ピエロと弟と詩

2005/05/25公開



空から見たサンドリアの町は、星の瞬く夜空の下で黒い大地にぼんやりと浮かび上がっていた。
皆が眠りにつく時間は当に過ぎている。
ただ冒険者達が行き交う表通りは明かりが灯り、今も賑わいがある様子が見ても分かった。
暗い空からぼんやりと明るいその町へ飛空艇はゆっくりと降下していく。
町の明かりをキラキラと反射させている海面に触れると、冷たそうな水飛沫の音が響いた。
着水の衝撃に揺れながら海面を滑り、まるで決められたレールの上を進むように飛空艇乗り場に吸い寄せられていく。
飛空艇を運転している者は、一体どれだけ訓練を重ねたのだろう。
そんなことをしみじみ考えていると、乗り場に到着したことを知らせる報告の声が聞こえた。
乗り合わせた他の冒険者達がすぐさま飛空艇の外へと流れていく。
しばしの間彼らの様子を他人事のように眺めて、パリスは思い出したように自分も昇降口へと足を向けた。

飛空艇乗り場を出ると、やはり町は静かだった。
乗り場も飛空艇の到着で一時の賑わいを見せたが、冒険者達が散っていくと辺りは夜の静寂に包まれる。
パリスは何となく辺りを見回すと、『さて……』と独りごちてゆっくりと歩き出した。


……わっはっはっは


ふと、後方で人の賑わう声が聞こえて肩越しに振り返る。
少し離れたところにある酒場のドアを開けて、一人の男が店から出てきたところだった。
晩酌を楽しむ男達の声が日の代わりを何となく意識させる。
パリスは今現在の時刻の遅さを実感して、これからの自分の行動を改めて考えながら石造りの通路へと入った。

エルヴァーンの国であるサンドリアの建造物は基本的に石で造られている。
迷路のように入り組んだ場所もあるので、他国の人間が『息苦しい』と言うのも納得できた。
確かに、堅苦しくて窮屈に感じるかもしれない。
開放的でない頑丈な町の造りは、まるでエルヴァーンの文化を表しているようだとパリスは思っていた。
明かりが点在している通路に自分だけの足音が響いている。
だが、今の時間は自分くらいしか出歩いている者などいないだろうと油断していると、警備に当たっている騎士とばったり出くわして肝を冷やすのがサンドリアだ。
サンドリアの人間であるパリスはそれをよく分かっているはずなのだが、今宵は何故か油断していた。
狭い階段を上っていると、不意に上に騎士風の男が現れた。
足元をじっと見つめていたパリスは少しぎょっとして、端に寄って道を開ける。
お互いに会釈をしてすれ違うが、パリスが階段を上り切ったところで後ろから声が聞こえた。
「もしかして……」
自分に向けられたように聞こえるその声に疑問符を浮かべて振り返ると、今すれ違った男が立ち止まってこちらを見上げていた。
薄暗い中パリスの顔をまじまじと見つめる男は、赤く長い髪を後ろに流して一つに結んでいるエルヴァーンの青年。
「……おやおやおや、気が付かなかったよ」
気の抜けたような声で、相手よりも先にパリスが言った。
しばらく振りの友との再会であった。


   *   *   *


やはり酒場の中は、ドアを開けただけで賑わいが外へと溢れるほど賑わっていた。
一日の務めを終えた騎士や町で働く男達が主な客のようだ。
見たところ、割合では断然騎士の数は少なく、無骨な男達がくだらない話題で大盛り上がりしているテーブルが多い。
そんな店の中で、パリス達は端のカウンター席に並んで腰掛けた。

