お家へ帰ろう

第二章 第十五話
2005/06/04公開



今日は四年前にノルヴェルトが仲間に加わった日。
朝食後のお茶を飲んでいると、テーブルの反対側に座っているスティユが笑みを浮かべてそう言った。
戦後は各地を転々とする生活が続き落ち着かなかったので、ノルヴェルトは自分の入団記念日など考えたことがなかった。
『記念日とか、彼女はそういうものにこだわるんだ』と、ソレリを膝の上に座らせたマキューシオはスティユを示して笑う。
嬉しいことを祝う日は多い方が良い。
スティユは両手で持っていたティーカップを置いて、夫に笑い返した。
そんな二人を見ていてノルヴェルトは胸が温かくなり、ティーカップに近付けた唇にほんのりと笑みを浮かべた。
「ちょちょちょちょっとー!二人とも何いきなりバラしてんの!?ビックリさせてやろーとか考えてたのってうちだけ!?有り得ないんだけど!」
食器を片付けに行っていたセトがひどく驚いた様子で駆け込んできた。
笑い合っていた顔のまま『え?』とセトに顔を向けるヒュームの夫婦。
「超ショック!もぉ~うちの計画台無しじゃんよぉ~」
ぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜる白髪のミスラの様子に、スティユは少し慌てた風に彼女と夫を見比べた。
「あ、えと、ごめんねセト」
「いーよーいーよもぉ」
くたびれた顔をして手をヒラヒラさせるセトは、『はぁ~あ』とひどく残念そうな様子だ。
ちゃんと打ち合わせをしておかなかったのだろうか……。
膨れるセトに苦笑して謝罪する夫婦は非常に申し訳なさそうにしている。
ノルヴェルトはそんな彼らの様子を眺めて、気付かれない程度に小さく笑った。

すっかり意気消沈してしまい、つまらなそうに頬杖をつくセト。
しかし、ふと面白いことを思いついたように、大きな耳をピクリとさせて顔をあげる。
「そだ、ソレリ~これから兎んとこ行こうかっ」
悪戯っぽい笑みを浮かべてマキューシオの膝の上に座っている少女を見る。
コソコソとお祝いの準備をすることも意味がなくなったので、その代わりになる夕食までの良い過ごし方を思いついた。
そんな顔だ。
兎に会わせてもらうことを前から楽しみにしていたソレリは、心底嬉しそうな顔で頷く。
「っちゅーわけで、夕食の用意はお願いねー」
ノルヴェルトを驚かせることができなくなりやる気が失せてしまったのだろう。
セトは少し恨めしそうな目でヒュームの夫婦を見つめて言った。
夫婦はまるでセトの両親であるかのように、少し困ったような暖かな笑顔でそれを承諾した。
二人としても、準備している間ソレリの面倒を見ていてもらえるのは有難いことである。

そういう流れで、セトはソレリを連れて外出、夫妻はお祝いの準備と分担された。

そこでふと気が付き困ったのはノルヴェルトだ。
自分は何を……?
困った顔をしていると、それに気がついたスティユが笑いながら言う。
「ノルヴェルトは、今日はゆっくり本でも読んでなさい」
「おにちゃ~いっしょいこーぉー」
マキューシオの膝の上に座っているソレリがノルヴェルトに向かって手を伸ばす。
ノルヴェルトとしては、別に読みたい本があるというわけでもないし、特に断る理由もないのでセト達と一緒に出掛けるのもいいかと考えた。
しかし、させるかと言わんばかりにセトがソレリを抱き上げる。
「お兄ちゃんは駄目なんよ~ソレリ。お兄ちゃんは兎さんが怖いんだって~」
意地悪そうに笑ってソレリにそう吹き込むセトを、ノルヴェルトはムッとした顔で見上げた。
先日話したことをこんな形で口にされるとは……。
「うさぎさんこわいのー?」
「………ソレリ…」
純粋に疑問の眼差しを向けてくるソレリに弱々しく呟く。
「さぁさ、っちゅーわけだから二人で行こうソレリ!んじゃ行ってくるかんねー!!」
弱った様子の青年に意地悪く笑って、セトが上機嫌に手荷物を肩にかける。
未だにセトには敵わないノルヴェルトに目を細め、ヒュームの夫妻は微笑んだ。
「あぁ、いってらっしゃい」
「気をつけてね」
元気に手を振って出て行く二人を夫妻は笑顔で見送り、ノルヴェルトだけが不満そうな顔でセトのことを最後まで恨めしそうに見つめていた。
そんなノルヴェルトを見て、やれやれと笑顔のまま溜め息をつくマキューシオ。
仲間に加わった頃と比べると、大分表情が豊かになったものだ。
内心そう思うと懐かしくなって目を閉じる。
「あ」
と、そこでスティユの声が聞こえて疑問に思い目を開く。
見るとスティユは椅子の上に置きっぱなしになっているソレリのぬいぐるみを指差していた。
ソレリが名前を付けて、片時も離さずに抱いているお気に入りのぬいぐるみだ。
「忘れたって騒がないといいけど……」
「あぁ、大丈夫さ。ソレリの頭の中は今兎さんでいっぱいだろう」
ぬいぐるみを眺めて言うマキューシオの言葉を聞いて、『それもそうね』とスティユは笑った。


