Are you ready?

最終話
2004/05/30公開



トミーちゃん達を連れてジュノに入ってから一夜が明けた。
ここ数日この近辺は強い雨に見舞われたけど、今日の空は昨日までの雨が嘘だったみたいに晴れ渡っている。



え~と、あれから僕らがどうなったか。
今の僕らを一言で言うと………………『ばらばら』……かな?



トミーちゃん達と合流してから数日をかけて僕らはジュノに辿り着いた。
僕とはぐれた間に知り合ったあのリオって人も一緒にだ。
彼女はとても人見知りをするようで、トミーちゃんとしか話そうとしない。
トミーちゃんと話をしていると、彼女は僕に厳しい視線を突き刺してきてもう痛い痛い。

でも、でもね、ジュノまでの道中僕を困らせたのは、リオさんの人見知りじゃないんだ。

僕が一番困ったのは、トミーちゃんが泣いていたこと。

泣いていた……と言うより、涙が止まらなかったって言った方が正しいかもしれない。
トミーちゃんはいつもと変わらずに僕らと会話をしたし、笑ったりもしていた。
でも何故か、気がつくとトミーちゃんの頬を涙が伝っていて…。
初めて見る彼女の涙は、とても痛々しくて、僕とロエさんはどうしたら良いのか分からなかった。
そうしてジュノに着くと、彼女は『ごめんなさい』を何度も繰り返して、すぐにレンタルハウスに閉じこもってしまった。
その後ロエさんが何度か訪ねてみたけど、扉の向こうからは『ごめんなさい』と小さな声が聞こえるだけ。
もちろん、あのミスラのモンクが勢いよく訪ねていっても駄目だった。


トミーちゃん自身、どうして涙が溢れてくるのか分からないと言っていた。

けどさ、僕ぁあの人なら分かるんじゃないかなーって思うんだよねー……。


あの人はあれ以来、連絡が取れなくなってしまった。
リンクシェルで呼びかけても返事はないし、レンタルハウスに行ってみたけど留守だった。
急にいなくなった彼を心配して、ロエさんは今朝から彼のことを探しに出掛けている。

そんな感じで、僕ぁもうどうしたらいいのやらやらやら。



朝の光に目をしばしばさせながら、パリスはジュノ下層を歩いていた。
すでに活気付いているジュノの街をぼんやりと眺める。
知り合いにダンのことを聞きに行ってみたが、期待したような情報は得られなかった。
ジャグナーからやっとの思いでヒュームの娘を見つけ出したと思ったら、今度はそのお相手の方が行方不明だ。
居場所が推測できない分今回の方が少々厄介である。
パリスは彼についてのことをあれこれ思い出しながら、困り果てた顔をして溜め息をついた。

そこで、ふと視線を上げると前方の競売前に知った顔があった。
布製の防具を装備した、見るからに機嫌の悪そうな赤髪のミスラ。
パリスは眉を開いて彼女に歩み寄ると、にこと笑って声を掛けた。
「やぁ、おはよう♪」
「―――は?……あ、なんだパシリか」
「えーと、パリスです」
「あ、そう。別に何でもいいけど」
つっけんどんにそう言いながら話しかけるなオーラを全開にして、はじめにチラッと見ただけであくまでもパリスの顔を見ようとしないリオ。
ソンナニ僕ノコト嫌イデスカ?
パリスは少々傷付きながらも、困ったような笑顔で口を開いた。
「あのぅ、今日はもうトミーちゃんのところ行ってみました?」
不機嫌そうなリオは眉をぴくりと動かす。
「トミー?あぁ、行ったけど駄目よ。出てきやしないわ」
「あら、そうですか……」
「でも大丈夫だから」
「…ハイ?」
「あの子のことはあたしが面倒見るから、心配しなくて良いわよ」
厳しい表情で競売を覗きながら言うリオ。
パリスは困った笑顔で頭をかきながら硬直してしまった。
……要スルニホットケッテコトデスカ☆

