ヒーローはつらいよ
いやだ!!!
そんな悲鳴が聞こえたと思うと、トミーの意識はベッドに横になった体に戻り、がばりと飛び起きた。
何が起きたのか分からないまま、しばし呆然と上半身を起こして荒い息をつく。
寝ている間に自分が暴れたのかもしれない、妙な柄のパジャマは捩れ、寝る時に包まっていた布団はベッドの下に落ちていた。
確かに今悲鳴が聞こえた…と、トミーは呆然とした思考の中でのろのろと考える。
そういえば、自分がその悲鳴をあげたような気がする。
そしてその悲鳴のおかげで悪夢から引き戻されたのだと理解し、トミーは大きな溜め息をついてへたりとベッドの上で座り直した。
レンタルハウスの中は真っ暗で、当然自分以外に何者かがいる気配はない。
「…………ビックリしたぁ…………」
耳が痛くなる程しんとした部屋の中で、ぼつりと一人呟く。
ここのところご無沙汰していた例の青い夢を見た。
昔から数日に一度くらいの割合で見ていた夢だが、誰かと共に眠ると見ることはない。
今宵は久々に一人静かに眠りについたせいだろうか。
少し間が空いて、そして今宵ここしばらく見ていなかった分、思い切りはっきりと見てしまった。
そう、今までで一番と言ってもいいほど強烈に。
やはり綺麗な青に包まれていた。
何の青かは分からないが、とにかく美しくて感動を覚える程の透き通った青。
何度見てもその青は不思議で、トミーは幼少の頃からその青が何の青なのか知りたいと思ってきた。
つい今しがたもその青に包まれたが、未だに正体は分からない。
海なのか、空なのか、家の色?誰かの瞳?
そうやって青について考えていると、必ず一人のエルヴァーンが姿を現す。
今宵の彼は酷く鮮やかで、今までおぼろげだったはずが割とはっきりとした姿であった。
しかし、さすがに顔までははっきりと見て取ることはできない。
血まみれのエルヴァーンが追って来る。
はっきりと顔が見えなくても、恐ろしい形相をしているだろうということは想像がつく。
今までに夢の中で幾度となく追われては、いつも捕まりそうなところで目が覚めた。
だが今宵は、捕まったような気がする。
確かにそのエルヴァーンに捕まった、自分の腕を血まみれの手で強く捕まれたような……。
トミーはベッドの上で膝を抱え、息を殺して部屋の中を見回した。
誰もいない、モーグリさえも今は。
――――――――布団を。
周りを怖々と窺いながら、恐る恐るベッドの横に落ちている布団へと手を伸ばす。
幼い頃は当然怖かったが、今になってこんなにも怖いのは初めてだった。
ベッド脇に落ちた布団を掴み上げたいが、ベッドから身を乗り出すと下にあのエルヴァーンがいそうで。
手を伸ばしたら捕まれそうで。
トミーはベッド下から何者かが姿を現すのではないかと、そのまま息を殺してじっとベッドの端を見つめていた。
* * *
「んぉお!?」
眠っていたダンは自分でも間抜けだと思う呻き声を漏らしながら慌てて身を起こした。
すぐ近くで女の声が聞こえたので、一瞬で勝手にパニックを起こし飛び起きたのである。
『どうしてあいつがいるんだ』と疑問に思いつつ真っ先にベッドの上を見回し、次に暗い部屋の中を見回す。
「――――………あ?」
誰もいないしんとした部屋を見回して、またしても間抜けな声が口から漏れた。
“もしも~し……やっぱりみんな寝ちゃってるかなぁ…うーん…”
リンクシェル。
ダンは直接頭の中に流れ込んでくるトミーの遠慮がちな声を聞きつつ、枕元に転がしてあった青い魔法の真珠を呆然と見つめる。
そしてやたら取り乱した自分が最高に情けなくなり、唸り声を漏らしながら両手で頭をかき混ぜた。
一人きりだがどうしようもなく居心地が悪い。
女神に頼み込んで今の自分をなかったことにしてもらいたいくらいである。
暗い部屋のベッドの上でドタバタしている自分に呆れつつ、ダンは近くの時計を横目に見た。
時計の針は夜中の二時を回っていた。
“……さっきからうるせぇな、何してんだお前は”
返事が返ってこない。
“?……おい……”
“………………もしかして寝言か?”
