ずっと
2004/05/30公開
誰かの声が聞こえたような気がする。
……………………………きろ………。
水の中から聞こえてくるような、ぼんやりとした声。
トミーは上も下も分からない暗闇の中で声の主を求めた。
―――――――何を言っているの?聞こえないよ……。
「起きろーーーー!!!」
聞いたことのある怒声が、闇を切り裂きトミーの目を開かせた。
ふわふわしていた体に重力が戻り、自分の身体が実態化したような感覚。
朦朧としたまま目を開けると世界が横に倒れていた。
少しの時間をかけて、横たわっているのは自分だと理解する。
いつの間にか本降りになった雨が地面を打ち、倒れているトミーの顔に激しく泥が跳ねた。
意識のぼんやりしている中視線を上げると、5、6歩先で、リオがこちらに背を向けて立っていた。
彼女は先ほどの短剣を持ったオークに息つく間もなく拳を浴びせていた。
攻撃を受けても構いもせず、がむしゃらにも見えるほどの勢いで拳を繰り出す。
オークの体に次々と拳を突き刺すリオの俊敏な動きはまるで機械。
あれは、モンクが全力で敵を倒しにかかる時に放つ技、百烈拳だ!
あの拳の速さ――――凄まじい!!
しかし、そんなリオの体は紅く染まっており、立っているのも精一杯というように見えた。
百烈拳を受けてさすがにオークも堪えているようで、苦悶の表情を浮かべている。
やがて、リオの拳の勢いが徐々に衰えてきた。
彼女からの猛攻を受けて激昂しているオークが、雄叫びをあげてそのミスラの肩を掴む。
その頃には、トミーの体は弾けたように起き上がって飛び出していた。
「うああああああああああ!!!」
取り落としていた剣を拾って、オークからリオを引き離すように二人の間に割って入った。
歯を食い縛り、渾身の力を込めてオークの脇に剣を叩き込む。
最高に良い手応えがして、オークの表情が一気に強張った。
憎しみの声をあげて反撃してくるオークに対し、トミーは下がるどころかさらに前に出た。
乱暴に振り回されたオークの短剣がトミーの腕を切り裂く。
トミーは怯まず大きく剣を振りかぶり、オークの肩に剣を叩き下ろした。
互いに鮮血が散る。
オークは唸り声をあげ、トミーも剣を振る度に叫んだ。
一撃一撃を全力で食らわし、大胆にオークから体力を奪っていく。
すべての攻撃に渾身の力を込めた。
こういう最終手段的な戦法は戦士特有のもので、マイティストライクといわれている。
汚れた髪がバサバサと視界を横切る。いつの間にかトミーの髪は解けていた。
短剣を持った手で殴りつけられ、トミーが数歩後退する。
するとリオが横から飛び出し、無防備な瞬間を捕らえて拳、拳、蹴りの三段攻撃をお見舞いした。
ぐらりとオークの体がバランスを崩す。
トミーはその時を逃さずに、一気に飛び出した。
それに気付いたオークがトミーに向けて短剣を突き出す!
しかしその攻撃は僅かに反れてトミーの頬を浅くかすめた。
また一つ傷が増えたが、そんなことは無視してそのまま間合いを詰めると思い切り剣を振り上げる!
そして―――視界の端でリオが地面に倒れるのが見えた―――渾身の力を込めて剣を振り下ろす!!
ドッ―――――と鈍くオークの肩から胸にかけて剣が食い込む。
オークは声にならない悲鳴を上げて天を仰いだ。
そしてゆっくり体を傾かせ、濡れた地面にずしゃりと倒れる。
倒した!!
そう判断したトミーは即座に、少し離れたところにいる魔道士のオークに向けて駆け出した。
魔道士のオークは丁度魔法を唱え終わったところで、
トミーが駆け出すと同時に黒魔法のストーンが発動した。
地面の石が浮き上がり勢い良くトミーに襲いかかる。
足を止めない彼女は腕で顔をかばってそれらを強行突破する。
慌てて次の呪文を詠唱し始めるオークだったが、詠唱が完了する前にトミーがそれを阻止した。
ガッと一太刀食らわてみせると、こいつはさほど強くないと分かる。
頭巾の下からくぐもった呻き声を発して、オークは杖を振りかぶった。
杖を盾で弾き返し剣を突き出す――――が、オークは横へ飛びそれをかわした。
振り向き様に剣を払うと今度は杖でそれを防ぎ、もう一歩後退する。
距離を取って再び詠唱を開始するオークに苛立ちを感じながら、トミーは剣を持ち直して飛び出した。
オークの足へ剣を突き刺すと、オークは悲鳴をあげて咄嗟にトミーの脇腹を杖で殴った。
一瞬息が詰まるがそんなことは気にしない。
トミーは苦しくも息を吸いながら集中し、一気に気を練り上げて剣を振りかぶった!
