プロローグ
真夜中のサンドリアは、街の中心を離れるとほとんど人気が感じられない。
夜でも活動する商人や冒険者は街の中心に集まっているからだ。
伝統ある石造りの家々を満天の星空が黙って見下ろしている。
僕はそんな深夜の街外れで、手に汗握ってじっと息を殺していた。
建物の影に身を潜めてからどれほど時間が経ったか分からない。
僕はこの日、騎士団に入団して初めての“大役”に携わっていた。
平民騎士の身分からはもうおさらばできると思うと、今まで国に尽くしてきた努力は決して無駄ではなかったのだと痺れる思いがした。
田舎に心配性の母としっかり者の妹を残し、サンドリアの騎士団に飛び込んだのは二年前。
父は立派な騎士だったと幼い頃から聞かされていたので、ずっと騎士に憧れていた。
エルヴァーンは大人になったら騎士になるのが当たり前だと思い込んでいたくらいだ。
親友のマーシャルには『お前には無理だ』と笑われたが、今は僕の方が実績は確実に上。
分からない事だらけで家柄などの後ろ盾もなかったけれど、僕は自分の力で騎士の道を進み、やっと功績を認められるようになってきたのだった。
そして、今回の“大役”の話が持ちかけられたのである。
数日前、僕は別の騎士団からの御指名を受け、所属の隊から引き抜かれた。
僕を引き抜いたのはテュークロッス・B・ゼリオン騎士団長。
頭脳明晰で戦の貴公子と有名なあのテュークロッス様だ。
突然召喚状が届けられた時、良い話だとは想像できなかったのでこの世の終わりかと思った。
まだこれといって名声もない僕をなぜ引き抜いたのか不思議だったが、僕の才能を見抜いたとか、他の者が僕の実力に気付く前に確保したかったのだとか、テュークロッス様の忠臣はそんなようなことを言っていた。
確かに、大きな戦争もない今の時代僕が活躍できる場なんてない。
ましてや僕は遠征じゃなく防衛に当てられている、剣を抜く機会なんてほとんどないんだ。
でも、確かに僕は地味だけど、稽古で手合せをして負けた事は一度もない。
そういう個人のデータを見て僕を発掘したのだろうか?
まぁそんなことは今やどうでもいい、今大事なのは任された任務を遂行することだ。
これは僕の将来にとって大きなチャンスに違いないのだから。
今回僕に与えられた任務は、ある男の身柄確保だった。
なんでも極秘の任務らしく、僕の引き抜きの件自体公にされていないようだ。
ターゲットである男はかなりの危険人物だと聞いたが、『重罪人』だと聞かされているだけで、どんな罪を犯した男なのかまでは知らない。
僕一人では何分困難だろうと気遣ってくれたテュークロッス様は、ベテランの騎士四人を任務に加えてくださった。
剣の腕には自信があっても、まだ経験の浅い僕にとっては有り難い配慮である。
「おい、そう緊張するな」
あれこれ考えていると、隣りにいたリーダーのジャンティスがそう言って僕の肩に手を置いた。
彼は見るからに誠実で気品のある赤髪のエルヴァーンだ。
「そんなに力まなくても大丈夫だ、俺達がついてる」
彼は暗闇の中で小さく囁くと、剣の柄を力一杯握り締めている僕の手をゆっくりと剣から下ろさせた。
僕はとても恥ずかしくなって、返事もできぬままうつむいてしまった。
僕達五人は街の一角で男が現れるのを待っていた。
二軒先にある民家の屋根の上に一人、道を挟んだ向かいの建物の左右に二人、そしてこの倉庫のような建物の影にジャンティスと僕が身を潜めている。
やはり四人はかなりのベテランのようだ、細かい打ち合わせもなくそれぞれが必要な場所に配置している。
“どうだ、気配は感じるか?”
真剣な表情をして口を結んでいるジャンティスの声が、この任にあたり配布された専用リンクパールから聞こえた。
“まだ。本当に現れるのかしら……”
今度は凛々しい女性の声が聞こえる、この声はナナイだ。
ナナイは可愛らしいタルタルの女性で、初めて彼女と顔を合わせた時は外見と声のギャップに驚いた。
“ここにくるとは限らねぇさ。もしかしたら別の班のところに現れるかもしれないし、
今日はどこにも姿を見せないかもしれない。
とにかく、天才軍師様が俺達にここで待機してろっておっしゃったんだ、いるしかないだろ”
“ちょっとランディ、それってテュークロッス様を侮辱しているの?”