“……違うよー”
やっと返ってきたトミーの返事は、何故か無感情な音色をしていた。
ただ、何となくだが、リンクシェルの向こうで彼女が涙を零したような気がする。
“ごめんね、起こしちゃった?”
ダンが疑問を感じているとそのトミーの問いが聞こえ、聞こえる声が普段と何も変わらないのでダンは更に眉を寄せた。
気のせいだろうか、自分はまだ気が動転しているのか??
先程の自分から目を背けつつ、ダンは乱れたシャツを整えながらその質問への回答を何も考えずに答える。
“いや、起きてた。お前がこんな時間にリンクシェル使うなんて珍しいな”
“う、うん。………やっぱり迷惑だよね、ロエさん達起きちゃうよね”
とことん遠慮がちなトミーの声に思わず深い溜め息が出る。
熟睡していたはずだったが、一気に目が冴えてしまってもう今夜は眠りにつけそうにない。
明日は久々に本格的なパーティに誘われていたのだが、このまま寝ずに狩りに行ってもリーダーの勤めはまともに果たせないだろう。
『あーもーまたドタキャンかよ……』と頭の中でうんざりする一方、ダン自身『明日予定があるので寝る』と言って彼女との会話を打ち切る気は毛頭なかった。
“あー?ロエさんは今夜狩りに出るからリンクシェル外すってさっき言ってただろ。あ、あの時にはお前もう寝てたのか”
“ん~分かんない……”
“そんでパリスの奴はサンドリア戻ってからずっとリンクシェル仕舞い込んでるみたいだな。ここんとこ連絡ねぇし。………だから、別にいいんじゃねぇの?”
まぁ、俺は叩き起こされたわけだが。
内心そう付け加えて、ダンは肩を落とすと一人苦笑した。
“そっ…か……。ダンは?こんな時間まで何してたの~?”
だからお前の声でこちとら飛び起き……おっと危ない、うっかりリンクシェルに流れ込んだらヤバイ。
ダンはベッドの端に腰掛けると、いつもは逆立ててある栗色の短髪を再びかき混ぜた。
“んー、まぁ、明日の準備的なことを……”
自分の適当さ加減に苦笑しつつ、こんな言い分でも相手は信じてくれるので楽で良いと思う。
“明日?”
“あぁ、でも用事なくなったからもう意味ねぇ”
“なくなったの?狩りか何かだったの?”
“あー?んー”
どういうわけかトミーの質問攻めが始まっていることにダンは気がついた。
何でこんなにガツガツしてんだこいつ。
一生懸命こちらに話をさせようとしている風に感じるトミーに眉を寄せ、次の質問を浴びせられる前に割り込んでこちらから尋ねた。
“だからお前は何してんだっつーの”
トミーが向こう側で一瞬固まったのを何となく感じた。
面白い程あちら側の状況が伝わってくる少しの沈黙を置いて、トミーがぼーっとした声で答える。
“えーと私は……何か喉渇いちゃって起きちゃったんだ~”
“えーとってお前、明らかに今考えて言ってんじゃねぇか”
やっぱり馬鹿だこいつ。
変な優越感を感じながらダンはたじろいでいるトミーの姿を思い浮かべた。
“何だアレか?怖い夢見たとかそういうのじゃねぇだろうな”
どうやら彼女よりも優勢になると、どうも意地の悪いことを言いたくなるらしい。
必要以上に小馬鹿にしたような声で言ってみた。
そうするとまた『違うよぉ!!!』と、やたらとムキになった声が返ってくるのだ。
そのやり取りが自分はとても好きなのだろうと、ダンは自分自身でも認めていた。
トミ-の喚く声を期待して待っている自分には、少し前から気が付いていたから。
――――が、途端に返ってくると思っていた声は少し待っても返ってこなかった。
“…………おーい?”
