ずっと

第十三話
2004/05/30公開



誰かの声が聞こえた気がする。

……………………きろ………。

水の中から響くような、ぼんやりとした声。
トミーは上も下も分からない暗闇の中で、その声の主を探した。

――――何を言っているの?
聞こえないよ……。



「起きろーーーー!!!」


聞き覚えのある怒声が闇を切り裂き、トミーの意識を引き戻した。
ふわふわと漂っていた体に重力が戻り、現実の感覚が蘇る。

朦朧とした目を開けると、世界が横に傾いていた。
時間をかけて、横たわっているのが自分自身だと理解する。

いつの間にか本降りになった雨が地面を叩き、跳ね返った泥がトミーの顔に降りかかっていた。

霞む視線を上げると、五、六歩先にリオが立っていた。
背を向け、短剣を持ったオークへ拳を叩き込み続けている。

攻撃を受けても構わず、がむしゃらにも見えるほどの勢いで。
彼女の拳は次々とオークの体を穿ち、その俊敏さはまるで機械のようだった。

――あれはモンクが全力を解放する技、百烈拳!
すさまじい速さ……!

だがリオの体は紅く染まり、立っているのもやっとに見えた。
さすがのオークも苦悶の表情を浮かべているが、反撃の気配を強めていく。

やがてリオの拳が徐々に鈍りはじめた。
激昂したオークが雄叫びをあげ、彼女の肩を掴む。

その瞬間、トミーの体は弾けるように起き上がっていた。

「うああああああああああ!!!」

落としていた剣を拾い、二人の間に割って入る。
渾身の力でオークの脇へ剣を叩き込むと、手応えは抜群。
オークの顔が強張った。

憎悪に満ちた反撃が迫る。だがトミーは一歩も引かず、むしろ前に踏み込んだ。
乱雑に振り回された短剣が腕を裂く。
血が流れても怯まず、剣を大きく振りかぶりオークの肩へと叩き下ろした。

鮮血が互いに散る。
オークは唸り声を上げ、トミーも一撃ごとに叫ぶ。

全力を込めた一太刀、一太刀。
戦士だけが放てる最終手段ーーーマイティストライク。

バサバサと汚れた髪が視界を横切る。
いつの間にか、結んでいた髪は解けていた。

短剣を握ったままの拳で殴りつけられ、トミーは数歩後退した。

だがすぐにリオが横から飛び出し、無防備な隙を突いてーーー拳、拳、そして蹴り。
三連撃がオークに炸裂し、巨体がぐらりと揺らぐ。

トミーはその瞬間を逃さず飛び込んだ。
気付いたオークが短剣を突き出すが、刃はわずかに逸れてトミーの頬をかすめる。
新たな傷など気にせず、彼女は間合いを詰めて剣を振り上げた。

ーーー視界の端で、リオが地面に倒れるのが見える。

渾身の力を込め、剣を振り下ろした!

ドッーーーと鈍い音を立てて、刃が肩から胸へと深々と食い込む。
オークは声にならない悲鳴をあげ、天を仰いでから濡れた地面にずしゃりと崩れ落ちた。

―――倒した!!

確信したトミーはすぐに、離れた位置にいた魔道士のオークへ駆け出した。

ちょうどその魔道士が呪文を唱え終えたところで、トミーの走り出しと同時に黒魔法ストーンが発動。
地面から石塊が浮き上がり、勢いよく襲いかかる。

トミーは腕で顔を庇いながら強行突破した。

慌てて次の詠唱に入る魔道士。
だが完成する前にトミーが一太刀浴びせ、さほど強くないと見抜く。

呻き声をあげつつ杖を振るうオーク。
トミーは盾でそれを弾き、剣を突き出したーーーしかし横へ飛ばれてかわされる。
振り向きざまに剣を払うと杖で受け止められ、さらに一歩下がられた。

また距離を取り詠唱を始めるオークに苛立ちを覚え、トミーは剣を握り直して突進。
足へ剣を突き刺すと悲鳴を上げられ、反撃の杖が脇腹を打つ。

息が詰まる。だが構わない。

苦しさを押し殺し、呼吸を整えながら気を練り上げ、剣を振りかぶる。

「ううぅああああああ!!!」

絶叫とともに振り下ろされた剣に、紅蓮の炎が宿った。
剣は炎を纏い、オークを斜めに焼き裂く。

―――片手剣の技、レッドロータス!