   *   *   *


「もぉー……あの二人は悪戯心ってもんがないのかねぇ」
居住区の奥まったところから歩くこと十分。
セトはソレリと手を繋いで賑やかな通りに出た。
午前中の涼しい陽気の中、徐々に活気付き始めているサンドリアの街。
暮らしの安定してきたサンドリアの民達は、今日も平和な日常を送っていた。
「ビックリさせた方が面白いじゃん。ねぇ、ソレリもそう思うっしょ?」
「びっくり~?」
「そ、ビックリだよ」
幼い少女相手にぶつくさ言っているセトは、考え込むように眉間にしわを寄せていた。
そうして徐々にその唇に笑みが浮かび上がってくる。
「……だからさ、一緒にノルヴェルトのことビックリさせてやろうじゃん?」
機嫌良さそうに細くて長い尻尾をユラユラと左右に揺らしながら、大きな耳をぴんと立ててセトはソレリを見下ろした。
セトの言っていることがいまいち理解できていないソレリは、ぽかんと口を開いて目をしばたかせている。
「…………………うさぎさんは?」
「ん、あぁ勿論兎んとこには連れてってあげるよ!だからその帰りさ。その帰りにノルヴェルトがビックリするようなもんを持って帰ろうよ!」
もう幼い少女そっちのけで何やら企み始めるセト。
ソレリは、兎に会わせてもらえる、ということだけを辛うじて理解し、嬉しそうに頷いてやがて機嫌よく歌を歌い始めた。


   *   *   *


ノルヴェルトは奥の部屋に入ると静かにドアを閉め、そのまま立ち尽くしていた。
奥の部屋は主にマキューシオが使っている部屋で、棚には様々な本が並んでおりマキューシオの書斎といってもいい部屋だ。
小さなテーブルに椅子が二つ。
窓には淡い黄色のカーテンがついていて、窓の外から光が差し込んでいた。
珍しくマキューシオのいないその部屋がとても寂しく見えて、ノルヴェルトの目は何故かマキューシオの存在を感じられるものを必死で探していた。
そして、本が並んでいる棚で横に置かれている一冊の本にはたと目が止まる。
そっと近付いてそれを手に取ると、何だか難しそうな本だった。
見るとしおりが挟んである。
マキューシオがそれを今読んでいる最中なのだと思うと、自然とノルヴェルトの表情が柔らかくなった。
何だかほっとして、本を優しく元の場所に戻す。

それからずらっと並んだ本の背表紙を端から順番に眺めた。
始めから予想していたことだが、そこにはノルヴェルトが軽く手を伸ばせるような本はなさそうだ。
棚の前で軽い溜め息をつくと、ふと部屋の隅にある物入れの扉に目をやる。
そのまま少し考えたが、ノルヴェルトは口を引き結ぶと物入れに向かった。
物入れの扉の前に立ち、おずおずと、またゆっくりと扉の取っ手に手を伸ばす。
そして静かに、両開きになっているその扉を開いた。
中には色々なものがしまってある。
あまり使わないものなどが収納されているその空間の奥に、細長いものが布に巻かれて置いてあった。
手前にあるものをどかして、そっとそれを物入れの外に出す。
大きいので出すのに少し難儀したが、何とか完全に外に出して両手でそれをしっかり持った。


