~大切なもの~
「…………分からんな……」
長身のエルヴァーンがそう呟いた瞬間、近くの焚き火の薪がパチリと鳴った。
焚き火を見つめていたヒュームの青年が、肩越しに振り返る。
漆黒の鎧を纏った黒髪のエルヴァーンは、青年に背を向け、少し離れた岩に腰掛けていた。
言葉もなく見つめていると、彼は背に携えた大きな鎌を手に取る。
「自分達の素性は、明かさないのが決まりじゃなかったのか?」
黒い大鎌を眺めながら、ゆっくりと手を滑らせる。
その声音には、わずかな皮肉が混じっていた。
ヒュームの青年は小さく苦笑し、視線を焚き火へ戻す。
外套の砂を払いながら、微かな笑い声とともに応えた。
「……その通りだ」
エルヴァーンの男が言っているのは、今日保護した少年への青年の言動についてだった。
【自分達】は、軍に所属していない。
焼き出され、難民となった者たちを保護し、戦闘地帯から離れた町へ送り届ける――そんな活動を続けている。
共に救済活動を行っているのは、それぞれの思いを胸に集った戦士達。
その数は、およそ四百。
軍の力が及ばぬよう、【自分達】を形作る名前はない。
そして、その名も無き一団を率いているのが――
焚き火の傍にいる、このヒュームの青年だった。
『安易に自分達の情報を人に与えてはならない』
それは彼自身が、皆に言い聞かせてきたことだ。
――だが。
今日、彼は一人の少年に対し、あまりにもあっさりとそれを破った。
今宵は風がない。
乾いた荒野の上、空には満天の星が広がっている。
小さな穴が無数に穿たれ、そこから光が零れているかのような夜空。
その中に――ひとつだけ、大きな穴。
白い光を湛えたそれは、真円を描き、静かに浮かんでいた。
ぽつりと、呟きが落ちる。
「なぜだろう……躊躇いもしなかった」
その声は、自らの内側を探るように、どこか頼りない。
エルヴァーンの男はわずかに鎧を鳴らし、立ち上がった。
大鎌を背に収め、ゆっくりと歩き出す。
「くく……きっと死ぬまでお前から離れんぞ……そのガキ……」
言い残し、男は闇へと消えていく。
その気配を感じながら、ヒュームの青年は目を閉じた。
やがて――静かに開く。
ふと、隣へ視線を落とす。
そこには、薄い毛布に包まり、穏やかな寝息を立てる銀髪のエルヴァーンの少年がいた。
* * *
人を拒むように、険しい山々が連なっていた。
鋭く高いその姿は、気の遠くなるような時間をかけて風化したものだろう。
大地の変動に取り残された壁か。
あるいは、遠く離れた海が、かつてこの地まで及んでいた名残か。
地か、水か。
いずれにせよ、人の力で成せるものではない。
荒れた山肌は、生き物の侵入すら拒む。
その頂から景色を望める者は、ほとんどいないだろう。
山脈は北から南へと続き――
その南端だけが、まるで断ち切られたかのように谷を形成し、孤立していた。
自然の中にあって、あまりにも不自然なその谷。
そこで、命の声を上げて足掻く、地を生きる者達がいる。
西の入り口に群がるのは、男神プロマシアの子ら。
それを迎え撃つのは、女神アルタナの子らだった。
晴天の下、白く揺れる荒野。
そこに集うのは、プロマシアを崇め、アルタナの民から【獣人】と呼ばれるクゥダフの軍勢。
亀のような体躯をひしめかせ、一点へと視線を集めている。
――谷の奥。
アルタナの子らが、侵入を阻もうと応戦している方向だ。
谷へ退いたアルタナ側は、およそ四百。
対する獣人軍は、移動中の一部隊に過ぎないが、それでも千近い。
包囲こそ免れているものの、戦力差は明白だった。
前線で、大規模な魔法が炸裂する。
剣がぶつかり、矢が飛び交う。
外の光の中で吼える獣人たちの怒号が、陰った谷へと流れ込む。
まだ距離はあるはずなのに――
すでに押し込まれているかのような錯覚を生んでいた。
その前線から離れた場所。
身を寄せ合っているのは、この一団に保護された難民たちだった。
戦闘に巻き込まれ、家族とはぐれた者。
命は取り留めたが、動けぬ者。
さらに、負傷と疲労で戦線を離脱した軍の兵士も含め、三十名ほど。
彼らは戦場跡から救い上げられた。
だがその直後、獣人軍に目をつけられ――
十分な処置もできぬまま、ここまで退くことになった。
破壊の音。
獣人の雄叫び。
