炎の中に見えるもの

第三話
2004/02/11公開



ロンフォールは、今日も静かだった。

そよ風に撫でられた木々達が、頭上で何かを囁き合っている。
その囁きは、パリスの耳に心地よく届く。
一体、何を話しているのだろう。
眠りへと誘うその音色は、もしかしたら、木々の子守唄なのかもしれない。

優しく歌う木に背を預けながら、パリスは現実と夢の世界を行ったり来たりしていた。


「できたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


突然、子守唄をかき消すような大声が響き、パリスは現実に強制的に引き戻された。
ぼんやりとした視界の中で、声の主を探す。

「ん~……トミーちゃん?成功したの~?」
目を擦ると、次第に視界がはっきりしてきた。
そして、一人で飛び跳ねている小さな影。

「やっと成功しましたよー!ほら!ほら!見てください!」

「………………………いや~ん…」

彼女の周りには、例の通り、何度もウサギの肉が炸裂した痕跡。
途中から肉片を払い落とすのが面倒になったのか、彼女は肉片まみれで跳ね回っている。

「女の子がそんな格好してちゃいけま~せん」
パリスは苦笑いをしながら立ち上がると、はしゃぐトミーに近付いてウサギの欠片を丁寧に払ってやる。

「とにかく見てくださいよー!私が作ったんですよぉ、これぇ!」

じっとしていないトミーを見下ろしながら、パリスは柔らかく微笑んだ。
どれどれ…と彼女の手元を見ると、そこには確かに、こんがりと焼けたちゃんと食べられそうな野兎のグリルがあった。

ウサギ数十匹分の怨念がこもったグリル、完成~……。

内心でそんなことを思ったが、パリスは間違ってもそれを口には出さなかった。

昨日、手持ちのウサギの肉をすべて吹っ飛ばしてしまったので、今日はロンフォールで狩りをしながらの調理作業となった。

サンドリアの外門を出てすぐのこの森は、モンスターの強さも程々で、トミーがクリスタルごと肉をフッ飛ばしたとしても知らんぷり可能だ。
パリスが用意していた香辛料―――マージョラムも、残りわずか。
準備も材料もギリギリだったが、それだけにトミーの喜びようは別格だった。

「良かったね~、トミーちゃん。おめでとう♪」
「ありがとうございますー!やったー!私がクリスタル使って作ったんだ、すごい!!これでダンを驚かせてやるぞ~っ!大事にしまっておかなくちゃ!」
そう言って、トミーは完成したグリルを大事そうに鞄へしまい込んだ。
ポンポンッと鞄を二度軽く叩いてから、無邪気な笑顔をパリスに向ける。

パリスは優しく微笑み返しつつ、ふと、トミーの髪にまだ肉片が残っているのを発見して、そっと摘み取る。

「ところで……ダンはいつ帰ってくるんだろう。パリスさん、聞いてます?」

「え?いいや~、聞いてないなぁ。ダンは狩り好きだからねぇ……しばらく帰ってこなかったりして?」

トミーは少し口を尖らせて、鞄を見下ろした。

「これって、どのくらい持ちますかねぇ……?早く食べないと美味しくなくなっちゃう……」

二人して鞄を見下ろし、『う~ん』と声を揃えて唸る。
頭上では、風に揺れた木々達がざわめいていた。
まるで、一緒に考えてくれているかのように。


「あ」

短く声を上げて、パリスが顔を上げた。
見開かれたその目を見て、トミーは瞬きを繰り返す。

「じゃあさ、こっちから行っちゃえばいいんじゃない?」

「ほえ?どこへ??」

「ジュノ」



間。



「ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」



   *   *   *



磨り潰したカザムがらしとマウラのにんにくを、細かく刻んだワイルドオニオンと合わせてコカトリスの肉に擦り込む。

味が染みた肉を串に刺し、クリスタルの火でじっくりと炙っていく。
コカトリスの肉は焦げ易く、中までしっかり火を通すのが難しいことで知られている。
だからこそ、火力の調整は慎重に―――クリスタルの輝きを見極めながら、集中して焼いていく。

