LSは常識と社会性を持って正しくお使いください。
レンタルハウスの中を隅々まで冒険者自ら大掃除するなんて、滅多に聞かない話だ。
自分の家じゃない。自国のモグハウスでもない。レンタルハウスだ。
冒険者の普及と、アルタナの民の世界的な能力水準上昇を目的とした支援の一つとして、国が冒険者に提供している仮の住まい。
他国に行き、新たに手続きをすれば、提供されていた元の貸し部屋は自動的に解約され、中の荷物をモーグリが移動させてくれる。
そうして使用された後の部屋は、モーグリだか行政だか知らないが、とにかく誰かの手により整えられて次の冒険者へと提供されることになる。
そうつまり、部屋を替わるからといって、出て行く前にきちっと清掃しなければならないということはない。
宿屋のように費用をかけることもなく、引越しの手間やら何やら面倒なものが一切省かれる素晴らしいシステムがレンタルハウスだ。
Rental House.
さて、レンタルハウスという仕組みがいかにリーズナブルで素晴らしいものかを明確にしたわけだが、ここで確認したいことがある。
俺は、この部屋を移る予定はない。
長期滞在を予定してジュノに来た数週間前に手続きをし、提供されたこのレンタルハウス。
場所も悪くないし、長期滞在という予定も今のところ変わっちゃいない。
それなのに何故、そんな俺がだ。
這い蹲って部屋の隅々まで、それももうじき日が暮れようという時間から、何故大規模な部屋掃除をすることになったのかという点が問題なわけで。
「あの人が、前にご主人が話してた人クポ~?」
部屋の壁の掃除を請け負っていたモーグリが問いかけてきた。
テーブルの下から顔を出すと、『天井も終わったクポ!』とずんぐりした顔に喜びを浮かべたモーグリが雑巾で額を拭っていた。
それは雑巾だ、と指摘するつもりで俺はモーグリの手元を指差したが、モーグリは拭き取ったゴミが落ちることを懸念しているとでも思ったのか胸を張って言う。
「心配ないクポ、ちゃんと丸めてあるクポ~」
だよな、ちゃんと丸めてあるもんな。
面倒なので良しとすることにした。本人が心配ないと言っている、何も問題ない。
モーグリが背中の小さな羽根でパタパタと流しに向かって飛んでいく。水音が聞こえた。
床を拭き終わったのでテーブルの下から這い出ると、テーブルの上に雑巾を放り捨てて大きく伸びをした。
俺は決して小柄な方ではない。テーブルの下なんて窮屈なところを心地良いなどとは到底思えない。
ゆっくりと肩を回しながら室内を見回すと、今日の日中と変わらない元の様子に戻っていたので自分を労う溜め息をついた。
二時間程前は、この空間には生臭い紅い花びらがそこら中に咲き乱れていたのだ。
腰に手を当てぼんやりと部屋を眺めていると、不意に、ドアを二度ノックする控えめな音が聞こえた。
妙な話かもしれないが、俺はドアがノックされる音を聞くと安心する。
どんなに悪いタイミングでドアがノックされようと構わない。
ノックをせずに部屋に入り込んでくる某変態魔道士ではないというだけで、どの茶を準備しようかという気分にすらなる。
臨時の大掃除も終わったところだし、もし落ち着いて腰掛けて相手をできる来客だったら、茶に加えて手製のメロンパイを振舞っても良い。
「ごめん!ごめんなさい!本ッッ当にごめんなさいぃぃぃ!!」
開けたドアの向こう側にいたのは、残念ながら落ち着いて相手ができる客ではなかった。
部屋の中に引き返し、テーブルの上に置いた雑巾を掴み上げる。そいつは謝罪の言葉を叫びまくって俺の後を追うように入室してきた。
振り返ると、祈りを捧げるように手を組んでいるヒュームの娘がすぐ目の前に立っている。
「ごめんなさい、お掃除全然手伝えなくて!あわわ…何か私にできることない?」
「これ以上何かする気かお前は」
「わあぁぁダン怒ってるぅぅッ」
ブルーの瞳に怯えの影を落として色々捲くし立てているこのヒュームの娘は、我がリンクシェルが誇る新進気鋭のトラブルメーカー。
ハニーブロンドの髪を一つに結わいた冒険者の戦士、トミーだ。
何故こいつがこうもダイレクトに謝り倒しているのかというとだ。
夕方にこの部屋を訪れ、野兎のグリルをご馳走すると言ってクリスタル合成をし、見事に兎の肉片を炸裂させ、俺に異例の大掃除を経験させてくれた張本人だからだ。
派手に肉片の花を散らせたこいつは掃除を手伝おうとはした。
だが、こいつに引っ付いてやってきたネコが、こいつを連れてさっさと部屋を出て行きやがった。
おかげで俺はモーグリと仲良く大掃除をして親交を深めることができたという感動の物語。
「ううぅ、リオさんも何か凄く機嫌悪くて……結局怒って帰っちゃったの」
リオとかいうあのネコは一体どういう環境で育ったんだか、タイムマシンでもありゃ見に行ってみたいものだ。
トミーのことを非常に気に入っているのは一向に構わない。
しかし何故、俺を目の仇にするのか理解できない。
あのネコが攻撃的なのは俺に限ったことじゃなくも思えるが、それにしたって俺に対する態度は一際可愛過ぎるだろ。
トミーのその言葉を背中で聞きながら、俺は雑巾を流しの方に放り投げようとした。
するとモーグリが丁度こちらに戻ってきて俺の思い描いた軌道を阻む。
投げたら駄目なんだそうだ。
俺の手から雑巾を取ると、モーグリはトミーの存在に気付いて首を傾げる。
「クポッ?さっきの」
「あ、お邪魔します!ごめんなさいお掃除させちゃって……」
申し訳なさそうに身を窄めるトミーを見て、モーグリがちらりと俺のことを見た。
「そのことはもういい、済んだことだ」
そう言って俺はモーグリの手から雑巾を取り返して流しに向かい、嫌な感じに肉片がこびり付いたそれを適当に濯ぐと自分の手を洗った。
水を止めてタオルで手を拭いているところへにじり寄るような足取りでトミーが近付いてくる。
「………あ……あのね?」
