ヒーローはつらいよ

2005/08/13公開



いやだ!!!


そんな悲鳴が聞こえたかと思うと、トミーの意識はベッドに横たわる自分の体へと戻る。
一拍置いて、がばりと飛び起きた。

何が起こったのか分からないまま、しばし呆然と荒い息をつく。
寝ている間に自分が暴れたのだろうか。
奇妙な柄のパジャマは捩れ、包まっていた布団はベッドの下に落ちていた。

確かに今、悲鳴が聞こえた。
トミーはぼんやりとした思考の中、のろのろと考える。

そういえば、自分がその悲鳴をあげたような気がする。
そして、その悲鳴のおかげで悪夢から引き戻されたのだと理解する。
大きく息を吐いてベッドの上にへたりと座り直した。

レンタルハウスの中は真っ暗だった。
当然ながら、自分以外の気配はない。

「……ビックリしたぁ……」

耳が痛くなる程しんとした部屋の中で、ぽつりと独り言ちる。


ここのところご無沙汰だった、例の青い夢を見た。

昔から数日に一度の割合で見ていた夢。
だが、誰かと一緒に眠る時は決して見ることはない。
今宵は久々に一人きりで静かに眠りについたせいだろうか。
しばらく間が空いていたせいか、今夜の夢ははっきりと、強烈だった。
今までで一番と言ってもいいほどに。

あの夢はいつも、綺麗な青に包まれて始まる。
それが何の青かは分からない。
とにかく美しくて、感動すら覚える程に澄んだ青。
何度見てもその青は不思議で、トミーは幼少の頃からずっと、それが何の青なのかを知りたいと思ってきた。

つい今しがたもその青に包まれたが、やはり正体は分からなかった。
海なのか、空なのか。
家の色?誰かの瞳?
そんな風に青について考えていると、いつも、一人のエルヴァーンが現れる。

今宵の彼は、酷く鮮やかだった。
これまでぼんやりとしか見えなかったのに、今夜ははっきりとした姿だった。
しかし、さすがに顔までははっきりと見て取ることはできない。

血まみれのエルヴァーンが、追って来る。
顔が見えなくても、恐ろしい形相をしているだろうということは想像がつく。

これまでに幾度となく夢の中で追われては、いつも捕まりそうになった瞬間に目が覚めていた。

だが今宵は――捕まったような気がする。

あのエルヴァーンに、血まみれの手で、自分の腕を強く捕まれたような……。

トミーはベッドの上で膝を抱え、息を殺して部屋の中を見回した。
誰もいない。
モーグリさえも、今は。

――布団を。

周りを怖々と窺いながら、ベッドの脇に落ちた布団へと恐る恐る手を伸ばす。
幼い頃も夢に怯えたことはあった。
だが、こんなにも怖いのは初めてだった。

落ちた布団を掴み上げたい……けれどーー
身を乗り出したベッドの下に、あのエルヴァーンがいる気がして。
もし手を伸ばしたら、掴まれてしまいそうで。

トミーはそのまま、息を殺してベッドの端をじっと見つめていた。

ベッドの下から何者かが現れるのではないかと、じっと。


   *   *   *



「んぉお!?」
眠っていたダンは、自分でも間抜けだと思うような呻き声を漏らしながら、慌てて身を起こした。
すぐ近くで女の声が聞こえたので、状況も分からぬまま一瞬でパニックを起こし飛び起きたのである。

『どうしてあいつがいるんだ』と疑問が頭を過る中、真っ先にベッドの上を見回し、それから暗い部屋の中を見回す。

「――あ?」

誰もいない静まり返った部屋の中、またしても間抜けな声が漏れた。


“もしも~し……やっぱりみんな寝ちゃってるかなぁ……うーん……”

リンクシェル。

頭の中に流れ込んでくるトミーの遠慮がちな声。
ダンは枕元に転がしてある青い魔法の真珠を呆然と見つめた。

そして、やたら取り乱した自分が最高に情けなくなり、唸り声を漏らしながら両手で頭をかき混ぜた。
一人きりだがどうしようもなく居心地が悪い。
できることなら、女神に頼み込んで今の自分をなかったことにしてもらいたいくらいである。

暗い部屋の中、ベッドの上でドタバタしている自分に呆れつつ、ダンはふと近くの時計に目をやった。
時計の針は夜中の二時を回っていた。


“……さっきからうるせぇな。何してんだお前は”



返事が返ってこない。


“?……おい……”


“………………もしかして寝言か?”