「どうだ、出世はしたか?」
注文を済ますと、パリスの友人は開口一番にそんなことを言った。
パリスは苦笑いしながら頬を掻く。
「冒険者の若造捕まえていきなりそういうこと聞くんですか君は。僕ぁ相変わらず、ただの貧乏な冒険者でーすよ」
「ほう、まだ冒険者を続けているんだな」
「これでも僕ぁ結構一途なんでねぇ~」
ヘラヘラと笑いながらパリスが言うと、友人は『よく言う』と笑った。
彼はパリスとは違い、全体的にきっちりとした格好をしている。
店に入って重々しい鎧は多少外したものの、騎士の威風堂々としたオーラは健在で、ぴしりとまとめた赤い髪は微かな乱れもなく見るからに高貴な風貌であった。
「リェン君は?出世なさったんで?」
パリスにリェンと呼ばれたその友人が『俺もまだまださ』と苦笑したところで、店員が二つのグラスを持ってやってくると静かに二人の前に並べた。
リェンが手に取った細いグラスには、彼の髪と同じような赤いカクテルが揺れている。
「今は昔と違って結構平和ですからね、なかなか自分の腕を見込んでもらえる機会もないでしょうに」
目の前に置かれたグラスには手を伸ばさずにパリスが言った。
グラスに入っている半透明のカクテルを見つめてぼーっとしているパリスに対し、リェンはぴくりと眉を動かして身を乗り出す。
「最近では騎士団を抜けて冒険者になる者も出てな。まったく……恥知らずが多くて敵わん」
「冒険者の僕を前にして言う言葉かい、それ」
「お前は騎士団に入団すらしなかっただろう」
「あーーあーーあーー何も聞こえないーーー」
困ったように笑いながら耳を押さえてパリス。
リェンは口元を引きつらせて小さく溜め息をつくと、カクテルをカウンターに置いて懐を漁った。
何かを探し始めたリェンにパリスは目をしばたかせ、怖々と彼の手元と顔を見比べた。
「何?え、ナニナニナニ?」
「出世はせずとも、吉報はある」
そういってリェンが懐から探し出したのは一通の封筒だった。
中から取り出した紙を手渡され、パリスは見て良いのかと視線でリェンに尋ねる。
リェンが深く頷いたので、パリスは折り畳まれた紙を開くと書いてある文章に目を通した。
そして、数秒の間黙読したかと思うと、紙に視線を馳せたままでおもむろに口を開いた。

「『親愛なるリェンへ。先日はありがとう、花束とっても嬉しかったわ。まさか突然あんな風にプロポーズされるとは思わなかったので驚いて泣いてしまいました』。プロポーズ!?いやぁ~やるもんだねリェン君!」

「?……何を読んでいる、そんなことは書いていないはずだろう?」


可愛らしい口調で手紙を読み上げてから感想なんぞ口にしているパリスの顔を、リェンは真顔で覗き込みながら尋ねた。
爽やかに笑っていたパリスはまた困ったような顔をして肩を落とす。
「………君は本当に冗談がきかないよねぇ……」
「お前はどこからが冗談なのか分からない」
「いやいやいや今のは明らかに冗談じゃないの、君自身のことでしょうが」
苦笑いしながら紙を元通りに折り畳むとリェンの手元に返した。
「遠征への参加……ですか」
自分のグラスに手を伸ばしながら、パリスは少々声を抑えて呟いた。
店の中は大分賑わっている、今の声の大きさではリェンにしか聞こえていないだろう。
「相手はオークさんですかね」
「そうだ。お前も冒険者なら今の世界の様子は見えているだろう?獣人共に少々怪しい動きが見られる。警戒を強めて危険の芽は取り除いておかねばな」
紙を戻した封筒をじっと見下ろしながらはっきりとした口調で言うリェン。
その隣りでパリスはカクテルに口をつけつつ、鼻にかかったような声で適当に唸った。
その友人のやる気のない態度に眉を寄せたリェンは、不満そうな顔をパリスに向ける。
「冒険者は何も危機を感じていないのか?世界は決して平和ではない」
そこまで言うと、不意に視線を落とし声のトーンを低くする。
「……………ジャンが死んだ」
パリスはカクテルの入ったグラスを傾ける手をぴたりと止めた。
そのままちらりと横目でリェンを見ると、ゆっくりとグラスを置く。
「ひと月程前に噂で聞いたんだがな」
「なーんだ、噂か。噂っていうのは当てにならないものでしょ」
「詳しいことは分からない、しかしその噂はどうやら本当のようだぞ」
真剣な声で答えるリェンの横顔を見て、パリスはぽりぽりと頭を掻いた。
カウンターに肘をついて、パリスも黙りこくる。