振り返ると後ろに手を回したトミーがこちらの顔色を伺う目をして見上げていた。
「お腹、空いてない?ご飯食べちゃった?」
あれからぶっ通しで誰かさんが派手に飾り付けしてくれた部屋を惜しみつつもモーグリと手分けして掃除していた。
そしてついでに言うと、肉片が飛び散った生臭い部屋で食事をする趣味はねぇ。
言葉にさえしなかったが、俺は表情で全てを語った。
「ごめんねごめんねそうだよね!食べてなんかいられなかったよね!ああああのね、その、食べてほしいものがあるんだ」
「あぁ?」
「えと、私が作った野兎のグリ違うよ違うよこれからここで作るんじゃないよ!?」
途端にこめかみの辺りで何かが弾けそうになった俺の気配を察して、トミーは大慌てで両手を振り回した。
そして、下げていた小さめの鞄から包みを取り出して俺の胸に押し付ける。
「作ってきた!すぐにお掃除手伝いに来たかったんだけどね?手ぶらでは戻りたくなかったしそのっ、どうしても、合成で作ったグリルをダンに食べてもらいたくてッ」
トミーが必死に訴えた内容は、まあまあ、可愛げが全く無いというわけではない。
しかしその食べてもらいたいグリルとやらが包まれているであろう包みを押し付けるトミーの力は結構なもので、それを俺の心臓と入れ替えようとでもしてるかのように思える。
身を引くのは癪だったし、そんなことをしたらある意味大変なことになりそうな気がしたので、俺は頑として動かなかった。
「分かった、分かったから落ち着け。色々とはみ出る」
「食べてくれる?!」
ばっと顔を上げて問うトミーに対し頷いてみせると、トミーは満面に笑みを浮かべると同時に少しの緊張を垣間見せた。
文字通りゴリ押ししたくせに、今更不安になったってか。
そんなトミーに小さく溜め息をつくと、トレーの上にお茶を用意したモーグリが脇を通り過ぎていった。
テーブルについてお茶でも飲めと言うモーグリの言葉に促されて、俺達はゆっくりとテーブルにつく。
トミーはあれから着替えたようで、今は装備ではなく完全なる私服姿だった。
俺も肉まみれの装備を身につけたまま大掛かりな掃除をする程チャレンジャーではない。
当然、鎧は外している。こっちも極端にリラックスした黒シャツにズボンという格好だ。
順番にお茶を注いで差し出すモーグリに礼を言うと、トミーは緊張したようなうめき声を漏らしつつ例の包みを解き始めた。
先程の非常に物理的な圧縮によってどんな姿になっているかと思ったが、野兎のグリルのルックスは特に変身していなかった。
包みを解いてまじまじと自作のグリルを見下ろすトミー。不意に、『あ』と声を発して硬直した。
俺はグリルを見下ろしているその頭を見て、何を思ったのか読む。
「その包みごとかせ。そもそも、合成で作るもんは大概携帯食だ。食器なんていらねぇよ」
「ぁあっ、うん、そっか」
しゃきっと背筋を伸ばして深く頷いたトミーは、そのまま俺の顔を見つめて何度も頷く。
段取りが悪くてしょうがねぇ。
俺はさっさとトミーの手元からグリルを包みごと引き寄せた。
トミーがあっという顔をしてグリルを見送っているが、俺は構わず尋ねる。
「これ合成で作ったのか?何処で作ったんだよ。まさか町の外で作ったとか」
「違っ、違うよ!ジュノの外はまだ危ないから一人で出るなってダン言ってたでしょ!」
「おーおーよく覚えてたな。んで、何処で作った」
かじり易いようにグリルを包み直して手に取りながら上目遣いになってトミーを窺うと、あいつは何処か得意げな表情をしていた。
だが、俺と目が合うと一気に何かを喪失したように眉を下げ、肩身が狭そうに俯いて呟く。
「……お…」
「お?」
「………………お風呂場?」
誤魔化そうとしつつも誤魔化せないと分かり切っているような、見ているこっちが可哀想だと感じる顔でトミーは苦笑した。
多分、そんなトミーを愕然と見つめる俺も、つられて情けない顔をしている。
「…………まぁ、悪いアイディアじゃない」
別に怒るようなことではないし、何より気の毒だったので、俺は気休めの言葉を搾り出した。
テーブルを挟んで向かい側に座っているトミーは、勝手にどん底まで落ち込んだ様子。
食べてくれと押しかけてきたのはそっちだろうが、何で俺がお前を……あーもー。
俺は面倒になって、一つ溜め息をつくと『もらうぞ』と言ってグリルをかじった。
食べてみて適当に何か言ってやれば元気になるだろう。こいつ、単純だし。
この時、グリルの味がとんでもないものだったら、というケースは考えなかったが…。
トミーがチラリと視線だけをこっちに向けて『どう?』と尋ねる。
どうしてそんなに恐々なのか分からないが、それもまぁ仕方が無いような気もした。
トミーの後ろでトレーを抱えたままのモーグリが、表情の分かりにくい顔に色濃く緊張を浮かべて俺を凝視しているのが凄く気になる。
グリルの味は悪くなかった。
目茶苦茶硬いだとか、中が完全生だとか、そういうこともない。
これが出来上がるまでにどれだけの犠牲を払ったのかは聞かないこととして、このグリルはそこらへんで流通しているものと同等のものだ。
クリスタル合成はちゃんと成功していることになる。空腹も手伝ってかなり美味い。
考えてみれば、野兎のグリルなんて初級のものを食べるのは至極久々だった。
調理合成のスキル上げを始めたばかりの頃は、それこそ部屋にはグリルが溢れ、パリスを巻き込んで毎食グリル三昧の日々を送った時代もあったものだ。
それが今ではどうだ。調理合成の腕は高弟級まで達している。
金稼ぎは調理の合成で充分やっていける……といったら言い過ぎかもしれないが、食の面では自分で何とでもできる。
今日の夕方にも、トミーがあのネコと一緒にこの部屋にくるまでの間は、変態に依頼されたメロンパイの量産を手掛けていたくらい―――――
俺は途端にドアへ目を向けると、テーブルに手を着いて立ち上がった。
「―――まずい!」
グリルを置き、椅子を蹴って部屋のドアへと走った!
