知恵と勇気
2006/05/27公開
「………あぁ~……えーと……」
部屋に入ってすぐの位置に突っ立って、パリスは困惑の声を漏らしながら頬を掻いた。
最初、この何やら緊張した空気に包まれている中で敢えて笑おうかと思ったが、目の前にいる男の雰囲気に圧倒されてパリスは真剣に尋ねる。
「……どうしたのそんな……好きな言葉は『暴力』!みたいな顔して…」
「お前本気で殴られたいか」
パリスがまじまじと見つめている相手、ダンが地を這うような声で言葉を返した。
ダンは鎧を身に着けていない部屋着姿で、濡れた髪を乱暴にタオルで拭いていた。
そんな雨に降られてきた様子のダンの向こう側には、三人の女性が静かにじっとしていた。
鎧を外して軽装になったトミーは、ベッドに腰掛けて俯いている。
その横にロエがちょんと座り、隣りの彼女を心配そうに見つめていた。
いつもは場の空気などものともしないリオも、さすがにこの只事ではない雰囲気に満ちた空間で口を結んでいた。
彼女はベッド脇に引っ張ってきた椅子に行儀悪く腰掛けている。
完璧に出遅れたパリスは、全く状況が掴めない様子で皆を眺めて苦笑した。
「ぇ………え?何?ホントにどうしたの??」
「遅刻野郎も来たことだし、これから今回の件を全部ここで整理する」
「え、コンカイの件?」
「いいから。とりあえず、適当に座れ」
疑問符を浮かべて馬鹿みたいにキョロキョロしているパリスに、ダンは苛立ちの籠った静かな声で言った。
ひそめた声で『ハ~イ』と返事をすると、パリスはそぉっとテーブルに着いて姿勢を正す。
ダン自身は何処かに腰掛ける様子はなく、静まり返った部屋の中をぐるっと見渡して溜め息をついた。
そして、ベッドに座って俯いているトミーの前にゆっくりとした歩調で進む。
身を屈めてトミーと目線を同じ高さにした。
トミーは目の前にダンが来たことに気がついているはず。
だが彼女は、じっと、頑なに視線を落としたままだった。
「トミー………見ろ、俺を」
そう言うと、泣き腫らしたトミーの目が躊躇いがちにダンのことを見上げた。
じっと見つめてくる、若干震えた眼差し。ダンは苦笑。
怒っている、トミーは。
結局、ダンが大急ぎで戻った結果、トミーの目が覚める前に帰ることはできた。
しかし、戻った彼を迎える二人の声で目が覚めたため、ほぼ同時のようなものだった。
あんなに止めたのに、自分が眠っている間にダンは行ったのだ。
それを察したトミーは、『バカ』と叫びながら何度も彼を叩いた。
「これから聞く話は、お前にとって色々とショックだろう。でも、ちゃんと聞けよ」
トミーの目を見つめて『いいな』と念を押すが、彼女は返事をしなかった。
大人を恨む子どものような目で見上げてくるトミー。
だが、そんな彼女にお構いなしで、ダンは確認したと言わんばかりに一度頷くと屈めた身体を起こす。
それから全員の視線を集めたまま、今度はドアへ向かって歩く。
ドアの横の壁に背中を預け、肩にかけていたタオルをばさりと手に取った。
「昨日、パリスがあんなことになったのは獣人のせいじゃない。こいつは人間にやられたんだ」
唐突に、顎でパリスのことを示してダンが言い放った。
テーブルに頬杖をついていたパリスが目を見張って身を起こす。
何を言い出すのだとでも言いた気な顔でダンを凝視し、すぐに女性達へ視線を向ける。
リオはピンと耳を立てて口をパクパクしている。
