失われる人

第二章 第十一話
2005/02/19公開



『獣人の殺し方なら俺が教えてやる』

砂にまみれた銀髪の少年と、漆黒の鎧を身に纏った男の出会い。
――――彼に対する恐怖が尊敬に変わったのはいつからだろう?
『…ちっ……結局子守りか』
『さっさと殺さないと、先手取られるぞ』
ノルヴェルトの頭の中では、フィルナードと共に過ごした時間の記憶が、嵐のように滅茶苦茶に飛び交っている。
何故だろう、思い浮かぶのは遠い日のフィルナードばかりで、ここ最近の彼の姿がまるで浮かんでこない。
「…い、急げば……」
俯いて黙っていたセトが思い切って顔を上げるが、マキューシオは首を横に振った。
「もう、間に合わんよ」
落胆したドルススの声がマキューシオの言葉を代弁する。
「それに……彼の戦場を汚すだけだ」
ドルススの代弁にマキューシオが己の言葉を付け足した。
ぐっと奥歯を噛み締めて足元を見つめているマキューシオの姿は、周りにいる戦士達に『諦めるしかない』ということを自然と悟らせた。

あの鋭い目付きのエルヴァーンには、もう会えない。

そう思うだけで怖くて怖くて立ち上がることも出来ず、ノルヴェルトは泣き崩れたままだった。
後悔ばかりが溢れ、息が詰まり苦しげな嗚咽が漏れる。

押さえつけていた戦士二人が解放しても、一向に動く気配の見られないノルヴェルト。
そんな少年の背後にマキューシオは静かに立ち、言った。
「今は悲しんでいる時間はない。……立ちなさい」
いつもの穏かな口調とは違った、はっきりとした張りのある声。
最後にフィルナードと過ごしたノルヴェルトのショックは大きい。
フィルナードに対する厚い信頼故にこのような結果になったとすれば尚更だ。
それを考えた仲間達は、少年に酷なことを言っているマキューシオの顔を覗う。
しかし、ノルヴェルトが一番辛い、そんなことはマキューシオも充分理解していた。
「立ちなさい」
もう一度、マキューシオが言った。
その声がやっとノルヴェルトに届いたようで、少年がぴくりと肩を震わせた。
喉を引きつらせながら嗚咽を飲み込んで歯を食い縛る。
そして止めど無く流れる涙を手で擦りながら、ふらりと力無く立ち上がった。


「マキューシオ!!」

――――と、突然怒声が響いた。
皆が声のした方向に視線を集めると、戦士達を乱暴に掻き分けて騎士達が現れた。
後ろに二人の若い騎士を従えて、エルヴァーンの中年軍師は鬼のような形相でマキューシオに迫る。
「何事だ、説明しろ!!」
飛び交う報告の声を聞き付けたのだろう、彼らの表情はすでに動揺に満ちていた。
そんな彼らに向き直るとマキューシオは静かに答える。
「……獣人軍が現れました、数は推測五千。こちらに向かって来ているようです」
「何っ!?」
軍師が素っ頓狂な声を出し、後ろにいた二人の騎士も動揺した表情で顔を見合わせた。
しかしマキューシオは、その淡白な報告を終えるとすぐに彼らに背を向ける。
そして目元を真っ赤にして俯いているノルヴェルトに尋ねた。
「フィルナードは何か言ってなかったか?」
「…え………っぁ……」
まだ涙の止まらないノルヴェルトは、乱暴に涙を拭った。
滅茶苦茶になっている頭の中で、フィルナードが最後に言ったことを必死に思い出そうとする。
ところが、ノルヴェルトの回答を黙って待っているマキューシオの肩を軍師が掴んだ。
「おいマキューシオ!!それではどうするつもりなのだ!?」
生色を失った軍師がマキューシオに食って掛かる。
己の役職を忘れた軍師は、もはやただの怯える難民だった。
今更のことだが、どうやら彼は戦場では自分の能力を発揮できないタイプの軍師のようだ。
マキューシオは肩を掴む手を掴み、肩越しに軍師を軽く振り返った。
「今は一刻を争う事態です、どうかお静かに願います」
事務的にそう言って肩の手を外した。
騎士達が一瞬言葉を失ったところで、丁度ノルヴェルトが顔を上げる。
「フィルナ…ドは、『静かに』…って」
ノルヴェルトは彼と過ごしたあの最後の時間のことを鮮明に思い出したかった。
フィルナードの声も表情も、言葉の一つ一つは勿論、足元にあった小石の数さえも。
だがそんな願いは叶うはずもなく、辛うじてフィルナードの伝言を思い出しただけにとどまった。
「やり過ごせということか……」
腕を組んだドルススが深刻な表情で呟く。
あの数相手では敵うはずがない、身を隠して何とか獣人軍を回避しろ。
フィルナードの言葉にはそういう意味が込められていたようだった。
「ここが見つかる前に入り口を塞いでしまえ!早急にだ!!」
思い付いたように軍師が叫んだ。
疲れとストレスで精神的にも滅入っている様子だった彼。
今や弱さの塊と化している軍師は喉を枯らして叫ぶ。
「何を突っ立っているっ!早くしろこれは命令だ!!!」
耳を劈くような声が響く。
さすがに苛立ち始めた周りの戦士達の内の一人が、もう限界だと言わんばかりに口を開く。
すると、その戦士を制して、軍師に背を向けていたマキューシオがゆっくり振り返ると同時に言った。
「軍師殿……貴方は少し勘違いをしてらっしゃるようだ」
真剣な表情で真っ直ぐに軍師の目を見つめる。