突然のことに仰天して、あんぐりと口を開けているトミーとモーグリそっちのけで、俺はドアに飛びつくと瞬時に鍵を掛ける。
この場にあの変態が来たら面倒なことになる!
無防備にのんびりしてる場合じゃねぇ!
カシッと音がしてドアに鍵が掛かり、俺は握ったノブをじっと見つめてからゆっくりとドアに耳を近付けた。
すると丁度、向こう側で何者かが指で細かくドアを叩いているような連続的な音が始まる。
「オレハミラクルとツンデレスペシャル! オレハミラクルとツンデレスペシャル!おおっと騎体がぶつかっているぞ!さあ先頭はこのあたりでマジカルハートだ!マジカルハート先頭か!ラヴセンチュリー!ラヴセンチュリー!ちょっとツンデレスペシャルは不利がありましたが先頭はラヴセンチュリーだ!」
何か聞こえる。
棚に立て掛けてある両手剣を取りに戻ってドアごと外にいる野郎の体をぶち抜いてやろうかとも思ったが、奴をわざわざ解き放ってやることもない。
こういうのはシカトが一番だ。
ということで、ドアの向こうでレース実況して遊んでる変態は放置することにした。
その内何らかの手を使って侵入してくるかもしれないが、こっちからドアぶち抜いて入り口を開けてやるのは馬鹿げてる。
とりあえずギリギリ間に合った。ここで入って来られたら力いっぱい面倒なことになっていただろう。
俺はドアから身を引くと、溜め息をつきながら踵を返してテーブルに戻ろうとした。
歩き出してふと顔を上げる。
椅子に腰掛けたまま体を捻ってこっちを向いているトミー。
その様子に俺は眉を寄せると、思わず足を止めてしまった。
そう、トミーは体をこっちに向けている。
向けてはいるのだが、顔は下を向いていた。
トミーの手は椅子の背もたれをきゅっと握っている。
俯いているので表情はよく見えなかったが、俺はすぐにとてもとても嫌な予感がした。
「…………だからリオさんも……丸飲みしちゃったのかな……」
ぽつりとそう呟いて、トミーはテーブルに向き直った。
「…は?」
こっちに背中を向けてしまったトミーの様子が理解できず、俺はそのしょんぼりした背中をまじまじと見つめながらテーブルに戻る。
俺が向かい側に戻ると、トミーはテーブルについた両腕を見下ろして、何処か痛々しい薄い笑みを浮かべた。
「でも……何も逃げ出そうとしなくたっていいじゃないか…」
俺は頭を掻き毟って悲鳴を上げたくなった。
トミーの奴は決してわざとではないと思うのだがそれが尚更タチ悪い。
下を向いているボケヒュームのことを愕然と見つめつつ、俺は慌てて声を絞り出した。
「あー…違う、お前絶対勘違いしてるぞ。絶対だ」
「………材料間違えた?」
思わずモーグリを見てしまった。
肩を落としているトミーの後ろにいるモーグリは俺達のやり取りを面白がっている様子。
現に、助け舟を出したモーグリの声は笑いを堪えたようなムカつくトーンだった。
「ご主人はグリルのことを言ったんじゃないクポ~」
「……でもまずいって言った…」
「クポポ~ご主人~~」
今日ほど、ずんぐりしたモーグリの面を腹立たしいと思った日は無い。
俺は歯噛みすると、グリルの自分が食べたのとは逆の方を包みごとぶっ千切って、しゅんとしているトミーに差し出した。
こっちがしかめっ面だからいけないんだろうが、グリルを差し出されたトミーは『そこまで食べるに耐えられないものなの』という顔をする。
「そうじゃない、美味いぞ」
「いいよぉ無理矢理」
「何ヘソ曲げてんだ、自分で食ってみりゃ分かるっつーの」
落胆の中に不貞腐れたものを含んだトミーに俺はグリルの半分を押し付けた。
さっきは泣き出すのではと肝を冷やしたが、今は逆ギレの傾向が見え隠れしており、俺としてはこっちの方がやりやすい。
トミーは渡されたグリルをむむっと難しい顔をして観察する。ちらりと俺を見た。
そしてばっちり視線がぶつかると慌ててくるりと体の向きを変え、こっちに背を向けて俺から見えないようにしてからグリルを口にする。
小動物のような挙動の娘に俺は半眼になった。
そうして、しばしの間こっちに背を向けてもぐもぐやってから、そーっとこっちを見るトミーを、そのままの半眼で見つめる。
「な、美味いだろーが」
どうして俺が勝ち誇ったようにあいつの作ったグリルを称えているのか謎だ。
トミーは口元をしょぼしょぼさせて、何故かしょんぼりしたまま『うん…』と小さく頷いた。
それから手元のグリルをまた半分に千切ると、おずおずとモーグリに勧める。
モーグリはすぐに飛びつくと、馬鹿みたいに嬉しそうな顔で美味い美味いとグリルを食べた。
「お前は色々気にし過ぎだ。大体あのネコにグリルなんてやらなくて良かったんだよ」
『勿体無ぇな』と言いながら、俺は残りのグリルを口に放り込んだ。
もそもそとグリルを食べていたトミーが、俺のその言葉にぴくりと肩を動かした。
『リオさんのこと悪く言わないで』とでも言ってくるかと思い、俺は頭の中で迎撃態勢を取る。
再度はっきりさせておくが、俺があのネコを嫌いうんぬん以前に、あのネコが俺のことを敵視しているのだ。
俺としては悪態の一つや二つ零さないとやってられるか。
トミーは何か思うことがあるような顔をしたものの、すぐに口を開かなかった。
眉を寄せてしばし考えながらグリルを食べ、食べ終わったところでようやく顔を上げる。
