信じた先に

第二章 第十二話
2005/03/25公開



「ーーば…っ…」
目を見開いた軍師の口から声が漏れた。
その瞬間――血の塊が吐き出される。
女子どもは恐れの悲鳴を上げて身を縮めた。

皆、驚愕の眼差しでマキューシオを見つめて立ち尽くしていた。

「――父上っ!!!」

泣き喚いていた子ども達ですら泣くのを忘れたその時、そんな叫び声が聞こえた。
飛び出してきたのは、あの赤髪の美青年騎士だった。

脱力して傾く軍師の体を支え、マキューシオは丁寧に横たえながらその体から剣を抜く。
そして開かれたままになっている軍師の目をそっと閉じた。

「父上ぇぇぇ!!!」

軍師の体に駆け寄る青年騎士。
マキューシオは背を向け、一振りして剣についた血を払う。

「……き…貴様ぁ!!」

銀髪の騎士がマキューシオに叫ぶ。
腰の剣を抜き払い猛然と突進した。 だが、素早く飛び出したドルススが彼の横っ面に強烈な一撃をお見舞いする。
力一杯殴り飛ばされた騎士は吹っ飛び、周りの戦士達の中に突っ込んだ。
その直後――それに顔を上げた青年騎士に魔法がかけられる。
やはり彼も剣の柄を握ったが、脱力してどしゃっと地面に倒れた。

彼に魔法をかけて眠らせたのは、どうやら騒ぎを聞きつけて駆け付けたワジジのようだった。

それぞれ咄嗟の行動に出た仲間達を見て、マキューシオは目を閉じる。
そして静かに、ゆっくりと息を吐いた。
戦士達は地面に足が縫い付けられたかのように動く事ができずにいる。


マキューシオの剣が、人の血に濡れた。


どこかで誰かが呟いたのが聞こえた。

胸の鼓動がうるさい中、ノルヴェルトは師が剣を収めるのをじっと見つめる。

――不意に、マキューシオがノルヴェルトに視線を向けた。

「……ノルヴェルト、剣を収めなさい」

そう言われハッとして見下ろす。
ノルヴェルトは抜いた剣を力一杯握り締めていた。

綺麗な銀色のそれを見て、ぐっと歯を食い縛ると途端に涙が溢れてくる。
堪らなくなり、涙で滲んだ目で師を見る――彼はこちらに背を向けた。
それが余計に辛く、悲しくて、少年はぼろぼろと涙を零した。


「見張りの者の報告では、獣人軍はこちらに向かってきているようだ。あれは私達の存在を知っていてやって来た軍隊だと思って良いだろう」

表情のないマキューシオが淡々と告げる。

その頃になって、子ども達が泣く事を思い出し、徐々に泣き始めた。
子ども達だけでなく、その親も、難民達皆が泣き伏していた。

「フィルナードが一人でずいぶんと食い止めてくれた……。次は私達の番だ」

「騎士達は奥に寝かせておけ」

ドルススは近くにいた戦士に騎士達を移動させるように指示した。

これから戦いが始まる。

それをきっかけに、戦士達はそれぞれの役割を考えながら出される指示に耳を澄ます。

「各自、最終準備にかかれ。もう時間がない」

マキューシオが告げると、すぐさま戦士達は動き始めた。
剣を、槍を、弓を、杖を手に、自分の行くべき場所に向かう。

皆が一斉に動き出すと、マキューシオの周りにはいつもの顔触れが残った。
その場を動かず、マキューシオを囲むようにして立つ五人。

大きな体のガルカのモンク、ドルスス。
いつものお喋りな口を結んだミスラの戦士、セト。
小さな杖を小さな背中に背負ったタルタルの魔道士、ワジジ。
すすり泣く赤子を抱いたヒュームの戦士、スティユ。
そして、涙を拭い決意を固めたエルヴァーンの少年、ノルヴェルト。