“……違うよー”


やっと返ってきたトミーの返事は、なぜか感情のこもっていない声色だった。

ただ――何となくだが。
リンクシェルの向こうで、彼女が涙を零したような気がした。

“ごめんね、起こしちゃった?”

ダンが疑問を覚えていると、そんなトミーの問いが聞こえてきた。
その口調は普段と何も変わらないので、ダンは余計に眉を寄せる。
――気のせいか?
それとも、自分はまだ気が動転しているのか??

さっきの自分の慌てぶりを思い返し、目を背ける。
乱れたシャツを整えながら、ダンはあまり深く考えずに答えた。

“いや、起きてた。お前がこんな時間にリンクシェル使うなんて、珍しいな”

“う、うん。……やっぱり迷惑だよね、ロエさん達起きちゃうよね”

とことん遠慮がちなトミーの声に、思わず深い溜め息が出る。
ついさっきまで熟睡していたはずだが、一気に目が冴えてしまった。
もう、今夜は眠りにつけそうにない。

明日は久々に本格的なパーティに誘われていた。
だが、このまま寝ずに狩りに行っても、リーダーとしてまともに務まる気がしない。
『あーもーまたドタキャンかよ……』と頭の中でうんざりする。
しかし、だからと言って『明日予定があるので寝る』と彼女との会話を打ち切るつもりは毛頭なかった。

“あー?ロエさんは今夜、狩りに出るからリンクシェル外すってさっき言ってただろ。あぁ、あの時にはお前もう寝てたのか?”

“ん~分かんない……”

“そんで、パリスの奴はサンドリア戻ってからずっとリンクシェルしまい込んでるみたいだな。ここんとこ連絡ねぇし。………だから、別にいいんじゃねぇの?”

ーーまぁ、俺は叩き起こされたわけだが。

内心そう付け加え、ダンは肩を落として一人苦笑した。

“……そっ…か。ダンは?こんな時間まで何してたの~?”

――だから、お前の声でこちとら飛び起き……
あぶね、うっかりリンクシェルに流れ込んだらヤバイ。

ダンはベッドの端に腰掛けると、いつもは逆立ててある栗色の短髪を再びかき混ぜた。
“んー、まぁ、明日の準備的なことを……”
自分の適当さ加減に苦笑しつつ、こんな言い分でもトミーは信じてくれるので楽でいいと思う。
“明日?”
“あぁ、でも用事なくなったから、もう意味ねぇ”
“なくなったの?狩りか何かだったの?”
“あー?んー……”

どういうわけか、トミーの質問攻めが始まっていることに気付く。

――何でこんなにガツガツしてんだ?

一生懸命こちらに話をさせようとしている気配を感じ、ダンは眉を寄せた。
次の質問を浴びせられる前に割り込んで、こちらから尋ねた。

“だから、お前は何してんだっつーの”

その瞬間、リンクシェルの向こうでトミーが固まった気配がした。
面白い程あちらの状況が伝わってくる、少しの沈黙。

やがて、トミーがぼーっとした声で答える。

“えーと私は……なんか喉渇いちゃって起きちゃったんだ~”

“えーとってお前、明らかに今考えて言ってんじゃねぇか”

やっぱりこいつは間抜けだな。

ダンは呆れながらも、少しだけ優越感を感じながら、たじろいでいるトミーの姿を思い浮かべる。

“何だ、アレか?怖い夢見たとか、そういうのじゃねぇだろうな?”