火炎に包まれた魔道士のオークは悲鳴を上げ、そのまま地面に崩れ落ちた。

決着の一撃を放ったトミーは、振り切った勢いに耐えきれずよろめく。
そして倒れたオークの死体につまずき、ぬかるんだ地面へどしゃりと倒れ込んだ。




辺りは雨音だけになった。

受け身も取れず無抵抗に倒れたトミーは、枯れた喉で必死に呼吸を繰り返す。
全身が痛い。気分が悪い。雨が冷たい。

このまま意識を手放せば楽になれるーーーだが、彼女は歯を食いしばり、ぐっと身を起こした。
剣を地面に突き立て、それを支えにして立ち上がる。
喉を潤そうと唾を飲み込むと、涙が込み上げたが唇を噛んで堪えた。

「……リオさん…っ」

足を引きずりながら、倒れているリオへと歩み寄る。
動かぬ彼女の姿に、不安と恐怖で体が熱くなる。

上から覗き込むと、薄く目を開けたリオがかすかにこちらを見た。

「………何その顔、ブッサイク」

虚ろな顔からそんな言葉が出てきた。
トミーは苦笑して膝を折り、彼女を抱き起こした。
その体は想像以上に冷たかった。

「悪かったわね、こんなことになっちゃって……」

そう言うリオに首を振り、トミーは改めて彼女の容態を確かめた。
ずぶ濡れの体は傷だらけで、呼吸も浅い。
顔から生気が失われていく―――毒のせいだ。

自分の体からも、じわじわと力が抜けていくのを感じる。
少しずつ、確実に、二人に死の影がにじり寄っていた。

このままではいけない。
何とかしなきゃ……!

震える息で辺りを見回し、必死に考える。
雨に濡れる森林には人影はなく、相変わらず薄暗い。

ふと、地面に落ちている自分の荷物が目に入る。
だがすぐに絶望した。
毒消しはーーー先日、野良パーティでの仲間に譲ってしまったのだ。

その時、思い出した。

―――サンドリアを出る前に、少しだけ白魔法の勉強をした!!

逸る心を必死に抑え、集中して詠唱を始める。

「……ケ…ケアル……ケアル!」

手も、肩も、足も、唇も。
すべてが震える。

必死に唱えても、乱れた精神のせいか魔法は発動しない。

「…アル……ぅ……ケアルぅ……」
「ちょ、あんた…そんなになって魔法まで使うつもり?…や、めなさいよっ」
「うう……ううぅー…」

雨とは違う雫が、握りしめた手の上に落ちた。
トミーの涙だ。

こんなに動揺していては、まともに詠唱できるはずがない。
無力さが悔しくて、硬く閉じた瞼の隙間から涙が溢れた。

リオがゆっくりと手を上げ、トミーの肩を押した。
疑問に思って顔を覗き込むと、リオは険しい表情をしている。
「街道の方に、行きな。…きっと……誰かが通りかかるから」
彼女の言葉の意味をすぐに理解したトミーは、目を見張り必死に首を振る。
「や…」
「このままここにいても、二人とも死ぬだけじゃない。あんたなら……まだ歩けるでしょ」
「やぁあ」
「嫌だじゃないのよ……いいから、さっさと…!」
「リオさんも一緒に行こう!ジュノに!!」

トミーはリオの言葉を打ち消すように叫んだ。
ほとんど泣き声に近いその叫びを聞き、リオは唇をきゅっと噛んだ。

「…あ…あたしだって、一緒に行きたいわよ!!」
搾り出すような声で、リオは言葉を荒げる。
「そうよ、こんなところで……一人で死ぬなんて嫌よ!あんた、あたしを置いてどっか行ったら承知しないからね!!」

ギュッと手を握り返し、これまで堪えていた感情を一気に吐き出すリオ。
小さく震える彼女の体には、忍び寄る恐怖がにじんでいた。

トミーは手を握り返し、泣かないよう目元を必死に擦る。
目の前でリオがこんなにも苦しんでいるのに、何もできない自分がもどかしかった。

「…ああ…もう……あんたが愚図ったりするから…何も見えなくなってきちゃ…じゃない……」

苦しそうに浅く呼吸するリオが、弱々しく舌打ちした。
ハッと顔を上げたトミーは、リオを抱き直す。
「リオさん、しっかり…っ。死んじゃイヤ」
ひどく眠たそうな顔色は、どんどん悪くなっていく。
「いいよ…もう……そんな顔しない……。平気よ、あたし、は……ロンフォールまで飛ぶだけ…から……」
ぼんやりと遠くを見つめるリオの呼吸は弱い。
「っ……一緒に、ジュノ…行けない…の…」
「リオさん」
「で、もね…あたしは……人の名前…覚えるの、苦手…けど……一度見た顔は…対忘れないの…」
徐々に弱まるリオの手の力。
「リオさん」
「だ…っ……から……ジュノに…ったら……真っ先に………見つけ出してや…わ……あんた……」
まるで眠るように、リオは静かに瞳を閉じた。