味方の喊声。
それらに包まれながら、難民たちは――
死を目前にした顔で、ただ震えていた。
「大丈夫、ここまでは矢も魔法も届かない!」
悲鳴と祈りを繰り返す難民たちに、ノルヴェルトは苛立ちを滲ませて叫んだ。
ノルヴェルトは、一年前にこの一団に保護された。
齢十五のエルヴァーンの少年。
数ヶ月前、ようやく一員として迎えられたばかりだ。
今はマキューシオとフィルナードに剣を習いながら、戦士になるため目下奮闘中の身。
――それにしても。
本来なら、護衛は難民を落ち着かせる役目のはずだ。
だが生憎、エルヴァーンの少年は戦線近くにいた経験がない。
いきなり任された護衛任務に、動揺と緊張でそれどころではなかった。
彼はミスラの戦士セトが率いる護衛部隊に所属している。
だが今は総力戦。
護衛部隊は全員、前線に出ていた。
谷は広くない。
幅は百メートルあるかどうか。
戦力を集中すれば、進行は食い止められる。
負傷者や魔力切れの者が下がり、別の者が前に出る――その余裕も、まだある。
だが。
中がこれほどまでにがら空きというのは如何なものか。
これまでチョコボの世話や本陣の留守番しかしてこなかった自分が、難民と共にこの空間に残されている。
それだけで、気が狂いそうだった。
さっきまでは、マキューシオたちもここにいた。
だが今はいない。
護衛部隊も戦線に立つよう指示を出した後、マキューシオは思案顔で谷の先を眺めていた。
そして、判断を仰ぐ皆に対して彼が出した指示は『維持』。
こちらから攻めに出ることはせず、ただ全総力を賭して食い止めていろという。
スティユ、セト、ワジジに伝達を任せ、各隊を防衛へ移行させる。
そして――
フィルナードとノルヴェルトへ視線を向け、
「ここに」
それだけを言い残し、ドルススを伴ってチョコボで谷の奥へ向かった。
説明は、何一つなかった。
この谷は、山脈の南端が切り離されたような地形をしている。
マキューシオたちは往路、この崖を目にしていた。
だからこそ、行きは谷を避けた。
進路が制限されるこの場所は、警戒すべき地形だったからだ。
遠回りでも南を回った。
それで問題はなかったはずだ。
なのに今は、その谷に閉じ込められている。
ノルヴェルトは、どうしようもない不満を抱えていた。
鎖帷子の鎧を軋ませながら、剣の柄を握る。
前線と、谷の奥を見比べる。
谷は一直線だ。遮るものはない。
谷の終わりもはっきりと見て分かる。
だからこそ――見える。
小さく、点のように。
マキューシオとドルススの姿が。
だが、何処を向いているのかも、チョコボを走らせているのかすら分からない。
「――マキューシオ…ッ」
唸るように師の名を呼ぶ。
ふと、思い出したように振り返る。
難民たちとは反対側。
谷の隅に、一人の男が座っていた。
伸ばし放題の黒髪を垂らし、俯いたまま動かない。
漆黒の鎧を纏ったエルヴァーンの騎士。
フィルナード。
同じく、護衛を任された男だ。
護衛の役目は、ただ守ることではない。
孤立させないこと。
暴走させないこと。
不安を抑えること。
セトのような護衛慣れしている者であれば、話しかけたり、余裕の素振りを見せて精神的な安全も提供してみせるところ。
だが、フィルナードは違った。
大鎌を背負ったまま、座り込んでいる。
俯いたまま、微動だにしない。
眠っているのではないかと疑うほどに。
信じ難いことに――
あれでも護衛部隊の一員だ。
だが、今この状況でその姿を見ると、セトがいつも苛立っている理由が、痛いほど分かる気がした。
「――ちょ、っとマキューシオは!?」
フィルナードを睨むように見ていたノルヴェルトの背後から、声が飛んだ。
振り向くと、セトがヒュームの女魔道士に肩を貸してこちらへ来るところだった。
その様子に目を見張り、慌てて駆け寄る。
難民たちの手前で、魔道士がゆっくりと膝をついた。
「このあたりで……大丈夫だから……」
そう言って、セトの手を離れて座り込む。
脇腹には血が滲んでいた。
「そう? んじゃ悪いけど自分で癒して。ゆっくりでいいからさー」
軽い調子で言い放つセト。
その後ろで、ノルヴェルトは顔をしかめた。
額に油汗を浮かべる魔道士を見て、不安がよぎる。
――他の魔道士を呼ばなくていいのか?
