スティユの、祈り



窓の外には、まだ夜の名残を残した淡い光が差し込み、街路樹には霜が薄く降りていた。
空気は凛として冷たく、吐く息が白くのびる。
静かな世界に、前夜の痛みだけが胸の奥で響いている。


娘の隣からそっと抜け出し、しんとした家の中、彼の元へ。


窓の外には光。
世界はこんなに美しいのに、心は、こんなに壊れている。



彼は、昨日と同じ椅子に腰掛け、目を閉じていた。

脇に置いてあったブランケットを取り、そっと肩にかける。
少し赤みを残した彼の頬。
わずかに震え、ゆっくりと瞳が開かれる。






あなたを壊したのは、私。




あなたは、罪を償うつもりでいた。


私に『結婚してほしい』と言ったのは、自分の罪を知っている私に、償いを見届けて欲しかった意味もある?

それとも、自分は生きて戦争を乗り越えることなどないと、思っていたの?



あなたは、たくさんの命を奪った過去の償いとして、自分を赦すために懸命に生きていた。
戦士団の活動に身を賭して。
その行いが絶たれ、あなたは自分を赦す術を見失ってしまったの。

それも、最後に新たな罪を背負って。



あなたはずっと考えていた。
戦後、片腕になった自分に何ができるのか。

私は、あなたのように、立ち向かうことができなかった。


冷たい岩肌に囲まれた空間に残される。
光の中に飛び出していく、みんな。
あなたが、行ってしまう。


赤い大地。




あの恐怖は、私の魂に深く刻まれた。


もう、片時も離れたくなかった。
罪への償いを探るあなたに、すがった。
あなたとの未来が欲しくて。

迷いが彷徨っていたかもしれない、あなたの瞳。
見つめることができないまま、肩を押したの。
あなたはまだ、待って欲しかったかもしれない。
でも私は耐えられなくて。
自分の気持ちだけで、無理矢理引き止めてしまった。

それなのに。

全て。
あなたは背負い、愛してくれた。




けれど、あの騎士が現れてしまった。

あなたの『償わなければ』という気持ちを呼び覚ましてしまった。
私は、必死にそれを、食い止めた。


あなたの『償い』は、『生きること』だったというのに。



私は、弱い。
とても脆い。

不安で、身体がバラバラになりそうになる。
包んでもらうことで、自分を保つことができた。

でも、『生きること』を絶たれたあなたから、安らぎは途絶えた。
あなたの腕に抱かれれば、自分を保つことができたのに。
私の腕に小さな娘を抱くことしかできない。
華奢な背中に腕を回して抱き締めてくれる人は、もういない。
もう誰にも、抱き締めてもらえない。




傍らで、成長していく青年の姿。


気付かれぬように衝動を、必死に押し込めた。

その手で、触れて欲しい。
抱き締めてほしい。
悲しみを忘れさせてほしいと、望んでしまいそうになる自分がいる。


私は夫を心から愛している。
娘を愛している。


だから、あの時とは、違う。

弱音を吐いてはいけない。


でも、何かきっかけさえあれば。
彼の前で泣き崩れてしまいそうで。
そして私達の関係は、いとも簡単に壊れてしまいそうで。

求めたら、彼は応えてくれるだろうか。
驚くだろうし、きっと、とても困らせる。
でも、彼は素直で真っ直ぐだから…。


彼に拒絶することはできないと分かっているからこそ、絶対に、求めてはいけない。

私が守らなければ。






そう思っていた。




けれど、もう限界。




彼から離れなければ、もう、守れなくなる。

私は愛する夫と共に、彼から離れることにした。



あなたには、何の罪もないのよ。

あなたは未来を望んで良いの。

私達に全てを捧げる必要はないのよ。


伝えたい気持ちはたくさんあった。

でも。

「何故一緒にいてはいけないのか」と、問われるのが、とてつもなく恐ろしい。

だから話すことはできない。


とにかく離れて。

ついて来ては駄目。

お願いだから。



ーーーあなたの美しく鋭い、剣の閃き。

マキューシオ。
彼は、あなたが何としても守ると心に決めた、かけがえのない希望だった。

この世界に残さなければ駄目。

あなたの魂は、そんなこと望んでいないはず。



ーーーソレリの泣き声が響いている。


この子は、どうすればいいの。

彼は、まだ分かっていない。
生きる目的を私達としている。
そんな彼に、この子を託すのは、残酷で。

だから連れて行こう。
そう思ったのに。


……離れたくない…。





ーーー幻想的な光が私達を見下ろしている。






ノルヴェルト。

ーーー私達みんなの、大切な子。
私達のことは思い出にして。
あなたは、どうか未来へ歩いて。




マキューシオ。

ーーー愛しい人。
あなたと過ごした全ての日々が、私の命そのもの。
永遠に、永遠に、愛してるわ。



ソレリ。

ーーー私達の、宝物。
大好きよ。
生まれてきてくれて、ありがとう。
私達はいつまでも、あなたのことを想ってる。



放すのよソレリ。
あなたも託していく。




アルタナの女神様。

私の願いを、どうかお聞きください。


どうか、この子を。

この子を愛してくれる人のもとへ、お導きください。






幸せな、未来へ。




<End>

あとがき

ノルヴェルトからは見えなかった、夫婦の、スティユの真実です。
第三章で誰かにこの想いを届けられるだろうかと、私のメモが残っていました。
でもスティユが守り通し、墓場まで持って行ったことなので。
不可能だと判断し、このような形を取らせていただくことにしました。

ソレリの『いやだ』という叫びの、本当の意味。

スティユの祈りは、あなたには届いたでしょうか?
感じたことを教えてもらえたら嬉しいです。
読んでくださりありがとうございました。



ママーーー安心してください!!!
未来のソレリにはDantesっていう世界最高水準のセキュリティシステムが付与されたからねー!
あ、でも世間を騒がしているNorveltっていうウィルスがk←やめてやれよ