エピローグ

2026/07/03公開



ジュノ公国――酒場の午後。
外はいつも通りざわついているのに、アズマのいる席だけは不自然に静かだった。

テーブル席に、アズマはいる。
テーブルの上には空のグラスと、食器と、領収書。
いつもと唯一違うのは、座っているテーブル席の位置だ。
大体、店の一番奥のテーブルが定位置だったが、今日は出入口付近の窓辺の席に陣取っていた。

同じテーブルにはタルタル族の魔道士、チョモの姿。
チョモは頬杖をついて、少し眠そうな目をしてアズマのことを見つめている。

アズマはもう、長いこと身動きしていない。
どこか遠くを見つめたまま、意識だけが別世界に飛んでいるようだった。

おもむろに、食器の片隅に張り付いていた小さいパセリを、チョモの手がつまみ上げる。
そして、ぴっと投げる。
アズマの額に貼り付く。
しかし男は微動だにしない。


「……すごいっすね、アズマさん。《ダメ人間》の伸びしろがまだ残っているとは」

感嘆した声でチョモが呟く。

次の瞬間、ガバッとアズマが頭を抱えた。
パセリがどこかに吹っ飛ぶ。
チョモが驚いて身を引くと、深刻な表情で頭を抱えたままアズマが言う。



「いや……中にあんな“べっぴんさん”が入ってるなんざ思わねぇって!?」

「またそこから始めるんすか。もう八回目なんすけど」

アズマがまた同じ話をし始めるので、チョモは諦めたようにグラスに水をつぎ足す。
ヒュームの侍は体ごとチョモに向き直った。

「あん時俺ぁどんなこと言った? 乱暴に扱ったか? 姐さん、俺のことなんか言ってなかったか?」

「だから、八回目っすよ」

どんどん詰め寄ってくるアズマの顔を押し退ける。


あれ以来、ずっとアズマはこの調子なのだった。
今やこの男の中では、青髪のタルタル魔道士が世界のすべてになっている。

以前、タルタル族と異種族の恋愛について鼻で笑っていたのは一体どこの誰なんだと、耳を引っ張ってMAXボリュームで叫んでやりたい。

「八回目っすけど、言いましょうか? アズマさん、何回も『重てぇ』って言ってましたよ」

 馬 鹿 野 郎 ! 馬鹿野郎がっ!! 羽根みてぇに軽かっただろうが!!!」

「もう既視感どころじゃなくてなんか気持ち悪いっす」

歯軋りしながら自分の頭をべしべし叩いて嘆くアズマにチョモはげんなり言った。
スキンヘッドを引っ搔き回して後悔に悶えるアズマ。

来店した冒険者が座る席を選びながら、アズマのことを見て見ぬふりをして通り過ぎていく。
同じテーブルに座っていながら、チョモは無理矢理、他人のフリをする。

静止すると、再びどこか遠くに視線を馳せるアズマ。
はー……と無気力な溜め息。

そしてしばしの間を置き、若干悔いるような目になる。
チョモが眉根を寄せると、アズマが言う。

「俺ぁ……分かったんだ」

「……何がすか」

どうせしょうもないことだろうと思いつつ、尋ねる。
アズマは遠くを眺めたまま、漠然と言い放つ。


「……へそで茶ぁは沸かせねぇ」

「当たり前でしょう」

面倒くさいがツッコんでやる。

「この際、正直に言いますけど。恋してるアズマさんてガチめんどくさいんで、もう帰っていいっすか?」

「恋とか言うな!! いや、恋だ!!!」

「分かってますよ!」

「会いてぇっ!!!!」

「とっとと行きやがれっすよ!」


ひとしきり叫び合い、互いに疲れてがくりと肩を落とす。
チョモは水をあおると手元を睨んでぶつくさ言う。

「トミー姉ちゃんも最近見かけないし……ボクだって癒されたいっすよ。まったく」

口を尖らせたまま、ふと思い出して横目にアズマを見る。

「そういえばあの、ローディさんにもらったリンクシェルも繋がらなくなっちゃったっすね」

「そうなんでぇ!!」

勢いよく突っ伏したアズマの肘がグラスをなぎ倒す。

