狂気の足音
2026/05/01公開
陽はもう高いのに、森の中はまだ薄暗かった。
木々の影が道を覆い、風が吹くたびに葉の光がちらちらと揺れる。
ノルヴェルトの背中に身を寄せて、トミーはチョコボの足音を聞いていた。
――いつになく、本気の声だった。
自分達の前をチョコボで先行している戦士の背中を思い浮かべる。
心の奥では、先ほどのダンの声が何度も反響する。
あの家での堪らない光景を、瞳が覚えている。
苦しげに言葉を飲み込む、あの時の彼。
触れたそうにさ迷い、引き戻された手。
切なく想いを叫ぶ瞳を逸らし、護ることを優先した背中。
そしてまた、先ほどの彼の言葉が胸に響く。
――それが、ダンの望みなんだね。
――私に叶えて欲しい……《願い》なんだ。
胸の奥が苦しくて、ぐっと目を閉じる。
教えてくれて、ありがとう。
『待ってる』って言ってくれて……ありがとう。
どうすればいいのか、今は分からないよ。
今は……。
ノルヴェルトさんを……守らなきゃ。
少し視線を上げると、風になびく長い銀髪。
陽の差し込むたび、その輪郭がやわらかく光る。
私が、ノルヴェルトさんを痛みから守るんだ。
頑張りたいんだ、私。
だからお願い……ごめん……今だけは。
……分かっているのに。
また私は、ダンにすがろうとしている。
——あんな顔をさせたばかりなのに。
胴に回されている細い腕にわずかな力が込められる。
それを感じ取り、ノルヴェルトは手綱を握る手が強ばった。
横を流れていく木々の先へ視線を投げる。
まだらに光の落ちた森の先に荷車の姿を探した。
懐かしい人の名を心の中で呟く。
そして、すぐ前を行く戦士の背中を見据えた。
ノルヴェルトは迷いを飲み込みながら口を開く。
「…………会ったのか?」
その硬い声を、ダンは聞き取った。
ぴくりと少しだけこちらに顔を向ける。
短い沈黙のあと、はっきりと答えた。
「あぁ」
ーー途端に。
ノルヴェルトの胸の奥で、いくつもの言葉が渦を巻いた。
だが、ダンの声がそれを断ち切る。
「色々聞きたいことはあるだろうが、今は無しだ」
そう言う彼の目は、鋭く森林の中を探っていた。
そして後方の様子も伺う。
はっとしてノルヴェルトはダンのことを見る。
だがーー彼は目を合わさなかった。
どこか険しい表情になって前方に視線を戻してしまう。
「とにかく……今の二人は、あまり身体の自由が効かない」
そう告げるダンの声は、風にかき消されそうだった。
背中に、覚悟と苦しさが重く滲む。
ノルヴェルトの目が静かに見開かれる。
「《夜鶴》にも抜刀させない。奴らを近付けるな」
力のある声で放たれたこの言葉しか、トミーには聞き取れなかった。
ノルヴェルトの呼吸が、知らず浅くなる。
彼らが崖から身を投げた瞬間を、何度も夢に見た。
幻想的な光の先に飲まれていく二つの影。
伸ばした手が、叫びが、届かなかった感触。
あれが最後だった。
……もし、生きているのなら。
どんな姿で?
歩けないのか?
自分のことを覚えているのか?
自分を、許してくれるのか?
それが分からない。
それが、恐ろしい。
そして。
そんな二人に、彼女を、会わせるのか?