その向こう側で、息を詰まらせたトミーがロエの小さな手をぎゅっと握っているのが見えた。
「ちょっ……ダンッ」
「やっぱり変だと思ってたのよ!」
いきなり事の真相を暴露したダンに、パリスが慌てて意見しようとすると、それに被さってリオが口を開いた。
「じゃあ何、通り魔!?どう見ても昨日のはヤバかったわよーーだって」
「リリリリリオさん」
「だってあんた死にそうだったじゃない!何かやったわけ?どうして」
「とりあえず、聞けよ」
慌てるパリスを指差して一気に捲くし立てるリオを、ダンが強い口調で制した。
真剣に言葉を打ち消されたリオは一瞬きょとんとする。
しかし、すぐに表情を険しいものにして唸り声を漏らした。
ほとんど状況説明されないまま放置されているのだ。
そろそろ彼女が癇癪を起こしてもおかしくはない。
だが、怒涛の如くリオの口から罵声が溢れ出す前に、ダンが続けて言った。
「お前が巨人の攻撃で吹っ飛んで目ぇ回した後、何者だか分からねぇエルヴァーンの男がパリスを攻撃したんだ」
ダンの視線は、表情を凍り付かせて硬直しているトミーに向けられていた。
トミーは苦しげに呼吸をしながら、今にも泣きそうな目でダンを見つめ返している。
その彼女の眼差しに、ダンはちくちくと胸が痛んだ。
ぐっと堪え、彼女から視線を引き剥がしてパリスに向く。
パリスは心底困った顔でトミーを横目に見つつ、『ひぇ~』などと小声で呟いて両の頬を押さえていた。
「……パリス。おい、パリス」
「い、はい!」
「あの時の話、皆にも聞かせてやってくれ」
「うぃ!?ええぇぇぇちょっと女性には刺激的過ぎるんじゃないかなぁと僕ぁ思うよ?」
女性陣とダンを見比べながら難色を示すパリス。
ダンは何も返さず、ただ黙って腕組みをすると催促するような眼差しでパリスをじっと見つめた。
女性陣は緊張した面持ちでパリスが話し始めるのを待っている。
仲間達の視線に挟まれ、居た堪れなくなったのっぽのエルヴァーンは、非常に言い難そうに変な声を漏らして悶える。
やがて、弱々しく笑いながらダンに手を伸ばした。
「………ねぇダン、僕の隣りに座って?」
「うるせ」
「っさいわねとっとと喋りなさいよ勿体つけてんじゃねぇわよ!!」
言った瞬間に怒声を浴びせられ、『わわわ分ぁかりました!』とパリスは頭を押さえた。
それから少しヤケになった様子で、デルクフの塔であった出来事をしどろもどろに語った。
男が突然現れていきなり好戦的だったこと。
そして、彼がトミーに興味を持っていたことも……。
魔法の効果がなかったら自分は死んでいたということは、もちろん伏せた。
それ以外は、ダンに話したことと同じ内容を伝えた。
「………とぉ…言う感じでしたとさ。チャンチャン」
言い回しは普段通りくだらないが、トーンがやや低くなった声でパリスは話を結んだ。
話している間じっと見つめていたテーブルの上で組んだ手を、パッと解く。
それから、深くて長い溜め息をつく。
もう後戻りはできないという顔で、女性陣に視線を向ける。
パリスは、彼女達の反応をある程度想定していた。
しかし、話し終えても何も言葉が飛んでこないことに目を瞬かせる。
トミーは相変わらず、思い詰めた顔で視線を落としている。
ロエとリオは、一度顔を見合わせた後、二人してダンに視線を向けていた。
……あの視線は本来、自分に向けられるものでは?