「こちとらもう――清水の舞台から飛び降りるつもりでよ!?」

「どこすか」

「決死の思いで連絡しようとしたが、シェルが割れてやがる!! こんなことってあるか!!」

「あ~あ、唯一の連絡手段が~」

頬杖をついて適当に合わせるチョモ。
目がバッキバキになったアズマが顔を上げる。

「死ぬほど癪だが、背に腹はかえられねぇってんで! ダンをツテにしようと思ったが、あの野郎どこにもいねぇ!!」

ぐわっと周囲を睨み付けながら咆える。
それを聞いてチョモは目を瞬いた。
さほど興味はないので視線は手元のままだが。

「アズマさんがダンさんを頼ろうとするなんて、よっぽどっすね」

――バンッ!!!

「ぼぇ!?!」

いきなり、アズマがテーブルをぶっ叩いて立ち上がった。
驚いて悲鳴を上げたチョモが視線を上げると、アズマは何も言わないままテーブルを離れる。

見ると、テーブルにはアズマが置いていったらしい金があった。
叩きつけられたそれは、無惨に潰れている。
『え』とアズマの背中に視線を送る。
アズマは窓から見えた外の景色を凝視したまま、足早に酒場を出ていく。

彼が見つめる先を、チョモは首を伸ばして窓から窺う。

通りの脇でバザーを眺める、青髪のタルタル魔道士の姿。


チョモは溜め息をついて椅子に座り直した。
アズマが叩きつけて行った代金をぼんやりと眺める。


「…………これ、絶対足りないっすよ」


呟き、賑わう酒場のテーブルにうなだれた。



   *   *   *



セルズニック姉弟の家・客間。

テーブルを挟んで座るのは、パリスとダン。
この席に二人が向かい合うのは、あの作戦会議以来だった。

「……はぁああぁ…………」

ウールガンビズン姿のパリスは背もたれに沈み込み、大きな溜め息を落とす。
帽子は椅子の背に引っ掛けたまま、目の下にはくっきりと疲労の影。
テーブルの上には冷めた茶と、まだ手をつけられていない軽食。

「……それで?」

視線を向けると、ダンは落ち着き払った様子で両手剣の手入れをしていた。
まるで、何も変わらない日常を過ごしているかのように。

「……僕に何か、言うことない? ダン」

「ねぇな」

その平然とした返事に、パリスは額を押さえる。


あの戦いの前。
ここで交わした話し合いは、張り詰めた緊迫感に満ちていた。

連中に蜂の巣を叩かせて自滅させる――だの。

たまたま見つけた蜂の巣が、皮肉にも最近仲良くしたばかりの天晶堂だったけど、面白いからおk☆――だの。

異次元の動揺が襲い、怖くて怖くて堪らなかったのを覚えている。


それが今は――
テーブルも、空気も、嘘みたいに穏やかで。
本来なら、ほっと胸をなで下ろす場面のはずなのに。

……なのに、胸の内の七割は不満と疲れで占められていた。


「君ねぇ……トミーちゃん連れて、一体どこに行ってたわけ?」

指を折って数える。

「一…二…三…………五日間だよ?」


この五日間、パリスはほとんどこの家にいなかった。

銃士隊からの度重なる意味深な念押し照会。
サンドリアは『調査中』と言い、冒険者たちは『やっぱりだ』と騒ぎ立てる。
どういうわけか突如再燃した冒険者たちの不満が、なぜかパリスのところへ回ってくる。
もはや炎上の発端が何であったかを正確に語れる者はいなかった。


ひたすらに、後始末。
まるでカスタマー窓口のように、事件の余波に飲まれながら奔走していた。
そして所々でチラつく、あの魔道士の影。

「リンクシェルでも聞いたけど……あの人、本当に何者なの? ローディさんなの? レオ様なの? どちら様なの?」

両国は、裏では“これ以上触れるな”で合意しているのを感じる。
そして不思議なことに、それを許しているのが、あの魔道士のような気がした。
あの人が味方でいてくれることを、信じるしかない。