背中に感じるぬくもりに、ぐっと口を引き結ぶ。
――それでも、進まなければ。
再び、恐怖と震えが全身に広がり始める。
「ノルヴェルトさん」
ぎゅっと背中を抱き締めながら、彼女の声が呼んだ。
はっと我に返ったように、ノルヴェルトは息を吸う。
「もう、一人じゃないですよ」
背中に直接言霊を吹き込まれたかのように、温もりがふわりと広がった。
――彼らに、見せたい。
二人の宝物は、無事に生きていましたと。
仲間達に愛されて、健やかに、笑っていましたと。
会わせたい気持ちと、会わせて良いのかという恐怖が胸の中でぶつかり合う。
――守る。
誰も失わせない。
その決意が、胸の奥で静かに燃え広がる。
恐怖は消えない。
だが、恐怖に押し潰されることもない。
「必ず守ります。……必ず」
疾走する風の中、背中越しに告げた。
トミーは鎧の背中を通してその言葉を受け取る。
ノルヴェルトは手綱を握る手に力を込め、ぐっと口を引き結んだ。
『この世界に……「絶対」なんてないよ……』
――もう、あの頃の私じゃない。
森の奥から、鳥の羽音がひとつ響いた。
誰も何も言わない。
ただ、胸の奥で鼓動だけが強くなっていく。
その時――
ダンが何かに気付いたように、突如チョコボの手綱を強く引いた。
反射的にノルヴェルトも、チョコボの走りを緩める。
トミーは息を呑んだ。
この森の静けさの奥で、何かが確実に動いている。
言葉にならない予感が背を走る。
トミーがこのひんやりした森の影を体感するのは、二度目。
あの時も――同じ静寂だった。
自分は、不安に押し潰されそうだった。
『守れない』という現実を突き付けられ、心の拠りどころもなく、ただ震えて。
けれど今は違う。
すぐそばには、圧倒的な安心をくれる存在がいる。
ただ彼がそこにいるだけで、ざわつく胸が嘘みたいに静まっていく。
森の影も、もう怖くなかった。
ダンもまた、漂う湿ったこの匂いを肺が覚えている。
あの時の自分は、気持ちを持て余し、踏み出すべき瞬間に踏み出せなかった。
結果として、この手で彼女を護ることもできず――
自分にも恐れるものがあり、自覚と覚悟が足りないのだと、思い知らされた。
――あんな思いは、もう二度と味わわない。
胸の奥で、静かに火が燃える。
今回は迷わない。
やるべきことを、思う存分やらせてもらう。
周囲をじっと睨みつけるダンの動きが、ぴたりと止まった。
ダンが見つめている先を、ノルヴェルトとトミーも窺い、目を見張る。
二羽のチョコボが引いている、幌の付いた荷車。
木の根を避けながら、ゆっくりと森林の中を進んでいるのが見えた。
途端にノルヴェルトの心臓が軋む。
だが、固唾を飲み込み、何もかもをぐっと押し込めた。
ダンがノルヴェルト達を振り返る。
一瞬息を詰まらせてから――言った。
「見つけたが……見つかったな」
後方の暗がりの中、金属の鈍いきらめきが一瞬閃いた。
それが鎧の光だと気付くより早く、一騎のチョコボが影を割って現れる。
――ジェラルディンだ。
鎧の上に外套を羽織った騎士、ジェラルディンは、対峙するノルヴェルト達をしばし無言で観察していた。
手前でチョコボを停める。
はたと、ノルヴェルト達の遙か後方に動く荷車に気付いたようだ。
しかし、無表情のままだ。
思考を読ませない。
まずはダンが、前に進み出て口を開いた。
「……団長様は、『降参しよう』とは言わなかったか?」
現れた追っ手を、毅然とした声で迎え撃つ。
静まり返った森を湿った風が横切っていく。
ジェラルディンはなびく外套の中で、腰に携えた武器にゆっくりと手を伸ばした。
「……始末する。それだけだ」
彼が触れているのは、剣の柄か。
よく見ると、今回はジェラルディンもボウガンを携帯していた。
その時。
トミーが何かに気付いた様子で、ノルヴェルトにしがみつく身体を強ばらせる。
思わず叫んでいた。
“ま、またチョコボが狙われちゃう! 降りようよ!”
ブブリムでの出来事が脳裏を過ぎり、細い手が震えていた。
ノルヴェルトはジェラルディンを睨む眼差しを一瞬だけダンへと向ける。
ダンはじっとジェラルディンに対峙し、隙を見せなかった。
決心したノルヴェルトは、素早くトミーを片腕に抱え込み、チョコボから飛び降りる。
鎧を鳴らして地面に降り立つと、身軽になったチョコボはひと声鳴いて駆け出した。
木々の向こうに走り去っていく。
その気配を耳で感じ取りながら、ダンはじっとジェラルディンを見据えていた。
ダンはまだ、降りるわけにはいかない。
相手が荷車襲撃を優先する可能性もある。
ノルヴェルトとトミーがチョコボを降りたのを受け、ジェラルディンは意外にも反応を見せた。
理解を示すかのように、小さく息をつく。
『チョコボを傷付けたくない』という意思に対する――理解だ。
やがて、彼は自身の乗ったチョコボに視線を落とし、黄色い羽根をひと撫でする。
その動作が、まるで別れを惜しむ仕草のように見えた。
そして視線を上げる。
彼の眼差しがこう問い掛けていた。
では、これも傷付けたくないと?