話振るだけ振っといて、自分だけ寝やがったかあいつ??
変な期待を膨らませていたダンはムッとしたが、その瞬間か細い声が聞こえた。
“……………うぅ……怖いよ…”
もう少し待てば泣き声に変わるのではないかと思う程の弱い声。
ダンは思い切り眉間にシワを寄せて、思わず片隅に転がっている青いリンクシェルを見た。
“あ……あのね、頑張って着替えたの!”
“は?”
“だからお願いダンのとこ行っていい?”
“は?”
“大丈夫走ればすぐだから!大丈夫走ればすぐだから!”
“何言ってんだお前”
勝手に軽い錯乱状態に陥っているトミーは自分に妙な暗示をかけている。
想像するに、今少し扉を開けて外を窺っているのではないかと。
“―――待”
“走って走って!急げぇぇぇ!!”
“急ぐな止まれオイーー!!!”
どうやらトミーは自分のレンタルハウスから飛び出したようである。
ダンは慌ててベッドから腰を上げると部屋の中を見回し、すぐさま明かりをつけた。
別に部屋は散らかっているわけじゃない、ダンが焦燥しているのはそういうのが原因ではない。
いつも逆立てている短髪が寝ているからではない、今は鎧姿ではなく黒のTシャツとズボン姿だからというわけでもない。
まず始めにこの展開の意味が分からない。
数日前にもトミーがここに押しかけてきたことがあった、それも妙な寝間着姿で。
でもそれは朝の出来事であって、例え着替えていようが何だろうが今の展開とは全然違う。
“ダン?ダン!?寝ちゃってないよね!?”
“うるせぇよ何なんだお前は”
“うああ曲がるとこ間違えた!!”
どうやらパニック状態なのはお互い様のようだ。
ダンはとりあえず扉へ向かうと自分のレンタルハウス前に出た。
そして転々と街灯が灯る冒険者達の居住区の通路を左右窺った。
ジュノは冒険者達の流通の中心であるので、夜中でも通りの賑わいが消えることはない。
遠くの通りの賑わいを微かに聞き取りつつ、ダンは通路を眺めて耳を澄ました。
道を間違えたと言っていた、ということは左右どちらから来るのか分からない。
もしかすると全く見当違いの方向へと行ってしまい、ここには辿り着かないということも考えられる。
様子を見に行きたい気持ちがふつふつと湧くが、自分がここを離れてはまったく意味が無い。
わけの分からない世話の焼ける状況にイライラしつつ、ダンは左右の通路を交互に眺めてヒュームの娘が姿を現すのを待った。
「ダン!!」
左の通路から右の通路に視線を移した瞬間、左から自分を呼ぶ悲鳴じみた声が聞こえた。
見ると肩下まである髪を振り乱しながら全力疾走してくるヒュームの娘がいた。
彼女は冒険者の私服的な装備である白いヒュームベストに、見た感じただの短パンであるヒュームパンツという姿。
髪は結わき忘れたのかもしれない。
前回来た時は芸術的な寝癖がついていたが、今見た限りでは今回は大丈夫のようだ。
なんてことを冷静に分析していると、トミーがぐんぐん近付いてきた。
間近まで迫ってきても一向にスピードを落とす気配がない。
ダンの脳裏に『避ける』という選択肢が真っ先に浮かんだが、それも洒落にならなそうな勢いだったのでそのままトミーを待つことにした。
「―――――…ってマジかよ!!?」
トミーは本当に、一切スピードを落とさず突っ込んできた。
どぼすっという音がしてトミーはダンにぶち当たった。
飛びついたとか、抱きついたとか、そんな可愛らしいものではない。
そう、ただ全力でぶつかっていっただけ。
ダンは『やっぱり避けときゃ良かった』と、胸中深く後悔した。
「う、おっ」
全力で持ち堪えようと踏ん張ったが、まさか本当にそのまま突っ込んでくるとは思わなかったので、最後の最後で持ち堪えられず座り込んでしまった。
自分の体を貫通する気だったのではないかと思う程の勢いで突撃してきたトミーは、ダンにめり込んだ状態で彼と一緒に座り込む。
自分だけ防御体制取ってんじゃねぇよ……!!