なんか、この人の場合『人見知り』じゃないような気がする……。

―――と、内心チラリとそう思った時。
パリスはリオの向こう側に目を止めて、『あ』と声を漏らした。
疑問符を浮かべてリオは思わずパリスを見上げる。
パリスはリオの遥か後方、冒険者達の流れの中に現れた男をじっと目で追っていた。
栗色の短髪にしかめた眉、背中には立派な両手剣。
いつもの重々しい鎧は身に着けておらず、軽装の彼は人込みの中を足早に横切っていく。
「………あれは…」
ぽつりとパリスが呟く。
その様子を見たリオは何となくパリスの視線の先を見、眉を寄せた。


   *   *   *


階段を上層へと上って、バザーを営む冒険者達が並ぶ広い通りに出た。
今日は良い天気なので、昨日バザーを開けなかった分冒険者達の賑わいは普段以上である。
しかし、今のダンはバザーに用は無い。
バザーを横目に見ることもせず、ただ前だけを見つめて通りを進んだ。

鎧は装備してこなかった―――必要無い。
ただ我武者羅に剣を振り回したいだけなのだから。
そうだ、もう何もいらない。
剣以外の持ち物をすべてレンタルハウスに放り込んで出てきた。
そして当分の間ここには戻らないつもりでいる。

朝から冒険者達で賑わいを見せるジュノの街中で、ダンは自分だけが違う空間にいるような感覚だった。
まるで生きている気がしない。
自分の中にあるのは、何も感じない、何もない心。
とにかく今は何も考えたくない。
周りが何をやっていようと、何を言っていようとどうでもいい。
ただ、自分の居場所のないようなこの街から早く出ようと、無心で歩を進めた。


―――足音がする。
ダンは、背後から何者かが駆け寄ってきていることに気がついた。
気配からして自分に用があることが読み取れる。
軽快な足音はダンのすぐ後ろまでくると、ぴたりと立ち止まった。



「おはよう!ダンテス君♪」
目にも止まらぬ速さで繰り出されたダンの拳が顔面に突き刺さり、あまりの威力にきりもみしてぶっ飛ぶと体の構造からして有り得ない状態で地面に横たわる。

そんなことを鮮明に想像したパリスは死を覚悟したような顔で身を固くした。
……が、ダンの拳がパリスに向けられることはなく、それ以前に戦士は立ち止まる気配がない。
振り返りもせずにそのまま歩いていく戦士の背中。
身構えていたパリスは恐る恐るダンを見て首を傾げると、覚悟を決めたように彼の後を追った。
「どうしたんだダンテス?元気がないじゃないかダンテス!」
いつ襲い掛かってくるかハラハラしながらも、パリスは満面の笑みで呼びかけた。
大丈夫、ちゃんと準備はしてあるから!
自分にそう言い聞かせながらパリスはダンの隣りに並ぶ。
「ダンテス~どうしたんだいそんな格好して。あ、お金儲け?さすがダンテス!何なら僕もついてってあげようか!ねぇねぇねぇ」
もう殺される。絶対殺される。
内心頭を抱えて嘆くパリスは泣きそうだった。
いっそのことさっさとキレてくれとさえ思っている。
しかし、ダンは隣りに並んでパリスがあれこれ言おうと構わず、何も聞こえていないかのように歩き続けた。
そのうちゲートが見えてきて、上層からバタリア丘陵へ出る橋へと差し掛かる。
パリスが顔を覗き込んでも、彼はちらりともパリスのことを見やしない。
そうしてついに、二人はバタリア丘陵に入った。