どうやら、自分が優勢になると、どうも意地の悪いことを言いたくなるらしい。
必要以上に小馬鹿にしたような声で言ってみた。
そうするとまた『違うよぉ!!!』と、やたらとムキになった声が返ってくるのだ。

その彼女とのやり取りが自分はとても好きなのだろうと、ダンは自分でも観念している。
トミ-の喚く声を期待して待っている自分には、少し前から気が付いていたから。

――が、途端に返ってくると思っていた声は、待てど暮らせど返ってこなかった。

“…………おーい?”

話振るだけ振っといて……自分だけ寝やがったか??

ちょっとした期待を膨らませていた分、ダンはムッとした。
しかしその時、不意にか細い声が聞こえた。


“……………うぅ……怖いよ…”

まるで、もう少し待てば泣き声に変わるのではないかと思う程の、弱々しい声。
ダンは思い切り眉間にシワを寄せた。
片隅に転がっている青い魔法の真珠をじっと見つめる。

“あ……あのね、頑張って着替えたの!”

“は?”

“だからお願い、ダンのとこ行っていい?”

“は?”

“大丈夫走ればすぐだから!大丈夫走ればすぐだから!”

“何言ってんだお前”


トミーは、勝手に軽い錯乱状態に陥って自分に妙な暗示をかけている。
想像するに、今頃部屋の扉を少し開けて、外の様子を窺っているのではないかと。

“――待っ”

“走って走って!急げぇぇぇ!!”

“急ぐな止まれオイーー!!”

どうやら本当に、トミーはレンタルハウスを飛び出したようだった。
ダンは慌ててベッドから腰を上げ、部屋の中を見回すとすぐさま明かりをつけた。

別に部屋は散らかっているわけじゃない。
ダンが焦燥しているのはそういう問題ではない。
いつも逆立てている短髪が今はぺたんと寝ていることでもない。
黒のTシャツとズボンというラフな格好だからという理由でもない。

まず第一に、この展開の意味が全く分からない。

数日前にも、トミーが突然ここに押しかけてきたことがあった。それも妙な寝間着姿で。
でもそれは朝の話であって。
例え着替えていようが何だろうが、今とは全然状況が違う。

“ダン?ダン!?寝ちゃってないよね!?”

“うるせぇよ、何なんだお前は”

“うああ曲がるとこ間違えた!!”


どうやら、パニック状態なのはお互い様のようだ。
ダンはとりあえず扉へ向かい、自分のレンタルハウス前に出た。
そして転々と街灯が灯る冒険者の居住区の通路を左右窺った。

ジュノは冒険者達の流通の中心であるので、夜中でも通りの賑わいが消えることはない。
遠くから微かに聞こえる賑わいを耳にしながら、ダンは目を凝らした。

道を間違えたと言っていた。
ということは、どっちから来るのか分からない。
最悪、全く見当違いの方向へと行ってしまい、ここまで辿り着かないという可能性もある。

様子を見に行きたい気持ちがふつふつと湧いてくる。
しかし、ダンがここを離れてしまってはそれこそ本末転倒だ。
わけの分からない世話の焼ける状況にイライラしつつ、ダンは左右の通路を交互に見やり、ヒュームの娘が姿を現すのを待った。


「ダン!!」

左の通路から右へと視線を移した――その瞬間、背後から悲鳴じみた声が聞こえた。

振り返ると、肩下まである髪を振り乱しながら全力疾走してくるヒュームの娘がいた。
白いヒュームベストに、ヒュームパンツという姿で、髪は結わき忘れたのかバサバサのままだ。
前回来た時は芸術的な寝癖がついていたが、今見た限りでは今回は大丈夫のようだ。

――なんてことを冷静に分析していると、トミーがぐんぐん近付いてきた。
しかし、間近まで迫ってきても一向にスピードを落とす気配がない。
ダンの脳裏に『避ける』という選択肢が浮かんだ。
だがそれも洒落にならなそうな勢いだったので、そのままトミーを待つことにした。