ジェラルディンは無言のまま、腰に下げた剣の柄を握った。
一瞬、空気が凍りつく。
「――てめぇ、ふざけんなよっ!!」
トミーが目を見張って身を乗り出した瞬間には、ダンのチョコボが飛び出していた。
間合いを詰めるのに一瞬もかからない。
待っていたかのように、素早く抜き払われたジェラルディンの剣がダンに鋭く打ち下ろされる。
抜いた両手剣でそれを受け止め火花が散る中、ダンはそのまま一気に突いた。
交錯した双方のチョコボが仰天の目を見開く中、ジェラルディンのチョコボの手綱が切断される。
至近距離を両手剣が掠め、驚いたチョコボが鳴いてよろめく。
ジェラルディンは即座に身を翻す。
金属音とともに地面へと着地した。
鎧が鳴り、砂埃が舞う。
片膝をついて受け身を取り、鋭く視線を上げる。
目の前に鎖帷子の音をさせてダンが降り立つ。
怒りを燃え上がらせた鋭い眼差しがジェラルディンを突き刺した。
「あんたは騎士じゃない。ただのバケモンだ」
ジェラルディンは冷え切った眼差しを返しながら、静かに立ち上がる。
「貴様がどう感じようと、知ったことではない。己の忠義を尽くすだけだ」
共にいた生き物達が走り去り、それぞれの激情を抱いた人間だけがその場に残った。
“トミーは絡まれる。モンスターや獣人にも注意しろ”
睨み合いながら、ダンが背後の二人に抜かりなく指示を飛ばす。
はっとして、トミーは目を瞬く。
ダンがジェラルディンと衝突した瞬間、トミーは呼吸を忘れた。
恐れが全身にまとわりついて手足が強ばった。
すがる思いで、ダンの背中を見つめた。
滲んだ視界を振り切るように、トミーは横目に周囲を窺い身構えた。
一瞬の油断も許されない。
その時だった――
“ダーリン助けちぃぃぃ!!”
突如、ダンにだけ悲鳴が聞こえた。
ローディのリンクシェルからだった。
今は返事を返している場合ではない。
聞き流していると、次々と悲鳴が届いた。
“ぎゃああ! ぎゃあああ! 唯一の天敵が俺様を襲撃中!!”
ジェラルディンから意識を逸らさぬまま、思わず息を呑む。
“痛い痛い痛い! きぎゃああ助けて!
逆さまつ毛死ねぇええ!!!”
「くだらねぇんだよ!!」
いきなりどかんとダンの絶叫が響く。
叫んだ瞬間、ジェラルディンの刃が唸りを上げた。
真正面から叩きつけられる一撃を受け止め、火花が飛び散る。
ローディの声がなおも頭の中で鳴り響く。
“取って! ダン取ってぁぁあ!!”
歯を食いしばり、ダンは剣を押し返した。
“ねぇねぇねぇ目に入ったゴミを取ろうと覗き込んでると傍からはキスしてるように見えるんだぞぃ!!?”
ダンの眉がわずかに動く。
ジェラルディンはそれを見逃さなかった。
「――誰と話している?」
言葉と同時に、斬撃が倍の速さで視界の端を掠めた。
風圧で耳に微かな痛み。
ジェラルディンの剣筋が正確すぎて、呼吸の隙間すら奪われる。
刃がぶつかり合い、火花が散るたびにローディの声が遠のき、また戻る。
“ダンに取ってほしいぃぃ!!”