「ここに貴方の軍はありません」

この時になってやっと爽快な瞬間がやって来たと、ノルヴェルトは思った。
いや、多分皆が待ちわびていた瞬間なのではないかと思う。
「戦友が命を懸けて与えてくれた貴重な時間を、お前さんで無駄にはしたくない」
険しい表情のドルススもさすがにほとほと愛想が尽きたのか、彼に似合わない冷たい声で言い放つ。
周りにいる戦士達も、言いたいことはドルススと同じのようだった。
一瞬呆気に取られたものの、『何だと!?』と憤慨する騎士達。
しかしマキューシオはこれ以上彼らに構う気はないようで、くるりと向きを換えると歩き出す。
「ワジジ、後衛と前衛一名ずつのペアを何組か編成して見張りの者達を呼び戻す」
そう言いながら出口の方へ向かうマキューシオ。
ワジジは『おぉ!』と彼の後ろについて行き、周りの魔道士達も後に続いていった。
「よし、速やかに準備にかかって体勢を整えよう」
ドルススがそう呼びかけると周りにいた戦士達もざわめくのを止め、静かに返事をした。
「ノルヴェルトも、辛いとは思うが今は耐えろ。いいな」
そう言ってドルススがノルヴェルトの肩に大きな手を置く。
ノルヴェルトはそのガルカの優しさ溢れる言葉に口元を引き締め、深く頷いた。

「さぁ、奥へお戻りください」
そこで、立ち尽くす騎士達にスティユが声を掛けるのが見えた。
騎士達は突然の屈辱的な事態に言葉も出ないのか、口を半開きにしたままスティユの促しに流される。


―――――と、洞窟内が静かになったところで、絶え間無く響く声が浮かび上がってきた。
それは洞窟の奥からはっきりと聞こえてくる。
子供の、泣き声。

はっとしたようにスティユが駆け出し、ノルヴェルトもそれを追うように奥に向かって走った。
奥の方へ行ってみると、難民が連れた幼い子供達が泣き喚いていた。
その様子を見てスティユはさっと背筋が冷たくなるのを感じる。
「大丈夫よ……だから泣かないで…お願いっ……」
両手で二人の赤子を抱き締めたミスラが祈るように呟いていた。
ミスラが抱いている二人の赤子は、周りの只ならぬ空気を察して泣き出してしまったのだ。
その泣き声に反応して、エルヴァーンの女性が連れた幼い少年も泣き出してしまったらしい。
近くにいる他の家族は、親子をまるで恐ろしいものを見るようにして身を引いていた。
けたたましい命の叫びは静かになった洞窟内に響き渡り、辺りに更なる緊張が走る。
「大変……っ」
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
駆け寄るスティユにミスラは泣き声で何度も謝罪した。
『大丈夫、落ち着いてください』と言い、スティユは片膝をついて赤ん坊の一人をミスラから請け負う。
洞窟内は非常に声が響き、これがどんなに恐ろしい事態か理解した瞬間にノルヴェルトは眩暈がした。
幼い子供にいくら説こうとも無駄だ。
泣いてはいけないと言われて泣き止む子供などいるわけがない。

