~大切なもの~

<2>



「来た!来たぞマキューシオ!」

前に乗ってチョコボにしがみ付いているワジジが興奮した声で言った。
彼が言う通り、日の光で白く光っている谷の終わりが黒く染まりつつある。
南側から回ってきた獣人達が徐々に谷間に流れ込み始めた。
列を成して横に広がった連中は地響きをあげて谷間の中程へと進軍してくる。
「よし、此処だ!皆止まれ!!」
谷の始まりから数百メートルのところでマキューシオはチョコボの手綱を引いた。
この場までチョコボを走らせながらこれからすることの説明をしてきたので、今後自分達が何をすべきか心得ている戦士達は素早く彼の指示に従う。
獣人軍がじわじわとこちらに流れ込んできている状況の中、五羽のチョコボは谷間の端へと集合した。皆次々とチョコボから降りるとマキューシオの周りに集まる。
マキューシオはやや前方の岩壁の上部を指し示した。
「少し窪んでいる、あの辺りなんだ………届くか?」
皆がマキューシオの示す先を見上げ、あんぐりと口を開けていたワジジは眉を寄せる。
「届かないことはねぇな!でも真下に行かないと多分届かね!」
「やはり真下じゃないと無理か……」
「まずいか?」
「いや、届けばいい。あそこ一点をやれば地盤は東に滑るはずだ」
そこまで言い、『あとは彼らの足が頼りだ』とチョコボ達に視線を巡らせるマキューシオ。
そして、チョコボの手綱を引きながら自分が示した場所のすぐ下に向かってすたすたと歩を進める。
「チョコボはどうします?」
セトから借りた戦士の一人が、後に続きながらマキューシオに尋ねる。
「放しておく。彼らは私達が守るよりも自由にしておいた方が身を守れるだろう」
これには戦士達は目を丸くしたが、マキューシオがあまりにも平然と言うので大して不安は抱かなかった。
目的の位置までくるとマキューシオは足を止め、自分が引いていたチョコボを振り返る。
チョコボはぱっちりと開いた目でマキューシオを見つめると小首を傾げた。
「危険な目に合わせてしまってすまない…。でも君達が頼りだ」
そっとチョコボの頬を撫でると、手にしていたチョコボの手綱を手放した。
他の戦士達もマキューシオと同じように握っていたチョコボの手綱を放し、それぞれチョコボに一声かけた後、マキューシオを囲むようにして集合する。
その場に取り残されたチョコボ達は何度も首を傾げ、内一羽は戦士の後をついて歩いてきていた。
「あまり早くやり過ぎても駄目だ。充分引き付けてからでないと殲滅できない」
口早にそう言い、マキューシオは向かってくる獣人達に視線を馳せて目を細める。
「もうじき矢が届くようになる………言ったように、君達は魔道士と弓使いを頼む」
「はい」
「分かりました」
口々に返答しながら戦士達は携えていた弓に手を伸ばして準備に入る。
「ワジジ達は私が指示を出したら呼吸を合わせて詠唱に入ってくれ。一点集中が重要だからストーン系ではなくてサンダーを」
「分かった!一斉に撃てばいいんだろ!?」
「そうだ」
問いに答えながら、マキューシオは腰に下げた剣をしゅらっと引き抜いた。
雄叫びを上げながら向かってくる獣人の軍に向き直ると、数メートル手前の地面に矢が突き刺さる。

「―――――来るぞ!」

マキューシオの後ろに集まった魔道士達は息を飲み、横一列に並んだ戦士達は矢をつがえてぴたりと構えた。



   *   *   *



「うっわ~マジで流れ込んできたよ……」
ノルヴェルトが谷の先を見て硬直したのを見て、同じように谷の先へと目を向けたセトは苦笑を浮かべて呟いた。
マキューシオに考えがあるのだから心配することはないと思っていたが、いざこうして目にしてみると、救いようの無い窮地のような気がして思わず苦笑いが浮かぶ。
ちらりと見ると女魔道士もノルヴェルトと同様に絶句し、悲鳴を上げそうになる口元を押さえていた。
「こらニーザ、そんなリアクションしてる暇ないっちゅーの。看回りいくよ」
「あ、あ、ごめん」
背の高いヒュームの彼女は、半眼になったセトを見下ろして口に当てた手を下ろす。
そんな彼女の横で、セトは『ただでさえメンドイのが一人いるんだから』と小声で零す。
まるでその言葉に呼ばれたかのようにノルヴェルトが血相を変えて駆け寄ってきた。