彼らが視線を集める先には、皆が信じる希望の人。
マキューシオがいる。


「もう分かっていると思うが、今回ばかりは護衛部隊も前線に出てもらう」

マキューシオのその言葉を聞き、セトはゆっくりと頷いた。
護衛部隊の戦士達はすでに前線に立つ準備にかかっている。

「しかし、民がいる限り、ここを完全に留守にするわけにはいかない」

続けて放たれた言葉に五人は目を見開いた。

「ノルヴェルト。君はここに残ってもらう」

あまりにも早い展開に、ノルヴェルトは口を開くことしかできなかった。
そして『もう一人』とマキューシオが淡々と続けたところで、スティユがすかさず言った。

「嫌です!!!」

自分が指名されると察したのだろう。
キッとマキューシオを見据えて叫んだ。
一瞬、言葉を失うマキューシオ。

不意に、彼は視線を下ろすと、地面に落ちていた小石を三つ拾い上げた。
スティユは訝しげに彼の手元と顔を見比べる。

「この石を砕いた者だけ連れて行く」

そう言い放ち、マキューシオは三つの小石を放り投げる。

スティユがハッとした時には――それらの小石は空中で砕け散っていた。

ドルスス、セト、ワジジがそれぞれの武器で瞬時に一撃入れたのだった。

パラパラと砕け散る小石を愕然と見つめるスティユ。
彼女の腕には、小さな赤子が抱き締められていた。

「…………そういうことだ」

ドルスス達は、絶望の表情で立ち尽くすスティユを尻目に、黙ったまま去って行った。
準備に向かう彼らを見つめ、スティユは『やられた』という顔をしている。

あまりに急なことの運びに頭がついていかず、ノルヴェルトは唖然としていた。
少年にマキューシオが向き直る。

「君はスティユの指示に従って、民を護ってくれ」

真っ直ぐなブラウンの瞳が、少年の目を見つめる。

「……君が民の希望になりなさい」

ノルヴェルトは困惑した。

自分はマキューシオらと共に戦いたい……。
けれど…っ。

「嫌――嫌です!私も外で戦います!!」

スティユはマキューシオに詰め寄って必死に訴えた。

「もう決まったことだ。これ以上議論はしない」

彼女を見下ろし、マキューシオは淡々と告げる。

しかし、スティユは首を横に振るばかりでこれだけは聞き入れない。
『私達を信じろ』というマキューシオの言葉が、横で見ていたノルヴェルトの胸に重くのしかかる。
切迫した状況の中で、ノルヴェルトは胸の中で滅茶苦茶になっている恐怖や悲しみを心の奥に無理やり押し込む。

――もう、マキューシオ達を信じるしかない。


信じた先に何があるのか。
ノルヴェルトは先程、知ったばかりだというのに。


しかしスティユはまだ引き下がらなかった。
泣いているミスラの母親に赤ん坊を返し、帯刀していた短剣を握り締め『戦います』と繰り返している。
背を向けて自身に守護魔法をかけているマキューシオに、何度も、何度も。
スティユは、いくら言っても結論は覆されないと本心では分かっているようだった。
だが、掠れた声で、今にも泣き出しそうな顔で、何度も、叫ぶ。

「……スティユ」

後ろで懇願し続ける彼女に、もう時間がないというようにマキューシオが振り返った。
ああ…もう駄目なのだと、スティユは震える呼吸で言葉を飲み込む。

彼女が視線を上げると、黒髪のヒュームの剣士がひどく切なげな表情で立っていた。
それを見てスティユは息を詰まらせる。
すると、マキューシオがスティユの瞳を見つめたまま言葉を紡ぐ。

この状況では予想だにしなかった言葉を。


「この戦争が終わったら、結婚してほしい」


周りのざわめきに掻き消されてしまいそうな、弱い声。
驚きに硬直するスティユの瞳から大粒の涙が零れる。
横で聞いていたノルヴェルトの全身に震えが走った。

それは、スティユでさえ初めて聞いた。
彼が救いを求める言葉だった。

マキューシオが……。


ゆっくりと、自然にマキューシオへ身体を傾けるスティユ。
マキューシオははじめ受け入れようとしたものの、すぐに思い止まって彼女の肩を押さえた。
はっと目を見開くスティユから、マキューシオは俯いて視線を逸らす。