めり込んだまま小さくなっているトミーを見下ろして歯噛みすると、ダンはしかめっ面で苦しげに咳き込んだ。
「………ビ……ビックリしたぁ……」
「それはこっちの台詞だコラ」
「ごごごごめん、何かどう止まったらいいか分からなくなっちゃって」
あわあわしながらトミーは立ち上がると、滅茶苦茶になっている髪を手で軽く直し膝についた砂を払った。
それから痛烈な表情を浮かべたまま尻餅をついているダンに手を差し出す。
「だ、大丈夫?」
「…………ごほっ……」
「ごーめーんーなーさーいぃー」
じとっと上目遣いに見上げるダンに、駄々をこねるような声で再度謝る。
それは謝る態度じゃないだろとか思いつつ、ダンは深い溜め息をつくと差し出されたトミーの手を取って立ち上がった。
「……………こんな夜中に元気爆発だなお前」
「ごめんね?ホントごめん!」
手を合わせて謝り倒してくるトミーを、ダンは鳩尾あたりを擦りながら気だるげに見下ろした。
結わいていないトミーの髪には、やはり少し寝癖がついていた。
そのことに気がつくと同時に、妙に立ち位置が近いような気がしてダンは何となく上体を引く。
―――――――何なんだ一体。
「………どうした、何かあったのか?」
何だか強い視線でじっと自分を見上げてくるトミーに、少々どもりながら尋ねた。
トミーはダンの顔から視線を離そうとしない。
悪いものでも食ったのか?と眉を寄せるが、彼女は自分を見つめているのではなく、必死に周りを見ないようにしている風にも見えてきた。
そういえばさっき、『怖い』と言っていたような……。
「……大変お恥ずかしい話なのですが……」
緊張した子どものような顔でトミーが変なことを言い出した。
「怖い夢を……見まして、一人じゃ怖くて眠れなくなってしまいました」
「 帰 れ 」
まだ言葉が続きそうだったが容赦なく言い放った。
トミーは酷くショックを受けたようにカッと目を見開いて、口を半開きにしたまま硬直する。
そんな彼女の様子を見てダンはうんざりして、思わず片手で目元を覆った。
「お前は本ッ当に馬鹿だな、何つーかめんどくせぇ!だりぃ!」
「な、何急に……」
「急はそっちだろーが!何だお前、結局何も分かってないじゃねぇかよっ」
無償に腹が立ってきてダンは少し泣きたくなった。
トミーは非常に困ったような顔をして相変わらずダンを見上げている。
その様子を見て更に苛立ちを覚え、このままだと絶対に彼女を泣かせると容易く予想がついた。
そんな予想が完璧なのにも関わらず、ダンは溢れてくる言葉を塞き止められない。
「俺は何だ?そんなに安心するか?お前にとって俺はセコムか?!」
「セコム?」
「あーもー何でいつもそうお前は……俺の気も知らないでよくやるぜ。100人に聞いたら120人が確実に俺を可哀想だと言ってくれるぞ!?不覚にも今切実にパリスに会いてぇと思っちまったじゃねぇか気色悪ぃ。新手の嫌がらせか?あ?無神経も大概にしろよお前!お前は夜鳴きするガキじゃねぇんだぞ少しは自覚しろ!」
苛立ちに任せて言葉を吐き出すダンはどうしようもない気分だった。
ここまできてまたしても、相手を特別視しているのは自分だけだと思わされるようなことを。
やはり通じ合ってなどいない、相手は何も分かってない。
ダンは苛立ちを覚えると同時に、どうしようもなく空しくなった。
そして一通り悪態を吐き出し終わると、腕を組んで最高に深い溜め息をつく。
眺めると、遠くジュノの通りがぼんやりと明るく未だに賑わいを持っているのが見えた。