殺気と阿呆の声が混じって、世界の音がぐしゃぐしゃに歪む。
ジェラルディンの剣が、空気ごと叩き斬る。
刃が交錯し、再び鋭い火花が散る。
剣を滑らせて受け流す。
金属音が木々の間に響き渡った。
わずかに遅れて、ローディの“目がぁああ!”という悲鳴が再び頭を割る。
ダンの剣が火花を散らすたび、トミーの目が見開かれ、息を呑む。
ノルヴェルトは、目の前の戦いとトミーの願いの間で揺れていた。
――殺せる。
すべてを投げ打ち、魂を憎悪で塗り潰した自分であれば。
ただ、殺すなら――守ることはできない。
ダンの背中を見つめ、奥歯を噛んだ。
一閃、ジェラルディンの刃がすれ違い、木の幹が裂ける。
ダンは勢いのまま身を転じた。
一旦距離を取る。
即座に剣を構えると、長い息を吐いた。
額に汗を滲ませ、口の端を吊り上げる。
「――チッ……まるで軍用犬だな」
吐き捨てるように呟く。
静かに向き直り、無言で佇むジェラルディン。
主のために躊躇なく血を浴びてきた軍人の、寡黙な重圧。
経験を物語る殺意の太刀を何合も受け止めた手が痺れる。
ダンはぐっと剣を握り直す。
そして、今度は声を張った。
「あんたのおかげで、ナイトをやる気が萎えたぜ」
ジェラルディンの動きが、止まる。
風が鎧の隙間を抜けた。
「それは良い」
風に広がる外套を払い、ジェラルディンは剣を握り直す。
「騎士を殺すのは、私とて気分が良いものではないからな」
その言葉が、乾いた刃のように心臓を裂いた。
――パリス。
指輪に視線を落とし、絶望的な後悔を背負った横顔。
「…………そうか、てめぇか」
納得したように、ダンが低い声で唸る。
怒りが、音を立てて膨れ上がった。
剣を握る腕が軋むほど、力が籠る。
視界の端に映るヒュームの娘の息遣い。
恐らく心が引き裂かれている。
暗い城で見た光――誠実な青年騎士の姿に。
ダンの怒りが一層の唸りを上げた。
――そんなことを……あいつに聞かせるんじゃねぇ。
これまでジェラルディンの刃を受け流すことに徹していたダン。
この瞬間、今にも飛び掛りそうな鋭い殺気を放った。
だが怒りが吹き出す前に、それを振り払うように長く息を吐き出す。
ジェラルディンの無機質な瞳が、わずかに細まった。
次の瞬間、空気が凍る。
鳥の羽音も、風の音も止まったように感じる。
ダンは一歩、前へ。
地面が、ぐしゃりと沈む音がやけに重たく響いた。
ローディの“俺様の目にウォータ”という声すら、もう届かない。
すべての音が、断ち切られた。
――次の瞬間。
音が届くよりも先に、ノルヴェルトが飛び出した。
大鎌の柄を引っ掴み、トミーを抱き寄せ弾丸のように横へ飛ぶ。
地面を滑り、驚いて必死にしがみつくトミーを守るように低く構える。
何か、武器が向けられたわけではなかった。
ただ試すように、冷え切った殺気が向けられた。
風の向きがわずかに変わる。
それだけで、背筋を走るものがあった。
木々が沈黙している暗がりの先から、音が届き始める。
枝と落ち葉を踏みしめる、規則正しい音。
まるで戦場の鼓動のように。
森の影がざわめき、一騎、現れる。
燃えるような赤い髪。
木漏れ日を弾く白銀の鎧。
沈黙の中、荒ぶるチョコボが息を吐く。
その音だけが、戦いの余韻を切り裂いた。
森の空気が締め付けられるように冷たくなった。
力強い騎鳥の足音が地面を震わせ、赤髪の騎士団長――テュークロッスが姿を現す。
トミーは息を呑んだ。
本能が、近付いてはいけないと叫んでいる。
――戦局が変わった。
ノルヴェルトは静かに悟る。
次の瞬間には、呼んでいた。
‟ダンテス”
ダンの構えは微動だにしない。
だが、何か言いたげに眉がしかめられる。
ノルヴェルトはゆっくりと大鎌を握り直し、静かに立った。
‟代われ”
その短い命令が、空気を一段重くする。