そんなことを頭の片隅で考えながら、向かいを見る。
慣れた手つきで両手剣を磨くダンは、五日間など存在しなかったかのように落ち着いていて。
どうしても、溜め息が出る。

「まったく……聞いてもどこにいるのか教えてくれないし…。連絡しても返事返したり返さなかったり」

パリスはダンを横目に眺めながらぼやく。
すると、彼はしれっと答えた。

「あいつの滞ってたものを、片っ端から片づけてきただけだ」

まずはチョコボ免許の取得。
それから所持していないテレポ石の獲得やら、半端に手掛けていたクエスト、ミッション――。
まったく色気のない弾丸ツアー行程に、パリスはがっくりと肩を落とす。

とは言え、パリスも何となく、察してはいる。
彼なりの“彼女を護る”行動だったのだということは。

悲しみと距離を置き――彼女が自分の道を進むための、準備期間。


丁度その時、部屋の扉が小さな音を立てて開いた。

入ってきたのは、ヴィヤーリット。
その微笑みは、まるで部屋の空気そのものを柔らかくするかのようだった。

彼女は窓辺の小さな花瓶に目を留め、ふわりと歩み寄る。
すっと手を伸ばし、枯れかけた花を取り出して、新しい花と差し替える。
それから、ダンのすぐ後ろにあるソファーへと静かに足を運ぶ。

そこでは、毛布を掛けられたトミーが静かな寝息をついていた。
ローテーブルの上には数冊のノート。

ヴィヤーリットの創作的な料理に興味津々だったトミーに、彼女が渡した料理の覚書。
感嘆の声を上げながら読み耽っていたが、いつの間にやらうつらうつらと眠ってしまい、今はこの状態だ。

ヴィヤーリットは毛布がずれていないかを確かめ、そっと目を細めた。
その静かな所作が、客間の空気をさらに穏やかにする。

パリスは、その様子から癒しを受け取ったかのように、小さく息をついた。
呆然と姉を見つめ、微笑まれ、反射的に微笑みを返す。

「ノルヴェルトさんは、厩舎ですか?」

パリスが問い掛ける。
ヴィヤーリットは微笑んだまま頷き、テーブルにやってくる。
はたと、パリスが軽食に手をつけていないことに気付く。

「うん、いただきますよ」

目線で問われる前に、パリスは穏やかに言った。

そして、ようやく軽食に手を伸ばした。
一口だけパンをかじって、すぐに皿に置く。

「……はぁぁ……ホント、ようやくひと段落って感じ」

気の抜けた声でそうこぼし、肘をついて頭を掻く。

「それに、五日あったらさ? 忙しかったとは言え、色んなこと考える時間はあったわけ。で、なんか……」

パンを指でつまんで、ひょいと掲げる。

「――あ、そうそう」

まるで今思い出したかのように、軽く。

「僕、冒険者やめようと思って」

窓の外から聞こえていた鳥の声が、ふつりと途絶えた。



   *   *   *



ロエは、しばらく家を空けていたことにより滞っていた用事を、ひとつひとつ片付ける。
ポストに届いたものの回収、仕分け。
その流れからのアイテムの整理と、取捨選択。
部屋の掃除、洗濯。食料品などの確認と買い足し。

買い足しのため通りに出たところで、アズマに声を掛けられた。
何をしているのかと尋ねられたので状況を説明する。
この後、不要なものや素材系のアイテムを売りに出すと話すと、彼は荷物持ちに手を挙げた。
なんだか申し訳なくて遠慮したが、彼があまりに熱望するので遠慮しきれず。