「セト……」
声をかける。
だが――
「んぁー、ニーザのことはいいから! マキューシオはどうしたの、いないじゃんよ!」
早口でまくし立てながら、セトは一気に詰め寄ってきた。
どこを見てるんだ、とでも言いたげな顔。
ノルヴェルトはただ、目の前の負傷者を気にしていただけなのだが――
「まさか、前線突っ込んじゃった系!?」
セトはもうノルヴェルトを見てもいない。
引きつった顔で戦線の方を睨んでいる。
セトは顔に模様のある白髪の若いミスラ。
護衛部隊を任される一人前の戦士だ。
よく喋り、面倒見もいい。
年はそれほど離れていないが、ノルヴェルトの上官にあたる。
「いや……」
マキューシオは、さっきドルススと共に谷の奥へ向かった。
そう説明しようとするが、セトは聞いていなかった。
ノルヴェルトの肩を軽く押しのけ、そのまま難民たちの方へ歩いていく。
そして、あっけらかんと声を張った。
「戦況は安定してるから心配ないよ! 楽勝楽勝!」
難民たちの視線が、一斉に彼女へ向く。
「は? 待って、ノルヴェルトだけなの?もしかして。ここ任されてんの。 だってさっきスティユも前にいたじゃんよ。ドルススは? だからマキューシオどこ行ったんよ。マジであんた一人?」
振り返りもせず、質問だけが飛んでくる。
答える間はない。
言いかけたまま、ノルヴェルトは後ろをついていく。
やがて――
「ねぇ」
足を止めたセトが振り返った。
ノルヴェルトは恨めしそうな顔で、無言のまま一点を指差す。
その先を見て、目に何かが入った時のような声をセトが漏らした。
眉をしかめ、地を這うような声で呟く。
「……そうか……。マキューシオ、またオブジェ置いてどっか行ったんね」
「オブジェ?」
「あんなんオブジェじゃんか! 何にもしないし。んでも、見た目だけは超強そうじゃん? だからあれが近くにいると、難民的には安心するんよねー」
半眼でフィルナードを見ながら言う。
「だから――通称、“安心オブジェ”」
ノルヴェルトは、思わず納得しかけた。
……確かに、分からなくもない。
だが同時に、同じ護衛としては――
文句の一つも言いたくなる光景だった。
「ちょっとぉ~もぉ~、マキューシオ……どうする気なんよぉ~」
セトが呻きながら、砂と返り血に汚れた顔を腕で乱暴に拭った。
マキューシオは『維持』と言った。
攻めるな。ただ、食い止めろと。
数では劣るが、不可能ではない。
戦線の幅が狭い以上、敵は順番待ちがたくさんいるというだけのこと。
だが――
このまま続けても、意味はない。
消耗するのは、先にこちらだ。
だったら。
戦士たちが時間を稼いでいる間に、難民を東へ逃がせばいいのではないか?
そもそも、難民の足が遅れたせいで追いつかれたのだ。
ここで立ち止まる理由が、ノルヴェルトには分からない。
視線が、自然と谷の奥へ向く。
もしかすると――
マキューシオは、退路の安全確認に向かったのかもしれない。
いくつか考えてみる。
だが結局は、何でも良いからマキューシオに早く戻ってほしかった。
「ってかホントあのおっさんの態度、マジでムカつくんだけど」
隣で、セトの噛み殺したような声。
視線の先では、フィルナードが相変わらず動かない。
……それについては、ノルヴェルトも同意だった。
声をかけようとした、その時。
動かなかった騎士が、ゆっくりと腰を上げた。
「あ、動いた!」
セトが耳をぴんと立てて実況する。
だがフィルナードは、谷の奥へ一度顔を向けただけで――また止まった。
訝しむセトを横目に、ノルヴェルトは歩み寄る。
何かを言おうと口を開いた、その瞬間。
「……おいガキ、お待ちかねのリーダーからのご指示だ」
低い声が、先に落ちた。
垂れた黒髪の奥で、口元だけがわずかに笑っている。
セトが追いつく頃、フィルナードは顎で谷の奥を示した。
「代表格を集めろと言っている」
「マキューシオが?」
ノルヴェルトとセトは同時に目を向ける。
遠く。
点のようだった二人の影が、確かにこちらへ戻ってきている。
大きいガルカ族のドルススが、小さな姿で腕を振っているのが見えた。
だが――声は届かない。
距離もある。戦場の音もある。
何を言っているのかなど、分かるはずがなかった。
……もしかして。
マキューシオとフィルナードは、密かにリンクシェルを持っている?
