ある日森の中
2004/03/13公開
装備がぶつかり合う、重々しい金属音。
だがダンは、鎧の重さをまるで感じさせない速度で、ジャグナーの森を駆け抜けていた。
不覚だったのは、森に入ってすぐチョコボを降りてしまったこと。
なぜかと言えば、何者かを追うゴブリン魔道士の姿を見かけたからだ。
そのゴブリンが誰を狙っていたのかもわからなかったが、ダンの身体は反射的に動いていた。
チョコボを飛び降りるや否や、電光石火の一太刀を放ち、ゴブリンを瞬殺。
辺りを確認すると、追われていたのは見知らぬエルヴァーンの女戦士だった。
彼女が礼を言おうとするより先に、捜し人でないと分かると、ダンはすぐさまその場を後にした。
それからずっと、彼はヒュームの女戦士――トミーを探して駆け回っているのだった。
―――トミー、何処にいる?
一旦立ち止まり、荒い息を吐きながら周囲を見回す。
肺が酸素を欲して悲鳴を上げる。
視界はしぱしぱと滲むが、それでも目を凝らし、薄暗い森林の奥を見つめた。
その時、目ではなく――ー耳が何かを捉えた。
――――――きーっひっひっひ……。
聞き覚えのある、嫌な笑い声だった。
場面は変わって、ローディ。
彼はチョコボの上で一人、リンクシェルの会話にニヤついていた。
もはや前方を見てもいない。すべてチョコボ任せだ。
リンクシェルのやり取りがツボに入ったのか、我慢できず何度も声を上げて笑っていた。
「きひ!何言ってるんだね、その時はもちろん全裸だ!!」
最も口に出してはならなかったであろう台詞を吐いて、彼は奇怪に笑う。
その時。
ローディは前のめりになっていた上体を素早く反らす。
彼の目の前を、一本の鋭い矢がビュンと通過した。
「お、色々略して『死ね』?」
変態色の濃い笑顔のまま、矢が飛んできた方向を向くなり強力な魔法の詠唱を視野に入れる。
しかし、次の瞬間ローディは目を瞬いた。
見慣れた姿がそこにいたからだ。
「……ダン?」
少し離れた場所に、弓を持ったダンが立っている。
その顔には見慣れた無表情が張りついていたが、荒い息と険しい目が、ただ事でないことを物語っていた。
ローディは嬉しそうに眉を開き、笑みを浮かべた。
「きひひ、俺はこれからダボイに行くとこであるぞ。ダンはどうしてここに?……あ、まさか、置き去りにしたこと怒ってんのかぇ?でもさ~、そこまで怒ることじゃないっしょ~」
ダンは返事もせず、ゆっくりとローディのチョコボへ歩み寄る。
「ナニナニ、俺様とやろうっての?悪いけど今のお前じゃ俺は倒せないぜ。今の俺は白―ディだからな!きーっひっひっひ!!」
「おい変態」
「なんね」
「女を見なかったか?」
チョコボのすぐ下まで来て、ダンは睨むような視線を向けながら続けた。
「年は二十。ブロンドの髪を一つ結いにしたヒュームの女だ。ジョブは戦士。装備は……多分リザードジャーキンだと思うが、もしかしたらまだスケイルかもしれねぇ」
「なんだ、女に逃げられたのかぁ。ザマーミロ☆きっひっひ」
「全力で殺すぞテメェ」
「きひ!」
明らかに取り乱しているダンを面白がりながらも、ローディは彼をじっと観察する。
焦りが見て取れる、珍しい姿だった。
ダンに答えを急かされ、ローディは天を仰ぎながら首をひねった。
「う~ん、さぁね~……見なかったんじゃないかしら。そーれーよーりーダン、俺すごいことに気が付いた!ふふふふ、驚くなよ?どうやら俺とお前を合わせれば渋~い男になれるっぽいのだ!!なぜか聞きたいだろう、えぇ?それはお前と俺の名前を―――って、おいダン!」
拳を握り語っていたローディが顔を上げると、ダンの姿はもうなかった。
彼はもう、ジャグナーの森の奥へと走り去っていた。
ローディはつまらなそうな顔でチョコボの羽を弄る。
「あ~あぁ……その女戦士ちゃんの名前は、何なのだ?」
当然、その問いが届くはずもない。
ローディは肩をすくめた。
あの変態に聞こうと思った俺が馬鹿だった。
ダンは舌打ちし、怒気を込めて叫んだ。
「トミーーーーーーーー!!!」
森に響き渡る怒声。しかし、返事はない。
当たり前だ。
こんなもので返事が返ってくるなら苦労はしない。
思い出したのだ。
忘れかけていた大切なことを。
今の自分の原点を。