今は、アズマと一緒に競売所に向かって歩いている。

「お忙しいところすみません」

賑わうジュノの通りを歩きながら見上げると、荷物を抱えたアズマは首を捻ってロエを見下ろす。

「こんなこたぁ朝飯前よ!気にしねぇでくんな!」

張り切ってそんなことを言うアズマ。
ロエはそんな彼に瞬きを繰り返す。
ふっと小さく笑みを浮かべ、息をついた。

「ありがとうございます」


気持ちの良い快晴に恵まれたジュノの街は、通常通りの賑わい。
街の人々と共に活気をもたらしている冒険者たちの姿。
駆け抜けていく者。バザーを広げ、こくりこくりと頭を揺らしながら座っている者。
ただの顔見知り程度のロエの荷物を持ち、浮かれた顔で思案に耽っている男。
すべてが、前と変わらない“日常”の匂いがした。

やがて、往来の人々の先に競売所が見えてくる。


不意に――賑わいの中から声が投げられた。

「アズマ!」

声のした方向に目を向けると、雑踏の中からチュニック姿のヒュームが歩み寄ってきた。

「ゲルトの話、もう聞いたか!? 冒険者を引退するらしいぞ!」

興奮冷めやらぬ様子で話を始める彼。

「っはは、あいつが料理人なんて笑えるよな!」

しかし、両手の塞がったアズマが足を上げて追い払うように言う。

「んな話は後だ! 俺から連絡すっから! 今じゃねぇ、すっこんでろ!!」

冒険者仲間と思われる相手を、アズマは物凄い勢いで追い払った。
すごすごと背を向けるヒュームの男性。
状況が分からないロエがきょとんと見上げていると、男性と目が合う。

口を半開きにしたまま、彼は言葉を飲み込み、ゆっくりと立ち去って行った。

焦ったような表情を安堵の溜め息に変え、アズマは口の中でブツブツと何か零していた。
そんな彼を見上げて、ロエはふと、口を開いた。

「……あ、あの」

「あーーーーいや! 気にしねぇでくんな! 全然!!」

大きな声で言って笑い飛ばすアズマ。
ロエは少し困った顔になり、首を横に振った。
瞬きを繰り返して言葉を切るアズマに、ロエは改めて声を絞り出す。

「あの……」

息を整え、身長差のある彼にちゃんと届くように、顔を上げて言う。

「……アズマさんは、どうして冒険者になったんですか?」

ぽかんと佇むアズマ。
小さな小さな『藪から棒……』という呟きが、賑わいの中、彼の口から零れてすぐにかき消される。

「俺? いや、金がなかったし、ははっ。ダンの野郎が上手いことやってるみたいだったんで」

ペラペラとそこまで答えて、凍り付く。
途端に自問自答しているような顔つきで汗をかき始めるアズマ。

ロエは彼の言葉を聞いて、ふと競売所の方へと視線を向けた。
じっと眺めていると、明るい視界に昔の光景が霞のように蘇る。
耳の奥で、賑やかな少年少女たちの声。

「…………私は……」

ぽつりと呟いて立ちすくむ。

通り抜けていく風がロエの髪をそっと揺らす。
アズマは首を傾げ、何かに想いを馳せる彼女をじっと見つめていた。



   *   *   *



冒険者を辞める。

そう告げた瞬間、空気が止まった――

……ような気がしただけだった。


「そうか」

ビックリする早さでダンが打ち返してくる。
パリスは途端に情けない顔になると、苦笑いの声を絞り出す。

「あのねぇ……もう少し興味持ってもらっていい?」

テーブルの向こうで肩をすくめるダン。
するとそこで、部屋の扉が静かに開く。

そこに立っていたのはノルヴェルトだった。
無言のまま歩み入り、ヴィヤーリットへ短く視線を送る。

――厩舎の作業は終わった、と。

言葉にせずとも、それだけで充分伝わる。
ヴィヤーリットは、そっと微笑み返す。
ノルヴェルトはそれを確認すると、特に誰とも目を合わせず、用は済んだと言わんばかりに踵を返す。