そうでもなければ、あそこから指示が伝わるものか。
フィルナードを見上げる。
だが、問いを口にする前に――
「何でもいいや、分かった!」
セトがばしっと肩を叩いた。
「ノルヴェルトはスティユ呼んで来て! ワジジはかなり前の方に突っ込んでたから、うちが連れてくんよ!」
言い終えるより早く、しゃっと剣を抜いて駆け出す。
その速さに目を白黒させながら、ノルヴェルトも慌てて意味も無く腰の剣を抜いた。
「わ、分かりました! 僕、行ってきますから……っ」
浮き足立ったまま、戦線へ走る。
残されたフィルナードは、視線すら向けなかった。
ただ、虚空を見ている。
やがて、ゆっくりと腰を下ろす。
壁に背を預け、再び動かなくなる。
――ふと。
肩が揺れた。
喉の奥で、笑う。
「……くく……そうか、そういうことか」
気だるそうに谷の奥を見やる。
チョコボを走らせてこちらに戻ってくる男を。
「面白い」
案の定、ワジジは最前線まで突出していた。
タルタル族の魔道士という己の条件を完全無視した熱狂振り。
“前衛魔道士”と呼ばれる理由がよく分かる。
そのワジジを連れ戻したセトが戻った頃。
マキューシオとドルススも、フィルナードのいる場所へと帰還した。
いつもの顔ぶれが、揃う。
「よし、皆揃っているな」
チョコボから降りながら、マキューシオは一人ずつ視線を巡らせた。
黒髪にブラウンの瞳。
まだ若いヒュームの青年だ。
一方、彼と同時にチョコボから降りたドルススは輪に入らない。
手綱を引き、他のチョコボの元へと向かっていく。
なぜドルススは行ってしまうのかと、ノルヴェルトは視線で追う。
だが、すぐに気付く。
彼はマキューシオと共に動いていた。
つまり――すでに話は共有されている。
「醜い足音が、南を走っているぞ」
不意に、フィルナードが言った。
四人が振り返る。
「あぁ、だから時間がない」
マキューシオは即座に頷いた。
続けて、フィルナードに問い掛ける。
「向かう先は?」
「東だ」
「よし」
それだけで、話は済んだ。
眉を寄せている四人へ向き直り、マキューシオは声を張る。
「これから二手に分かれる! スティユ、セト、フィルナードはこのまま西だ」
そこで一度、振り返る。
チョコボを引いて戻ってきたドルススへ。
「頼んだぞ、ドルスス」
ガルカの巨体が静かに頷く。
その様子を見て、スティユがはっと息を呑んだ。
彼女はマキューシオの動向に鋭い。
「俺もお前さんと行っても構わんがなぁ」
やはり一言言いたくなったのか、首を掻きながら苦笑するドルスス。
だがマキューシオは首を振る。
「君になら、皆安心してついていける」
静かに言い切る。
その声音に、スティユの表情が引き締まった。
即座に声を投げ込む。
「危険なんですね」
マキューシオは答えない。
ただ、『大丈夫だ』と柔らかく笑うだけだった。
彼はいつもそうだ。
重要な場面ほど、ドルススを自分と別に置く。
それは戦力分散ではない。
――共倒れを避けるため。
察したスティユは、何も言わず頷いた。
マキューシオはすぐに次の指示へ移る。
「セトは難民の傍にいてくれ。少々手荒なことをする。彼らがパニックにならないよう頼む」
「了解~えぇぇぇ何する気なんよっ!?」
「護衛部隊から弓手がメインの一小隊を貸してくれ。他は前線維持。フィルナードはここにいてくれ。ワジジ、君は私と一緒に来てほしい」
一息で言い切る。
さらに続ける。
「後衛部隊の魔道士から四人魔道士を選んでくれ。条件は魔力や経験じゃない。君と息が合うかどうかが重要だ。それともう一つ、タルタルであること」
「おう、分かったぞ! 獣人共を吹っ飛ばしてやる!!」
戦闘に入ると気が高ぶって言葉遣いが酷いことになるワジジが腕を振り回して応じた。
セトとワジジは即座に走り出す。
マキューシオはその背を数秒見送り――
スティユへ視線を向けた。
「スティユはドルススの補佐を。前線の指揮はドルススに託す」
「……敵を拡散したんですね」
スティユが、わずかに顎を引きながらマキューシオを見上げた。
その視線は、ほとんど睨むようだった。
華奢な体にアースダブレット。
長い金髪を一本に束ねたヒュームの女戦士。
前衛部隊に属し、普段はマキューシオの補佐を務めている。
「クゥダフ達が攻め切れずに業を煮やして二手に分かれるよう仕向けた……」
淀みなく、言葉を重ねる。
「こちらの戦力が前面に集中しているのを見た連中は、大半を東に回すわ。クゥダフ達はこの辺りの土地を良く知っているから、東から回り込めるとすぐに気付く」
真っ直ぐにマキューシオの目を見つめたまま、すらすらと説く。
「作戦通り、戦線まで出られずにいた多くの控え連中は今、東に移動してるようですね」
その言葉で、ノルヴェルトは理解した。
だが――
理解したからこそ、血の気が引く。
――今、この谷間で挟み撃ちにされようとしている?