いくつもの小高い丘がある緑の大地は、晴れた空に照らされて少し乾燥していた。
木がほとんど生えていないバタリア丘陵を落ち着いた風が撫でていく。
ずっと無言で歩き続けるダンは何処へ向かおうとしているのだろう?
色々と覚悟をしてきたパリスは拍子抜けしてしまい、どうしようもないダンの態度にはもうお手上げだった。
「お~い……ダン!」
痺れを切らしたパリスは立ち止まって、進み続けるダンの背中に向かって呼びかけた。
すると、数歩進んだところでダンが足を止める。
やっと反応を示した背中を見てパリスは眉を開くが、その背中から低い声が聞こえた。
「言いたいことがあるならさっさと言えよ」
その言葉には感情がなく、悲しいほど静かで、冷静だった。
それを聞いて眉を寄せると、パリスは小さくため息をついてその場から言う。
「怒ってるのかい?僕が勝手にトミーちゃんを連れ出したから」
腰に手を当てると、ゆっくりと一歩前に出る。
両手剣を背負ったヒュームの戦士は相変わらずパリスを見ようとしない。
乾いた風の音に掻き消されそうな声がぼそりと聞こえる。
「……そんなこと、俺には関係無いだろ」
「どうして?僕ぁトミーちゃんを勝手にサンドリアから連れ出して、ジャグナーで迷子にさせたんだよ?あんな危険なジャグナー森林で。君なら当然、彼女にとってあそこがどんなに危険か知ってるだろ?」
苦笑するパリスはまた少しダンに歩み寄った。
「ね、腹が立つでしょ?僕が憎くない?だったら殴ったらいいんだよ、『お前がいけないんだ』ってさ。トミーちゃんを危険な目に遭わせたこの馬鹿エルヴァーンをボッコボコに」
パリスは自分で言って寒気がした。
すかさず『準備は完璧なんだから大丈夫!!』と内心必死に自分を励ます。
背中に嫌な汗をかきながら、ゆっくりとパリスはダンのすぐ後ろまで近づいた。
ダンはどこか遠くを見つめているようだ。
遠くを見つめているようだが、何も見えていないような。
パリスからは後姿しか見えないが、目の前の友人の姿は何とも空虚な感じがした。

「…………そんなことかよ」
沈黙を置いて呟かれた彼の言葉にパリスは瞬きした。
「何度も言わせるな、俺には関係ない。……どうして俺が?」
何かを嘲笑うような、そんな声だ。
パリスは呆気にとられてダンの背中を見つめる。
彼が何を言っているのか理解しかねたパリスは次の言葉を待ったが、ダンは『それだけなら行くぞ』と呟いて再び歩き始めた。
もう彼の言葉は終りなのか。
徐々に離れていく彼の背中を見て、パリスは困ったような顔をして頭をかくと慌てて呼び止める。
「あぁぁちょっと待ってダン」
面倒臭そうに足を止めたダンに軽い駆け足で追いつき、言った。






「じゃあさ、喧嘩しよっか♪」



普段通りの軽い口調で言うと、パリスはダンの肩を掴んで強引に振り向かせると彼を力任せに殴り飛ばした。
虚を突かれたダンは、パリスの拳をまともに食らって勢い良く丘の斜面に倒れ込む。
彼は何が起きたのか理解できていない様子で目を白黒させている。
「…………ぁ…?」
口の中に変な味が広がった。
何処かが切れたのだろう……と、ダンは不思議と冷静に頭の中で分析する。
―――と、パリスが彼の胸倉を乱暴に掴み上げた。



「どうして来なかった」

パリスの瞳にいつもの穏かさはなく、声には感情が滲み出ていた。
普段とは違うエルヴァーンの顔付きにダンは目を細める。
「日頃あんなにうるさく世話焼いてるくせして……こういう時には『関係ない』?なんだよそれ。いい加減にしないと僕だって怒るぞ?……どうして探しに来なかったんだ、答えろ」
「…………」
強く掴み上げて問い詰めるが、ダンはパリスから視線を逸らして押し黙ってしまう。
パリスは苦虫を噛み潰したように表情を強張らせた。
「君は昔からそうだ。意味や理由を疑ってばかりで結局何もしない。どうしてそうなんだ?君にとって大切なものって何?」
パリスの口調は感情に任せてみるみる加速していく。
「彼女と出会って君は変わるんじゃないかと思ってたけど……結局、君は何も変わってないじゃないか!自分勝手で冷たい、最低の大馬鹿野郎だよ!!」
感情的になった彼は胸倉を掴み上げていたダンを乱暴に突き放した。
ダンの背中が無抵抗に再び地面に叩きつけられる。
「彼女の面倒を見てるのも所詮自己満足だろ?器用じゃない彼女を見て自分が優れてることを感じたいだけなんだ君は。彼女はあんなに君を慕ってるのに……最低だぞ!?……そんな君に……彼女の傍にいる資格はない!!!」
力一杯怒鳴ったパリスの悲痛な叫びが静かなバタリアに響く。
彼らの周りに人や獣人、モンスターの姿すらなく、辺りは静かな風の音だけがさ迷っている。

