雨中の守護者達

第三章 第十話
2006/05/07公開



「う…っ……うぇ…ひっ…」
「トミーさん…」
「もぉぉ何なのよ!?何があってこんなことになってんのよ!?」
ようやく錯乱状態が収まり、トミーがダンを解放したのはほんの数分前である。
しかしトミーは床に座り込んだまま、すんすんと泣き続けていた。
その横でロエが心配そうな顔をしてハンカチを片手にトミーの背中を擦っている。
涙を拭くようにハンカチを差し出したが、トミーは手で目元を押さえたまま顔を上げない。
ロエとは反対側に立ってトミーを見下ろしていたリオは、状況が掴めないことにイライラしてミスラ族特有の尻尾をトミーの肩に何度もぶつけた。
ぱしぱしと叩くがトミーはやはり反応を示さず、リオのイライラは募る一方だ。

そして、トミーに開放されるとすぐに装備を整え、もう一人の到着を待って部屋の中を歩き回っている男もまた、苛立ちを募らせていた。

“……何してんだパリス、遅ぇぞ!!”
ダンは痺れを切らせてリンクシェルを通し最後の一人に怒鳴る。
ロエとリオの二人は割とすぐに来たのだが、もう一人、ノッポのエルヴァーンがまだ来ない。
至急来てくれと召集をかけてから30分は経過していた。
“んや~ごめん、うっかりジュノから出ちゃったもんだから。すぐ行きます!今行きます!!”
引きつった声で必死に言うパリス。
昨日あんな目に遭ったというのに、何故遠出などしているのだあの男は。
パリスはずいぶんショックを受けた様子だったので、恐ろしい思いをした地から離れたかったのかもしれない。
ーーーだとしても、まずは部屋で安静にしていろと言ったのに!

彼の報告を聞いて歯噛みする。
部屋の隅にいる三人を振り返った。
相変わらずのトミーの横でロエが困惑した顔をこちらに向けている。
数十分前にトミーから聞いた話を思い出すが、今は彼女に対して気まずさを感じている余裕はない。
「これは何なのよ!?説明しなさいよね!」
トミーを示して喚くリオは、道着を着ているもののナックルは所持してこなかったようだ。
ぐーすか寝ていたところを叩き起こされたので機嫌は最高に悪い。
寝起きの微妙に掠れた声で喚く彼女の声を聞き流し、ダンはトミーの前へ歩み寄った。

身を小さく縮めて震えているトミーの姿。
湧き上がる感情に胸が苦しくなる。

駆けつけた二人には、何が起きたのかをまだ説明していなかった。
昨日パリスに対して自分が苛立ったように、二人も状況を説明されないもどかしさにやきもきしているだろう。

それは分かる。
分かるのだがーーー難しい。

『昨日パリスを襲った男が現れた』と言うか?
そんなこと言ってみろ、この泣いている娘がどうなるか。
一旦二人を奥に呼んで簡単に説明しようかとも思ったが、一時でもトミーを一人にするのはまずい気がする。
しかし、二人に何の事情も伝えぬまま、この娘を任せてここを出て行くのは危険だ。
ダンはじっとトミーを見下ろし、焦燥する気持ちを押さえようと一つ溜め息をつく。

そして、状況説明を求める二つの眼差しを受けながら、トミーを見つめたままぼそりと言った。
「……………バタリアで殺しを見た」
トミーの肩がびくりとしたのが分かる。
より鮮明に殺しの光景が頭の中に再生されることになっただろう。
しかしもう、この際しょうがない。
「は?」
「えっ」
リオとロエが同時に目を見開く。
殺しと言っても、獣人やモンスターではなく【殺人】であることくらい予想はできたはず。
ロエはハンカチを胸の前でぎゅっと握って酷く不安げな顔をした。
「………ねぇ……それってもしかして昨日のと関係…」
「パリスを待ってる時間はない。二人はここでこいつを」
思案顔で恐る恐る言うリオの言葉を打ち消すように言って、ダンは立ち上がった。
散々慎重にせねばと考えていたのに、結局最悪の形でトミーに知らせる羽目になってしまった。
泣いているトミーの呼吸が酷く緊張したものに変わったのが分かる。