「この話の続きは、戦いが終わってからにしよう」

そう言うと、マキューシオは彼女から手を放し、踵を返す。
スティユは彼に手を伸ばそうとして止めた。
揺れる瞳で彼の背中を見つめる。

「……あなたは……いつもそうです」

涙を堪えようとしている彼女の白い頬を、何筋もの涙が流れていく。

そんな彼女の横顔を見、苦しくなったノルヴェルトは目を伏せた。
ノルヴェルトは自分がとてつもない衝撃を受けているのを感じる。


その時になって初めて、少年は理解した。
自分は淡い恋をしていて、その恋が今――終わったのだと。


「もう、目前まで迫ってきています!!」

出口から外の様子を覗った戦士が緊迫した声で報告を叫ぶ。
それに頷くと、マキューシオはゆっくりと洞窟内を振り返った。
準備を終えた仲間達の覚悟を決めた顔が、信じる人をじっと見つめていた。
マキューシオを見つめる彼らはヒューム、エルヴァーン、タルタル、ミスラ、ガルカ。
すべての種族が存在し、彼らはそれぞれの戦う術を手に、マキューシオを見上げていた。

「相手を倒すのではなく、護るための戦いであることを忘れないでくれ」

戦士達にマキューシオが落ち着いた声で呼びかける。

「民の命を、仲間の命を」

しゅらっと細身の剣を抜きながら、『そして』と続ける。

「自分の命を――護れ」

マキューシオの言葉に呼応するように、皆が一斉に武器を掲げる。


「――その言葉、あなたにそのままお返しします!!」


皆の喚声があがるかと思われたその時、スティユが叫んだ。
一瞬、戦士達は呆然とするが、思うことは皆同じだったようだ。

戦士達の熱い眼差しが再びマキューシオに集まる。

視線を集めたマキューシオは、ぐっと堪える表情を見せると、一見――頷いたかのように、俯く。
そしてすぐに顔を上げ、スティユとノルヴェルトに向かって告げた。

「戻ってくるまで絶対に外には出るな。何があっても」

「!!マキュー」

「行くぞ!!!」

スティユの言葉を遮ってマキューシオが声を放ち、戦士達から喚声が上がった。
勇ましい喚声の中、『ちゃんと答えてください!!』とスティユが叫んでいるのを、ノルヴェルトは隣りで聞いていた。
ノルヴェルトは胸が潰れるほどの苦しさに耐えながら師を見据える。

すると――戦士達の向こうにいるマキューシオが、最後に振り返ってこちらに何か言ったのが見えた。
戦士達の喚声で彼の声は聞こえない。
だが、何を言ったのかは、はっきりと分かった。

必ず戻る。


鎧の重々しい音を鳴らしながら、マキューシオに続いて戦士達が洞窟の外へと進んでいく。
ドルススも、セトも、ワジジも、戦士達の波に乗って外へと駆けていった。
洞窟の外は眩い光に満たされていて、その先には楽園があるのではとさえ思わせる輝きだ。
響き渡る喚声がびりびりと身体に響き、全身に鳥肌が立った。
ノルヴェルトは思わず自分の腕を押さえると、ふと隣りにいるスティユに目をやる。
スティユは声を殺して泣いていた。


外の明るさに目を細めながら洞窟から出た。
眺めると、前方には砂煙を上げながらこちらに向かってくる獣人の軍勢。
地面にある小さな石が大地の振動に踊っていた。
獣人達までの距離は四百メートルもないかもしれない。

続いて出てきた戦士達は、徐々に広がりマキューシオの後ろに整列した。
皆迫りくる獣人の軍を目にして厳しい表情をしている。

マキューシオは獣人を眺めて、ノルヴェルトの話よりも数が少ないように感じていた。
目を細め、雄叫びをあげてこちらに突進してくる獣人達の様子を凝視する。
見ると前線にいる連中は鮮やかな赤に身を飾っていた。
濁った獣人の血にまみれている者もたくさんいたが、マキューシオの目を引いた赤は、明らかに獣人のものではなく。
それを見た戦士達の手に力がこもる。
マキューシオは、己の心が感情に塗り潰されていくのが分かった。

魔法を唱え、剣に雷の力を宿らせる。
バチバチと青い稲妻が絡んだ剣から視線を上げ、マキューシオは無言の内に飛び出した。
彼に続くように、五百の戦士達は勝機のない戦場に向けて一斉に突撃した。



難民達ト残サレテ、ミンナ戦場ニ向カッテイク。

遠クカラ聞コエル戦イノ声。


ノルヴェルトは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。

どうして?

