるだけでは駄目だ。
野良犬の一味は皆、片付けなくては意味が無い。

そこで即座に知恵を巡らせ、鎌を掛けたのだ。

もしやマキューシオらは、何らかの理由でもうこの世にはいないのではとも考えていた。
しかし先程の自分の煽りを聞いて飛んで帰るようならば、ノルヴェルトにはまだ守るものがあるということ。
テュークロッスにとって、長年の課題に終止符を打つ願ってもないチャンスであった。

「導くが良い、貴様の宝のもとへ」

そう呟くと口の中で笑いながら踵を返す。
ジェラルディンは主の思考に言葉を失いつつも、表情を引き締めてノルヴェルトが去った階段を見つめた。
「貴公は私と共に国に戻れ。何事もなかったかのようにな」
ノルヴェルトを自分が追うべきなのではと判断しかねているジェラルディンに言う。
任を終えて帰国した際にいつも連れている側近がいなくては不審である、と。



   *   *   *



相手が相手である。無理も無いと言えばそれまでのこと。
折角の面会の機会を見事に台無しにしたトミーを叱るわけにもいかず、とりあえずは興奮状態のトミーを引きずって彼女のレンタルハウスに移動した。
あの男を見て、何か心当たりはないのか。
当然そういった話をしたいわけだが、トミーは仲間達からの言葉も全て拒否し『一人にして』と一辺倒。
悲しんでいるのか怒っているのかすら読み取れない彼女の様子に、落ち着くまで待った方が良さそうだと判断して一行は彼女のレンタルハウスから退出した。

そうしてトミーの仲間達四人が引き上げた先は、面会を行ったダンのレンタルハウス。

「あんな状況じゃ相手はまだ完全に未消化だ……きっとまた現れるな」
レンタルハウスのドア付近に立って厳しい目付きをするダン。
「面倒なことになっちゃった、かもねぇ」
言いながら、ベッドに腰掛けて天井を仰ぐパリス。
つい先程この部屋で合流し、面会時の状況を聞いたばかりである。
パリスはトミーが相手に対して取った行動を聞いた際、思わず苦笑を浮かべていた。
彼女がそんな態度を取るとは、パリスもやはり意外でしょうがない。
状況を聞き終わると、『良かったね…無事で』と乾いた声で呟いた。

「ヤバイわよあの男絶対!あの外套とか……色々染み込んでんのよ、すんごく重そうだったじゃない」
部屋の奥の壁に寄りかかってしゃがみ込んでいるリオは、頭を抱えるようにして赤い髪を掬い上げてそんなことをうめいた。
彼女はノルヴェルトの姿に相当圧倒されたようだ。今も視線に全く落ち着きが無い。
あの男を目の当たりにした後では、自分の腰に下げているナックルを見ても今は玩具にしか見えないだろう。
完全に当てられた様子の彼女を横目に、ロエは胸の前できゅっと手を握って押し黙っていた。

「…………このまま……」

不意に、深刻な顔で思考を巡らせていたダンがぼそりと切り出す。
三人は一斉に彼へ視線を集めた。
「このままじゃ後々また面倒なことになるのは目に見えてる。あの時間であっちの用件が解決したとは思えないからな」
ダンは静かな声で淡々と続ける。
「きっと引き返してくるだろう。だからこの部屋はまだ解約しない。もしノルヴェルトが戻ってきた場合、俺が対応する」
そこまで聞いたところで三人がほぼ同時に口を開く。
「三人はあいつを連れて、ジュノを離れてくれ」
何か言いた気な三つの視線を浴びたまま、ダンははっきりと言い切った。
「そうそうそれが良いわよ!!」
三人が同時にダンに対して物申したが、一番声が大きかったのはリオのこの声だった。
パリスとロエは呆気に取られたようにリオへ視線を向ける。
「あんたやっぱり頭良いわね、あたしそれに賛成!もう嫌よこんな危ない状況!いつまでもあいつの手が及ぶここにいる意味が分からないわ!」
うんざりしたような口調でそう言いながらリオは立ち上がった。
そしてダンのいる方、つまりドアへ大きな歩幅でずんずんと歩みを進める。
「っていうかこの部屋にいるのも嫌なのよ。あいつが来たらヤバイじゃない。あたしベティのところにいるから詳しい段取りはあんた達決めて」
ペラペラと一気に言葉を並べてドアを開く。
彼女を肩越しに振り返ったダンが『おい、警戒しろよ』と警告した。
声は落ち着いている。
彼女の随分な物言いに対して特に感情は抱いていないようだ。
その言葉を聞いてどきりと身を固くしたリオだが、『分かってるわよ』と言ってばたりとドアを閉める。
閉められたドアを眺めて腕組みをすると、ダンは軽い溜め息を一つついた。

