フィルナード
2004/09/13公開
数日後、マキューシオ達は推定一五〇名以上の難民を連れてジュノに入った。
今や、他国からの難民が流れ着くことはそう珍しいことではない。
現にジュノの街には他の地から逃れてきた民が、街のあらゆるところで座り込んでいるのだった。
マキューシオは入国する際に軍の者からあれこれ尋ねられていたが、サンドリアの戦闘跡から民を誘導してきたという簡単な説明だけで通る事を許された。
やはり軍には獣人しか見えていないのかもしれない……と、ノルヴェルトは感じた。
今まで連れて歩いてきた民達は思い思いに街へ散らばり、マキューシオの元には約四〇〇名の戦士達だけが残る。
中には共に行きたいと申し出る民もいたが、そういった者にはマキューシオが丁寧に対応し、連れていけないのだと説得した。
「これ以上私達と行動を共にするのは危険です。分かって下さい」
マキューシオを取り囲んでなかなか離れようとしない難民達に、スティユが必死に投げかける。
そんな彼女の隣りでマキューシオは、複雑な表情の中に穏かな笑みを浮かべ、首を横に振りながらすがり付く民の手をそっと握っていた。
彼の後ろでは、ガルカのドルススが困ったように片手で首を擦っている。
そんな光景を、ノルヴェルトは少し離れた場所からじっと見ていた。
マキューシオと行動を共にする他の戦士達も今は街中に散らばって、食料などの必要物資の調達に出ている。
ノルヴェルトは難民に囲まれて身動きが取れなくなった三人を眺めて、彼らに近寄ることも離れることもできずにそわそわしていた。
そう、ノルヴェルトが落ち着かないのは、自分も難民の一人だからである。
マキューシオとの約束では、難民達と共に安全な場所まで送り届ける、ということだった。
そしてここが彼の言うその安全な場所、ジュノである。
マキューシオらが守ってきた難民達は街に解散し、離れたくないという者は今まさにすがり付いている最中だ。
もしも今、彼らから離れてしまったら、彼らは当然のように自分を置いていくのだろうか……。
それとも、マキューシオはあの約束のことなど忘れていて、自分を連れていくつもりでいてくれている?
でも今彼らのところに行ったら、自分も難民の一人だということをわざわざ思い出させてしまうかもしれない。
そんなことをあれこれと考えて、ノルヴェルトはこの場を離れられずにいるのだった。
「ノルヴェルト」
背後から呼ぶ声がして、銀髪のエルヴァーンの少年は素早く振り返った。
すると、ミスラとタルタルが人を避けながらこちらに歩み寄ってきていた。戦士のセトと、魔道士のワジジだ。
「買い物に行くんだけど、付き合ってくんない?」
そう言ってセトは、持った大きな荷物を抱え直す。
ノルヴェルトは一度マキューシオらを振り返ってから、おずおずと小さく頷いてみせた。
軍の戦士達と疲れ切った様子の民で賑わっているジュノの街を眺めながら、三人は街の通りをゆっくりと歩いた。
セトの知り合いの店だという街の奥まったところにある店に入り、セトが持っていた荷物を広げた。
それらのものはスティユを中心に合成が得意な仲間が作ったものだと言う。
その武器や防具を売って金に替え、必要物資を購入するのだ。
その後店を見掛けては覗きに行き、その品数の少なさに驚きながら街中を転々とする。
「……そういえばフィルナードは?」
思い出したように言うと、口をへの字に曲げて黙っていたタルタルのワジジが答えた。
「今頃妹親子と別れを惜しんでいるんじゃないか?」
「うん。うち、フィルナードが甥っ子達と話してるの見たよ」
「あの甥達はマキューシオとフィルナードにすごく懐いていたからな。素直に言う事は聞くまい。
…マキューシオなら分かるが、なぜあんなニコリともしない男に懐くんだ?子どもは分からんな」
