交渉権
カザムの桟橋には、夜の湿った風が流れていた。
密林の熱気を孕んだそれが、飛空艇の巨大な船体にぶつかっては鈍く散っていく。
「なあダン、もう一本だけ行こうぜ。まだ時間あるだろ?」
背後から飛んできた声に、ダンは振り返らなかった。
「今日はここまでだ」
短く答えると、係員にチケットを渡してタラップを上る。
「相変わらず付き合いが“塩”だな!」
「また呼ぶー!」
返事の代わりに、片手だけ軽く上げた。
探究心のままに突っ走る連中だ。
先日どこかで落としたリンクパールも、即、再発行された。
付き合うのは骨が折れるが、同業者との繋がりを切る気もなかった。
固定を組まない代わりに、誘いは断らない。
だが、終わりを決めるのは、いつも自分だ。
——それが、保っている均衡だった。
やがて飛空艇が低い唸りを上げ、桟橋がゆっくりと遠ざかっていく。
艇内には、パーティと思わしき集団や、妙に荷物の多い単身の冒険者など、乗客は様々。
飛空艇に乗るのが初めてなのか、あちこち写真を撮って回っている者もいる。
荷物の整理やクリスタル合成など、周りにいる冒険者たちがそれぞれの過ごし方を始める。
するとその時、動力音の手前で声が聞こえた。
‟うわわっ、一回着替えに帰った方が良さそう! よく見たら泥んこでした!”
トミーの声。
すると、ロエが優しい声で問いを返す。
‟ふふ、頑張ったんですね。どうでしたか?”
‟すごかったですよ! チョモくんも、こんなに大収穫だったのははじめてって”
心底嬉しそうな声が報告する。
ダンは戦いの余韻が残る頭をガシガシと引っ掻くと、ひとつ息を吐いて歩き出す。
今日のトミーは、あの爆音タルタルに誘われてウィンダス近郊へ出たようだ。
チョコボ免許を取ってから、行動範囲は一気に広がった。
それに伴って、人付き合いも。
“ロエさん、もうウィンダスにいます?”
‟はい、いますよ。院に用事があったので”
‟了解です。ん~と、何処でご飯食べましょうか?”
‟あ、良ければ、おすすめのお店がありますけど……”
‟ホントですか!? ぜひお願いします!”
泥だらけになって一日の活動を終えたにしては、元気な声。
よほど楽しく過ごせたのだなと感じる。
“あ! チョモくんも誘っていいですか?”
‟もちろん、大丈夫です。あの……ちょうどアズマさんからもお誘いいただいたんですけど、こちらも良いですか?”
‟あははっ、もちろんです〜”
女性二人の楽しげな会話がポンポンと弾む。
ダンが甲板に出ると、眼下には黒々とした密林が広がり、その向こうで海がかすかに月を弾いていた。
夜風が鎧の間をすり抜けていく。
どうやらあいつは、賑やかな夜を過ごせそうだ。
ダンは彼女達の会話をただ聞き流しながら、手すりにもたれた。
以前だったらここで会話に入ってきそうな軽口は、もう無い。
パリスは、冒険者の自分をすべて断ち切り、家へと戻った。
冒険者を辞めても、リンクシェルで繋がっていられる——
トミーはそう思っていたらしい。
だがパリスは、姉に繋がり得るものをすべて手放して帰った。
それほどまでに、油断のならない世界ということだろう。
リンクシェルのパールサックはダンが引き継ぐ形となった。
今、このリンクシェルにいるのは四人。
ダン、トミー、ロエ、そしてノルヴェルト。
ヴィヤーリットに何か支援が必要になった際は、ノルヴェルトから連絡がくる体制を取っている。
ただ、これまであちらから発言があったことはないし、そうそうこちらからも呼びかけることはない。
リンクパールは常に身に着けているのか、時折確認する程度なのか。
そのあたりは任せてある。
パリスがいなくなってから――二週間。
トミーやロエは、何度かあの家を訪問している。
ヴィヤーリットは弟のことが心配でならないようだ。
気落ちしている様子なので元気づけてあげたいと、昨夜もトミーはダンに語っていた。
ダン自身はもう訪問しない。
自分もすでに、隙を見せていい存在ではない。
‟じゃあロエさん、何処で待ち合わせしましょうか?”
