荒野では風が吹きすさび、砂塵が波のように大地を走っている。
乾燥した植物は乾いた音を立てて押し寄せる波に堪えていた。
空を流れる大きな雲も、ぐんぐん風に押し流されていく。

少年は岩陰に隠れ、目を細めてじっと一点を見つめていた。
手には程よい大きさの石を握り締めている。
くたびれた服を来た彼の銀髪は砂にまみれてパサパサで、その隙間からエルヴァーンの長い耳が飛び出している。
幼い少年の細い腕にはいくつもの傷痕が残っていた。

――と、段々弱まってきていた風が一瞬止まった。
その瞬間少年は岩陰から身を出し、見つめていた方向に握っていた石を素早く投げる。
放たれた石は乾燥した植物の影にいた一匹の兎に命中した。
兎は短い悲鳴をあげてその場にひっくり返る。
少年はすぐさま兎の元に駆け寄り、伸びている兎を掴み上げてじっと見つめた。
砂で汚れた顔に笑みが浮かぶ。
それから、少年は再び風が吹き始めた中を駆け出した。


少年は兎を取った場所から大分離れた岩場にやって来た。
切り立った崖が風を受けて鳴いている。
大事そうに兎を持ったまま、少年は崖の下にある洞窟へと駆け込んだ。

洞窟に入った途端に、少年は何かを感じ取って足を止めた。
ここを出た時は静かだった洞窟の中が、何だか賑やかになっている。
そして次に、少年は鼻をつく臭いに気が付いた。
少年は弾んだ呼吸を整えながら、闇の中に目を凝らす。
すると、奥から誰かが這い上がってきた。
びくりとして凝視すると、それは少年の３つ年下の弟だった。


兄様、逃げて。


叫ぶ弟をよく見ると、体は黒い液体でべったりと汚れていた。
そして、段々闇に目が慣れてくると同時に、洞窟の中のシルエットが浮かび上がる。
生々しい破壊音と共に、洞窟の中から溢れ出す賑わいの正体は人々の悲鳴だった。

―――オーク。

少年は闇の中の殺気や、逃げろと叫ぶ弟にさえ恐れを感じ、その場に兎を放り出して後退る。
そしてゴツゴツした地面に足を取られ、転がるように洞窟の外に出た。
慌てて身を起こして座り込んだまま洞窟から離れようともがく。
すると近くにエルヴァーンの青年が横たわっていることに気が付いた。
彼は体に何本もの矢を受け、肩から腹部にかけてばっさりと斬られて岩陰に転がっていた。
察するに、見張りが気付く前にオークの攻撃を受けたのだろう。
少年は声にならない悲鳴をあげて後退った。

連合軍と獣人軍の衝突から逃れて、少年達は行く当てもなく何日も荒野をさ迷っていた。
同じように戦火を逃れた民と寄り添い、負傷した男達を連れ、恐怖や空腹と戦いながら。
昨日、運良く身を隠せる洞窟を見つけたばかり。
水と食料を確保するために行動を始めたのは今日が初めてだった。

少年は浅く忙しない呼吸の中で呆然と洞窟を眺める。

そうだ、もしかしたらまだ中で数名の男達が戦っているかもしれない。
少年はあの洞窟の中には負傷した戦士が何人かいたのを思い出した。
自分の母と弟もまだあの中に―――。

少年は転がっている青年の遺体の近くに、彼の武器だったであろう細身の剣が転がっているのを見つけた。
意を決してその剣を掴むと、少年は再び洞窟の中に駆け込んだ。


まず最初に少年を出迎えたのは、変わり果てた弟の姿だった。
咽るような血の臭い、奥から響いてくるたくさんの雄叫び。
そう、洞窟の中は地獄そのものだった。

―――と、少年に気がついた狂気が洞窟の奥から駆け上がって来る。
少年は荒い呼吸で立ち尽くしたまま、地面に転がっている弟と、赤い色彩で鮮やかに染まっているオークを見比べた。
体は燃えるように熱くなり、心臓が破裂しそうな勢いで鼓動する。
少年は、鬼気迫る叫び声をあげながら猛然とオークに突撃した。



気が付くと、少年は空と向かい合っていた。
すごい力で洞窟の外まで弾き飛ばされた体は言う事を聞かず、痺れて軽く痙攣している。
朦朧としていると、自分の上で交わる剣が見えた。
倒れている少年の顔のすぐ横に、大きな鳥の足が何度も足踏みする。
チョコボに乗った何者かが自分の上でオークに応戦していると理解できたのは、それから数秒経ってからだった。

やっと体が動くようになると、少年はゆっくりと身を転がしてうつ伏せになった。
そして全身の痛みに耐えながら、オークと剣を交えている人間を見上げる。
チョコボに乗っていたのは、黒髪の若いヒュームの剣士。

下がっていなさい。

その人が言ったような気がした。
少年は状況が理解できずにただぼんやりとしている。
やがて剣士はチョコボから飛び降りると、鋭い一太刀をオークに刻みその獣人を大地に沈めた。
その頃になって、洞窟の中から続々とオーク達が溢れ出てくる。
今斬り倒されたオークと同様に、出てきたオークは皆新鮮な赤い装飾。
少年が引きつった声を出すと剣士は少年の前に背を向けて立ち、オークの血のついた剣をぴっと一振りした。
一斉に突進してくるオークの群れを、彼は剣を構えて微動だにせず静かに待っていた。

