Tommy meet her
2004/02/22公開
ジャグナー森林に入るのは、今日がはじめてだった。
未踏の地だから、見るものすべてが新鮮で、ついついキョロキョロしてしまう。
木々の枝が気だるそうに垂れ下がり、辺りは朝のしっとりとした空気に包まれていた。
うねうねと続く街道を、敵に注意しながら歩いていたけれど、パリスさんが一緒だからそれほど不安は感じなかった。
ここにも、顔にマスクをつけたゴブリンや、のっぺりした顔のオークがうろついている。
ゴブリンのマスクって、意外と目がクリッとしてて可愛いんだよね。
でも、マスクの隙間から飛び出してる耳を見て顔を想像すると……うーん、やっぱりちょっと怖いかも。
見た目が少し可愛くても、相手は獣人。
油断してたらすぐ襲われてしまう。
さっきも、パリスさんに『後ろ、注意』って言われて、本気で焦ったばかりだった。
パリスさんは、街にいる時と変わらず、明るい口調で話してくれる。
そのおかげで、私も緊張せずに歩けていた。
……でも、今はちょっと足取りが重くなっている。
なぜかというと、私には今、とても気になってしかたがないことがあるからだ。
さっき、私達から離れていったゴブリン。
そのゴブリンが向かった先には、確か一人のモンクさんが休んでいた。
―――もしかして、絡まれちゃったかなぁ…?
それが心配で、私は何度も後ろを振り返っていた。
もし絡まれちゃったとしたら、モンクさん一人で大丈夫かな?
あのモンクさん、座ってたけど、どこか怪我をしていたんじゃ……?
不安は、どんどん大きくなっていく。
ついに私は足を止め、前を歩いていたパリスさんの方を振り返った。
いつの間にか、結構距離が開いていて、パリスさんは少し先で立ち止まり、地図を覗き込んでいた。
―――ちらっと様子を見るだけ。
すぐ戻ってくるからっ!
私はゴブリンが去っていった方向へ、駆け出した。
私自身も敵に絡まれないように細心の注意を払いながら、大急ぎで来た道を引き返した。
正確な場所は覚えていなかったけど、道なりに戻ればたどり着けるはず。
何より、距離も本当にすぐ近くだから。
ちょっと様子を見て、さっと戻ってくるだけ―――そのつもりだった。
周囲を懸命に目で探りながら走っていると、木々の隙間から見覚えのある場所が見えてきた。
息を切らしながらスピードを落とし、そっと様子を伺う。
すると――――見えた!!
モンクさんが、ゴブリンに追われて駆けて行く姿が!
背中にはいくつもの傷……きっと、後ろから何度も攻撃されたんだ。
私は反射的にスピードを上げ、全力でその背中を追いかけた。
待って……待ってぇぇー!!
モンクさんも必死で逃げているし、追いかけるゴブリンもスピードを緩めない。
私も全力で走ってるのに、距離はなかなか縮まらない。
思い切って『待って!』と叫んでしまおうか……そう思ったその時だった。
モンクさんが、山の岩陰まで走り抜けると、ピタリと足を止めた。
振り返って、腰に下げていた格闘武器を手にはめる。
―――戦う気だ!
加勢しなきゃ……加勢!
やっと追いついた私は、ダンにもらった剣を抜き、一直線にゴブリンへ向かって突撃した。
「やぁぁぁぁぁぁ!!!」
全力で振りかぶった剣を、ゴブリンの背中めがけて思いきり振り下ろす!
そして――――。
どつっ。
私の剣は全力で地面をぶっ叩き、土が豪快に辺りに飛び散った。
え、えーと……世間では、これを『空振り』と言います。
「ぎゃっ!?」
「!?」
視界の端っこに、モンクさんの酷く驚いた顔が映った。
その表情は、突然現れた援護への驚きか―――それとも、私の見事な空振りに対してなのか…。
その瞬間、ゴブリンが獣人の言葉で何かを喚きながら、私の方を振り返った。
顔を真っ赤にして、短剣を振りかざしてくる!