恐らく考えている。
『昨日の』とは何なのかーーーと。

リオはトミーほど馬鹿ではない。
やはり昨日デルクフで起きた出来事に関して疑問が残っていたようだ。

こうなればもう、全部話すしかない。
でもそれは、今この場でなくてもいいことだ。

リオがこれ以上余計なことを言わないように、ダンは彼女が言葉を言い終える前に指示で遮った。
出された指示にリオは眉を寄せ、ロエは驚いて思わず口を開ける。
「パリスが来たら、ここで待機するように伝えてください」
ロエが声を発する前に、ダンは真っ直ぐにロエを見つめてぴしゃりとそう言った。
口をぱくぱくしているロエがダンに向かって半歩踏み出すが、彼女よりも先に、座り込んで泣いていたトミーがハッと顔を上げ、がばりと立ち上がった。
「ーーーい…やだ!やだぁ!!」

ダンはもう一度あの場所に行く気だ。

勘付いたトミーはダンの腕に必死にしがみ付いた。
「お…おい」
「行っちゃダメ!」
「落ち着」
「いやだよ行かないで!!怖い!やだぁ!!!」
落ち着くように諭そうとするが、こちらの言葉など聞いてはいない。
全力でダンのことを行かせまいとするトミー。
何度も『いやだ』と叫びながら、ダンの腕にしがみ付いたまま座り込み、彼を引きずり下ろした。
バランスを崩して床に片膝をついたダンは、トミーの尋常ではない様子に呆然とする。
それは他の二人も同じ。
殺人現場に引き返すことがどれだけ危険なことか、それは他の二人も分かっている。
しかし、ダンのその危険な行動に驚く以上に、激しく取り乱しているトミーの姿に呆気に取られた。
しがみつくトミーを見下ろし複雑な表情をすると、ダンは何かを催促するようにロエを呼んだ。
「……っ………ロエさん」
「は、はいっ」
ロエは、その声で彼が何を望んでいるのかを察する。
一瞬躊躇ってから、魔法を詠唱した。
対象を眠らせる魔法、スリプルを。
魔法をかけられたトミーは『いやだ、行かないで』という言葉を徐々に小さくし、やがて泣き疲れた子どものようにすぅと眠りに落ちた。
力の抜けたトミーの身体を支えてダンは神妙な顔をする。
片手の篭手を外し、彼女の涙をそっと指で拭いた。
「…ったく………殺されやしねぇよ…」
呟いて、トミーの身体をひょいと抱き上げるとベッドの上に横たえる。
ロエはその様子を辛そうな表情で見つめ、リオは想像以上に深刻な事態なのだと感じてさすがに戸惑っていた。
「鎧外して……楽な格好で寝させてやってくれ。ロエさんじゃ無理だからお前に頼む」
言いながらさっさと篭手を装備し直し、ダンは肩越しにリオを振り返る。
「あ、当たり前じゃない!あんたになんかやらせるわけないでしょ!!」
「いや俺じゃねぇよ」
勘違いしてかわざとか、びしっと指を突きつけてくるリオにダンは面倒臭そうに返す。
腕に備え付けた盾の具合を確認し、ダンは粛々と部屋を出る準備を進めた。
彼の背中にロエが不安げに呼びかけた。
「でも…あの………もし目が覚めた時に、ダンさんがいなかったら……」
「そいつは相当気が参ってる。魔法の効果が切れても、しばらくは起きませんよ」
言いながらドアへと向かい、ノブを掴むと躊躇する様子もなくドアを開け放った。

「――――本当にっ!」

思い切ったようにロエが声を張ってダンに問い掛ける。

「……行くんですか?」

ダンは部屋の外へ出ると、ドアを閉める手をぴたりと止め、振り返った。
視線の先には、不安げに顔をしかめているリオと、『行かないで』と書いてあるロエの顔がダンのことをじっと見つめていた。