なぜ?

何でだよ?

怖い。

嫌だ。

奪わないで。


堪らず頭を抱える。
すると、スティユがノルヴェルトの腕をそっと掴んだ。
疑問符を浮かべて顔を上げると、彼女は静かにエルヴァーンの少年へ身を寄せる。
ノルヴェルトの腕を掴む手を微かに震えさせながら、スティユはか細い声で言った。

「ねぇ、ノルヴェルト。……あの人達は、帰ってくると思う?」

向き直ると、彼女はノルヴェルトの胸に額を押し当てた。
弱っているスティユを見下ろして一瞬固まる。
だが次の瞬間、ノルヴェルトは過去の自分の言葉を思い出した。

『……この世界に……「絶対」なんてないよ…』

『みんなが生きて…、…平和な……世界……。平和な世界でみんなで笑って……無理だよ、…そんなのっ…できっこないじゃないかぁ…!!』

あの時マキューシオは、抱き締めてくれた。


「……みんなは帰って来ます……帰って来るよ。……絶対」

ノルヴェルトはスティユの細い身体を抱き締めた。
思うのは、マキューシオのこと。

今の俺なら、もう背負うことができます。
あなたが背負い切れなかった少しのものなら、背負えます。

ずっとあなたに背負われてきた。
俺はもうあなたの背中から降りて、あなたの隣りを歩きたい。


「……帰ってくる、絶対」


ノルヴェルトの言葉を聞いて、スティユはゆっくりと顔を上げた。
そして頷いて小さく微笑むと、少年から体を離して目を擦る。

ノルヴェルトは奥で震えている難民達を見やり、口を引き結んだ。
彼と同じように難民を見つめて、スティユは腰の短剣の柄を握り言った。

「……諦めないわ、最後まで」




――洞窟の、外。
もう、どこに誰がいるのか分からない。
マキューシオはただ、目に付く敵をひたすらに斬り捨てていた。
辺り一面、砂塵の舞う中アルタナの民と獣人が獣のように殺し合っている。

突撃した際、大勢いるオークの中には、すでに重症を負っている者もいた。
大きな刃物でばっさりと斬られたような傷を負い、歩くのがやっとの獣人もいた。

それは戦友が生きた証。

マキューシオは血にまみれ、気が触れたように獣人を斬り続ける。
視界の端では獣人や仲間達が徐々に倒れていく。
マキューシオ自身いくつもの傷を負い、剣を握る手は痺れてほどんど感覚がなかった。
仲間達は明らかに体力を消耗している。
――だが、獣人の数は一向に減っている気がしない。

そう、あとはこちらが力尽きていくだけだ。

残りの時間は獣人達が徐々に優勢になり、立っている戦士達の数が減っていくだけ。

絶望。

絶望。

絶望。


剣を振り上げたオークの喉に剣を突き刺す。
血を吐きかけて倒れゆくオークを押し退けると、マキューシオの脇腹に浅く槍が刺さった。
顔をしかめて咄嗟に刺さった槍を掴むーー槍の持ち主であるオークが更に力を込めた。
野蛮な造りのその槍を腕で乱暴に叩き折り、オークの体を斜めに斬り付けた。
悲鳴をあげるオーク。ーー反射的に身を低くする。
別のオークの斧が肩を掠め、今斬り付けたオークの胸に刺さった。
味方の体から自分の斧を引き抜こうとしているオークの胸に剣を突き刺す。
素早く引き抜きーー襲い掛かってきた別のオークを剣でなぎ払った。
剣に顔を撫でられたオークは悲鳴をあげて顔を押さえる。
血で咽る掠れた喉で必死に呼吸しながら、マキューシオは態勢を立て直し、脇腹に刺さった槍を抜いた。