呼吸を乱したパリスは、ダンを厳しく見下ろす瞳をゆっくりと閉じた。
深呼吸をして一旦心を落ち着かせ、今度は静かにダンを見下ろす。
見ると、ダンはゆっくりと身を起こし、口の中に溜まった血を吐き捨てたところだった。


「……めぇが分かる!!


搾り出したようなその言葉を聞き取った頃には、パリスはぐるっと回転して草の上に倒れていた。
後になって左の頬が腫れ上がったので、この時恐らく殴られたのだろう。
そういえば一瞬だけ守護の光の微かな煌きが見えたような気がする。
パリスは丘の斜面に背中を押し付けた状態で思い切り顔を引きつらせた。

こ。
こ。
怖い。

良かった!!!!準備しておいて!!!!!


自分だけちゃっかり防御魔法をかけておいたパリスは、今度はダンに胸倉を掴まれた。
「黙って聞いてりゃ勝手なこと言いやがって…!俺が自己満足のためにあいつのそばにいるだと!?昔のまま何も変わってねぇってのか!違うっ!俺は…!!」
パリスは胸倉を掴まれた状態でダンを見上げて、苦しそうだ、と思った。
彼が憤っているのはパリスに対してだけではないように見える。
「いつもヘラヘラ笑ってるお前に何が分かんだよ!!?何も知らないくせに知った風な口聞くんじゃねぇふざけんなぁ!!!
パリスの胸倉を掴んだまま、ダンは苦痛な表情で一気に叫んだ。




「………知ってるよ」


ぽつりと一言。
ダンは眉を寄せてパリスの顔を見る。
「全部知ってるよ。君が言いたいことも、言おうとしないことも」
ダンの目を見つめるパリスの表情は、安堵したような、又少し呆れたようなものだった。
先程のような威圧感は消え去り、口調もゆっくりと落ち着いている。
「君………探しに来たんだろ?ジャグナーに」
「!」
はっとした表情のダンは、パリスの胸倉を掴む手の力を緩める。
パリスはやれやれとため息をつきながらダンの手を胸倉から外すと身を起こした。
「リオさんから聞ぃ~た。彼女、一度見た人の顔は忘れないんだってさ」
「……リオ…?」
「ああ、ジャグナーでトミーちゃんと一緒にいたミスラさ。ジャグナーで会っただろ?」
自分の上からダンを退けて座るとそう説明する。
ダンは眉を寄せて少し考えたがすぐに思い出したようだ。
しかし、変わらず表情に疑問の色が見える。
その表情のわけを察したパリスは咳払いをして曖昧に補足する。
「あ、あの時は………まぁ色々と勘違いとかがあってね。でも彼女ははっきり君の顔覚えてたよ」
そう言いながら殴られた頬を擦ってみるが、まだ衝撃が残っているような感覚だ。
もし防御魔法をかけていなかったらどうなっていただろう…。
そう考えてぞっとすると、パリスは意識をしかめっ面の友人に戻す。
「どうして言わないんだ?自分も探しに行ったんだって」
バツが悪そうにその場に力なく座るダンを見て、パリスはため息混じりに続けた。
「君は昔からそうだね、言い訳が嫌いで不器用でさぁ。だからいつも悪者になっちゃうんだよ?」
苦笑いをしながら言うが、ダンは視線を逸らして口を固く結んだままだ。
そんな態度に再度ため息をつくと、彼を横目で見ながらパリスは言う。
「……ホントは色々聞きたいんじゃないの?トミーちゃんは無事だったのかとかさ」
ぴくりとダンが顔を上げた。
「あいつ…何かあったのか?」
「ん~、虎とオークに絡まれたみたいでね。ロエさんが見つけた時には二人とも本当に危険な状態だったみたい」
予想通りの反応を示したダンにパリスが答えると、ダンは目を見張って絶句した。
目が色々なことを問い掛けてくるが、パリスはそれに対して肩をすくめてみせただけで何も言わない。
パリスは彼女達に合流した時のことを思い出すと、複雑な表情で視線を落とす。