まだトミーがリンクシェルに加わって間もない頃のことだった。
戦士としてもまだ未熟で、ジュノを目指してバルクルム砂丘で修行していたあの頃。
あの日、偶然にも、同じ海岸で狩りをしていた。
俺のパーティは魚を、トミーが入っていたパーティはカニを狙っていた。
夕日が沈み、海岸の冒険者達が徐々に姿を消し始めた頃だった。
突然、砂浜の一角が騒がしくなった。
別のパーティの釣り役が、トンボをリンクさせたらしい。
バルクルムにいるあの巨大なトンボは、強い。
しかも、一体を攻撃すると、別のトンボがすぐに加勢してくる。それが「リンク」だ。
トンボのリンクは、ほぼ「死」を意味する。
俺はそのとき、パーティのリーダーだった。
だが、何分まだ経験が浅かった。
どう動くべきか、すぐに判断がつかなかった。
その最中、一直線に救援に向うあいつの姿が見えたんだ。
俺よりも弱いくせに。
その姿を見て、俺の仲間も『行こう』と言ってくれた。
結果、救援に向かったのは、トミーのパーティと、俺のパーティだけだった。
その場にいる全員が全力で戦った。
でも―――そのリンクを起こしたパーティのリーダーが、頑固な奴で。
彼はモンスターのターゲットが自分以外に移るのを許さなかった。
その結果、二体のトンボの攻撃を一身に受け続け、強烈な一撃を食らって、そのまま砂の上に倒れた。
モンスターは倒した。
だが――そのリーダーは、命を落とした。
その時だ。
あいつが、トミーが大粒の涙を流して泣いたのは。
この世界では、モンスターや獣人に殺された者は、女神アルタナの慈悲で蘇生される。
そのことくらい、いくら無知なトミーでも知っていたはずだ。
なのに―――
あいつは相当ショックを受けた様子で、他の冒険者が呆然と立ち尽くす中、トミーだけが一人、声を上げて泣いていた。
その日から、トミーは数日間、モグハウスから出てこなくなった。
* * *
「おい、いい加減にしろ。何引きこもってんだよ」
開く気配のないドアを前に、ダンは少し苛立った声で言った。
すると、ドアの向こうからか細い声が返ってくる。
「……私……助けられなかったよ?」
「まだそんなこと言ってんのか。いいか、お前は弱いんだよ!だから助けられなくて当たり前だ。それにあれは、あっちのミスであぁなったんだ。自業自得だろうが」
「そういうこと言うなぁぁ!ダンの非道ぉぉ~!」
「うるせぇ。弱い奴がでしゃばったってロクなことにならねぇ。解決できることと、できないことがあるんだよ。自惚れるんじゃねぇぞ」
「……ダン……君ってホントに、何て言うかアレだね。最低♪」
「うるせぇよ」
後ろで苦笑いを浮かべているパリスを冷たく睨む。
「ダンさん……もう少し、優しく…」
パリスの隣にいるロエも、遠慮がちな小さな声で困ったように言った。
だが、心配する二人をよそに、ダンの苛立ちはピークに達している。
「あーもー、入るぞ」
そう言って、ここ数日ずっと鍵がかかっていたドアノブに手をかけた。
もう片方の手は、背中の両手剣の柄へと伸ばされる。
『うっわ破壊する気満々だよこの人!』と後ろでパリスとロエはわたわたと動揺した。
――――カチッ。
だが、ドアノブをひねると、あっさりと軽い音がして扉が開いた。
拍子抜けした三人は思わず顔を見合わせる。
すかさずダンは『ちょっと待ってろ』とだけ言い残し、自分だけ部屋の中へ。
途端にパリスの激しいブーイングが背後から聞こえたが、そんなものお構い無しにドアを閉めた。
薄暗い室内を見渡すが、広間にトミーの姿はない。
奥か―――。
ダンが静かに奥へ歩いていくと、視界にモーグリの姿が入った。
両手いっぱいにアイテムを抱えて、ベッドの方へと向かっている。
その視線の先――ベッドの上に、トミーがいた。
鞄をひっくり返したように荷物を広げ、黙々と中身を詰め込んでいる。
モーグリが運んできたアイテムを受け取り、急いで準備を進めていた。
そっと近づいたダンは、彼女の手元を覗き込んだ。
すぐに、彼女が何をしているのか理解する。
ダンは思わず顔をしかめ、深いため息をついた。
「……何してんだお前はぁ~」
「!!」
トミーは驚いてこちらを振り返り、モーグリは仰天してトミーに飛びついた。
目元が赤い。
……ずっと泣いていたのだろうか。