ドルススは渾身の力を込めてオ-クの眉間に拳を叩き込んだ。
頭蓋骨が砕けたオークは血を噴出しながらその場に崩れる。
ドルススの足には二本の矢が刺さったままだ。
別のオークが振りかざした刃を手で乱暴に掴む。
血が滴るーー構わずそのままオークの顔面を殴る。
オークがくぐもった声をあげた。
不意にーードルススのもとに何かが飛んできた。
咄嗟に体の向きを換えてそれを避ける。
それは髭を生やした白髪のエルヴァーンの首だった。
彼の白髪は血にべったりと汚れており、視線の先では彼の体だと思われるものを持ったオークが雄叫びを上げていた。
ドルススはそのオークに突進すると、体当たりをして拳を振り上げると大きく咆えた。


弓矢を目一杯引き、セトは矢を摘む指を離した。
放たれた矢は魔道士に向かっていたオークの首に刺さり、その体を地面に転がす。
殴りかかってきたオークの拳を辛うじて盾で防ぐーー態勢を整えるために一歩下がった。
すると同じ護衛部隊の戦士と背中がぶつかる。
背中伝いに戦士の苦しそうな呼吸が感じられた。
何体ものオークがセトと戦士を取り囲む。
セトは歯噛みしてオークを睨み付けた。
しかし視線の抵抗を物ともせず、オーク達は一斉に踏み出す。
瞬間的に剣を握って低く構えるセトーーはっと目を見張る。
オーク達の向こう側で、魔道士のオークが魔法詠唱を完了させて杖をかざすのが見えた。


喉がからからになって、今にも吐きそうなほど気分が悪い。
身体が痙攣しており、それは限界を意味していた。

「畜生……畜生…っ」

戦場に出ると言葉遣いが最悪になる自分の声を聞きながら、ワジジは戦場を睨み付けた。
周りには落ち着いて立っている魔道士などいない。
皆、魔法を詠唱するために必死にオークから距離を置こうと逃げ回っている。
彼らの精神力もそろそろ底を尽きるだろう。
ワジジでさえ、立て続けに魔法を詠唱し過ぎて今にも倒れそうな状態だ。
汗が流れ込む目で見回すと、動かなくなった仲間達の姿が目立ってきている。

「――畜生っ!」

ワジジは搾り出した声でそう毒づく。
血の雨降る戦場のど真ん中に突撃した。

右を見ても左を見ても、傷付いた仲間、倒れゆく仲間。

ワジジはもう進めないと感じるまでひたすらに戦場を駆け、やがて立ち止まった。
そして天を仰ぐと、掠れた声で叫んだ。

「これが最後だ!しっかりやれよ戦士ども!!!」

次の瞬間、パァッと強い光がワジジを中心に広がり、周りにいた戦士たちを一斉に癒す。
一瞬その光に怯んだオーク達が、憎しみ溢れる表情で一斉にワジジに視線を集める。

突然癒しの魔法を浴びた戦士達の中に、マキューシオがいた。

驚愕した表情を向けるマキューシオに気がつくと、ワジジは苦笑して杖を構えた。
オーク達が一斉にワジジに襲い掛かる。

「――ワジジッ!!!」

血の滴る体で、マキューシオは駆け出した。





子ども達は泣き疲れたようで、今は苦しそうに喉を引きつらせていた。
母親達も、もはや死んだもののように虚ろな表情で一点を見つめている。

そんな彼女達を肩越しに振り返って、ノルヴェルトは息をついた。
そして、隣りに立っているスティユと同様に、再び洞窟の出口をじっと見つめる。

マキューシオ達が出て行って、どれくらい時間が経っただろう。
もう何ヶ月もここで彼らの帰りを待っているような気がしていた。

外の騒がしさが、徐々に収まってきたように感じる。
数分前からは、戦闘にしては静か過ぎるんじゃないかと思うくらい静かだ。

戦いは終わったのか?

