定められし役目

第二章 第十話
2005/01/23公開



「もう大丈夫ですから、ゆっくり休んでください」
艶を失ったブロンド髪の娘の前に屈んで、もう何度同じようなことを繰り返し言っただろう。
エルヴァーンらしい凛々しい目をした彼女は、ただ黙ってじっとこちらを見上げるだけだった。
真っ直ぐな、何かを訴えるような、涙が滲む瞳で。
このエルヴァーンの若い娘は、ここの洞窟に一人で隠れているところを発見された。
この洞窟は入り口は狭いものの中は案外広く、一団が全員入れるくらいの大きさである。
天井は高く、壁の凹凸がここは天然に出来た洞窟であると物語っていた。
皆が調べたところ落盤の心配はなさそうで、この空間への入り口は一つだけなので警戒もし易い。
雨風を凌げる良い場所が見つかったと皆が喜んでいるのを眺めながら、何となく、此処は数年前に自分が難民達と隠れていた場所に似ているとノルヴェルトは感じていた。

ついさっきまで、この娘はずっと泣きっぱなしだった。
他の戦士達はお手上げだと言って、彼女を俺に任せ去っていってしまった。
こういう時に限ってマキューシオ達は手が空かない。
とりあえず落ち着くように言い、慰め続けるしかなかった。
それで、何とか泣き止んだと思ったら、次はただじっと見つめてくる。
俺は何だか居心地が悪くて、ついに彼女の元を立ち去る決意をした。
「では、何かありましたら近くの者に言ってください」
そう言いながら立ち上がると、娘は一瞬何か言いたげな顔をした。
が、視線を落とすとその場で座り直して『はい』と微かに返事をする。
「大丈夫、あなたは必ず街に送り届けます」
気まずくてしょうがないので、そんなことを言って彼女に背を向けた。
すると後ろから、一生懸命に絞り出した声で『ありがとう』と聞こえる。
軽く振り返って会釈をすると、彼女は小さく手を振っていた。

「にっしっし、あれって脈ありなんじゃ~ん?」
歩きながら溜め息をつくと、不意に横からそんなからかいの声が聞こえた。
「………そんなんじゃありませんよ」
立ち止まって、こちらにやってくる自分よりも小さいセトを上目遣いに見つめる。
どうやら見張りの分担が終わったようだ。
「んや~、あれは『私の騎士様』を見る目だった!」
「からかわないでください」
ケラケラ笑うセトは相変わらず楽しそうで、彼女には一体いつまでからかわれ続けるんだろうと不安にもなる。
白髪のミスラは俺の腕をビシビシと叩くと『この色男っ』と茶化した。
毎度のことだが、止めろと言えば言うほど彼女のからかいは熱を帯びる。
「マキューシオは騎士のところですか?」
こういう時はさっさと話題を変えるに限る。
「や?うん、そやね。また色々と難しい話してるんじゃん?」
ゆらゆらと尻尾を揺らしながら適当に言うセト。
俺は洞窟の中をぐるっと見回して何となく騎士達の姿を探した。
彼らは目立つのですぐに見つける事が出来る。
ここはかなり限られた空間であるし、さほど難民を連れていないので人を探し易かった。
今は打ち合わせをする戦士達が右往左往しているので見つからないかと思ったが、やはり周りと雰囲気の違う彼らの姿は自然と浮かび上がって見えていた。

物資の確認や整頓、食事の準備や周辺の調査など戦士達は今大忙しである。
そんなことを考えると、ふと頭をよぎるのはあの人のことだ。
もう一度この薄暗い空間の中を見回すが姿は見つからない。
彼もある意味目立つ風貌をしていると思うのだが……。
「フィルナードは?」
尋ねると、セトは『そうそうそう』と思い出したように手を叩いた。
「さっきマキューシオと話してたらフィルナードが来てさ、『俺を見張りにつけろ』とか言ってきたんよ」

自分を見張りにつけろ、だって?フィルナードが自分から??