だが――

「あ、ノルヴェルトさん! ちょっといいですか?」

パリスが声をかけた。
ノルヴェルトは足を止める。
振り返り、短く瞬きをした。
わずかな戸惑いが動きの端に滲む。

パリスは小さく笑みを浮かべ、促すように顎を動かした。

「お好きなところに、どうぞ」

ノルヴェルトは一瞬だけヴィヤーリットを見た。
彼女は柔らかく微笑んで、うなずく。

それでようやく、ノルヴェルトは退室するのをやめ、すっと部屋の隅――影が深い壁際へ移動する。
控えめに腰を下ろした。

ノルヴェルトはもう、外套や鎧に身を包んではいない。
硬い鎧はチョコボを傷付けるかもしれない。
外套も、もう必要ない。
ただ、彼の座り方は相変わらず、無自覚に気配を隠す。

その様子に小さく息をつくと、パリスは話を再開した。


「実家に帰ろうと思ってね」

きっぱりとした声色と、決意の目元。
ダンの手が、剣からわずかに離れる。

パリスは、自分が口にしたことが何を意味しているのか、考える間を置き、苦笑した。

「いやぁ……誰にも歓迎なんてされないよ? 分かってる。すごく、大変だってことは」

震えそうになっているかもしれない指を、自分の膝の上で絡める。
しかし今度は間を置かずに、息を吸った。

「でも、逃げてたら……ダメだよね」

ヴィヤーリットが静かに目を伏せる。
彼女の手が、そっとパリスの肩に触れた。
パリスはその手を感じながら、照れくさそうに表情を緩める。

「君を見て、感化されちゃった。僕も頑張ってみようかなって」

ダンは少しだけ目を細めるが、何も言わない。
パリスは視線をダンへ向ける。
目の奥に、わずかでも迷いのない光。

「家を立て直すよ」

はっきりと、言い切る。

「それで……姉さん一人くらい、自由に生きていても誰にも咎められないような、立派な家にする」

その宣言は、聴く者に彼の“決別の覚悟”を伝えた。
迷いながらも踏み出せなかった自分に別れを告げ、目を背けず、前に進むと。

パリスは、組んでいた指先をほどき、視線をゆっくりと落とした。
そして、胸の奥で育っていた想いを、ようやく言葉に変える。

「その先に……僕の望みがあるんだ」

息を整え、ぽつりと。


「僕はね、友達の家の力になれる人間になりたい」


クロムス家。
嫡子を失い、恐らく今も揺らいでいるであろう名門。
そして――青年騎士の姿が、パリスの胸をかすめる。

リェン。
あのひとときの、眩しいほど誠実な横顔が。

「冒険者風情のまま、門を叩くわけにはいかないからね」

独り言のようにこぼしたその言葉は、誰に言い訳をするでもなく、ただ静かに覚悟を確かめるためのものだった。

パリスはゆっくり顔を上げた。
目の下に疲れは残ったままなのに、不思議と、その瞳には曇りがない。

「だから……いつか、正面から堂々と会いに行けるようになりたいなって」

隣でヴィヤーリットがこちらを見て、弱く微笑んだ。
ほんの少しだけ不安を滲ませた、姉の瞳。
弟の背中にそっと手を添える。

そんな姉を見つめると、正面から声。

「好きにしろよ」

顔を向けると、手元の剣を睨んだまま彼が続ける。

「お前は元々自由だっただろ」

一瞬、パリスは固まった。
だがすぐに、なんだか笑ってしまって、目元を手で隠した。
隣の姉の肩が微かに震える。

――ほらまた、そうやって“雑”に見せるよね。

――でも僕には分かっちゃうんだってば……。

目の奥がじんわりと熱くなっていた。
こうして彼に“したり顔”をされてしまうのがいつものパターンだ。


でも、もう、やられてばかりではない。

パリスは理解していた。
まるで何事もなかったかのように、日常を見せるダン。
しかしその鎧の下には、一生消えることのない、背負ったものがある。

以前の彼だったら、無駄のない手際でとうに終えているはずの剣の手入れ。
だが今日は、不思議と念入りに磨き続ける。


普段の軽口を叩いてみせるけど――僕だって、分かってる。