「リ…リオさん。リオさん?……リオさん!駄目!リオさん!?…リオさんっ、リオさん!!イヤだぁ!!」




「…………………………いかないでぇ………」





雨音の中、トミーのすすり泣く声だけが響く。

リオを強く抱きしめ、トミーは座り込んだまま力なく涙を流した。


―――また、私は人を護れないの?
―――無力で何もできない自分……大っ嫌い。



トミーは、震える体が徐々に冷たくなっていることに気づいた。
腕の中のリオと同様に、トミーも傷だらけで、至るところから血が流れている。

―――寒い。

眠気が襲い、意識が徐々に薄れていく。
まるで幕が降りるように。

すがるように顔を上げると、霞んだ視界の中に一本の剣が映った。

あの人からもらった剣が、地面に刺さったまま、黙って雨に打たれていた。




「ケアルⅡ!!!」

雨音の中、声が響く。
トミーは閉じかけた瞳を無理に開いた。

辺りが急に明るくなり、視線を上げると暖かな光が腕の中のリオに降り注いでいた。
ぼんやりとした優しい光が、リオを包み込む。

瞬く間にリオの傷が塞がり、生気が戻っていった。
眩い癒しの光の中、トミーは目を細めて声の主を探す。

雨に濡れた姿のタルタルの魔道士―――ロエだった。

「トミーさん、見つけました!!」

ローブの乱れもそのままに、ロエはリンクシェルへ報告を叫ぶ。
友人の姿を目にしたトミーは、視線を再びリオに戻した。

トミーの腕の中では、一見泥に汚れただけのリオが、安らかな寝息を立てていた。

ロエは手際よく、先ほどと同じ癒しの呪文を詠唱する。
頭の中ではパリスの「どこ!?どこ!?」という大騒ぎがあったが、経験豊富なロエにとって詠唱は妨害されない。

詠唱が完了すると、今度はトミーに癒しの光が降り注いだ。
リオと同様に、トミーの傷もどんどん塞がっていく。
完璧に回復し切ったわけではないが、痛みはほとんど消えた。

駆け寄ったロエは、涙目で安堵の表情を浮かべた。

「トミーさん……やっと見つけた…!」

「………あ……」

虚ろな表情のトミーに、ロエは解毒魔法を唱えた。
二人が毒に侵されていることに気づいたのだ。
解毒魔法が順にかかると、蝕まれるような苦痛が体から消え去った。

お礼を言うどころか、トミーは何も言葉を発しない。
涙を流したまま、表情のない彼女はリオをそっと横たえる。

ロエはそんなトミーの様子に不安を抱きながらも、二人を完全に癒すべく再び回復魔法の詠唱を開始した。


―――その時。

地響きが近付いてきていることに気がついた。
地面が揺れて辺りの木々がざわざわと騒ぎ出す。

何事かと二人が顔を上げると、大きな木がこちらに向かって倒れかかってくる!
ーーー否、巨大な木がこちらに向かって突進してきていた!
「―――Walking Tree!?」
ロエは思わず詠唱を中断して叫んだ。
ヒューム三人が手を広げて輪になっても囲み切れないほどの木が、根っこを足のように動かして突進してくる。
その幹には歪んだ顔があり、睫毛のないギョロリとした目がトミーを凝視していた。

違う。

トミーはすぐに気がついた。
その大木の化け物は、横たわったリオに狙いを定めていると。



――――立って、剣を取るの。
――――護るって決めたでしょ?


脳裏で自身の囁きが聞こえた。

「リオさんには……触れさせない!」
トミーは立ち上がり、突き立てたままになっていた剣を引き抜いた。
そして剣をかざして木の怪物の注意を引くと、リオ達から怪物を遠ざける。
彼女の瞬時の行動にロエは驚愕して叫んだ。

「トミーさん!駄目ぇ!!!」

トミーの耳にその叫びは届かなかった。
思考に音がついてこない。この瞬間、トミーは無心だった。
少し離れたところで足を止め、トミーが振り返ると、木の怪物はその巨体で大地を揺らしながら後を追ってきていた。
そしてーーーひしゃげた木の枝が化け物の腕のように振り上げられる。
トミーの目にはすべてがスローモーションに見えていた。

―――瞬間。


ドンッ!!