「おい!」
どうしたら良いか分からず立ち尽くしていたノルヴェルトを押し退けて、怒鳴り声と同時に騎士が進み出た。
「馬鹿者!早く黙らせぬか!!」
子供達の喧しい泣き声の中で、気の荒そうな銀髪の騎士が叱咤する。
その怒鳴り声に他の家族達も身を縮め、子供達は一層泣き声を大きくした。
ノルヴェルトがキッとその騎士を睨み付けると、彼に続いて軍師やドルスス、セトもやって来たのが見える。
「やめてください、子供達が怖がりますっ」
ミスラの赤子を抱き抱えたスティユが力一杯騎士を睨み上げた。
エルヴァーンの子供も、ミスラの赤ん坊二人も一向に泣き止む気配はない。
「えぇい黙らぬなら殺してしまえ!!」
驚いたことに、恐ろしい形相で迫ってきた軍師がそんなことを言った。
それには皆耳を疑い軍師に目を見張る。
「な、何てことを……!」
「皆が助かるためには多少の犠牲も必要である!覚えておくが良い!!」
顔を真っ赤にした軍師が剣を抜くのを見て、エルヴァーンの母親は引きつった悲鳴を漏らして我が子をきつく抱き締める。
幼い命達は悲鳴にも似た泣き声で一際大きく叫ぶ。
今朝保護したばかりのエルヴァーンの娘も、堪らず耳を押さえて悲鳴をあげた。
目を血走らせた軍師が、悲鳴と泣き声の中スティユが抱いた赤子に向かって剣を振り上げる!
「やめて!!!」
スティユは叫ぶと赤子を庇うように身を小さくした。
皆が驚愕の表情をしたその瞬間、軍師の向こう側でドルススが一瞬歯を食い縛ったのが見える。
剣が振り上げられたのを見てノルヴェルトは口を開いて咄嗟に剣へ手を伸ばした!

ところがそこで、軍師はぐっと歯を食い縛ると振り上げた剣を止めた。
酷い興奮状態になっているものの理性はまだ残っているのか、剣を掴んでぶるぶると戦慄く腕がゆっくりと下ろされる。
剣を止めた軍師を見て、ノルヴェルトも一気に安堵し、止めていた息を吐き出した。
軍師が剣を下ろしたのを見て、周りにいた戦士達も我に返り、彼を押さえつけようと足を踏み出す。

――――とその瞬間、一旦剣を下ろした軍師が目を見開いて再び一気に剣を振り上げた!!!
殺意が溢れた鬼のような顔で、スティユ目掛けて剣を――――

ノルヴェルトは、一瞬で頭の中が真っ白になった。




人々の悲鳴とその瞬間の出来事はすべて、ほぼ同時だった。


赤子を庇う体勢を取っていたスティユが、恐る恐る視線を上げる。
荒い息をつきながら乱れた髪の隙間から見上げると、目の前にはあの瞬間鬼となった軍師が驚きの表情で立っていた。
彼の手には剣が握られていて、それは不思議な角度でぴたりと停止している。
それに眉を寄せるスティユだったが、次の瞬間、軍師の胸から剣が飛び出していることに気がついた。
人間の赤い血を滴らせるそれに目を見張ると、次に、軍師の背後に人が立っているのに気がつく。



その人の名は――――――



「……確かに…皆が助かるためには……多少の犠牲も必要ですね」




―――――――――――――マキューシオ。




<To be continued>

あとがき

というワケで、「やった!!!」な第十一話でした。
もー…何も言えん(;´Д`)