私は慌てて身体をひねってかわし、後ろへ飛び退いて距離を取った。
「―――あ、あのっ、加勢します!」
そう叫びながらモンクさんをちらりと見ると、彼女はまだぽかんと私を見つめていた。
もう、恥ずかしすぎて顔から火が出そうで、すぐに視線を逸らす。
そのモンクさんは、猫のような耳と尻尾を持つ、ミスラという種族だった。
そういえば、さっき後ろ姿を見た時に、尻尾が見えたのを思い出す。
布製の道着をまとった赤髪のミスラさんは、ようやく我に返ったように構え直した。
そして、鋭い声で言った。
「どいて!」
「へっ?」
突然の一言に、私は素っ頓狂な声を出してしまい、とりあえず横に飛んで道を空ける。
その瞬間―――モンクさんが素早く踏み込み、私の背後にいたゴブリンへ、
ズドンッ!! と、強烈な右ストレートを叩き込んだ。
ギャゥ!という悲鳴をあげて、ゴブリンが後退する。
私はその隙を逃さず、地面すれすれに剣を走らせてゴブリンの足を斬り付けた。
すぐに反撃が来たが、左手の盾で何とか食い止める。
ガンッ!
衝撃が腕に響き、痺れが走る。
体の大きさは私の半分ほどしかないのに、やっぱり獣人だ―――小さくても、パワーがある。
ゴブリンはモンクさんの鋭い攻撃を避けつつ、今度は私に向かって短剣を何度も振り回してきた。
力だけじゃない、速さもある!
私はなんとか避けたり盾で防いだりしたけれど、動きに限界があり、肩や足にいくつか傷を負ってしまった。
ゴブリンは執拗に私ばかりを狙ってくる。
でも、これは正しい戦術だ。
戦士は、仲間の前に立って敵の注意を引きつける。
――そう、みんなの盾になるのが、戦士の役目だから。
私とモンクさんに挟まれて、見る見る内に傷を負っていくゴブリン。
ついにはふらつき始めた―――あと少し!
そう思って盾の陰から様子を窺った私は、思わず目を見張った。
ゴブリンが、懐から爆弾を取り出したのだ。
それに気づいたのか、モンクさんも舌打ちしながら拳を連打して急いで仕留めにかかる。
だが、その時―――ゴブリンがくるりと振り返った。
―――――ダメ!
「お前の相手は私だ!」
私は慌てて剣を振るい、ゴブリンを斬りつけて注意をこちらに向けさせた。
ゴブリンは唸り声をあげ、マスクの下から鋭く私を睨みつけてくる。
よし!―――そう思った、その瞬間。
ゴブリンの手にある爆弾の導火線に、火がついているのが見えた。
「……!」
私は意を決し、構えを解いて背を向けて走り出す。
逃げるためじゃない。
モンクさんを爆発に巻き込まないためだ。
「―――のやろっ!」
モンクさんが悪態をつくのが聞こえた。
次の瞬間、彼女の攻撃を無視したゴブリンが、獣人の言葉を怒鳴りながら、爆弾をこちらに向かって投げた!
うわわわわわぁ!!
心の中で叫びながら、私は思いきり飛んだ。
爆弾は弧を描いて飛び―――鼓膜をつんざく爆音と共に、炸裂!!
幸い、爆弾の威力範囲はそれほど広くなかった。
モンクさんのあたりには爆風がかすめただけだった。
砂煙の中、彼女が目を細めながら素早く踏み込み、ズッ、ドン、バシィッ!―――と、三連撃をゴブリンに叩き込んだ。
さすがのゴブリンも、もう限界だったらしい。
脱力したようにその場に崩れ落ちると、そのまま動かなくなった。
モンクさんはしばらくゴブリンを警戒していたが、やがて大きく息を吐き、腕を下ろした。
そして、何かを思い出したように顔を上げ、広がる砂埃の中をじっと見つめる。
何と声をかけていいのか分からないのか、口をもごもごさせながら、そっと爆弾が炸裂したあたりを探っている。
砂埃が少しずつ晴れてきた頃、彼女は私を見つけた。
私はというと、木の根元に座り込み、頭から土をかぶったまま、ぼんやりと彼女を見上げていた。
「……ぐっじょぶですぅ…」
かすれた声でそう言って、私は弱々しく笑った。
モンクさんは、何とも言えない、ちょっと複雑な顔をしていた。
私達は反り立つ岩の壁に身を潜めて、そのまま自然の流れで一緒に休憩を取ることになった。
爆弾の爆風をかすめた腕がヒリヒリと痛む。
軽く火傷したのかもしれない。
アルタナの女神様にそっと祈りを捧げると、傷が少しずつ癒えていくのが分かった。
ちらりと隣を見ると、モンクさんは私から少し距離を取って座っていた。
口をぎゅっと結び、こちらを見ようとしない。
膝の間に腕を折りたたみ、お腹を抱えるようにして、ゆらゆらと身体を揺らしていた。
まだ、さっきの戦闘から会話らしい会話はしていない。
「……………逃げたんじゃない」
「……へ?」
いきなりの言葉に、私は間抜けな声で聞き返してしまった。
彼女に視線を向けるけれど、相変わらず目を合わせてはくれない。
「さっきは逃げたんじゃないわ。あんな目立つところで戦ってたら、他の奴が絡んできたら面倒だから。だから、一旦場所を移動しただけよ」
……なんか、声がちょっと怒ってるように聞こえるのは、気のせいかなぁ……?