「一方的に神出鬼没の奴は、気に食わねぇんだ」

普段のしかめっ面でそんな言葉を放ち、『一時間くらいで戻る』と付け加え、ばたりとドアを閉めた。



   *   *   *



きっと女神は、私で遊んでいるのだ。

世界が平和になった……退屈しのぎに……。



昨日はあの後、日が傾き始めたあの島に言い様のない恐怖を感じ、まるで化け物に追われているかのように島から逃げ出した。

万が一、夜空にあの狂気の光が現れでもしたら。
自分はきっと正気を保っていられない。

クフィム島からジュノの街に駆け戻る中、思考は滅茶苦茶に絡まり、何一つ考えることができない状態だった。
そして逃げ戻っても尚、街に留まることができなかった。
通りを行き交う者達がすべて刺客に見えた。
あの男の手中にいるような感覚に囚われ、島から逃げ出してきたそのままの勢いで街を飛び出した。

やがてーーーようやく足を止めると、バタリアの夜空の下に佇んでいた。
星の明かりが丘陵の地を照らし、風の音すらしない、静寂の夜。
遠い夜空をしばらくじっと見上げた後、重たい足で歩き出す。
何処へ向かおうとしているのか分からぬ、自分の足。
だが、その足は目的地など持っていないということだけは、分かっていた。


無気力に歩を進める己の足音しかしない、夜の闇。


ようやく落ち着いて思考が回り始め、この時になって多くの真実を知った。

あれは、罠であったとは考えにくいということも。


ーーーあの瞬間、すべてはあの男の罠なのではないかと錯覚した。
長い間自分が探してきた少女を思わせるような人物をちらつかせ、あの軍師は上手いこと自分を誘い込んだのではないかと。

そう思った瞬間、凄まじい戦慄と、底なしの悲しみに襲われた。

もしやと期待を寄せたあの娘の姿が途端に恐ろしくなり、自分は逃げ出したのだ。
だが最後まで、彼女はあの少女なのだと思いたいと、心は叫んでいた。
今、冷静に考えてみると、あの場に不自然なことなど存在しなかった。

考えたくはないーーー考えたくはないが。
恐らく、彼女は冒険者なのだろう。

あの若者達は冒険者の仲間で、彼女は彼らと共に、極自然に過ごしていたのかもしれない。
冒険という時間を。

妥協に妥協を重ね、事実としてそこまで受け入れることはできた。
今はそういう時代なのだから、おかしくはない。
彼女くらいの年頃の冒険者などたくさんいるのだから。

冷静に物事を考えられるようになると、逆に、自分が何故あのような接近の仕方をしたのか分からなくなる。

至って普通に、近付けば良かったではないか。
『貴女は生き別れた家族に似ている』と。
何も難しいことはない。
正直に、話せば良いことなのだから。

突然あの少女と思わしき娘と遭遇したことで、気が動転してしまい、致し方なかったことかもしれない。
しかし今は、あのような形で彼女に近付こうとした自分の行動が悔やまれてならない。

そもそも何故、あのような事態を招いたのか。

それは他でもない、過去に自分が受けた傷の、後遺症が原因だった。

エルヴァーン族への憎悪だ。

事実、冷静になった今でも、あのエルヴァーンに対する不信感は消えていない。

何故ならーーー自分は見たからだ。


早く。
早くもう一度、彼女と接触しなければ。


さ迷う足から視線を上げる。
空は白み、夜明けが訪れていた。
ゆっくりと朝の暖かい光を丘陵の地に伸ばしてく朝日。不意に足を止める。
視線の先、朝日の方向にある丘に、石造りの入り口があった。
それを見て昨日の出来事で刺激された脳裏に懐かしい光景がぼんやりと蘇る。
戦争時代に、あの人達とこの地で過ごしたこともあった。
あの時は確か天候がとんでもない荒れ模様で、ああいった丘の中に陣を張った。
地下にある古墳は危険な場所なので、古墳に下りる階段のない丘を探せと。
中が空洞になっている丘すべてに古墳への階段があるわけではなく、階段のないダミーの丘もいくつか設けられているのだと、師が教えてくれた。
あの頃の自分はまだまだ未熟で、とにかく周りの大人達に認められたいと思っていた。
編成されたいくつかの班が、陣を張れる丘を探しに発った時。こちらの居たたまれない心境を察してあの師が言った。
『君は私と行こう』と。
彼の補佐を務めている女性が渋い顔をしたが、師は私を連れて、待機している一団を離れた。
酷い豪雨と風の中、師はまるで散歩するかのような足取りで歩いていた。
バタバタと暴れる外套を制御するのに手一杯の自分に、歩くペースを合わせていたのだと思う。
あの頃の自分は、そんなことには全く気が付いていなかった。