見張りの仕事に意欲的でないあのエルヴァーンのことを考えて、俺はフィルナードの考えていることをすぐに推理した。

「……それって、ここにいたくないだけなんじゃないですか?」
「あっ、やっぱそう思うよね!?絶対そうだってマジで。しかもあれだよ、それうちに言ってくるんじゃなくてマキューシオに言うんよ?」
ぶーぶーと口を尖らせるセトは『感じ悪~』と明後日の方向を恨めしそうに眺めた。
全体のリーダーはマキューシオなので別に道理に反してはいないが、護衛部隊の代表であるセトとしては少し不満があるようだ。
今まで見張りを任せてみてもただ座っているだけのような取り組み姿勢だったので、フィルナードが自分から見張りにつくなどという進言はただただ意外だった。
「それで、フィルナードは見張りに?」
「うん、マキューシオがOK出した」
マキューシオはフィルナードに甘い、とセトの顔が言っていた。
確かにマキューシオのフィルナードを見る目は他とは少し違うような気がする。
まるで他の皆とは違うフィルナードを見ているかのように。

「んでさ、フィルナードに付けって」
考えていると、突然そう言われて指を突き付けられた。
「えっ、マキューシオが?」
「ん~マキューシオもだけどフィルナードも、『見つけたら俺のところによこせ』って」
孤独を愛するフィルナードには珍しい発言だ。
何事だろうと訝しむと同時に、正直少し嬉しかった。
自分だって、なるべく騎士達から離れていたい。
腹の立つものをわざわざ眺めているほど自分の器は大きくないと分かっている。
それに、その内自分だって見張りを任されるようになる。
見張りの演習だと思えば良い機会である。
「何だかんだ言ってさ、結構あんたのことお気に入りなんじゃん?フィルナード」
にっと笑って小突いてくるセトに『俺行ってきます』と言うと、唯一の出口に向かって駆け出した。
「頼んだ~っ!」
後ろからの励ましの言葉に手を振り、何となく騎士達のいた方へ視線を向ける。
戦士達の群れの向こう側、洞窟の一番奥で、騎士と何やら話をしているマキューシオが見えた。



   *   *   *



青い青い空には、雲はほとんどなかった。
風は吹きすさぶわけでもなく、大人しく微かに大地を流れていく。
もうすぐ正午、輝く太陽は真上で無償の光を地に与え続けていた。

いくつもの高い岩場が存在し、規模の大きい凹凸があちらこちらにある。
皆が拠点にしている洞窟は崖の下の岩場にある割れ目から入れる。
中には、徐々に数を増やして約五〇〇名なった戦士達が全員入れるほどの丁度良い広さだ。
現在連れている難民は合計八名。
幼児一人を連れたエルヴァーンの女。
二人の赤子を抱いたミスラに、ヒューム族の老婆とその孫娘。
そして今朝方保護したあのエルヴァーンの若い娘。