ジュノに来て、早くも一週間。

昨日も遅くまで狩りに出ていたが、今日も朝から狩場に向かう予定だ。
だからこうして、携帯していく山の幸串焼きを朝の内に大量にこしらえているのだ。

まだ日が昇って間もない今、モーグリは鼻提灯を膨らませながら、室内をフワフワと漂っていた。
わざわざ起こす必要もないので、ダンは黙って放っておく。


冒険者には、所属国ごとにモグハウスが与えられ、専属のモーグリが荷物を管理してくれる。
他国に行く時は、レンタルハウスを借りることで、自国から荷物とモーグリが転送されてくる仕組みになっている。
そのため、鞄に入り切らない荷物を置いてきても困らない。
実に便利なシステムだ。


串をひとつ、またひとつと、手際よく量産していくダン。
だが、その動きとは裏腹に、彼の胸の奥にはわずかな曇りがあった。
ふと、悩ましげな溜め息がひとつ、口からこぼれる。

すべてが―――予定通りだ。

朝から晩まで、狩り、狩り、狩り。
ジュノの街にいる時間よりも、狩場で過ごす時間の方がはるかに長い。
今の生活は、まさにダンが思い描いてきた“理想の冒険者生活”そのものだった。

経験値を積み、自分の能力が着実に上がっていくのがわかる。
四日前から狩場をクロウラーの巣へと変えたことで、得られる実感はさらに大きくなった。

自分のためだけに動き、余計なことは一切しない。
誰にも干渉されず、自分の成長だけに集中する。
それは、かつての自分が夢見た冒険者としてのスタイルそのもの。


だから、満足している。
とても充実している。


――――――はずだった。

「……ご主人、朝から怖い顔して…どうしたクポ?」

ふと気が付くと、クリスタルの炎の向こうにモーグリの顔が浮かんでいた。
香ばしい串焼きの匂いにつられて、眠りから目を覚ましたのだろう。

「起きたのか」

それだけ短く返し、ダンはモーグリの質問には応じなかった。


そう、はじめは良かった。
ジュノに到着して、二日目の狩りを終えるまでは。

その日の夜、狩場から戻ってきたダンは、自分がそわそわと落ち着かないことに気がついた。
部屋の隅に置かれたリンクシェルの近くを、無意識の内に行ったり来たりする。
何も言わない青い真珠を盗み見ては、溜め息をつき、ベットの上で寝返りを打った。

本格的に調子が狂い始めたのは、その翌日からだ。

狩りに出掛ける前、街のバザーを見て歩いていると、もう自分には必要のないはずの品を眺めていた。
あいつにはこれが丁度良さそうだ……とか、考えている自分がいる。

理解できない。
自分が何をしているのか、何を思っているのか。
そのせいでここ数日、ずっとイライラしっぱなしだ。


―――こんな長い間、何も言ってこないなんて……何やってんだ、あいつは。

今日も、しれっとしたままの青い真珠を睨み付ける。
勿論、何の反応もない。

自分が狩りに出ている間に、何かあったのだろうか。
リンクパールから離れている時間に、もしかすると、あいつが自分を呼んでいたかもしれない。

とにかく気になって仕方がない。
そのせいで、狩りの最中でもふと集中が途切れることがあった。
狩りに集中するつもりだったのに、逆に気がかりで集中できなくなっている。

リンクパールを持ち歩かないと決めたのは自分。
だが、これは予想外の展開だった。

もちろん、集中できない自分にも責任がある。
だが、ここまで何の連絡もよこさない、あっちにも問題がある。

そんなことを考えていると、自然と顔付きも険しくなるというものだ。


―――カリカリ…カリ…

不意に、ダンの耳が奇妙な音を捉えた。
調理の手を止め、じっと耳を澄ます。

その音は、どうやらドアの向こうから聞こえてくるようだった。
眉間にしわを寄せながらそっと近付くと、それは何かがドアを引っかいている音だと気付く。

特に警戒することもなく、ダンは思い切りドアを開け放った。


「おっはー」
「帰れ変態」
ドアの前にしゃがんでいたローディに、ダンは容赦なく言い放った。
ローディは片手を軽く上げてわきわきと動かしながら、にやりと笑う。

「もっと早く気が付いておくれよぉ。やり始めてからドアが開くまで四分もかかってるぞよ」
「普通にノックしろよ!!ノックを!!!」
「きひ!」
「いや、『きひ!』じゃねーよ」
ダンはローディの腕を引っ掴んで立たせる。
周囲の冒険者達の視線が刺さるように痛い。