「………彼女、ずっと泣いてるよ?」
何となくジュノの方を見つめて呟いた。
「僕らと合流した後、トミーちゃん……君のことは何も聞いてこなかった。………何でだろうね?」
そう続けて少し寂しそうな笑みを浮かべるとダンを見る。
パリスは、厳しい表情をして目に動揺の色を浮かべている彼を見て、彼は自分よりも彼女の事情に詳しいのだと理解した。
もちろん、そんなことは前から充分分かっていたのだけれど。

パリスは大きく息を吸って後ろに手をつくと、足を投げ出して空を見上げた。
「彼女、どうして涙が止まらないのか自分でも分からないって言ってたんだけど…君なら分かるんじゃないかな」
「……俺は…」
何かを促すように言うパリスだったが、それに対するダンの声にはまだ迷いが混じっていた。
そんな彼を横目に見て、どこまで不器用なのだろうと内心苦笑する。
そこで、トドメの一発に言ってやった。


「早く捕まえに行かないと、また何処かに行っちゃうかもよ?」


その時ダンがどんな表情をしたのか、パリスには分からない。
しかしその時の沈黙で、隣りに感じる友人の気配が何かを決意したように静かになったのを感じた。
「…………っ」
静止していたダンは小さく舌打ちをしてから、無言のまま立ち上がる。
そして、両手剣を背負ったヒュームの戦士はそのままジュノの街へと駆け出した。

―――と、パリスがのんびりとその後ろ姿を見送っていると、ダンとすれ違いにロエが街から出てきた。
探していた当人が突然現れすれ違ったので、ロエは驚いて足を止める。
「ダンさん!」
「ロ~エさ~ん」
ダンを呼び止めようとするロエに、パリスはヒラヒラと手を振った。
パリスに気が付いたロエは困惑の表情を浮かべ、ダンを何度も振り返りながらパリスに駆け寄る。
「一体……」
「もう大丈夫、すぐに全部解決しますよ」
座ってやっと目線が同じになるタルタルの友人に、いつものヘラヘラ笑いを浮かべながら言った。
しかし、それでもまだロエは心配そうな顔でパリスを見つめている。
「パールッシュドさん…」
「大丈夫ですって、平気で~すよ♪」


「で、でも………鼻血が…」

「アラ?」



   *   *   *



ダンはジュノの街に戻り、冒険者のレンタルハウスまで走った。
多くの人が行き交う街中を真っ直ぐ駆け抜ける。
そしてレンタルハウスが並ぶ場所に通じる階段に差し掛かった時。
「――――ぎゃっ!?」
突然現れたミスラとぶつかりそうになって足を止めた。
自分を睨み付ける彼女の視線を受けて、先日ジャグナーで会ったミスラだと気が付いた。
「あ、ジャグナーにいた無礼男!!」
『あの時はよくも』と彼女の口からたくさんの文句が溢れ出ようとしていたが、ダンはそんなことお構い無しに彼女に尋ねた。
「あいつの部屋は何処だ」
乱れた呼吸の中問うと、赤髪のミスラは一瞬きょとんとした顔をする。
「あいつぅ?ああ、あの子の部屋ならそこだけど。でもあんたは来なくて良いわよあたしがこれから――――ってちょっと!!」
リオの言葉が終わる前に、ダンは彼女が示した部屋に向かった。
ダンの目にはその部屋のドアがとても寂しそうに見え、小さく舌打ちしてドアノブを掴む。
「入るぞ」
もちろんノックなどせず、断りを入れながら勢い良くドアを開ける。
カギはかかっていなかった。
後ろからリオの罵りが矢のように飛んできているが、それどころではないダンの耳には何も届いていない。