予想以上に、その沈黙は長く続いた。

その沈黙の長さにリェンの方が先に違和感を覚え、ふと顔を上げる。
見ると隣りに座っている友人は、どこか一点を見つめて硬直していた。
何かを考え込んでいるように見えるパリスにリェンは首を傾げる。
「………どうした?」
「―――ん?いや、世の中物騒だな~ってね」
いつもの気の抜けたような顔に戻ったパリスは椅子に座り直して溜め息をついた。
「ん~で、その遠征で頑張っちゃおうかなって思ってるのかい?」
突然話を戻すパリスに、リェンは一瞬彼が何のことを言っているのか理解できなかった。
一旦眉を寄せてから『あぁ』と唸ると、手に持ったままの封筒をしまいながら声を潜める。
「それはそうなんだがな。…実は、他にもチャンスが転がり込んできそうなんだ」
「………『きそう』ってことは、また噂が情報源?」
「噂とは少し違うんだが……。それについては詳しく話せない。しかしこの国の為に剣を捧げるのは確かだ」
微かに唇に笑みを浮かべたリェンを見つめて、パリスはゆっくりと思い切り首を傾げた。
少し呆れたような表情を浮かべて頬杖をつく。
「何だかよく分からないけど、大丈夫なのそれ?っていうか何ですか、最近の騎士さんの情報源は噂話なんですか」
『参加する会議は井戸端会議ですか』と苦笑いする。
堅苦しい威厳溢れるこの国で囁かれる噂話に騎士達が聞き耳を立てている様は、少し想像しただけでもどれだけ滑稽なものか充分に分かる。
半ば呆れ返った様子で首を左右に振ると、パリスは溜め息を一つついてグラスに口をつけた。
リェンはそんな友人を横目で見つめて口を結んだ。
そして、オールバックなので在りはしないはずの前髪を掻きあげるような仕草をして口を開く。
「……ほう、では俺の耳に入っているお前の噂も当てにならないと?」
「ふあは~?」
グラスに口をつけたまま適当に聞き返すパリス。
「お前がどんな生活をしているのか噂で聞いているぞ。どういうつもりだっ」
後半語気を強めたリェンは真っ直ぐにパリスの目を覗き込んだ。
パリスはリェンの様子に少々面食らったのか、喉を鳴らしてカクテルを飲み込む。
「………え~っと………」
肩を窄めて目を泳がせるパリスを見て、リェンは片手で自分の顔を押さえた。
「………まぁいい、誰にでも秘密はある。しかしお前の噂は広まり過ぎているぞ」
「あっはっはっはっは、そりゃぁまぁ、人気者ですから♪」
「……まったく………掴めない奴だ」
ニヘラッと笑うパリスを指の間から眺めて、リェンは疲れたように溜め息をついた。
ただ単に冗談として聞き流してくれれば良いと思っていたパリスは笑みを歪ませる。
彼とは幼少の頃からの友人ではあるが、反りが合わないような気がして仕方が無かった。



「ヴィヤーリット殿は、どうされたのだ?」

ぼそりとリェンが言うと、『やれやれ』などと小声で零しながら、グラスを口に近付けていたパリスの動きが止まった。
そしてパリスの丸めていた背中が不自然に真っ直ぐに伸びる。
「耳にするのはお前の話ばかりで、ヴィヤーリット殿の情報は全く手に入らない……」
自分のグラスの中をじっと見下ろして独り言のように呟くリェン。
「……………本当に知らないのか?」
酒場の中の賑わいが治まってしまったのではと錯覚するくらい、その一言ははっきりと聞こえた。
リェンがパリスへと視線を向けると、柔らかい色の髪をした友人は残りのカクテルを飲み干したところだった。
息をつきながらグラスを置くと、ほんのり上気した顔で小さく笑う。
「うちの母様から聞いてない?……まぁ………母様は認めたがらないんだけどね」
そう言いながらポケットの中を探り始め、言った。