「それで?」
スティユの声が、静かに落ちる。
「一小隊と魔道士五人を連れて、どうするつもりなんです?」
鋭い視線。
落ち着いてはいるがどこか威圧的な声でスティユは問うた。
問われたマキューシオは、わずかに目を瞬かせた。
そして、視線を逸らす。
困ったように、片目を閉じて唸った。
その背後で、ドルススが豪快に笑う。
「はっは! スティユに言ったら絶対に怒るからなぁ!言えないよなぁ、マキューシオ!」
スティユがカッと見上げる。
「マキューシオ!」
肩を怒らせる。
ばんばんと大きな手でマキューシオの肩を叩くと、ドルススは白い歯を剥いて笑った。
「はっはっは!まぁこれはマキューシオ、終わったらこってり絞られろ!」
つられるように、マキューシオも苦笑した。
その様子を見たスティユは、今度は至極心配そうな顔をする。
何かを言おうと手を伸ばす。
その手に、マキューシオが軽く触れた。
「……すまない」
それだけを残し、踵を返す。
チョコボに跨った。
ちょうどその時、セトとワジジが戻ってきた。
指示された戦士たちを連れて。
「ぼ、僕も連れてってください!」
ノルヴェルトが、飛び出した。
その場にいた皆が目を丸くする。
自分でもよく分からない。
ただ――なぜかとても、とっても面白くない気分だった。
マキューシオが、わずかに目を見開く。
そして、考える目になる。
「無理に決まってんじゃん、何言ってんの!」
「お前は弱いから邪魔になるだけだチビ!!」
セトとワジジの言葉が、容赦なく突き刺さる。
ただの罵声のようなその声にぐっと唇を噛むノルヴェルト。
特にワジジに何か言いたげな眼差しを向ける。
「……ノルヴェルト」
マキューシオが静かに呼ぶ。
「君は難民の護衛と、フィルナードの補佐を――」
「行きたいんだ!」
遮る。
銀髪を振り、意地になったように叫ぶ。
「僕も連れて行ってよマキューシオ! 僕も戦える!」
マキューシオを見上げて胸を叩く。
「何匹かやってみせるよ! いつもチョコボの世話とかそんなのばっかりだ。戦わないと強くならないよマキューシオ、お願いっ!」
マキューシオのすぐ横まで駆け寄ると必死に懇願する。
だが。
師の穏やかな顔は、徐々に感情が沈んでいくようだった。
やがて表情が消え、横目でフィルナードを見る。
「フィルナード」
「早く行け。もうじき東に出る」
俯いたまま、低く返る声。
ノルヴェルトが再び呼びかける。
だが。
視線を戻したマキューシオの顔は、もう変わっていた。
「君の役目は、今伝えた通りだ。分かったね」
「――マキューシオ!」
「ワジジ、乗れ!」
それで終わりだった。
手綱を引いてチョコボを東に向けると、後ろ手にワジジへと手を差し出す。
ワジジは威勢良く返事をして小さな杖を背中に携え、マキューシオの手に飛びつく。
他の戦士たちも、すでに動いていた。
戦士と魔道士の二人乗り。
そのための人選。
――タルタルである理由。
重量を抑えるためだ。
今やチョコボは、ほとんどをアルタナの軍が管理している、貴重な足。
そんなご時世で、軍所属でないマキューシオ達が辛うじて保持できているのは五羽。
その貴重なチョコボを痛めるわけにはいかない。
ワジジを前に乗せ、マキューシオが振り返る。
「頼む!」
ドルススが太い腕を上げた。
「無茶はするなぁ!」
その声に背中を押されるように、駆け出す。
五羽のチョコボが、風を裂く。
東へ。
ドルススは、ただ見送った。
その速度が、この先の命運を分けることを――知っているから。
「ドルススッ、僕も戦えるから……っ!」
置いていかれたノルヴェルトは、なおも食い下がった。
ドルススへ駆け寄る。
眉を開いて少年に向き直ったドルススは、にっと笑った。
その顔を見たノルヴェルトは、うっと言葉を詰まらせて悲しげな顔をする。
そのドルススの笑みは、不満を言う彼を、軽く宥める時のもの。
「マキューシオの指揮に従いなさい、ノルヴェルト」
横から、スティユの声が落ちた。
抑揚のない、事務的な声音。
「あなたはもう私達の一員なのよ、その自覚を持って。彼の力になるには、何より指示された任を確実にこなすこと」
短剣を抜く。
その仕草は静かで――
どこか、怒っているようにも見えた。
彼女を怒らせたのかと思い、ノルヴェルトは硬直する。