「………これだけじゃお腹空いちゃうでしょ?何か作ろうか、私」
にこと笑って椅子から腰を上げると、モーグリと俺の手元にある包みをささっと回収してゴミ箱に入れた。
言いたいことがあるなら言えばいい。
いつ頃からかは分からないが、俺はトミーのちょっとした仕草や声色であいつの気持ちを感じ取るようになっていた。
他の人間だったら多分気付かない、物凄く些細な信号を。
感じるようになると、トミーはなかなかのポーカーフェイスなのだなと思った。
普段表情がコロコロ変わって大層分かり易い奴だと思うが、あいつが自分で表に出さないと決めたものは全く見えないようになっている。
遠慮と我慢が大の得意なのだ。
あまり褒められた特技ではないと思うが。
「どうした」
ゴミ箱を見下ろすトミーの背中に、頬杖をついて呼びかけた。
きょとんとした顔がこっちを向く。
そのトミーの顔を見た時にふと、俺が感じるようになったのではなくて、トミーが俺にそういうのを見せるようになったのではないかと思った。
「なんだ」
お世辞にも優しいとは言えない声しか出なかったが、まぁ何だっていい。
トミーはすっ呆けて首を傾げている。
しかし俺を凝視しながらゆっくりとテーブルに戻ってきたので、これは俺の勝ちだろう。
俺はティーカップを手に取ってモーグリの淹れた茶を飲むと、トミーの方から話を切り出すのを無言で待った。
「………………うん?何を作るかって?」
「違うだろ」
一瞬本気で分かっていないのかと疑わしく思ったが、トミーはまだとぼけようとしているのだとすぐに思い止まる。
むむっと口を結んで目をしばたかせているトミーに対し、俺は辛抱強く待った。
「………………あ~……んー…」
そう、俺の勝ちだ。
トミーは明後日の方向に視線を泳がせて唸り、やがてすとんと椅子に腰掛けた。
やや深刻な顔になって手元のティーカップを見下ろす。
数秒の間を置いてから、トミーは意を決したように俺に視線を向けた。
「あの……怒らないで聞いて?」
「内容による」
「うっわ絶対そう言うと思った」
じゃあ聞くなよ。と内心思ったが、こんなことでまたズルズル話が伸びるのは面倒だったので口にはしないでおいた。
可愛くない顔をして肩を窄めているトミーに『とりあえず何だ言ってみろ』と言う俺の声には、面倒臭がっている気持ちが我ながら非常によく表れていた。
トミーは気難しい顔をしたまま一口お茶を飲んだ。
ゆっくりとティーカップを置いて、後ろめたそうな目で俺のことを見つめる。
「……あの………例えば…の話だよ?」
こっちの顔色を窺いながら言うトミー。俺は適当に頷く。
「…………リオさんをね、私達のリンクシェルに入れられないかな…て」
「やややややっぱり駄目だよね!?難しいよね!?パリスさんもロエさんも困っちゃうよね迷惑かけちゃうこともあるかもしれないしね!?ごめんなさいただの私の我侭だって分かってるからいいの気にしないでぇぇ!!」
ガチャガチャとテーブルの向こう側で暴れ出すトミーは凄い速さで捲くし立てた。
「私がこんなこと言ったら断りにくいよねパリスさんもロエさんも『駄目』なんて言えないよね優しいもん!でもちょっと、リオさんも入れてもらえたらいいなぁって思っちゃってちょっと言ってみただけ!言ってみただけだよ!?」
終いには最高に困った顔をしてテーブルの上に身を乗り出した。
「今の無し無しッ、ごめんね!」
俺は面白いくらい大忙しのトミーを至極冷静な眼差しで見守っていた。
ぶっちゃけ、トミーが凄い速さで噛みもせず捲くし立てている言葉を全部は聞いてない。
意識は耳ではなく目に。ただ、トミーの姿を見ているようだった。
そんな感じで俺が全く反応を返さないもんだから、トミーは大層不安げな顔をする。
「……怒った?」
どうやら俺は眺めることに満足したらしい、ここでようやく口を開く気になった。
「勘違いだったら悪いが………多分俺、まだ何も言ってない」
「わ、うん、そうだねごめん!」
「落ち着け、まず立つか座るか決めろ」
頭を抱えて立ったり座ったりしているトミーに言うと、『あ、じゃあ座るね!』と大慌てで椅子に座り直す。
力いっぱい真っ直ぐに座っているトミーを眺めて溜め息をつきながら、俺は手にしていたティーカップを置いて足を組んだ。
「…あー……何だ、最初に訂正しておきたい箇所が一つ」
「ごごごごご」
「ごめんじゃねぇよ、まだ何も言ってねぇだろが」
ぴしゃりと言うとトミーは何度も頷いて見せる。
すぐに本題に入っても良かった。
でもその前に、見逃しておくべきじゃないと思えるものがチラ付いたもんで。
俺はこめかみあたりを指で押さえると、うんざりしたような声で言った。
「あのな、そういうのは『我侭』とは言わねぇんだ。相談とか提案っつーんだよ」
「へえ」
「へえじゃねぇよ絶対分かってないだろお前。お前そんな風に色々気にしてたら、誰にも何も言えなくなっちまうぞ。駄目なもんは『駄目』。無理なもんは『無理』。馬鹿げたことは『ざけんな』って、はっきり言ってやるから。お前もとりあえず、言うだけ言うようにしろ」
言ってやると、トミーは肩を窄めて俯くと口を尖らせてぶつぶつと呟く。
「………ダンはそうかもしれないけど……パリスさん達は分かんないもん……」