「兄さんは死んだ」


リェンの目を見てはっきりとそう答えると、ふっと小さく笑って見せた。
そして金を取り出すと代金をカウンターに置き、近くの店員に一声かけて立ち上がる。
こちらの様子にリェンも思わず立ち上がるが、パリスは笑いながら彼に両手の平を見せた。
「いやぁゴメン、なんかこのカクテルちょっと強かったみたい。待ってる人もいることだし、酔いつぶれる前に帰らせてもらいま~すよ」
確かにパリスは顔を赤く染めており、少し酔っている風に見えた。
いつの間にこんなに赤くなったのだろう――――パリスの噂話について話し始めた辺りだったような気もする。
リェンはひとまず、軽く酔いが回った様子の友人を案ずるのは後回しにした。
「それは冗談だろう?ヴィヤーリット殿がどのように命を落とされたと言うんだ」
「ん~……非の打ち所がなかった兄さんのことだからね、そう言いたい気持ちも分からなくはないよ」
「何故だ」
酒場の出入り口に向かうためパリスがリェンの横を通ろうとすると、リェンが立ちはだかって尋ねた。


「悪いけど、兄さんのことは噂話にされたくないんだ」


パリスは目元を手で覆ってそこまで言い、『だからナ~イ~ショ♪』と笑顔で顔を上げた。
それからぽんぽんとリェンの肩を叩きながら軽い調子で笑う。
「あ、そうそう。代金ちょっと手持ちが足りなかったんだよね。なので足りない分は奢ってください騎士殿♪」
ヘラヘラと笑いながらカウンターを示して言うと、パリスはリェンの横をすり抜けた。
まだ納得いかなそうにしているリェンはパリスを呼び止めようとするが、彼が声を発するよりも先にパリスが口を開いた。
「んじゃあ、お父様によろしく」
ヒラヒラと手を振りながらそんなことを言うパリスにリェンは思わず眉を寄せる。


「……それは……俺のか?それとも?」


「ん~………どっちでも」


パリスは店の出入り口のドアノブを捻ると、賑やかな酒場から静寂の町へと出て行った。


   *   *   *


月の明かりも届かない、暗いその空間に、一つのドアがある。
しんとしたそのドアの前に長身のエルヴァーンが一人足を止めた。
持った荷物の中から一通の封筒を取り出すと、それを見下ろしてしばらくそのまま立っている。
淡い緑色の封筒の中にはクリーム色の便箋が入っているが、こんなに暗い場所では便箋を広げたとしてもそこに書いてある文字は読めないだろう。
しかし、彼はその便箋に書いてある文章を鮮明に記憶していた。

やがて、そっと静かにノックをして、ドアを開ける。

ドアの向こうはこちら側と同様に暗かった。


充分闇に目が慣れている彼は、そのまま入室はせずにじっと室内を見つめた。
すると部屋の奥で、布が擦れ合う微かな音がする。


「………遅くなりま~した」

声を潜めて、そっと入室した。



入室したものの、今度は入ってすぐの場所で立ち止まる。


そしてまた、微かに布が擦れる音。
立ち尽くしているエルヴァーンの青年は溜め息をついた。


「手紙、読みました」




「そんなに気になりますか?」


後ろ手にドアを閉める。





「………………トミーちゃんのこと」



木製の床の上を、ゆっくりとした歩調で奥へと進む。



「あなたは………何も心配しなくて良いんですよ?」



暗闇の中そう放たれた声は酷く優しい響きであったが、その声の裏には渦巻く何かと固い意思が存在する。
彼が日頃行動を共にしている仲間達は聞いたことのない彼の声だ。




夜明けは近い。



<END>

あとがき

これを『パリスの事情話』と言ったら怒るでしょうか?(滝汗)
全然明らかにしてないし。
逆に更なる疑問を大量提供した感じですね☆

そして、一世を風靡したリェンの記念すべき登場話ですね(´-`;)