するとその時、砂塵の間から大量の矢が風のようにオーク達に吹き寄せた。
突然の攻撃にもんどりうって次々と倒れるオーク。
少年が矢の飛んできた方向を見ると、砂塵の向こうから４匹のチョコボがこちらに向かってきていた。
そのチョコボの後に続いて、数十人の武装した戦士達が突入してくる。
見たところ彼らの種族は様々で、間近までくるとそれぞれに武器を抜く。
勇ましい喚声を上げて戦士達はオークの群れと衝突した。
少年は地べたに這いつくばったまま、突然始まった戦闘を見つめる。
衝突した瞬間の最初の一撃で、ほとんど決着はついているようであった。
次々と斬り捨てられ、奇声と悲鳴をあげて倒れるオーク達。

あっと言う間にオーク達は殲滅され、戦士達が武器を納める小さな音の後は、再び風の音だけになった。

呆気に取られた様子で少年がゆっくりと身を起こすと、不意にその身が暖かな光りに包まれた。
驚いて顔を上げると、先ほどの剣士が少年に魔法を唱えたところだった。
癒しの光りを浴びた少年の体からはみるみる苦痛が消えていく。
「少年、毒には犯されていないか？」
そう言いながら手を差し出す剣士。
少年が座り込んだまま差し出された手を見つめていると、ヒュームの女がこちらに駆け寄ってきた。
「マキューシオ！」
長いブロンドの髪を揺らしながらやってきたその女性も、その華奢な体に鎧をつけていた。
他の戦士達に比べて多少軽装備な彼女は、肩を怒らせて言う。
「一人で突っ走るのはやめてくださいと何度も言ったじゃないですか！」
軽く息を弾ませた彼女の表情は厳しい。
「…すまない、この少年が中に戻っていくのが見えたからつい。助けたかったんだ」
睨む女性にそう言いながら、剣士は少年に視線を落とした。

女性は少年を見下ろして一旦口篭もったが、やはりまだ何か言いた気に剣士に視線を戻す。
「まぁいいじゃないか、いつものことだ」
彼女が口を開いたところで、洞窟の方からモンクの装備をしたガルカが小さなタルタルと共にやって来た。
それに気がついた剣士が彼を出迎えながら尋ねる。
「どうだ？」
「駄目駄目！ひでぇもんだよ、もう滅茶苦茶！残念だけどそいつだけだ」
「おい」
無神経に少年を指差す魔道士らしきタルタルを、隣りのガルカが静かに諌めた。
彼らがそっと少年の様子を覗うと、少年は座り込んだまま自分の手元を見つめている。
「…そうか」
残念そうに剣士は呟くと、手に握ったままだった剣をすらっと腰に収めた。

―――とその瞬間、座り込んでいた少年が突然駆け出した。
「うああああああああ！！！」
少年は先ほど自分が握った剣を拾い上げ、猛然とオークの死体に斬りかかる。
それを見た戦士達は仰天して少年の元に走る。
「何を…やめなさい！」
ヒュームの女性が少年の腕を掴むが、少年は彼女の手を乱暴に振り払った。
「ぅああ！わぁああ！！！」
発狂したようにオークの亡骸に何度も剣を突き立てる。
その鬼気迫る様子に戦士達は苦しい表情をしていた。
――と、今度は剣士が少年を押さえてオークの亡骸から引き離した。
「やめないか、落ち着くんだ！」
「フー……フー……！！」
それでも少年は何度も唸り声を発しながら死体に向かおうともがく。
周りに集まってきた戦士達は、黙ってじっとその様子を見守っている。
「…やめろ……やめろ」
落ち着いた声で言い聞かせるように繰り返す剣士。
吠えて暴れる少年の瞳は震え、オークを睨みつけたままにじんでいた。

やがて少年は精も根も尽きてきたのか、暴れる力が徐々に弱まってきた。
歯を食いしばって肩で呼吸をしている少年を見つめて、剣士が少し押さえる力を弱める。
すると次の瞬間、少年はオークの亡骸に向かって怒声と共に剣を投げつけた。
そして力尽きたのかその場に膝を折る。
彼が憎しみを込めて投げた剣は、オークまで届かずにザラァ…ンッと地面を跳ねた。





「………どうして…？」
荒い呼吸の中から、少年が搾り出したようにうめいた。
服の乱れもそのままに、地面に両手をつくと洞窟を見つめる。
洞窟入り口の地面に、先ほど自分が取ってきた兎が踏みにじられていた。
「何で……どうして！？」
キッとヒュームの女性を睨む、が、女性は何も言わない。
「ねぇ！どうして！？」
ガルカやタルタルにも問いかけるが、やはり彼らは何も言わない。
少年はぐっと唇を噛んでうつむくと、それからゆっくりと剣士を見上げた。
「…………どうしてさ……？」

すがるような眼差しの少年を見て、剣士は非常に心苦しそうな表情をした。
そっと少年の前に片膝をつく。

「……もっと早く見つけていれば……こんなことには…」
弱々しい声で悔やむと、歯を食いしばって耐えている少年の瞳を見つめる。
「許してくれ」
そう言って剣士は、まだ幼い薄汚れたエルヴァーンの少年に頭を垂れた。
そんな剣士を少年は喉を引きつらせながらじっと見つめている。
「マキューシオ…」
近くに立っているヒュームの女性が呟く。
すると先ほどのモンクのガルカが彼女の肩に手を置いた。
目に涙を浮かべた彼女が見上げると、ガルカはゆっくりと頷いて見せる。
そして剣士の横に立ち、彼の肩を二度優しく叩いてから少年を見下ろした。
「名前は？」
低くて太い声で尋ねる。
少年は乱れた銀髪の隙間からガルカをじっと見つめた。



「………………ノルヴェルト」


この時少年は十四歳、世界はクリスタル戦争最盛の時代であった。

＜To be continued＞

あとがき

出会ってしまったね…。
第三章まで行ってる今（以下略）