パリスは首を傾げる。
パリスは知らないが、彼女達の推測は一足先に進んでいた。
「……それで、じゃあ……本当に?」
ロエが緊張した声でダンに問い掛ける。
その問いの意味が分からないパリスは、首を伸ばしてダンに疑問の表情を向けた。
「そう、そいつが……さっき俺達の目の前で、殺しをやったんだ」
ロエの問いに対してダンははっきりと言葉を返す。
パリスは文字表記できないようなすっとんきょうな声を出し身を乗り出した。
一層緊張を強めるロエとリオ。
今度はダンが状況説明を始めた。
男の殺し現場を目撃した時の話と、その後自分が引き返して男と再度相見えた時の話。
そして、男に対する自分なりの見解をざっと説明した後、男との会話により行き着いた結果で話を結んだ。
いや、結んだというよりは、打ち切りになった。
聞いていた仲間がさすがに黙っていられなくなり、ダンが結果を口にした直後に口を挟んだ。
真っ先に椅子を蹴って立ち上がり、彼に声を投げたのはパリスだった。
「ーーーちょっと待って!待ってよダン!!」
そのパリスの気迫は、同じく物申そうとしたリオが言葉を失う程だった。
ロエもびっくりして思わずトミーに身を寄せる。
「はは……君、正気?いや異常だよ、おかしいでしょそんなの」
苦笑いの中から言葉を絞り出すパリスだか、目は真剣だった。
「君にはちゃんと話したはずだよ?あの人がどんなに危険か!それで、しかも……君は見たんでしょ?その人がまた別の人殺したのをさ!?」
「見た」
「あっはっは『見た』じゃないよ。一体何考えてんの!!!!」
パリスは声を張りながらどんとテーブルを叩いた。
その様子に完全にビビっているリオとロエが怖々と身を縮める。
……不意に、傍らで苦しげな息遣いが聞こえた。
一度に知らされた幾つもの衝撃的事実に頭の中が滅茶苦茶になったのか、トミーが再び泣き出していた。
パリスはぐっと唇を噛み、一旦言葉を塞き止める。
それから、トーンの低い声で言う。
「……僕ぁ反対だ。とてもじゃないけど、賛成なんか出来ない」
ダンに背を向けて女性陣の元に歩く。
「ひゃ〜、怖い顔しちゃってゴメンナサイね~」
珍しく感情を露わにしたパリスを見上げて固まっている二人に苦笑する。
普段の調子を取り戻しつつ、トミーの前に片膝を着いた。
「怖い話、たくさんしちゃってごめんね?トミーちゃん」
優しい声で語り掛けるが、彼女は手の甲で涙を拭き続けるばかり。
「……ん~泣かないで~心配しないで~」
子どもをあやすように言いながら弱々しく笑うパリス。
そっとトミーの頭を撫でた。
すると彼女が、嗚咽の中から必死に言葉を搾り出そうとする。
その様子に気づき、パリスが『ん?』と首を傾げて耳を寄せる。
彼女が何と言葉を繰り返しているのか、辛うじて聞き取れた。
彼女は、『ごめんなさい』と繰り返していた。
懸命に涙を拭った手で、彼女は自分の頭に置かれているパリスの手を取る。
「…それじゃ、ぁパリ……ごぇんなさ…私…っ」
ぎゅっとパリスの手を握ったままトミーは泣いた。
つっかえつっかえの彼女の言葉を聞き、困った笑みを浮かべていたパリスの表情に苦しさが滲む。
何かに耐えるように、押し黙って俯く。
「…………謝らないでよ……」
誰にも聞こえないくらいの声でぼそり零した。
彼女はーー自分の身の危険を恐れているのではない。
パリスを危険に晒したことに恐怖し、震え、泣いている。
それが分かってしまったパリスは、何かを振り払うように、呻き声を漏らしながら立ち上がった。
自虐的な苦笑を浮かべ、テーブルへと踵を返す。
「どうかしてるよ……ダン」
彼には珍しく、本心から人を否定しているような声が唇から漏れた。
パリスが口を閉じたことにより、部屋の中が静寂に包まれる。
ーーー不意に、ダンが静かな声でトミーを呼んだ。
真っ向から反発を受けたばかりだが、彼はとても冷静な様子だった。
髪を拭いたタオルを握った手をだらりと下ろし、ダンは普段通りの口調で言葉を紡ぐ。