「セト!!」

「うるさい!!!!」

動揺を顔に貼り付けたノルヴェルトの声をぴしゃりとセトが撥ね退けた。
「あんたは素直過ぎるんよ!感情表面に出し過ぎ!みんなが怖がるじゃん馬鹿!」
潜めた声で怒鳴ってごんとノルヴェルトの頭を叩き、びしっとフィルナードのことを指差す。
「ほら、あんたはあのおっさん寝てないか見てきて!」
肩越しに『行くよ!』と魔道士に呼び掛けると、大股で難民達の元に向かって行った。
目を白黒してセトの背中を見つめるノルヴェルトだったが、彼女を追って駆ける魔道士が横を通り過ぎたところで思い出したように声をかける。
「あ、あの!」
女魔道士は驚いたように目を見開いてノルヴェルトを振り返った。
「さっきの、女の子……」
もごもごと言葉を濁していると、彼女はそれだけでノルヴェルトが言おうとしていることを察した。
様子がおかしいから、看てほしいと。
そう言おうとしている少年に対して彼女が返したのは、悲しそうな静かな笑みだった。
ノルヴェルトは何か重いものがずんと胸にのしかかったような感覚に襲われる。

―――そうなの?

彼女が返した答えにショックを受けるが、だからと言ってもう一度あの少女の元に向かう勇気はなかった。例え行ったとしても、自分に何ができるというのか。
回復魔法を唱えることはおろか、病気に関する知識など全く持ち合わせていないのに。

―――この世界には…命を奪うものばかりだよマキューシオ!

心の中で師へ嘆きながら、ノルヴェルトは踵を返してもう一人の師の元へ向かった。

悔しくて堪らない気持ちだったが、実際に自分にはどうすることもできない。
そう、先程セトが少年に言っていたように。
気持ちだけでは救えないのだ。

「フィルナードッ」
間近で見ても、フィルナードはまるで熟睡しているかのように見えた。
先程は少年に言葉をかけられたにも関わらず一切反応を示さなかった。
本当にこの人は、此処でこうしているだけで何もしないのかと不信に思ってしまう。
大体補佐と言っても彼は何もしないのだ。補助のしようがないではないか。
「僕はどうすれば―――」
言いかけて、先程の少年の姿が思い出されノルヴェルトは歯噛みする。

「……俺は…どうすればいい…ん…ですか、指示をください!」

ノルヴェルトがぎこちない口調で言った直後。
東側から爆音に似た凄まじい音が響き渡った。



   *   *   *



次から次へと矢が飛んでくる中、チョコボ達はばたばたと辺りを駆けて逃げ回っていた。
矢が羽を掠めても驚いて西側へと逃げていかないのは、日々戦士達に可愛がられてきたからだ。
戦士達は飛んでくる矢を避けては自ら弓を引き、魔法の詠唱を始めた魔道士のクゥダフを射る。
詠唱を中断させられた魔道士クゥダフは怒りを露にし、突き進む前衛クゥダフ達に加わって猛然と前進してくる。

「――――よし、頼む!」

タルタル魔道士達を庇うようにして立ったマキューシオは、矢を切り落としながら叫んだ。
威勢良く返事をするとワジジが魔道士達に声を張り、一斉に魔法の詠唱を始める。
魔法の詠唱は音が乱れてはいけない。
落ち着いて、古から伝わる言葉を決められた音に乗せて唱えなければならない。
詠唱中完全に無防備になるタルタル達を護衛する為、マキューシオは彼らの前からじっと動かずにひたすら飛んでくる矢をなぎ払った。
今や獣人達は数百メートルというところまで迫ってきていた。
獣人軍から飛来してくる矢の本数は増える一方であるが、あちらの遠隔攻撃を阻止する者がこちらにはたったの四名しかいない。
圧倒的に数が違うのでわざわざ遠隔攻撃をする必要性はない。
このまま踏み潰してしまえばいい。
獣人達はそう考える。
立ち止まって弓を構える者や魔法を詠唱する者は多くなかった。
当然だーーー本当に数が違い過ぎる。
あちらにとってマキューシオ達は所詮、蟷螂の斧に過ぎないのだから。
逆に、立ち止まろうものなら、後ろに続いている他の獣人達に自身が踏み潰されてしまうかもしれない。