何かが弾け飛ぶような音が響き、トミーの目の前に何者かの背中が現れた。
前に立つ背中の向こうで木の化け物の腕が吹っ飛ぶのが見える。
キュゥゥゥゥゥゥ!!!
―――木と木が擦れるような甲高い怪物の悲鳴が辺りに響き渡った。

「困るんだよねぇ、握手はマネージャーを通してもらわないと…」

聞いたことのある声が目の前の背中から聞こえた。
紺とオレンジのポップな装備を身にまとった、背の高いエルヴァーンの剣士。
パリスだ。

ーーー怪物の足元が勢い良くひび割れた。
呆けているトミーを抱え、パリスが素早く横へ飛ぶ。
直後、彼らがいた地面を割って怪物の根っこが鋭く突き出した。
ひらりと着地したパリスがそっとトミーを自分の後ろに下げた頃、化け物は枝を振るわせながら振り向く。
甲高い奇声を発する大木の化け物の前に立ち、パリスはさらりと言った。

「ん~残念、相手が悪かった」

バリリィッ!!!

次の瞬間、木が裂ける激しい音と共に怪物の体が斜めに割れた。
一瞬で気を練り上げ、稲妻のようなレッドロータスをパリスが怪物に撃ち落とした。
巻き起こった風が木の焦げる臭いを辺りにばら撒く。

一瞬で半壊した大木の化け物は悲鳴すらあげずに、最後に一度地面を大きく揺るがして動かなくなった。


木の怪物が絶命する様子を見つめて、トミーは呆然と立ち尽くしていた。
「んんもう…騒がしいわね………何なの!?」
騒ぎで目を覚ましたリオが、気だるそうに身を起こし、目を瞬く。
「……って、あら?ここまだジャグナーじゃない」
辺りを見回して疑問符を浮かべるリオに目を向けるトミー。
「リオ…さん…、良かった、間に合って」
喜びの表情を浮かべるわけでもなく、トミーは呆然と途切れ途切れに呟いた。
「トミーさん!!」
ロエは叫んで駆け出すと、勢い良くトミーに飛びついた。
トミーはその勢いにふら付きながらも彼女を受け止める。
「探したんです……すっごく探したんですからぁ!!」
そう言って、ロエはトミーに抱き付いたまま泣き出した。
そんなロエをトミーが黙って見下ろしていると、視界の端に立つ足が映る。
トミーが視線を上げると、目の前にずぶ濡れのパリスが立っていた。
「………パリス、さん?」
「トミーちゃん………あぁ、良かった…」
パリスは安堵の表情を浮かべ、トミーをロエごと抱き締めた。


「……何、もしかしてあたし達………助かったの!!?」



   *   *   *



薄暗いジャグナー森林に、ざぁざぁと雨は降る。

ダンは、ある瞬間からぴたりと動きを止めて、ただ待っていた。
あの声が聞こえてからまだ一分も経っていないが、すでに何時間も待っているような感覚。
呼吸を乱したまま立ち尽くし、リンクシェルからの声をじっと待つ。

すると、ついに声が聞こえてくる。

“ダン、聞こえてるかい?”

――――こっちはずっと待ってんだ、さっさと言え。

“さっき聞こえたと思うけど、トミーちゃん、見つかったから……”
心底ほっとしたようなパリスの声。

―――あいつが、見つかった。


ダンはその場に立ち尽くしたまま、“そうか”とだけ答える。

無意識の内に手から両手剣が零れ落ち、ザラァァンッと音を立てて大剣は地面に倒れた。
急に体から力が抜け、ふらりと体が傾いて後ろの木へと寄りかかる。
そうしてそのまま脱力し、ずるずると座り込む。
虚ろな表情でゆっくりと空を見上げた。


薄暗いジャグナー森林に、ざぁざぁと雨は降る。



戦士は、そのまま一人、雨に打たれていた。

たった一人で、ずっと。



<To be continued>

あとがき

癖の強い書き方で申し訳ありません…村長作品こんな感じです。(´ー`;)

注目の迷子探しダービーは、一着がロエが、二着がパリス。
残念ながら、ダンは会うことができませんでした。
次が最終話となります。
彼らがどうなるか、是非見届けてくださいね。