耳の奥で転がる声。
背中の力が、わずかに抜ける。
‟お部屋まで迎えに行きますよ~”
心得ているような口ぶりのロエに、トミーが一瞬息を詰まらせる。
‟い……急ぎます!”
‟慌てなくてもいいですよ、トミーさん”
小さく笑いながら穏やかにロエが言った。
あの様子なら——今夜は、わざわざ行く必要もないか。
そんなことを考えた。
――その時だった。
「はい、み~つけた」
すぐ隣から声が落ちてきた。
夜風が頬を撫でる中、ダンは視線だけを動かす。
いつからそこにいたのか。
ローディが手すりに肘をついて夜景を眺めている。
少しの間。
ダンは頭痛を堪えるかのように、指で眉間を摘まむ。
「……ノーグにでもいたのか?」
ローディは吹き出すように笑った。
「きひゃっ! まっさか~!俺様がノーグになんて立ち入ったら、始まっちゃうじゃん♪」
——何がだ。
胸の内でだけ呟き、ダンは追及しなかった。
飛空艇は高度を上げ、雲海へ滑り込んでいく。
月明かりが白く拡散し、世界から音が遠のいた。
ローディがふと横目を寄越す。
「ダンもさ〜、あんまり有能をバラさないでくれる? 悪い虫を払うのがメンドくてのぅ」
ぱっと金髪を払うと、細かい煌めきが風に乗って散る。
そしてにやりと笑う。
「きひっ! その内、お空に監禁されちゃうぞぃ☆」
ダンは小さく息を吐いた。
ーーふと、夜の外気に火の粉が横切った気がした。
耳の奥で炎が弾ける音。
即座に振り切り、背中の両手剣を背負い直す。
言いたいことは、分からないでもない。
だが――
何と言われようと、ダンは聞き入れるつもりはなかった。
自分が成すべきことは心得ている。
自問に立ち止まらず、進み続けることだと。
トミーがヴィヤーリットから聞いた話によると、ノルヴェルトも贖罪の炎に身を焼き続けているようだ。
あの男もまた、終わりに逃げなかった。
降りずに踏み止まり、前へ。
ダンは思考に沈み込みそうになる意識を引っ張り戻す。
「ようやく、寄ってこなくなったな。お前んとこの連中」
独り言のように、溜め息混じりで零した。
「……ってことは、終わったのか。お遊びは」
「うむ」
ローディは夜景に背を向け、手すりにふんぞり返る。
「ダンは言わばトラップなり。略して『ダラップ』!」
言いながら、ぴんと指を立てる。
「ダンのところに行くような奴らは二流。一流は、ちゃんと俺様を見つけるからな」
ふるいにかけて、さっぱりした——
そんな顔で、金髪碧眼が笑う。
ダンは心底迷惑そうな眼差しで見つめる。
目を逸らし、肩をすくめた。
「そういえば、あれもお前の仲間だったってことか? あのガルカだ」
アズマとチョモと、よく一緒にいたガルカ。
いつも半分寝ているようなその姿を思い浮かべて問う。
月に目を細めながらローディは答える。
「バテシバ? あれは仲間じゃない」
「仲間じゃない…? じゃあなんだ」
「家族以上、友達未満の召使い」
一瞬、思考が止まる。
お構い無しにローディは続ける。
「っていうか、もう俺様の一部? 三本目の腕? 尻尾? まあ、そんな感じかのぅ」
言い捨てると、再び手すりに肘をついた。
今度は、身体をダンに向けて。
端正なその顔には、にこやかな青い瞳。
じっと、ダンを見つめる。
ダンは横目にそれを見ると、遠くの景色に視線を馳せた。
溜め息をひとつ。
「で、何の用だ」
「にゃー? 分かってるくせに♪」
「……請求か」
先の戦いで、不本意ながらこの男の力を借りた。
実際、あの時はこの男の“狂気”が必要だった。
パリスやロエの“正しさ”だけでは、護り切れなかった。