「――……ってマジかよ!!?」

トミーは、本当に一切スピードを落とさず突っ込んできた。

どぼすっという音がして、トミーはダンにぶち当たった。
飛びついたとか、抱きついたとか、そんな可愛らしいものではない。
そう、ただ全力でぶつかってきただけ。
ダンは『やっぱり避けときゃ良かった』と、胸中深く後悔した。

「う、おっ」
全力で持ち堪えようと踏ん張ったが、まさか本当に突っ込んでくるとは思わなかったので、最後の最後で持ち堪えられず尻餅をついてしまった。
自分の体を貫通する気だったのではないかと思う程の勢いで突撃してきたトミーは、そのままダンにめり込んで座り込む。

――お前だけ防御体勢取ってんじゃねぇよ……!!

トミーがめり込んだまま小さく縮こまっているのを見下ろし、歯噛みする。
ダンはしかめっ面で苦しげに咳き込んだ。

「……ビ……ビックリしたぁ……」

「それはこっちの台詞だコラ」

「ごごごごめん、何かどう止まったらいいか分からなくなっちゃって」

あわあわしながら立ち上がるトミー。
滅茶苦茶になった髪を手で軽く直して、膝についた砂を払う。
そして、痛烈な表情を浮かべたまま尻餅をついているダンに手を差し出した。

「だ、大丈夫?」

「…………ごほっ……」

「ごーめーんーなーさーいぃー」

じとっと上目遣いに見上げるダンに、駄々をこねるような声で再度謝る。
それは謝る態度じゃないだろ……とか思いつつ、ダンは深い溜め息をつき、差し出されたトミーの手を取って立ち上がった。

「……こんな夜中に元気爆発だな、お前」

「ごめんね?ホントごめん!」

手を合わせて謝り倒すトミーを、ダンは鳩尾あたりを擦りながら気だるげに見下ろす。
結わかれていないトミーの髪には、やはり少し寝癖がついていた。
そのことに気付いた瞬間、妙にトミーの立ち位置が近いような気がして、ダンは何となく上体を引く。

――何なんだ、一体。

「……どうした、何かあったのか?」

なんだか強い視線でじっと自分を見上げてくるトミーに、ダンは少々どもりながら尋ねた。
トミーはダンの顔から視線を逸らそうとしない。
悪いものでも食ったのか?と眉を寄せるが、彼女は自分を見つめているのではなく、必死に周りを見ないようにしている風にも見えてきた。

――そういえばさっき、『怖い』と言っていたような……。



「……大変お恥ずかしい話なのですが……」

トミーが、緊張した子どものような顔で、妙なことを言い出した。

「怖い夢を……見まして、一人じゃ怖くて眠れなくなってしまいました」

「 帰 れ 」

まだ言葉に続きがありそうだったが、ダンは容赦なくそう言い放った。
トミーは酷くショックを受けたように、カッと目を見開き、口を半開きにしたまま硬直する。
そんな彼女の様子を見て、ダンは思わず片手で目元を覆った。

「お前は本ッッ当に馬鹿だな。何つーかめんどくせぇ!だりぃ!」

「な、何、急に……」

「急はそっちだろーが!何だお前、結局何も分かってないじゃねぇかよっ」

無償に腹が立ってきて、ダンは少し泣きたくなった。
トミーは非常に困ったような顔でじっと見上げている。
その様子を見て更に感情が沸き起こるーー。
このままだと絶対に彼女を泣かせると容易く予想がついた。

そんな予想が完璧なのにも関わらず、ダンは溢れてくる言葉を塞き止められない。

「俺は何だ?そんなに安心するか?お前にとって俺はセコムか?!」

「セコム?」

「あーもー何でいつもそうお前は……俺の気も知らないでよくやるぜ。百人に聞いたら百二十人が確実に俺を可哀想だと言うぞ!?不覚にも今、切実にパリスに会いてぇと思っちまったじゃねぇか、気色悪ぃ。新手の嫌がらせか?無神経も大概にしろよお前!お前は夜鳴きするガキじゃねぇんだぞ!少しは自覚しろ!」