まったくメンドイ奴だ。
と思ったが今議論すべきはそこではないので、俺は深い溜め息を一つついただけで更に突っ込むことはしなかった。
確かに、あの二人だったら、大概のことは二つ返事で承諾してくれるだろう。
二人はトミーに甘いのだ。それは俺も前から思っていたことではある。
どうやら、それをトミーも分かっている様子。いくら子どもっぽいと言っても一応それなりの年ではあるしな。
トミーにとっては二人の優しさが逆に不安だということか。
そう考えると、俺にこうして打ち明けてきたことに関して苦笑が浮かぶ。
しかしまぁ、誰にも言わずに何でもかんでも我慢されるよりはマシだ。
こいつが『俺に言える』ならそれでいい。
「んで?あー、あのネコをうちのリンクシェルにか……。うちのは別に利益見たシェルじゃねぇから、メンバーの能力はまず関係ない。お前が一番分かってるだろうが」
「むぐぐ、どうせ劣等生ですよぉぉ~」
「あぁよく自覚しとけよ。とりあえず、うちのはレベルとかジョブとかこだわってねぇ適当シェルだからな。受け入れられないって条件はない。……まぁ何だ、それに関しては、ネコ次第なんじゃねぇのか?」
恨めしそうに見つめてくるトミーを無視してそこまで言うと、トミーが眉を開いた。
手にしたお茶を飲一口飲み、俺は疑問符を浮かべている女ヘボ戦士に言葉を続ける。
「俺が思うに……例えこっちから誘っても、あいつ拒否するんじゃねぇの?今の状況見てると、そうとしか思えん」
ぴたりと時が止まったように、沈黙が訪れた。
俺を凝視したままシンキングタイムに入ったトミーはしばし硬直。
徐々に、眉根を寄せて『あぁぇ~』と妙な声を出す。
「だろ」
「うん~すごくそんな気がするよ~」
頭を抱えて困り果てたような声を出すトミーを眺めて、俺はお茶を飲み干した。
興味深そうに俺達の会話を傍聴していたモーグリが気付いたようにティーポットに手を伸ばすが、俺はそれを手で制した。
その光景を見たトミーが『あ』と声を漏らし、いきなり席を立ってキッチンへと駆け込んでいく。
パタパタと戻ってきたトミーの手にはもう一つのティーカップ。
椅子に腰掛けてそのティーカップにお茶を注ぐと、トミーはそれをつつつとモーグリに差し出した。
お茶を勧められたモーグリはそわそわと落ち着かない様子で、しかし至極嬉しそうにティーカップを手にする。
まったく、人んちに来てまで色々気を使う奴だ。
「そっかぁ、じゃあどうすればいいんだろう……」
「しばらく様子見ればいいんじゃねぇの」
くどいようだがモーグリの顔はマジで表情が分かりにくい。
しかし、今のモーグリの顔は『至福』の型をはめて作ったみたいになっている。
いや、自分で表現してみてもどんなだとは思うが。そんなモーグリを横目に見ながら俺は続けた。
「あいつが俺達の仲間になりたそうにしてたとか、そういうことじゃないんだろ?」
尋ねると返事はすぐに返ってこなかった。頬杖をついてモーグリを眺めていた俺はトミーに視線を戻してみる。
すると肩を落としたトミーがティーカップをぼんやりと見下ろして『…うん…』と小さく頷くのが見えた。
「でも………。や、リオさんが一緒のリンクシェルだったら楽しいのにな~って、思って」
ティーカップを持ち上げてトミーはにこと笑った。
つまり、見た感じあのネコが他に交流を持っている者がいそうにないので気掛かりだ、と。
何だか知らんが凄ぇな俺、エスパーか。
「……あー………いずれにしてもだ、お前はもう少し様子見とけ。もしネコに仲間入りを望んでる様子が見えたら、その時は改めてパリス達に話せば良い」
―――とここで、何の前触れもなく酷い眠気を感じ始めた。
言ってる最中から妙な感じがし始め、言い終わった頃に眠気のビッグウェーブが。
いきなり気が緩み出したのか何なのかさっぱり分からないが、俺は直ちにポットに手を伸ばすと自分のカップにお茶を注ぐ。
テーブルの向かい側で、ティーカップを両手で持って見下ろしているトミーが俺の今の発言に対して『そうだね』と小さく笑いながら頷いている。
絶対アレだ、例の大掃除でエネルギーを消費したのが原因だ。
軽くだが腹に食べ物を入れてのんびり座っていたせいで眠気が襲ってきたに違いない。
俺はお茶を飲んで眠気を払うように溜め息をついた。
そして、気を取り直したところでふと視線を上げ、眉を寄せる。
トミーが両手で頬杖をつき、ティーカップを見下ろしながら、にまにまと笑っていた。
「…………………どうした?」
「んぇ!?」
飛び跳ねるように顔を上げたトミーに俺も多少驚いて、少し目が冴えた。
「なんだよ、気色悪い顔して」
「ん~?うん~え~とねぇ~って気色悪い!?失礼な!」
にやけていた顔を照れくさそうな顔にしたかと思うとむっとした顔に替えた。
一呼吸中によくもまぁコロコロと替えるものだ。
俺は今ので若干目が覚めたことにほっとしつつ、『今のにやついた顔はヤバかったよな』とモーグリに向いた。
モーグリは一瞬固まってから、ぷるぷると顔を横に振る。
くそ、早々とこいつに懐きやがって。
「ヤバいとか言うなぁッ。んもぉ……その、ね」
少し膨れた顔をしてテーブルの上に置いた両手をいじるトミー。
しかし徐々にまたにやけた表情に戻っていった。