ふと、少し離れたレンタルハウスの扉が開いて、中から装備を整えた冒険者が出て行く。
鎧を着たその冒険者はリンクシェルの会話に集中しているような顔で通りへと向かって駆けていった。
あちらはこちらには気がついていなかったようだが、その冒険者が姿を現した時、正面にいるトミーが身を固くしたのが分かった。
何となくトミーを見下ろすと、トミーは張り詰めた顔でダンの胸元を見つめていた。
顔を見つめるのはやめたようだが、とにかくダンから目を逸らしたくないようだ。
「………ごめん…」
弱々しい声が彼女の唇から漏れた。
ダンはうんざりした顔でトミーを見下ろしたまま、『ほら、やっちまった』と思い溜め息をつく。
トミーの目に涙が溜まっていた。
「ごめんね……やっぱり迷惑だったよね………うん…ごめん……」
彼女はいつも泣くまいと必死に耐えるが、その努力はいつもいつもまったく意味が無い。
現に今も彼女は大粒の涙をぼろぼろと流しているわけで。
そんな彼女を目の当たりにしてダンはげんなりと肩を落としている。
迷惑とかそういうことじゃなくてだな……!
言いたいことはまだまだ溢れてくるが、ダンは懸命に言葉を飲み込んだ。
泣きたいのはこっちだ、と思いつつも、もう何度目かになる溜め息をつく。
「あー………悪かった、怒鳴ったりして悪かった」
やる気なさげな不器用な謝罪の言葉を述べて、『何だかんだで俺こいつのこと泣かせてばっかりだな』とダンはがっくり肩を落とした。
トミーを見ると彼女は真っ直ぐに前を、やはりダンの胸元をじっと凝視したまま固まっている。
恐らく手を伸ばして引寄せれば腕の中にすっぽり収まる。
と思ったが、ダンは嫌な感じに冷静で理性的だった。
「……一人が怖いってんなら、ネコのところにでも行ったらどうだ?」
そう言った途端、自分の中で何者かが自分の内臓を締め上げているような感覚が襲った。
何だかよく分からないが分かろうとはせずに務めて淡白に言葉を並べる。
「そうすればあのネコも喜ぶんじゃねぇの?」
「で、でも……リオさんは絶対今寝てるし……迷惑だろうなぁって……」
「俺はいいのかよ」
不機嫌な声で言うものの、胸中は穏やかではなかった。
ダンの中では激しい葛藤が火花を散らしている。
「一声かけりゃモーグリだって飛んでくるだろうが」
「で、でも」
「モーグリにも悪いって?俺には全力で体当たりかましといてか」
意地悪く確認するように捲くし立てる自分が何とも厚かましく思えた。
もっともっと確認したいが、『黙れ』と思っている自分もいる。
しゃくり上げながら手で涙を拭いているトミーを見下ろして、彼女が何か答えるのを待つ。
言いたいことはたくさん湧き上がってくるが、胸中でそれら全てを殴り倒し、口を結んだ。
しかめっ面でじっと待つ間、トミーは涙できらきらしている瞳を何度も瞬かせて、黙ったまま涙を拭き続けた。
やがて、待ちかねてダンが溜め息交じりに尋ねる。
「………で……お前は一体俺にどうしてほしいんだ…」
自分が予想していた以上に困り果てたような声が出た。
本気で、これが分からなかった。
自分で考えてみてもどれも違うような気がして、どうすれば良いか分からない。
トミーは喉を引きつらせながら、泣き声の中からか細く答えた。
「……一緒、に……いてっ…ほしぃ…」
言われて初めて『しまった』と思ったが、もう遅い。
本当に殺されるのではないかと思う程の殺し文句だった。
「…………はぁ~~~~~…」
一瞬息を詰まらせたダンは、溜め息ではなく寧ろ声に近いものを長く吐き出した。