あの時の激しい嵐の音を耳の奥で聞きながら、今自分が身につけている外套を見下ろす。
視線を下ろすとあの頃とはまるで違う大人の身体。所々破れ擦り切れた外套が、ずしりと鎧の身体を覆っていた。
あの時の雨を思い出して空を見上げると、師の言葉が蘇る。

自然の手に掛かれば、私達など微々たるものだな。

それを言った時の師の顔を思い出そうと目を細めると、何処か嬉しそうに唇に笑みを浮かべた師の横顔が見えてきた。


朧げだ、たくさんの過去達がまだ。
形になり切れないそれらを必死に掻き集めるように、ふらりと足が前方の丘へと向かった。
あの時結局、誰が拠点を張れる丘を見つけたのか。
丘の中に下りる入り口の前に立つと、おかしな空想に捕らわれる。

もしもこの中に、地下の古墳へと下りる階段がなかったら―――。


やめれば良いものを。
まじないでも何でもない、ただの空想だと自分で思いつつも、ゆっくりと丘の内部に入っていく。


三十段程の階段を下りると、ドーム型の空間へ出た。
暗い奥には壁があるだけで更に下へと下る階段はない。



だから、ただの勝手な空想なのだ。
根拠も何もない、ただの。

何も起こり得ないことは分かっていた。苦笑を浮かべると同時に、打ちひしがれている愚かな自分の姿を見る。
薄暗いその空間に佇んでいるのは自分一人。

どうして自分はこんなところで、こんな姿で、こんな思いをしているのだろう?
これまでに何度も何度も問うたことを、今日もまた誰にでもなく尋ねた。


―――――ふと、音が聞こえた。
微かに耳に届いたそれに敏感に反応した身体は、まるで家族の帰りに気付いて玄関へと向かう子どもの様。
しかしその音は家族の帰りなどではないと分かり切っている自分の姿は、そんな子どもとは全く程遠い、醜く猟奇的なものが宿っていた。
直前まで何かに縋っていたことによる反動とでも言うのだろうか。
魂は途端に黒く塗り潰され、歓喜に叫ぶ憎悪の獣が体内を駆け巡った。
当然―――口元は笑っていた。


外に出ると朝日の下に数人の客人の姿を見、あちらもこちらのことを視覚して意思を表す。
歪んだ口から思わず笑い声を漏らして丘の中に引き返す。連中はすぐに中へ追ってきた。
それからは、いつもの通りだ。

良いところに来てくれたと、何度も言ったような気がする。
ここ数年で最も獣じみた、人間的ではないやり方をした。
たっぷりと時間をかけて、少しずつ。

彼ら自身に直接的な罪はない。
しかし強いて言うならば、『知らない』ことが彼らの罪だ。
『知らない』彼らに自分のことを裁けるのか。

冗談ではない。
裁く前に一片でも知るがいい、自分が味わった痛みと恐怖を。


最後の一人は逃がしてやるフリをして一撃で仕留めた。
仲間は連れて帰らなくても良いのかと尋ねて、仲間の落し物を一つ放ってやったのは戯れ。
理由は単純だ。最高に清々しい気分だった。

しかしその直後に……。


弁解しようもなかった。


そして、これ以上ない皮肉な形で確信を得ることになったのだ。
彼女は間違いなくあの少女だと。
悲鳴と、あの怯える姿が、あの日赤い雪の上で見つめたあの人達の姿と重なった。


声を掛けるどころか、手を伸ばすことすらできなかった。
自分の前から逃げていく様子に自分自身納得していたから。
呆然と彼女を見送り、見えなくなるとまるで満足したように自分は踵を返した。
彼女が去っていった方向とは正反対の方向へ歩き出す身体。

―――何処へ行こうというのか?