みんなだって、分かってる。
でもきっと、痛々しく血が流れるから、その背負ったものを確かめないだけ。

――君だけが、全部を背負わなくたっていいんだ。

この気持ちが伝わってくれればと願い、パリスはダンのことを静かに見つめた。

ダンは、ふと自分の行動の不思議に気付いたように手を止める。
ぐっと眉根を寄せ、即座に、手元を迷わせるそれを胸の奥に押し込める。

そして眼差しに気付き、パリスと視線を合わせた。
パリスは彼の瞳を見つめたまま、はっきりと告げる。

「なんだって、やってみせるさ」

戦いを終えた今も続く誓いを、胸の奥で噛み締める。

ノルヴェルトも、瞬きを一度だけ静かに落とす。
言葉はないが、考える目をした。


「あ~……はい。そこで、ノルヴェルトさんに助けてもらいたくて」

振り向いて放たれた声に、ノルヴェルトは顔を上げる。
視線の先には、申し訳なさそうな苦笑いを浮かべたパリス。

パリスが冒険者を辞め、家に帰る。
そうなるとまた貴族界はざわめき、必然的に兄の存在も蒸し返されることになるだろう。

これまでまったく『投資』も『期待』も受けて来なかった者が、没落した家を立て直すなど、並大抵のことではない。
全身全霊を賭して挑まねばならない。
周りの目もついて回る。
これまでのように、この家には来られなくなるだろう。

「僕の代わりに、この家にいてもらえたら助かります」

ダンとトミーの二人が留守の間、冒険者でもないノルヴェルトはとりあえずこの家にいてもらった。
言葉少ない彼とは、まだほとんど会話らしい会話はできていない。
ただ、とても“危うい”ということは、姉から伝えられている。
不思議と彼が手馴れているチョコボの世話を手伝ってもらうことで、どうにか繋いだのだと、姉は肩を落としていた。

生きてよいかなど分からぬ自分と向き合う彼は、ほとんど食べない、眠らない。
じっと、思案に沈む。
その目に、地獄を見つめているような瞳で。

長い時間で背負った罪の重さは、他の者には計り知れない。
彼自身こそが、もっとも過酷な罰を与えることになるだろう。

それでも――彼は生きることを選択してくれた。
決して譲らない、すべてを背負う覚悟で。
パリスはそんなノルヴェルトにも胸の奥が熱くなっていた。


「いつ戻って来られるかは、僕の頑張り次第ですけど……」

パリスの言葉を聞いたノルヴェルトの瞼が、かすかに震える。

でも何も言わない。
ただ一度だけ、短く息を落とす。


じっと考える。

この先、どう生きるのか。
この身に背負った罪に対し、どのように贖罪を果たしていくのか。

結論など、すぐには出ない。
だが、断罪の炎に身を焦がしながらも、生きると決意した。

命が尽きるまで、“償い”を探し続ける。

まずは、生命に敬意を示し――見送る。
この家の“務め”に、携わりながら。

ノルヴェルトはゆっくり瞬きをする。

「…………許されるなら」

それだけを、かすかな息と一緒に落とす。

ヴィヤーリットも、パリスも、彼の言葉を静かに受け取った。
部屋の空気に、温かな優しさが溶ける。

「それなら、安心して行けます」

肩の力を抜いてパリスは小さく笑う。

「礼儀とか作法とか、知らないことばっかりで。今さら一から勉強ですよ」

苦笑いしつつ、言いながら伸びをするパリス。

ノルヴェルトはふと、考える目をする。
パリスの言葉が、胸の奥で静かに響く。
その意味を測るように、ノルヴェルトは小さく呟いた。


「……貴族か……」


遠い日々。
戦争で失われた街や、戦士たちの姿を思う。

微かに口を開き、一瞬の間を置いて呟く。

「……戦争で、途絶えてしまった一族もあるだろうか……」

ノルヴェルトの言葉に、青年たちは口を結んだ。

ノルヴェルトの脳裏に浮かぶのは、師フィルナードの影だった。
かつて《狂犬》と呼ばれ、戦場で恐れられた男。
彼の大鎌は、血を刈り取るだけでなく、一族の誇りでもあったはずだ。