頭の中で一足先に内容に入っているトミーが俺としてはかなりじれったい。
「本当にね、良いリンクシェルだから。……オススメしたいなぁって」
テーブルの上に重ねた自分の両手の上に顎を乗せる。
彼女の姿は、まるで何処かの売れない画家が『夢見る娘』とか言うセンス皆無なタイトルで描いていそうな構図だった。
そんな夢見る娘は、俺が手にしているティーカップをぼんやりと見つめている。
「私、このシェルに入れてもらえて本当に良かったなぁ~……みんな優しいもの。あ、別にね?他の人達は優しくなかったとかそういうことじゃないよ!あ~、ん~、確かにダンは言葉がキツいからちょっとなぁだけど」
「オイ」
「あはは♪冗談ですけどッ」
トミーは自分だけ愉快そうに笑ってまた両手で頬杖をつく。
「ダンが私を引っ張ってきてくれたおかげで、私は今こんなに楽しくて幸せなの。だから、じゃあ今度は私がリオさんを引っ張ってみようかなぁって」
「あいつの場合、引っ張ったら普通に殴られるんじゃね?」
「あはは、そうかもね!」
そうかもねってお前……何だよ、にこにこにこにこしやがって。
こいつの笑い声を聞いているとどうも眠たくなる……かどうかは知らないが、再びうとうとし始める頭を片手で支えると俺は半眼でトミーを見た。
いつの間にかテーブルの隅に腰を下ろしているモーグリが隠れて笑ってやがる。
何故か知らないが羞恥心に似たものをじわりと感じて、俺は歯噛みしながら頭を掻いた。
「……本当に…ありがとね、ダン」
ほんの少しの間を置いて呟かれた、やや落ち着いたトミーの声。
見ると、今度はテーブルをじっと見つめているトミーがいた。
唇に薄い笑みを浮かべているトミーの目が微妙に揺れて……ってオイ。
「……ぉ?うわわっ、何か感動してきちゃったよ!?」
「知るか」
でかした、おかげで完全に目が冴えた。
俺は途端にキリキリと働き出した思考で組み上げた即席の言葉を放つ。
「あーもー大体な、お前の言い方だとまるで俺がお前を積極的に招き入れたみたいじゃねぇか。俺としてはそういう印象持ってないぞ」
咄嗟に言うことはいつも憎まれ口ばかり、我ながら天晴れだ。
けど本当にそうだ、俺が今言ったことは屁理屈でも負け惜しみでもない。
負け惜しみ?何でそうなる全く意味が分からん。
「………覚えてるの?」
必死に目元を擦りながらトミーが首を傾げる。
「幸い、至極印象的だったんでな」
「あはは、そっか。なんか嬉しいなぁ」
「何でだ」
妙に落ち着かない気分だったので、何でもいいからすぐに言葉を吐く俺。
モーグリが興味深げに俺達のことをじっと眺めている姿が目に付いてイライラする。
口の中で小さく舌打ちをして棚の時計を見た。
それから、相変わらず緩んだ笑みを浮かべているトミーの向こう側にあるドアを眺める。
俺は少し考えて、テーブルを指でとんとんと二回叩いてから口を開いた。
「疲れてるんだろお前も。お子様は疲れると泣きやすくなるもんだ」
「む、お子様って言うなぁ!」
「姫様でもお嬢様でも何でもいい。もう時間も遅いしな」
言いながら椅子を立つとゆっくりとドアに歩み寄り、外の気配を探った。
ドアに耳を当てる滑稽なことはする気にならなかったので、ドアに背中を預けてトミーを見るついでに耳を澄ませた。
そうして外の様子を探っていると、視線の先のトミーが椅子から腰を上げる。
「あ、ホントだもうこんな時間ッ。ごめんね、ダンも疲れてるのに」
「おかげ様で」
トミーは一瞬驚いたような顔。すぐに眉をしかめて不機嫌な顔になった。
嫌味な俺に対する文句をぶつぶつ零しながらテーブルの上を片付け始める。
しなくて良いと制するのも面倒だしやってもらえる分には楽なので放っておいた。モーグリも良い子面して手伝ってやがる。
テーブルの上をちゃちゃっと片付け終わると、トミーはモーグリに深々と頭を下げた。
「それじゃあ、お邪魔しました」
「いえいえクポ~また来るクポ~」
背中にある小さな羽を機嫌よくぱたつかせて言うモーグリに、トミーは嬉しそうに笑った。
部屋から出ると、トミーは一つ溜め息をついて辺りを眺めた。俺もトミーとは別の意図で周りを見回すが、変態魔道士の姿は見当たらなかった。
転々とある明りが照らす、静かな通路。
トミーは俺に向き直ると、苦笑いを浮かべる。
「う~ん、やっぱり難しいなぁ」
いきなりそんなことを言い出すトミーに、俺は『何がだ』と淡白に聞き返した。
「私………ん~何かこれ言うの悔しいんだけど…。ダンにはいつもお世話になりっぱなしだからさ?だからその、お礼っていうか……グリル作って驚かせようーって思ったんだけど」
「安心しろ、別の意味で驚かされまくったから」
「うるさいなー!」
黙って聞いてられなかった俺にトミーは肩を怒らせる。
「とにかくそんな感じだったんだけどっ、やっぱり駄目だねって!余計面倒掛けてばっかり。だからその、ホントに、何か私にできることがあったら言ってほしいんだ。何かしてもらってばっかりじゃ私も…イヤだから…」
「いちいちワーワー大騒ぎするくせに、手助けされてるばかりじゃ嫌だってか。………ったく…我侭な奴だな」
調子が狂い出すと憎まれ口しか叩けなくなる自分を心から尊敬する。
しかも、ちゃっかりNGワードを口にしているところが凄い。
言った瞬間にトミーの目が悲しげになったのは言うまでも無い。