夜明け前と同じ事だ、目的地なんてありはしない。

これでまた、二つの事実が手に入った。
一つは、彼女が自分の捜し人に間違いないということ。
そしてそれと同時に得たもう一つの、予期せぬ事実。
それは、あの日少女の叫びに抱いていた自分の疑問に対する答えだった。


頭を殴られたような衝撃に朦朧としながら、丘陵を再びさ迷う。いつの間に流れてきたのか、分厚い雲が空に広がり始めた。
そしてそう時間を要さぬ内に優しいそよ風の中に雫が紛れ始め、周りの景色が霞み出す。
自分が今、バタリア丘陵のどの辺りを歩いているのかは分からない。
しかしあの娘から遠ざかっているということだけは理解していた。


そして、それからどれほどの時間が経った頃だろうか。
誰の意思で動いているのか分からない足をぼんやりと見下ろしてからふと顔を上げる。薄い雨のカーテンで霞んでいる前方に、一羽のチョコボが現れた。
今はとてもそんな気分にはなれぬが、一人ならすぐに終わるので構わない。
そんなことを思いながらずるずると歩き続けていると、チョコボに乗っていた者が手綱を引いてそれの走る足を止め、雨の中で静止する。
しばしの間こちらをじっと見つめてから、相手はチョコボから濡れた地面に下りた。
鎧姿のその者が手綱を放す。チョコボは一声鳴いて、雨の天幕の向こうへと駆けていった。

雨の中こちらを見つめて立っているその者を、歩を進めながら何となく観察する。
銀色の鎧を身に着け、腰には剣を下げている。
その男はエルヴァーンではなかった。

不思議と、いつもはすぐに伝わってくるあちらの意思が伝わってこない。
逆立ててあったような栗色の髪は雨に濡れ下がっていたが、その男には見覚えがあるように思えた。
それを思った瞬間、彼とは先程会ったばかりであると気が付き、歩む足をぴたりと止めた。
顔の前に下りた濡れた銀髪の奥で目を見張る。

そして途端にパニックを起こしそうになる思考を必死にねじ伏せ、相手に強く願った。


―――――剣を抜かないでくれ!!



   *   *   *



あーあぁ………下りちまったよ……。

ダンは自分の行動をまるで他人事のように眺め、そんなことを思いつつチョコボの手綱を放した。
チョコボの足音が雨の向こうに走り去っていく。
耳で聞きながら、自分の正面にいる人物をじっと見つめた。
見つけた時はまさに死神のようだと感じたが、よく見てみるとなんと惨めな姿をした男だろうと思った。
そうまるで、雨の中帰る場所もなくさ迷っている野良犬のようだと。

これで相手との対面は二度目。
こちらの姿に見入って硬直した相手をじっと見つめ返したまま、ダンは少しずつ考えを整頓した。
昨日友人から聞いた話と、今日自分の目で観察して得た情報を処理しながら推理する。

恐らく、あの男は武装をしてはいるが冒険者ではない。
冒険者にしては身につけているものがあまりにも考え無しだ。世の流通や常識が全く見られない。
そうなると当然、国に所属している騎士や銃士のはずもないわけで。
では何故この男は武装しているのか。
答えは単純だ。この男が戦闘をする機会があるということ。
つまりは、追われる身なのだ。簡単に言えば賊や罪人の部類の人間なのだろう。
そして恐らく相手はかなり場慣れしている。
当然のごとく先程の殺しの現場に直行したわけだが、あそこには何も残っていなかった。

――――どうやら、後片付けのしつけはちゃんとされているようだな……。

そんな皮肉を思いながら、自分の登場にもまったく動じる様子を見せなかったこの相手を警戒し、やはり国に一声かけてから来るべきだったかと考えた。
だが、絶対に逃がしたくはなかったのだ。
そこは仕方ないと思うことにする。