“まさか。俺はあの御方に忠誠誓ってんだ、侮辱する奴は俺が斬る”
ランディはいい年のヒュームだが、僕の中ではナナイの弟分的イメージがある。
実はナナイの方が年上なのかもしれないとか、昨日の夜少し考えてしまった。
“ねぇ、ターゲットは相当腕が立つって聞いたわ。私達だけで大丈夫かしら?”
不安そうな声でそう言ったのはエルヴァーンのカリンカだ。
遠慮がちでおどおどしているような雰囲気には何となく親近感が持てる。
“そういう弱気な事言うのやめろって、白けるだろ”
“だって、何年もターゲットを追ってきたみたいな口振りだったじゃない。
あのテュークロッス様を梃子摺らせてるんだとしたら…やっぱり……”
“日頃ごっつい剣ぶん回してるくせにどうしてそんなに弱気なんだ?”
“私語が過ぎるぞ、集中しろ”
ジャンティスが静かに諌めると、はっとしたようにカリンカは詫びた。
“俺達は与えられた任務を忠実にこなせばいいんだ、無駄なことは考えるな。
どんなに腕が立つ奴だろうと罪は償うべきだろう。残念だが、この世は良い人間ばかりじゃない”
――と、そこまで言ったところでジャンティスがすっと僕の前に手をかざした。
疑問符を浮かべてその手に視線を落とすと、リンクシェルで彼がつぶやく。
“…………来た”
僕の心臓は一気に心拍数を上げ、リラックスしていた体に再び力がこもった。
各ポジションにいるメンバー達にも緊張が走る。
僕はジャンティスが鋭い視線で見つめている先をそーっと覗いた。
月明かりに照らされた街の寂しい闇。
その闇の中から、ゆっくりと一つの影がこちらに向って進んできていた。
あの長身な体付きからしてエルヴァーンだろう。
闇に身を溶かす黒ずんだ外套と鎧が、歩調に合わせて微かに音を鳴らす。
彼の背負っている大きな鎌は、月明かりを受けてギラギラと怪しい銀嶺を放っていた。
その威圧感のある姿を見てすぐに体を引っ込めると、僕は目を瞑ってゆっくりと息を吐いた。
“各自ターゲットは確認したな。次に俺が合図したら一斉に取り囲め”
落ち着き払ったジャンティスの指示を聞き、メンバーが同時に『了解』と返す。
返事をしそびれて少し慌てたが、ジャンティスは僕を振り返って頷いて見せた。
体勢を整えながら僕はそれに頷きで答える。
長い。
合図をしたらと言われてからもう何分も経っているような気がする。
ターゲットの男の気配もまったく感じない。本当にこちらに来ているのか疑わしく思う。
緊張で瞬きを堪えているせいか、段々目が痛くなってきた。
“――――囲め”
僕がその合図を聞き取った瞬間、ジャンティスの背中が一気に遠ざかった。
反射的に僕も飛び出してみるとターゲットが間近まで来ており、メンバー達が彼を取り囲む瞬間だった。
速い。
僕は一瞬遅れたものの、彼らと共に男の逃げ道を塞いだ。
「ノルヴェルトだな」
男の目の前に立つジャンティスが静かに男の名前を口にする。
僕の角度から男の顔は彼の銀髪に隠れて見えなかった。
ノルヴェルトと呼ばれたその男は立ち止まったまま沈黙している。
「反逆罪とその他殺人などの罪でお前を連行する」
そう告げるジャンティスは重罪人を前にして動じる様子もなく、至極冷静だった。
それは他のメンバー達も同様で、皆じっと男を見つめてまったく隙がない。
そんな彼らの姿は僕の目にとても眩しく、感動を与えた。
ジャンティスが言ったように、この世の中は良い人間ばかりではない。
一見平和そうに見えても悪は潜んでいるものだ。
しかし、人々がそのことをあまり感じずに生活することができているのは、彼らのような影の正義のおかげなのかもしれない。
メンバー達のような目立つことのない光が、闇から民を守っている。
その素晴らしさと、自分も彼らの仲間になろうとしていることの喜びに、僕は武者震いした。
「………くくく……」
――と、今まで黙っていた男がかみ殺したような笑い声をもらした。
はっとして再び彼に集中すると、うつむいた彼の銀髪の隙間から歪んだ口元が見える。
「…連行するだと?殺せと命令されたのではないか?」
そう言う男の方もまったく動じている様子はなかった。
五人に囲まれているというのに武器すら構えない。
「激しく抵抗すればやむを得ないとのことだ。安心しろ、殺さない保障はない」
「分かるか?大人しくすれば命は助けてやるって意味だ」
ジャンティスに続いて男の背後にいるランディが真剣な表情で言う。
「さぁ……大人しく城まで御同行願おうかしら」
凛とした声でナナイが投降を促す。
不意に、僕は突然怖くなった。
この男は、この目の前にいる重罪人は、とても強いような気がする。
先ほどカリンカが言ったように、僕らだけで何とかできる相手なのだろうか?