ほぼ押し寄せることだけに夢中になっている獣人達に対峙して、マキューシオはタルタル魔道士達の詠唱を背中で聞きながら上空に目を見張った。
数秒後には鋭い矢じりになるいくつもの黒い点が、ゆっくりと左右に揺れている。
それらに目を細めてこちらに到達する順番を見極めると、魔道士達に向かう矢を盾で弾き、自身に迫る矢を剣で叩き落した。
同時に飛来し対応し切れないものは外套を翻して軌道を阻む。
おかげでマキューシオの外套には何本もの矢が突き刺さっていた。

一点に凄まじい衝撃を一瞬で与えるための雷属性の魔法を同時に詠唱している魔道士達。
徐々に魔法の構成が編み上がっていくのが赤魔道士であるマキューシオにも感じられた。
目の前に広がる獣人達の津波は大分間近まで来ている。
距離はもう五百メートルもないかもしれない。
「騎乗しろ!!」
獣人達の怒号が土砂降りの雨音のように辺りを包んでいる中、マキューシオが叫んだ。
その指示を聞きつけた戦士達は思い思いに弓を構える腕を下ろし、飛んでくる矢から剣で身を守りつつ駆け回っているチョコボを呼び寄せ始める。
あと一節で詠唱が終わる、それを結び終えれば――――思った直後だった。

ぴったり重なり合っていた五人分の詠唱の中、一つの声が途切れた。

驚いてマキューシオが振り返ると、一人のタルタル魔道士が血相を変えて喉を押さえていた。彼女の周りに煙った歪んだ光が消えていくのを目にし、サイレスをかけられたのだと知る。
この土壇場で、獣人の魔道士が唱えた静寂魔法が一人の魔道士の声を奪ったのだった。
今にも泣き出しそうな顔でマキューシオを見上げるタルタル魔道士。
マキューシオはすぐに獣人達に視線を戻し、矢を払い、盾を構える。
二本の矢を一度に剣で弾くと小さな体が隣に駆け出してきた。
顔を真っ赤にしてぼろぼろと涙を流している、声を失ったタルタル魔道士だ。
彼女が高く杖を掲げると、その杖の先に仲間へ向かっていた矢ががつりと突き刺さる。
「大丈夫だ」
迫り来る脅威に視線を向けたまま言い、マキューシオは剣で矢を斬り落とす。
ーーーそして剣を翻していては間に合わない矢を咄嗟に腕で受けた。
それを見てタルタル魔道士が声のない悲鳴を上げた―――その時。

背後のタルタル魔道士四名の詠唱が寸分の狂いなく完了し、各自手にした杖を高々と掲げた。

詠唱と共に練り上げられた彼らの魔力が煌きと化して上昇し、ぱっと空中で消えた。
直後、フラッシュが光ったように辺り一面青白く光り、耳を劈くような雷鳴が皆の肌を叩いた。
何筋も複雑に絡み合った凄まじい青白い稲妻が谷の左側の壁の一点を撃つ。
子どもがぐちゃぐちゃと落書きしたような光が切り立つ壁に一瞬触れただけのように見えたが、その箇所に与えられた衝撃の激しさは一瞬で広がったひびが証明していた。
東へ斜めにひびが走ると、一拍の沈黙を置いて大地を上下に揺さぶる振動が辺りに広がる。
「見届ける必要はない、退け!!」
腕に刺さった矢を掴んでマキューシオが叫ぶと、直後、山が噴火でも起こしたかような轟音が頭上で響き渡った。
一瞬で走ったひび割れを境に、絶壁が非常にゆっくりと斜めに滑り始めている。
獣人達のいる方向へ滑っていく岩壁は雨のようにばらばらと欠片を零す。

先程ドルススと共に下見に来た際、マキューシオは谷を形成している絶壁の層理を観察し、地層の変わり目を見出していた。
元から入っていたひびも考慮に入れて、こちら側でなく東に向かって崩すには何処を撃てば良いかを見極めた。

予定よりも一名分威力が衰えたが、見たところ思い描いた通りに岩壁はその身を崩しているようだった。
指示通り騎乗を済ませていた戦士達は魔道士のタルタルを拾いにかかる。
一人の戦士が騎乗した状態でもう一羽のチョコボの手綱を引いてきてマキューシオに差し出す。腕に矢が刺さったままのリーダーの身を案じる目をして手綱を手渡した戦士は、マキューシオにすがり付いているタルタル魔道士を掴み上げてチョコボを走らせた。