苛立ちに任せて言葉を吐き出すダンは、どうしようもない気分だった。

ここまできて、またしても。
相手を特別視しているのは自分だけだと思わされるようなことを。

やはり、通じ合ってなどいない。
相手は何も分かってない。

同時に、ダンはどうしようもなく空しくなった。

一通り悪態を吐き出し終わると、ダンは腕を組んで最高に深い溜め息をつく。
視線を遠くにやると、ジュノの通りがぼんやりと明るく、未だに賑わいを持っているのが見えた。

その時ーー少し離れたレンタルハウスの扉が開いた。
装備を整えた冒険者が一人出て行く。
その冒険者はリンクシェルの会話に集中しているのか、こちらには気がついていない様子だった。

だが、その冒険者が姿を現した瞬間、正面にいたトミーが身を固くしたのが分かった。

ふと視線を下げると、トミーは張り詰めた表情のまま、ダンの胸元をじっと見つめていた。
顔を見つめるのはやめたようだが、それでも、彼女はダンから目を逸らしたくないようだった。

「……ごめん……」

トミーの唇から、弱々しい声が漏れた。

ダンは心底うんざりした顔でトミーを見下ろした。
ほら、やっちまった……と溜め息をつく。

トミーの目には、涙が溜まっていた。

「ごめんね……やっぱり迷惑だったよね。うん……ごめん……」

いつも彼女は泣くまいと必死に耐えるが、その努力はいつもいつもまったく意味が無い。
現に今も、大粒の涙をぼろぼろと流しているわけで。
そんな彼女を目の当たりにして、ダンはげんなりと肩を落とす。

――迷惑とかそういうことじゃなくてだな……!

言いたいことはまだまだ溢れてくるが、ダンは懸命に言葉を飲み込んだ。
泣きたいのはこっちだ……と思いつつも、もう何度目かになる溜め息をつく。

「あー……悪かった。怒鳴ったりして悪かった」
やる気なさげな謝罪の言葉を不器用に述べる。

何だかんだで俺、こいつのこと泣かせてばっかりだな……。

ダンはがっくり肩を落とした。

視線を戻すと、トミーは黙ったまま、やはりダンの胸元を真っ直ぐにじっと見つめていた。

恐らく手を伸ばして引き寄せれば、腕の中にすっぽり収まる。

そう思ったが、ダンは嫌な感じに冷静で、理性的だった。

「……一人が怖いってんなら、ネコのところにでも行ったらどうだ?」

言った瞬間ーー何者かが自分の内臓を締め上げているような感覚に襲われた。
何だかよく分からないが分かろうとはせずに、務めて淡白に言葉を並べる。

「そうすればあのネコも喜ぶんじゃねぇの?」

「で、でも……リオさんは絶対今、寝てるし……迷惑だろうなぁって……」

「俺はいいのかよ」

不機嫌な声で言うものの、胸中は穏やかではなかった。
ダンの中では激しい葛藤が火花を散らしている。

「一声かけりゃモーグリだって飛んでくるだろうが」

「で、でも」

「モーグリにも悪いって?俺には全力で体当たりかましといてか」

意地悪く確認するように捲くし立てる自分が、何とも厚かましく思えた。
もっともっと確認したいが、『黙れ』と思っている自分もいる。

しゃくり上げながら涙を拭うトミーを見下ろし、彼女が何か答えるのを待つ。
言いたいことはたくさん湧き上がってくるが、胸中でそれら全てを殴り倒し、口を結んだ。
しかめっ面でじっと待つ。
トミーは涙できらきらしている瞳を瞬かせて、涙を拭き続けた。


やがて、待ちかねてダンが、溜め息交じりに尋ねる。

「……で……お前は、一体俺にどうしてほしいんだ……」

自分が予想していた以上に困り果てたような声が出た。

本気で、これが分からなかった。
自分で考えてみてもどれも違うような気がして、どうすれば良いか分からない。

トミーは喉を引きつらせながら、泣き声の中からか細く答えた。


「……一緒、に……いてっ…ほしぃ……」


言われて初めて『しまった』と思ったが、もう遅い。

本当に殺されるのではないかと思う程の、殺し文句だった。



「…………はぁ~~~~~…」
一瞬息を詰まらせたダンは、溜め息ではなく寧ろ声に近いものを長く吐き出した。
悩ましげに目頭を押さえて固く目を閉じ、子どものように涙を拭いているトミーの姿を視界から遮断する。