でも、まだ外には大勢の何かがいるような気配を感じる。
入り口をじっと見つめているスティユの呼吸は震えていて、表情は緊張に満たされていた。
ノルヴェルトも、滲み出てくる汗もそのままに、ただ入り口を睨んで口を結んでいる。


――と、その時。
入り口から差し込んでいる光が何者かによって遮られた。

「!!!」

ノルヴェルトとスティユは瞬時に低く構え、剣に手をやる。
心臓がはちきれそうなほど拍動が激しくなる。


慎重に、ゆっくりと姿を現したのは、見知らぬエルヴァーンの女だった。
彼女はこちらに気が付くとハッとした表情をして、外に向かって何かを叫ぶ。

ノルヴェルトとスティユは訳が分からず、ただじっと彼女を見つめた。
用心深く入ってきたエルヴァーンの女性は武装しており、どうやら騎士のようだ。

「ご無事ですか?」

声を掛けられ、その時になって初めてノルヴェルトとスティユは視線を合わせた。

次の瞬間、スティユは無言のまま突如駆け出した。

真っ直ぐ出口を目指すスティユを、慌ててエルヴァーンの女騎士が腕を掴んで引き止める。

「あっ、今は外に出ない方が……!」

「――ッ!!」

必死に告げる彼女の言葉を聞き、スティユは力一杯彼女の手を振り払い、外へと駆け出した。
彼女を追ってノルヴェルトも外へ飛び出す。








ああ、神様。


あたりは一面肉の塊が転がった、血の沼になっていた。
獣人も、戦士達も、区別されることなく、そこら中に転がっている。
赤い液体にぬめる大地に、動かなくなった身体がーー。
ノルヴェルトは意識が遠退くのを感じた。


「……嫌ぁぁぁぁぁぁ!!!」


スティユが自分の肩を抱いて叫んだ。

一面に広がる赤黒い沼には、見知らぬ騎士達が動き回っていた。
偶然近くを通ったアルタナの民の軍が加勢してくれたのだが、ノルヴェルト達がそのことを知ったのは大分後になってからだった。


「私達が加勢した時には、もう……」

追って出てきた女騎士が言い難そうに口にする。
スティユはそんな声など聞こえていない様子で、血の沼に駆け出した。


「マキューシオ!!」

赤黒い泥がスティユのブーツを汚す。

「ドルスス!!」

足元にあるものすべてがその泥にまみれていて。

「セト!!」

吐き気を催すような臭いに辺りは包まれていて。

「ワジジ!!」

スティユはそんな沼の中を自分も汚れながら叫び回って。

「みんな……っ」



「スティユーーー!!!」

自分を呼ぶ悲鳴のような声に、スティユは足を止めた。
ぬるりとした地面に足を取られながらも、自分を呼んだ声のもとに駆けつける。

声の主であるノルヴェルトが、愕然とした様子で立ち尽くしていた。
息の上がったスティユは乱れた髪を乱暴に退けて彼の視線の先を見る。
次の瞬間――口に手を当てて息を呑んだ。

足の踏み場がないほどに死体が転がる中で、数体のオークの死体が積み重なっていた。
その死体の山に背を預けて、力なく座っている男がいる。

傷だらけで、見ただけでは生死が分からないヒュームの剣士。
剣士の片腕の中には、泥にまみれた小さな身体があった。
無神経な言葉ばかり吐く、あの小さな魔道士だ。
幸い、彼がどれほど酷い状態なのかは、こびり付いた泥でよく分からない。
もう二度と動くことのない小さな身体を抱きしめた剣士が、赤黒い泥で汚れた顔で、辛うじて片目を開く。


「…………ィユ……?」



スティユは泣き声を上げて、マキューシオに抱き付いた。
汚れることなど構わずに、大粒の涙を流しながら彼の身体を強く抱き締める。
マキューシオも、ワジジの体から、スティユの背中へとゆっくりと手を移す。


微かな声で『スティユ』と繰り返すマキューシオには、右腕がなかった。





それから二ヵ月後、クリスタル戦争は終結した。



<To be continued>

あとがき

相変わらず村長が好き勝手に書いている適当ストーリーなわけですが。
フィルナードの特攻が第二章の第一関門であるならば、これが第二関門ですね。

今まであったものが失われるのは、突然で。
それも一瞬で。
そして、状況がガラリと変わるのもまた、突然だったりします。
現実って、本当に理不尽ですよね。

というわけで、『ノルヴェルト、失恋』の巻でした。←マテ
あと、すみません、タイトル修正しました。