「――――マキューシオッ!!!」

不意に背後から悲鳴が聞こえた。
振り返ると、跪いているヒュームの戦士の隣に立ってタルタル魔道士が焦りの表情を浮かべていた。
膝を着いている戦士は腿に二本の矢を受けている―――あの状態では騎乗できない!
マキューシオは駆け寄ってきたワジジに向かって掴んでいた手綱を投げ、『乗っていろ!』と叫ぶ。
立てずにいる戦士と魔道士の元に駆け寄った。
広範囲に渡って傾れ落ち始める岩壁はすでに獣人達に襲いかかっていた。
それこそ、数十人もの魔道士が一斉にストーンを唱えたような岩の猛攻撃だった。

二人組みに駆け寄ったマキューシオは『すまない』と口にする戦士を一気にチョコボの上へ担ぎ上げ、タルタル魔道士も放り上げると手綱を握らせチョコボに走れと命じた。
びっくりしたように駆け出すチョコボを見送ると、無事四羽のチョコボは西に向かって退避を始めているのが見えた。
「マキューシオ行くぞおらぁ!!!」
小さな体から大迫力の声を放ってワジジがチョコボに乗って駆けて来た。
その声に振り返ると、突き進むことをやめない獣人の軍勢がすぐ間近まで迫っている。
マキューシオは素早くチョコボに跨り、前に座っているワジジから手綱を引き継ぐ。
矢が立ったままになっている腕が痛んだが今は処置している暇は無い。構わずチョコボを駆け出させた。

次の瞬間、ずどんと大地が揺れたのがチョコボに跨っていても分かった。

驚いたチョコボが声を上げるのを耳にしながらマキューシオは岩壁を見上げる。

魔道士達が呼吸を合わせて撃った箇所に新たに大きなひびが走り、そこからばっくりと大きくもげた岩の塊が、ゆっくりと倒れ掛かってくるのが見えた。



   *   *   *



「――――なっ」
負傷したミスラの戦士を後ろに庇ってクゥダフの斧を盾で受けたところで、東側の轟音を耳にし、スティユは一瞬だけ視線を東に向けた。
そしてすぐに、身を転じてクゥダフの懐に入ると脇に短剣を突き刺し、悲鳴を上げて刺された箇所に手を当てた相手の喉を裂いた。
ゆっくりと仰向けに倒れるそのクゥダフに飛んできた別のクゥダフがどかんと突っ込んで二体が横倒しになる。
その飛んできたクゥダフを殴り飛ばしたドルススが、ふぅと息をつきながらスティユに歩み寄った。
スティユは後ろのミスラに『下がりなさい』と言うと、短剣を構えて周りを警戒しながらドルススに寄る。

「ドルスス、谷が……!」
「どうやらやってくれたようだな、はっは」
ドルススは満足したように言うと、戦闘を続けながらも東側の状況に騒いでいる戦士達を見回す。
にんまりと笑ってすうと大きく息を吸い込んだ。
そして、戦闘の喧騒を物ともしない大声で言った。

「よぉし皆!マキューシオ達が東に回った連中を殲滅したぞぉ!」

谷間に響くその声に、戦線で奮闘を続けてきた戦士達が一斉に顔を上げる。
「残るはこっちにいる連中だけだ!見ての通り退路もなくなったことだし、安心して思う存分押し返せぇ!!」
砂に塗れ、自身や仲間、獣人の血に汚れた戦士達の顔に驚きを隠せない笑みが浮かぶ。
「魔道士は一斉に回復魔法を唱え、他は全員勝ち鬨をあげろぉ!!!!」
拳を突き上げて吼えると、戦士達は腹の底から喊声をあげた。
東側から轟く岩崩れの音を掻き消す程の戦士達の勝ち鬨が西側の谷間を満たす。
一斉に魔道士達は回復魔法を詠唱し、戦線に治癒の光が広がった。
クゥダフ達はわけが分からぬ様子で辺りを見回し狼狽の声を上げている。
スティユは口の中で何かを呟くとぐっと口を引き結ぶ。そんな様子の彼女の肩に手を置いてにっと笑うと、ドルススは前線へと踏み出した。