その、全てに納得しているようなダンの様子を見て、残った二人が出遅れつつも声を上げる。
「ちょっと待ってよダン~!」
「危険です!」
「やめよう、もうやめようよ!」
パリスは引きつった笑みを浮かべて頭を掻きながらベッドから腰を上げた。
「僕らだけで何とかできる相手じゃないよ、要請しよう?」
すぐに笑みを濁し、パリスは険しい表情でダンに訴えかけた。
「面会した時のトミーちゃんの様子を間近で見たんでしょ?もういいじゃない、考え過ぎだよ。あの人はただの殺人鬼だよ」
『どうしてそんなにこだわるの』と困り果てたような声でダンを問い詰める。
ダンはそんなパリスの言葉を聞き、足元に視線を落として考えている顔をした。
その様子にどんな答えが返ってくるのかとパリスが眉を寄せるが、彼の返答は案外すぐに返ってきた。

「……見たからこそ、知りたいんだよ」

少し投げやりな響きの、言い難そうな口調でダンは答えた。

トミーがあんなに感情的な言葉を人にぶつけるとは。
それが、あの光景が、ダンには引っかかっていた。
恐らくこれはダンだからこそ感じている疑問なのだろう。
トミーが正直にものを言えて、甘えることができて、感情をぶつけることができる唯一の存在であった彼だからこそ。
あの様子は相手が犯したことがことだったので……とも思うが、ダンにとっては不思議で。
やはりそこに何かがあるのではないかと、考えてしまう。
「俺は……俺が……あのノルヴェルトと、もう一度話がしたいんだ」 揺るがない決意を感じるダンの声。
「だから悪い、俺は残る。みんなは早くジュノを出てくれ」

「ダンさんが残るなら私も残ります」

その時不意に、震えた声でロエが進言した。
えっという顔でダンとパリスが彼女に視線を落とす。
ダンはすぐに首を横に振った。
「いや……危険ですから、ロエさんはあいつと」
「邪魔ですか?私、足手まといですか?」
「いえ…」
「もうやめて下さい!」
戸惑った様子でダンが言葉を返していると、ロエが悲鳴じみた声でいきなり叫んだ。
驚いたパリスは思わず肩を窄め、ダンは言葉を失って呆然と彼女を見つめる。
ロエはダンに駆け寄ると上気した顔で彼を見上げた。
「最近のダンさんは危険を冒し過ぎです。どうして残るなんて?嫌ですそんなのっ。どうしてそんなに危険なことばかり…」
一生懸命に言うロエの声はみるみる内に涙声になっていく。
心底辛そうな表情を浮かべたロエの瞳には涙が滲んでおり、ダンは思い切り眉をしかめた。
「…………ぇっ……あぁ~…」
そこでふと変な声が聞こえて視線を上げる。
パリスがロエを見つめ、何かに納得したような顔をしてそわそわと腕を擦っていた。
「おい、何処へ行く」
そのまま何となく視線を泳がせてふらりとドアに向かう彼にダンは声を刺す。
パリスはあくまでも視線を泳がせたまま、『ん~?ん~』と曖昧な返事をしてドアノブを掴んだ。
「僕ぁちょっと、そのへん偵察してくるよ」
苦笑を浮かべているものの、思考を巡らせているような目をしてパリスは退室する。
あまりにも不自然な彼の様子にダンは一抹の不安を感じたが……。

「トミーさんを守りたいのなら、残るなんて言わないで一緒にジュノを出たらいいじゃないですかっ」

ダンは今、目の前にいる人物への対応を迫られている。
それどころではなかった。

「ですから、それじゃあ何の解決にも」
「解決なんて…っ。それなら、どうして私も残っちゃいけないんですか?」

ロエは何に対して怒っているのだろうか。
どうしてこんなに食い下がる?
怒っているなら何故泣くのか。
そもそも何が気に食わないのか。
ダンには訳が分からない。

又、今はこんな議論をしている場合ではないという思いから徐々に苛立ってきた。
「………最近のロエさんは変だ……」
搾り出したような声でぼそりと呟くと、ロエが酷く衝撃を受けたように息を呑んだ。
さっと一気に彼女の顔に恐怖の念が広がったのをダンは見て取る。
だが、彼女が何に恐怖しているのか分からない。
彼女の考えていることが。