「ううぅああああああ!!!」
力一杯叫びながらオークに向かって剣を斜めに振り下ろす!
するとその瞬間トミーが練り上げた気が剣へと宿り、紅蓮の炎を纏った剣がオークへ撃ち落された。
やっと上手く撃てるようになった片手剣の技、レッドロータスだ!
炎の剣にざっくり斬られた魔道士のオークは勢い良く地面に倒れ込んだ。
オークを斬り倒したトミーは、振り切った剣の勢いに自身も耐え兼ねてバランスを崩す。
そして先程撃破したオークの死体につまずいて、ぬかるんだ地面にどしゃっと倒れ込んだ。
辺りが雨音だけになった。
受身も取らず無抵抗に倒れたトミーは、喉を枯らして呼吸に励む。
全身の至るところが痛む、気分が悪い、雨が冷たい。
このまま意識を失ってしまえば楽なのだが、トミーは休むことなくググッと身を起こした。
剣を地面に突き刺すとそれを支えにし、歯を食い縛って激痛に耐えながら立ち上がる。
乾いた喉を潤そうと唾を飲み込む。涙が出そうになったが唇を噛んでそれも耐えた。
「……リオさん…っ」
足を引きずるようにして倒れているリオの元に歩み寄る。
リオが濡れた地面に倒れて身動き一つしないので、不安と恐怖で体が熱くなった。
上から覗き込むと、彼女は薄っすらと目を開けてトミーを見つめていた。
「……………何その顔、ブッサイク」
虚ろな表情の顔からそんな言葉が出てきた。
トミーは苦笑いを浮かべてその場に膝を折るとリオを抱き起こす。
リオの体は想像以上に冷たかった。
「悪かったわね、こんなことになっちゃって…」
その言葉に首を振ると、トミーは改めてリオの様子を観察した。
自分と同じようにずぶ濡れの彼女は体中傷だらけで、呼吸は浅く、状況の深刻さが手に取るように分かった。
リオの顔から見る見る内に生気が失われていく………毒のせいだ。
トミー自身も自分の体力が毒に奪われていくのを感じていた。
少しずつだが確実に、二人に死の影がにじり寄っていた。
このままではいけない、何とかしなきゃ……!
震える呼吸で辺りを見回しながら必死に考える。
雨に打たれている森林は、やはり人の気配はなく、相変わらず薄暗い。
離れた地面に落ちている自分の荷物を見てハッとするが、すぐに失望して歯噛みする。
いつも持ち歩いていた毒消しは、先日パーティで組んだタルタルに譲ってしまった。
と、そこで思い出した。
――――サンドリアを出る前に、少し白魔法の勉強をした!!
トミーは逸る気持ちを抑え、集中しようと努めながら詠唱した。
「…………ケ…ケアル……ケアル!」
手も、肩も、足も、唇も、すべてが震える。
必死に詠唱しようとしても精神が乱れているためか、魔法は発動しない。
「…アル………ぅ……ケアルぅ……」
「ちょ、あんた…そんなになって魔法まで使うつもり?…や、めなさいよっ」
「うう……ううぅー…」
タッ――――と雨とは違う、トミーの涙が握った手の上に落ちた。
こんなに動揺していてはまともに詠唱なんてできない。
トミーは自分の無力さが悔しくて、硬く閉じた目からついに涙が溢れた。
――――と、リオがゆっくりと手を上げてトミーの肩を押した。
疑問に思って顔を覗き込むと、リオは険しい表情をしている。
「街道の方に、行きな。…きっと……誰かが通りかかるから」
彼女が言っていることの意味を即座に理解したトミーは目を見張った。
そしてうつむくと必死に首を振る。
「や…」
「このままここにいても、二人とも死ぬだけじゃない。あんたなら……まだ歩けるでしょ」
「やぁあ」
「嫌だじゃないのよ………いいから…さっさと…!」
「リオさんも一緒に行こう!ジュノに!!」
リオの言葉を打ち消すようにしてトミーは叫んだ。
ほとんど泣き声に近いその叫びを聞き、リオはきゅっと唇を噛む。
「……あたしだって…一緒に行きたいわよ!!」
搾り出したような声で言葉を荒らげた。
「そうよ、こんなところで……。一人で死ぬなんて嫌よ!