「突っ込めぁ!!!」

ドルススを先頭に、今まで保守的だった戦士達が波のように獣人達へと押し寄せた。



   *   *   *



まるで爆破されたかのように、遠く東の岩壁が崩れているのが見えた。
此処からだと石の欠片に見える岩が次々と黒い蠢きの上に襲い掛かっていく。
激しい地響きに足元の小石が飛び跳ねて踊っており、ノルヴェルトは足を開いて身構えた。
遠くで起きたとんでもないことに目を皿にして思わず口が開いてしまう。
難民達は悲鳴を上げて身を小さくし、セトが『ひゃー!』という素っ頓狂な声を上げた。
「マキューシオ……ッ!?」
点々と小さく見えていたチョコボの黄色は、見る見る広がる砂埃のせいで今は見えない。
マキューシオ達は何をしたのか―――あの落盤は事故ではないのか?
じっと不安な表情で東に見入るノルヴェルトの心臓は早鐘を打っていた。

「あっはーマジ凄いんだけど!ノルヴェルトォーーマキューシオ達やったねぇーー!!」
ノルヴェルトが振り返ると、怯えて騒ぎ始める難民達の中でセトがこちらに向かって大きく手を振っていた。
彼女に対してノルヴェルトは、言葉を失った口で『何を呑気なこと言っているんだ!!!』と叫ぶ。
後で考えて、この叫びは実際声にならなくて良かったと思う。
折角セトは難民達を心配させないようにしているというのに、この叫びはその配慮を見事にブチ壊すとても頭の悪く情けない悲鳴だからだ。
しかしこの時はそんなことに気付かなかったノルヴェルトは、とんでもないものを見るような目でセトを見つめる。
すると、戦線の方でドルススが何か声を張っているのが聞こえ、次いで戦士達が一斉に喊声を上げた。
ノルヴェルト達がいる側からでも、一気に戦線がぐっと前進するのが見て分かる。

「こっから一気に反撃なんじゃん!みんな、もう少しの辛抱だからじっとしててね!」
難民達の中で両腕を広げて喜色満面でセトは言う。
怖がって身を寄せ合う難民達は、すがるように彼女に視線を集めていた。
難民達の間から色々と質問の声が出始めるが、セトは東に視線を向けて首を捻る。
「あーっと………ちょっと待った、みんな毛布被った方がいいかもねー…」
セトの視線の先を見ると、派手に岩が崩れている東から砂埃の壁がゆっくりとこちらに押し寄せてきていた。

ここまで届くかもしれない。

そして此処からはゆっくりに見えるが、実際は凄まじい勢いであるとも考えられる。
「ノルヴェルト!毛布配布~急いでッ」
「うん…ぁ、はい!」
物資を集めてあるところに向かいながら指示するセトに慌てて返事を返し、ノルヴェルトは駆け出しながら谷の先をじっと見つめた。

あんな風になってて……マキューシオ達は無事なの?
巻き上がる砂埃のせいで全然姿が見えない。

「セト、セト、マキューシオ達は」
「あ~ん~た~は~ッッ」
駆け寄ってきたノルヴェルトに、積んである毛布を引っ張り上げながらセトはうんざりした顔を向けた。
「いちいち不安な顔すんなっちゅーねん!絶対に!あんたが口にしていい言葉は『大丈夫』オンリーだから分かった!?」
がぁと牙を剥いて言うセトの剣幕にノルヴェルトはうっと言葉を詰まらせる。
「私も手伝うから」
「お、サンキュー!ほらノルヴェルトもぼーっとしてないで働けってのーッ」
やってきた女魔道士に笑顔で礼を言って毛布を渡しながら、若干機嫌の悪い表情に戻してノルヴェルトにも毛布を差し出す。
押し付けるように数枚の毛布を持たされたノルヴェルトはまだ何か言いたそうな顔で見るが、セトは『行くよ』と少年の胸を小突いてさっさと難民達の元に向かった。
セトが向かった難民達が集まっている所、そのずっとずっと向こう側には谷の上まで立ち上った砂煙の壁。まだ轟音は鳴り止まない、現在も岩盤が崩れ続けているのだろう。

もしや、あれは獣人達がこちらの退路を塞ぐためにしたこと?