私は内心ドキドキしながら、困ったように頭をポリポリ掻いた。
「あっ、そうだったんですかぁ。じゃあ、私……余計なお世話だったかもですね……ご、ごめんなさいぃ」
「……あんたの援護は有り難かったわ。礼は言うわよ」
そう言って、モンクさんは一瞬だけ私の顔を見た。
ほんの一瞬だったけど、ばっちり視線が合った。
モンクさんはすぐにまた視線を逸らしたけど。
―――もしかして、すごくシャイな人なのかも……って思った。
とにかく、怒ってないみたいでほっとした。
少し話せたのも嬉しくて、私は思わず笑顔になった。
「とにかく無事で良かったです!……でも、こんな危ない森で、お一人で何してたんですか?一人での狩りには……ちょっと危険だと思うんですけど……」
「狩りじゃないわ。ジュノに向かってるのよ」
その言葉を聞いた瞬間、私はぴんっと背筋を伸ばした。
「の!?ジュノに向かってるんですか!?」
身を乗り出す私に、モンクさんは驚いたように少し身を引いた。
「そうだけど……。あんたも?」
「はいっ、そうなんですー!私もジュノに向かってて、ジャグナーの森に入ったのも今日が初めてなんですよー!」
「へぇ……そう。あんたも、一人で?」
「あ、いえ~私は――――」
そこで私は、思い出したようにズバッと勢いよく立ち上がり、頭を抱えた。
「ぃやっちゃったーーーーーーーーーーーー!!!!」
* * *
パリスは、ちょっとした段差に腰を下ろし、膝を抱えていた。
彼の目の前を、一匹のカブトムシが、まるで彼になど興味がないとでも言うように、のしのしと横切っていく。
枕を二つ並べたくらいの大きさのカブトムシ。
パリスは、それをぼんやりと見つめていた。
「……あの……女の子、見ませんでしたか?ヒュームの戦士なんですけど……」
泣いてしまいたいと思った。
* * *
「今頃、そいつすっごく困ってるわね、きっと」
「あうぅぅぅ……パリスさん、ごめんなさいぃぃぃ!―――はっ、そうだ!リンクシェル!!……って、持ってきてないしぃぃ~!」
頭を抱えて嘆くトミーを見つめて、モンクのミスラは少し呆れたような表情を浮かべた。
「じゃあ、一緒に来たところまで戻ってみたら?あんた、ここの地図持ってるんでしょ?」
「持ってますけどよく分かりませ……」
どんどん小さくなる声と共に、トミーの体も縮こまっていく。
眉をルの字にしながら鞄をあさり、くしゃっとなった地図を取り出した。
その様子を、腹を抱え込むようにして座り、揺れながら見つめていたミスラが口を開く。
「……あたし、二日前にこの森に入ったんだけどね。入ってすぐ虎に絡まれちゃって。何とか逃げ切ったけど、鞄ズタズタにされちゃったのよね。地図も食料もなくなっちゃって……」
「えっ」
「慎重に地形を覚えながら進んでるんだけど、こんなペースじゃ一週間かかってもジュノには着けやしないわよ」
イラついた口調で、爪を噛みながらそう語る彼女の言葉に、トミーはふと顔を上げる。
「……ってことは、この森に入ってから、今日で三日目になるんですか?」
「そうよ」
その返答を聞いた瞬間、トミーの目が大きく見開かれた。
「大変!!今日中にこの森を出ないと、カブトムシになっちゃう!!!」
「……………………かぶとむし?」
『どーーしよーーーー』と、突然、あたふたと取り乱し始めたトミーを、ミスラは眉をひそめながら見つめる。
「何言ってんのこの子……」とでも言いたげな目をしている。
その視線を受け、トミーはハッと口を押さえた。
―――もしかして、この人……この森の不思議を知らないのかも!