自分が気が付くまで四分間に渡りドアを引っかき続けていた変態は、達成感に満ちた薄ら笑いを浮かべていた。

「一緒に集合場所まで行こうと思ってのぅ」

そう言いながら、ローディは当然のようにダンのレンタルハウスへとふらふら入り込んだ。
モーグリが顔を出して挨拶すると、ローディは独特の笑い声を発して軽く会釈した。
ダンは冒険者達の視線を遮るように、勢い良くドアを閉めた。
「……そうかよ、分かった。すぐ支度するから、ちょっと待ってろ」
「きっひっひ。ダン、調理得意みたいだな?今度メロンパイ量産してくれぃ」
「あー、材料持ってくりゃいつでも作ってやるよ」
鞄の中を手早く整え、最後に作りたての串焼きを滑り込ませる。
ふと目をやった先、青い真珠は今日もこちらに無関心なふりをして、そっぽを向いていた。

それにイラッとして、ダンは鞄の口を強く締めた。

「そーうだ、ダン」
「なんだ」

マイペースに話し掛けてきたローディに、ダンは怒気のこもった声で応じる。
見ると、ローディは部屋の中を勝手に物色していた。
棚から引っ張り出した防具や武器をいじりながら、気ままに口を開く。

「あんさ、このままずっと一緒に狩りしない?」
「…あぁ?」
「きひっひ、やっぱりお前、すごいよ。最高のリーダーだと思う。略して言うなら『最ダー』!!」
くだらないことを言って自分でウケるローディ。
だが、その表情にはふざけた中にもどこか本気が混ざっていた。

「判断力も統率力もある。持ってる知識も半端じゃない。お前がいれば、何だって上手くいくと思っちょる」

そこまで言って、ローディはダンの方へと体を向けた。

「どうだ?この調子で俺様と、上まで一気に登り詰めないか?」

その時、なぜかダンはギクリとした。

このまま、冒険者としての理想的な生活を続けていくこと。
それは無理だ―――と、ダンの中で瞬時に答えが出た。

そもそも、自分はただ狩りがしたくてジュノに戻ってきたわけじゃない。
確かに、強くなるためというのは確かだが、ただそれだけじゃない。
本当は―――目的がある。

目標があった方が身が入るだろう……と、自分に言い聞かせて適当に決めた目的。
だが今は、それだけが自分を突き動かしている。

ジュノで、このままずっと、冒険者として最前線の生活を続けるなんて。
そんなこと、できるはずがなかった。


―――コンコン。
「おはようございます、ロエです。ダンさん、まだいますか?」

ドアの向こうから、控えめにロエの声が聞こえた。

「お、ロエたんだ!」

ご指名のダンではなく、素早く反応したのはローディだった。
ご機嫌にドアを開ける。

「あ、ローディさんいらしてたんですか。おはようございます」
「おはよーロエたん!今日もよろしくねぇ、きっひっひ」
「はい。……あ、で、ダンさんは……?」
「おはよう」

身支度を終えたダンが、ローディを軽く押しのけて姿を現す。
ロエは深々とお辞儀をして丁寧に挨拶を返した。

「……行ってくる」

ダンは室内に向かってそう言い、モーグリに一声かけると、ローディを引っ張って外に出た。
しっかり戸締りを確認して、三人は仲間達との集合場所―――ル・ルデの庭の噴水へと向かう。


まだ朝の早い時間だったが、ル・ルデの庭はすでに多くの冒険者で賑わっていた。
通路に突っ立ったまま狩りの打ち合わせをしている一団を、ダンは気だるげに避けながら、無言のまま先頭を歩いていく。
そして唐突に、振り返ることもなくローディに言った。