寝不足のせいだろうか。
頭がクラクラする。

「……お前なぁ…………知らねぇぞ?」

「え?」

「あーもー俺は知らん……もう知らん……」

頭を振りながら、うわ言のように繰り返すダン。
その姿を、トミーは不思議そうに見上げている。
ダンはその視線から逃れるように顔を背け、どこか嘆くような声で続ける。

「残念だが、お前の信頼を裏切るぞ俺は」

「?……何言ってるか分からないよ」

「分からないように言ってる」

気だるげにゆらりとレンタルハウスの扉に向き直る。
ドアノブに手をかけ、扉を開け放った。
そして自分が先に中に入り、何となく試すような眼差をトミーに向ける。

「…………どうする、入るか?」

腕組みをしながらトミーに問い掛けるダン。
トミーは涙の乾ききらない目を瞬かせてきょとんとしている。


―――が。


「……いいの?あ……ありがとうっ」



トミーは泣き顔に笑みを浮かべ、軽い足取りですんなりと入室してきた。



うっわピョーンと入って来やがったこいつピョーンと入って来やがった。



弱々しく笑いながら、こちらに背を向けて懸命に目元を擦るトミー。
その姿に、ダンは目を丸くした。


……やっぱり、こいつは……。


安堵の笑みを浮かべながらトミーが振り返る。
「ホントに怖かったんだぁ」
彼女は目元を赤く染めたままでそんなことを言った。

ダンは苦笑を浮かべるとゆっくりと扉を閉める。
そして扉に寄りかかり、ずるずると力なくその場に座り込んだ。

脱力したダンを不思議がってトミーは小首を傾げる。
「……眠いの?」 鼻の頭を赤くしながら、あどけない顔で覗き込んでくる。
その顔を見上げるダンの苦笑は止まらなかった。
トミーは何も答えないダンに疑問符を浮かべながらも、どこかホッとした様子で手を広げた。

「あぁ~良かった~良かったよぉぉ~。待って、お茶を入れようっ。キッチンお借りします!」

くすんと一度鼻をすすって、トミーはぱたぱたと小走りでキッチンへと向かっていく。
ダンは苦笑したままの可哀想な顔で彼女を見送る。
彼女がキッチンへ消えると、呆然と天井を見上げた。

「……あー……」

「ダン、ごめんね……。でも本当にありがとう」

このどうしようもない気持ちをどうにかしようと独り言を呟こうとしたところで、キッチンからトミーの声が聞こえた。



「……あんなに信頼されてんだ、裏切れねぇだろ……」

誰かに言い訳をするように呟いた。

この短時間で物凄く疲れたダンは、そのままゆっくりと体を傾かせ、ごとっと横に倒れた。

ふて寝だ。ふて寝しかねぇ。

するとそこに、お茶を入れたトミーが戻ってくる。

「あっ、なぁに!?いいって言ってくれたくせに寝ちゃうの!?ズルイよそんなの!」

「うるせーーー」

トミーはテーブルにガチャリと荒々しくお茶を置くと、力なく横になっているダンの腕を掴み上げる。
ぐいっと引っ張り上げるが、ダンは頗る無気力でぐったりしたままだ。

「俺は寝る。もう知らん」

「やだよ、寝ちゃわないでよー!ほらお茶入れたからっ、ね?」

「お前本気でムカツクなー……」

「何でよぉ!!もぉ……ほら、起きて!んぎぎぎぎっ」

駄目だ、こいつは。
そして俺も駄目だ。

力任せにダンを起こそうとしている色気もへったくれもないトミーを横目に、ダンは内心そう匙を投げた。

こんな奴にアレした俺が悪いんだ、しょうがねぇ。
どうせこいつは、馬鹿みたいに信じてるだけで、俺のことまで考えてねぇんだ。
こいつの頭がアレなことは前から知っていた。
今に始まったことじゃないしな。
望んだ俺が悪かった。
そうだ、まったく馬鹿げてる。