「人の事情を勝手に喋るのは、俺の主義に反するんだが………」
「お前、生みの親の記憶は、少しも残ってないのか?」
その発言により、部屋の中の空気が緊張とはまた別のものにがらりと変わった。
「―――えっ、あんた!戦争孤児?!」
真っ先に言葉を発したのはリオだった。
トミーに向き直って遠慮なく尋ねるリオに対し、答えを返したのはダン。
「いや、こいつが親と別れたのは戦後だから、戦争孤児とは少し違うな」
「そう………なんですか……」
「何よ、初耳よそれ!!」
口々に驚きを示す二人とは対照的に、パリスはテーブル脇に立って言葉を失っている。
三人の様子を見て、やはりトミーは自分だけにしかそのことを話していなかったのだとダンは知る。
自分への信頼に対する裏切り行為に良い気分はしない。
だが、仲間達に正しく状況を把握させることが今は最優先だと考えていた。
「話を聞いた時、お前は生みの親に対する気持ちは言わなかったな。『知りたい』とも、『会いたい』とも。……もし、お前が口には出さずとも『会いたい』と強く望んでいて、今回現れたあの男がお前の過去の関係者だったとしたら……。俺が独断で門前払いするわけにもいかねぇだろ」
「関係者で堪るかってのよ!!」
「俺もそっち希望の口だっつーの」
なぜか喧嘩腰のリオの声に対し、ダンもさすがに苛付いた声を返す。
「……ノルヴェルト」
「のり弁当!?」
「お前は黙れ。ノルヴェルトって名前に、聞き覚えはないか?トミー」
リオを淡白にあしらって、トミーに対し神妙な面持ちでダンは問い掛けた。
リオやロエは何となくその名前をぽつりと口の中で復唱する。
トミーは泣くことを忘れ、必死に自分の記憶の中を探っている顔をしていた。
「とりあえず……あっちはお前のことを知ってるみたいだったぞ。まぁ、人違いの可能性は充分にあるけどな」
「顔とか見覚えないの?」
「あー……こいつはあの時相手の顔なんて、ほとんど見てねぇんだ」
「何で見なかったのよ。肝心でしょ!?」
「し、仕方ないですよ……その状況では……」
「………分かんない…よ…」
皆がトミーの答えを待つ静寂の中で、トミーが掠れた声で答えを出した。
頭を抱えて思い詰めたような顔をしている。
「まぁ………親と別れたのが三、四つの頃じゃ覚えてなくて当然だな」
乾き切っていない頭をガシガシと掻いて、ダンは天井を仰ぎ見る。
「ただでさえ今は頭の中が混乱してるだろ。やめておけ」
考え込んでいるトミーに対してダンは溜め息混じりに言った。
だがーーすぐに言葉を続ける。
「まぁ、何だ。そう言っといてアレなんだが……」
「どうする。会ってみるか?」
* * *
幾つか案を上げて考えた結果、場所はダンのレンタルハウスに決まった。
思い切りプライベートな場所でとんでもないことのように思えるが、レンタルハウスなど一度解約してしまえば自分の痕跡はなくなるので逆に良い。
冒険者を支援する方針により冒険者用のレンタルハウスはそれこそ何千、何万と存在するのだ。
割り当てはその都度ランダムなので、同じ部屋に入る可能性は限りなく低い。
というわけで、ダンのレンタルハウスにて対面を行い、終了後場合によってはすぐに解約してジュノを出るという計画でまとまった。
約束の時刻までまだ時間はあるが、トミーは出歩くことは控えてそのままダンの部屋で待機することになった。
すっかり気落ちしてしまった彼女はずっと視線を落としたままだった。
話がまとまった後もパリスに対して執拗に『ごめんなさい』と頭を下げたが、その度にパリスは居心地の悪そうな微妙な顔をして首を横に振った。
「いやぁ………大変なことになっちゃったねぇ…」
レンタルハウスから出ながら苦笑した声で言ってパリスは頭を掻いた。
パリスの後に続いて外に出たダンは『あぁ』と簡単に返しながらドアを閉める。
ドアを閉めるために軽く振り返った際、中の女性三人の視線がじっと自分に向けられていた。