そもそも何故、こんな者が自分の知っているあの娘に近付こうとしているのか。
ダンは先程の遭遇で、この男にとってあの娘は悪意を向ける対象ではないことを察した。
もしあの娘を害したいのであれば、あの時呆然と見送ったりするはずはない。
そして何より、あんな顔はしない。
先程退避する時に見たこの男の顔を、ダンははっきりと記憶している。
何か多大なショックを受けたような、まるで深く傷付いたような悲愴なあの顔を。
この男にとってあの娘が何なのかは、全く予想はつかない。
昨日友人が言っていたように、ファンにしては些か行動が常軌を逸している。
寧ろ、何故あののっぽの友人があんなことになったのかという点だが。

あいつは剣を向けやがったんだ―――あの阿呆…。

冷静さを欠いた人間は野生動物と同じで、本能的になる。
武器を向ければ牙を剥いてくるのは当然であり、それはどちらかが果てるまで終わることのない戦いを意味する。
こうしてこの男の前に立って考えてみても、その確信は揺るがなかった。
しかし昨日聞いた友人の話では、相手は現れるなり好戦的であったらしいので、この後いつこちらに向かって牙を剥いてくるか分かったものではない。
そうなれば困ったものだ。
正直なところ、自分には相手とやり合う理由はない。
人殺しになって日常を手放す気はないし、知りもしない男に黙って殺される義理もない。
もっとぶっちゃければ、この男が何処の何者だろうとどうでも良い。

「最初に言っとくが、俺はあんたとやり合う気はない。ただでさえ寝不足なんだ」

さあさあという雨音の中、ダンはじっと身動きせずにこちらを見つめている男に言葉を投げ掛けた。
その声を切欠に、男の俯き加減だった身体がそぉっと起こされていく。


「あー……何だ…………手短にあんたの目的を聞かせてもらえるか?ゆっくり茶でも飲めれば良かったんだが生憎時間がない」



この沈黙は長かった。

回答を待つ間、ダンは相手の目から一瞬たりとも視線を逸らさず、突然相手が動いても瞬時に反応できるよう全神経を集中させた。


やがて返ってきた相手の声は、雨音に掻き消されてしまいそうなか細いものだった。

「あの娘の………名は?」

ダンは正直、繰り返される同じ問い掛けに、今にも堪忍袋の緒が切れそうだった。

「あいつがあんたの知り合いに似てるってんなら多分人違いだ。あいつにあんたみたいな関係者がいるとは思えねぇ」
ついつい攻撃的になる自分の言葉に『おっと』と内心気を張り、ダンはゆっくりと溜め息をついた。
離れた距離で対峙している男の顔が強張ったのが見える。
「お前は……何者だ?彼女とはどんな……」
些か厳しくなった眼差しに見つめられた。
やはり少し刺激してしまったか。
まだ相手の出方が分からない―――が、会話をする意思はあるようだ。
ダンは神経を尖らせて相手を観察しつつ、どこか余裕を感じさせる声で答える。
「あー……あいつにとっちゃ『お友達』なのかもしれんが、それにしちゃ割りに合わねぇ苦労させられてる。まぁ保護者みたいなもんか?」
流れで『随分なこと聞くじゃねぇか、あいつの父親だとか言うなよ』と口から出そうになるが、ダンは何とか喉の辺りでその皮肉をぐっとくい止めた。
こちらが好戦的になってどうする。
先程トミーに言われたことを痛感し、やはりあの娘は自分のことをよく分かっていると思った。
だから尚更、ここは慎重にせねば。
「そう言うあんたは?」
静かでゆっくりとした口調を意識したが、険しくなった相手の表情は変わらなかった。
「………貴様に話す気はない。こうして会話をしてはいるが、貴様を信用してはいないからな」
警戒心を剥き出しにしたその言葉を聞いて、ダンは思わず『オイオイ』と零して苦笑を浮かべた。
「まだ会ったばかりだ。信用も何もあるわけねぇだろ」
相手はこちらをとても警戒しているようだ。
警戒するのはこっちの方だというのに。
このまま警戒し合っていては埒があかないと感じたダンは、思い切って会話を前進させることにした。
「まぁ、俺は別に、あんたが何処の誰だろうと構わないんだが……。ただ、あいつの周りをウロウロされると迷惑なんだ。ピーピー泣かれていちいち翻弄される俺の身にもなってもらいたいぜ」
額から流れた雨が頬を伝って下りていくのがくすぐったい。
霧雨とは言え、こちらもあちらもお互いすでにずぶ濡れになっている。
「なぁ、最初に言ったがそんなに時間があるわけじゃないんだ。お互い少し妥協してみようぜ」