馬鹿だが真剣にそう考えたトミーは『あ、えっと』と誤魔化すように口ごもる。
目を泳がせながら困っていると、ふとミスラの様子が気になり、じっと見つめた。
彼女は先ほどから、腹を抱えるようにして座り込み、ずっと落ち着きがない。
体を小さく揺らしながら、何かに耐えているようだった。
それに気づいたトミーは、心配そうに顔を覗き込む。
「あの……さっきから、どうしたんですか?ひょっとして、具合悪いんじゃ……」
そ~っと声を掛けた瞬間、ミスラの三角の耳がぴんと立った。
「な、何よ急に……静かになっちゃって。別に、何でもないわ。ほっといて!」
身を案じた相手に対して、少々ぶっきらぼうにそう言い放った―――その時。
がるがるがるがる……
妙な重低音を耳にしたトミーは、瞬時に身を低くして剣に手をかけた。
「何!?近くに何か―――」
警戒しつつ隣のミスラに視線を向けると、彼女はうつむき、肩をピクピクと震わせていた。
その様子に仰天したトミーは、周囲の警戒も忘れて駆け寄る。
「どうしまし―――っ!!?」
言葉の途中で、トミーの体が横に吹き飛んだ。
ミスラに、思い切り突き飛ばされたのだ。
うつむいたままのミスラが、搾り出すように言った。
「…あ……あんたが静かにするから、聞こえちゃったじゃない!!」
顔を真っ赤にして怒鳴ると、すっ転んでいるトミーの胸ぐらを掴み上げる。
「違うっ、違うのよ!あたし、この森に入ってから何も食べてなくて!ホントよ!?仕方ないじゃない、ここには私一人で倒せる食料なんていないのよ!」
勢いそのまま、彼女は早口で捲し立てた。
「球根くらいなら倒せるけど、あんなもん食べたくないわよ!まずそうだし!分かる!?ねぇ、ちゃんと聞いてんの!?」
「聞こうと……努力は、してますけど、色々と……苦しくて、ですねっ」
「悪かったわね!」
そう怒鳴って、ミスラはトミーを突き放す。再び地面を転がるトミー。
ミスラはふぅと深く溜め息をつき、髪をかきあげながらそっぽを向いて腕を組んだ。
気丈に振る舞っているが、プライドが高いのか、人と接するのが不器用なのか。
「……まぁ、いいわ。で、カブトムシが何なのよ?」
「へ!?あ、いいえ、何でもありませんっ!」
慌てて起き上がり、引きつった笑みを浮かべるトミー。
まだ焦点が合っていない。
お互いに話題を逸らそうとしているのだが、そのことにお互いまったく気付いていない。
カブトムシになってしまう――なんて恐ろしいこと、わざわざ教える必要はない。
それに、今はそれどころじゃない。
必死に考えたトミーはやっと焦点を合わせて、思いついたように言った。
「あ、そうだ。あなたのお名前、まだ聞いてませんでしたよね!」
そう言って手を差し出すと、にこっと笑う。
「私はトミーです!」
「名前?……あぁ、あたし…リオ」
「リオさんですね。良かったら、一緒にジュノを目指しませんか?私、地図見るのがとっても苦手で……ご一緒していただけたら、すごく助かります」
申し訳なさそうに肩をすぼめるトミー。
リオは、むすっとした表情で視線を逸らした。
その態度に、不器用さを感じ取ったトミーは、ある不器用な知り合いの男をふと思い出して、内心くすっと笑う。
そんな彼女を盗み見るようにして、リオは黙って差し出された手を取った。
「……よろしく」
声は小さくても、確かにそう言った。
「よろしくお願いしますっ!」
満面の笑みで答えるトミーに、リオは少しだけ目を細めた。
彼女がこうして短時間で他人に心を開きかけていることに、トミーは嬉しさを感じていた。
そしてリオ自身もまた、不思議と警戒心が和らいでいる自分に、驚いていた。
人懐っこく、自然体なトミーの雰囲気が、彼女の心をほぐしていたのだ。
二人はまだ、お互いのことをほとんど知らない。
だが、この出会いは―――きっと良いものになる。
そう感じていた。
この後に、悲しい血と涙が流れる未来を、まだ知らぬまま。
彼女たちは、不思議な出会いに、ただ希望だけを見ていた。
あとがき
というわけで、トミーはこんなことになってました。これから順調にパリスいじめのストーリーが展開していくわけです。