いつでも剣を抜けるように気を集中させている僕の手からは冷や汗が吹き出している。
心臓の音がやかましい、息苦しくてその場に座り込んでしまいたくなる。
そこで僕は、今日城を出る前にジャンティスが僕に話したことを思い出した。
『俺達四人は寄せ集めじゃない』
「……どうやら……大人しく捕まる気はないようだな」
男を凝視したまま低い声でそう言うと、ジャンティスはゆっくりと剣の柄に手を伸ばした。
それに合わせて他のメンバーも腰を落として静かに構える。
『俺達は、裏でちょっと名の知れたチームだ』
「……………剣を抜き払う頃には―――」
男が言う。
「お前達は死んでる」『裏での俺達の通り名は…』
一瞬の閃き。
暗い夜の街角に、液体が飛び散る音と、重いものが地に崩れ落ちる音。
「向かって来なければ………殺しはしなかった……」
ぽつりと呟かれた。
* * *
レースのカーテンを軽く退けると、美しい星空がじっとこちらを見つめていた。
ここの屋敷から少し離れたところには冒険者や商人の動く影がチラチラと覗える。
落ち着かない気持ちを紛らわす為に窓の外を見たが、期待したほど効果はなかった。
眠る事はもちろん、じっと座っていることすらできない。
―――と、こちらに向かって何者かが廊下を進んでくる気配を感じた。
ゆっくりと部屋の扉を振り返って、扉が叩かれるのを待つ。
――――コンコンッ
「テュークロッス様、よろしいですか?」
窓辺に立った赤髪のエルヴァーンは、すぐさま『入れ』と答えた。
さっと静かに扉が開き、鎧姿のエルヴァーンが一人姿を現す。
『失礼します』と一礼してから扉を閉めると、彼は主人に向き直って姿勢を正した。
「報告します。先刻、サンドリアの裏路地にて例の五名と野良犬が接触。
一人に持たせておいた連絡用リンクシェルにて連絡を受け加勢に向かうも間に合わず。
五名は全員死亡。野良犬はそのまま姿を消しました。
只今その他の班が捜索を行っていますが足取り掴めず……です」
「………そうか…」
テュークロッスは報告の途中から目を閉じ、報告が終わるとそれだけを言った。
「残念な結果になってしまいましたが……どうか気を落とされませんように」
そう言ってエルヴァーンの騎士は、心配そうにテュークロッスを見つめた。
力なく歩き出したテュークロッスは疲れ果てたように椅子に座り込む。
その様子を見てエルヴァーンの騎士は主人に気を使い、『もうお休みください、失礼致します』と一礼して扉のドアノブに手を掛けた。
しかし、彼が扉を開いたところでテュークロッスが呼び止める。
「処理は?」
騎士が振り返ると、テュークロッスは悩ましげな表情で目頭を押さえていた。
「はい。遺体は撤去し痕跡もすべて排除致しました。
五名の家族には数日後に戦死の通知を」
「……分かった、いつも感謝する」
下がって良いと手で合図すると、騎士はもう一度礼をして退室して行った。
彼の気配が遠退いていく。
それからしばらく椅子に座ったままぼんやりとしていたテュークロッスだが、やがてゆっくりと身を起こすと、再び窓辺に歩み寄った。
カーテンを退けて夜の街を眺める。
「…………忘れはしない………忘れるものか」
彼のそんな呟きは誰に聞こえるわけでもなく、闇夜に滲んで消えた。
あとがき
はい、本編と比べるとこちらは物凄い暗いものとなっております。クリスタル戦争時代が主な舞台の、どんよりストーリーです。(←ナニソレ)
こちらには『思い出よ、永久に美しく』というタイトルがついてます。
無知な私が書くので村長ワールド全開な作品ですが、こちらもまた、村長の代名詞となる作品です。