大丈夫だ、ペースはこちらが握っている。

ダンは極力冷静に状況を見ながら言葉を紡いだ。
「俺は……ダンテス、仲間内ではダンで通ってる。あんたが知りたがってるあいつの名前はー……あんたの名前を聞いたら教える」
言うと、相手の表情が見る見る内に変わっていった。
こちらに対する警戒一色だった顔に戸惑いが広がっていく。
そしてまるで自分の中で会話を展開しているような顔になると、何かを必死に願うような、非常に何か言いたそうな眼差しで見つめてきた。

―――会ったばかりなのに目で会話ができるかっつーの……。


「…………ノルヴェルト……」

ふと、相手の薄い唇からぽろりと零れ落ちた。
ダンが眉を開くと、もう一度低い声で『私の名はノルヴェルトだ』と相手が名乗った。
知らされた彼の名を自分でも呟くと、ダンはすぐさま自分の中にある情報を引っ掻き回した。
どこかで聞き覚えのある名ではないかと探るが、探れば探るほど聞き覚えはない。
こちらが相手の名を復唱した時に相手がぴくりと微かに反応したのが気になったが、とりあえず今のところは初めて聞く名だということで結論付けることにした。

さて、問題はここからだ。
下手に嘘をついても後々面倒なことになるだけだと思い、ダンは簡単に告げた。


「あいつの名前はトミーだよ」


そう告げた直後の相手の様子を見て、やはり別の名を挙げて適当に流すべきだっただろうかと少し後悔する。

「…っな……まさか…なぜ!?」

「んなこと俺に言われてもな」

明らかな動揺。しかし相手にとっては悪いものではない……のだろうか?
ご希望の名だったようには見えないが、全く知らない名ではなかったのかもしれない。
相手にとって『トミー』というのは良いのか悪いのか、よく分からなかった。
「ちなみにあんたの捜し人の名前は?」
そのくらい答えてくれても良いようなものだが、相手は口を開いたもののすぐに閉じてしまう。
絶妙なタイミングで、うっかりスラスラと事情を喋るのではと狙ったが相手のガードは固かった。
まったく、『なぜ』というくせに、相手はこちらに事情を話す気はないと言うのだから困ったものである。
なぜそこまで話そうとしないのか。
話せばこちらの対応も変わってくるだろうに。
まぁ正直なところ、何を言われても全否定して追い返す気満々だが。

駄目だ、ちっとも建設的な会話ができない。
ダンはずぶ濡れになった自分の髪をがしがしと引っ掻いてから独断と偏見で決めた。

――――あーもー面倒臭ぇぞコラァ!!!


「あんたはあいつについて知りたいんだろ?生憎、俺はあいつのことをこれ以上あんたにペラペラ喋る気はねぇ」
動揺と期待が入り混じったようだった相手の顔に緊張が戻ったのが分かった。
「あんたが俺には事情を話すつもりはないっつぅんだからな。フェアじゃねぇだろ」
どこか投げやりな声でそこまで言うと、一つ大きな溜め息をつく。

「あー……あいつのことがどうしても気になるってんなら、会ってみるか?」

相手の目が一層大きく見開かれる。お構いなしに言葉を続ける。
「あんた追われてる身なんだろ?よく分からねぇが……。だったら夜がいいか、今夜0時過ぎにジュノ下層の競売前だ。会って確かめる気があるならの話だけどな」
ダン自身、とんでもない話を持ちかけていることくらい重々分かっていた。
会わせるだと?この殺人犯をあのボケにか。
本当にとんでもないことだと思うが、ダンなりに考えた末に出した提案であった。
このまま雨の中突っ立って話していても何も前進しないし、相手が事情を話すとは思えない。