緊張を隠せない彼女達に対して何か言ってやっても良いようなものだが、ダンは何も言わなかった。
好きな狩りの時ですら、こんな長時間全力で頭を回転させ続けることはそうない。
ここまできて、さすがにダンも疲れを隠せなくなっていた。
そして何となく、閉めたドアの前で二人は佇み、沈黙した。
「………君ってさ~……ズルイよね~…」
唐突にそんな言葉を吐いたパリスをダンが横目に見上げると、彼は遠くを見つめて複雑な顔をしていた。
なぜそんなことを言い出すのか尋ねると、パリスは苦笑して『ううん』と首を振る。
そしてぐぐっと腕を上に伸ばしながら若干声の調子を変えて言う。
「ん~~~……ねぇ大丈夫なの?言っておきますけどあの人、ド強いよ?」
トミーとノルヴェルトを会わせること自体を懸念しているのもあるが、その面会の場に男手がダン一人で大丈夫だろうかという心配もある。
そう、パリスは面会の場に居合わせないことになったのである。
「あー……さぁな、何とかなるんじゃねぇの?とにかく、相手はエルヴァーンにあんまり良い思い出がなさそうだからな。お前は外した方が良い」
「そう言ってもらえると正直僕も助かる、って言ったら怒る?」
引きつった苦笑いを浮かべて『だって怖いんだもん本気で』と付け足した。
パリスはまだノルヴェルトに襲撃されて間もない。
恐怖するのは当然である。
しかし、ノルヴェルトの腕を体感したパリスだからこそ、その場にダン一人で大丈夫なのか不安なのだが。
「あの人が暴力モードになったら、リンクパールなんて使ってらんないよ?」
「だろうな、その時は察しろ。そのためにお前を外野に置く意味もあるんだからな」
「あっは♪やっぱり大勢集めて囲んじゃわない?」
「そうしたいのは山々だが……さっきも言ったろ。とりあえずは俺達だけで対処する」
多少引きつってはいるが笑みを浮かべているパリスに対し、ダンは意志の強い声ではっきりと答えた。
ノルヴェルトというあの男を罪人として扱って良いのならばとても簡単である。
軍でも国にでも報告して誘い込んだところを捕獲してもらえばいいのだから。
何ならそこらへんにいる冒険者で囲んでしまっても良い。
パリスが言っているのはこの方法だ。
しかし、この件は些か厄介でそう簡単に対処して良いものでもない。
もしも本当にトミーの関係者だったとしたら。
匿うのはあまり理想的ではないが、償いを促すにしても、とにかく大事にするのはなるべく避けたい。
となると、動員の幅を広げると当然安定する部分はあるが、問題も少なくは無いわけだ。
それに、相手は相当腕が立つ。
こちらがそういった態勢を固めていることに勘付いた場合、事態は簡単に悪い方向へと転がり落ちるだろう。
「…………フー……分ぁかりました」
大きな溜め息をつくと、どこか非常に不本意そうな声で言ってパリスは肩を下ろした。
「僕ぁ考え過ぎだと思うんだけどなぁ~。トミーちゃんの関係者だとかそういうの。……ダンってホントにさぁ……それはナニ?やっぱりトミーちゃんだから??」
「あぁ?」
「ん~まぁいいや」
ぶつくさと言うパリスに疲労感のある声で乱暴に聞き返すダンの声を聞き、パリスはすぐさま手をパタパタと振って話を切り替えた。
「あんまり無茶しないでねぇダン。少し寝ておいた方がいいんじゃない?あとは僕に任せてさ」
疲れの蓄積が見え隠れするダンの顔を覗き込んで小さく笑うと肩を叩く。
労わりの心を表す目を細めて『ね?』と小首を傾げる。
ダンは自分の肩に乗ったままになっているパリスの手をどかし、低い声で『考えておく』と返した。
パリスが言っている『あと』というのは情報収集のことである。
ダンとパリスは、これから男の名前を頼りに情報集めに出ることにした。
ジュノのサンドリア領事館にはダンが、そしてサンドリア本国にはパリスが飛空挺で飛び調べる運びとなった。
もしも指名手配されているのであれば、余罪等多少の情報が期待できる。