そこでふと、トミーから聞いた話を思い出す。
溜め息交じりに言った。
「俺はロエさんを毛嫌いしてるつもりはなかった。言わせてもらえば、ロエさんがそんな風に思うのは……ロエさんの方が俺を」
「ち、違います!違うんです!」
「何が違うんですか」
「違うんですダンさん!!」
首を横に振って思わずダンの鎧へ手を掛けるロエは必死だった。

ダンの声がどこか冷たい。
見下ろす眼差しも疲れていて。

彼から与えられる情報がどれもこれも悪い方向に向かっていることにロエは震えた。
「……怖いんです……私………ダンさんにもしものことがあったらって…」
ぽたりと涙を床に零しながらロエが見上げたのは、腰に当てられているダンの手。
下ろしてくれれば掴めるのに。
「心配で心配で、私……お願いですから傍にいさせてください。傍にいたいんです…」
届かない手からダンの顔へと視線を戻す。
彼は未だに困惑した顔をしていた。
それがとても悲しくて、ロエは震えを抑えるようにダンに必死にしがみ付く。

「ダンさんはトミーさんのことで頭がいっぱいかもしれませんけど」
『私は』と、ロエが続けたところで、リンクパールを通して二人の耳に声が届いた。


“ちょっ来てマズイ―――”



その非常に緊迫したパリスの声に続きはなく、そのまま途切れた。



   *   *   *



真夜中のジュノの通りを駆け抜け、飛び込んだ冒険者居住区。
国が冒険者達に提供しているレンタルハウスが並ぶ、巨大な団地のような場所である。
点々と通路の壁に下がっているランプがぼんやりと明かりを揺らし、出歩いている者はこの時間ほとんどいない。
当然だ、冒険に出ない冒険者は就寝している時間である。

ノルヴェルトは先程自分が案内された部屋が何処なのか全く分からなかった。
何処も似たような通路。同じ仕様のドア。何千とある部屋の数。
焦燥感に身を焦がしながら、息を弾ませて薄暗い通路を駆けた。
案内をした青年、ダンにしてやられたと歯噛みしながら左右の通路を見比べる。

あの中の誰かがテュークロッスの刺客だったのか。
それとも全員が?
急がなければまた失う。急がなければ。

階を上って新たなレンタルハウスの並ぶ通路に出ると、人気の無いその通路の遥か前方に動く人影を捕らえた。
目を見張り、ぼんやりと薄暗い中その人影に目を凝らす。
赤髪のミスラだ。道着を着ている。
彼女は先程面会の場にいたあのミスラであると気付いた時、通路を歩いていた彼女は足を止め、目の前のレンタルハウスのドアを開けた。
ノックもしなかったので、あそこは彼女の部屋なのではないか。
なんていう疑問を抱く余裕すら無く、ノルヴェルトは無心でそのレンタルハウスへと向かった。
寧ろあのミスラが刺客だという可能性だって―――


ノルヴェルトは、どばんと乱暴にドアを開け放って中に飛び込んだ。
鍵がかかっているかもしれぬとも考えなかった。ドアノブを捻って突っぱねるように。
押し入ると目に飛び込んできたのは、入室を確認したあの赤髪のミスラと―――捜し人。
ベッド脇にしゃがみ込んでいるトミーの腕をリオが掴み上げている図であった。
抵抗しているトミーをリオが無理矢理引っ張り起こそうとしている瞬間。
状況の真相は、早くジュノを出る支度をするようにとリオが急かしているところだった。
いつまでもメソメソと塞ぎこんでいるトミーにイラついたリオが、いつものように少々乱暴な行動に出た丁度その瞬間だったわけだが。
しかしその茶飯事な光景は、ノルヴェルトを誤解させるには充分であった。