あんた、あたしを置いてどっか行ったら承知しないからね!!」
ギュッとトミーの手を握って堪えていたものを一気に吐き出すリオ。
リオの体は小さく震えており、彼女は忍び寄る恐怖に怯えているようだった。
彼女の手を握り返して、トミーは泣くまいと必死に目元を擦った。
目の前でリオがこんなに苦しそうにしているのに………何もできない。
「…ああ…もう……あんたが愚図ったりするから…何も見えなくなってきちゃ…じゃない……」
苦しそうに浅く呼吸しているリオが弱々しく舌打ちをする。
トミーはハッと顔を上げてリオを抱え直した。
「リオさん、しっかり…っ。死んじゃイヤ」
ひどく眠たそうに見えるリオの顔色はどんどん悪くなっていく。
「いいよ…もう……そんな顔しない………。
平気よ、あたし、は………ロンフォールまで飛ぶだけ…から……」
ぼんやりと何処か遠くを見ているようなリオの呼吸は弱い。
「っ……一緒に、ジュノ…行けない…の…」
「リオさん」
「で、もね…あたしは……さ、人の名前…覚えるの、苦手…けど……一度見た顔は…対忘れないの…」
トミーの手を握る力が徐々に弱まっていく。
「リオさん」
「だ…っ……から……ジュノに…ったら……
真っ先に………見つけ出してや…わ………………あんた………」
まるで眠るように、ゆっくりとした呼吸の中リオは静かに瞳を閉じた。
「リ…リオさん。リオさん?……リオさん!駄目!リオさん!?…リオさんっ、リオさん!!イヤだぁ!!」
「…………………………いかないでぇ………」
雨音の中、トミーがすすり泣く声だけになる。
リオを強く抱き締め、トミーは力なく座り込んだまま涙を流した。
―――――――私はまた人を守れないの?
―――――――無力で何もできない自分…………大っ嫌い。
トミーは、震えている自分の体も大分冷たくなっていることに気がついた。
腕の中のリオと同様に、トミーも傷だらけで至るところから流血している。
………寒い…。
とても眠くなってきて、徐々に意識が薄れていく。
まるで幕が降りるように。
すがるようにゆっくりと顔を上げると、霞んできた視界の中に一本の剣が映る。
あの人からもらった剣が、地面に刺さったまま黙って雨に打たれていた……。
「ケアルⅡ!!!」
雨音の中から声が聞こえて、トミーは閉じようとしていた瞳を開く。
次に辺りが急に明るくなり、視線を上げると暖かな光が腕の中のリオに降り注いだ。
ぼんやりとした優しい光がリオを包む。
するとじわじわとリオの傷が塞がり始め、見る見るうちにリオの顔に生気が蘇っていった。
眩い癒しの光の中、トミーは目を細めて声の主を探す。
すると、タルタルの魔道士が雨に濡れた姿で立っていた――――――ロエだ。
「トミーさん、見つけました!!」
リンクシェルへ報告を入れる彼女は息を切らしており、ローブの乱れもそのままだった。
現れた友人の姿を見て目を見開くと、トミーはリオに視線を戻す。
トミーの腕の中では、一見泥に汚れただけのリオが安らかな寝息を立てていた。
間に合ったのだ!!
ロエが手際良く先程と同じ呪文を詠唱する。
今、ロエの頭の中ではパリスの『どこ!?どこ!?』という声が大騒ぎしているが、経験の豊富なロエはそのくらいでは詠唱を妨害されることはない。
詠唱が完了すると今度はトミーに癒しの光が降り注いだ。
リオと同様にどんどん傷が塞がっていく。
完璧に回復し切ったわけではないが、痛みはほとんど消えてなくなった。
駆け寄ってきたロエは涙目になって安堵の表情を浮かべた。
「トミーさん……やっと見つけた…!」
「………あ……」
トミーが虚ろな表情で呆然としていると、ロエは解毒魔法を唱えた。
二人が毒に犯されていることに気がついたのだろう。
解毒魔法が二人に順にかかると、蝕まれるような苦痛が体から消えた。
お礼を言うどころか、トミーは何も言葉を発しない。
涙を流したまま表情のない彼女は、リオをそっと横たえる。
ロエはそんなトミーの様子に不安を抱きながらも、二人を完全に癒すべく再び回復魔法の詠唱を開始した。
――――――――――――――とその時。
地響きが近付いてきていることに気がついた。
地面が揺れて辺りの木々がざわざわと騒ぎ出す。
何事かと二人が顔を上げると、大きな木がこちらに向かって倒れてきている!
…いや、巨大な木がこちらに向かって突進してきていたのだ!!
「―――――Walking Tree!?」
ロエは思わず詠唱を中断して叫んだ。
ヒューム三人が手を広げて輪になっても囲み切れないほどの木が、根っこを足のように動かして突進してくる。
その幹には歪んだ顔があり、睫毛のないギョロリとした目がトミーを凝視していた。
違う。
トミーはすぐに気がついた。
その大木の化け物は、横たわったリオに狙いを定めていると。
――――――立って、剣を取るの。
――――――………守るって決めたでしょ?