砂煙で此処からでは何も見えない、獣人の姿もマキューシオ達の姿も。
ノルヴェルトは怪訝な顔で東を眺めながら難民達の輪へ駆け寄り、怪我をして動けずにいる者や怯えて蹲っている者達に毛布を手渡した。
砂煙が到来した時に砂を被らないように、又、ちゃんと呼吸ができるように身を守る為、毛布を受け取った難民達は寄り添って頭から毛布を被る。
毛布が足りないのでもっと取ってこいと、反対側でセトが叫んでいる。
ノルヴェルトは傍にいた比較的元気そうな女性に配ってほしいと手にしていた毛布を託す。物資が集めてある場所へ引き返そうと屈んだ背筋を伸ばした。

その時、ゆっくりとこちらに流れてくる砂埃の壁をふと見ると、その壁の向こうから数羽のチョコボが駆け出してきたのが見えた。

「――――――セト!!」
ノルヴェルトは指差して叫ぶ。

セトが彼の示した先を見ると、三羽のチョコボがこちらに向かって駆けて来ていた。
チョコボに跨っている者達は笑顔で大きく手を振っている。
「おっかえりー!」
三角の耳をぴんと立ててセトも大きく手を振って彼らを出迎える。
戻ってきた彼らに駆け寄るセトの背中を見て、居ても立ってもいられなくなりノルヴェルトは駆け出した。
「アットス!エーウィ!お疲れお疲れー!ミーゼルも!」
両腕を広げて帰還した戦士達を迎えるセト。
「早速だけどこっち手伝って~!うちら状況詳しく分かんないからさぁ説明よろしく!」
帰ってきた部下達を笑顔で迎えながらも、とっとと次の指示を出すセト。チョコボの上の戦士達は苦笑いを浮かべて互いに顔を見合わせた。
戦士達と一緒にチョコボから降りた魔道士達はそのままの足で戦線へと戻っていく。
各自迅速に次の動きに入って散っていく彼らを見回しながらノルヴェルトは眉を寄せる。

いない―――いないっ!

「セト~!」
遠くから叫ぶ声にぴくりと大きな耳を動かすと、セトは声のした東側へと顔を向けた。
見ると疾走していない一羽のチョコボが、ひょこひょこと砂煙の壁を抜けてきた。
落ち着いた足取りでこちらに戻ってくるチョコボの背には、やはり戦士と魔道士のペア一組が乗っている。
戦士の様子がおかしいと見て取ったセトはすぐに駆け出した。
「ちょっとちょっと~何してんのハロルド~」
近くまで戻ってきたそのチョコボに乗った戦士を見上げて、セトは小ばかにしたような声で言う。
『ほら』と両手を差し出すセトに苦笑して見せると、そのハロルドと呼ばれたヒュームの戦士はゆっくりと体を傾かせてセトの腕の中に転がり込んだ。
しっかり抱き止めてもらえると思いきや、セトは彼の体を受け流すように腕を下ろす。
多少衝撃は和らげてもらったものの、ほぼチョコボから落ちたのと変わらない戦士は『いでで!』と悲鳴を上げた。
チョコボの上からその様子を見ていたタルタル魔道士は彼の痛みを想像して顔をしかめる。
「おぉい!『無事で良かった』とか言って優しく抱き締めてくれるだろフツー!」
当然のように抗議する彼を『何それキモー』と冷たくあしらうと、セトは懐から包帯を筒状に丸めたものを取り出しそれを戦士に咥えさせた。
彼女がこれから何をするのか心得ている戦士は大人しく従い、セトは彼の防具の隙間に食い込んで突き刺さっている二本の矢の内一本を握った。
戦士が歯を食いしばったのを見たセトは素早く矢を引き抜く。
腿に刺さった二本の矢が順に引き抜かれる度、戦士はくぐもった呻きを上げて固く目を閉じた。
矢が抜かれるとペアを組んでいた魔道士がすぐさま回復魔法を唱え、傷を塞ぐ。
額に玉の汗を浮かべている戦士の口から包帯を取ってやると、彼は荒い息をつきながら掠れた声で礼を言った。
決まり悪そうな顔に苦笑を浮かべている戦士にもう一度『お疲れ』と言葉をかけるセト。