ぱっと見子どもにしか見えないワジジが、見掛けに合わない低い声で言った。
眉間にシワを寄せた真剣な顔で考え込む彼の隣りで、セトはケラケラ笑っている。
確かに、穏かなマキューシオと違って、目付きの鋭いフィルナードは子どもに好かれるタイプには見えない。
あの幼い少年達が慕っているのは、やはり彼が叔父だからだろうか。
自分がフィルナードに感じる疑問や恐怖を考えつつ、ノルヴェルトは隣りを歩く二人にそっと尋ねた。
「別れを惜しんでるってことは……やっぱりフィルナードはみんなと一緒に行くってこと?」
ノルヴェルトの視線は宙を泳いでいる。
ちらりと二人の様子を覗うと、彼らはきょとんとして顔を見合わせていた。
「フィルナードが抜けるなんて話、うち聞いた事ないよ」
「あぁ、考えた事もないぞ」
「何、フィルナードが抜けるって言った系?」
驚いたように尋ねてくる二人に少々圧倒されて、思わず足を止めるノルヴェルト。
ただ疑問に思っただけだと慌てて答えると、二人はなんだといった風に肩をすくめて歩を進めた。
そこでノルヴェルトは、思い切って言ってみた。
「僕も、一緒に行けるかな?」
先に歩き出した二人は、雑踏の中でその言葉を聞き取り振り返る。
緊張した面持ちで立っているノルヴェルトを見ると、もう一度互いに顔を見合わせた。
それからまたノルヴェルトを見た時、二人の顔には笑みが浮かんでいた。
「そのことに関しては、そのうちマキューシオから話があるんじゃん?」
「そうだぞ、心配するな。きっとノルヴェルトが喜ぶ結果だと思うぞ」
喜ぶ結果?一緒に行けるってこと??
ノルヴェルトはその言葉を聞いて何だか体が軽くなったような気がした。
『ほら、立ち止まってないでとっとと歩けっ』とセトに急かされて、少年は軽くなった足を進める。
連れて行ってもらえるかもしれない。
そう思った途端に視界が広がり、街を見下ろす空が目に入った。
大きな雲が夕日に照らされて金色に輝いていた。
それからまたしばらく歩き回ったが求めている物が見つからないらしく、上層から港まで一通りジュノの街を回り終えてしまった。
これだけ人が多い街中を歩くのも大変なもので、ノルヴェルトらは港の階段近くで一休みすることにした。
―――とそこで、ノルヴェルトは更に下る階段があることに気が付いた。
「この下には何があるの?」
尋ねると、狭い通路にだらりと座り込んでいたセトがのそりと身を起こす。
「この先にはクフィム島に繋がる地下道があるんさ」
ノルヴェルトの横で彼と同じように階段の下を覗き込むセト。
ピンと立った彼女の耳がぴくぴくと動いている。
訝しむように眉を寄せて、神経を耳に集中させて数秒間黙った。
「……なんか、下で誰かが騒いでるっぽい」
「敵か!」
疲れなど感じさせない勢いでズバッと跳ね上がるワジジを、セトはすぐに制する。
「違うっしょ。まったくこれだからワジジは血の気多くて……。行ってみる?」
二人の顔を見比べながら尻尾をくねらせるセト。
ワジジが力強く頷くのを見て、ノルヴェルトも少々緊張した顔で頷いてみせる。
それを確認したセトはニッと笑みを浮かべると、身軽に立ち上がって『GOーッ!』と勢い良く階段を駆け下り始めた。
それに続いていくワジジの後をノルヴェルトは慌てて追いかけた。
薄暗い階段を降りて行くと、ぼんやりとロウソクの明かりが灯った狭い空間があった。
その狭い空間の中にそこそこ人影が見える。奥に地下道の入り口があるようだが、その前で数人の人間が何やら口論しているようだった。
階段を下ってきた三人は、見物人の間を縫って奥の様子を覗き込む。
「そのような不確かな情報で一々動いていられぬ、何度言えば分かるのか!」
「でも、あの子達は確かにこちらの方に来たはずなんです…!」
見たところ、軍の騎士数人と難民の女が口論しているようだ。