あの拠点の環境や難民の数を考えると、今なら総力戦が可能だなどと考えながら、フィルナードは崖の上でただじっと腰掛けていた。


「やっと見つけた……っ」

と、背後の緩やかな斜面から銀髪のエルヴァーンの少年が上ってきた。
息を弾ませてやってきたノルヴェルトは額の汗を拭いながらフィルナードに歩み寄る。
「こんなところにいたんですか、探すのに苦労しましたよ。まさかこんなに離れた場所にいるなんて……」
フィルナードがいるのは、皆がいる場所から少々距離がある場所だった。
高さは建物で言うなら三、四階建てくらいの高さがある崖の上である。
「……遅かったな…」
「そう言うなら居場所伝えておいてくださいよ」
マイペースなことを言うフィルナードを横目で見て溜め息をつく。
「…こんなに離れちゃって、いいんですか?」
拠点の方向を振り返って目を細めると、小さくだが洞窟の入り口がある岩場が見える。
頭上から眩しく日が照らす中で、ノルヴェルトは再度汗を拭うとフィルナードの隣りに腰掛けた。
するとぼそりと『お前は周りを見ていろ』とのお言葉をいただく。
言われた瞬間は愕然としたが、ノルヴェルトは諦めて立ち上がった。
ぐるっと見渡すと乾燥した大地が広がっている。
少々拠点から離れてしまってはいるが、ここは相当見渡しが良い場所なのだと気がついた。
風も良く通り、周りの様々な情報がこの場所に集まっているように感じられる。
「何故見張りなんかする気になったんですか?」
手をかざして遠くの方を眺めながらフィルナードに尋ねる。
先程から座り込んで微動だにしない漆黒のエルヴァーンは、案外すぐに答えた。
「……風が……大地が、俺の耳に囁くんだよ……俺が行けとな」
いつものことだが長い髪で彼の表情は見えない。
「聞こえるか?」
「え。………………何がです?」
「そう、俺にしか聞こえん」
ノルヴェルトは耳を澄ましたが確かに何も聞こえない。
彼が言っている『聞こえる』というのは、感覚的なものの表現なのだろうか。
ノルヴェルトはフィルナードが何を言っているのかよく分からなかった。
「……何故俺を呼んだんです?」
ちらりとフィルナードを振り返る。
が、彼は何も答えなかった。
これには答える気が無いのだと即座に理解すると、ノルヴェルトは溜め息をつく。
「まぁ、別に構いませんけど」
『正直俺、あそこにはいたくなかったので』と遠くに視線を戻した。

あそこにいても、騎士達の好き勝手な行動を目にして苛つくだけだ。

最近では騎士達が当然のようにチョコボを使用するので、情緒不安定なノルヴェルトはチョコボの世話係りから外されていた。
ノルヴェルトは感情がすぐに顔に出るので、その対処は賢明と言える。
騎士達に近付けないようにされているということで、今やノルヴェルトはワジジと同じような扱いをされているというわけだ。

先日ノルヴェルトは、納得がいかないことをマキューシオに全てぶつけた。
感情的な言葉をぶつける相手は毎度マキューシオで、それだけ彼は自分の中で大きな存在なのだろうとノルヴェルトは感じている。
兄のような、父のような、とにかく身内のような。
食って掛かることが多く申し訳ない気持ちにもなるが、マキューシオはいつも、全てを受け止めてくれる。
先日不満をぶちまけた時は、『サンドリアへ向かう』というのはほぼハッタリであると言っていた。
現にサンドリアの方向に向かっていると思うのだが、彼はそれ以上何も説明しない。
ノルヴェルトとしてはもう何が何やら。
結局、マキューシオが考えたことに関しては何も意見すまいと決めた。
疑問に思っても謎は解けないし、今までに彼が決断したことで間違ったことはなかったから。


「……マキューシオって…一人で考えてるんでしょうか…」

ふと考えて、思わずぽつりと呟いた。
マキューシオは見たところ、まだ二十代だと思われる。
あの若さで、約五〇〇もの戦士達の信頼を得、全体を指揮している。
何故あのように堅く立つことができるのだろう、彼を支えているものは?


ひょっとすると、フィルナードなんじゃないかと思った。

「あいつは人の何倍も、護れる力を持ってる」
背後でフィルナードが言った。
ぼそりと言ったその言葉に『俺とは違ってな』と小声で付け加えた彼を、ノルヴェルトは思わず振り返る―――。


―――とその瞬間、フィルナードに視線を向けようとした瞬間だ。
一面砂色だったノルヴェルトの視界にちらりと黒い点が映った。
疑問に思って目を止める。
その黒い点は、正面にある崖の向こう側に小さく現れた。
見ているとそれは雲の陰のように、崖の向こうからじわじわと染み出してくる。
点はいくつかの粒粒になり、影になり、やがて群れになった。

「…………フィル……」

ノルヴェルトの視線はその黒い群れに釘付けだった。
見る見る内に数を増やすそれは乾燥した大地をこちらに移動してくる。
黒い蠢きの中に翻る旗には何かの紋章が書かれているようだった。
そんなもの、はっきり見えなくても予想がつく。

―――――――――――獣人軍!!!!