悩ましげに目頭を押さえて固く目を閉じ、子どものように涙を拭いているトミーを視界から遮断する。
寝不足のせいだろうか、頭がクラクラする。
「……お前なぁ…………………知らねぇぞ?」
「え?」
「あーもー俺は知らん……もう知らん…」
頭を振ってうわ言のように繰り返すダンを、トミーは不思議そうに見上げる。
ダンはトミーから顔を背けて嘆くように続ける。
「残念だがお前の信頼を裏切るぞ俺は」
「?……何言ってるか分からないよ…」
「分からないように言ってる」
気だるげにゆらりとレンタルハウスの扉に向き直ると、ダンはドアノブを捻って扉を開けた。
そして先に中に入り、何となく試すような眼差をトミーに向ける。
「…………どうする、入るか?」
腕組みをしながらトミーに尋ねるダン。
トミーは涙の止まった目を瞬かせてきょとんとしている。
――――――――が。
「………いいの?…あ…ありがとうっ」
トミーは泣き顔に笑みを浮かべて軽い足取りですんなりと入室してきた。
うっわピョーンと入って来やがったこいつピョーンと入って来やがった。
弱々しく笑いながらこちらに背を向けて懸命に目元を擦っているトミーに、ダンは目を丸くする。
やっぱりこいつは……
目元を赤くしたままで、笑いながら『ホントに怖かったんだぁ』とか言いながら彼女が振り返る。
ダンは苦笑を浮かべるとゆっくりと扉を閉め、扉に寄りかかったまま、ずるずると力なくその場に座り込んだ。
脱力したダンを不思議がってトミーは『眠いの?』と小首を傾げている。
少々鼻の頭を赤らめた無邪気な顔で覗き込んでくる彼女を見上げるダンの苦笑は止まらなかった。
何も答えないダンに疑問符を浮かべるトミーだが、とにもかくにも、先程の恐怖から解放された様子で彼女は両手を広げた。
「あぁ~良かった~良かったよぉぉ~。待って、お茶を入れようっ。キッチンお借りします」
くすんと一度鼻をすすって、トミーはキッチンの方へと小走りに駆けて行った。
ダンは苦笑したままの可哀想な顔で彼女を見送り、彼女がキッチンへ消えると呆然と天井を見上げる。
「………あー……」
「ダンごめんね……でも本当にありがとう」
このどうしようもない気持ちをどうにかしようと独り言を呟こうとしたところで、キッチンからトミーの声が聞こえた。
「…………あんなに信頼されてんだ、裏切れねぇだろ……」
誰かに言い訳をするように呟いた。
この短時間で物凄く疲れたダンはそのままゆっくりと体を傾かせ、ごとっと横に倒れた。
ふて寝だ、ふて寝しかねぇ。
するとそこにお茶を入れたトミーが戻ってくる。
「あっ、なぁに!?良いって言ってくれたくせに寝ちゃうの!?ズルイよそんなの!」
「うるせーーー」
テーブルにガチャリと荒々しくお茶を置いて、トミーは力なく横になっているダンの腕を掴み上げる。
起こそうと引っ張り上げるがダンは頗る無気力でぐったりしたままだ。
「俺は寝る、もう知らん」
「やだよ寝ちゃわないでよー!ほらお茶入れたからっ、ね?」
「お前本気でムカツクなー……」
「何でよぉ!!もぉ……ほら起きて!んぎぎぎぎっ」
駄目だ、こいつは。
そして俺も駄目だ。
力任せにダンを起こそうとしている色気も何もありゃしないトミーを横目に、ダンは内心そう匙を投げた。
こんな奴にアレした俺が悪いんだ、しょうがねぇ。
どうせこいつは馬鹿みたいに信じてるだけで俺のことまで考えてねぇんだ。
こいつの頭がアレなことは前から知っていた、今に始まったことじゃないしな。
望んだ俺が悪かった、そうだまったく馬鹿げてる。