いや違う、違うぞ。敢えてだ敢えて。
つまりこういうことだ。
「確かにメンドイけどな、お前はそのままで良いんじゃねぇの?……こないだも口滑らせて言ったが……お前にはちゃんと役割あるから、そう不安がるな」
無理。
最早自分が何を言っているのか全く理解できなかった。
トミーはぼけーっとした口半開きの間抜け面で俺の謎言語を聞いていた。
言ってる俺自身よく分からないんだ、こいつもきっと分かってないだろう。
と思ったが、トミーは徐々に笑みを浮かべて目を細める。
「ありがとう」
俺の意味不明な言葉をどう屈折して理解したのか知らないが、トミーはとんでもなく……安心したように笑っていた。
「それじゃあね、遅くまでごめん。ありがとー!」
「んぁーーオイそっちじゃねぇだろ!」
満面に笑みを浮かべたトミーがヒラヒラと手を振りながら駆けて行く。
それを一瞬普通に見送りそうになったがすぐ気がついて叫んだ。
トミーは駆け足のままぐるっと旋回して戻ってくると、『分かってますよぉぉ~!』とか何とか言いながら逆の方向へと駆けて行った。
全くもって、油断も隙もない奴。
俺は悩ましげな溜め息をついて、トミーが通路の先に見えなくなるまで見届けた。
またおかしな方向に行きやしないかと思って見張っていただけであって、特別な意味はない。
もしもあいつがうちのリンクシェルに入っていなかったら、どうなっていただろう。
うちのリンクシェルにとってトミーは間違いなく、変わり種だ。
パリスとロエさんと俺だけだったら、これ以上安定した失敗のないチームは無いんじゃないかと思う。
しかしそこにとんでもない、欠陥が服着て歩いてるような奴が一人入ってきたわけだ。
これを本人の前で言ったらギャーギャー喚かれそうだが。
全く失敗の無い、絶対の安定。
今トミーを加えてこういう状況になってみると、それはどうにも退屈で面白味のないもののように思える。不思議なものだ。
そんなことを考えながら部屋に入って後ろ手にドアを閉める。
そして足元に落としていた視線をゆっくり上げてみると見慣れないものが―――否、ある意味見飽きているが―――床にあった。
うつ伏せになって、大の字ならぬ土の字になった変態魔道士。
「見て見て!毛皮の真似~」
一気に部屋の中の重力が三割増したような感覚に襲われた。
予想していたと言えば充分にしていたが、実際こうなってみると物凄く疲労感を覚える。
一瞬そのまま踏んでってやろうかと思ったが、そんなサービスをしたところで喜ばれるだけだ。
俺は適当に『あー似てる似てる』と言って奴を避けて通った。
見回してみると案の定、モーグリの奴はとっとと離脱したようだ。忽然と姿を消していた。
俺のその対応は正解だったらしく、その白魔道士アーティファクト装備を身につけ毛皮の真似をしているアブナイ奴は、もぞもぞと伸ばした四肢を縮めるとその場に丸まった。
床に蹲った奴の恨めしそうな声が後ろから聞こえる。
「………やっぱりダン、俺様に嘘ついてたの~ぅ」
俺が思い切りうんざりした顔をして振り返ると、奴はつまらなそうな表情をしてゆっくりと立ち上がった。
この変態の名はローディ。
無駄に綺麗な顔付きをした金髪碧眼のヒューム白魔道士だ。
俺はこいつと出会ったおかげで、『ストーカー』を題材にした壮絶な論文を学会に提出できる自信を獲ることができた。
一体何の学会かは知らないが。
「ジュノに連れて来たい仲間はガルカだとか言ってたのに、全部嘘だったのね!誰なのよあの女っ、私というものがありながらヒドイ!今夜は寝かさないわよ!!」
「あー、はっきり言っていいか」
「いいわよ!」
「帰れ」
「きひっ☆」
冷たくあしらえばあしらう程この変態は嬉しそうに寄ってくる。
俺もその方程式は大分前から理解しているのだが、だからといってソフトにお引取り願って追い払えるとは思えない。
大体こいつ相手に真面目に応対しようとすること自体無駄だと思っている。
「やだやだやだぁ~大概の奴は女ができると遊んでくれなくなるぅ~!」
これには思わず、小さく吹き出してしまった。
皮肉れた笑いが漏れると同時に何だか胸がちくちくするがそれは気のせいだと思う。
「はっ……アレがそういうのに見えるか?」
「だって今、二人でニャンニャンしてたんじゃろ?」
「斬らずに敢えて殴り殺すぞテメェ」
「きひっ!」
「いや、『きひ』じゃねぇよ」
こいつ特有の気色悪い笑い声には弱体効果があると俺は思っている。まぁとにかく不快っつーだけだが。
「にゃーにゃー一緒に血沸き肉躍る冒険しようずぇ~?もうダンの分のパール、ばっちりサックしてスタンバッてるぞぇ♪」
「残念だがサイコ野郎のネットワークに身売りする気はねぇ」
そう、そうだ。そうだぞトミー。
所属するリンクシェルはよく選んだ方が良い。
何となくで入ったリンクシェルが自分にとって害になるようでは話にならない。
自分にとって『良い』シェルを見つけられることはラッキーなことだ。だから俺に感謝しているお前は非常に正しい。
とんでもないシェルは少なくないんだからな。
そんなところから嫌がらせの如く連日勧誘されようものなら、特性に『ノイローゼ』を習得できる。
あー……修行させりゃモーグリの奴、結界とか張れるようになったりしないか?