部屋の中に人の気配はなく、そこは暗くてしんとしていた。

その部屋の様子に目を見張ったダンは、後ろから覗き込んでいたリオを振り返る。
「あいつ、何処に……っ」
ただ事ではない雰囲気のダンに詰め寄られ、リオは一瞬怯んだものの表情を険しくした。
「知らないわよあたしだって今来たところだし!見ての通りどっか行っちゃったんでしょ!!」



   *   *   *



街から出ると、そこには視界いっぱいに青と緑が広がっていた。
木々の囁きを乗せたそよ風がハニーブロンドの髪を撫でていき、下は青々とした草、上では晴れ渡った空がこちらを見下ろしている。
トミーはその緑の地に少し歩を進めて、やがて立ち止まると辺りを見回した。
見たことのない黄色と黒の派手な虫が遠くの方でゆっくりと歩いている。
小鳥がさえずり、のどかな空気が漂うこの場所の名前をトミーは知らなかった。


買い物に出たのだ。

手元に無くなっていた回復アイテムなどを補充しようとレンタルハウスから出た。
狩りに行くわけでもなし…と、駆け出しの冒険者が身につける、ほとんど普段着に近い装備で。
しかし、何処に行ったら回復アイテムが手に入るのか分からず、街を歩き回っている内に外に出てしまい、今ここに立っている。



………嘘だ。


分かっていた、買い物なんて嘘だ。
その証拠に、『何処かに狩りに出てしまっているのだろうか』と気を落としている自分がいる。
回復アイテムなんて、そこら中にいた冒険者のバザーを覗けばいいし、競売の前だって通った。
本当に買い物目的であったのなら、もうとっくに用事を済ますことができたはず。
なのに、自分はこんなところに突っ立っている。
初期装備をしてきたのだって、鎧を装備するのが億劫だったからじゃない。
こんな装備をしていれば、彼はこちらを見掛けたらすぐにやって来てガミガミと注意してくれる。
そう思ったから。


そうだ、探しているのはアイテムの売り場じゃない。
………あの人だ。


知らない土地、知らない街、知らない国。
ここ数日で見た初めてのものをぼんやりと思い返しながら、彼は自分が想像つかないような遥か遠い所にいるのだろうかと思うと、何故か微笑が浮かぶ。
『会いたい』に満たされた体で、迷子の子供のように歩き回る自分が可笑しい。
少し強い風が吹いたので、トミーは流される髪を押さえながら遠くの景色に目を細めた。





「トミー!!」


誰か、呼んだ?


後ろから声が聞こえて、トミーは振り返る。



彼が、立っていた。


トミーが振り返ったのを見て、ダンは彼女まであと数歩のところまで来て足を止めた。
ダンが立ち止まると同時に、『あ、おはよ』と言ってトミーはさっと彼に背を向ける。
息を切らした戦士とは違い、まったく普段通りの様子で、トミーは広がる緑の大地を見渡す。
「ここ、綺麗なところだね。なんて言うところ?」
尋ねると、軽く息の上がっているダンが溜め息をついた。
「………ロランベリー耕地。お前なんか秒殺しちまう奴がウロウロしてるところだ」
相変わらず面倒臭そうに答えるダンの言葉に、トミーは小さく笑った。
そしてゆっくり振り返ると、じっと見つめてくる彼の目を見つめ返す。
二人の間を草木の囁きが横切っていく。


「……しばらく見ない内に…変わったね?怖い顔がもっと怖くなってる」

からかったように言うトミーを見つめて、ダンは胸を締め付けられたような顔をする。

「お前こそ………なんて顔してやがる…」

そういって手を伸ばすと、ダンはトミーを強く抱き締めた。


「おぉお?ダン??」
腕の中でトミーが困ったような声をあげる。
遠慮がちに腕の中から抜け出そうとすると、ダンの声が上から聞こえた。
「震えが止まるまでこうしててやるから。泣いていいぞ」
決して優しい口調ではないけれど、とっても安心する声。
トミーは言われてはじめて、自分の体が小さく震えていたことに気が付いた。