否、誤解だろうと何だろうと、今のノルヴェルトには関係なかったかもしれない。

突然現れたノルヴェルトに仰天し言葉を失って硬直する二人を余所に、ノルヴェルトは肩で息を付きつつも勢い良く飛び出した。
重々しい足音を立て大股で二人に迫ると、外套の中から突き出した手でリオの首を掴み上げた。
「―――――やめてぇ!!」
がっちりとリオの細い首を掴んで彼女の体を持ち上げるエルヴァーンにトミーが叫んだ。
突然のことに目を白黒させているリオ。
首を掴むノルヴェルトの手を掴んでじたばたしている。
完全に呼吸を封じられて涙目になり、開いた口からは声になっていない唸りが漏れた。
「いやぁ!!やめて放して!!!!」
血相を変えたトミーが必死に叫びながらノルヴェルトの腕に飛びつく。
凶暴な目付きで掴み上げたリオを睨んでいるノルヴェルトを見上げ、『放せぇ!』と叫びながら彼の肩をぼかりと殴った。
するとノルヴェルトはぴくりと眉を動かす。
振りかぶって、掴んだリオを床に叩き付けた。
どかっと受身も取れず思い切り床に叩き付けられたリオの口から掠れた悲鳴が吐き出される。
「リオさ…っ!」
その様子にトミーが叫んですぐに彼女のもとに屈もうとする。
しかしノルヴェルトが彼女の細い腕をがしりと掴んでそれを引き止めた。
「放して!!!」
自分の腕を掴む手を引き剥がそうとしながらトミーはリオの方へと身を引く。
ノルヴェルトはそんな彼女の抵抗を物ともせずにぐいと引寄せた。
「ここは危険だ!すぐにここを離れなければ……!!」
こちらも必死のノルヴェルトは、トミーの目を見て真剣に言う。
トミーは彼の顔を見ようとはせずに、掴んでいる手と背後のリオを見比べている。
床の上で激痛にのた打ちつつリオは激しく咳き込んでいた。
そんなリオを見てトミーは泣きそうな顔になりながらもノルヴェルトに抵抗を続ける。
今の数秒でリオの力量が分かったノルヴェルトは彼女を殺すまでもないと判断した。
とにかくここを離れるのが先決だ。

掴んだ自分の手をもぎ取ろうとしているトミーの手首を、もう片方の手で掴んで懸命に言う。
「お願いだ、言うことを聞いてくれ!!…ソレリッ!」
「やぁ!放してぇ!ダン…ッ…ダンーーーーーーー!!!」


ダン。
知っている、あの青年だ。
何故その名を呼ぶ?
私の名は――――

そのトミーの叫びを聞いた瞬間に、ノルヴェルトの中で何かが大きくひび割れた。

カッと頭に血が上り、トミーの抵抗を完全に無視して力ずくで彼女の腕を引いた。
「早く!!」
トミーを引きずるようにしてドアへと強引に歩き出すと、悶えていたリオがしゃがれた声で叫ぶ。
「………誰でも…いから……!!」
その直後、半開きのままになっていたドアを跳ね除けて何者かが部屋に飛び込んできた。
ノルヴェルトはドアの方を振り返る。
同時に背の大鎌を手に掴み、飛び込んできた人物を視覚すると、反射的にその黒い刃を翻した。
ドアを跳ね除けて飛び入ってきたのは長身のエルヴァーンの青年、パリスだった。

「―――――――嘘」

パリスはそう呟いて腰の剣に手を伸ばす。
だが、ノルヴェルトがトミーを引っ掴んでいるのを見て一瞬躊躇した。

直後―――彼の正面が胸から腹にかけて斜めにばっさりと裂けた。

装備の布部分が派手に裂けて細かい破片が飛び散り、彼の体が跳ね飛ばされる。
ドアの横の壁に背中から叩きつけられると、一拍置いてばっと血が噴き出した。
ばたばたと床に血を零したパリスは、そのまま脱力して無抵抗に横へ倒れる。
「ぁ…」
その衝撃的な光景を目の当たりにしたトミーが、小さく声を漏らしてがくりと膝を折る。
ショックが強過ぎて気を失ったようだ。
その場に倒れ込むトミーの体を支え、ノルヴェルトは鎌を背に収めるとひしと彼女を抱き締めた。

「貴女は私が護る」

呟いて、黒ずんだ外套の中にトミーを抱きかかえると外へと駆け出していく。
パリスを斬り伏してトミーを攫っていったノルヴェルトを呆然と見送り、リオは思い出したように再び激しく咳き込んだ。
そしてひゅーひゅーと苦しげに息をしながらのろのろと四つん這いになり、床に倒れたまま動かないパリスのもとへ。
パリスの姿を間近で見るのが恐ろしかったが、リオは彼の体に手をかけた。
「…ちょっ……お…!」
床には見る見る内に赤い血溜まりが広がっていく。
パリスのすぐ隣りで床に手を付くとぴちゃりと血がついた。
意識を戻すとか、呼吸の確認だとか、そんなことは混乱した頭には浮かぶはずもなく。
ただ必死に、拍動に合わせて血を沸かせている傷口を両手で押さえつけた。
そして誰もいない室内を見回した後、がちがちと震える口でドアの外に向かって叫んだ。


「誰か!…ねぇ……死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」



<To be continued>

あとがき

第十二話、色々と展開盛りだくさんで馬鹿みたいなボリュームに。(´Д`)
確実に話題性№1は、好い人の受難でしょうか。
ホントごめんて……ノルヴェルトもガチなんだってば…。
あっちこっちで色々な人の気持ちが溢れ出た回でした。