まだ状況が把握できない三人は眉を寄せ、もう少し近くに行こうと人を掻き分ける。
―――とそこで、ノルヴェルトがこの薄暗く狭い間の端に知っている顔があるのを見つけた。
彼は相変わらず暗い闇に身を溶かし、壁に背を預けてじっと立っていた。
「見て、フィルナードだ!」
セトの肩を叩いて言うと、ノルヴェルトはすぐさまフィルナードの元に向かった。
「フィルナード!こんなところで何してるの?」
彼の前に立つと、黒髪のエルヴァーンは切れ長の目をゆっくり開き、冷たくノルヴェルトを見下ろした。
暗い場所に腕組みをして立っているフィルナードを見ると、本当に彼には闇が似合うと思えてくる。
「あんたは暗いとこ好きだかんねぇ。ほんと根暗っぽいし」
セトとワジジもこちらにやってきた。
「フィルナード、あそこは何を騒いでいるんだ?」
騒いでいる方を覗き込みながらワジジが尋ねると、フィルナードは少しの沈黙を置いてから溜息をついた。
そして至極面倒くさそうに、口を開く。
「…ガキを連れてジュノを散歩か?気楽なものだな……」
フィルナードの鋭い視線が三人を順に突き刺し、ノルヴェルトは思わず硬直した。
しかし、セトとワジジの二人はまったく動じる様子もなくしかめっ面をする。
「嫌味はいいから状況教えてよ」
口を尖らせて言うセトを見下ろして、フィルナードは目を閉じるとため息をつく。
「……子どもが地下道に入ったかもしれないと母親が騒いでいる。
探してほしいと頼むが軍は動かない。それだけのことだ」
「う~わ~微妙ぉ~」
フィルナードの淡白な説明を聞いて三人は再び騒ぎの渦を眺めた。
数人の見物人の向こうでは、くたびれた格好をしたヒュームの女性が武装したエルヴァーンの戦士にすがり付いている。
懇願の的になっているそのエルヴェーンはうんざりした顔をして女の手を振り払っていた。
その隣りにいるヒュームの戦士は仲間だと思われるが、こちらも何だか疲れたような顔で口を結んでいる。
そんな彼らの後ろには、階級が彼らよりも上と思われるエルヴァーンが貫禄ある姿で立っていた。
「お願いです騎士様!少しだけ……少しだけ様子を見ていただくだけで結構ですから――」
「それはできないと先程から申しているだろう。こちらは任された場所を守ることで手一杯なのだ」
「では私が探しに行きます。それなら良いでしょう?通してください!」
「ならん!この先がどんなに危険な場所かお前は知らんのだっ」
地下道へ入って行こうとする女の行く手を戦士二人が阻む。
先程から自分ばかり女の対応をさせられているエルヴァーンの戦士は、小声でヒュームの戦士に何やら毒づいた。
彼の悲痛な訴えにまったく反応を示さず、ヒュームの戦士は黙ったままだ。
「危険な場所なら尚更子どものことが心配です!」
「ここに入ったとは限らないではないか!こんなことをしている暇があったら別の場所を探したらどうだ?」
「本当に少しだけで良いんです、様子を見てきていただければそれで…」
「しつこいぞ!我々にはやらねばならない務めがある!!」
「人の命見殺しにしてまでやんなきゃならねぇ務めがあんのかよ」
まったくの圏外から放たれた言葉に、その場にいた者達は顔を上げて声の主を探した。
「お前らは戦いの場から離れていて命の大切さを忘れたのか」
続いて放たれたこの言葉で人々はどこからの発言か断定し、視線を一点に集中させる。
視線が一斉に集まった先で、ノルヴェルトはぎょぎょっと震え上がり、連れに驚きの目を向ける。
セトの悪態に続いて怒気のこもった発言をしたワジジは、肩を怒らせて戦士達を睨みつけていた。
見物人たちが自然に身を引き、戦士達とノルヴェルトらの間に道が開く。
突然のことで呆然としている女を退けて、エルヴァーンの戦士が一歩前に出た。
するとそれまでピクリとも動かなかった騎士と思われる階級上のエルヴァーンが彼を制し、こちらに向き直った。