――――もう大丈夫。

もうあれは終わったんだ、安心していい。
自分の囁きが聞こえて、ずっと張り詰めていたものがふつりと切れる。
途端に熱いものがこみ上げてきて、トミーは唇を噛んだ。
震える体をぎゅっと縮めて溢れてくる涙を必死に堪える。


「トミー、いいかよく聞いてろ」

「………うん…」

「……ジュノに来てからの…お前の声すら聞こえない日々で、気付いたことがある」

「………うん…」


「俺はお前がいないとイライラする」

「…っ……なんだよ………それぇ…」

「だから、いつも俺の傍にいろ。俺の手が届くところに」

「…ん……うん……っ…」


「?…おい、何我慢してんだ。泣きたきゃ泣けよ」

ペシッと頭を軽く小突かれた瞬間、トミーはもう駄目だと観念した。
体からふっと力が抜けて、ぼろぼろと涙がこぼれる。
「ううう……ううあああああぁぁ~」
トミーはダンの服を掴むと、彼の胸に額を押し付けて声をあげて泣いた。
子供のように泣きじゃくる彼女を、ダンは大事そうにしっかりと抱き締める。
雨の中必死に探し回った、大切な、大切な女だ。
トミーにとっては、会いたくて会いたくて懸命に探していた人。

もう手の届かないところにいってしまったと思っていた。
だがそうではない、今こうしてまた同じ場所にいる。

二人はお互いの存在を感じながら、心が安堵に満ちていくのを感じていた。




しばらくして、抱き締められたままずっと泣いていたトミーの呼吸が落ち着いてきた。
そして彼女はくすくすと笑い始める。
ダンは疑問に思って腕の中を覗き込んだ。
「……あんなにたくさん泣いたのに、またたくさん泣いちゃった」
涙を拭きながら照れくさそうに笑うトミー。
先程は痛々しかった彼女の表情は、いつものふわりとした表情に戻っている。
「落ち着いたか?」
「ん…ありがと……」
俯いたまま、トミーはそっとダンから体を離した。
自分の腕の中から出て行った彼女をダンはしばしの間じっと見つめて、やがて軽く溜め息をつく。
「………じゃあちょっと、そこ座れ」
適当に足元を示して無愛想にいうダンを見、トミーは涙を拭きつつ丘の傾斜に腰を降ろした。
大人しく座って小首をかしげているトミーは、少々不安げにダンを見上げる。
ダンはしばらく空を仰いで黙っていたが、深呼吸をし、大きく息を吸って言った。





「っ馬鹿!!!!」



ずどんと、毎度お馴染みのダンの雷が落ちる。
トミーは小さく悲鳴をあげて飛び跳ねると身を小さくした。
「ったくどんだけ人に心配させりゃ気が済むんだお前はいつもいつもいつも!!」
「う、わ、いつものダンだっ」
「おまっ……パリスと二人だったんだろ?!二人でなんではぐれるんだよ!!よりによってあのジャグナーでなんて、狙ってんのかお前はっ!!
「ごめんなさいぃぃぃぃぃ!」
頭を抱えて小さくなるトミーを頭ごなしに怒鳴りつける。
ジャグナーで彼女を探し回っていた時『もう怒鳴ったりしない』なんて誓ったことは、彼の頭からは綺麗さっぱりと消えているようだ…。
怒涛の勢いで怒鳴り散らしたダンは、一旦ぐぐっと言葉を飲み込んで、大きな大きなため息をつく。
そして『あーもー』とガシガシ頭を掻くと、トミーの横に腰を下ろした。
隣りにどかりと座ったダンのことをトミーが恐る恐る見ると、彼は明後日の方向を睨み付けていた。
「……聞いてやるから、何があったのか話せ」
しかめっ面のまま乱暴に言う彼の横顔。
トミーはそんな彼にしばらく目をしばたかせたが、やがて眉を開く。
久々に彼が話を聞いてくれる。
「あのね!」
あまりの嬉しさに座り直して身を乗り出したトミーだったが、次の瞬間はっと口を押さえた。
「……なんだよ」
じろりと横目で見てくるダンに、トミーは警戒するような表情で言う。
「言っとくけど、パリスさんは何も悪くないんだからね?怒ったりしないでよ?」
念を押してくるトミーに、ダンは眉をしかめた。
ぷいっと顔を背けて『分ぁったよ』とだけ答える。