「う、あ……!ドアの鍵、かけるの忘れたぁぁぁ~っ!」
大ショックを受けてうずくまるトミーを放置し、ダンは鞄を掴み上げた。
『あぁっ』と手を伸ばす彼女だったが間に合わず、モーグリを抱き締めたまま身を小さくする。
「救援ボランティアでもやるつもりか?」
「ほっといてよーーー!」
回復アイテムを詰め込んでいた鞄を取り上げられ、トミーはそう叫ぶと布団をかぶってしまった。
その拍子に、ベッドの上のアイテムがバラバラと床に散らばる。
どうやら今朝早く、こっそり買い物に出て大量に回復アイテムを買ってきたらしい。
そして、帰ってきた時にドアの鍵をかけるのを忘れた、というわけだ。
「お前なぁ、そんなに人が救いたけりゃ白魔道士にでもなれ」
「私、魔道とか苦手だから無理だよ~……」
布団の中から情けない声が聞こえる。
「……確かに、お前には無理だな」
その一言に、トミーは布団の中で駄々をこねるように身じろぎした。
巻き込まれているモーグリの小さな呻き声も聞こえてくる。
回復アイテムは結構値が張るはずだが、こんなにたくさんどうしたのだと問い質す。
小さな声で返事が返ってきた。
ダンはその返事を聞いて眩暈を感じる。
……所持金全てを使った……と。
「おまっ…あのなぁ!」
ダンは思わず声を荒げた。
「冒険者ってのは危険がつき物だ。それは皆、承知の上で冒険者やってんだよ!お前何か、死ぬのは怖いとか、痛いとか思ってんのか?獣人やモンスターにやられても、アルタナの加護で蘇ることができるんだぞ?そのくらいのことは、お前でも知ってるだろ」
「……だからって……死んでもいいって言うの?どうせ蘇るから、死んでも構わないって?そんなの、おかしいよ……!!」
半分泣き声のように聞こえるトミーの声。
トミーはもぞもぞと布団の中から身を起こし、ベッドの上に座り直す。
ダンに背を向けたまま、肩を落とし、モーグリをぎゅっと抱きしめていた。
小さく震えているように見えた。
―――そして、ゆっくりと振り返る。
「だって……『死ぬ』んだよ?」
涙に滲むブルーの瞳。
その頬を、一筋の涙がゆっくりと伝い落ちていった。
ダンは動けなかった。
この間、初めて見たばかりの彼女の泣き顔を、こんなにも間近に見せられて。
ただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。
「もう……何もできない。何も見えないし、聞こえない。どんなに嫌でも、たった一人でいかなくちゃならないんだ……。一人きりで、真っ暗闇の中に」
言葉を噛み締めながら、トミーは震える声で続ける。
「『死ぬ』って……その悲しみを味わうことでしょ?……『死ぬ』って、とっても……寂しいことだよ…っ」
くしゃくしゃになった金髪の下から、彼女はそっとヒュームの戦士を見上げた。
その瞳が、まるですがるように、ダンを真っ直ぐに捕らえる。
「……ダンは……死んでしまったことがある?」
* * *
その瞬間だった。
ダンは体を、微かな電流のようなものが走ったような気がした。
あのーーー必死に涙をこらえながら、彼女の瞳が自分を捕らえたその瞬間だ。
―――あんな奴が、今、この森林の中を一人でさ迷っている。
額を伝う汗を拭うことすらせず、ダンは森を駆けていた。
一心に、ただ一人のために。
やがて街道沿いに出て、しばらく進むと、ダンは立ち止まった。
肩で大きく息をしながら、振り返る。
肺が焼けるように酸素を求め、喉は乾ききって痛む。
それでも、目を見張って周囲を探す。
……誰もいない。
さすがに疲れが溜まってきていた。
重くなった足を引きずるように、また歩き出す。
体中が「休め」と警告してくるが、そんな声は無視だ。
道沿いの大木に片手をつき、前へ前へと歩を進めた。
―――と。
何かの「気配」を感じて、ダンは足を止めた。
野生に覆われたこの森の中で、確かに―――人の気配だ。
木に手をついたまま、気配の主を探る。
……いた。数十メートル先。岩陰に、人の影。
ダンの胸が高鳴る。期待が込み上げる。
すぐに身を乗り出してその者を凝視すると―――相手はミスラ族だった。
………………あいつじゃない。
あとがき
忘れた頃に出現するのが変態というものです。(´ー`;)で、ご覧の通り、あれこれ勝手に設定してしまってます。