「なんだ貴様達……所属はどこだ、答えろ」
威圧感のあるそのエルヴァーンは別種族を相手にする気はないのか、何も言っていないフィルナードをじっと見つめてそう尋ねた。
発言したのはこっちだぞとピリリとするミスラとタルタルの奥で、漆黒のエルヴァーンが小さく舌打ちする。
干渉する気はなかったフィルナードは小声で、『余計な口出しをするものだ…』と毒づいてから、言った。
「遠くサンドリアの方から来た、所属なんて言っても分からんさ」
自分の足元を厳しい表情で見つめたまま答えるフィルナード。
―――と、そんな彼をエルヴァーンの戦士が目を細めてじっと見つめる。
「……あんた…知ってるぞ……フィルナードだ!」
思い出したように言う彼に騎士のエルヴァーンが尋ねると、彼は説明した。
サンドリアに一騎当千の功績を誇るエルヴァーンの騎士がいた。
漆黒の大鎌を躍らせ敵陣を切り裂くは死神の乗った風の如く。
その騎士はいくつもの戦闘で重要な戦力になったが、協調性のなさとその冷血さが噂になっていた。
上官の命を無視することは少なくなく、敵を殺すことに執着した『狂犬』とも言われていたと言う。
「ほぅ、フィルナード・J・セルズニックのことなら私も知っている。貴様があのフィルナードか」
「戦死したと聞いていましたが……」
騎士のエルヴァーンは『死にそこなったか、悪運の強い男だ』と鼻で笑った。
ワジジが歯軋りして一歩前に出るが、彼の頭を鷲掴みにしてセトが止めた。
この嫌な雰囲気の中、ノルヴェルトは驚きの表情でフィルナードを凝視する。
フィルナードがそんなに有名な騎士だったなんて。
でも、それほど名高く軍に貢献していたのなら、何故……。
「見たところ元気そうだが、なぜ国に戻らずこんなところにいる」
ノルヴェルトが抱いた疑問を、代わりにエルヴァーンの騎士が投げかけた。
「そんなことあんたにゃ関係ないじゃん。うちらはあんたらに駄目出ししてんだよっ」
フィルナードに向けられたエルヴァーンの視線を遮るようにセトが前に出た。
人を押さえておいて自分だけ前に出るとは…!とワジジも負けじと進み出る。
「彼女は少し様子を見るだけで構わないと言ってるぞ。
それぐらい独断で応じても良いようなもんだ。案外すぐ近くで死んでるかもしれないだろう」
ぼかりとセトがワジジの頭に拳を落とす。
女性は嬉しさとも恐ろしさとも言えない感情の入り混じった顔をして立ち尽くしている。
どんどん前に出る二人と微動だにしないフィルナードの中間で、ノルヴェルトは後ろにいる漆黒のエルヴァーンの方をちらりと振り返る。
疑問の答えを知りたかったノルヴェルトは、セト達が話を戻してしまったことが少し残念だった。
「あんたらが行かないってんなら、うちらが行ってやんよ。それなら文句ないんじゃん?」
踏ん反り返ったセトが勝手にそんなことを言い出した。
周りがざわつく中、エルヴァーンの戦士とヒュームの戦士が一度顔を見合わせて、それから上官のエルヴァーン騎士に視線を送る。
セトの申し出に一旦眉を開いた騎士は、表情を苦々しいものに変え、皮肉れた笑みを浮かべた。
「随分だな、これしきのことで……。貴様らのお頭が許可すればいいが」
見下したような言い方をする騎士は、相変わらずフィルナードに言葉を向ける。
それに対してワジジとセトの二人が肩を怒らせ、ノルヴェルトは動揺してフィルナードを見る。
フィルナードはほんの少しの沈黙を置くと、小さく溜め息をついた。
「…………これを知ったら、うちのお頭は俺達が止めても行くだろう」
呆れたようなため息まじりの声で言い、肩をすくめる。
ノルヴェルトは、長い黒髪の隙間からフィルナードの口元が何かを笑っているのを見た。
あとがき
せっかく静かに過ごしてたのに、巻き込まれ狂犬。"お頭"は俺じゃねぇし。ってね。(´∀`)何