それは、漆黒の騎士フィルナードの黒い大鎌。

ずっしりと重いその殺す道具を見下ろして、ノルヴェルトはあの男の姿を思い浮かべた。
今でもはっきり思い出せる。
伸ばしっぱなしの黒い髪の隙間から覗く、鋭くて冷たい眼差し。
いつも一人で暗い場所にいて、低い声でぼそぼそとしゃべることは皮肉めいたことばかり。
ノルヴェルトに戦うことを教えた、無口で、とても強かった人。
視覚を失っても前に進むことをやめなかった、とても強かった人。
ノルヴェルトはこの四年間ずっと布に包まれたままのその鎌を、ぎゅっと抱き締めて目を瞑った。


フィルナード、貴方のおかげで俺達は今生きています。


もう一度、ほんの数秒だけでも良い。
会いたいと思った。

あんなにたくさんのことを与えてくれた人なのに、ノルヴェルトは一度も彼に礼を言ったことがなかった。
それが、ノルヴェルトにとってはただただ心残りで。
もしもフィルナードが生きていたら、なんていう甘えたことも何度か考えたことがある。
しかし、戦争が終わった現在を生きるフィルナードの姿は、何故か満足に思い浮かべることができなかった。
フィルナードはきっと、戦線を離れたくなかったのだ。
だから軍には戻らずにマキューシオ達と一緒にいたのだろう。
目の見えない人間を軍は当然戦線には出さなくなる。
フィルナードは、彼自身、自分は戦うことしかできないと思っていたのかもしれない。

ノルヴェルトはフィルナードの大鎌を強く抱き締めたまま、ゆっくりと目を開いた。
少し視線を上げると、鎌が入っていた物入れの奥にもう一つ、布に巻かれた細長いものが立てかけてあるのが目に止まった。
あれはこの鎌とは対照的な、マキューシオの剣である。
マキューシオの剣もずっとしまい込まれたまま、四年間眠り続けている。
もう二度と目覚めることはないのかもしれないけれど。


ノルヴェルトはしばしじっとマキューシオの剣を見つめ、次に自分が抱き締めている大鎌を見下ろした。
そして居間に立て掛けたままにしてある、いつも自分が背負っている剣を思う。


………………遠いなぁ………。

ノルヴェルトは胸中そう呟いて、深い溜め息をつくとほんのり笑みを浮かべた。


   *   *   *


街から出る前に、お店で昼食を買った。
そしてソレリのペースに合わせて、ゆっくりとロンフォールの森を歩く。
懐かせた兎がいつもいるところまであと少しというところで、休憩を兼ねてお昼ご飯を食べた。
そうしてその後、運良く現れた兎をソレリに見せてやった。
ソレリは大喜びで、二つの青い瞳をパッチリと開いて兎を見つめていた。
大分懐いてきたとは言え、まだ危険なので近寄らせることを躊躇ったが、ソレリがどうしても触りたいというので一緒にそっと近付いてみた。
すると兎は逃げることも飛び掛ってくることもせず、じっとソレリに触られていた。
ふと何かに驚いて飛び退くこともあるが、ソレリは懲りずにじりじりと兎に寄る。
距離ができては近付き、また距離ができてまた近付いて。
そうしてソレリが夢中で兎と戯れているのを、セトは静かに見守っていた。

やがて、気が付くと日が傾いていた。
ずっと飽きずに兎だけを見ていたソレリにもそうだが、逃げていかずに触られていた兎にセトは心底感心した。
少し雲行きも怪しくなってきたので、セトはソレリに兎とお別れをするように言う。
満足したのか、ソレリはセトのいう事を素直に聞き入れ兎に笑顔で手を振った。


それが、二時間程前の自分達。
セトはそんな過ぎ去った自分達の姿を思い返しながら、ソレリを抱えて路地を歩いていた。



「あぁぁもぉぉ……泣かないでよ、もうすぐソレリの家に着くからさ」
ゼェゼェと苦しげな呼吸の中から、セトの困り果てた声が漏れる。
両手で抱いた幼い少女は彼女の声など聞こえていない様子で、ボロボロと涙を流して泣いていた。
通りの賑わいが届かない静かな路地にソレリの泣く声が響く。
その耳を劈く泣き声にセトは苦笑いを浮かべて、壁伝いに必死で歩を進めた。
「……ソレリと組んであの子を驚かせてやろうと思ったけど…これじゃ驚き過ぎて気絶させちゃうかもねぇ」
ソレリは大人の負の感情に敏感だから……と思い、油汗の浮かんだ顔で歪んだ笑みを作る。
しかしそんな懸命な努力も空しく、少女が泣き止む気配はない。
セトは『駄目だよね、やっぱ』と呟くと深い溜め息をついた。