「さっきの話だが―――遠慮しとくぜ」

「にゃ?何だって??」

ローディはその言葉を聞き取り、少し驚いた顔でダンの隣りに並んだ。
さっきの話を知らないロエは、小首を傾げている。

「どして?ダン、上に登りたいって言ってただろ?いいじゃないか、一緒に強くなろうぜぃ?固定メンバーは俺の知り合いを集めるつもりだし、ダンには不自由させないってぇ」
ローディは勢いよく捲し立てると、すぐにロエに向き直った。
「あぁ、そうそう。ロエたんも一緒に狩りしてくれたら、すっごく助かるんだけどぅ!」
「え?……あ、固定パーティですか?」
「そそそ。悪い話じゃないと思うんだけどにゃ~。それをダンが断るなんて言うんだよぉ。狩り大好きっ子のダンがこんなこと言うなんて……有り得ない、ダン有り得ない!何でだ。まさか、俺様が嫌いになったのかダン」
「お前のこたぁ元から好きじゃねぇよ」
「きひ!」
「だから『きひ!』じゃねぇっつの」

そう言いながら、不意にぴたりと足を止めた。

唐突に立ち止まった彼を追い越してしまい、ローディとロエも数歩遅れて足を止める。

「俺は、目的を果たすためにジュノに来たんだ」
ダンは前を向いたまま、低い声で続けた。
「今はそのことだけしか考えてねぇ。上に登るとか、そういうのは後回しだ」

「目的ぃ?何だよ、ランク上げとかか??」

「違う」

ローディの言葉をきっぱりと否定し、ダンは深く溜め息をついた。

そう―――国に貢献して名声を上げるためでも、名を売るためでもない。
彼の中には、もっと個人的な理由があった。
再び歩き出しながら、トーンを落とした声でぽつりと言う。

「……近い内に、知り合いをジュノに連れてくる」

その言葉に、ロエがぱっと顔上げた。
彼女はその“知り合い”が誰なのか、すぐに分かったのだろう。

ローディは眉をひそめ、口を半開きにしたまま無言でダンを見つめている。

「そいつをここまで誘導してくるには、俺はまだ未熟だ。だから今は、そいつを安全に迎えに行けるくらいに強くなるために来た。それだけだ。このまま今の調子で、ずっと狩りを続けていくつもりはねぇよ」

その言葉を聞いて、ロエはダンを見上げたまま、そっと口を結んだ。

―――そういえば、彼女はそろそろジュノデビューをする時期。

ダンが朝から晩まで狩りに出ていたのは、彼女をジュノに迎え入れるため。
その意味に気付いた瞬間、ロエの胸に寂しさがぶわりと滲んで広がった。

不思議なくらい落ち込んで、視線は足元へ落ちていた。


………トミーさん……かぁ。
今、何してるのかな……。


「っつーわけだから、固定パーティの話は遠慮しとく。悪いな」

「なんだそりゃぁ~!?有り得ない~!!」

ローディは頭の後ろで手を組み、空を仰いで悶絶した。
確かに、決まったメンバーと連日修行を重ねればかなり効率が良い。
しかも、腕の立つ冒険者が揃えば尚のことだ。

しかし、今のダンにとって、ひたすら自分の能力を高めることには、もう興味がないのだ。
それが目的ではない。だから仕方がない。

ローディがじと~っと横目で見てくるのに気付き、ダンは苦々しく口の端を上げた。
どこか嫌そうでない苦笑いを浮かべているダンを見て、ローディは不満顔で唸った。
「……ダン……変わったな」
「そうか?」
「人の面倒を見るような奴じゃなかったじゃん。昔のダンだったらこの話、間違いなく飛び付いてたはずだぞぇ!」
「あー……そうかもな」
ダンは明後日の方向を見ながら、どこか他人事のように答えた。


その足元で、ロエがそっと微笑んでいた。
けれどその笑みには、微かな寂しさが滲んでいる。

それに気付く者は誰もいなかった。


<To be continued>

あとがき

はい、早々に化けの皮はがし始めた変態です。
今後じわじわと頭角を現していく彼に乞うご期待。(´▽`)
この頃のレベル設定と、第三章まで書いちゃった今とでは、彼らの実力に乖離があります。(滝汗)
村長が執筆に時間をかけ過ぎてるせいなので、ご容赦ください…。