その背中を、ドルススが叩いた。
「はっはっは!」
豪快に笑う。
「こうやって自分に言い聞かせて我慢してるメンバーもいるんでな! 大人しく指示に従えノルヴェルト。我慢すればするほど、早く大人になれるぞ」
いい加減なことを言っているドルススを見上げ、ノルヴェルトはあからさまにムッとした。
つまり、まだ子どもだと言われているのだ。
当然、面白くない。
ドルススは手をバンッと叩くと、大きく息を吸い込んだ。
「よぉし各々方、指示はマキューシオから聞いての通りだ。しっかり頼むぞ!」
鼓舞の声が響く。
その隣で、セトが頬を掻いた。
「ねぇ、マジであの人数だけで東に対応すんの?」
「はっは! 質問は全部終わってからいくらでも受け付けるとするかな! それじゃあ行こう、スティユ」
大きな腕をぐるぐる回しながら、戦線へ歩き出す。
まるで気楽な作業に向かうような足取り。
「ちょっとー!」
セトが叫ぶが、ドルススは一向にお構いなし。
代わりに、スティユが一言だけ残した。
「……大丈夫」
そのまま、後を追う。
二人の背が遠ざかる。
「……むぁーーーー、しょうがないっ」
セトが頭をかき乱した。
そして、鋭い目でノルヴェルトを睨む。
「っつ~かぁ~ノルヴェルト! 言っとくけど、あんたはうちの下だかんね?」
ぐっと顔を近づける。
「あんまり聞き分け悪いから、マキューシオが直に指示出してるだけだから。勘違いすんな?」
胸を指で突く。
「ノルヴェルトの腕じゃ戦線はまだ無・理・だ・よ」
言い切る。
ノルヴェルトは、何も言えなかった。
セトは小さく舌打ちして、視線を外す。
――ふと。
「ん、あっ、ねぇーーーもう大丈夫なん?」
声を張る。
視線の先。
先ほどの女魔道士が、立ち上がっていた。
片手を上げて笑顔を見せる彼女を、セトは手招きして呼び寄せる。
足早にこちらへやって来る。
顔色の戻った彼女を見て、ノルヴェルトは小さく息を吐いた。
「ごめん、悪いんだけどさぁ」
セトが言う。
「戻る前に一通りみんなのこと看てってくんない?」
指し示すのは、難民たち。
戦場から救い出されたが、まともな治療を受けられていない者ばかりだ。
セトはすでに一度、全体を見ている。
だから判断した。
――今、最低限でも処置が必要だと。
本当なら、もう一人魔道士が欲しい。
だが。
今は『維持』。
前線を崩すわけにはいかない。
ここが崩れれば――
全員が終わる。
「うちも回るからさ」
「OK、任せて」
――二人が頷き合い、難民の方へ向かおうとした、その時。
人だかりの中から、ひとりの少年が立ち上がった。
倒れている者を跨ぎ、外へ出てくる。
痩せた体の、幼いヒュームの少年。
「ランディ……ランディ戻って!」
後方から、少女の声。
同じヒュームの少女は、足を負傷していた。
顔を歪めながら、必死に這って追おうとする。
だが少年は振り返らない。
セトたちの横を駆け抜ける。
ノルヴェルトの脇も、そのまま通り過ぎた。
向かった先は――
フィルナード。
黒い鎧の騎士の前まで来ると、少年は言った。
「戦う……」
この場にいる者の中で、一番強そうなのが彼。
子どもは正直だ。
やはり“安心オブジェ”の効力も侮りがたい。
「お~い、ちょっと~」
フィルナードは動かない。
代わりにセトが駆け寄る。
魔道士は、少女の方へ。
ノルヴェルトは迷いながらも、セトの後を追った。
「その熱い正義感は褒めてあげるけどさ」
セトは屈んで笑う。
「とりあえず今回は補欠だぞ~」
少年は動かない。
ただ、フィルナードを見つめ続ける。
細身で、あまり恵まれた家柄ではないと思われる身なり。
ぎゅっと口を引き結んでフィルナードを見つめている少年。
その横顔を見た瞬間。
ノルヴェルトはなぜだか急激に羞恥心を抱く。
自分よりも五、六歳年下と思われるそのヒュームの少年が、まるで昔の自分のように思えた。
そんな細い体で。そんな小さな手で。
何をどうして、どう戦うというのか。
滑稽だ。
――そう思った。
……あの時、僕もこんな風に見えてたのか。
急に、恥ずかしくなる。
心の中で、必死に言い訳する。
自分がそれを口にしたのは一年ちょっと前のことであって、この少年ほど子どもじゃなかった。
鎧も着れたし、剣も握れた。
この少年よりは身長もあったし、力もあった!