ダンは匙という匙を投げ切り、のそりと体を起こした。

「はぁ~ぁ……保護者は大変だぜまったくよぉ……」

「何それ、失礼なっ」

「間違ってねぇだろうが。俺は雨風しのげる駆け込み寺なんだろ?」

「デラ?……むー、さっきからダンの言ってること全然分かんないよっ。何だよぉ、何拗ねてんのー?」

「お前こそ何だ。さっきまでピーピー泣いてたくせして……あれは演技かお前は悪女か、あ?」

「な、ち、違うよぉ!」

お互いに言い合いながらテーブルにつく。
ダンは気だるげに視線を落としたまま、溜め息をつきつつティーカップに口をつける。
一方のトミーは、そんなダンを膨れっ面で睨んだ。

一瞬、言いたいことを喉の奥に詰まらせ黙り込むと、口を尖らせる。

「だって……だって……」

「あー?」

ぶちぶちとうめくトミーに対し、ダンが頬杖をついて乱暴に聞き返す。

「……だって……ダンと一緒にいると、すごく安心するんだもん……」

口を尖らせた可愛げのない顔でそう言うトミーに、ダンは再び目を丸くした。
ぽかんと口を開いて固まる。
口元に運んでいたティーカップを、ゆっくりとテーブルに置いた。

そして――









「お前本ッッ気でムカツクな」

テーブルに突っ伏しながら噛み殺したような声で言った。

「ななな何でよぉ!ダンだって『ずっと傍にいろ』とか言ってたじゃないかぁ!傍にいないとイライラするとか言ってたじゃないかぁ!」

「あーーーあーーーもーーーうるせぇっつーの!分かったからこれ以上変なこと言うんじゃねーーーー」

腕の中に顔を埋めたまま、ダンは叫ぶように投げやりに言う。

「もう黙っとけ」

最後にそう付け加えた。

今のダンは、自分自身の全てのブレーカーを落としてしまいたい気分だった。
もう何も見ない方がいいし、聞かない方がいい。
絶対に。

自分は女の扱いには慣れている方だと思っていたのだが、トミー相手だとどうしてこうも調子が狂うのだろう。


――まったくこいつは……メンドイ奴だ。

そう胸の中でぼやきつつも、なぜか心は温かかった。
何だかこう、くすぐったい感じの。
非常に不満で不愉快で不本意だったが、ダンはその気持ちを尊いと思ってしまった。

――と、その瞬間。
不意に髪をつんっと引っ張られたのを感じて、ダンは反射的に顔を上げた。
視線の先には、慌てて手を引っ込めているトミーが悪戯をした子どものような顔をしている。

「寝てるー」

「うるせぇよ触んなもう何もすんなそのまま寝ちまえ!!」

ガァッと威嚇すると、むくれるトミーを睨みつけてから再び腕の中に顔を埋める。


こいつには敵わん。



「……分かった分かった。大事にすりゃいいんだろ……」

ぽつりと、ダンが呟く。

「む、何それ」


「独り言だ」


ダンはテーブルについた両腕に顔を埋めたまま、トミーを見ようとはしなかった。
だから、その時目の前で足をパタつかせながら、トミーがとても嬉しそうに微笑んでいたことには気が付かなかった。



<END>

あとがき

ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!ヽ(;´□`)ノ
うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁきひーーーー!!!ヽ(´Д`;)ノ

胸焼けが止まらない!誰か太田胃●がガ●ター10持ってきて!!

嗚呼……でも良かった、この程度で済んで。
ダンテスお前漢だよ、よくぞ頑張ってくれた。
私は君の涙ぐましい男気に心の底から感謝している。
ちなみにこの後は、多分ダンがそのままぐぅーっと寝て、楽しげにダンを見てたトミーもそのままくかーっと寝ます。(爆)