「フィルナード」
一瞬にしてからからに干上がった口で、辛うじて発音する。
やっとの思いでノルヴェルトが獣人の群れから視線を外すと、フィルナードは自分の足元をじっと見つめていた。
「………数は?」
ノルヴェルトの声色で状況を察したのか、フィルナードが尋ねる。
ものすごい勢いで頭の中がパニック状態に陥っていくのを感じつつ、ノルヴェルトは獣人軍を見つめた。
「わ、分からない。でも…とにかく今までのとは桁違いです!!」
今まで戦闘を繰り広げた相手は、軍に合流しようと移動中の群ればかり。
数は多くて千前後だったであろう。
しかし、今、目前にいるのは獣人の軍隊だ。
軍にしてはまだまだ少ない数なのかもしれないが、ノルヴェルト達にとっては大きな敵だ。
兵器は持っていないようだが、数千のオークがこちらに向かって進んでくる。
「ざっと見てこちらの何倍だ?」
激しく動揺するノルヴェルトに比べ、至極落ち着いた様子のフィルナードは溜め息混じりに尋ねる。
「え、と…………十倍はいると思います」
自分で言ってノルヴェルトは絶望した。
さーっと背中が冷たくなり、その場に座り込んでしまいたくなる。

―――――ガツッ

ノルヴェルトの足元に一本の矢が刺さった。
生色を失ったノルヴェルトは突き刺さった矢に目を見張り、絶句する。

「くくく……さすが蛮族、目が良い」

噛み殺したような笑い声でそう言うフィルナードの元にも矢が飛ぶ。
すると漆黒のエルヴァーンは背中の鎌を手に取り、それを簡単に打ち落す。
そしてゆっくりと立ち上がり、獣人軍に発見されたことに絶望して硬直してしまったノルヴェルトに言った。
「お前は戻れ、客人が来たと伝えろ」
ノルヴェルトはそれを聞いてフィルナードの顔を凝視した。
相変わらずの厳しい表情をしたフィルナードは冷や汗一つかいていない。
「フィルナードは!?」
「ふん……俺はちょっとした余興をしてから戻る」
涼しい顔でとんでもないことをいうフィルナード。
「なっ、駄目ですよ!!フィルナード、一緒に戻ってください!!!」
フィルナードに詰め寄ると、彼は長い黒髪の中で唇を吊り上げていた。
そう、何故か嬉しそうに。

「………何故俺に戻れと言う?お前はまだ俺を知らないというのに」

冷たい、獣のような目が。
黒い炎に燃えているような気がした。

ノルヴェルトが彼の威圧的な視線に息を呑むと、『まぁ見ていろ』と呟いて肩を押し退けられる。
「ああ、念の為少し遠回りをして戻れ、川を渡ると良い」
そう言って漆黒の騎士は飛んでくる矢を再び斬り落とす。
徐々に飛んでくる矢の本数が増える中で、ノルヴェルトは唇を噛んだ。

………余裕なのだろうか……?

確かにフィルナードが大鎌を使って真っ向から敵と戦う姿は見たことがない。
しかし、いくら一騎当千と歌われたフィルナードでも、あの数は……。
あの獣人の軍団を一人で相手するなんて無理だ、そんなことできっこない!
でも早く皆に知らせなければ。

動揺した頭でゴチャゴチャと考えるが一向に結論は見えない。
自分の頭では決断できないと悟ると、後にはフィルナードに対する信頼のみが残る。
ノルヴェルトは意を決して、一人で戻るべく踵を返した。
「おい」
―――と、フィルナードが呼び止める。
「マキューシオに伝えておけ、『静かに』とな」
にやりと笑うフィルナードは、何故か自信と余裕に満ちていた。

言い知れぬ不安に満たされるが、ノルヴェルトは『分かりました』と答えて、大急ぎで自分が上ってきた緩やかな斜面を駆け下りて行った。
そんな少年を見送ることなく、フィルナードは目を細めてじっと獣人達を見下ろす。