「大丈夫だから、落ち着いてっ!」
はっと振り返る。
少女が、すぐそこまで這ってきていた。
膝を擦りながら、必死に。
「戻って! ダメよ!!」
少年に向かって手を伸ばした。
女魔道士が少女の体を支える。
ノルヴェルトは、少女の足を見た。
ブーツは歪み、真っ黒に汚れていた。
少女は両足を負傷している。
それも、今後永久に自らの足で立つことができぬほどに。
理解した瞬間。
言葉を失う。
「姉ちゃんはそこにいればいいよ!」
少年が振り返って叫んだ。
「絶対ダメ! お姉ちゃんと一緒にいるの!!」
「みんな死んじゃうよ! 戦わなきゃっ! お姉ちゃんは待っててよ!」
どうやらこの二人は姉弟のようだ。
足元で姉弟喧嘩が始まる。
「あーあーあー、そう喚かないのーーーー」
弟の腕を掴んで引っ張る姉と、掴まれた腕を振り払おうとしている弟の間にセトが割って入る。
腕を外し、少年を向き直らせる。
魔道士は少女を抱き留める。
ノルヴェルトは、ただ見ているしかなかった。
セトが、息を吐く。
「あんねぇ弟っ」
目を合わせる。
「お姉ちゃん、怪我してるじゃんよ。どうして傍にいてあげないの?」
少年はまっすぐ答える。
「ぼくも何かしなきゃ、姉ちゃんも殺されちゃうから」
「……うん」
セトは頷く。
「でしょ? お姉ちゃん守りたいんでしょ?」
こくり、と頷く少年。
ミスラの戦士は、誤魔化さなかった。
「でもはっきり言っちゃうとさ、守りたいって気持ちだけじゃ守れないんよ」
はっきり言う。
「今のあんたにはちょっと無理」
少年の目が揺れる。
「人にはそれぞれできるレベルってのがあってねー……えーと……そうだなぁ…」
斜め上の虚空を睨み、口を曲げる。
言葉を選び、すぐに続ける。
「そう、戦うのは、お姉ちゃんを抱っこできるくらいにならないと無理だと思うよ」
セトなりに分かりやすく説き伏せようとしている。
だが、いつもこういう役回りを担っているのはマキューシオだ。
イマイチ滑らかさに欠けた。
セトは苦笑して、立ち上がる。
「このお兄ちゃんくらいなら大丈夫だけどね!」
ノルヴェルトの背中を叩く。
「っ……!」
振り返る。
セトはにひひと笑った。
少年はぽかんとしている。
セトは肩をすくめた。
「今あんたにできるのは、お姉ちゃんの手を握っててあげることかな」
指差す。
「ちょっと、ほら見てよ」
少女は、魔道士に抱えられている。
「あんたのお姉ちゃん、うちらの手に負えないからさぁ」
一歩、近づく。
「それと……守りたいからってね? 守りたいものに背を向けて戦いに行っちゃ駄目なんよ。あんたはお姉ちゃんから離れちゃ駄目、傍にいなきゃ」
静かに言う。
「じゃないと、いざって時にお姉ちゃんに手が届かないじゃん? お姉ちゃん転びそうになった時、ぱっと支えてあげられないっしょ? だからあんたは戦いに行ったりしないで、お姉ちゃんと一緒にいてあげるの」
少年の頭に手を置く。
「分かった?」
しばしの沈黙を置く。
やがて少年は、涙を浮かべて頷いた。
セトはくしゃくしゃと頭を撫でる。
「あんた将来騎士になるよね、きっと。そんな感じする~」
勝手にそんなことを言って笑う。
セトは、今度はノルヴェルトを見上げた。
ノルヴェルトは黙っていた。
先ほどの言葉を、噛みしめるように。
その顔を見て、セトはにやりとする。
「ふっふーん。やっぱりそういう顔するんね~、ノルヴェルト」
わずかに苦しさを抱えたノルヴェルトの瞳を見て、すぐに種明かし。