まさか、また会うとは思わなかったよ。


足を止め、壁に背を預けて歩いてきた道を振り返る。
後ろの道の地面と壁には自分が進んできた痕跡が赤く鮮明に残っていた。
それを見て小さく舌打ちすると、前方に視線を戻す。
先へ続いている道が徐々に色を変え始め、雨が降り出したのだと気が付いた。
ぐっと歯を食いしばって、それを無理矢理笑みに仕立てて腕の中のソレリを見下ろす。
「大丈夫!護衛部隊の代表やってたんよ?うちは」
そう言い聞かせてまた歩き出す。
すると雨に濡れ始めた地面に、ぼたぼたと雨とは違うものが零れる。
背後の道にもある、自分が歩いた跡を残す赤いもの。

背中が熱い。
体が重い。


次の瞬間、震えていた両足からがくりと力が抜けた。
倒れ掛かってくる地面から咄嗟にソレリを守る。



「あっちゃ~……駄目だこりゃ。悪いけどソレリ、先に行ってもらえる?」

腕の中の少女は、まだわんわん泣き続けている。
「泣かないでってば、うるさいっちゅーねん」
さすがに嫌になってきて、セトは困った顔をして文句を言った。
しかしそうは言うものの、自分がそのうるささにとても救われているのを感じている。
少しでも気を抜けば飛んでしまいそうな意識が、少女の声で繋ぎ止められている。

「もしかして、服が汚れたことに泣いてんの?ごめんごめん。はい謝った。」

適当にそんなことを言いながら押し出した少女の体は、小さく震えながら自分の腕を離れた。
いつもとは逆で、じっと自分を見下ろす幼い少女を見上げる。
「ほら~、ソレリが行ってくれないと全部無駄になっちゃうじゃん」
少し怖い顔をしてみせて言うと、少女は泣きじゃくったままゆっくりと後退りする。
セトから視線を逸らさないまま、小さな足が少しずつ歩いていく。
やがて先にある曲がり角まで少女は離れた。
「そうそう、そこを曲がればソレリのお家があるから」
言うと、幼い足取りで必死に曲がり角の向こうに少女は消えていった。
「……良い子じゃん」
関心したような、生意気な口調で少女が消えた曲がり角に呟く。
冷たくない雨に打たれ、セトは唇の端を釣り上げて一つ大きな溜め息をついた。


……きっとみんな驚くだろうな~……うちだってビックリだよ。


セトは、苦笑していた口を徐々に強張らせ、やがてぐっと歯を食いしばった。
するとその口の端から道しるべと同じ赤いものが溢れ出す。
構わずにセトは唸り声を漏らしながら、ぐぐぐっと倒れた体を起こした。




「…っ………殺してやる……」

低くて掠れた、醜い声が喉の奥からこみ上げた。
壁に手をついて重たい体を何とか立ち上がらせる。
また背中から大量の赤い液体が溢れるが、壁に押し付けて大きく息を吐いた。
そして携帯していた短剣を懐から取り出して、自分が歩いてきた道に向く。
恐らく自分は今とても酷い形相をしているだろう、とセトは思った。
苦しげな荒い呼吸のまま、壁伝いに再びずるりと歩き出す。




……うちらは、これからが腕の見せ所なんよ?


生理的に溢れてきた涙を堪えながら、セトは歩いてきた道を引き返す。
そして心の中で何度も何度も青年の名を呼んだ。



ノルヴェルト………ノルヴェルト……ノルヴェルト…ノルヴェルト…!!


うち、超悔しいよ。
うちってばまた、四年前と同じように、何もできないまま。
こんなのヤダよ冗談じゃない。


ノルヴェルト……ノルヴェルト!!!