ダンもそのことは理解している。
「ねぇ、逆に聞くけど。協力の見返りに、ダンだったら俺様に何してくれるの?」
夜の暗い中でも分かる、期待に輝く瞳。
ダンは雲間から見える地上の岩壁をじっと見下ろす。
「さぁな……」
「欲しいもの、言ったらくれるのか?」
「……」
「『ダンが欲しい』って言ったら、くれるのかにゃ?」
「……」
「望みを叶えてくれるって言ったクポ!?」
「それ以上近付くな」
手すりを肘でなぞりながら、距離を詰めてくるローディに、見向きもしないまま言葉を刺す。
ぱっと身を引いて肩をすくめる魔道士。
「きひっ、ダンのキレッキレな判断力と手腕、気持ち良すぎで中毒性ヤバし。それを世の中に役立てるなんて勿体ない!」
高らかに言うと、ローディは手すりから身を乗り出した。
夜空に叫ぶ。
「俺様と遊べーーー!!!」
柔らかな金髪が、夜風に大きく揺れた。
そして、作り物のような美顔が、再びダンをじっと見つめる。
ダンは――絶対に顔を向けなかった。
「それが望みか?」
短く、確認する。
「んにゃ、まだ考え中☆」
即座に言って、ローディは微笑む。
風が吹き抜けていく。
無言のまま、ダンは手すりから離れた。
硬いブーツで板を踏み、艇内へ。
じきに飛空艇が高度を下げ始める頃だ。
にやりと笑い、魔道士はスキップで後に続いた。
海水を切る振動が船体を伝う。
しばらく沈黙が続いた後、ダンは唐突に言った。
「望みが決まったら、言いに来い」
飛空艇が乗り場へと滑り、何となく搭乗口の方に人が向かい始める。
おもむろに篭手を外し始めるダン。
ローディはじっと見つめる。
「……きふふ、そだねー」
ローディの目元は、意味深に笑っていた。
またろくでもないことを考えているな……。
そんな眼差しを、ダンも横目にローディへ向ける。
バタンと扉が開き、人々が飛空艇の外へと流れ出す。
ふと、察したようにローディが眉を上げる。
「ダンはこれから、どこかに行くのかにゃ?」
ダンは外した篭手を腰のベルトに引っ掛け、素手で髪を引っ掻いた。
「帰るだけだ」
言い捨てて、スタスタと飛空艇を降りていく。
別れの挨拶はないが、彼の背中が『もう過去だ』と告げていた。
後ろ手に指を組んで、ローディものんびりと足を踏み出した。
タラップを踏み、飛空艇から外に出る。
背筋を伸ばし息を吸い込むと、しっとりとした夜の潮風。
はたと立ち止まり、目を瞬く。
受付の方向に後ろ姿が見えるかと思ったが、両手剣を背に携えた戦士の姿はなかった。
人波の中にも、それらしい背中は見当たらない。
左手で別の飛空艇の搭乗口が閉められる。
込み上げるような動力音。
係員が手を振り、機体がゆっくりと乗り場から離れていく。
ちらりと仰ぎ見る。
その飛空艇の行き先は――ウィンダス連邦。
プロペラが起こす風に金髪がざわめく。
片手でさらりと掻き上げ、笑った。
出発する飛空艇をじっと見つめて呟く。
「『望みが決まったら』……なんて。ダンも勘付いてるだろ〜に」
飛空艇が海水を滴らせながら上空へと舞い上がっていく。
星の瞬く夜空に吸い寄せられるように。
「欲しいものなら、もう手に入れた」
頭の後ろで両手を組み、うっとりと微笑む。
「……こんな激レア、手放すわけないぢゃん」
静かになった夜に、穏やかな月光。
スカイブルーの瞳は、宝物を手に入れた少年のように煌めいていた。
あとがき
スピンオフ『交渉権』でした。戦いを終えた彼らの、新たな日常が少し窺えたのではないかと思います。
……変わらない奴がいるのも、悪くないものですね。
それでは、また。