それからやや真剣な顔になり、ずっと吐き出したくて堪らなかった問いを戦士に放った。
「―――で、マキューシオとワジジは?」
「あぁ、俺の面倒見たりしてたもんだからちょっと遅れた」
「何度も後ろ見たんだけど、一際大きな岩崩れがあって!」
煙のせいで全然見えなかったと、相棒のタルタルの魔道士が東を見ながら言った。
三人が東の砂煙に厳しい視線を向けた時、ノルヴェルトが三人の元へ駆け寄ってくる。
少年が何を言いたいのか百も二百も承知のセトは彼が問いを叫ぶ前に口を開いた。
「分かった。まぁ、あの二人のことだから大丈夫っしょ!二人は戦線復帰してドルススとスティユに作戦成功だってちゃんと報告しといて」
戦士とタルタル魔道士の背中を同時に叩いてセトはすっくと立ち上がった。
不安顔で東を見つめつつも、タルタル魔道士はチョコボの手綱を引いて戦線へと向かう。
座り込んでいた戦士は掛け声を呟いてゆっくりと立ち上がるとセトに頭を下げた。
傷は塞がり癒えたもののまだ若干気になる足に視線を落としたまま戦線へと歩き出す。
「セト、マキューシオとワジジがいない!」
ぎこちなく歩いていく戦士の背中を見送るセトにノルヴェルトは訴えた。
真横で焦燥の声をあげるノルヴェルトには目を向けずに、そのままセトは眉を寄せて考える。
視線の先では、戦線に戻る途中の今の戦士に、難民達を看て回っていたあの女魔道士が手厚く回復魔法をかけてやっている。
じっとその光景を見つめながら、セトがどうするべきか考えていると、不意に視界の端で一羽のチョコボが止まった。
ノルヴェルトと揃ってそのチョコボを見上げてみれば、上に跨っているのはフィルナード。
東から戻った戦士達が乗り捨てたチョコボの内一羽に騎乗したフィルナードは、長い黒髪を目元に垂らしたまま東側をじっと見据えて口を開いた。

「…………残党がいるようだ……退屈しのぎに始末してくる」

「はぇ?なんっ」
「いつまでも置物でいるのも退屈なんでな」
「げ」
「すぐ戻る。あいつもだ」
ぶつ切りにした言葉をぼそぼそと零すと、フィルナードはセトの返事も待たずにチョコボを走らせた。そして数十メートル先までもうもうと迫ってきている砂埃の中に消える。
口をぱくぱくしてフィルナードを呆然と見送ったセトは、数秒の間を置くと呆気に取られたその表情を見る見る内に鬼のような形相にしていく。フィルナードを羨ましげな目で見送ったノルヴェルトはそんなセトの空気を全く察しておらず。
「僕も、行ってくるよセト!俺も行く!」
セトは不機嫌に尻尾を振り回し、釣り上がった目で少年をぎっと睨みつける。
それと行き違うように西側を向いたノルヴェルトは口に手を添えて叫んだ。
「マイロー!」
すると、今魔道士が難民達の傍まで誘導していった一羽のチョコボがくるりと振り返った。

マイロというのは、目を瞬いてこちらに駆け戻ってくるまだ若いチョコボの名前。
一年前から不本意ながらもチョコボの世話一筋のノルヴェルトに、チョコボ達は大変懐いていた。

ノルヴェルトは駆け寄ってきたチョコボの手綱を掴んで背中に飛び乗る。
「おぉいコラッ!」
「ちょっと様子を見に行くだけ!様子見たらすぐに引き返してくるから!!」
言いながらノルヴェルトはチョコボを東に駆け出させた。
セトは思わず後を追うが、薄い砂埃の幕が目前まで迫ってきており慌てて足を止めると腕で顔を庇った。
直後、ぶわりと砂埃に飲まれ、セトは厳しい表情で腕の間から薄っすら目を開ける。
到達したのは大分薄くなった砂煙のようだが、後方から難民達の慄く声が聞こえる。

やはり、此処まで到達した。
もう難民達には毛布を配布し終わっている頃だろう。
セトの判断は間違っていなかった。




<To be continued>

あとがき

『思い出よ、永久に美しく ~大切なもの~』<2>でした。

いいね、ノルのガキっぷりが。(大笑)
セトは本当に苦労したよね。大いに労いたい。
村長作品の中でノルヴェルトのみ、10代からずっと描かれています。
なので色々な時期のノルヴェルトを見るのも、村長作品の楽しみ方の一つ。(笑)