脳裏で自身の囁きが聞こえた。
「……リオさんには……触れさせない!」
トミーはすぐさま立ち上がって突き立てたままになっていた剣を引き抜いた。
そして剣をかざして木の怪物の注意を引くと、リオ達から怪物を遠ざける。
彼女の瞬時の行動にロエは驚愕して叫んだ。
「トミーさん!駄目ぇ!!!」
トミーの耳にその叫びは届かなかった。
思考に音がついてこない。この瞬間、トミーは無心だった。
ロエ達から少し離れたところで足を止めて振り返る。
木の怪物はその巨体で大地を揺らしながら女戦士の後を追ってきていた。
そして、ひしゃげた木の枝が化け物の腕のように振り上げられる。
トミーの目にはすべてがスローモーションに見えていた。
何も音の無いゆっくりとした空間の中で、トミーはただぼんやりと怪物を見上げていた。
怪物の腕がヒュームの娘目掛けて振り下ろされる………―――その瞬間。
ドンッ!!
何かが弾け飛ぶような音が無音の空間に響き、トミーの目の前に何者かの背中が現れた。
前に立つ人物の向こう側で、木の化け物の腕が吹っ飛ぶのが見える。
キュゥゥゥゥゥゥ!!!―――木と木が擦れるような甲高い怪物の悲鳴が辺りに響き渡った。
「困るんだよねぇ、握手はマネージャーを通してもらわないと…」
聞いたことのある声が目の前の背中から聞こえた。
紺とオレンジのポップな色合いの装備をした、すらっと背の高いエルヴァーンの剣士。
怪物の足元が勢い良くひび割れた。
呆けているトミーを抱えてエルヴァーンの剣士が素早く横へ飛ぶ。
すると彼らが元いた地面を割って怪物の根っこが鋭く突き出す。
着地した剣士がそっとトミーを自分の後ろに下げた頃、化け物は枝を振るわせながらこちらに向く。
甲高い奇声を発する大木の化け物の前に立つと、剣士はさらりと言った。
「ん~残念、相手が悪かった」
バリリィッ!!!
次の瞬間、木が裂ける激しい音と共に怪物の体が斜めに割れた。
一瞬で気を練り上げた剣士の、稲妻のようなレッドロータスが怪物に撃ち落されたのだ。
巻き起こった風が木の焦げる臭いを辺りにばら撒く。
一瞬で半壊した大木の化け物は悲鳴すらあげずに、最後に一度地面を大きく揺るがして動かなくなった。
木の怪物が絶命する様子を見つめて、トミーは呆然と立ち尽くしていた。
「んんもう…騒がしいわね………何なの!?……って、あら?ここまだジャグナーじゃない」
今の騒ぎで目を覚ましたリオは気だるそうに体を起こすと、辺りを見回して疑問符を浮かべた。
「リオ…さん…、良かった、間に合って」
喜びの表情を浮かべるわけでもなく、呆然と途切れ途切れにトミー。
「トミーさん!!」
ロエは叫んで駆け出すと、勢い良くトミーに飛びついた。
トミーはその勢いに少々ふら付きながらも彼女を受け止める。
「探したんです……すっごく探したんですからぁ!!」
そう言うと、トミーに抱き付いたままロエは泣き出した。
そんなロエをトミーが黙って見下ろしていると、視界の端に立つ足が見えたので顔を上げる。
目の前に、ずぶ濡れになったエルヴァーンの剣士が立っていた。
「………パリス、さん?」
「トミーちゃん………あぁ、良かった…」
トミーがぼんやり見上げると、パリスは安堵の表情を浮かべて彼女をロエごと抱き締めた。
「……何、もしかしてあたし達………助かったの!!?」
* * *
薄暗いジャグナー森林にざぁざぁと雨は降る。
ダンはある瞬間からぴたりと動きを止めて、待っていた。
あの声が聞こえてからまだ一分も経っていないだろうが、もう何時間も待っているような気がする。
呼吸を乱したまま突っ立って、リンクシェルからの声をじっと待った。
すると、ついに声が聞こえてくる。
“ダン、聞こえてるかい?”
――――こっちはずっと待ってんだ、さっさと言え。
“さっき聞こえたと思うけど、トミーちゃん、見つかったから……”
心底ほっとしたようなパリスの声。
――――あいつが…………見つかった……。
その場に立ち尽くしたまま、“そうか”とだけ答える。
無意識の内に手から両手剣が零れ落ち、ザラァァンッと音を立てて大剣は地面に倒れた。
急に体から力が抜けて、ふらりと体が傾いて後ろにあった木へと寄りかかる。
そうしてそのまま脱力し、ずるずると座り込む。
虚ろな表情でゆっくりと空を見上げた。
薄暗いジャグナー森林にざぁざぁと雨は降る。
そうして、戦士はそのまま一人雨に打たれていた。
たった一人で、ずっと。
あとがき
トミー、無事確保。癖の強い書き方で申し訳ありません…村長作品こんな感じです。(´ー`;)