「……ぶっちゃけ、今の大体がマキューシオからの受け売りだから」
やっぱり。
道理で胸に響くわけだ。
ノルヴェルトは内心セトに対してやや失敬な納得をしつつも、情けない顔になった。
そんな彼を見て満足したように、セトは八重歯を見せて笑った。
「ほら、じゃあお兄ちゃん!」
背中をばんばん叩く。
「この子あっちに運んであげて!」
セトは少女のことを示した。
このタイミングはあれだろう。
‟お姉ちゃんを抱っこできる”ところを少年に見せろと。
戦いに行こうとした弟を何としても止めようと必死だった少女。
弟を睨むような強い視線でじっと見つめている。
彼女は見たところ、同じくらいの年だ。
ノルヴェルトはどこか気恥ずかしかったが、上役の命令には従えと叱られたばかりの身であるし、この場合拒否は有り得ない。
一瞬たじろいだものの、無言のまま少女の体を抱き上げた。
軽い。驚くほどに。
昔、幼い弟を背中に負ぶったことはあったが、こうして異性を抱き上げたことなど一度も無い。
視界の端に、擦り剥けた膝が入る。
――見ない。
前だけを見る。
ずんずん歩く。
難民の中へ入り、元いた場所へ。
ゆっくりと、降ろそうとした――その時。
少女が、動いた。
バランスを崩し、ノルヴェルトは片膝をつく。
後についてきていた弟に向かって少女が身を乗り出した。
弟を力いっぱい抱き寄せる少女。
ノルヴェルトは一瞬、顔をしかめかけて――
やめた。
弟が、こちらを見ていた。
「……ありがと」
少年のかすれた声。
最後に無様なところを見られたものの、ノルヴェルトは勝ち誇ったような気分だった。
いっちょ前に『こんなもんさ』と言いたくなる口を噤んで、ノルヴェルトはふと少女に目を留める。
弟を抱きしめたまま、まだ呼吸が荒い。
危うく可愛い弟が自ら死地に行ってしまうところだったのだ。
さぞ怖かったのだろう。
そう考えたが、よく見る内にそれだけではない気がしてきた。
少女の顔色が悪い……とても。
傷や痣が散らばっている少女。
顔はやつれ、乾いた唇は生色を失っている。
「――…ト……セト…ッ!」
上擦った声で呼びながら振り返る。
先程の位置に残っているセトと女魔道士が、並んでこちらを見ていた。
女魔道士の話を真顔で聞いていたセトは、狼狽したノルヴェルトの様子を見て頷く。
まるで、分かっているかのように。
「……?」
分からない。
ノルヴェルトは走り出す。
難民の輪を抜ける。
そのまま、駆ける――
ふと、戦線とは逆方向の谷の先へと視線を向けたノルヴェルトは、足が止まった。
さっきまで見えていた“終わり”が、消えていた。
代わりにあるのは――膨大な黒い蠢き。
その中で、点のようになったチョコボが動いている。
その光景は絶望を絵に描いたような眺めであった。
谷の先から――来ている。
二手に分かれた獣人軍の、一方が。
ノルヴェルトは、その場に立ち尽くした。
声も出ない。
目の前にあるのは、ただの現実だった。
あとがき
『思い出よ、永久に美しく ~大切なもの~』です。2007年にイベント参加させていただいた際に書き下ろしたストーリーです。
文量が馬鹿なので、分割して掲載させていただきます。
本で出版した際は、ノルヴェルトカラーのしおりを付けましたね。笑
読んでくださる方に土下座の意味を込めて(;´Д`)
この話の時間軸は、第二章の第八話「指導者」の数ヶ月前くらいです。
二軍のみんなが生きる姿、ご覧ください!