トミーが息を呑んで顔を上げた。
その震えも、揺れる眼差しも。
すべて受け止めた上で――告げる。
‟もう……殺さなければ、守れない”
ノルヴェルトの瞳には深い闇が落ち、森全体が彼の呼吸に合わせて息を潜める。
ダンの胸がひとつ、強く鳴った。
* * *
ラテーヌ高原にある――テレポホラ。
そこに設置された出張チョコボ厩舎の混乱に回復の兆しが見える。
ジェラルディンにチョコボを拡散されてしまったモニカは、注意散漫ながらも仲間に応援要請したようだった。
続々とチョコボ厩舎職員がテレポしてくる。
応援が駆け付けたのを見て取ると、焦燥した顔でパリスは歯を食いしばる。
手近なチョコボの背に飛び乗り、切れた手綱をまとめて握りしめた。
「――ごめん! もう行くね!」
震えを押し込め叫ぶ。
言われたモニカは目をまん丸にして口を開ける。
パリスの行動に仰天して声を上げるリオ。
「は?!」
パリスは彼女達の反応を見届けることなく、鋭くチョコボを駆け出させた。
いきなり置いてけぼりを食らったリオは言葉も出ない。
ただ、瞬く間に恐ろしい形相に変わる。
彼女も慌ててチョコボに飛び乗り、振り返りざまにモニカに言い捨てた。
「言っとくけど、あの剣振り回すイカレた奴はあたしらとは無関係だからね!!」
何かあって言いがかりをつけられようものなら堪ったもんじゃない。
そう表情で物語りつつ、チョコボを走らせる。
そして、先にジャグナー森林の方向へ向かってしまったパリスを追った。
モニカの叫びが、後ろで風に消えていく。
パリスはもう、リオのことを振り返る余裕すらなかった。
過ぎ去る風の音もかき消すほど、胸の鼓動がやかましい。
イヤだよ? やめてよ?
僕ぁもう二度と御免なんだ。
君なら――分かってくれてるよね?
懐に入れてある旧友の指輪に、思わず手を当てた。
そして思い浮かべる。
呼ぶと面倒臭そうに振り返る、もう一人の友人の横顔。
次に、大切な家族の微笑み。
――姉さん。
……姉さん。
ほら……すごいでしょ?
彼は全っっ部、守る気なんだ。
今まで僕が話していた通り。
彼は大胆不敵で、怖いもの知らずで。
合理主義で不器用で。
強くて……優しくて…。
姉さんのことまで守ってくれた彼のためなら、僕は……。
僕は、なんだってする。
――いいよね?
パリスの手が、握った手綱を一層強く締める。
目の前を駆け抜ける風景が光と影に揺れるたび、胸に刻まれた決意が一層鮮やかに燃え上がった。
* * *
サンドリア王国の外れ、下級貴族達が住まう地区。
屋敷に囲まれ、ひっそりと建つレンガ造りの家。
家の裏手に併設された厩舎の中に、外の明るい光が優しく差し込んでいる。
ちらちらと塵が踊る光に照らされた生命が、わずかに身動ぎする。
そのくすんだ黄色の身体を撫で、ヴィヤーリットは小さく溜め息をついた。
心はずっと落ち着かぬまま、ただひたすらに、チョコボの羽根を静かに撫でる。
――『名前だけ貸してほしい』
そう言う戦士の、真っ直ぐな瞳が思い出される。
隣で自分の代わりに食い下がる弟に対し、彼は少しも揺るがなかった。
『高貴なあなたの気配だけで、充分に相手を掌握することはできる』――と。
長い間、剣も、盾も、手にしていない、しなやかな手。
今の仕事に必要な筋力は備わっているが、機敏に立ち回れるか分からぬ細い身体。
無意識に、ぐっと背中に力がこもる。
あの青年は、友人の家族を危険に晒すことなど微塵も考えていなかった。
そっとチョコボに身を寄せ、確かに聞こえる鼓動に耳を澄ませる。
その温もりにすがるように、黒い瞳を閉じた。
――祈るように、静かに。
あとがき
第三十四話『狂気の足音』でした。守るという想いは同じでも、
その形は、決して同じではありません。
次回、本気の衝突です。
覚悟してお越しください。