青空の下に獣人達が列をなして向かってくる。
雄叫び、怒号が遠くから風に乗って崖の間にぼんやりと響き始める。

フィルナードはそんな獣人の群れに背を向けると、ゆっくりと歩き出す。
そして斜面を下り、崖をぐるりと回って正面に戻った。
そうすると崖の上から見ていた獣人達が数百メートル先まで迫ってきていた。
連中の目は今やフィルナードに集中している。
怒涛の如く向かってくる獣人達と対峙して、フィルナードは頭を垂れると溜め息をついた。


「…丁度良い。俺のこの命、貴様ら何匹分の価値があるのか試させてもらおう」

大鎌を片手に、顔を上げるとにやりと笑った。


「果たしてその数で足りるか?」



   *   *   *



太陽が照りつける中、ノルヴェルトは懸命に走った。
フィルナードに言われた通りぐるっと遠回りをして、今にも枯れそうな小川を渡り、息を弾ませて洞窟の中に駆け込んだ。
入り口付近にいた戦士達には何事かという目で見られ、膝に手をついて呼吸に徹していると近くの戦士が駆け寄ってきた。
「おい、どうしたんだノルヴェルト?」
『獣人軍が来た』と叫び回りたいくらいだったが、呼吸が苦しくてとても無理だった。
「……ッ……マキュー…オ……は?」
必死に、枯れた喉で尋ねる。
ざわめき出す周りから『マキューシオ』の名が木霊する。
皆がマキューシオを探し求める中で、ノルヴェルトは動揺と緊張でガクガクと膝が震えた。
「何事だ?」
「あれ、ノルヴェルト?」
ワジジとセトがやって来て、不思議そうにノルヴェルトの顔を覗き込む。
ノルヴェルトは荒い呼吸で咽そうになりながらも、彼らを必死の形相で見上げた。

「どうした?」

―――とノルヴェルトが口を開いたところで、マキューシオが現れた。
彼の後ろにはドルススとスティユが続いている。
案外近くにいたらしいマキューシオの登場で、ざわめく周りが自然と静かになった。
ノルヴェルトはマキューシオの姿を見て、思わず目頭が熱くなる。

「獣人の軍隊が、こっちに来ます」

かすれた声で言うと、一瞬で戦士達に緊張が走った。
皆顔を見合わせて息を呑み、報告の声がいたるところで叫ばれる。
「……軍隊か………数は?」
落ち着いた口調で静かに問うマキューシオは、不思議なほどに冷静だった。
「俺達の十倍はいますっ」
マキューシオが冷静な態度でいることで、伝える側も落ち着いて状況を報告できる。
そのはずなのだが、ノルヴェルトはもうどうしようもないほどに気が動転していた。
「真っ直ぐこちらに向かってきます!兵器は持ってなかった!俺は回り道をしてきたからあいつらまだこの場所は分かってないと思いますけどっ」
息が苦しいがそれよりも今は喋りたい。
そんな我が侭で自分の体を酷使しつつマキューシオに訴えた。
マキューシオは真っ直ぐノルヴェルトの目を見て黙って聞いている。
冷静な彼の後ろでは戦士達が静かに動き始めていた。

マキューシオの涼しい瞳を見つめていると、呼吸が安定してくると同時にノルヴェルトも段々と落ち着きを取り戻してきた。
一気に押し出そうとしていた情報を一旦飲み込んで、頭の中で整理しようと口を結ぶ。
「…や?ノルヴェルト、フィルナードは?」
三角の耳をぴくぴくと動かして、セトがきょとんとして尋ねた。
ノルヴェルトはハッと目を見開くとセトを振り返る。
「フィ、フィルナードは、余興をしてから戻ると……」
『先に戻れと言われました』と言うと、彼女達は眉を寄せて顔を見合わせた。
彼は戦う者としての信頼は厚いので、あの男は何をするつもりだ…と皆が囁き訝しむ。

「―――馬鹿な…っ!」

突然、信じられないというような声が背後で聞こえた。
驚いて振り返ると、そこには穏かな表情を崩したマキューシオが立っていた。
皆が疑問の視線を向けると、マキューシオは出口を見上げて愕然と呟く。