ダンは匙という匙を投げ切り、のそりと体を起こした。
「はぁ~ぁ、保護者は大変だぜまったくよぉ……」
「何それ失礼なっ」
「間違ってねぇだろうが、俺は雨風しのげる駆け込み寺なんだろ?」
「デラ?……むー、さっきから言ってること全然分かんないよっ。何だよぉ何拗ねてんのー?」
「お前こそ何だ。さっきまでピーピー泣いてたくせしてあれは演技かお前は悪女か、あ?」
「な、違うよ!」
お互いに言い合いながらテーブルにつく。
ダンは気だるげに視線を落としたまま、溜め息をつきつつティーカップに口をつける。
自分のティーカップを手に取りながらそんなダンを膨れっ面で睨んで、トミーは一瞬言葉を詰まらせてから口を尖らせる。
「だって……だって………」
「あー?」
ぶちぶちとうめくトミーに対して頬杖をついて乱暴にダンが聞き返す。
「………だって……ダンと一緒にいるとすごく安心するんだもん…」
口を尖らせた可愛げのない顔でそう言うトミーにダンは再び目を丸くした。
ぽかんと口を開いて固まると、口元に運んでいたティーカップをテーブルに置く。
そして――――――――
「お前本ッッ気でムカツクな」
テーブルに突っ伏しながら噛み殺したような声で言った。
「ななな何でよぉ!ダンだって『ずっと傍にいろ』とか言ってたじゃないかぁ!傍にいないとイライラするとか何とか言ってたじゃないかぁ!」
「あーーーあーーーもーーーうるせぇっつーの!分かったからこれ以上変なこと言うんじゃねーーーー」
腕の中に顔を埋めたままダンは投げやりに言い、『もう黙っとけ』と付け加えた。
ダンとしては自分自身の全てのブレーカーを落としてしまいたい気分である。
もう何も見ない方がいいし聞かない方がいい、絶対に。
女の扱いは多少慣れている方だと思っていたのだが、トミー相手だとどうしてこうも調子が狂うのだろう。
――――――まったくこいつは……メンドイ奴だ…。
悩ましげに胸中呟くが、何故か心は温かい気持ちに満たされていた。
何だかこう、くすぐったい感じの。
非常に不満で不愉快で不本意だったが、ダンはその気持ちを尊いと思った。
―――とその瞬間、つんっと髪が引っ張られたのを感じてダンは反射的に顔を上げる。
すると慌てて手を引っ込めているトミーが悪戯をした子どものような顔をしていた。
「寝てるー」
「うるせぇよ触んなもう何もすんなそのまま寝ちまえ!!」
がぁっと威嚇すると、むくれるトミーを睨みつけてから再び腕の中に顔を埋める。
こいつには敵わん。
「………分かった分かった、大事にすりゃいいんだろ…」
「む、何それ」
「独り言だ」
ダンはテーブルについた両腕に顔を埋めてトミーを見ようとはしなかったので、その時足をパタつかせながらトミーがとても嬉しそうに微笑んでいたことには気が付かなかった。
あとがき
ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!ヽ(;´□`)ノうぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁきひーーーー!!!ヽ(´Д`;)ノ
胸焼けが止まらない!誰か太田胃●がガ●ター10持ってきて!!
嗚呼……でも良かった、この程度で済んで。
ダンテスお前漢だよ!よくぞ頑張ってくれた!!(何)
私は君の涙ぐましい男気に心の底から感謝している。(´□`;)
ちなみにこの後は、多分ダンがそのままぐぅーっと寝て、楽しげにダンを見てたトミーもそのままくかーっと寝ます。(爆)