それにそう、時間がない。
早く戻らないとまた面倒なことになる。
絶対に。

また、ぎこちなくではあるが言葉を交わしている内に、良からぬ想定が徐々に浮上し始めた。
この男の捜し人がトミーであるかは別として、相手は本当に訳ありのようだ。
彼が抱えているものが何なのかは初めからいっているように、どうでも良い。
ダンからすれば、とにかくこの男のトミーに対する感心がなくなれば良いのだ。

もし―――もしも会わせた時に、この男の様子が豹変したとしたら。

その時は何も迷うことはない、手段は選ばないつもりだ。
寧ろ前以て国に報告しておいて、会いに来たところをしょっ引いてもらうのも良いだろう。
とりあえずはこの男の名を得たので、念のためトミーに確認を取ってみようとは思っている。

とにかくだ。
今この場で話術と出任せを駆使して丸め込んだとしても、本人が心底納得しなければ後に再びあの娘の周りをうろつくに決まっているのだから。

「んじゃ、そういうことにしてこの場は解散だ」

「待て……!」

ペースを掴んでいるのを良いことに、つらつらと一方的に話を進めたダンがそう締めくくると、今まで聞いた相手の声の内最も大きな声がダンを止めた。
一瞬利き手に緊張を走らせるが、相手はこちらのその気配に緊張を見せただけであった。
ダンは濡れた髪から雨が滴るのをうざったそうに表情をしかめる。
「あぁ?競売前ってのが気に食わないか?あそこは人が多いから逆に目立たねぇんだ安心―――」
「ダンテス……と言ったな」
「やめろ。ダンでいい」
ぎっとすぐさま表情を険しくする。
ダンをまじまじと観察しながら、ずぶ濡れのエルヴァーンは口を引き結んだ。
ほぼ睨み合っていると言ってもいい程の厳しい眼差しでしばし見つめ合う。


「………私は貴様を信用してはいない」

「奇遇だな。俺もあんたを信じてねぇ」


ぴりりとしたダンが即座に好戦的な言葉を返す。
そぼ濡れた長い髪を肩に乗せたエルヴァーンは、動じずにじっとダンを見つめた。
「だが多少は……話のできる男だと思っている」
思いもよらなかった相手の発言にダンは一瞬耳を疑ったが、真っ直ぐな眼差しを見返すと『そりゃどうも』と苦笑した。
「………こんなことを言っても無駄なのかもしれないが……」
いきなりの不可解な前置きにダンが苦笑を消す。
凶器を背負ったずぶ濡れの男、ノルヴェルトは、低い声で噛み締めるように言った。
「あのエルヴァーンの男は、信用するな」
「何?」
眉を寄せるこちらに対して『貴様も奴の仲間でなければ良いのだがな』と続ける。
不可解な前置きの意味はそういうことかと理解して、ダンは再び皮肉れた苦笑いをした。
「はぁ?それはアレだろ、あんたが昨日痛めつけたあの野郎のことだろ?」
「油断していると彼女の身が危険だ……」
「オイオイ、ちょっと待ってくれ。あんたさ」
「私は確かに見た」
言葉を返そうとするダンの声を打ち切るほどはっきりした声でノルヴェルトは訴えた。
「見たのだ。……あの男…確かに…」


「……オイ、あんた。…何…言ってんだ?」

ダンの表情から苦笑いが消える。

「一体何のことだ?」


じっと口を結んで雨に濡れている男に対して、今度はダンの方が緊迫した声で問い掛けた。

雨が止む気配はない。



<To be continued>

あとがき

第三章はお喋りが多いな。(;´Д`)
第十話でまだこういう段階なのかよ…第三章本気で途方もありません。(吐血)
探り合いとか、牽制とか、気遣いとか、それぞれの望みは必ずしも一致しないとか。
そういうの書きたいみたいです、村長。orz
マキューシオとの嵐の記憶。師との思い出は、チラつく度に愛おしく、なんだか辛い。
そして今回の注目は、ノルヴェルトがダンに何やらチクってる。笑
色んなことが色んなことを巻き起こす、村長作品最終章ともなれば凄いよ?←何