「フィルナードは……明るい昼間はほとんど何も見えない」



   *   *   *



漆黒の鎧を身に纏った騎士は、白い闇の中にいた。
本日は晴天、今は正午、何もかもが最高のコンディション。

全ては神の、否、死神の企んだ計画通りというわけだ。

運命の歯車の喧しい音が聞こえ始めたのは今日の夜明けから。
その時から漆黒の騎士は、己の終焉が見えていた。
数年前の負傷で使い物にならなくなったその目に、しっかりと。

とにかく時間がないと分かっていた。
獣人が向かってくる方向を、視覚を失う代わりに鋭くなった聴覚で割り出す。
他の戦士達が見張っているような位置では駄目だ、間に合わない。
適した場所を見つけて他の戦士に引き継がせる時間もない気がしていた。
だから、もう一人が必要だった。
それも自分のことを無償で信じる、使いに走らせるには都合の良い人間が。
自分はこの光の中で駆け戻ることなど不可能、獣人をわざわざ拠点へ道案内するようなものだ。
それならば、成すことはただ一つ。

もはや開いている意味のない目は閉じよう。

騎士は握った鎌の柄から伝わる手応えと、聞こえる音のみを信じて闇の中を舞う。
徐々に辺りが咽るような血の臭いに包まれていく。
久々に手に入れた自分だけの戦場。

騎士は嵐のような獣人の雄叫びの中で、薄い唇に笑みを浮かべた。

「後ろに何かあるというのも、スリルがあって良い」

漆黒の騎士は向かってくる殺気を斬り捨て、散るしぶきに体を潤し、身体の中で燃え滾る己の魂を感じながら闇の中で吠えた。


   *   *   *


「待ちなさい!」
無言の内に駆け出そうとしたノルヴェルトの腕を、マキューシオが素早く掴んだ。
しかしノルヴェルトはその手を乱暴に振り切って洞窟の出口に向かう。
『止めろ!!』というマキューシオの声にハッとした一人の戦士が、咄嗟にノルヴェルトに足を引っ掻ける。
勢い余って地面に滑り込むノルヴェルトだったが、彼は止まろうとはしなかった。
這いずってでも出口に向かおうとするノルヴェルトを二人の戦士が押さえつける。
「放してくれ!!フィルナードが!!フィルナードがぁ!!!!」
周りにいた戦士達は先程のマキューシオの言葉で沈黙してしまった。
マキューシオ以外誰も、フィルナードの目のことを知らなかったようだ。
想像もつかなかった衝撃的な事実に、皆呆然と立ち尽くすだけだった。

「フィルナード!!!」

最後に見た彼の表情はどんなだった?

「いやだ…嘘だ…!」

最後に何を話した?彼は何て言った?

「…フィルナードォ……ッ…」

見えていなかったのですか?
あの時も、あの時も。
だからあの時……だからあなたは……。

「フィルナード!!!」


こんなの嫌だ。

まだ、俺はあの人に。

あの人に!

……あの人に……まだ…。


「フィルナードォォォォォ!!!!」


ノルヴェルトの悲痛な叫びが、暗い暗い洞窟の中で悲しく響いた。



   *   *   *



――――――ガキンッ!!

空を切り、崖の側面に漆黒の大きな鎌が突き刺さった。



鎌よ。


お前とは共にいくつもの死線を越えてきたが……ついに別れの時が来た。

下賎な奴らにお前を踏みにじられるのは忍びない。

お前はそこで、黙って主の最期を見ているが良い。



お前にはやがて新しい主ができるだろう。

俺はあいつにお前を託すつもりだ。

だが、あいつがお前を使いこなせるまで、まだ少し時間がかかる。

それまで、お前も少し休むと良い。

俺を忘れ、新たな主を迎えるためにしばし眠れ。




鎌よ。




俺の代わりに、あいつがどんな道を歩むのか見届けてはくれないか。




鎌よ……。


<To be continued>

あとがき

負傷によってフィルナードの目は瞳孔が開きっぱなしというか何と言うか、少しの明かりも彼には非常に眩しく見えていました。
なので、これまでの彼の行動・言動にはこういった原因があったのです。
……という、今回は大暴露なお話でしたとさ。