そんなことを頭の何処かで考えながら、俺は例の通り、迷惑でしかない常連客を追い出すべく、棚の脇に立て掛けてある自分の剣へと足を向ける。
両手剣の柄を握った時にふと、さっきトミーが言っていたことを思い出した。
そして俺は思わず、『アレは忘れねぇよ……』と呟いて苦笑した。
* * *
パーティでのリーダーを務めることにも大分慣れてきた頃のこと。
俺は朝にざっと組み立てた行動予定に沿ってレベル上げの狩りやクエスト、買い物などを片っ端からこなしていた。
すっかりそのリズムが日常になって、流れの良いその生活の爽快感に俺は満足していた。
最近新しくリンクシェルの仲間にロエさんが加わり、情報交換も充実していて俺はいよいよ冒険者生活の軌道に乗ったところだった。
先日パーティを組んで狩りに出た連中に気に入られ、『もう一度』と呼び出された。
支度をしてモグハウスを出ると、足早に待ち合わせ場所まで向かう。
通りかかった競売前はその日大層賑わっていて、何故今日はこんなに人がいるのかと疑問に思い、何となく辺りを眺めながら歩いた。
まぁ、たまたまその日はサンドリアで活動する冒険者が多かっただけのようだが。
……で、冒険者達がわらわらいる競売前を横切ろうとしたところで、目を引く人物が視界の隅の方に映った。
少し前、俺の目の前で華麗な空振りを披露し、その後偶然野良パーティで一緒になった、どうしようもなくドジなヒュームの女戦士。つまりトミーだ。
一期一会な冒険者生活の中でも色濃く記憶に残る程の存在感だったので、俺は視界に掠めただけでトミーに気が付いた。
落ち着きの無い挙動も目立つんだ。
探さなくても自然と目に留まる。
遠回りするのが面倒だったので俺は冒険者達の中を突っ切ったわけだが、トミーの奴は賑わっている場所から少し離れたところにいた。
遠巻きに競売所を、厳しい眼差しで見つめてみたり、頼りなさそうな目で見つめてみたり、色々と眺めるスタイルを試しているような、まぁとにかく挙動がおかしかった。
今考えればアレは、『前から思ってたけどあそこって何だろう?何か手続きするところ?もしかして私何か忘れてる?』とか何とか、くだらない不安を抱えてそわそわしていたのではないかとバッチリ予想がつく。
このまま進んだら目の前を通ることになるので、そうなると素通りは駄目か?挨拶でもしなければならないだろうか。
ふとそんなことを考えていると、エルヴァーンの戦士らしき男がトミーに声をかけた。
こっちが歩を進めるにつれて、話しかけた男の声が聞こえてくる。
「……ったら、うちのリンクシェルに入りませんか?十代から二十五歳限定のリンクシェルなんで、皆でワイワイ楽しいですよ!」
嫌な部分が聞こえてしまったと思った。
否、別にあれが悪質な勧誘であるとか、そういうことではない。
別に、近い年代を集めたリンクシェルを作ることは悪いことじゃない。
話も合うだろうし、あの戦士が言う通りそれはそれは“楽しい”だろう。
だが俺は何となく、それが聞こえた途端に冷めた気分になった。
エルヴァーンの戦士を前にしてきょとんと『……ジェダイ?』とか言って首を傾げているトミーを見て、その冷えは増した。
あんな、あんなぼけーっとした娘がフラフラと冒険者社会に入って、一体どんな風になっていくのだろうか。
不意にそんなことを思ったが、俺はすぐにそんな思いを一笑に付した。
別に人が何処に行こうと関係ないじゃないか。俺は俺の行きたい方向に行くだけだ。
誰だって最初は一人だ。
日々を過ごす内に自然と仲間はできていく。
トミーにとってはあれが始まりなのかもしれないではないか。
案外、すぐに良い殿方と出会って寿引退とかするんじゃないか?
どう考えても冒険者には向いてないから、寧ろそれが一番妥当だと思うが。
まぁとにかくだ、俺があれこれ考えるようなことじゃない。
そう締めくくったところで、いつの間にか自分の足が止まっていることに気が付いた。
これから一緒に狩りに行く連中が待ってる。俺はらしくもなく他人のことを考えた頭を振って溜め息をつく。
そうして気を取り直して、俺はさっきと同じように足早に歩き始めた。
「週に一回は集まってイベントもやってるんですよ」
「ほぁ~、そうなんですか~」
「ヒュームの女の子って少ないから、仲間もきっと喜ぶと思うんです」
次に見掛けた時、彼女がどんな様子か。
もう冒険者じゃなかったりしてな。
トミー達の前は通ったが目の前じゃない。
俺達の間には何組もの冒険者が行き来していた。
この世の中で冒険者になった人間の内、どれだけの数が己の目標を達成できるだろう。
チョコボに乗れるようになりたい。ナイトになりたい。召還士になりたい。飛空艇に乗れるようになりたい。辺境の地に行ってみたい。
目標は人それぞれだが、途中で挫折する者も少なくないのではと思う。
ちなみに、俺には目標なんて立派なものはない。
ただ俺らしく、俺の道を進みたいだけ。
強いて言えば、何処まで行けるか試してみたい、か。
具体的な終着点がないので挫折し易い目標かもしれない。
だがそう考えると、他の冒険者達とは違って、その点俺には有利な条件がある。
俺には進むのをやめた時に戻る場所が見当たらない。
だから多分、俺はいつまでも進んでいくだろう。振り返る先がないから。
進んで進んでもうそれ以上進めないとなった時に、俺が手にしているものは何だろうか。
そこには、俺が満足できる『俺』がいるだけかもしれない。
―――まぁ、今そんなことを考えたってどうしようもねぇ。
競売から徐々に離れつつ、前以て聞いていた今日のメンバー達のジョブを思い返す。
今日はどういう連携を組むか、頭の中で確認しながら、先に見える集合場所の門に目を向けた。
そして、背に携えた両手剣の位置を整えたところで、聞こえたのだ。
「あ、ま、待ってくださーい!」
最初、俺に向けられている声だとは思っていなかった。
二回目のその声と同時に、後ろから駆けてきたトミーが俺の前に飛び出してきて初めて気が付いたくらいで。
一生懸命笑顔を作ったトミーは、俺の顔を全力で見つめていた。
多分この時、俺のずっと後方で、さっきのエルヴァーン戦士がこちらの様子を眺めていたのだろう。
行く手を阻まれた俺は呆然とトミーを見下ろし、無言のまま、状況説明を目で求めた。
するとトミーは、明るい笑顔で大真面目に、こう言ったのだ。
「あの、私も連れてってくれませんか?あなたのリンクパークへ!」
あとがき
公園になっちゃったよ!!………というわけで。こちらは、2007年にイベント参加した際に発行した、一軍本掲載の物語です。
時間軸は『幸せのカタチ』の夜ですね。
苦労人ダンとお人好しトミーの性格を主張したくて書いたもの。
や~久々に読んでみて、私も色々と新鮮でした。
え…?ちょっと、ダン……大分緩んでるね?
こんな緩んでたの?
なんかごめんやで、第三章。
ここでも改めてお伝えしておきます。
ダンは決して奥手なわけではありません。
彼は、本気故に、鋼の精神力を発揮しているのです。
というかお子様思考無自覚トミーがとてもとても強いの。
以上、トミーが『押しかけ女房』だという話でした。(?)
読んでくださりありがとうございました。