ノルヴェルトの背中に、ぐっと力がこもる。

「……もし、セルズニックという家が残っているなら……返したいものがある」

一族の誉れを伝えるために、返す。
そして、“誇り”を“罪の血”で穢したことを、詫びなければならない。
到底赦されることではないが、それもまた、真実を背負うべきだ。

そう思った。

すると、声が上がる。

「はい」

浮いた響きを不思議に思い、視線を上げる。
パリスがきょとんとした顔で挙手していた。
ノルヴェルトは眉を寄せ、表情で『解せない』と伝える。

「セルズニックは、僕んちですけど……」

あちらも不思議そうな顔で言う。
いよいよノルヴェルトは眉を寄せる。

「?……いや、セルズニックは、フィルナードの……」

「フィルナード? はい……伯父ですが?」

「え?」

ノルヴェルトが固まる。

「え?」

パリスも固まる。

「……」

ダンは半眼になる。


最後は、エルヴァーン三人の声が重なった。


「「「え?」」」


静かに、しかし確かに、三人の空気が変わった瞬間だった。



   *   *   *



マウラの港には、漁から戻った男たちの笑い声が響いていた。
濡れた網と魚の匂い。陽射しにきらめく波。
いつもと同じ、賑やかな帰港の光景――

そこに、一人のミスラが歩いてくる。

潮風に揺れる赤い髪。
パタッと砂を弾く耳と、気ままに揺れる尻尾。
その姿に、ひとりの漁夫、ヒューム族の男性が目をこすった。

「……ミア!?」

驚愕の声。
次の瞬間、荷を放り出して走り出し、海水まみれの腕で彼女を抱き上げた。

「ミア! 俺のミア! 帰ってきてくれたんだね!」

“ミア”と呼ばれたミスラは、ムスッと口を曲げ、横目に海を睨んでいる。

「……ただいま」

口の中でぼそりと呟く。
その様子を見た途端、周囲の漁夫達がどっと笑い出した。

「はははっ、良かったなぁリオン!」

「今回はずいぶんと長い家出だったな!」

慣れた様子で、冷やかす声。

「――ご、誤解があったんだよ!!」

ミスラを抱きかかえたまま、男性が首を捻って冷やかしに反論する。

それらを耳にしたミスラは、むむっと怪訝な顔をした。
少し考える素振りをしてから、口を尖らせて声を零す。

「……あんたの名前って、リオ『ン』?」

はっとして、仲間達から妻へと視線を戻すリオン。

「そうだよ。リオンだ。俺の名前だけは、もう忘れないで」

すがるような眼差し。
じっと彼に見つめられ、ミアは黙ったまま、じろりと斜め上を睨んだ。

「……ふ~ん」

するりと、リオンの腕から抜け出す。

リオンは口を開けたまま、じっとミアを見つめていた。
やがて港の仲間達を振り返る。
彼が言う前に、誰かが言った。

「分かった分かった! 帰るんだろ?」

「次の漁から、リオンは無しか~」

リオンは帰り支度をするため、船の方へ駆け足で戻っていく。
ミアは、その背中を横目に見送った。

潮の香りと、船のきしむ音と、港のざわめきだけが流れる。
ミアは潮風に揺れる髪に手を添えて、遠くの海を眺めた。


空は晴天。
光に満ちた空と、水平線が眩く輝いていた。



<End>

あとがき

【第三章】『 幸せになるために』、完結となります。
最後まで見届けてくださり、
本当にありがとうございました。

戦いが終わっても、人生は続きます。
覚悟を抱えたまま、それでも前を向いて歩いていく。
そんな彼らを、最後にお届けできたことを嬉しく思います。

この物語が、皆さまの心のどこかに、そっと残ってくれたなら幸いです。
もしよろしければ、震えたシーンや印象に残った言葉など、一言でも教えていただけると嬉しいです。

↓web拍手からも一言コメント送れます。

まだ見たいところがある――そんなふうに思ってくださった皆さん。

大丈夫です。
スピンオフ、あります。

本編はここで完結ですが、アハピの世界はまだ少し続いていきますので、どうぞ気長にお付き合いください。