顔を背けたのは、自分の表情を彼女に見られたくなかったから。
相変わらず人の心配ばかりしているトミーを見て、何だか可笑しくて笑いがこみ上げる。
笑いと同時に胸の辺りを暖かくする何かが自分の心を満たしていくのをダンは感じた。
一方、確認を取ったトミーは満面に笑みを浮かべて、楽しそうに話し始める。
頑張ったこと、大変だったこと、初めて見たもの、驚いたこと。
身振り手振りをつけて話すトミーと、彼女の話に耳を傾けるダン。
暖かい日の光が二人を照らし、爽やかな風が彼らを包み込んだ。




そうして久々の二人だけの時間を過ごし、道中起こった出来事を一通り話し終える。
「うん、まぁこんな感じかな!分かった~?」
終始幸せそうな笑顔のトミーが、そう区切ってダンを覗き込む。
そういえば、先程からダンは黙って俯いたままだ。
「…………あぁ……分かった。すごくよく…
かみ殺したような低い声が返ってきた。
彼の様子にトミーが首を傾げると、おもむろにダンが立ち上がった。
そして何も言わずジュノへ向かって歩き出す。

「へ?ダン??……どうし…………え、え?!ちょ、待っ…!ダンの嘘つきぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!

両手剣をしっかりと背負い直した鬼人は、トミーの抗議を無視してジュノの街に入っていった。



   *   *   *



「ダンさん達……大丈夫でしょうか…」
「大丈夫ですってぇ」
心配そうに言うロエに、パリスが呑気な声で答える。

あの後パリスが『お茶でも』と誘い、二人はパリスのレンタルハウス前に着いたところだった。
ロエに回復魔法ケアルをかけてもらい、無論パリスの鼻血はもう止まっている。



「……あの………どうしたんですか?」

ロエがパリスを見上げて尋ねた。
パリスはというと、あれから6回目になる防御魔法を詠唱し終わったところだった。
先程から防御魔法を唱えまくっているエルヴァーンは心なしか顔色が悪く、ひどく落ち着きのない様子で冷や汗をだらだらと流している。
「あ~気にしないでください、何でもありませんよ。HAHAHAHAHA!」
精一杯笑い飛ばして、パリスはレンタルハウスのドアを開けた。
そしてロエに中へ入るように促そうとした瞬間。
後ろを振り返ったノッポのエルヴァーンが硬直した。
途端に彼の顔から表情と生色が消え失せる。
「…………?」
疑問に思ったロエが彼の視線の先を見ると、遠く人込みの中を突き進むヒュームがいた。
その男は俯き加減になっているので表情は見えないが、真っ直ぐこちらに向かって来る。
心配していた本人が現れたので表情を明るくしたロエだったが、彼のただならぬ雰囲気を見て取って眉を寄せた。
「きたきたきたきたきた」
パリスが最高に顔を引きつらせて呟く。


大股で歩くヒュームの男が階段の下までやってきた。

彼は背中に背負った両手剣の柄にゆっくりと手を伸ばす。

接近してくるその男を絶望的な表情で見つめていたパリスは、思い出したように言った。


「あぁ~……僕まだリレイズ使えないんだよねぇ……」






ジュノの街。
冒険者達の賑わいの中で、ボーイソプラノの悲鳴が響いて消えた。



<happy ending?>

あとがき

なんだこの長さ。

これでへっぽこ戦士ジュノデビューのお話は完結です。
無駄に長いお話でしたが、ここまで読んでくださった皆様、誠にありがとうございました!