「それじゃあ僕行くね。暗くなる前には帰って来ますから」
大きく息を吸って、意を決したようにパリスが胸を張って言った。
ぴしりとサンドリア形式の敬礼をして見せるものの、顔はいつものヘラヘラ笑い。
緊張に強いのか、ただヤケになっているだけなのか。
微妙なところだが、普段とそう変わらない様子のパリスに内心ダンは安心した。
ほっとしたのは事実。
だがそれと同時に、別の何かがゆっくりと心の中で身を起こした。
それを感じながらもダンは『あぁ、頼んだ』とパリスの胸を軽く一度ノックして、『じゃ』と飛空挺乗り場へと向かって歩き出す彼の背中を見送る。
―――だが、予想していたよりも大分早いタイミングでダンの口はパリスを呼び止めた。
ダンは意識よりも先に彼の名を呼んだ口をしばしぽかんと開けたまま、振り返って首を傾げているパリスを見つめる。
「な~に?」
微笑を浮かべているものの真面目な目をしたパリスを凝視し、ダンは少しの間を置いてから言った。
「…………お前……何か隠してることとか……ないよな?」
そう尋ねると一瞬きょとんとしたが、すぐにパリスは顔の微笑を完全な笑みにした。
「ナニ、ナニナニどうしたの。僕のこと何でも知っておきたくなっちゃった?」
そう言いながら数歩戻ってくると、パリスはダンをびしっと指差す。
「それって恋だよ♪」
「黙れ、行け、とっとと失せろ」
ばちりとウインクなんぞしているパリスに対して刺のある言葉で即座に追い払った。
酷いだ何だと言いながらもパリスは声を出して笑う。
『じゃあね』と高く片手を上げ、再び飛空挺乗り場へと歩き去っていった。
ダンはうんざりしたような深い溜め息をつきながら腕を組むと、その友人の背中を最後まで見送る。
「………は……らしくないぜ、まったく」
そう独り言を零すと、さっさと領事館での調べものを済ませて少し仮眠をとるべきか考えた。
あの雨の中、ノルヴェルトは真っ直ぐな目ではっきりと言い切った。
『あの男………笑っていたぞ』
―――考えてみりゃあ、いつはいつもヘラヘラしてやがるんだ。
あのノルヴェルトという男は言っていた。
『奴は彼女を救おうとしなかった』と。
しかしパリスのそのにやけた顔のお陰で、ノルヴェルトが混乱して退散したようなものだ。
結果を考えれば、疑うどころかパリスには知恵と勇気すら感じられる。
何となく自分の後頭部を擦ってみると、いつの間にか髪は完全に乾いていた。
普段とは違って少し落ち着かないその頭をがしがしと引っ掻きながら、ダンは一度自分のレンタルハウスのドアを振り返ると徐に歩き出す。
女性陣だけにしておくのはやはり心配だ。
自分は早く帰ってこようと思っている。
サンドリア領事館のあるル・ルデの庭に向かう階段を上りながらこれからのことを考えた。
せっかく同じ場所に設けてあるのだ、他国の領事館も覗いてみようと思っている。
エルヴァーンだからサンドリア関係の罪人とは限らないからだ。
時間はあるようで大してありはしない。
迅速に行動しなければ……。
軽く拭いただけのまだ微妙に濡れている鎧と、淡々と階段を上る自分の足をじっと見下ろして、ダンはあの後ノルヴェルトという男に言った自分の言葉も思い出していた。
『あー……そうそう最後に、これは承知しといてくれ』
『こうして会話をしてはいるが……俺はあんたが俺の仲間を殺そうとしたことは許してねぇ』
『もしまた似たようなことをしようとしたら、そん時は俺も剣を抜くぜ』
あとがき
えーということで、今回は一軍会議だけで終わっちゃいました。展開マジ遅い……。ほら、気付いたらもう、一軍の明るさなんて影も形もなくなってる。
さすがノルヴェルトの負のパワー。(;´∀`)
今回は色々な意味でパリスがしんどいお話でしたね。
で、そう。ノルがパリスをあんなに疑ってるのは、奴が笑いやがったからでした。(爆笑)←ぇ
さぁさぁこれからどんどんヤバくなります。
頑張れ、ダンテス。