助けて。



   *   *   *



家の中はキッチンから漂う良い匂いに包まれていた。
テーブルの上を布巾で拭きながら、ノルヴェルトはその良い匂いに心が弾むのを感じていた。
食器を運んできたマキューシオがノルヴェルトの表情を見て小さく笑うが、ノルヴェルトはそんなことには気が付いていない。

結局ノルヴェルトは読書はせず、昔の思い出に浸って一日を過ごした。
いつの間にか椅子に座って眠りこけてしまい、昼食の時にマキューシオが起こしに来た。
そして昼食後はマキューシオと昔のことで話し込んでしまい、結局お祝いの準備はスティユが一人で頑張っていた。
夕方になりそれに気がついた二人は途端に居心地が悪くなり、夕食の準備を手伝い始めたのである。

「雨が降ってきちゃったわね、セト達もう近くまで来てるかしら……」
キッチンにある窓の外を眺めて、スティユが心配そうに言った。
静かに聞こえ始めた雨音に耳を澄まし、マキューシオとノルヴェルトも低く唸る。
この雨ではそこそこ濡れて帰ってくるだろう。
そう思ったノルヴェルトはすぐに居間から出て大きめのタオルを二つ持ってきた。
椅子の一つにそれらをかけておくノルヴェルトを見て微笑むと、『そろそろ帰ってくるだろう』とマキューシオはドアに視線をやった。
「それじゃあ帰ってくる前に料理を完成させておこうかしらね」
そう言って気を取り直すとスティユは再びキッチンへ向き、料理の味見をして満足げに唸る。
すっかり母親をやっている彼女の後ろ姿を見て、ノルヴェルトはふと近くの窓の外へと視線を移した。

昼間にマキューシオからたくさんの昔の話を聞いた。
マキューシオが軍を抜ける前の話や、ドルススとの思い出、スティユとの出会い。
あの難民救済の活動を始めるまでの話を、出会ってから何年も経った今日初めて聞いたのだ。
そして、あの仲間達が集まるまでの話もである。
戦場跡で泥棒まがいなことをしていたセトが、数人の仲間を連れて勝手について来たこと。
ある日突然、軍で邪険に扱われていたワジジをセトが引き抜いてきたこと。
それらの話は何もかもが新鮮で、ノルヴェルトにとってとても興味深い話であった。

しかしまだ聞き足りない。
もっとたくさんのことを知りたい、みんなについて。

ノルヴェルトは、夜は自分が皆と出会った後の話を聞かせてもらうつもりだ。
当時自分が抱いていた疑問を、ずっと知りたかったことを。
成長した今なら理解できることも多いはずだ。
マキューシオから、スティユから、そしてセトからも。
たくさんの話を聞かせてほしい。
ソレリには少し退屈かもしれないが、過去を受け入れるには今日が持って来いだと思った。

そんなことを考えながらじっと窓の外を見つめる。
するとそんなエルヴァーンの青年を見て、静かに食器を並べ始めたマキューシオが首を傾げた。
「……ノルヴェルト?」
『どうした?』と問い掛けてくる彼に、ノルヴェルトははっとして背筋を伸ばす。
何でもないと首を左右に振ると、テーブルを拭く手を再び動かし始めた。


――――と、遠くから聞き慣れた泣き声が聞こえた。

「あ、ソレリの声だわ。……やっぱり泣いちゃってるわね」
娘の声を聞きつけたスティユがそう言って苦笑する。
マキューシオは『そうみたいだね』と肩をすくめると、幼い娘が忘れていったぬいぐるみに視線をやって溜め息をつく。
「セト、きっと困ってるわ」
食事の支度を進めながら、今度は楽しそうに笑ってスティユ。
一緒になって泣きそうな顔をして帰ってくるセトの姿を思い浮かべて、三人は小さく笑った。






おかしい。

微笑み合っていた三人は疑問符を浮かべて顔を見合わせる。
ソレリの泣き声は間違いなくドアの前まで来ていた。
ドアのすぐ向こう側であの幼い少女が声を上げて泣いているのが分かる。
しかし、一向にドアが開かれる気配がない。
「入ってきませんね」
一体どうしたのだろう……という疑問を浮かべている夫婦を見て、ノルヴェルトが布巾をテーブルに置いた。
そして首を傾げながらドアに近付き、ノブを捻って開ける。



「―――――……ソレリ!?」

ドアを開けたノルヴェルトが驚愕の声で少女の名を叫んだ。
勢いよくドアを開け放って外に飛び出す。




小雨が降る中。

ドアの前には、髪や服を血でべったりと汚したソレリが一人立ち尽くして泣いていた。



<To be continued>

あとがき

あああ、始まってしまいました、地獄が。←テメェだよ
展開はこんなんですが、皮肉なことにこの回が一番ノルヴェルトが笑った回です。(爆)
さて、このへんからどんどん彼がプロローグの彼へと向かって前進を始めます。